私は混乱したまま、ひとまず部屋のクローゼットにかけてある制服に袖を通した。
……本当だ。一年も着ていたらツルツルに光ってしまうはずの真っ黒なセーラー服に白いリボンタイ。それは真新しいマットなままだった。
そこでようやく私はスマホを見ようと手を伸ばしてみて、カレンダーを見て愕然とした。
去年のカレンダーがかかっていて、4月の欄が開いている。4月5日の部分に丸を付けて【入学式】と書き込まれている……間違いない。夏休みじゃない。
仕事でお父さんもお母さんもとっくの昔に家を出て行ってしまった以上、私も家事を片付けたら急いで学校に出ないといけない。
ようやく頭のエンジンは温まってきたので、混乱はひとまず置いておいて、慌ててトーストとインスタントコーヒーで朝ご飯を済ませた。
食器を全部食洗機の中に突っ込んだあと、パジャマを洗濯機に放り込んで洗濯を回す。洗面所で身だしなみを整えたら、急いで通学路へと飛び出していた。
……どうして? 私は混乱したまま、辺りを見回した。
桜がちらちらと舞っていて、それを踏みながら歩く。
私は高校二年生だったはずなのに、目が覚めたら高校一年生になっていた……いや、戻っていた? これって、高校二年生だった頃のことが全部夢だったの? 虫がよすぎるけれど、そう考えたほうが自然だ。だって、私は今は高校一年生だし。
でも……。
頭の中に浮かんでくるのは、篠山くんと瀬利先輩の熱烈的なキスシーン。しかも、ディープ。それを思い返すと、やっぱり気持ち悪くなって吐きそうになってくる。
私はどうにか頭に浮かんだイメージを振り払おうと首をブンブンしてから、もう一度考える。
……こんなにはっきりと思い出せるのに、いくらなんでもこれが全部夢だったなんて思えない。むしろ、今のほうが私には違和感がある。
靴が真新しいせいで、通い慣れた道を歩いているにもかかわらず、踵や爪先が痛い。桜の花びらを踏みながら歩いていたら「由良ー!」と声をかけられた。
恵美ちゃんだ。
「この間まで受験勉強してたはずなのにねえ。一緒の高校に入れてよかったよかった」
「そ、そうだねえ、恵美ちゃんの彼氏とは離れちゃったけど」
「あぁん、まああいつは元々医学部行きたかったから、県立一本に狙いを定めてたからねえ。勉強頑張れってずっとアプリで応援してるからいいの」
本当にいつもの調子で会話が済んでしまった。
小学校からの付き合いだから、恵美ちゃんと話を合わせるのは簡単なんだ。
なんとか私はいつもの調子で恵美ちゃんに話を合わせていたけれど、何故か一年前に戻っていた私と違い、彼女はなんの違和感も覚えていないようだった。
「ね、ねえ……私、好きな人に告白してたら……どう思う?」
「えっ!? あんたそういう人っていたっけ!?」
恵美ちゃんは途端に食いついてきたけれど、やっぱり彼女は私が篠山くんに告白したことは覚えてない……いや、知らないみたいだった。
「う、ううん……なんでもない。そういう人に、会ったこと……なかったよね?」
「なに言ってるの、由良。もしあんたに初彼氏が出たら真っ先にお祝いしてあげるし、もしあんたをフるような奴だったら、すぐに諦めろって言うよ。見る目ない男なんて放っとけばいいんだからさ」
「あはは……ありがとうね」
あまりにもいつもの恵美ちゃんだったことに、私はじんわりと温かい気分になる……だからこそ、少しだけ申し訳なかった。
私が事故死してしまったあと、恵美ちゃんがあんまり自分を責めてないといいなと思った。もう死んでしまったあとのことは、私にもどうすることもできないのだけれど。
ふたりでしゃべっていたら、やがて学校が見えてきた。
市立で運動部がそこそこ強く、逆に文化部のやる気があまりない学校という印象だ。私は入学式で興奮した顔をしている恵美ちゃんを横目に辺りをそっと窺った。
……本当に、私は高校一年生に戻っちゃったんだなあ。昨日まで高校二年生だったはずなのに。やっと戻ってしまったことに実感を伴いつつ、私たちは校門をくぐった。
校門の近くでは、先輩たちが部活のチラシを配っている。それをかいくぐりながら、クラスを貼り出されている看板の元まで歩いて行く。
「天文部! 友達や恋人と一緒に星を見ませんかぁ~!?」
高らかな声で皆に笑顔を振りまきながらチラシを配っている人を見て、私はビクンと肩を跳ねさせた……まだ高校生のときの瀬利先輩だ。私が最後に見たときは化粧に私服で色気が増していたけれど、今は制服を着て、顔もすっぴんだ。それでも彼女が声を上げれば、皆が彼女にじっと視線を向けてしまう存在感を放っていた。
彼女の放つオーラは本当に気持ちのいいもののはずなのだけれど、今の私には逆効果だった。どうしても篠山くんとのキスシーンが頭の中で繰り返し再生されて、喉から気持ち悪さがこみ上げてくる。
私が口の中をもごもごしているのに気付いたのか、恵美ちゃんは心配そうにこちらに顔を寄せてくる。
「由良? どうしたの。顔、しんどそう」
「な、なんでもないよ、早くクラス見に行こう……座りたい」
「んー、そうだね。早く教室に行って座ったほうがよさげ」
恵美ちゃんが天文部も含めてどの部活のチラシも「ごめんなさい」と謝ってくれたおかげで、どこの部活からも追いかけ回されることはなく、そのままクラス発表の貼り出し看板の前へと躍り出た。
看板の前には、新入生がたむろして、自分の名前を探している。
基本的にAクラスからCクラスは成績優秀者で決められて、二年生以降は理系クラスになる。DクラスからFクラスまでは普通の成績の生徒で、二年生以降は文系や就職希望で占められる。
私は既に自分のクラスを知っているから、先にAクラスのほうを確認していた。
【Aクラス:篠山光太郎】
そこに彼の名前を発見して、私は制服の上からぎゅっと胸を抑えた。やっぱり、彼はここにいるんだと思い知らされる。
私がAクラスのほうを見ているのに、恵美ちゃんが笑う。
「さすがにあたしたちがそんな成績優秀者のところにいたらおこがましいって。ほら、あたしたちのクラスはDクラス! おんなじクラス!」
「う、うん。そうだね……」
私はそう曖昧に返事をして、恵美ちゃんに引きずられるがまま、そのまま教室へと移動していった。
****
入学式をねぼけまなこでやり過ごし、教室では時間割とこれからの予定表をもらい、そのまま下校となった。
彼氏とデートする恵美ちゃんと別れた私は、ひとりで本屋に寄って四月はじまりのスケジュール帳を買ってから、家路に着くことにした。
とりあえず、覚えていることを書き出しておこう。
私はガリガリと書き出した。
一年生
五月:天文部に入部。篠山くんと出会う
六月:合宿の買い出しに篠山くんと一緒に行く。好きになる
……書き出してわかったけれど、私、いくらなんでもチョロ過ぎないかな。
前の自分に頭を痛くしながら、私は書き出していった。
うちの学校は絶対にどこかの部に所属しないといけないけれど、恵美ちゃんは他校に通っている彼氏と遊びに行きたいから、私はうちが共働きなために家事をしないといけないから、あんまり部活の制約が厳しい部には入れなかった。
結局あれこれ選んで、幽霊部員でも問題なさそうだった天文部に入って、そこで理系クラスで接点ゼロだった篠山くんと出会ったんだ。
……それから友達の噂で聞いたけれど、彼が何故か入学してわずかひと月でモテまくっているという事実を知り、好きになったときには「こんな人好きになってもしょうがない」と早々に諦めたんだったな。
彼女になるのは早々に諦めたけど、せめて仲のいい部活仲間というポジションが欲しくって、家事の融通の利く範囲で部活に参加するようになったら。
七月:合宿。野外炊飯がおいしかった。
私が家の事情で家事をしないといけないのと同じく、篠山くんも家の都合で家事をしないといけないことを知って、似たもん同士だとずいぶんと気が合ったような気がする。
篠山くんはお父様が亡くなっているから、お母様が大黒柱。お姉様たちも大学や仕事で帰りが遅いから、どうしても家事の分担は篠山くんが負担していると。
意外と手際のいい野外炊飯での作業に互いを褒め合っていて発覚し、一気に打ち解けたんだった。
……そんなこと言うのは、あまりにもおこがましいかもしれないけど、同じ部活仲間としては、上手くやれていたはずなんだ。
でもさ……。
九月:篠山くんと瀬利先輩が付き合っているという噂が流れる
いつもは篠山くんが誰かと付き合うって噂が流れても、本人に聞いてみたらいつも「デマだよ」と笑っていた。モテるのって大変なんだなと思って、せめて友達ポジションとして「頑張ってね」と笑っていられたらよかったのに。
瀬利先輩のときだけは、「はい」とも「いいえ」とも言わなかった。
あのとき、さんざん泣いたなあ……。
それで恵美ちゃんにずいぶんと叱られたと思う。「せめて玉砕すればいいでしょ!?」と言われたけど、篠山くんに告白なんてしたくなかった。
せっかく一生懸命、部活仲間ってポジションを築いたのに、それを崩すような度胸は、私にはなかった。もし告白してしまったら、部活仲間から「篠山くんのことが好きな女子」に区分が変わってしまう。その区分は彼女に昇格することはできても、部活仲間に戻れる保証なんてどこにもないんだ。その区分に自分から入る勇気なんて、これっぽっちもなかった。
よくも悪くも、クラスが違うし、部活以外に接点なんてない。部活に足が向かなくなったら、接点なんてふっつりと途切れてしまった。
結局は私たちの関係なんて、天文部だけが繋げてたんだなあ……。寂しいけど仕方がないと思っていたら、瀬利先輩のほうがひょっこりと顔を出してきたんだ。
「もうすぐさあ、文化祭だから。準備しないと駄目なんだけど、あたしも小論文書かないと駄目でなかなか準備手伝えないんだわ。篠山ひとりだと可哀想だから手伝ってくんない?」
そう言われて、私はなんと返事したんだったかな。
その年の天文部は、幽霊部員がやたらめったら多かった。過半数が女子で、多分篠山くん目当てで入ったんだと思うけど、彼が瀬利先輩と付き合っているという噂が流れてから、ただでさえ幽霊部員だったのに、とうとう退部届けまで出されてしまった。彼だって家のことしないと駄目なのに、ひとりで部活のこと押しつけられたら可哀想だ。
……なんて言っても、私だって人のことは全く言えない。勝手に部活に入って、勝手に足が向かなくなったのは、私だって同じなんだから。
仕方なく、私は文化祭の準備のために部活に通うようになった……それでも、私はひとりで行く度胸がなく、彼氏と順風満帆な恵美ちゃんに手を合わせて一緒に行ってもらったんだったな。
十月:文化祭。瀬利先輩は引退
天文部の文化祭なんていい加減なもんで、毎年室内プラネタリウムを繋げて、暗室にした教室いっぱいで定期的にプラネタリウムの鑑賞をするというものだった。それでもヒーリングミュージックを流して、星の説明をマイクで読み上げればそれっぽくなるから、毎年絵本の朗読と暗幕張って暗室つくるのだけは頑張っていた。
私もたくさん暗幕を張って、どうにかを暗室つくっていた。
たしかにひとりで暗幕なんて張るのはしんどいし、プラネタリウムの説明考えるのは大変だったなと反省する。
『銀河鉄道の夜』に出てきた星が見えるように調整し、当日に絵本の『銀河鉄道の夜』の朗読をすることで、それっぽい展示にした。
他の部活やクラスみたいにもっと遊べる奴のほうがよかったかもしれないけど、カップルからしてみればふたりっきりでデートできるというのは概ね好評で、そこそこ人が来てくれた。
打ち上げのとき、皆で天文室でポテトチップスを広げて、ペットボトルのジュースを傾けているのは楽しかった。
瀬利先輩が引退して、そのまま部長を一番出席率のよかった篠山くんが引き継ぐことになったのには思わず笑った。少し前までギクシャクしていたのが嘘のように、和やかだったと思う。
でも……そのときの私は、最後まで、篠山くんと瀬利先輩が付き合っているのか付き合ってないのかわからないままだった。
私は手帳をガリガリと書き留めながら、少しだけこめかみに手を当てた。
これだけ鮮明に覚えているってことは……やっぱり一年前だったはずのことは、本当にあったことだったんだよね?
思わず頬をふにっとつねってみる。痛い。これは、夢じゃない。
ここまで書いてみて思ったけれど、私はなにをどう間違えたのか、二周目をやり直させてもらえることになった。でも私はなにをしたいんだろう……。
もう一度天文部に入る? 瀬利先輩がいる、部活。
……どうしても思い浮かんでしまう篠山くんと瀬利先輩のキスシーンに、何度目かの苦酸っぱい思いを味わい、どうにか洗面所で口をゆすいでから、それを正した。
……無理だ。思い出すたびに吐き気を催すようだったら生活できない。これ完全にトラウマになっているじゃない。だとしたら、篠山くんと瀬利先輩とはできる限り距離を取るしかない。
幸いなことに、篠山くんとは部活以外では接点がないし、瀬利先輩はふたつ年上だからもっと接点がない。
私は覚えていることをひと通り書き出してから、どうやった接点を潰せるのかをあらかじめ考えはじめた。
……本当だ。一年も着ていたらツルツルに光ってしまうはずの真っ黒なセーラー服に白いリボンタイ。それは真新しいマットなままだった。
そこでようやく私はスマホを見ようと手を伸ばしてみて、カレンダーを見て愕然とした。
去年のカレンダーがかかっていて、4月の欄が開いている。4月5日の部分に丸を付けて【入学式】と書き込まれている……間違いない。夏休みじゃない。
仕事でお父さんもお母さんもとっくの昔に家を出て行ってしまった以上、私も家事を片付けたら急いで学校に出ないといけない。
ようやく頭のエンジンは温まってきたので、混乱はひとまず置いておいて、慌ててトーストとインスタントコーヒーで朝ご飯を済ませた。
食器を全部食洗機の中に突っ込んだあと、パジャマを洗濯機に放り込んで洗濯を回す。洗面所で身だしなみを整えたら、急いで通学路へと飛び出していた。
……どうして? 私は混乱したまま、辺りを見回した。
桜がちらちらと舞っていて、それを踏みながら歩く。
私は高校二年生だったはずなのに、目が覚めたら高校一年生になっていた……いや、戻っていた? これって、高校二年生だった頃のことが全部夢だったの? 虫がよすぎるけれど、そう考えたほうが自然だ。だって、私は今は高校一年生だし。
でも……。
頭の中に浮かんでくるのは、篠山くんと瀬利先輩の熱烈的なキスシーン。しかも、ディープ。それを思い返すと、やっぱり気持ち悪くなって吐きそうになってくる。
私はどうにか頭に浮かんだイメージを振り払おうと首をブンブンしてから、もう一度考える。
……こんなにはっきりと思い出せるのに、いくらなんでもこれが全部夢だったなんて思えない。むしろ、今のほうが私には違和感がある。
靴が真新しいせいで、通い慣れた道を歩いているにもかかわらず、踵や爪先が痛い。桜の花びらを踏みながら歩いていたら「由良ー!」と声をかけられた。
恵美ちゃんだ。
「この間まで受験勉強してたはずなのにねえ。一緒の高校に入れてよかったよかった」
「そ、そうだねえ、恵美ちゃんの彼氏とは離れちゃったけど」
「あぁん、まああいつは元々医学部行きたかったから、県立一本に狙いを定めてたからねえ。勉強頑張れってずっとアプリで応援してるからいいの」
本当にいつもの調子で会話が済んでしまった。
小学校からの付き合いだから、恵美ちゃんと話を合わせるのは簡単なんだ。
なんとか私はいつもの調子で恵美ちゃんに話を合わせていたけれど、何故か一年前に戻っていた私と違い、彼女はなんの違和感も覚えていないようだった。
「ね、ねえ……私、好きな人に告白してたら……どう思う?」
「えっ!? あんたそういう人っていたっけ!?」
恵美ちゃんは途端に食いついてきたけれど、やっぱり彼女は私が篠山くんに告白したことは覚えてない……いや、知らないみたいだった。
「う、ううん……なんでもない。そういう人に、会ったこと……なかったよね?」
「なに言ってるの、由良。もしあんたに初彼氏が出たら真っ先にお祝いしてあげるし、もしあんたをフるような奴だったら、すぐに諦めろって言うよ。見る目ない男なんて放っとけばいいんだからさ」
「あはは……ありがとうね」
あまりにもいつもの恵美ちゃんだったことに、私はじんわりと温かい気分になる……だからこそ、少しだけ申し訳なかった。
私が事故死してしまったあと、恵美ちゃんがあんまり自分を責めてないといいなと思った。もう死んでしまったあとのことは、私にもどうすることもできないのだけれど。
ふたりでしゃべっていたら、やがて学校が見えてきた。
市立で運動部がそこそこ強く、逆に文化部のやる気があまりない学校という印象だ。私は入学式で興奮した顔をしている恵美ちゃんを横目に辺りをそっと窺った。
……本当に、私は高校一年生に戻っちゃったんだなあ。昨日まで高校二年生だったはずなのに。やっと戻ってしまったことに実感を伴いつつ、私たちは校門をくぐった。
校門の近くでは、先輩たちが部活のチラシを配っている。それをかいくぐりながら、クラスを貼り出されている看板の元まで歩いて行く。
「天文部! 友達や恋人と一緒に星を見ませんかぁ~!?」
高らかな声で皆に笑顔を振りまきながらチラシを配っている人を見て、私はビクンと肩を跳ねさせた……まだ高校生のときの瀬利先輩だ。私が最後に見たときは化粧に私服で色気が増していたけれど、今は制服を着て、顔もすっぴんだ。それでも彼女が声を上げれば、皆が彼女にじっと視線を向けてしまう存在感を放っていた。
彼女の放つオーラは本当に気持ちのいいもののはずなのだけれど、今の私には逆効果だった。どうしても篠山くんとのキスシーンが頭の中で繰り返し再生されて、喉から気持ち悪さがこみ上げてくる。
私が口の中をもごもごしているのに気付いたのか、恵美ちゃんは心配そうにこちらに顔を寄せてくる。
「由良? どうしたの。顔、しんどそう」
「な、なんでもないよ、早くクラス見に行こう……座りたい」
「んー、そうだね。早く教室に行って座ったほうがよさげ」
恵美ちゃんが天文部も含めてどの部活のチラシも「ごめんなさい」と謝ってくれたおかげで、どこの部活からも追いかけ回されることはなく、そのままクラス発表の貼り出し看板の前へと躍り出た。
看板の前には、新入生がたむろして、自分の名前を探している。
基本的にAクラスからCクラスは成績優秀者で決められて、二年生以降は理系クラスになる。DクラスからFクラスまでは普通の成績の生徒で、二年生以降は文系や就職希望で占められる。
私は既に自分のクラスを知っているから、先にAクラスのほうを確認していた。
【Aクラス:篠山光太郎】
そこに彼の名前を発見して、私は制服の上からぎゅっと胸を抑えた。やっぱり、彼はここにいるんだと思い知らされる。
私がAクラスのほうを見ているのに、恵美ちゃんが笑う。
「さすがにあたしたちがそんな成績優秀者のところにいたらおこがましいって。ほら、あたしたちのクラスはDクラス! おんなじクラス!」
「う、うん。そうだね……」
私はそう曖昧に返事をして、恵美ちゃんに引きずられるがまま、そのまま教室へと移動していった。
****
入学式をねぼけまなこでやり過ごし、教室では時間割とこれからの予定表をもらい、そのまま下校となった。
彼氏とデートする恵美ちゃんと別れた私は、ひとりで本屋に寄って四月はじまりのスケジュール帳を買ってから、家路に着くことにした。
とりあえず、覚えていることを書き出しておこう。
私はガリガリと書き出した。
一年生
五月:天文部に入部。篠山くんと出会う
六月:合宿の買い出しに篠山くんと一緒に行く。好きになる
……書き出してわかったけれど、私、いくらなんでもチョロ過ぎないかな。
前の自分に頭を痛くしながら、私は書き出していった。
うちの学校は絶対にどこかの部に所属しないといけないけれど、恵美ちゃんは他校に通っている彼氏と遊びに行きたいから、私はうちが共働きなために家事をしないといけないから、あんまり部活の制約が厳しい部には入れなかった。
結局あれこれ選んで、幽霊部員でも問題なさそうだった天文部に入って、そこで理系クラスで接点ゼロだった篠山くんと出会ったんだ。
……それから友達の噂で聞いたけれど、彼が何故か入学してわずかひと月でモテまくっているという事実を知り、好きになったときには「こんな人好きになってもしょうがない」と早々に諦めたんだったな。
彼女になるのは早々に諦めたけど、せめて仲のいい部活仲間というポジションが欲しくって、家事の融通の利く範囲で部活に参加するようになったら。
七月:合宿。野外炊飯がおいしかった。
私が家の事情で家事をしないといけないのと同じく、篠山くんも家の都合で家事をしないといけないことを知って、似たもん同士だとずいぶんと気が合ったような気がする。
篠山くんはお父様が亡くなっているから、お母様が大黒柱。お姉様たちも大学や仕事で帰りが遅いから、どうしても家事の分担は篠山くんが負担していると。
意外と手際のいい野外炊飯での作業に互いを褒め合っていて発覚し、一気に打ち解けたんだった。
……そんなこと言うのは、あまりにもおこがましいかもしれないけど、同じ部活仲間としては、上手くやれていたはずなんだ。
でもさ……。
九月:篠山くんと瀬利先輩が付き合っているという噂が流れる
いつもは篠山くんが誰かと付き合うって噂が流れても、本人に聞いてみたらいつも「デマだよ」と笑っていた。モテるのって大変なんだなと思って、せめて友達ポジションとして「頑張ってね」と笑っていられたらよかったのに。
瀬利先輩のときだけは、「はい」とも「いいえ」とも言わなかった。
あのとき、さんざん泣いたなあ……。
それで恵美ちゃんにずいぶんと叱られたと思う。「せめて玉砕すればいいでしょ!?」と言われたけど、篠山くんに告白なんてしたくなかった。
せっかく一生懸命、部活仲間ってポジションを築いたのに、それを崩すような度胸は、私にはなかった。もし告白してしまったら、部活仲間から「篠山くんのことが好きな女子」に区分が変わってしまう。その区分は彼女に昇格することはできても、部活仲間に戻れる保証なんてどこにもないんだ。その区分に自分から入る勇気なんて、これっぽっちもなかった。
よくも悪くも、クラスが違うし、部活以外に接点なんてない。部活に足が向かなくなったら、接点なんてふっつりと途切れてしまった。
結局は私たちの関係なんて、天文部だけが繋げてたんだなあ……。寂しいけど仕方がないと思っていたら、瀬利先輩のほうがひょっこりと顔を出してきたんだ。
「もうすぐさあ、文化祭だから。準備しないと駄目なんだけど、あたしも小論文書かないと駄目でなかなか準備手伝えないんだわ。篠山ひとりだと可哀想だから手伝ってくんない?」
そう言われて、私はなんと返事したんだったかな。
その年の天文部は、幽霊部員がやたらめったら多かった。過半数が女子で、多分篠山くん目当てで入ったんだと思うけど、彼が瀬利先輩と付き合っているという噂が流れてから、ただでさえ幽霊部員だったのに、とうとう退部届けまで出されてしまった。彼だって家のことしないと駄目なのに、ひとりで部活のこと押しつけられたら可哀想だ。
……なんて言っても、私だって人のことは全く言えない。勝手に部活に入って、勝手に足が向かなくなったのは、私だって同じなんだから。
仕方なく、私は文化祭の準備のために部活に通うようになった……それでも、私はひとりで行く度胸がなく、彼氏と順風満帆な恵美ちゃんに手を合わせて一緒に行ってもらったんだったな。
十月:文化祭。瀬利先輩は引退
天文部の文化祭なんていい加減なもんで、毎年室内プラネタリウムを繋げて、暗室にした教室いっぱいで定期的にプラネタリウムの鑑賞をするというものだった。それでもヒーリングミュージックを流して、星の説明をマイクで読み上げればそれっぽくなるから、毎年絵本の朗読と暗幕張って暗室つくるのだけは頑張っていた。
私もたくさん暗幕を張って、どうにかを暗室つくっていた。
たしかにひとりで暗幕なんて張るのはしんどいし、プラネタリウムの説明考えるのは大変だったなと反省する。
『銀河鉄道の夜』に出てきた星が見えるように調整し、当日に絵本の『銀河鉄道の夜』の朗読をすることで、それっぽい展示にした。
他の部活やクラスみたいにもっと遊べる奴のほうがよかったかもしれないけど、カップルからしてみればふたりっきりでデートできるというのは概ね好評で、そこそこ人が来てくれた。
打ち上げのとき、皆で天文室でポテトチップスを広げて、ペットボトルのジュースを傾けているのは楽しかった。
瀬利先輩が引退して、そのまま部長を一番出席率のよかった篠山くんが引き継ぐことになったのには思わず笑った。少し前までギクシャクしていたのが嘘のように、和やかだったと思う。
でも……そのときの私は、最後まで、篠山くんと瀬利先輩が付き合っているのか付き合ってないのかわからないままだった。
私は手帳をガリガリと書き留めながら、少しだけこめかみに手を当てた。
これだけ鮮明に覚えているってことは……やっぱり一年前だったはずのことは、本当にあったことだったんだよね?
思わず頬をふにっとつねってみる。痛い。これは、夢じゃない。
ここまで書いてみて思ったけれど、私はなにをどう間違えたのか、二周目をやり直させてもらえることになった。でも私はなにをしたいんだろう……。
もう一度天文部に入る? 瀬利先輩がいる、部活。
……どうしても思い浮かんでしまう篠山くんと瀬利先輩のキスシーンに、何度目かの苦酸っぱい思いを味わい、どうにか洗面所で口をゆすいでから、それを正した。
……無理だ。思い出すたびに吐き気を催すようだったら生活できない。これ完全にトラウマになっているじゃない。だとしたら、篠山くんと瀬利先輩とはできる限り距離を取るしかない。
幸いなことに、篠山くんとは部活以外では接点がないし、瀬利先輩はふたつ年上だからもっと接点がない。
私は覚えていることをひと通り書き出してから、どうやった接点を潰せるのかをあらかじめ考えはじめた。