昨日の話をなんの気なしに、昼休みにしてみたら、情報通の奈都子(なつこ)ちゃんが教えてくれた。学級委員とは名ばかりの教師のパシリをやっているせいか、奈都子ちゃんのところには縦の情報も横の情報もすぐに入る。

「なんでもねえ、鬼瓦先生のせいで、園芸部と剣道部の仲は代々微妙らしいのよね」
「なんで? そもそも剣道部の顧問でしょ。あの人。なんで学校の敷地内で自家菜園つくってんの」

 奈都子ちゃんの言葉に、当然ながら恵美ちゃんが声を上げる。
 私もうんうんと頷きながらペットボトルを傾けると、奈都子ちゃんは「これはうちの先輩から聞いた話だけど」と前置きしてから語ってくれた。

「うちの学校で剣道の段持ちの人って鬼瓦先生以外いないんだって。うちの学校の剣道部そこそこ強いでしょう? だから顧問なしっていうのは大会規定とかに引っかかるから困るんだって。だから剣道部の顧問引き受ける代わりに、裏庭を園芸に使わせててって、園芸部と話を合わせたみたい。鬼瓦先生、園芸が趣味だからさ。園芸部からしてみたら、誰も来なくっても菜園が綺麗なまんまだから願ったり叶ったりで、そのまんま。ついでに剣道部の一年生も土いじりに連れてくるようになったから、園芸部からしてみれば活動してもしなくっても園芸場が管理されているから、それで園芸部員の幽霊部員化が進んだんだってさ。そりゃ剣道部が園芸部を恨む訳よ。なんでよその部の仕事を自分がしなきゃいけないんだって。そう言われても、顧問が勝手に決めた話なんて部員も知る訳ないじゃない。それのせいで、代々恨み恨まれる関係なんだってさ」
「なんじゃそりゃ……そんなの初めて聞いた」
「まあ、剣道部はともかく、園芸部ってほとんど幽霊部員しかいないしねえ。だからこの話も今は飛び飛びにしか伝わってないと思うよ?」

 奈都子ちゃんの説明で、あのぶすくれた男子が怒り出した理由に納得がいった。
 練習時間を奪って、うちの部の手伝いさせちゃったんだから、そりゃ怒るよなあ……でも、どうしよう。私はあの肉食獣みたいな男子のことを思い浮かべて、少しだけ身を震わせる。

「なに? キレてきた剣道部員、そんなに怖いの?」
「……うん、ものすっごく怒ってた。昨日は買い物があったから、先生に今日は部活出ないって言ったら帰るつもりだったのに」
「別にそこは由良が怖がる必要なくない? だって、用事があったんだからしょうがないでしょうが」
「そうなんだけど……」

 あの男子と今後、一対一で部活しないといけないとなったら、あまりにも気が重い。私がガタガタ震えている中、奈都子ちゃんが言う。

「でも、まあ。普通に人に八つ当たりさせて泣かせるような奴、肝がちっちゃいんだからそこまで気にする必要ないでしょ。それでも怖いって言うんだったら、今度の部活のとき、私らも付き合おうか?」

 奈都子ちゃんは美術部だから、絵を描くと言って絵画セット一式持ってしまえばどこでだって部活ができる。そう言ってはくれるものの。私は空になったペットボトルをひとまず鞄に突っ込むと、机に顔を突っ伏した。

「そう言ってくれるのは嬉しいけど……でもあの男子のことも可哀想だし」
「本当、危ないって思ったらちゃんと連絡するんだよ? それが一番大事だからね」

 ふたりはまるでお母さんかと言わんばかりに心配してくるのに、私は思わず半笑いになってしまった。
 男女ふたりでただ土いじりをしているだけで心配されるっていうのはちょっとなあ……。そう思いながら、ふと次の準備をしていてシャーペンの芯がないことに気付いた。

「あ、シャーペンの芯がない。持ってる?」

 ふたりに聞いてみると、ふたりとも確認したけど、予備のシャーペンの芯は持っていなかった。時計をちらっと見る。これくらいだったら裏のコンビニまで走れば間に合うかな。私は「ちょっとコンビニ行ってくる!」とふたりに言い残してから、そのままコンビニまで走り出した。
 私がコンビニでシャーペンの芯を見つけると、そのままレジに並ぼうとしたとき。

「あ」
「はい?」

 大きな身長の男子が、ちょうど私の後ろに並んだのだ。持っているのは焼きそばパンにあんパン。……昼ご飯足りなかったのかなくらいに思って見上げてみる。どこかで見たことあったっけと思いながらレジをしていて、気付いた。
 今日は制服着ているからすぐに思い出せなかったけれど、昨日の肉食獣みたいな男子だ。私は早くレジよ終われと思ったら、タイミング悪くレジが変な音を立てる。

「ああ、すみません。レシートが切れたのでちょっと入れ直しますね!」

 目の前で店員さんがレジと格闘しはじめ、「次お待ちのお客様はこちらにどうぞー」と隣のレジに呼ばれた男子は、そちらで会計をはじめる。
 そのまま私と男子のレジが同時に終わってしまったのに、私は沈痛な面持ちで男子と一緒に学校に帰ることになってしまった。
 同じ道を帰らないと学校に着かない。そのままわざと足を緩めてもいいけど、もうそろそろ予鈴が鳴りそうだから歩幅をわざと小さくすることはできないし、だからと言って男子を抜かせるほど私は歩幅を出せない。男子のほうが私よりも明らかにコンパスがあるんだから、どうしても私は男子の斜め後ろを歩く体になってしまっていた。

「おい」

 不意に男子が声を上げるのに、私はビクリと肩を跳ねさせる。男子はぶっきらぼうに声を上げて、こちらを振り返った。釣り上がった目に、昨日の怒声を思い出し、怖くなって小刻みに震えていると、男子はこちらをじっと見てきた。

「……ああー、昨日は、悪かった」
「……はい?」
「泣かせるつもりはなかった。ただいきなり知らない部の手伝いさせられて、イライラして当たった。自分でもみみっちいと思ってる。すまん」
「えっと……」

 私は殊勝に謝ってくれると思っていなかったし、それどころか男子が私の顔をちゃんと覚えていたことに驚いていた。だからと言って謝ってくれたから、はい許しますと思えるほど、私はお人好しにもなれなかった。
 でも。この人もしばらくは私と部活を一緒にするんだ。私は幽霊部員じゃないと困るし、あんまりガツガツ予定を詰め込まれる部には入れないから、園芸部くらいの活動内容がちょうどいい。
 許すことはできなくっても。

「……どこのクラスの人? 名前は?」
「え、言ってなかった? Eクラスの近藤(こんどう)。お前は?」
「わ、たしは……Dクラスの佐久馬」
「そっか」

 ……知り合いになることは、できるんだ。
 それから、私は近藤くんと放課後の話をしてから、教室の前で別れた。
 変な知り合いができちゃったなあ。そう思うけれど、まあいっか。

****

 週に二回の園芸部の活動。今日も私以外部員が来ない中、近藤くんも顔を出していた。
 今日は収穫日で、桑の実を一緒に摘む。桑の実は別名マルベリーとも呼ばれていて、ラズベリーより甘いけどいちごより酸っぱいそれはあんまり店には出回ってないから、本当に園芸してないと食べられない木の実だ。私もおばあちゃんが桑の実を育ててなかったら知らなかった実だ。
 鬼瓦先生があれこれ説明するのを聞いてから、ふたりで実を摘む。高いところのは近藤くんが登って摘んで、低いところのは私が背伸びをして摘んでいた。
 鬼瓦先生が「ひとつくらいなら食べてもいいよ」と言うので、私たちは収穫した身を食べる。口の中でプチリと弾けて、独特の甘酸っぱさが口に広がる。
 私にとっては食べ慣れた味だったけれど、近藤くんは食べながら顔をしかめていた。

「なんかうすらぼんやりした味だなあ」
「そう? これってジャムにしたら結構おいしいよ?」
「ふーん。お前ジャムとかつくるの?」
「うーんと、スーパーの前にときどき農家の人が野菜の直売してるから、そこで傷む寸前のいちごを安く売ってもらえるんだ。それでつくるよ」
「なんか主婦みたいだなあ……」
「いちごって高いんだよ、本当に。だから傷む寸前でも安く買えるんだったらいいんだよ」

 私のしょうもない力説を、近藤くんは「ふーん」と聞いているのかいないのかわからない返事をしてくるのにむっとしながらも、どうにか桑の実を摘み終えた。

「先生、これってなにかつくってもいいですか?」
「いいよ。これ園芸部の秋の展示品だから、なにか展示できるような奴つくって」

 そう鬼瓦先生が言うので、私は拍子抜けした。

「あの……今まで園芸部の展示って、なにをしてたんですか?」
「ここの畑で採れた野菜を見せたり、うちの学校の壁側で育ってるつたを獲ってきて、それの苗をつくって配ったり」

 ほとんど鬼瓦先生の趣味の祭典じゃないか、園芸部の展示って。
 私は呆気に取られた顔で近藤くんを見たら、近藤くんもまた憮然とした顔をしていた。
 とりあえずたくさん獲った桑の実は私に全部任せられてしまったけれど、これで下手なものをつくれないし、展示品にする以上は見せたり食べたりできるものをつくらないといけないんだから、責任は重い。
 私が溜息をついていたら、近藤くんは帰りしなにボソリと言う。

「佐久馬さ、文句あるんだったら言えばいいのに」
「え? 桑の実のこと? 私しかまともに部活来てないのに、私がやるしかないんじゃないの?」
「……お前さあ」

 近藤くんは目を細める。それに最初に出会ったときに怒鳴られたことを思い出してたじろぎそうになるけれど、近藤くんが吐き出した言葉はあくまで落ち着いていた。

「なんでもかんでも『はい』『仕方ない』で済ませられるもんでもないだろ。嫌なものは嫌って言わないとつけあがる奴だっているって……俺だって、園芸部の手伝いを嫌だって言ってもやらされてるから、人のこと言えねえけど」
「そう? 私は幽霊部員じゃないと困るから、これくらいゆるゆるの部活で、ほんの少し責任持つんだったらまあ仕方ないなあと思うんだけど」

 もし部活に入らなくってもいいんだったら、最初から入らないもの。でも入った以上はやれるだけのことはやるし、やらないといけないこともやるんだけどな。
 私がそう言うと、近藤くんは意外そうに目を瞬かせてくる。

「……お前、結構流されてるのかと思ったけど、そうでもなかったんだな」
「……近藤くんは、さすがにそれは、デリカシー足りないんじゃないかな」

 それとも男子って、デリカシー欠ける態度がデフォルトなのかな。一周目も二周目も、ほとんど男子と向き合ったことのない私は、どうにも男子のことがよくわからないままだった。
 結局持って帰って、スマホで検索をかけながら桑の実でジャムをつくることにした。先生に聞いたら、別に展示品として見せるものだから試食のことは考えなくていいよということなので、味は度外視で日持ち優先と、砂糖をドバドバと入れながらアクをすくいつつ桑の実を煮る。
 隣の鍋で空き瓶を熱湯で殺菌しながら、ジャムの味見をした。

「あっま」

 手伝ってくれたんだから、近藤くんにも味見して欲しいけど、これはさすがに甘過ぎないかな。これだけで試食させるのは申し訳なくって、ホットケーキミックスの元をバターと混ぜて焼いただけのスコーンも添えておくことにした。
 そういえば。
 女子同士で友チョコを送り合ったり、お菓子をつくって差し入れし合ったりしたことはあっても、男子に試食という名目で手作り菓子を持っていくのは初めてだ。
 ……近藤くんは悪い人ではないのかもしれないけど、やっぱり体育会系の特有の空気が付きまとっているから苦手だ。そもそも園芸部の活動日じゃない限りは会わないんだもの。明日は剣道部の練習はあっても、園芸部の活動日じゃないのに、なに張り切ってるんだろう私は。
 そうは思ったものの、いつも手伝ってくれているお礼だ。
 私はそう言い訳して、タッパにスコーンを、煮沸の終わった空き瓶にジャムを入れて、明日持っていく準備をすることにした。
 ……思えば私、他のクラスに行ったこともないから、どんな顔で差し入れすればいいのかも、全然わからないや。
 今更になって気恥ずかしくなったけれど、日頃の感謝と自分に言い訳して、タッパを桜柄の風呂敷で包んだのだ。

****

 DクラスとEクラスは隣同士にも関わらず、案外接点がない。
 合同授業で一緒に授業を受けることもあるんだけれど、選択科目で一緒のものを取っていなかったら案外絡むことがない。おまけに男女だったら体育だって一緒にはならないし。
 私は手を合わせて恵美ちゃんについてきてもらいながら、Eクラスの教室の扉から中を覗き込んでいた。

「いた? 剣道部の人」
「いない……もしかして、まだ朝練なのかな」
「かもしんないねえ。しかしまあ……いつの間にいい感じになったの。その、近藤くんとやらと」

 ……本当に、そんなんじゃないんだったら。
 すぐに惚れた腫れたに結びつけようとする恵美ちゃんに、私は首をぶんぶんぶんと振る。

「ただお世話になってるから。あと私、ひとりで部活やってるのいつも手伝ってくれるから」
「最初はさんざん怖がってたのに、変われば変わるもんだよねえ……ああ、私もこういう甘酸っぱいのがいいなあ」
「なあに、彼氏ともう倦怠期に入ったの?」

 前の周でも今の周でも、恵美ちゃんは特に彼氏と別れることはなかったと思うけど。私はそう思いながら廊下で近藤くんを見ないかと視線をさまよわせていたら、恵美ちゃんは「違う違う」と手を振った。

「あたしじゃなくってさあ。うちの部。ひとりやたらめったらモテるのがいるの。ラブコメマンガの主人公みたいな奴」
「……ええ?」

 その言葉に、私は声が上擦る。
 私の声に「別に大丈夫だよ、他の部には迷惑かけてないみたいだしさ。クラスではどうだか知らないけど」と恵美ちゃんが笑って言う。

「なんでだろうねえ。特に顔がいいって訳じゃないけど、素行がいいのかな。ちょっと悩んでる子の相談乗っていたら、いつの間にやら惚れられてたっていうのを繰り返しててねえ。そいつ好きな女子で硬直状態なの。こんな状態で誰かひとり出し抜いて告白したら、一気に気まずくなるからできないって感じで、端から見てても変な緊張感漂ってる」

 その状況にものすごく心当たりがあるから、私は内心「やっぱり」とも「またか」とも思いながら、ただ「そうなんだ」と曖昧に笑った。
 ……また、篠山くん。モテまくっているんだ。
 前のときを思い出して、私はそっと溜息をついた。
 大丈夫、ここでは私と彼は赤の他人なんだから。今後も会うことはないんだから、勝手に心配したりしない。変な嫉妬を起こしたりしない。
 ……まだなにもしてない人を「気持ち悪い」なんて思ったりしない。また喉を苦酸っぱいものがせり上がってきそうなのを必死で堪えていたら。

「佐久馬?」
「あ……おはよう!」

 汗のにおいを漂わせて、近藤くんがやってきた。スポーツモヒカンの短い髪が、ペタンと額に張り付いてしまっている。私は急いで荷物を取り出した。

「あの、これ……!」
「……なにこれ」
「昨日採った桑の実でジャムつくったから、その試食! 文化祭の展示品だから、痛んじゃいけないってものすっごく甘くつくったから、そこにあるスコーンと一緒に食べて!」
「お? おう……」

 普段はいかつい顔をしている近藤くんの顔が、珍しく崩れている。
 あれ、甘い物苦手だった? だとしたら失敗したなあ、ちゃんと聞いておけばよかった。私は思わず「食べられる?」と聞いたら、だんだんと近藤くんの顔が火照ってきたのに気付いた。

「……俺、女子から食いもんもらうの初めて。ありがと。大事に食べる」

 そう言って私の差し出したものを本当に壊れ物を扱うように受け取ってくれた。
 その反応に、今度は私のほうが顔を赤くする番だった。
 私だって、男子に差し入れ渡すの初めてだよ。普段近藤くん、もっと嫌そうな反応するのに、こんなときだけこんな顔するなんて……!
 なにか言わないとと思って、顔を真っ赤にしたまま「その風呂敷とタッパは食べ終わったら返してね!」とだけ言っておいた。
 教室に戻るとき、一部始終を見ていた恵美ちゃんにさんざんからかわれたのは言うまでもない話だ。

「いやあ、青春だねえ」
「……そんなんじゃ、ないよ」

 少しだけふわふわと気持ちが舞い上がりそうになるけれど、それと同時に鉛を飲み込んだように気分が沈む。
 こんな気持ちになったことが、一度だけある。
 でもそれはたった一日で、最悪な結末を迎えてしまった。
 もうあんな気持ちは味わいたくないな。
 そう思ったら、今の気持ちに蓋をして、見なかったことにしてしまったほうが痛くなさそうだ。
 もう絶対に、二度目のチャンスなんてやってこない。あんなに痛い思いは、もうしたくない。