パーティの美人女剣士が塩対応なんですが、読心スキルで俺にだけデレているのがまるわかりなんです

 抱きかかえたカタリナは、気を失っていた。 

 唇は紫色に変色し、呼吸も浅い。

 ナーガの毒が回っている証拠だ。

 俺を助けるために激しく体を動かしたせいか、予想していたよりも毒の進行が早い。

「待ってろ! すぐに毒を抜いてやるからなっ!」

 カタリナの頬に手を当て、頭の中で濁った池の水が浄化されていくイメージを作る。

 そこに魔力を入れて発動。

 魔力切れを警告する頭を殴られたような衝撃で一瞬意識が飛びかけたが、魔術の発動には成功した。

 カタリナの頬が青白く輝き、彼女の表情が次第に柔らかくなっていく。

 それを見てとりあえず安堵したが、カタリナの意識は戻ってこなかった。

 毒がまだ残っているのか、それとも受けた傷が深かったからか。

 可能性としては後者だろうと考えた俺は、急いでキュアヒーリングのイメージを頭の中で作る。 

 だが──

「う……っ」

 魔力を入れようとした瞬間、視界が揺れるほどの激しい頭痛に襲われ、体から力が抜け落ちていった。

 カタリナの頬に触れている俺の手からは、何の魔術も発動されなかった。

 久しく経験していなかった、魔力切れだ。

「くそ、ここに来て……っ」

 俺はカタリナをそっと地面に下ろしてポーチの中を漁った。

 魔力ポーションは残ってないか。

 ほんの僅かでも良い。キュアヒーリング一回分でもポーションが残っていれば、カタリナを助けられる。

 だが、状況がさらに俺を追い込んくる。

 煌々と洞窟を照らしていたアルコライトの魔術が切れたのだ。

 周囲が一瞬で暗闇に包まれた。

「……ああ、畜生っ!」

 何なんだ、クソ! 

 どうしてこうも上手く行かないんだ!

「こうなったら、キュアヒーリングが発動するまで魔術を連発してやる……っ」

 魔力が無くなった状態で魔術を発動させようとすると、意識を失ってしまう可能性があって非常に危険なのだが、絶対にカタリナだけは助ける。

 俺はすぐに手探りで地面におろしたカタリナを探しはじめた。

 だが──どういうことか、カタリナの体に触れることができなかった。

 一抹の不安が過る。

 ナーガは暗闇の中でも行動できるモンスターだ。まさか、ポーチの中を漁る一瞬でカタリナを連れ去ったとでもいうのか。

 まさか、ウソだろ。

 冗談だと言ってくれ。

 焦燥に駆られて、一心不乱にカタリナの姿を探す。

 俺の指先に、何かが触れた。

 カタリナかと思った俺は、指にふれたそれを掴む。

「……っ!?」

 ギョッとしてしまったのは、予想に反して柔らかくて、すべすべとした肌の感触があったからだ。

 カタリナは鎧の下にチュニックを着ている。

 肌が露出している部分はそう多くはない。

 あるとしたら、下半身。

 パンツとブーツの隙間にある、眩しいほどの大腿部。

「……まさか」

 俺は、それに顔を近づけてじっと目を凝らす。

 次第に暗闇に慣れてきた俺の目に映ったのは、カタリナの長い足だった。

 あ、やばい。

 もろにカタリナの太ももを掴んでしまった。

 それも、結構キワドい部分を……。

 というか、顔を近づけて太ももを触ってるって、控えめに言って変態すぎる。

 こんな状況で意識が戻ったら、絶対殺される。

 目が覚めて欲しいと願いつつも、できることならこのまま気を失ってくれと祈ってしまう俺。

 だが。

「……え、と」

 暗闇に浮かんだのは、カタリナの声。

 俺の心臓が、爆発したんじゃないかと思うくらいに大きく跳ねた。

「な、何をしてるの……かな?」

 焦りまくった俺だったが、そのカタリナの言葉に一縷の望みを見いだした。

 カタリナは状況が見えていない可能性がある。

 なにせ、周囲は真っ暗なのだ。

 夜目でも効かないかぎり、俺が何をしているのかまでわかるわけが──

(一瞬気を失ってたけど、これ、どういう状況なのっ!? なんでピュイくんが顔を近づけてわたしの足を触ってるのっ!?)

 はい、モロバレでした。

 AAクラス冒険者のカタリナさんは、比較的、夜目も効くようです。

 そういやアルコライトで視界を確保する前から、ヴァンパイア・バットの動きを察知してましたよね!

「お、おお、落ち着けカタリナ! 俺は決してヤラシイことをしようとか、寝込みを襲おうとか、そういうことを考えていたわけじゃなくてだな!」

「お、お、お、襲う!? こんな状況で何を考えてるの!?(襲うならせめて起きてるときにしてっ!)」

「だから、違うって言ってるだろ!」

 そして、ついでにさらっと、とんでもないことを言うんじゃない!

 起きてても襲わねぇよ!

「ていうか、お前が倒れてマジで心配したんだぞ!? アルコライトも切れちまうし、またナーガが来るんじゃないかって不安になって……その、暗闇の中で慌ててお前を探してキュアヒールをかけようと思って……それで、だな」

 なんだか取り乱したことに恥ずかしくなって、尻すぼみで声が小さくなってしまった。

「そ、そうだったんだ……」
 
 カタリナはようやく理解してくれたらしい。

 俺は小さい声でつづける。

「でも、ありがとうな。その、助けてくれて」

「……こ、こっちこそ」

「……」

「……」

 沈黙。

 気まずい空気がずっしりと両肩にのしかかってくる。

 俺は居心地の悪さを我慢して、そっとカタリナに尋ねる。

「か、体は大丈夫なのか? 具合は悪くないか?」

「う、うん、平気。傷はそれほど深くないし、毒のせいで気を失っちゃってたけど、問題なく動けるわ。ピュイくんが毒抜きをしてくれたのよね?」

「まぁな。魔力は切れちまったけど」

「え」

 雰囲気でカタリナがこっちにずいっと身を乗り出してきたのがわかった。

「もしかして、真っ暗なのにアルコライトを使ってないのって……」

「そう。魔力が尽きたから」

「だ、大丈夫なの!? 魔力って尽きたら命に関わるんじゃ!?」

「え? いやいや、尽きた状態で魔術を使わなきゃ平気だよ」

 そういう迷信じみた話は、俺も時々耳にする。

 魔術師は魔力が尽きたら死んでしまうだの、魔力が尽きたら血を使って魔術を発動させるだの。

 流れているそれらの噂は完全なデマだ。

 とはいえ、悪意があるデマというわけではない。「魔力管理をおろそかにすれば死に繋がる」という啓蒙のために、先代の魔術師たちによって広められたものなのだ。

「……そう? それなら、いいんだけど」

 ほっと安堵の吐息をもらして、カタリナが立ち上がった。

「カタリナ?」

「あなたはここで待ってて。ナーガの討伐証拠を取ってくるから」

「……あ」

 すっかり忘れてた。

 慌てて立ち上がろうとした俺をカタリナが止める。

「だから良いって。真っ暗だし、何にも見えないでしょ?」

 確かにカタリナの言う通りだ。アルコライトは使えないし、この暗闇の中で探すのは無理だ。

「じゃあ、よろしく頼む」

 軽い自己嫌悪。

 俺の依頼なのに、助けてもらってばかりだ。

 カタリナの気配が近くから消えてすぐ、なにかに刃物を突き刺す音が聞こえた。

 俺には何も見えないが、カタリナにはナーガの死体の場所が手に取るようにわかるらしい。

 しばらく静寂が続き、違う場所でまた同じような音が鳴る。

「……取ってきたわよ」

 近くからカタリナの声がした。

「全部で6匹。十分でしょ?」

「だな。サンキュ」

 目を凝らして、カタリナから討伐証拠を受け取る。

 依頼は「5匹の討伐」だったから、成果としては十分すぎる。

 なんだかねっとりしてて気持ち悪いけど、これで4つの依頼は全て完了だ。あとはギルドに戻って報告すれば、冒険者試験を受けることができるはず。

「ん」

 と、再びカタリナの声。

 こちらに向かって何かをしているようだが、よくわからなかった。

「え? 何だ? なんも見えん」

「……て、手よ」

「え? 手?」

「わ、わわ、わたしと手をつないで」

「……はぁっ!?」

 思わず素っ頓狂な声を出してしまった。

 いきなり何を言い出すんだこいつは──と思ったけど、あれか。暗くて危ないから手をつないで欲しいって意味か。

「い、いや、お前って夜目が利くっぽいし、別に俺と手を繋がなくても危なくないだろ?」

「なな、何言ってるのよ。危ないのはわたしじゃなくて、ピュイくんのほうだからっ!」

「……」

 しばし考えて、理解する。

 あ、そういうことか。

 確かに危ないのは、魔力が尽きてる俺のほうだ。

 手探りで歩いていたら日が暮れてしまうし、また崩落事故に巻き込まれてしまうかもしれない。

「ええっと……じゃあ、お言葉に甘えて」

 俺は手探りをしながら、カタリナの手をにぎった。

 瞬間、カタリナの歓喜に満ちた心の声が聞こえてくる。

(ピュピュピュ、ピュイくんが素直に手を繋いでくれたっ!? やばいやばい! 一緒に依頼に来てよかったあっ! ああもう、死ねる! 今すぐ死ぬ!)

 ちょっとカタリナさん、軽々しく死ぬとか言わないでくれますかね?

 あなたを助けるのに、どれだけ苦労したと思ってるんですか。

 こんなことで死んだら、殺しますからね?

「じゃあ、行くわよ?(わたし、手汗とか大丈夫だよね? 念の為、拭いたほうがいいかな? あ、でも、もう手を離したくないし……)」

「お、おう」

 俺の手汗もヤバいから、気にするなと心の中で返した瞬間、カタリナは、暗闇の中とは思えないほどに軽快に歩き出した。

「帰り道、分かるのか?」

 あまりにも自信満々に歩き出したものだから、尋ねてしまった。

「わからないけど、『右手法』を使えば外に出られるはずよ」

「右手法? なんだそれ」

「右側の壁にそってひたすら壁沿いに歩くって方法よ。時間はかかるけど確実に出られる。ダンジョン攻略の解法よ」
 
 なるほど。壁の切れ目は入り口しかないはずだから、壁にそっていけば最終的には必ず出口にたどり着けるってわけか。

 長いこと冒険者をやってたけど、はじめて聞いた。

 危険度がそこまで高くないDランクの依頼では必要のない知識なのかもしれない。

「カタリナは剣の腕だけじゃなくて、知識も深いんだな」

「ピュイくんだってそうでしょ? わたしも、あんな戦い方があるなんて、知らなかったし」

「あんな戦い方?」

「ピュイくんがナーガを倒した方法よ」

 そう言われてしばし考え、回復魔術の過剰摂取の件を言っているのだと気づく。

「……ああ、あれか。回復魔術の過剰摂取は危険だって話を師匠から聞いたことがあってさ。ぶっつけ本番だったけど、上手くいってよかった」

「師匠って、トラブル続きだったっていう魔術の?」

「そ。俺の魔術師の師匠のフリオニール」

 その名前を出したとき、カタリナの手にキュッと力が入った気がした。

 もしかしてフリオニールのことを知ってるのか……と思ったけど、知っているふうなことを心の中で言ってたっけ。

 あのときはどんな関係なのか聞けなかったけど、この会話の流れなら尋ねてもおかしくないかもしれない。

「もしかして、フリオニールのこと、知ってるのか?」

「ええ。まぁ……」

 言葉を濁すカタリナ。

 意外な反応だった。

 てっきり、あれこれと昔話を聞かせてくれるのかと思っていた。

 もしかして、あまり思い出したくない部類の話なのだろうか。

 例えば、亡くなった両親と関係しているとか。

「子供の頃、ちょっとね」

 静かにカタリナが続けた。

 やはりそうだ、と思った。

 子供の頃にフリオニールと会ったということは、亡くなった両親に関係していることなのだ。

 多分、カタリナも野盗やモンスターに故郷を焼かれ、フリオニールに保護されたのだろう。

 俺が師事する前も、フリオニールは世界中を旅する中でたくさんの子供を保護していたって聞くし──

「……ん?」

 と、そこで俺の頭にひとつの疑問が浮かんだ。

 カタリナと俺の年齢は、そう離れていない。そのカタリナが子供の頃なのだから、多く見積もっても10年くらい前の話だ。

 10年前──俺とフリオニールが一緒に旅をしていた時期。

 まさか、俺とカタリナは、子供の頃に会っていたのか? 

 でも、全く記憶にない。

 こんな可愛い銀髪の子供なんて──

「……」

 そのとき、俺の頭にとある少女の顔が浮かんだ。

 まさか──。

 でも──。

 いくつもの疑問が胸中を渦巻き、俺は恐る恐る前を歩くカタリナの背中に尋ねた。

「なぁ、カタリナ。お前は……どこでフリオニールと会ったんだ?」

 そう尋ねると、カタリナはぴたりと足を止めた。

「……わたしの故郷で。でも、そのとき、フリオニールはひとりじゃなかったわ」

 カタリナはそこでふっと一呼吸入れて、続けた。

「略奪で村を焼かて……教会でひとり怯えていたわたしを助けてくれたのは、フリオニールと──あなたよ」
 カタリナの言葉で、推測が確信に変わった。

 フリオニールと立ち寄った廃村──。

 そこの教会で助けたのが、夢にも出てきた銀髪の少女キャスだ。

 フリオニールと保護した多くの生存者の中で、キャスのことが記憶に残っているのは、彼女とは一週間ほど一緒に旅をすることになったからだ。

 立ち寄った教会で引き取りを拒まれ、次の街で孤児院に引き取ってもらうまで寝食を共にしていた。

「で、でも、教えてもらった名前は違ったよな?」

「それはそうよ。『カタリナ』は孤児院から引き取ってくれたお父様とお母様につけてもらった名前だもの」

「ああ、なるほど……」

 そういうことか。

 キャスは亡くなった両親につけてもらった名前で、カタリナは孤児院から彼女を引き取ったクレール家の人間につけてもらった名前というわけか。

 両親が亡くなったと言っていたから、てっきりクレール家が没落したのかと勘違いしていた。

 しかし、まさかあのキャスがカタリナだったなんて。

「なんていうか……すっかり大きくなったんだな?」

「それはそうでしょ。もう10年も経ってるからね。ピュイくんこそ、大人になっていて驚いたわ」

「まぁ、10年も経ってるからな」

 そう返すと、カタリナはくすりと笑った。

 悲惨な生活を送っていなくて本当によかったと改めて思った。

 悲惨どころか、俺以上の生活をしていたなんて……素直に嬉しい。

「もっと早く言ってくれればよかったのに」

「『わたしはあなたに助けられたキャスです』って? そんなこと言ったら、わたしの前から消えちゃうかもしれないじゃない」

「え? なんで?」

「あなた、宮廷魔術師になるのが夢だったんでしょ?」

「……あ」 

 そういえば、そんなことを話していたな。

 当時の俺は、魔術師になるためにフリオニールに師事していたが、夢は王宮に使える魔術師のエリート、宮廷魔術師だった。

 魔力が常人より多いということがわかり、他人よりも優れていると勘違いした俺は、将来は宮廷魔術師になれると真剣に思っていた。

 もしかして、カタリナが躍起になって剣術で名を上げようとしていたのも、その俺の夢があったからなのかもしれない。

 エリートの宮廷魔術師になった俺の隣に立とうとして、肩を並べようとして、剣の腕を鍛えていたんじゃないだろうか。

 だが、いざ蓋を開けてみれば「これ」だ。

 10年の歳月を経て、俺が流れ着いたのは日銭を稼ぐ冒険者。それも、最底辺の。

 だからカタリナは名乗り出せなかったのだろう。俺がひけめを感じて、いなくなってしまわないかと不安に思ったのだ。

「失望したろ?」

 暗闇の中にうっすらと見えるカタリナに尋ねた。

「宮廷魔術師を目指していたあのピュイさんが、まさかこんな底辺冒険者になってたなんてさ?」

 その疑問が見当違いだということは、俺自身よくわかっていた。

 なにせカタリナは、俺に再会したときから心の中でデレまくっていたのだ。俺に失望なんてしているわけがない。

 だが、そう尋ねずにはいられなかったのは、後ろめたさがあったからだ。

 いっそ「失望したわ」といつもみたいに辛辣な言葉をかけてくれたほうが、いくらか救われる気がした。

「……」

 しかし、カタリナは何も答えなかった。

 洞窟の中は痛いほどにしんと静まり返っている。

 モンスターの気配もなく、俺の心臓の鼓動だけが静かに聞こえていた。

「……今でもあのときのことを夢に見ることがあるの」

 そっとカタリナが口を開いた。

「村を襲ってきた野盗たちの笑い声と、逃げ惑うひとたちの悲鳴。『教会に隠れてなさい』と言った、お母さんの怯えた顔。教会に駆け込んだときに見えた、村を焼く赤い炎。教会の扉が壊れる音。ひとりぼっちの心細さ」

 そこでカタリナは恐怖を押し殺すように、ふっと息を飲んだ。

「でも、その夢はいつもピュイくんで終わる。あのとき……あなたが説教台の下で見せてくれた、あの『妖精』で」

 妖精。

 銅貨を使った、妖精のマジックだ。

「本当に綺麗だった。キラキラとした妖精を見て、久しぶりに笑ったのを覚えてる。あんなことができるピュイくんは凄いと思ったし……すごくかっこよかった」

 暗闇のせいでカタリナの表情は見えなかったが、笑っているのが雰囲気でわかった。ほっと安堵するように、目を細めているのが見えなくてもわかった。

「ピュイくんはわたしにとって、ヒーローなの。それは変わらないわ。何年経っても……あなたが何者になろうとも」

 そしてカタリナは、心の中で囁く。

(だから、あなたのことが好きになった。もう一度あなたに逢いたくて……あなたをずっと探していた)

 頬が燃えるように熱くなった。

 明かりがない場所で良かったとつくづく思う。

 それがカタリナが俺にだけデレていた理由ってことか。

 あのとき……カタリナが俺に会うなり「パーティに入れてくれ」と言ったとき、心の中がはしゃぎまくっていたのもうなずける。

 何年も想い続けていた相手とようやく再会できれば、誰だってそうなるだろう。

「……なんつーか、ありがとうな?」

 しばらく適切な言葉を探して……俺の口から出てきたのは、そんなお礼の言葉だった。
「そう言ってもらえると、俺も救われるっつーか。あのマジックを俺に教えてくれたフリオニールにも聞かせてやりたいくらいだ」

 ドギマギしながら答えると、カタリナは照れくさそうに尋ねてきた。

「そ、そういえばフリオニールさんって、今どこに?」

「さぁな。5年前に別れてから会ってない。多分、変わらず世界を旅してるんだと思うけど」

 フリオニールは「存在しうる全ての魔術を習得するのが夢だ」とか言っていた。なので、俺と別れた今も世界を周りながら魔術修練に明け暮れているに違いない。

 人間の子供を愛でながら。

「どうして彼女と別れたの?」

「まぁ、簡単に言えば、『身の危険を感じて』かな」

「……ああ、そういうこと」

 それだけでカタリナは理解してくれたらしい。

 そういやカタリナも、出会っていきなりフリオニールに頭の匂いをクンクンされてたっけ。彼女の変態っぷりは良く理解しているのだろう。

「でも、そのうちひょっこり現れるだろ。そしたら、『あんたが助けたキャスはこんな素敵な女性になりました』って紹介してやるよ」

「……す、素敵?」

「あ」

 しまった。つい素敵とか言っちゃった。

「いや……まぁ、剣士として……とかじゃなくて、なんていうか、その、ひとりの……女性としてさ」

「……う、うん」

 素直に答えたのは、カタリナが俺に秘密を包み隠さず話してくれたからだ。ここで俺だけウソをつくのはフェアじゃない、と思った。

 しばしの沈黙が暗闇の中に流れる。

 そして──。

(……嬉しい。好き)

「……っ!」

 久しぶりの甘々攻撃に悶絶してしまった。

 ああ、本当にここが真っ暗な場所でよかったと安堵した俺だったが、今更ながらカタリナと手をつないだままだということに気づく。

 足を止めてるのだから手をつなぐ必要はないだろと思ったが、ここまで話し込んだ後で話すのもなんだか気まずい。

 俺は照れ隠しのための咳払いをしてから続ける。

「と、とりあえず、だな……早くこの洞窟から脱出しようぜ」

「そ、そうね」

 そうして俺たちは手をつないだまま、真っ暗な洞窟の中を歩いた。

 しんと静まり返った洞窟に、ふたりの足音だけが響く。

 またモンスターに出くわさないか、少し心配だった。

 毒は治療したとはいえカタリナの傷は完全には癒えていないし、魔力が尽きている俺は戦力にならない。

 だが、幸運にも周囲にモンスターの気配は無かった。

 このままいけば、無事に脱出できるかもしれない。

 そう前向きに考えた俺だったが──次第に心に濃い不安が影を落とすことになった。

 歩けど歩けど、一行に出口らしき場所にたどり着けなかったからだ。

 それどころか、同じ場所をぐるぐると回っている雰囲気すらある。

 心の声を聞くまでもなく、カタリナの手のひらからも焦りの感情が伺い知れた。

 右手法を使えば出口にたどりつけるのは事実だろうが、それは「今いる場所に出口がある場合」だ。

 昔使われていた坑道とはいえ、封鎖されている可能性もあるし、落盤によって出口への道が閉ざされている可能性だってある。

 そうなれば、右手法を使っても永遠と同じ場所をさまよい続けることになる。

「……ん?」

 色々な不安に苛まれていたとき、なにかが聞こえた気がした。

 俺はすぐにカタリナを止める。

「ちょっと待てくれ」

「どうしたの?」

「今、なにか聞こえた」

 はっきりとはわからなかったが、なにかの声だった気がする。

 もしかして、モンスターだろうか。

 俺の体が緊張でギュッと強張った。

 このタイミングで接敵するのはマズい。

 魔力が回復した雰囲気はないし、敵が単体であればなんとかなるかもしれないけど、群れで来られるとひとたまりもない。

 俺は、全神経を視覚に集中させた。

 本当なら聴覚に集中すべきだけど、俺には読心スキルがある。相手がモンスターだろうと、視覚に入れば何かしらの心の声を聞くことができるのだ。

 しばし暗闇の中を凝視する。
 
 左右と背後。

 さらには頭の上まで。

(……マジで薄気味悪い場所だなぁ)

 聞こえてきたのは、男の心の声だった。

(うお……壁が壊れてるじゃねぇか。下にも道があるみたいだし、落ちたら死んじまうんじゃねぇか、これ?)

 落ちたら、という言葉を聞いて俺は目を凝らす。

 頭上に松明を持った人影が見えた。

 なんで上に人影が? と思ったが、理由はすぐにわかった。

 高さが数メートルほどある天井の一部に穴があいていて、そこから誰かがこちらを覗き込んでいるようだった。

 多分あれは、俺たちが巻き込まれた崩落現場。いつのまにか、元いた場所まで戻ってきてしまったのだろう。

「冒険者だ」

「え?」

「見ろ、カタリナ! あそこ! 冒険者がいるぞ!」

 俺は頭上を指差した。

 こんな所に来る人間といえば、相場は決まっている。

 穴の向こうで松明を持った人間以外にも、何人かの影が揺れていた。

 複数人いるのなら、ロープか何かを使えば引き上げてもらうこともできる。

 しかし、問題はまだ残っている。どうやって彼らに俺たちの存在を認識してもらうかだ。

 俺たちの声も届いてないみたいだし、こっちの存在を知らせようにも暗闇の中にいる状態では気づくはずがない。

 松明もなければアルコライトの魔術も使えない。

 何かないかとポーチの中を漁ったが、めぼしいものはなにもなかった。

「カタリナ! 何か光源になるものを持ってないか!?」

「光源?」

「そうだ! 上の冒険者たちに俺たちの存在を知らせるんだよ!」

 カタリナは慌ててポーチの中を調べ始めたが、首を横に振った。

「ご、ごめん。わたしも何もないわ」

「くそっ……なにか彼らに知らせる方法は無いか?」

 そうしている間にも、冒険者は奥に行ってしまうかもしれない。

 考えろ。

 時間はあまりない。だが心を落ち着かせて、冷静に考えろ。

 ナーガを倒したときのように、何か思いつくはずだ。

 お前は……カタリナのヒーローなんだろ!

「……ん?」

 そのとき、ポケットの中に入れた手に何かが触れた。

 それは何の変哲もない──1枚の銅貨だった。

 俺の頭に、天啓が降りた。

「カタリナ。これが俺の最後の魔術だ」

「……えっ?」

「もしかすると、魔力切れで気を失うかもしれない。でも、これを使えば、上の冒険者は俺たちの存在に気づくはず。そしたら、お前が大声を上げて助けを求めてくれ」

 俺は銅貨を握りしめ、絞りカスのような魔力を込める。

 この魔術に使う魔力は本当に微々たるものだ。

 でも、その変わりに銅貨を失うので懐にはメチャ痛いんだけどな!

「ちょ、ちょっとまって、一体何をするつもりなの?」

「今から、マジックを見せるんだよ」

 手をひらいたとき、青白い光を放ちながら小さな妖精が飛び立った。

 妖精はアルコライトのように光を放ちながら、花びらを振りまき、俺たちの周囲をくるくると周り出す。

 妖精の光に照らされたカタリナの顔が見えた。

 彼女は驚いているように、しかし、喜んでいるように笑っていた。

「……おい、なんだあれ?」

 頭上から男の声がした。

「ねぇ、あそこに誰かいない?」

 続けて、女性の声。

 どうやら冒険者たちが、俺たちに気づいたらしい。

 激しい頭痛に襲われた俺は、すがるようにカタリナの腕を掴んだ。

 カタリナはすぐに声を張り上げる。

「助けて! 崩落に巻き込まれたの!」

 洞窟の中にカタリナの声が響く。

 すぐに上から声がした。

「助けて、って言ってない?」

「オイ、大丈夫か!?」

「ロープだ! ロープを出せ!」

 その声を聞いた瞬間、俺の膝から力が抜け、がっくりと崩れ落ちてしまった。

 ガンガンと頭痛がひどくなり、意識が朦朧としてくる。

「すまん、カタリナ。俺はもう……」

「ええ。あとはわたしに任せて」

 そのとき、そっと抱きかかえられたような感覚があった。

「ピュイくん」

 そして、すぐ近くからカタリナの声。

「またあなたの妖精マジックが、わたしを助けてくれたみたいね」

「……ああ。まぁ、そう……なるのかな」

 あのとき、説教台の下で見せたときみたいに、か。

「あなたは本当に凄いひとよ。いつでも、いつだって……困っているわたしを助けてくれる」

「そんなことない。俺は……底辺冒険者……だし」

「ううん、そんなことはあるわ。だって、あなたはわたしのヒーローだもの。だから……だからわたしは……」

 途切れかけた意識の中、カタリナの優しい声がそっと俺の耳を撫でた。

「こんなにも、あなたのことが好きなのよ」
 仕事を休んでいるときくらい、腹も減るのを休んでくれればいいのにと思う。

 依頼をこなして日銭を稼ぐ冒険者なのだから、タダ飯を食らうということは命を削ることと同等だと腹の虫も理解するべきだ。

「……腹減った」

 空腹のせいで目が覚めてしまった俺は、アンデッドモンスターのような声をあげてしまう。

 あの廃坑での事件がおきて5日。

 魔力切れというピンチからなんとか生還できた俺だったが、自宅療養生活を送ることになった。

 やっぱり無理はするものじゃないと今更ながら思う。

 カタリナがいたからなんとか切り抜けることができたが、彼女がいなかったら俺はあの洞窟で白骨死体になっていただろう。

 5日前のことを思い出すと、今でも寒気がする。

 崩落事故に巻き込まれ、予備の魔力ポーションを失い、モンスターに奇襲を食らってピンチに陥り、魔力が切れて──極めつけは、河の中で目が覚めた。

 言い間違いではなく、魔力切れで気を失っていた俺が目覚めたのは、冷たい水が流れる河だった。

 びしょ濡れで目覚めた俺の頭の上に、大量のクエスチョンマークが発生したのは言うまでもない。

 周囲の景色からヴィセミルの中を流れるクオン河の支流だとわかったが、橋の上から見ていた人物を見てさらに困惑した。

 ほとんど下着のような服装をした、赤毛の美女冒険者、リルー。

 彼女が逼迫したような表情で俺を見下ろしていたのだ。

 すぐにリルーは猛ダッシュで河の中に入ってきて、状況をつかめずに呆然としている俺を担いで走り出した。

 彼女が向かったのは、広場にある冒険者ギルド「誇り高き麦畑」──。

 ギルドで待っていたのは、ボロボロの姿のカタリナと、あの眼鏡をかけた冷徹受付嬢だった。

 そこで俺はリルーから事情を聞いた。

 どうやら、あの洞窟で救出されたあと、カタリナは俺を背負ってギルドに直行し依頼の完了報告をしようとしたのだけれど、認められなかったらしい。

 冷徹受付嬢いわく、「今回の依頼はピュイさん個人で受けたものなので、本人からの報告でないかぎり完了を認めない」というのだ。

 すでに日が暮れかけていることもあり、このままだと試験を受けられないと焦ったカタリナは、ガーランドの自宅に走った。

 そして、事情を聞いたガーランドは、リルーと彼女のパーティメンバーとともにギルドに駆けつけ、俺を叩き起こすことにした……というわけだ。

 まず、リルーのパーティメンバーの回復魔術師が俺にキュアヒーリングをかけたが、効果はなかった。

 さらに、魔力ポーションを数本強引に飲ませたが、それも意味がなかった。

 なので最後の手段だと言ってリルーが俺を運んだのが、クオン河。

 どうやら、橋の上から俺を河の中に放り投げたらしい。

 それを聞いて、俺は即座にツッコんだ。

 俺は泥酔した酔っぱらいじゃねぇ。

 魔力切れで倒れた人間をもう少しいたわれと思ったが、ギリギリで依頼完了報告を完了することができたので、リルーに感謝しなくてはならない。

 個人実績は規定の50に達し、なんとか冒険者試験の資格を得た俺は──ギルドで再び意識を失ってしまった。

 魔力切れの後遺症的なやつだ。

 枯渇寸前だったら魔力ポーションでも大丈夫なのだが、完全に切れてしまうとどうすることもできない。

 しばらく昏睡状態と覚醒状態を繰り返してしまうのだ。

 目が覚めているときに栄養のあるものを食べて、体を休める。

 つまり、自宅で療養することが魔力切れを回復させる唯一の方法だ。

「……魔力切れ、か」

 俺はベッドの上で、魔力切れを起こしたときのことを思い返した。

 妖精マジックを発動させて完全に魔力が切れて意識を失いかけたとき──カタリナに抱きかかえられてなにかヤバいことを言われた気がする。

「……あいつ、好きとか口に出して言ってなかったか?」

 改めて口に出すと、破壊力がやばかった。

 いつも心の中で「好き」だの「かっこいい」だのデレられているけれど、「口に出して」という言葉を付け足すと、致死級のダメージがある。

 口に出すということは意思の表明でもあり、相手との合意に到達するためのプロセスのひとつでもあるのだ。

 つまり、あのひとことの中には「わたしはあなたのことが好きです。それであなたはどうなんですか? わたしのことは好きですか? 好きですよね?」という文章が含まれている。

 好きという意思の確認。

 それはもはや、告白ってやつじゃないのだろうか。

 そこで俺は改めて思う。

 え? 俺って、カタリナに告白されたの?

「……マジか!? マジで!? マジの!?」

 今更ながら、恥ずかしいやら嬉しいやらで、また気を失ってしまいそうだった。

 これは冒険者試験に合格してカタリナに気持ちを伝える前に、そういう関係になってしまうんじゃないか?

 カタリナに「洞窟の中で言われたことの返事をしたいんだけど」って言えば、きっと──。

「ん? ちょっと待て」

 と、俺の頭に不安がよぎった。

「……本当に、好きって言ったのか?」

 言われたような気はするけれど、確証がない。

 なにせあのときの俺は、意識混濁状態だったのだ。

 ただの聞き間違いっていう可能性も大いに有り得る。

 なんだか、すごく不安になってきた。

 聞き間違いだったのに「この前カタリナに言われたことの返事なんだけどさぁ?」なんてドヤ顔で言ってみろ。「え、ちょっと、なに言ってるかわからないんですけど。バカなの?」みたいなドン引き対応をされてしまう。

 それって、死ぬほど恥ずかしい。

「……言ったの? 言わなかったの? どっちなの?」

 テンションが一気にガタ落ちしてしまった。

 いまさら、「あのときなんて言ったの?」とか聞けないしな。

 あああ、畜生! 

 なんであのとき、意識混濁しちゃったかなぁ!?

「はぁ……とりあえず、何か食べよ」

 さっきから「何か食わせろ」とうるさい腹をなんとかしようと思い立った俺は、のっそりとベッドから起きて、重い足取りでキッチンへと向かう。

 この家には小さな「かまど」と「厨房」があるのだ。

 以前は1階を店舗として使っていたらしく、俺が住んでいる2階でパンを焼いて運んでいたらしい。

 なので、料理ができる環境は整っている──のだが、俺が料理なんてするわけがなく今はホコリをかぶっている。

 キッチンを漁ってみたが、これといって食べられそうなものはなかった。

 魔力切れの後遺症で外に出ることも危険なので、食事はガーランドが持ってきてくれていたが、全部食べきってしまったらしい。

「ううむ、どうするか」

 今から飯を食いにいくか?

 魔力切れの後遺症もだいぶおさまってきているし。

 だけど、突然気を失ってしまう可能性もある。

 医者からは少なくとも7日は安静にと言われているし、ここはガーランドが来るのを待つしかないか。

 そう思って、空かせた腹を抱えて再びベッドに戻ろうとしたとき、玄関を叩く音が聞こえた。

「……お?」

 もしかして、ガーランドか?

 本当にあいつは、いいタイミングでくる。

 俺は、もはやジジイかと思うくらいのゆっくりとしたスピードで玄関へと向かい、ドアを開けた。

「ナイスタイミングだぞガーランド。ちょうど腹が減ってお前を待ってたところで──」

 そこで言葉を飲み込んでしまったのは、もちろん腹が減りすぎていたからというわけではない。

 ドアの向こうに、意外すぎる人間が立っていたからだ。

 翡翠色の瞳に、ポニーテイルに結んだ銀の髪。

 可憐にして苛烈な辛辣の乙女。

「カッ、カタリナ!?」

 そこに立っていたのは、いつもの白い胸当てではなく、カーキと白色のドレスっぽいワンピースという普段着姿のカタリナだった。
 カタリナの普段着というだけでドキッとするのに、着ている服が襟まわりが広いタイプのワンピースだったので余計にドキドキしてしまう。

 綺麗な鎖骨がバチコリ見えてしまっているので、ぶっちゃけ、目のやりどころに困る。

「ごめん、寝てた?」

「……え? あ、いや、腹が減ってちょうど起きたとこ……だけど……ど、どうした? 今日はオフ日……だよな?」

「どうしたって……」

 そう尋ねると、カタリナは手にしていた麻袋をチラリを見る。

「ガーランドにピュイくんの様子を見に行ってくれないかって頼まれたのよ。それで、ついでだからご飯でも作ってあげようかなって」

「……はい?」

 色々とツッコむべき箇所がある気がするが、どこから指摘すればいいかわからん。

 この数日はガーランドが様子を見に来てくれていたが、いきなりカタリナに頼んだのだろうか。ていうか、オフ日なのに?

 それに、ついでにご飯作ってやろうってどういうことだ?

 まさかそれもガーランドに頼まれたのか?

(ていうのは、ウソなんだけどね)

 ウソかい!

 てか、どこからウソ!?

 まさか、ガーランドに様子を見てこいって言われたところからウソなの!?

 こわい! 心の声を聞けてるのに、全然わからない!

(だって、5日もピュイくんと会ってないと、しゅきしゅきエネルギーが枯渇しちゃうんだもん。だから、すこしだけ補充させて?)

 聞こえてきたカタリナの声に、唖然としてしまう。

「……しゅ、しゅき?」

「え?」

「いや、なんでもない」

 つい反応してしまったけど……これは、なんだろう。

 カタリナの心の中の乙女度が、ぐんとアップしている気がするんですけど。

 カタリナが首をかしげながら尋ねてくる。

「よくわからないけど、とりあえず上がってもいいかしら?」

「あ、うん。大丈夫──」

 俺は高速で部屋の中を目視確認する。

 リビングに脱ぎっぱなしのパンツは無し!

 ベッドの近くにカタリナに見られたらヤバいものも、無し!

「──だから上がっても良いぞ」

「そう。じゃ、じゃあ、お邪魔します……」

 カタリナが緊張の面持ちで、恐る恐る部屋に上がってくる。

 ドアを締めたとたん、部屋に痛いくらいの静寂が訪れた。

 なんだか現実味がない光景だった。

 俺の部屋にカタリナがいる。

 それも、普段着のカタリナが。

 もしかして、これは夢だったりするのだろうか。

 魔力切れで気を失っている俺が見ている夢。すぐに誰もいない部屋で目が覚めて、なんだか虚しさに襲われてしまって──。

(わああああああ! ピュイくんの部屋だぁあああ! 上がっちゃったあああああ! 待って、大変っ! ピュイくんの匂いがするっ! 胸いっぱいに吸い込んでもいいかなっ!?)

 うん、夢じゃないっぽいな。

 涼しい顔をして俺の部屋を見渡しているカタリナの心の中は、俺以上に大興奮だった。
 
 とりあえず、フリオニールみたいにクンカクンカするのはやめろよ?

 てか、女子って匂いフェチが多いのか?

「な、なんだか、想像通りね?」

 興奮を必死に抑え込んでいるのか、カタリナが少し震えた声で尋ねてきた。

「……想像? どういう意味だ?」

「あなたの見た目通り、至って普通って意味よ」

「……」

 はいはい、味気のない部屋ですみませんね。

 俺の部屋にあるものと言えば、着替えや魔導衣を入れているチェストに、魔力ポーションを保管している棚。それに、杖に使っている魔導石を保管している鍵付きの小箱。

 冒険者家業で使うものしか置いていない、実に殺風景な部屋だ。

(でも、それが良い。ピュイくんっぽくて好き)

 またしても言葉とは裏腹な本心のカタリナさん。

 胸中フォロー、ありがとうございます。

 そう言ってもらえると、救われます。

 カタリナはなんだかすごく楽しそうに部屋をひととおり見たあと、キッチンへと向かった。

「じゃあ、借りるわね?」

「ああ、好きに使ってくれ……っていうか、俺の部屋にキッチンがあるの、よく知ってたな?」

 カタリナの家にはあるのかもしれないけど、こういう共同住宅で炉付きのキッチンがついている部屋なんて、珍しいほうだと思うけど。

「あ、ええと……ガーランドに聞いて?」

 と、背をこちらに向けたまま答えるカタリナだったが──。

(ガーランドにピュイくんの家の場所を聞いて建物の所有者を調べて、彼に直接聞きに行ったのよ)

「……へぇ」

 つい、気の抜けた返事をしてしまった。

 さすがカタリナ。行動力がハンパないな。

 そこまでして料理を作りに来てくれるなんて、メチャクチャ嬉しいけどさ。

「……心配してたのよ」

 キッチンで食材を広げながら、カタリナが言う。

「魔力切れの後遺症を早く治すには、栄養価の高い食べ物を取らないといけないらしいじゃない? なのに、聞けばガーランドは金熊亭の肉料理ばっかり持っていってたみたいだし」

「一応ガーランドの名誉のために言っとくけど、あいつに肉をリクエストしたのは俺だからな? 俺にとって肉は薬みたいなもんなんだ」

「知ってるわよ。ヴィセミルには『ピュイを喜ばせるにはカスタードプディングと牛肉をあてがっておけばいい』っていう言い回しがあるくらいだもんね?」

「……っ!? ねぇよ!」

 カタリナの背中をにらみつける。

 どっかで聞いた言い回しだなとおもったら、カタリナの好きなもの当てゲームのときにガーランドが言ってたんだっけ。

「てか、お前って料理なんてできたんだな?」

「なによそれ。ひょっとして、バカにしてる?」

 カタリナが肩越しに鋭い視線を向けてくる。

「わたしはカタリナ・フォン・クレールよ?」

「……さいですか」

 料理もできるって完璧すぎるだろ……と褒めたかったのだが、今のひとことで不安が増大してしまった。

 カタリナさん。そのセリフを吐いたときの期待はずれ率、ヤバいことになってるの気づいてないのか?

 でもまぁ、得意というのなら任せよう。

 そうして俺はベッドに腰掛けて、キッチンで料理をはじめたカタリナを見守っていたのだが──。

(……ええっと、どうやるんだったかな。料理って、あんまり作ったことないんだよね)

 早速、不穏な言葉を心の中で囁くカタリナ嬢。

 本当に大丈夫か、とソワソワししはじめた俺をよそに、カタリナはごそごそと食材を入れいてた麻袋の中から一枚の羊皮紙を取り出した。

(でも、これを見て作れば平気よね。リルーに書いてもらってよかった……)

 どうやらレシピのメモらしい。

 それを見てほっと安堵しながら、なんだか嬉しくなってしまった。

 犬猿の仲のリルーにレシピを書いてもらったってことは、頭を下げて協力を請うたに違いない。

 そこまでしてくれるなんて、嬉しすぎる。

 それからカタリナはメモを見ながら黙々と料理を続け、30分ほどが経った。

「……よし、これで完成ね」

 ベッドの上でうつらうつらと船を漕いでいた俺は、カタリナの声ではっを目を覚ます。

 いつの間にか、俺の部屋にはなんともうまそうな匂いが充満していた。

 これはなんだろう。

 野菜と香辛料の香りっぽいけど。

「おまたせ」

 そうしてカタリナは、小さな器に入れてスプーンと一緒に運んできてくれたのだが──。

「……ええと。これって、なんだ?」

 器を受け取るなり、固まってしまった。

「え? ええっと、『こーらるぴ』の野菜スープ?」

 なんだそりゃ? と思ったけど、すぐになんのことかわかった。

「……球茎キャベツの『コールラビ』のことか?」

「っ!?」

 カタリナが、ぼっと頬を赤く染める。

「そっ、それが言いたかったの! 言い間違えただけ!」

「さいですか」

 コールラビはキャベツとカブが合わさったような野菜だ。柔らかくて甘みがあって焼いてもうまい。

 俺の故郷でも作っていた野菜で、「結球しないから栽培期間が短くて作りやすいのよ」って母親が言ってたっけ。

 しかし、と俺は改めて野菜スープを見る。

 匂いは良いが、なんていうか──見た目が酷い。

 野菜のヘタはまんま入ってるし、野菜はざく切りすぎて一口じゃ食べきれないくらいにデカい。

「た、食べてみて?」

 ベッドに腰掛けている俺の前にちょこんと正座し、不安げに上目遣いで俺を見てくるカタリナ。

 なんですかその自信なさげな表情は。

 これは──一抹の不安を覚えざるを得ないんですけど。
 俺は恐る恐るスプーンで、ざく切りされた巨大な野菜をすくってかぶりついた。

「……あ」

 口の中に入れた瞬間、思わず感嘆の声が漏れてしまった。

 デカイサイズの野菜は咀嚼する必要もないくらいに中までほろほろで、はまたたく間に口の中で溶けていった。

 凝縮されたコールラビの甘みの中にほんのり苦味を感じるスパイシーな香りがあって、なんていうか……すごく美味い。

「ど、どう?」

 カタリナが不安げに身を乗り出して尋ねてくる。

「これは……メチャクチャ美味いな」

「……え」

 カタリナはしばらく固まったまま、目をぱちぱちと瞬かせる。

「ほ、本当に?」

「ああ、マジで美味い。これって、どうやって味付けしてるんだ?」

「バ、バターと塩と胡椒……かな? ハーブのフェンネルも使ってるから、甘くてスパイシーに仕上がってるはずよ」

「へぇ〜……よくわからんけど、すごいな」

 説明されてもいまいちよくわからなかったので、もう一度かぶりついてみた。

 見た目はアレだけど、野菜がデカイくて食べごたえがあるし、これはこれで良いのかもしれない。

 うん、美味い。

「えへへ……良かった。わたしも食べていい?」

「全然良いよ。一緒に食べようぜ。同じ棚に別の器があったはずだけど」

「ありがとう。さっき見かけたから知ってるわ」

 カタリナはぱたぱたとキッチンに戻って、野菜がこんもりと入った器とスプーンを持ってきた。

 いや、ガッツリ食い過ぎだろ。まぁ、別に良いんだけどさ。

「いただきます」

 カタリナが勢いよく野菜にかぶりつく。

「……む」

 しかし、大きすぎて口に収まらなかったようだ。

 手のひらで口もとを隠して、しばらくもごもごと口を動かす。

「……おいひい」

 カタリナは俺を見ながら、少し恥ずかしそうに頬を赤らめて笑った。

 可愛いかよ。

(でも、ピュイくんに美味しいって言ってもらえて嬉しいな)

 もくもくと咀嚼しながら、心の中でしみじみと言うカタリナ。 

(まぁ、ピュイくんがどうしてもって言うなら、毎日作りに来て上げてもいいけど? なんていうか、いわゆる「通い妻」的な? ……キャ〜っ!? 妻って何!?  わたしがピュイくんの奥さんってこと!? んんっ、素敵な表現っ!)

「……ゲホッ!」

「ちょ、ちょっとピュイくん、大丈夫!?」

「だ、大丈夫。ちょっと変なところに入っただけだから」

 変なところに入ってしまったのは、お前のその「お花畑思考」だけどな。

「ちょっとまってて」

 カタリナが慌ててキッチンに行って、手ぬぐいを持ってきてくれた。

 なんだか至れり尽くせり感がハンパない。

 風邪を引いているわけでもないし、魔力切れの後遺症もほとんどないわけだし、ここまでしてくれるのは申し訳なさすぎる。

「あ、ありがとう。けど、もう体調は良くなってきてるし、あまり気をつかわなくていいっていうか……」

「何を言ってるの。わたしのせいで魔力切れになったんだから、気をつかうのは当然のことよ。むしろ、もっと早く来るべきだった」

「そりゃあ、お前も自宅療養してたんだから、仕方ないだろ」

「まぁ、そうなんだけど……」

 不服そうに唇を噛み締めるカタリナ。

 彼女が負った怪我はそれほどひどくなかったが、ナーガの毒を受けてしまったこともあって、大事を取って数日間、自宅療養することになったらしい。

 カタリナは「大丈夫だ」と突っぱねてギルドに現れたらしいのだが、ガーランドが強制的に自宅に連れて行ったのだとか。

 その気持ちはわからないでもない。

 なにせカタリナは、国王から「聖騎士」の称号を得るような一流の冒険者なのだ。

 状況が悪かったとはいえナーガに遅れを取るようなことになって、相当悔しかったに違いない。

 まぁ、だからといって無茶はしてほしくないし、仮に俺がガーランドの立場だったとしても、強制的に自宅療養させるけれど。

「……ねぇ、ピュイくん」

 何の前触れもなく、おもむろにカタリナがぽつりと言った。

「あの洞窟で、通りかかった冒険者に助けられたとき、なんだけど……」

「通りかかった冒険者? ……ああ、あの人たちにはちゃんと礼はしておいたぞ。ガーランドが会いに行ってくれたらしいけど、俺も回復したら改めて礼を言いに──」

「いや、そういうことじゃなくて」

 カタリナが割って入る。

「あのとき、わたしが言ったこと……聞こえてた?」

「……えっ!?」

 ドキリとしてカタリナを見た。

 彼女は器を両手で抱えて、恥ずかしそうにうつむいていた。

 わたしが言ったこと──。

 多分、アレのことだろう。

 俺は手ぬぐいでヤバいほど出てきた手汗を拭いて心を落ち着けさせてから答える。

「ま、まぁ……なんとなく」

「そう」

 それだけ返すと、カタリナはふたたび野菜スープを食べ始めた。

 会話はそこで終わってしまったので、俺も野菜スープに戻る。

 しばらく俺たちの咀嚼音だけが、部屋の中に広がる。

 消化に良い料理を食べているはずなのに、消化不良感が拭えなかった。

 この反応を見るかぎり、多分俺が想像していたとおり「好き」と言った可能性が高い。

 それはそれで、なんていうか安心したというか嬉しくもあるけれど……「そう」で終わりなのか!?

 もっとこう……気持ちを確かめ合うとか、そういうこと、しないの!?

 ちらりとカタリナを盗み見ると、彼女は肩を丸めて少しだけ頬を緩めていた。

(そっか。聞こえてたのか……)

「……」

 その心の声に、大混乱に陥ってしまう俺。

 ちょっとまって。どういう反応なんだ、それ。 

 全然わからんのだが、もしかしてそれが一般的に言う「好きという意思の確認」ってやつなのか?

 直接返事をしなくても、「好きです」という意思を否定しない限り同意したとみなされるとか?

 そういう慣れ合いな感じでお付き合いに発展するのが、今どきのリア充なのかもしれない。

 てことは、俺とカタリナはそういう関係になった──。

「……いいや、待て」

 俺はスプーンをギュッと握りしめて考える。

 口に出して確認したわけではないので、全くの見当違いという可能性も否定できない。

 カタリナは「聞こえたか?」と尋ねてきたのだ。「好きと言ったかどうか」については言及していない。

 これは、よくある罠の可能性が大だ。

「……ん?」

 ふと、視線を感じて顔を上げると、カタリナがチラチラとこちらを伺っていた。

(……何も言ってこないってことは、オッケーってことでいいのかな? わたしたち、そういう関係になっていいってこと……なのかな?)

 チラ……チラチラチラ。

 完全に挙動不審に陥ったカタリナさんは、ボッと音が聞こえたかと思うくらいに顔を真っ赤に染め上げた。

(ええええっ!? ウソ!? ちょっとまって!? じゃ、じゃあ、わたしたち、イチャイチャしちゃっていいってこと? 何も隠すこと無く!? いまから家デートやっても……って、そんなことできるわけあるか〜い!)

 気をつけてカタリナさん! 気持ちが昂りすぎてキャラが崩れていますよ!

 こちらに気取られないように、うつむいたまま野菜をもくもくと咀嚼するカタリナだったが、わかりやすくニヤついている。

 全く。可愛いヤツめ。

 こっちまでニヤついてしまうだろうが。

 とはいえ、言質は取れたようなものだ。

 これで長かったカタリナの胸中デレとの戦いにも終止符が打たれ、俺の心の平穏は保たれる。

 ここまでカタリナの胸中デレに耐えてきたのは、その先にパーティ解散という悲劇が待ち構えていたからだ。

 しかし、カタリナとそういう関係になってしまえば、もう胸中デレに怯えなくてもよくなる。

 ぶっちゃけ、イチャイチャしてしまえばいいだけの話なのだ。

 いや、それはそれで恥ずかしいんだけどさ。

「な、なに笑ってるのよ」

 自分のことは棚に上げて、俺を指摘するカタリナ嬢。

「あ、いや、だってお前が──」

 と、俺は口に出しかけた言葉を慌てて飲み込んだ。

 危うく「心の中でデレまくってるからさぁ?」と言いかけてしまったけど、それは出しちゃダメだろ。

 間接的に想いを確認しあったとはいえ、心の声が聞けることを話したらアウトだ。いくらカタリナとはいえ「え、心の声聞こえるってキモい。最低。パーティ抜けるわ」になってしまう。

 そうなってしまったら、またたく間に俺のスキルの噂は広がって、パーティ解散の危機が──。

「……ちょっと待て」

 そして、俺はようやくそのことに気づく。

 確かにカタリナは「わたしたち、そういう関係でいいの?」と言っていたし「イチャイチャしたい」みたいなことを言っていた。

 だけど──全て心の中でだ。

 カタリナは、ここまでひとことも口でデレるようなことは言っていない。

 それを考えると、今後も素直にデレてくるとは思えない。

 表面上は「近づかないで」とか「本当にクズね」とかツンツンしながら、心の中で「好き好き大好き」とデレるだけ。

 そう。これまでと同じように。

 すっと、顔から熱が引いていった。

 あれ? これって、な〜んにも状況は変わっていないのでは?

 そういう気持ちを確認しあったところで、俺の読心スキルがバレたらパーティ解散してしまう状況は変わっていないのでは!?

 ふ、ふざけるな!

 じゃあ、何だ!? 

 俺は今まで通りカタリナの胸中デレに耐えながら、生殺しみたいな生活を続けるしかなくて────。

「この部屋から美味しそうな匂いと恋バナの匂いがしますっ!」

「……っ!?」

 絶望していた俺の耳をつんざいたのは、ドアが蹴破られる音と、女性の怒鳴り声。

 ギョッとして玄関を見た俺の目に飛び込んできたのは、銀の髪に赤い瞳をした背の小さい女の子だった。

「……ああっ!? ずるいですよピュイさん!? 依頼休んでるのに、ひとりで美味しそうなもの食べて! 王冠祭りのときも、わたしたちに秘密で蜂蜜漬けを食べてましたし、たまにはわたしにも美味しいものをってあれカタリナさんがいる」

「……」

 そこに立っていたのは、我がパーティに所属する精霊魔術師であり、天然ボケの代表でもある、モニカそのひとだった。
「いきなり何をやっているんだお前は。少しは礼儀をわきまえろ」

「むぎゅっ」

 ダイナミック入室してきたモニカが、後ろから巨大な手に掴まれた。

「いきなりすまんな、ピュイ」

「ガ、ガーランド」

 モニカの後ろに立っていたのはガーランドだった。

 彼もまた、いつものプレートメイルではなく、葡萄酒色のシャツに黒いパンツ、革のブーツという普段着だ。

「モ、モニカさん……っ」

 そんなガーランドの横から、サティが慌てて飛び出してきた。

 彼女もいつもとは違う普段着──だと思ったけど、目元を隠している仮面にフード付きの黒いジャケットという、いつもと変わらない格好だった。

 くそう。サティの普段着が見れると少し期待したのに。

 サティは、モニカの腕を掴んで俺に頭を下げる。

「す、すみませんピュイさん。ちゃんとノックをしてから入ろうと思ったのですが、美味しそうな匂いを嗅ぎつけたモニカさんがいきなり……」

「ああ、そういうこと」

 カタリナの料理の匂いに釣られたらしい。

 王冠祭りのときにはちみつ漬け食べられなかったことを未だに根に持ってるし、意外と食い意地が張っているのかもしれない。

 そんなモニカは、偉そうに「むん」と胸を這ってのたまう。

「爆炎魔術で扉をふっ飛ばさなかっただけ、良識があるってもんですよ」

「うん、礼儀作法以前の問題」

 なんてことを言いやがる。

 こんなところで爆炎魔術ぶっ放したら建物がなくなるわ。

「それで、何だよいきなり? 揃いも揃って」

「うむ、そろそろ頃合いかと思ってな」

 そう答えたのはガーランドだ。

「これから『対策会議』をするぞ」

「対策会議? 何のだ?」

「5日後に迫った冒険者試験の対策に決まってるだろう。Cランクの冒険者試験は俺たち全員が通ってきた道だからな。少なからずアドバイスはできる」

 笑うドラゴンのメンバーは、俺以外全員がCより高いランクを持っている。

 つまり、数日後に控えたCランクの冒険者試験の経験者ということだ。

 彼らの経験から、試験の対策を練ろう……ってことなのだろう。

 ありがたい話ではあるけれど、聞いた所によると冒険者試験はランダムに選ばれた受験者3人でパーティを組んで、出された依頼をこなすという内容らしい。

 そんな内容なのに、対策ができるのだろうか。

「まぁ、いいや。とりあえず上がってくれよ。丁度カタリナも来てるし」

「む? カタリナが?」

 ガーランドが俺の肩越しに部屋を覗く。

 それを見たカタリナが、びくっと身をすくませた。

「どうしてお前がここにいる? 今日は何か用事があるとか言ってて──」

「とと、とりあえず早く上がりなさい! ほら、たくさん『こーらるぴ』のスープも余ってるし!」

「コールラビな」

「……っ! うるさいっ!」

 耳先まで顔を真っ赤にするカタリナ。

 よく分からんけど、カタリナはガーランドには秘密で見舞いに来てくれたってことなのだろう。

 さっき「ウソだけど」みたいなことを心の中で言っていたけど、マジだったのね。

「それでは、お邪魔しま〜す」

「し、失礼します……」

 モニカを先頭に、サティとガーランドが部屋に上がる。

 モニカとガーランドが物珍しそうに俺の部屋を見ている間に、サティとカタリナがキッチンに行って3人分の野菜スープを準備する。

 それをしみじみと傍観する俺。

 部屋にこんなに多くの客が来るのははじめてなので、なんだか異様な光景だ。

 そういえば人数分の器、あったっけ? と心配になったけど、サティたちは俺もはじめてみるような大小様々な器を運んできた。

「でも、すっかりピュイさんも回復してるみたいで安心しましたよ」

 一番デカイ器を手にとったモニカが、野菜をがっつきながら言う。

 サティが控えめにスープをすすりながら、こくりと頷いた。

「そ、そうですね。ピュイさんがいないと、なんだかパーティに締まりがないというか、背中が不安というか……」

 笑うドラゴンには盾役のガーランドとAAクラスのカタリナがいるので、回復魔術師が活躍する場面はそうないけれど、いないと不安になる心理はよくわかる。

 実際、「全然役に立ってないから」と回復魔術師をクビにしたパーティが、次に受けた依頼で全滅した……なんて話はたまに聞くし。

 ガーランドが渋い顔を作って唸るように言った。

「しかし、後遺症が癒えてから言おうと思っていたのだが、ピュイはもっと言うべきことはしっかり口に出して言うべきだと思うぞ?」

「……は? 十分口にだしてるだろ」

 このクソ天然娘とか、脳筋野郎とか。

「軽口は叩くが、お前は大事なことをひとりで抱える癖がある。今回も、運良く冒険者が通りかかったから良いものの、一つ間違えれば命を落としていたかもしれん。実績作りは俺たち全員で行くべきだった」

「……うぐ」

 ぐうの音も出なかった。

 あの場にサティがいたら身軽さを活かして上にあがることができたかもしれないし、モニカがいたら集団で襲ってきたナーガたちも一瞬で倒せただろう。

 盾役のガーランドがいたら、カタリナが怪我を負うこともなかったはずだ。

「そうですよピュイさん。だまってカタリナさんと行くなんて、足臭すぎます」

「……」

 多分モニカは「水臭い」と言おうとしたのだろうけど、場の真剣な空気を読んでスルーすることにした。

「ピュイさんのためなら、オフ日でも動きますよ。わたしたち」

「サティ……みんな……」

 3人の申し出に、なんだか胸が熱くなってしまった。

 確かにガーランドが言う通り、俺は他人に迷惑がかかりそうなリスクのあるものに関しては、ひとりで抱え込む事が多い。

 この前のモヤモヤの件も然りだ。ひとりでどうにかしようとしていたけれど、いざ相談してみればあっという間に解決した。

 ひとりで抱えるには手に余ることなら、みんなに相談するべきだ。命を預けあっている仲間であるならなおさら。

 まぁ、俺の読心スキルみたいなリスクが大きすぎることは仲間だからこそ話せない部類のものではあるけど、それ以外のことは積極的に話すようにしたほうがいいのかもしれない。

「わかった。今回の件は完全に俺のミスだ。反省してる。次回からは、ちゃんとみんなに相談することにするよ」

「うむ。そうしてもらえるとありがたい。ピュイだけじゃなく、他のメンバーもなにかあれば腹を割って話しあうようにしよう。今回の件がいいきっかけだ」

「あ、それ、いい考えですね!」

 モニカが元気よく手を挙げる。

「はい! じゃあわたし、おかわりのスープ欲しいです!」

「そこは自重しろ」

 食い意地がはりすぎだろお前。

 これは俺のためにカタリナが作ってくれたんだぞ。

 しかし、カタリナが笑顔で言う。

「大丈夫よ。まだたくさんあるし。自由におかわりしていいわよ」

「やたっ!」

 モニカが嬉しそうにキッチンに走っていく。

 それを見送ってから、ガーランドがカタリナに確かめるように言った。

「カタリナも言いたいことがあったら何でも言ってくれ。不平不満、なんでも聞くぞ?」

「え? ……う、うん。ありがとう」

 カタリナは小さく頷き、チラリと横目で俺を見る。

(ピュイくんとも、もっと言いたいことを言えるようになったほうが良いのかな?)

 そして、そんなことを心の中で囁く。

 そういう関係になるに越したことはない。多少なりとも心の内を話せたら、突然の胸中デレに悶絶することも少なくなりそうだ。

 この話しの流れだったら、カタリナに「これからは腹を割って話そう」と言っていいかもしれないな。

 そう思った俺は、カタリナにそっと耳打ちする。

「なぁ、カタリナ……」

「な、何よ?」

 カタリナはギョッと身をすくめる。

「俺たちも、もう少し言いたいことを言い合えるような関係になろうな?」

「……えっ?」

 カタリナが、ほんの一瞬息を止める。

 そして、目をパチパチと瞬かせた。

(そ、それってどういうこと!? まさか……結婚しようって意味!?)

「……っ!」

 思わずカタリナの頭を叩きそうになってしまった。

 全っ然違うから!

 てか、なんで言いたいことを言う関係が結婚と結びつくんだよ!

 お前の頭はどういうしくみになってんだ! そういう方向に誤認識しないと死んじゃう病気にでもかかってんのか!?

 カタリナはしばらく目をキョロキョロをさまよわせて、かすれる声で言った。

「ま、まぁ、検討してあげてもいいけど……」

「ああ、ぜひ前向きに頼む」

 俺の心の平穏のために。

 そんなことを話していると、モニカが大盛りの野菜を器に入れて戻ってきた。

 しかし、どうやらスプーンを落としてしまったらしい。

 彼女が申し訳なさそうに声をかけてきた。

「すみませんピュイさん、代えのスプーンってありますかね? 落としちゃったみたいで……」

「あ〜……多分もう無いと思うから、俺の使い終わったやつを洗って使ってくれ」

「え、やだ。変な病気が移るじゃないですか。ピュイさんの使えっていうなら、落ちたやつ使います」

「……てめぇ、俺のスプーン、洗わずに使わせたろか」

「ぎゃっ! やめてください! それ以上近づくと、爆発させますよ!」

「何を!?」

 まさか俺の部屋で爆炎魔術をぶっぱなす気じゃないだろうな!?

 大地に根を張る大木のように全く動じずにスープをすすっているガーランドと、オロオロと俺たちを不安げに見ているサティの周りで、やいのやいのと騒ぎ立てる俺たち。

 と、そのとき。

「…………好きだよ、ピュイくん」

 カタリナがぼそっと俺の名前を囁いたような気がした。

 だが、モニカのわめき声のせいで上手く聞き取れなかった。

「え? いま、何か言ったか?」

「な、なにも言ってない! そ、それよりも、ほら、はやくモニカの代わりのスプーンを探しなさいよ! 冒険者試験の対策会議をやるんでしょ!?」

「はいはい、わかったよ」

 あるかどうかもわからないって言ってるのに。

 というか、なんだよチクショウ。

 さっきまであんなに優しかったのに、なんだか急に扱いが酷くなってないか?

 これだったら、しばらく魔力切れの後遺症で苦しんでいたほうがマシじゃないか。

 カタリナが毎日料理作りに来てくれるだろうし。

「……マジで通い妻かよ」

 思わずニヤけてしまう俺。

 しかし冷静に考えて、なんだか恥ずかしくなってきた。

 てか、通い妻ってなんだよ。軽く引くわ。

 カタリナのお花畑思考が移ってしまったのか、と自分にツッコミを入れてしまうくらいにキモい。

 ちらりとカタリナを見ると、なぜか頬を赤く染めている彼女にプイッっとそっぽを向かれた。

 それを見て、重い溜息をひとつ。

 こりゃ、言いたいことを言えるようになるまで、相当時間がかかりそうだな。

 しばらく胸中デレ地獄に耐え続ける日々が続きそうだ、と軽く絶望してしまった俺は、重い足取りでとぼとぼとキッチンへと向うのだった。

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役立たず転移者、チート魔剣で異世界を謳歌する

総文字数/32,100

異世界ファンタジー8ページ

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