カラスは桜色の恋をする。

 桜の花が散る。強い風と共に多くの花びらがくるくる舞うと、桜のカーテンで隠されて君の姿が一瞬見えなくなる。

 消えてしまったのではないかと不安になる。
 再び姿を見せてくれて僕は安堵する。

 落ちていった花びらが造り上げたピンク色の絨毯。とても綺麗で魅力的だったのでそこにぴょんと移動した。黒く艶やかな僕の身体とその絨毯の色はきっと相性が良いと思う。

 フワリと花びらが頭の上に乗った。
 ブルンブルンと小刻みに身体を揺らして落とした。

 僕は美味しそうで儚そうな、その花びらをひとつくちばしに咥えた。ピンク色が大好きな君へ。



 翼を広げ、桜の絨毯から足をトンと離した。とても桜にお似合いな空色と、純粋そうな白色で描かれた水彩画のような空に向かって。

 見ていた桜の木が「いってらっしゃい」と微笑んでくれた。


 僕は今、カラス。
 小さな芽は、花芽か葉芽のどちらかになり、それぞれの道を歩んでいくらしい。

 花芽は秋頃までに、つぼみがほぼ完成する。

 葉は秋になると休眠を促す植物ホルモンを作り芽に送る。

 冬の寒さに耐えられる準備をして、休眠する。冬になり、寒さを感じると少しずつ眠りが浅くなりやがて目覚める。

 そして春になって準備が出来たら、花が咲くんだ。

 だから、桜は散って終わりなんかじゃなくてそこから始まるんだよ。

と、親切なおじさんが丁寧に教えてくれた。


 もっと細かい事まで教えてくれたけれど僕が覚えているのはこんなとこ。僕は鳥の中では記憶力が良い方だとは思うけれど全ては覚えられなかった。その理由はただ興味がなかったからなのかも。

 
 花が開く瞬間。今か今かと待っている。
ひとつのつぼみが、もうすぐ開きそうなのだ。

 咲いた姿を見た瞬間、僕は一年間だけという条件で人間の姿になれる。




 そして、遂にその時が訪れた。

 起きてから見に行くと、朝日を浴びて桜の花がきりっと自信ありげに、ふわっと可愛らしくも見え、とにかく美しい姿で開いていた。


 僕は背筋をピンっと伸ばした。
 僕が人間になろうと思った理由。

 夏の暑い日だった。目覚めると僕は崖の下にいた。それが僕の頭の中にある、一番古い記憶。

 それ以前のことは分からない。どこで生まれたのかさえ全く記憶にない。

 とりあえず、お腹が空いたから飛んで崖の上に行き、食べ物を探していると、人間の女の子が歩いてきた。こっちを一切見ずに彼女は大きな木に近づいて、ピンク色の花を置いてすぐに帰っていった。

 彼女の後をこっそりついて行った。彼女の事が気になったから。

 彼女は僕の気配を感じ、振り向くと微笑んでくれた。そして、鞄からパンを取り出し、小さくちぎって手のひらに乗せた。僕はお腹が空いていたのでパクッと口に入れた。

 嬉しかったから僕は、食べ物を探している時に偶然見つけた、キラキラした小さいものを、彼女が再び森に来た時、お礼に彼女の前に置いた。すると彼女は拾ってくれて、ポケットにしまってくれた。

 それから彼女の家の前に、こまめに行くようになった。行くようになってから暑い季節や雪の降る季節を何度も繰り返した。

 彼女は森に行く以外は家の中に引きこもり、決して外には出てこなかった。
 人間に変身出来る事になったのは、ある生き物のおかげだった。雪は積もり、街がキラキラしている、クリスマスイブという日。

 人間達はそのイベントで盛り上がっていたけど、関係のない僕はいつものように、気になっている彼女の家の中を覗いていた。彼女はひとりで部屋のオレンジ色の暖かい光に包まれながら、ベージュのソファーに座り、薄ピンク色の膝掛けを掛け、静かに、ただ黙々と本を読んでいた。

 しばらくして暗くなってきたし、ちょうど彼女が雪のような色のカーテンを閉めたので、そろそろ近くにいる仲間たちの元に戻ろうかなと考えていた時、視線を感じ、ガサッと何かが動く音がした。それは草や木の擦れる音ではない。人のようだけど人ではない。そんな気配。

「誰だ!」

 僕は警戒を込めた声で叫んだ。

 すると、親子のように見える二人組がキラリと光って現れた。光りすぎて直視出来なかったけれど雰囲気が親子っぽかった。

「お久しぶりね」

 母と思われる方がそう言った。
 
 久しぶり? 出会った記憶がない。相手の勘違いなのか。

 僕は、僕の記憶の中を巡った。巡っている途中で彼女は再び言葉を発した。
「あなた、ずっとあの女の子を見ていたわよね」

「……気になるんだ」

 じっと見られている感じがして、気持ちが窮屈になってきたので目を逸らしながら僕は答えた。

「でしょうね」

 彼女の言い方は、何かを知っていそうな言い方だった。そして、どうやら言葉が全て通じているようだった。

「触れたいんだ。手を繋ぐだけでいい」

 言うつもりは無かったのだけれど、心で思っていた事を口にしていた。

「繋げばいいじゃない」

「無理なんだ。だって僕は、カラス」

 そう、無理なんだ。言葉にしてみて、改めて無理な事なのだと実感した。手を繋ぎたい。こんな風に会話をしてみたい。けれども僕は、人間じゃない。

「うーん……分かったわ! 人間にしてあげる」

「えっ?」

 突然何を言い出すんだ。人間になれる訳がないじゃないか。

「ふふっ。それが出来るのよ私は」

 心の声が聞こえたのか?
 彼女は誇らしげに返事をしてきた。

「でも人間の姿でいられるのは一年間だけ。あと、変身すると記憶が曖昧になるかもなの。どうする?」

 突然言われて、僕はすぐに答える事が出来なかった。

「考える時間をください」

「分かったわ。明日また同じ時間にここに来るわね」

 約束をして、次の日に結論を出すことになった。

 一年間だけ。しかも記憶が曖昧になるかも。どうする?どうすればいいの?

 僕の事を心配して、お迎えに来てくれたカラスの姉さんは、無言で頷いた。 
 気になっているあの子への想いが強くて、割と早く決断することが出来た。

 次の日、その二人組に再び会った。
 
「人間にしてください!」

「いいわよ! でもね、すぐに人間にはなれないの。あそこにある桜が開花して、それを見た瞬間、あなたは人間に変身するわ」

 桜? 確か花ってやつだっけ。もう咲いているんじゃないか? すぐに変身出来ると言うことか。

「お願いします!」

 僕は人間からしたら強気な鳥に見られているけれど実は臆病で、どうやって彼女は僕を人間にするのだろうと、とても緊張した。

「おっけー!」

 母らしき生物はキラキラしたビームを出してきて、僕にそれを当てた。僕は強い光が本当に苦手でビームは眩しくて直視出来なかったけれど、ちょっとコツンとする感触だけあり、痛みは全くなかった。

「ふぅ、久しぶりにこの技使ったわ。終わったわよ! 後はあそこにある桜が開花する時に変身出来ると思うわ」

「桜、見てくる!」

 僕は走った。咲いているだろうからすでに僕は人間になっているのかも知れない。そんな気持ちで走った。桜の木にたどり着いた。

……何も変化はなかった。

 まだ咲いていなかった。
 
 仲間たちと集団で固まって寝ている。ねぐらの位置が女の子の家と桜の木にとても近いのが幸いだった。いつでも気軽に見に来る事が出来たから。

 早朝、桜の木をいつものように眺めていた。すると、少しでも雪がその木に積もると、それを下ろしに来る人間のおじさんが話しかけてきた。

「毎日桜の木を見ているよね。君も好きなのかい? ちなみにこの子は僕が大切にしている子だよ」

 そのおじさんは、僕の姉さんが僕を見つめるような、とても優しい眼差しで桜の木を見上げた。そのままの表情で僕を見た。

「もしかして咲くのを待っているのかい? この辺りは五月。うーん、カラスくんに何月かを言っても分からないかな? 雪が解けて温かくなって来た頃だね」

 ――そっか、じゃあ、まだか。

「そうだよ。咲く頃になったらまた教えてあげるよ」

 おじさんは僕の心の声の返事をしてきた。
 最近、僕の心を読めそうな生物と出会う。
 雪を踏む人間の足音が聞こえてきた。僕は人間の足音がすぐに分かる。
 
「えっ? おじさん、手袋してないの? 俺の使って。手、冷たいしょ」

 身長が高めでほっそりした体型の若い男の人が手袋を脱ぎながら歩いてきた。年齢はそのおじさんの息子でも違和感のないくらいだと思う多分。

よく見かける人だけど、いつも遠くから見ていたから近くで会ったのは初めてだった。

「いいのかい? 準備はしてたんだけど、玄関に置いてきちゃったんだ。戻るのが面倒で」

「いいよ。どうせ車に乗るし」

「その為にここに来てくれたのかい?」

「あのね、これ、渡そうと思って。お菓子の試作品作った」
 その男の人はカップケーキがふたつ入った小さくて透明な袋をおじさんに渡した。

 一瞬、その人がこっちを見てきて、目が合った。何故だか、その瞬間、黒い塊が乗っかったかのように心の中が重たくなった。

 彼は、すぐに僕から目を逸らし、おじさんに茶色の革の手袋を渡すと車に乗って、何処かに行った。

「そうだよね、手袋ないと寒いよね。この子の事になると寒さも忘れちゃうよ」

 それから少しして

「風邪をひかないようにね!」

と、僕の頭を撫でながらそう言うと、家に帰って行った。頭を触れられても不快ではなかった。なんだか懐かしい感じがした。