自分でも、「無理しています」感は否めない。
授業が始まった。
現国の授業。
教科書の本文を音読する先生の声。
耳から入ってくるその声の情報を、一旦シャットアウトしてみる。
脳内で陸くんの甘い声に変換してみる。
優しくて、甘い声。
ちょっと低めで、若干鼻声みたいに聞こえる。
私の大好きな声。
陸くんの声に、何度耳を澄ましたんだろう。
何度、救われたんだろう。
私の耳にしっくり馴染んで、胸の真ん中にすとんと落ちていく、あの優しい声に。
お昼休み。
「みのりちゃん、食べないの?」
あきらちゃんの心配そうな声がした。
「あっ、食べてるよ、大丈夫」
慌てて返事した。
それからお弁当箱の中のプチトマトをお箸で掴む。
「嘘。全然大丈夫じゃないくせに」
「えっ」
「本当は大丈夫じゃないでしょう?」
「……」
私は俯いた。
だって。
どうしようもないじゃない。
推しは、私の気持ちなんて知らない。
ううん、私の存在すら知らない。
こんなにつらくても。
推しには伝わらない。
私がどんなに好きなのか。
どんなに推してきたのか。
「ね、午後の授業、サボろうよ」
あきらちゃんの意外な言葉に、私は顔を上げた。
あきらちゃんは続ける。
「それで、カラオケに行こう?ストレス発散にもなるし、陸くんへの愛を叫べるよ」
陸くんへの愛を叫ぶ?
「待って、あきらちゃん。私、その、今、本当はこの世界の終わりまで来ている気分なの」
「そうだろうね」
「陸くんは青春の全てだから。その青春を奪われた気分なの」
「うん、分かるよ」
「いや、だから。そんな気分の時にカラオケで推しへの愛を叫ぶって感じでは、ない、かなぁ?」
やんわり断ったつもりだったけれど、あきらちゃんは折れなかった。
「今こそだよ!今こそ、推しへの愛を叫ぶの!」
「えーっ?」
「それでスッキリしたらいいんだよ。みのりちゃんはひとりで溜め込みすぎなの。発散してほしいの」
「……」
そして。
それから約一時間後。
私はあきらちゃんと、カラオケ店に入店した。
高校の近所にあるカラオケ店。
「曲数多めの機種で!ドリンクバー付けてください」
あきらちゃんがハキハキと店員さんと話している。
私はというと、人生で初めて授業をサボったことにオドオドしている。
「ねぇ、先生に見つからない?」
部屋番号を聞いて移動している時、小声であきらちゃんに言う。
「サボってるのバレたら、なんか罰則があるのかなあ?」
「まぁ、そりゃあ、あるんじゃない?」
あきらちゃんはケロリとしている。
「多分反省文とか?どこかの空き教室の掃除させられるとか?」
「それで済むのかな?」
「みのりちゃん、ビクビクしすぎ。大丈夫、私と一緒だもん。怖くないよ」
「うん……」
「もし先生に何か言われたら、私のせいにしなよ。無理やり連れて来られましたーみたいな?」
「えっ!?そんなこと言わないよ!!あきらちゃんのせいじゃないし!!むしろ、私のせいだし!!」
私の言葉にあきらちゃんは笑って、
「まぁ、今は陸くんへの愛を叫ぶことに集中してればいいんだって」
と、私の背中をポンッと押した。
指定された部屋番号を見つけて、私達は入室する。
ふたりが座ってもまだまだ余裕たっぷりの大きなソファーにどかっと座ったあきらちゃん。
「さぁ、みのりちゃん!歌って!!」
そう言って、私にマイクを渡してくれる。
「深森陸縛りで、今日は歌いまくって!」
あきらちゃんの提案に私は頷き、
「陸くんへの愛を叫ぶんだもんね!」
と、ようやく腹をくくった。
私はまず、陸くんのことを知ったきっかけである曲を歌うことにした。
「『スター』!!名曲だよね!!」
テレビ画面に出た曲名を見ながら、あきらちゃんがマイクを通して大声で叫ぶ。
「私、この曲がリリースされた頃はまだ中学生で!仲良しグループのみんなと上手くいってなくて!!いつも退屈な毎日だなって思ってた!!」
部屋の中いっぱいに、曲が流れ始める。
前奏に乗せて、私は叫んだ。
「そんな毎日を救ってくれたのが、陸くんのこの曲です!!」
「イェーイ!!」
あきらちゃんも乗ってくれたところで、私は歌い始めた。
『スター』は、退屈な日々だと思っていた曲の中の主人公の毎日が、実は宝物みたいにかけがえのない毎日だったことに気づく歌で。
もう二度と帰ってこない昨日を夜空の星に見立てて、今日という日を大切にしよう、ということを歌っている。
曲が終わる。
私は心の底から叫んだ。
「陸くん!私というファンの前に現れてくれて、本当にありがとう!!!」
そうだ。
深森陸という存在を知れたことを、私は心から感謝している。
「ありがとうー!!」
何故かあきらちゃんも絶叫している。
ぽかんとした表情であきらちゃんを見ていると、
「ほら!次の曲を歌ってよ!みのりちゃん!」
なんて言って、あきらちゃんは笑っていた。
最高かよ。
私の友達。
次に歌う曲を選び、テレビ画面にはその曲名である、『手のひらに君の声』という文字が映される。
あきらちゃんが、
「この曲、私も好きー!」
と両手を上げて、万歳した。
「陸くんの作るラブソングはどれも大好きだけど、この曲は私にとって『大好き』という枠を超えた、大切な曲です!!」
「分かる、分かるよ!!」
「陸くんが作った曲だけど!!」
「だけど!?」
私は一度深呼吸する。
『手のひらに君の声』の前奏が始まった。
私は目を瞑る。
そして言った。
「深森陸くんに、逆に、捧げたい曲です!!」
真剣な気持ちで言った言葉だけど、あきらちゃんにウケた。
「ごめん」と謝りつつ、あきらちゃんは笑顔で歌を聴いてくれている。
ラブソングなんて、と思っていた。
陸くんを知るまでは、共感も何も無かった。
私には遠い世界の出来事のように思えていたから。
だけど。
陸くんが教えてくれた。
恋する気持ちも。
それに伴う嬉しさや苦しさ。
切ない気持ち。
「推し」という尊い存在として。
私に青春を与えてくれた。
曲の間奏に入った。
「陸くん、好きです」
思わず、マイクを通して言っていた。
「好きで、好きで、大好きだから!」
あきらちゃんが頷いている。
「だから……、お願いだから」
私の声はだんだん小さくなっていく。
「結婚を心からお祝い出来なくても、許してください……」
呟いた。
でもマイクを通しているから、部屋中に響く。
私の情けない、本音。
間奏が終わり、歌詞が画面に現れても、歌えなかった。