もうオーデションに落ちたのは何回目だろうか。
同期が卒業後の進路を次々と決めていく中、凛は取り残されていた。もう学校には頼らずに自分でオーデションを探して受けているものの、誰も私を認めてはくれなかった。

「あなたはどのような女優になりたいのですか?」

口角を大きく吊り上げ、ニッコリと笑顔を作る。
上手く笑わないと……。

「はい!!私は誰かにキラキラな夢を与えられるような女優になりたいです!元気いっぱいにお仕事を頑張りたいです!!」

大袈裟に目を輝かせ、将来の夢を喋り続けた。嘘をつき続けた。
どうして、こうも自分を偽る演技だけは上手いのだろう。偽る度に自分自身のことが嫌いになっていく。本当はこんな明るくないのに。地味で暗い人間なのに。そんな自分は誰にも受け入れてもらえないから、受け入れられるように努力をするしかない。
必要なことだから、嘘をついているのにーー。

「中嶋さん、本当のあなたを見せて欲しかったなーー」
「え?」
「すごいニコニコしてるけど、普段はそういう性格じゃないでしょ?無理して笑っているのが分かるよ。私たちは自然な中嶋さんの姿を見たかったんだ」

こう言われたら、どうすれば良かったのだろう。
本当の自分を見せた所で否定をされるだけなのに。もっと明るい人材が欲しいって思ってるくせに。そして、凛はいつもこの言葉を言われ続ける。
そして、事務所の人は笑顔で凛に追い討ちをかけるように言ったーー。

「この世界に良い子ちゃんはいらない」

あははは……そうですか……。
弱みを見せると泣いて逃げるな、くよくよするなと言うくせに。
頑張って社会に適合しようと偽っても、見抜いた大人はそれを否定してくる。

本当の自分なんてもう分からない。そんなものは失くしてしまった。
どういう人間だったら、認めてくれたんだろう。何が正解で何が間違っているんだ。
分からない。分からない。誰か教えてよ。
どう生きればーーこの空っぽな心を満たせるんだ。

「ありがとうございました」

もう落ちたなこれ。



事務所を出ると東京の紅葉の光景が目の前にめいいっぱい広がっていた。
もう十月なのだ。他の同期は東京のどこに住もうとか考えているのに、未だに進路が決まっていない自分に腹が立ってしょうがなかった。

「諦めようかな……楽しくないし」
『諦めるの?』

また、少女が声を掛けてくる。

「諦めるよ。無理だったもん」
『君の本当の好きを思い出して……?』
「分かんない」
『演技好きなんでしょ?好きだったら続けようよ……』
「もう、好きじゃないのかも。むしろーー」

演技なんて、大嫌いだ。
誰かの言う通りにしないといけない。私は私で在りたいだけなのに。
いつの間にか見失ってしまった。何が好きだったのか、どんなときに泣いて笑うのか。

そうだーー。
私なんかが舞台に立った所で誰も見てくれない。誰も必要としてくれない。私の存在を誰も認めてくれない。
これからまた頑張っても否定されるぐらいなら、もう辞めてしまおう。
もう頑張った所で無駄なんだ。努力は報われないのだからーー。



空は晴れているのに気分は全然、晴れることはなかった。
ずっと曇ったまま今日も呼吸をしていた。
最近ここから飛び降りたら、どうなるんだろう。信号待ちをしているときに道路に飛び出したらどうなるんだろう。そんなことばかり考えている。
死にたいーーとは思わない。やっぱり恐怖はあるし、痛いのは嫌だから。でも生きていたとも思わない。

消えたいーーただそれだけだ。

「あ、お待たせ!!」
「今日も来てくれてありがとう」

今日も響は学校の七階外階段に来てくれる。私が呼び出した。
この満たされない心に何か刺激を与えてくれるのではないかと期待して。

「今度は何があったんだい?」
「オーデションに落ちた」
「そっか……それは悔しいね」

悔しくはない。落ちるだろうなって思ったから。

「響は事務所決まったの?」
「うーん、一個決まったんだけど、今蹴ろうかなーって考えてるんだよね」
「どこの事務所?」

すると、響は七海とは違う大手事務所の名前を出した。しかも所属で受かっているのに蹴ろうとしているらしい。

「何で蹴るの?」
「何か事務所のマネージャーさんと話す機会があったんだけど、考え方が合わないなーって。俺は自由にやりたいからーー」
「あっそ……」

他の人に譲れる権利があるなら、自分に譲って欲しい。
事務所に入ることがゴールじゃない。むしろ、入ってからがスタートだ。
スタート地点にすら立てない自分に絶望する。

「何か最近つまんないなー何しても楽しくない。どんだけ頑張ってもオーデション落ちるし、本当につまんない」
「うーん、頑張れば良いじゃん」
「は?」

思わず凛は彼に棘のある返事をしてしまった。
こんなことは初めてだ。演技をするのを一瞬だけ忘れてしまった。

「だって、夢を叶えた人たちはみんな頑張ってるから叶ってるわけで、まだ叶わないっていうことは凛の努力が足りないんだよ。努力すれば必ず報われるから。俺にもできたんだから。きっと道は開ける!俺が手伝うよーー」

は……何言ってんのこいつ……。
凛は段々と響との会話が煩わしくなってきた。
優しく演技をしていた瞳も次第に光が消えていった。

「響は私が頑張ってないって言いたいの?」

そう言った瞬間、響は驚いた表情を見せた。
いつもなら笑ってくれると思っていたからであろう。でも、もう私は心の底から笑えない。

「え、いや……そんな……」
「そんなこと言われなくても、私が一番分かってる」
「え、そんな……俺はただ……」
「いつもいつも有難い言葉をどうもありがとう」

響には沢山、感謝しなければいけない。
話を聞いてもらって、救われたことがあるのは事実だ。
でもーー。

「もう私は見失っちゃったから……響の言葉に救われなくなったの……」
「え……」
「最近ね、ずっと演技してたの。響の前で笑っていたのは響が喜ぶから……私の本心で笑ってたわけじゃない」

響は悲しそうな顔をしている。今にも泣きそうだ。
私が傷つけているは分かっていた。でも、もう我慢の限界だったーー。

「ねぇ、響。あなたは私に恋愛感情があったから、話を聞いてくれたの?」

少しずつ雨雲が泣き出してきた。
ぽろぽろと降ってくるこの雨は『涙雨』と言うらしい。
光と影の瞳がハッキリと交わる。

彼は何も悪くない。そうだーー努力をしなければ夢は叶わない。
響も七海と同じで天才だ。きっと今の事務所を蹴っても、ほんの少し努力をすれば沢山のチャンスを掴める。
私とは違う。              

「それは違う。だけど、好きなのは本当だよ……」

響のその言葉の何も感じなくなってしまった。

「俺は真剣に凛のことが好きだよ。クズな先輩なんかよりもずっとーー」
「……」
「ねぇ、凛。俺と付き合おう?もっと一緒に居ようよ。必ず凛を救ってみせるから……笑顔にしてみせるから。俺は絶対に凛のことを裏切らないから」

凛の暗い瞳を目の当たりにしても、彼の目は光り輝いていた。
そうだね……響は裏切らないだろうね。
きっと彼と付き合ったら、私の我儘は何でも聞いてくれるだろう。
優しく好きで居てくれるだろう。

「ありがとう。でもごめんね……」
「な、何で」
「もう私のこと、救おうだなんて思わなくて良いよ。私はもうーー」

「役者の夢を諦めたの」

雨音がさらに強くなった。
雨の雫が彼の頬を伝っていく。そんな顔しないでよ……。
でも今は絶対に泣かないと凛は決めていた。響を傷つけている自分にはそんな資格何てないから。

「俺のせい……?」

響は優しいね……本当に優しいよ……。

「違うよ。私のせい……私が響に甘え過ぎたの」
「凛は頑張り過ぎたんだよ……!休めばまた、演技やりたいって思えるよ。だから、色々な所で楽しんで息抜きすればーー」
「もう、何しても楽しくないんだ。何も感じない……」

私は何かに向き合うことに疲れてしまったんだ。
どうすれば良いか分からなくて、もがき苦しんで、いつまでも答えを見つけられなくて、他人からの攻撃を真正面から受け続けてしまった。
強く耐えているつもりだったけど、本当は少しずつ破壊されていて。
遂には自分を殺してしまった。
誰も悪くない。自業自得なのだ。

「私も先輩と同じで最悪な人間だね。響の気持ち分かっているのに……私が全部悪いから。自分のこと責めなくて良いよ。散々話を聞いてもらったのに恩を仇で返すようなことしちゃって本当にごめんね。もう、やめる。あなたを呼び出すのをーー」

目の前の響は「そんなことない」と必死で凛に訴えてくる。
彼は本当に救おうとしてくれている。こういうときはそんな彼の願いに応えてあげられない自分に嫌気が差してくるものだろうが、もうその感情すら凛には残っていなかった。

人を傷つけることしかできない。
響の気持ちを考えてあげられる余裕がなくなってしまった。
他人の気持ちを考えれない奴は演技なんかできない。相手の想いを汲み取って、自分の想いを表現しなければいけない。

私はもう演技で人を救えないんだ。



「今回、君たちの卒業公演の台本を配る。キャスティングは俺の独断と偏見で決めたから、文句は受け付けない」

今回、二年生の卒業公演の脚本・演出になった尾崎先生は含み笑いを浮かべて静かに宣言した。随分と言うな尾崎先生……。
尾崎先生から台本を受け取り、表紙を見ると『透明でも夢を見ていた』というタイトルと共に白いワンピースを着ている女の子が雨の中で佇んでいる綺麗なイラストが描かれていた。どうやら、尾崎先生が描いた絵のようだ。脚本が書けて、絵も描けて演技もできる。多彩だな先生は……。

「みんな、早速だが自分の配役を確認してくれーー」

もう夢は諦めているのだからどんな小さな役に当たっても良い。
最後は思い出づくりとして一生懸命にやろう。

「……⁉︎」

台本を開き配役の欄を見ると凛は目を見開いた。

主演【古谷レイ役】中嶋凛ーー。

台本の一番最初に、主演の枠に自分の名前が書かれている。
私が主演?何かの間違いじゃない……?
もう一度確認をしてみるが、ハッキリと中嶋凛と記されてあった。

「先生、これ主役の人間違えてませんかー?」

莉子もそう思ったのだろう。早速、先生に質問をしていた。

「一切、間違っていない。今回の主役は中嶋凛だ」

みんな驚きを隠せていない。それは凛も同じだった。まさか、自分が主役に選ばれるとは微塵も思っていなかったからだ。
莉子は美桜たちとヒソヒソと噂話をしていた。「尾崎先生に土下座でもしたんじゃない?」「そうでもしないと、あの凛が主役になんてなれる筈ないよ」。
そうだ。その通りだーー私が主演に選ばれる理由なんて一体、どこにあると言うのだろう。

「やったね!凛ーー!!」

七海は自分のことのように喜んでくれるが、凛は全然嬉しいという気持ちになれなかった。簡単に納得なんてできない。
もう役者を目指していない自分なんかが主演をやるべきじゃない。
私は主役にはなれない。なっちゃいけない。



「先生、私の役、誰かと交換してください」

凛は放課後、尾崎先生と二人っきりの面談室で役の交代を訴えかけた。
尾崎先生は退屈そうに私の話を聞いている。

「どうして?」
「役は適材適所に配置するべきです。七海とか」
「俺は適材適所に役を配置しているぞ。で、どうして今七海が出てくる?親友だからか?」
「違います。たとえ親友じゃなかったとしても、天才の七海がするべきです。彼女は表現力が私なんかよりもずば抜けていますし、大手の事務所に受かったんです。学校的にも彼女のこと推しているんじゃないですか?」

「あぁーー」と尾崎先生は何かを思い出したかのように指を顎に添えた。

「確かに高原先生には「七海を主役にしてください」って言われてたっけ。忘れてたけど」

高原先生の真似をしながら喋る尾崎先生、少しヒステリックな感じが似ていたが、これはバレたら怒られるんじゃないかと凛は内心ヒヤヒヤする。
そして尾崎先生は嘘をついている。高原先生との約束は絶対に覚えていたに違いない。
凛を主役に配置したとき、高原先生は相当、尾崎先生を怒っただろう。
でもマイペースな彼のことだ。そんなものは無視して勝手に書き進めたんだと思う。

「取り敢えず、七海のことは分かった。じゃあ、どうして凛は自分に向いていないと思うんだい?」
「私には才能がないからです。それに私は夢を諦めました。理由は同じく才能がないからです」

自分を否定するのにも慣れてしまった。だって、事実なのだから。
凛は淡々と自分のことを喋り続ける。
尾崎先生に納得してもらうには隙を見せてはいけない。

「君は才能がないだけで諦めるのかい?」
「私はもう、演技をしていても楽しくないです。自分が操り人形に思えてきて、嫌なんです」
「じゃあ、この主役は君にピッタリだ。凛にしかできない」

先生のその言葉に凛は頭を振った。

「私にはできません。自分のことは自分が一番分かっています」

尾崎先生は黙ってしまった。何か考えごとをしているのか沈黙を続けている。
「はぁ……」と一つため息をこぼした先生は組んでいた腕を振り解いて、少し前屈みになり、凛と真正面から向き合った。
やっと、諦めてくれたのかな……?

「じゃあ、今日から三日間だけ、この主演のことについて考えてくれ。自分だけで考えても良いし、誰かに相談しても良い。だけど、三日はしっかりと考えてそれでも、やりたくないなら、やらなくていい」

先生は中々、諦めが悪いらしい。凛はしょうがなく先生の意見を承諾をした。

「分かりました」

凛は立ち上がり、面談室から出ようとドアノブに手を掛ける。
もう早くこの部屋から出て行きたかった。息苦しいのだ。
凛の心の中で答えは明確に決まっているのだから。

「傷を知るものは表現の世界では最強だよーー」

ピタリと凛のドアノブを回そうとしていた手が止まる。
尾崎先生のその言葉が凛の背中に深く突き刺さった。
三日間の間、考える。もう既に答えは決まっているので、何も考えずに過ごすのもありかなと思っていた凛だったが、先ほどの先生の言葉が胸に引っかかっていた。
傷を知る者は表現の世界では最強ーーか。こんな私でもできる役があるのだろうか。
いやいやと凛はまた首を振る。私には才能がないんだから無理だ。

でも、主演を降りるにしても話さなければいけない相手が居る。
彼女にはまだ、夢を諦めたことすら伝えていないのだから。

「七海、お疲れ様」

サロンでは七海が嬉しそうな表情で待ってくれていた。
今日は一緒に帰ろうと約束していたのだ。最近は私が「忙しいから」と言い、断って帰っていなかったからだ。

「ねぇ七海。もう少しサロンに残って話がしたい」
「うん!良いよー!尾崎先生とどんなこと話したのか気になるし、衣装とか⁉︎あ、あそれはまだ早過ぎるかな?でも、凛ならどんな衣装も似合うと思うなーー」
「主役から降ろしてくださいって頼んだの」
「え?何で?せっかくのチャンスじゃん!」

七海はキョトンとした顔でこちらを見ていた。
あまり空気を重くしたくない。ここは軽い感じで伝えよう。

「ねぇ、七海。私、役者の夢諦める」

その言葉を伝えた瞬間、瞳の奥から涙が溢れ出してきた。
涙はぽたぽたとサロンの机を濡らしていく。声にならない叫び声を上げ始める。
だけどーー。

「え……七海?何で泣いてるの……?」

それは凛のものではなく、七海の涙と苦しみだった。
彼女は目を見開いて、こちらを見つめながら泣き続けている。
そして、震える声で七海は喋り始める。

「私のせいだ……ごめん。本当にごめんなさい……」

どうしてみんな、そう自分を責めてしまうのだろう。

「何で七海が謝るの?」

あまりの七海の涙の量の多さに驚き、思わず凛ももらい泣きをしてしまった。

「私ねずっと後悔していたの……」

七海はテーブルに置いていた両手を強く握った。
苦悶の表情をしている。凛にはまだ、彼女の表情の意味が分からない。
どうして、七海の響もよく分からない顔をするんだろう……。

「夏祭りのとき、凛はまた凪先輩に振り向いてもらう為に頑張るって言った。そのときの私は見守る、応援するって言った。でもね、あのとき無理矢理にでも引き留めておけば良かった。そっちは苦しい道だよって手を引っ張れば良かった」

七海は手の甲で涙を拭うが、彼女の涙は止まることを知らない。
いつもは大人でお姉さんな彼女が子どものように泣いている。
どうして、私の為に泣いてくれるの?

「凛は優しいから、きっと私に気を遣って迷惑を掛けたくないって思っててくれたんでしょ、だから私が大丈夫?って声を掛けても、凛は満面の笑みで大丈夫だよって言った。でも、その表情は本当は苦しんでいるものだって、気づいていたの……」
「え……」
「気づいていたのに、私はいつの間にか怖くなった。大丈夫?って言い続けたら、凛は私のこと嫌いになっちゃうんじゃないかと思って。私でも踏み込んじゃいけないものがあるよねって思って、ずっと見ていないフリをしてた」

七海も私と同じで怖かったんだ。ずっと嫌われちゃうのかもって思ってたんだ。
私はなんてことをしてしまったんだ。

「七海、ごめんね……ごめんね……!私……!」
「凛ーー!!」

七海に優しく抱きしめられた。

「凛の苦しかったこと全部は分からない。話したくないなら、話さなくても良い。だけどねーー」

抱き締められると七海の体温と心の暖かさが直に伝わってきた。
あぁ暖かい……何で私は気づけなかったんだろう……。

「沢山辛いことが重なってしんどくて苦しいと思う。でも、泣いても良い。逃げても良いから、腐らないで。自分の軸だけはしっかりして。もし、凛が色々な傷害で自分自身を曲げられてしまったのなら、凛が生きたいように生きて欲しい」

泣いても良い。逃げても良い。
それを肯定されたのは初めてかもしれない。
今までは他人に、自分自身でさえも泣くことを否定し、非難していた。
そして、私は救われなかったんじゃない。色々な人に救いの手は差し伸べられていたんだ。
だけど、私はずっと拒否をしていた。また裏切られるのかもしれないと怖がっていた。

「ねぇ……どうして優しくしてくれるの?」
「大切な親友だからだよ。それ以外に理由はない」

私はバカだった。本当にバカだった。
こんなにも近くで私のことをずっと見ていてくれた七海が居たのに。
私の為にこんなに綺麗な顔をぐちゃぐちゃにして泣いてくれる彼女が居たのに……。

「私ってバカだなぁ……」
「本当にね。大馬鹿だよ」
「そこは否定する所じゃないの……?」

先ほどまで咽び泣いていた私たちはおかしく笑った。
もう泣き過ぎてしまい、サロンの机の上は二人の涙でびしょびしょだ。

「私の話、全部聞いてくれる……?」
「うん、聞くよ。どんと話しなさい」

それから私は今まであったことを全て話した。
あまりにも色々なことを話しすぎて、七海には「逐一、話しなさいよー」と優しく怒られてしまった。でも、最後にまた優しくて暖かい言葉を彼女は口にしてくれる。

「失敗したって居場所はある。私が凛の居場所で居たい」

今思えば、七海と面と向かって話したのは久しぶりかもしれない。
私は少しだけでも彼女に甘えるべきだったんだ。
あと二日間、私には時間がある。
明日はあの子と話さなければいけないーー。



二日目、凛は七階外階段で待っていた。

「凛、お疲れーー」

今度は響と話さなければいけない。凛は気まづい雰囲気の中で勇気を出した。
これは私から行動しないといけないことだから。

「響、まずは本当にごめんなさい」

凛は響に向かって深く頭を下げた。
きっと、優しい彼のことだから、あたふたと心の中で焦っていることだろう。
私の周りは大人で悪くないのに自分を責めちゃう、優しくて不器用な人たちばかりだ。

「響にありがとうを言ってなかった。私ねーー」

響にも言えなかった事実を話した。
彼には凪のことは話していたが、学祭公演のことは一切話していなかった為、響は驚いた表情を見せた後、「そんなことをされてたなんて!」と変わりに怒ってくれていた。

「それで色々見失っちゃって、分からなくなったの。我慢できなくなって、響に当たっちゃった。本当にごめん。そして、話を聞いてくれてありがとう。私は響に話を聞いてもらえなかったら、もっと早くに壊れていた。もう後には戻れないほど、腐っていたかもしれない。ありがとう……響」
「俺は何もできていなかったのかと思った。でも、その言葉を聞けて嬉しいや。だけど、俺にも悪い所があった。俺が話を聞くことで、凛が笑ってくれて、俺でも人が救えるんだって思って、いつに間にか自分の欲を満たす為に話を聞いているときがあった。それは本当にごめん。しかも、勝手に運命の人だ!勘違いしてたし……」

「今思えば、めちゃくちゃに恥ずかしい」と響は頬をかいた。
響は私にとって大切な仲間だ。沢山救ってくれた分、今度は私も彼を助けられるようになりたい。

「卒業公演、頑張ろうね!」
「うん!」

肌寒い風が吹いた。だけど、もう孤独だなんて感じない。
二人で思いっきり笑って身震いをしながら、校内へ入って行った。
うん、今のは楽しかったかも。



そして、三日目はーー。

『凛?』

私自身と話さなければならない。

「……」

少女は凛のから受けた傷を覆い隠すように包帯を巻いていた。
改めて見るとその姿はとても痛々しかった。私がやったんだ。
彼女はどれだけ傷つけられても、私の傍を離れることはしなかった。いつだって、私のことを心配してくれて……。
現実の私は誰かに救ってもらうことができる。
だけど、幼き少女ーー自分自身の心は私しか救えないものだ。

『どうしたの………?』

私は七海にしてもらったように少女を優しく抱きしめてあげた。

「ごめんね」

私はずっと私が許せなかった。
泣き虫で弱い自分を、逃げてばかりで臆病だった自分をーー。
でも、救ってあげなきゃ。許してあげなきゃ。

「そのままで良いんだよ。ずっとそれに気づかせようとしてくれてたんだよね」
『うん……うん……!!!』
「私はね、まだ本当の好きは見失ったままなの。でも、また見つけられたらあなたに言うね。必ず言うよ」
『ありがとう。待ってるよ……大丈夫。君は必ず見つけられるから!』

彼女の頭を優しく撫でた。
すると、少女の体が光り始める。その眩しさに思わず目を瞑ってしまった。
次に凛は目を開けると少女の傷は綺麗に治っていた。
嬉しそうに笑う表情ーー昔の私はこうやって笑っていたのだろう。
いつか、現実の私の笑顔もこの子に見せてあげたいな……。
凛は自分の心が暖かくなるのを感じた。

『頑張ってね。凛ならできる!』

凛はもう一人の自分と小さく拳を突き合わせる。



そして、朝を迎えるーー。
凛は急いで朝の支度をして、家から出ると学校方面へと駆け出した。
朝の冷たい風が吹く大通公園を通り抜け、学校のキャンパス内に足を踏み入れる。
いつ来るか分からないエレベーターなんて待てずに階段を一気に駆け上がる。
職員室が二階で良かった。すぐに二階に着いた凛は職員室の扉をノックし、開ける。約束通り、朝から尾崎先生は私のことを待ってくれていた。

二人で職員室横の談話室へと入る。凛と先生は対面になるように座り、走って荒くなってしまった呼吸を整えた。
その間、尾崎先生は静かに身を潜めながら待ってくれていた。
凛の呼吸が整え終わると、先生はゆっくりと口を開くーー。

「答えは決まったかい?」
「はい。先生、私に主演をやらせてください!!」
「あぁ、そう言ってくれると信じていた」

尾崎先生は「よし」と微笑み掛けてくれた。
凛はこれも改めて気づいたが、素敵な笑顔を持つ人は凪だけじゃない。
今、目の前に居る尾崎先生も、七海も、響も、少女もみんな形は違うけど、誰かを巻き込んで喜ばせる素敵な笑顔を持っている。
私もいつか、誰かを喜ばせられるようになりたい。
私は頑張る。頑張ろう私ーー。



それから、約三ヶ月間ーー。私はとにかく卒業公演のことだけについて考えた。
演技が上手くいかないときは尾崎先生と話し合いをしながら、夜遅くまで演技プランを練っていた。

稽古が行き詰まり、心がしんどくなったときは七海や響と一緒に外へ出掛けて、沢山話をした。
最初は否定的なことしか言わなかった莉子たちもプラスの助言をくれるようになった。たまに「私の方が上手いーー」って言うけど、少しだけ強がっているだけだと知った。
高原先生も相変わらずって感じだけど、「頑張りなさい」とは言ってくれた。

私は酷い言葉を言った彼らの違う側面が見えた気がした。
今まで凛が見ていた彼らの姿はたまたま悪い顔で、その反対に良い顔も持っている。
高原先生は本当に酷いことばかり言ってきて嫌いであるけど、夜遅くまで稽古をした時は生徒全員分のお弁当なんかも買ってきてくれたことがあった。

莉子は意外と世話焼きなんだと知った。美桜がずっと一緒に居たがるのも分かる気がする。私が稽古中に舞台セットに手をぶつけてしまい、少しだけ切ったときはすぐに絆創膏を出して「主役に傷があったらダメでしょ」ときつく言いつつも、絆創膏を貼る手はとても優しかった。

美桜は応援隊長だ。いつも「凛ならできる!」と励ましてくれる。きっと彼女は誰かに影響されなやすい。根は良い子なのだ。何なら、一番最初に謝ってきてくれたし。彼女の笑顔にも救われた。これからは周りに影響されずに美桜らしく、その可愛い笑顔で誰かを救って欲しい。

岳はスポーツをやっていたらしく、怪我をしないようにストレッチや筋トレを教えてくれたし、一緒にやってくれた。だけど、結構きつかったから、他の同期たちはヒーヒーフーフー言っていた。
何なら湿布とかテーピングとかの道具を稽古期間、持ち歩いていたらしい。
誰も大きな怪我はしなかったから、活躍の場はなかったけど、それは良いことだ。

みんな、全部悪人だったら恨み続けたのに、そんなことをされてしまったら、全部は憎めないじゃないか……。
そうやって、世界は回っているのかもしれないなと凛は知れた。
人の良い所も悪い所も知った上で付き合っていく。生きるってなんて難しいんだ。
だけど、簡単なのもそれはそれで困るのかもしれない。

私たちはまだ若いし、みんな役者の卵だ。
本当はよきライバルとして戦い、そして仲間として支え合わなければいけない。
だけど、それぞれに色々な事情があって、悩んで苦しんでぶつかったんだ。
私もみんなも間違ったことをしてしまったのかもしれない。

実際、言われた言葉は覚えているし、時々思い出すと心が沈んでしまう。
でも、何か今のこの期間はまぁ良いっか!!と思ってしまっている自分が居る。
強くなったなぁ、私ーー。

そして、私はいよいよ本番の日を迎えた。