パーティの美人女剣士が塩対応なんですが、読心スキルで俺にだけデレているのがまるわかりなんです

 カタリナと装具店に行く約束をした日──



 俺が待ち合わせ場所に選んだのは、ヴィセミルの中央広場にある「領主ルイデ像」の前だった。



 領主ルイデの権威の象徴とも言えるこの像は、巨大な台座の上に立っていて目立つために、定番の待ち合わせスポットとして街の人々に親しまれている。



 つまり、簡潔に言えば、街のカップルどもが待ち合わせによく使う場所なのだ。



 そんなところを待ち合わせ場所に選んだのは、街の東地区にある「リーファ装具店」が近いからなのだが──ちょっと失敗だったかもしれない。



 今日は平日なのでクソカップルはいないだろうと高をくくっていたけど、至るところでカップルがイチャついてやがるのだ。



 これは一体どういうことだ? 



 もしかして、今日は教会の祝日なのか……と思ったけど、ここに来る前にガーランドたちの出発を見送ったのでそんなことはありえない。



 教会の祝日はギルドが休みになってしまうため、冒険者も強制的に休まざるを得なくなるのだ。



「ピュイくん」



 ルイデ像の下でクソカップルどもを睨みつけていると、俺の名を呼ぶ女性の声がした。



 颯爽と現れたのは、カタリナだった。



 周囲にいる男どもから、感嘆のため息が漏れる。



 俺も歩いてくるカタリナの姿に、つい見蕩れてしまった。



 なんというか……カタリナはいつもより、メチャクチャ華やかな格好だった。



「待たせちゃったかしら?」



「いや、俺もいま来たところ、だけど……」



「なによ?」



「いや、なんつーか……気合入ってんなぁって思ってさ」



 銀の髪は綺麗な装飾が施された髪留めでまとめられ、サイドにスリットが入ったボディラインがくっきり見える白いドレスを着ている。



 さらに、膝上まである白いブーツを履いていて、昨日とは違う意味でのフル装備といえる。



 はっきり言って、マジでどこぞの令嬢かと思うくらいに綺麗なのだが……こいつ、これから貴族の晩餐にでも行くつもりなのか?



「あなたが気合入ってなさすぎなのよ。何よその格好」



 カタリナが胡乱な目で俺を見る。



「何って、普通だろ」



「それが普通なら、あなたは街の南地区に住む貧しいひとたちよりも貧素な暮らしをしている『超絶極貧者』ということになるわね。なんなら、教会に相談してみたら? 手厚い施しを受けられるんじゃない?」



「手厳しいな!」



 これは俺の一張羅とも言える古着屋でまとめ買いしたチュニックとズボンだぞ。



 その総額、3着で銅貨3枚。



 多分、カタリナの髪飾りより安いと思う。



「というか、これから誰と何処にいくのかわかってるの? このわたしと、服飾店にいくのよ?」



「服飾店じゃなくて、装具店な」



「……っ! 似たようなものでしょ!」



 全然違うわ。



 これから行くのは鎧を修繕する店で、ドレスを買いに行くわけじゃないんだぞ。



「本当にもう……どうしてわたしがあなたと服飾……じゃなかった、装具店になんて行かなきゃいけないのよ(う〜、楽しみすぎて昨晩は全然寝れなかったけど、肌荒れとか大丈夫だよね? 服装も変じゃないわよね?)」



 なるほど。



 楽しみ過ぎて気合が入りすぎちゃったわけね。



 可愛いな、カタリナさん。



「ま、いいや。とりあえず店に行くか……てか、胸当てはどうした?」



「そこの荷馬車に積んでるわ」



 カタリナが視線を送った先にあったのは、行商人が使っていそうな荷馬車だった。



 一頭の馬で引く比較的小さいサイズの荷馬車だが、それでもこんなものを持っている冒険者なんて聞いたことがない。



 パーティメンバーの私生活には首を突っ込まないようにしてるけど、こいつ、相当金を持ってんだなぁ。



 まぁ、国王から「聖騎士」の称号を与えられるくらいの冒険者だし、貴族から晩餐に呼ばれるくらいだから、当たり前か。



「早く行くわよ。なぜだか注目を浴びてるみたいだし」



「そりゃ浴びるだろうよ」



 そんな格好して浴びないほうがおかしいわ。



 カタリナには荷馬車に乗ってもらい、俺は彼女の従者かのように馬を引きながら、街の東地区へと向かった。



 ヴィセミルは大きく4つの地区に分かれている。



 領主や貴族、聖職者たちが住む北地区。



 肉体労働者や貧困層が住む、南地区の旧市街。



 冒険者ギルドや酒場をはじめとした様々な店が軒を連ねている西地区。



 そして、職人や魔術師が住む東地区だ。



 街の東側を流れるクオン河の支流にかけられた橋を渡って、東地区に入る。



 東地区は、錬金術の生成に使う薬やハーブの匂いや、槌の音が充満していて独特の雰囲気がある。



 魔力の回復に使うポーションが売ってる錬金屋には昔からよく足を運んでいるが、この雰囲気は未だに好きになれない。



「……よし、ついたぞ」



 荷馬車を止めたのは、鎧と金槌のイラストが描かれた看板を掲げている店の前。



 ここが「リーファ装具店」だ。



 荷馬車から胸当てを持って店のドアを開ける。



 店内にはずらりと様々な鎧が飾られていた。



 カタリナがつけているような胸当てから、軍隊で使う全身を覆うフルプレートメイルのようなものまである。



 そういえばリーファは東地区にいる鍛冶職人とギルドを組んで、領主相手に商売をしているって言ってたっけ。



 この鎧は、そのときに作ったものなのかもしれないな。



「いらっしゃい」



 カウンターで鎧を分解している髭面の男が声をかけてきた。



 ガーランドほどじゃないけれど、冒険者をやっていたら前衛を任せられそうな筋骨隆々の大男。こいつがこの店の店主、リーファだ。



「……って、なんだよ。ジェラルドかよ」



 リーファは俺を見るなり、がっかりとした顔を作って作業に戻った。



「ツケの期限は来週のはずだろ。何しに来やがった」



「おいおい。今日は上客を連れてきたってのに、その言い草はないだろ」



「は? 上客?」



 胡乱な目でこちらを見るリーファ。



 俺の後ろにいるカタリナを見た瞬間、まんまるく目を見開いた。



「カッ、カカカ、カタリナ・フォン・クレール……さん!?」



 リーファは慌ててカウンターの向こうから走ってくると、俺を強引に押しのけてカタリナに恭しく頭を垂れた。



「ようこそおいでくださいました! あなたのお噂はかねがね……」



「こちらこそ。あなたのことはピュイくんから聞いています。なんでも、街一番の鎧職人だとか」



「ま、街一番!? ありがとうございます!(ああ、カタリナさんから褒められるなんて、俺は今日死ぬのかもしれんな……てか、綺麗すぎだろっ! いい匂いだしっ!)」



 リーファはカタリナからおだてられて、わかりやすく鼻の下を伸ばす。



 そんなリーファが、突然、俺の首を腕でガッチリ捕まえてきた。



「……お、おいジェラルド! ちょっとこっちに来い!」



「うおっ!?」



 俺はそのまま少し離れたところにズルズルと連行されてしまう。



 こいつ、相変わらずの馬鹿力だな。



「な、なんだよ。いきなり」



「なんだよ、じゃねぇよ! なんでお前みたいなクソ底辺冒険者がカタリナさんと一緒にいるんだよ!?」



「クソ底辺言うな」



 底辺なのは間違いないけどさ。



「リーファには話してなかったけど、俺とカタリナは同じパーティなんだよ」



「お、同じパーティだと!? お前、ガーランドと組んでたパーティはどうした!?」



「そのパーティだよ。そこにカタリナが加入したんだ」



「冗談だろ……。今年一番の衝撃事実だぞ」



 リーファが店内に飾られている鎧を眺めているカタリナを盗み見る。



 まぁ、そういう反応をして当然だ。カタリナの噂を知ってる人間からすれば、「国王の娘がパーティに加入しました」レベルの衝撃だろうからな。



 さらに、そのカタリナが俺に心の中でデレまくってるなんて知ったら、多分ショック死するだろうな、こいつ。



「お前、運が良いのはポーカーだけじゃなかったんだな」



「ポーカーは運じゃねぇ。実力だ」



 これだから素人は。



 ポーカーは戦略が物を言う頭脳戦なんだぞ。



「とにかく、カタリナが使ってる胸当てを修繕してほしいんだ。だいぶデカイ亀裂が入ってるけど、お前ならなんとかできるだろ?」



「まぁ、大抵のモンはなんとかできる。相応の金はかかるけどな」



「ツケの一部を修繕費に回すから安くしろ」



「……クソ、またそれかよ。この前ガーランドのプレートアーマーを破格で修繕してやったばっかじゃねぇか」



 リーファが頭をガジガジとかきむしる。



 なんだか脅迫してるみたいだが、ポーカーの賭け金をツケてやってるのは俺のほうなのだ。恨むなら、自分のポーカーの腕を恨んでくれ。



「わかったよ。とりあえずモノを確認するから、しばらく店内で待っててくれ」



「助かる。よろしく頼むぜ」



「あ〜、そういや、カタリナさんにピッタリのセクシーなキルトの下着が入ってるけど──」



「くだらねぇこと言ってないで、さっさと作業にかかれアホタレ」



 リーファのケツを蹴り飛ばす。



 装具店なのに、なんで女性向けの下着を仕入れてんだよ。「専門外の商品を扱うな」って服飾ギルドのヤツらから叱られるぞ。



 そのセクシーな下着はすご〜く気になるけどさ!



「……ねぇ、大丈夫そう?」



 カタリナが声をかけてきた。俺は小さく頷く。



「ああ。とりあえずモノを見てもらってる。修繕費がどれくらいかかるかは見てみないとわからんらしいが、安く抑えてくれるってさ」



「ホント? それは助かるわね」



 と、そんなことを話していると、店の外から子供の声が聞こえてきた。



 何気なく見た窓の外を、子供たちがはしゃぎながら走って行った。



 服装をみるに、南地区の子供だよな。

 

 この時間、南地区の子供は市場や職人のもとで働いているはずだけど、なんで遊んでるんだろう。



「……なぁ、リーファ。なんか今日って、妙に街に人が多くないか? ルイデ像の周りにもたくさんいたし」



「あん? そりゃそうだろ」



 何気なく尋ねてみると、「くだらない質問をするな」と言いたげに、リーファがめんどくさそうに答えた。



「今日は年に一度の『王冠祭り』の日だからな」
 王冠祭り。



 「タールクローネ」とも呼ばれるその祭りは、ヴィセミルだけではなく王国全土で行われている、いわば国を代表する祭りだ。



 元々は初代国王の戴冠を祝ったものだったが、長い年月を経て形が変わり、国民の祝日になった。



 なので、祭りでは国王の戴冠にちなんだ催し物を行う。



 その最たるものが「王冠行進」と呼ばれるものだ。街の人々が各々自由に王冠を模したものを頭につけ、大通りを練り歩くのだ。



 そこで主役になるのが街の子供たち。



 初代国王は10歳で王の座についたため、王冠をつけた子供にはお菓子をプレゼントするというしきたりがある。



 普段はお菓子などあまり口にできない南地区の貧しい子どもたちも、この日は大量のお菓子を手にすることができるので、夢のような1日なのだ。



 王冠行進で街をひととおり練り歩いたあとは、吟遊詩人を先頭にりんごを咥えた豚の頭とソーセージをつなげた貢物を領主に献上しに行って祭りは終わる。



「へぇ……そんな祭りがあったのね。全然知らなかったわ」



 一通り俺から王冠祭りのことを聞いたカタリナが驚いたように目を丸くした。



「この街に来て数年が経つけど、見かけたことすらなかった」



「まぁ、仕方ないだろ。年に1回の祭りだし、依頼で街を離れていたらあったことすらわからずに終わるだろうし」



「ピュイくんは毎年参加してたの?」



「俺? いや全然。てか、存在自体忘れてた」



 俺はこの街に来て8年が経つが、参加したのは街に来たばかりで暇だったときの1回だけだ。



 それからは冒険者の仕事で街を離れることが多くなって、参加するどころか、すっかり祭りの存在すら忘れてしまっていた。



「……呆れた。由緒ある祭りなんだから、ちゃんと覚えときなさいよね(そんな祭りがあるなら、ピュイくんと一緒に行きたかった……)」



「……」



 心の声に悶絶してしまう。



 なんだお前。意中の相手をうまくデートに誘えない、ウブな乙女か。



 ……いや、正真正銘、ウブな乙女なんだけどさ。



「待たせたな」



 そんなことを話していると、リーファが胸当てを持ってやってきた。

 

 どうやら損傷箇所の確認が終わったらしい。



「まず手をつけるべきはここのデカい亀裂だが、その他にも細かいのがたくさん入っていて、全面的に修繕が必要だな。費用はとりあえず材料を仕入れてみてからだが……まぁ、大体スピネル銀貨10枚ってとこだ」



「銀貨10枚……」



 ぽつり、とカタリナがささやく。



 流石に鎧の修繕で銀貨10枚はカタリナにとってもデカい金額なのかもしれない。

 

 まぁ、全額パーティで負担するのでカタリナが気にする必要はないのだけど。



「ああ、安心してくださいよカタリナさん。今回は銀貨1枚にまけますから」



「……えっ? そ、そんなに!? だ、大丈夫なの!?」



 流石に驚いた様子のカタリナ。 



 銀貨1枚は銅貨10枚なので、銅貨90枚の値引き。



 俺たちがいつも受けているDランクの依頼報酬がひとりあたり銅貨5枚くらいなので、依頼18回分だ。



 うん、値引きってレベルじゃない。



 実際は値引きじゃなくて、リーファが俺にツケてるポーカーの賭け金の銀貨20枚から補填するんだけどな。



「大丈夫です。こいつのパーティにいる人間は特別価格なんです」



 リーファが俺のケツを叩く。



 その衝撃で、思わず前につんのめってしまった。



 お前、腕力はガーランド並にあるんだからマジやめろよ。俺は貧弱魔術師なんだぞ。殺す気かよ。



「そ、そう? じゃあ、お願いします。修繕にはどれくらい時間がかかるのかしら?」



「一週間くらいですね。必要でしたら、変わりの胸当てを用意しますが、どうしますか?」



 この店がいいのは、代わりの鎧を用意してくれるところだ。



 もちろん貸してくれるのは使い古された中古品や質が悪い鎧だが、それでも無いよりはマシだ。



「ありがとう。じゃあ、そちらもお願いするわ」



「わかりました。カタリナさんに合うサイズがあるか調べるのに少し時間がかかるので──その間に王冠祭りにでも行ってみたらどうです?」



「え?」



「参加したことないんですよね? 王冠祭り」



 リーファがニヤッと笑った。



 こいつ、聞き耳立ててやがったのか。



「そうですけど、子供の祭りなんですよね?」



「いやいや、大人も十分楽しめますよ。広場にはたくさん屋台も出るので。俺も仕事が終わったら行くつもりです」



「屋台……?」



「ええ。食べ物が買える移動式の店舗ですよ。去年は、鶏もも肉を串に刺して焼いたものとか、豚肉を焼いたものをパンに挟んだものとか……ちょっとめずらしいものだと、レモンのはちみつ漬けなんかも出ますよ」



「レッ……」



 カタリナが、ぱっとこちらを振り向いた。



 その顔はなんていうか……おやつを前にした子供っぽくて、とても愛嬌のある可愛らしいものだった。



「……あ〜、行ってみるか?」



「仕方ないわね」



 カタリナは即答した。



 それはもう、凄まじい反応速度で。



 流石はAAクラス冒険者だ。



「ピュイくんがどうしても行きたいって言うなら、付き合ってあげるわ(行きたいです、行きたいです、絶対行きたいです、できるならピュイくんとふたりでっ!)」



 うん。心の中が正直で、ホント助かりますよカタリナさん。



 ま、心の声を聞くまでもなく、顔を見れば一発でわかったんですけどね!




 というわけで、急遽王冠祭りに参加することになった俺は、リーファに「今週末、金熊亭でポーカーやるからな」と伝えて、店を後にした。



 この前のガーランドの修繕費と合わせて、ツケがだいぶ減ってしまったので補充しておかないとな。



 リーファの店は、ある意味俺のパーティの生命線でもあるのだ。
 茜色に染まったヴィセミルの街は、ただならぬ熱気に包まれていた。

 カタリナと待ち合わせたときにちらほら見かけたカップルは更に増え、子供を連れた家族の姿もある。

 そして、その誰しもが頭に王冠のようなものをつけていた。

 帽子のような布生地で作ったものや、草花でつくった花冠……中には本物の王冠と見間違うような立派なものをつけ、仮装している人もいる。

 彼らは、これから始まる「王冠行進」に参加する人たちだろう。

 俺は別にいらないけど、気分を盛り上げるためにカタリナの分くらいは用意したほうがいいか?

 そう思って、カタリナを見たが──

(デート♪ デート♪ ピュイくんとお祭りデート♪)

 うん、全然気にかける必要はなかったな。

 しかし、カタリナの何がすごいって、頭の中はお花畑なのに表情は冷静そのものなのところだ。浮足立つ街の人々を見て、どこか呆れているような雰囲気すらある。

 服装が「これから晩餐に行く予定ですけど何か?」みたいな格好だから、余計にそう見えるのか?

 でも、こいつの場違いな服装が浮いているように感じないのは、仮装をしている人たちがいるからだろう。

 心の中と一緒に存在も浮かなくて良かったね、カタリナさん。

「ピュイくん、あれって本物なのかしら?」

 そんなカタリナが指差したのは、その王様に仮装している男性だった。

 んなわけないだろ……とツッコミかけたが、ニセ王様を見ているカタリナの目がキラキラとしているのでやめることにした。

 俺は空気を読む男なのだ。

「あ〜、そうだな〜。もしかすると、お忍びで街に来てるのかもしれないなぁ〜」

「……えっ!? ほ、ホントに!?」

 冗談で言ってみたが、カタリナは真に受けたらしい。

 見てるこっちが恥ずかしくなるくらいに、メチャクチャ興奮しはじめた。

「す、すごいっ! わたし、国王陛下を見たの、初めてかもっ!」

「ああ、ええと……俺も初めて見たわ」

「ちょっと挨拶に行ったほうがいいかしら!?」

「うん、やめとけ」

 色んな意味で驚かれるから。

 しかし、なんていうか純粋だなぁ。

 普段もこんな感じならいいのに。

 と、そんなことを話している間にも、周囲には王冠をかぶった人々がどんどん増えていく。

 彼らの楽しそうな雰囲気につられてか、次第にカタリナの空気も柔らかくなっていった。

「なんだか街の人たちの雰囲気がいつもと違うわね。こんなヴィセミルを見るのは初めてかも」

「この日を楽しみにしている人も多いだろうからな」

「そうね。きっとみんな、この日を待っていて……あっ!」

 カタリナが広場の一角を指差した。

「あれが、リーファさんが言ってた『屋台』ってやつ?」

「そうだな。でも、飯が買えるまでもう少しかかるんじゃないかな?」

 屋台で出すのは作り置きをしたものなので、そこまで時間はかからないだろうけど。

「ねぇ、ピュイくん。もしかすると料理を出してる屋台があるかもしれないから、一緒に探してみない?」

「え? あ、うん……まぁ、いいけど」

「よし、それじゃあ早速行くわよっ!」

「う……おっ!?」

 突然、凄まじい力で腕を引っ張られた。

 やめてくれカタリナ。

 お前の馬鹿力で引っ張られたら俺の腕がちぎれてしまう。

 というか、今日はやけにグイグイくるじゃないか。いつもの「ゴミはわたしに近づかないでくれる?」みたいな辛辣オーラはどこに行った。

 だが、そんな心の声が届くわけもなく、俺はカタリナに引っ張られながら広場を歩いて回ることになった。

 いくつか準備中の屋台をまわって、ようやく良い匂いが放たれているパン屋の屋台を見つけた。

 そこで売っていたのは、肉汁たっぷりの焼き豚肉とニンニクをパンで挟んだ、実に美味そうなサンドイッチ。

 価格はスピネル銅貨1枚。

 街のパン屋で売っているパンで銅貨1枚だから、破格といえば破格だ。

「なんだか美味しそうね」

「じゃあ、食ってみるか」

 俺は店主に銅貨2枚を渡して、サンドイッチをふたつ貰った。

 そのひとつをカタリナに渡す。

「……え? いいの?」

「はじめての王冠祭りだろ? これは祭りの先輩からのおごりだ」

「な、なによカッコつけちゃって。自分も数年ぶりのくせに(ありがとうピュイくん。すごく嬉しい……)」

 カタリナの心の声に、俺の口元が軽く緩んでしまう。

 なんだよ。サンドイッチひとつでそこまで喜ぶなんて。

 あと3つくらい買ってやろうか?

「いただきます」

 カタリナは感慨深げにサンドイッチをじっと見つめたあと、控え目にはむっと
かぶりついた。

 危うく口から落ちかけた肉汁を薬指でそっと拭って、手のひらで口を隠しながらもくもくと咀嚼する。

 なんだかすっごい上品な食べ方だな。

 サンドイッチが高級料理に見えてきたぞ。

「……あ、おいしい」

 驚いたようにカタリナが目を見張った。

 俺もひとくち頬張る。

 ジューシーな肉汁たっぷりと豚肉とニンニクの辛味が良い感じに混ざっていてメチャクチャ美味い。

「こりゃ美味いな。ま、貴族の晩餐に出る料理には勝てないだろうけど」

「そんなことないよ。そもそも、あっちは料理を味わう余裕なんてないし」

「え? 余裕がないって……もしかしてお前でも緊張してたりするのか?」

「……してない(……緊張してるわよ。だって、相手は上流階級の人たちだもん)」

 じとり、と俺を睨みつけるカタリナ。

 どうやら図星だったらしい。

 てっきり辛辣オーラで男を近づけず、晩餐の料理を食べまくってるのかと思っていたけど、そうじゃなかったのか。

「でも、ホントおいしい。今度から依頼のときに持っていく携帯食、これにしようかしら」

「残念だけど、それは王冠祭り限定品だ」

「え」

 カタリナは愕然とした表情で固まってしまった。

「そこはあなたのコミュ力でなんとかしなさいよ」

「できるわけねぇだろ」

 俺は領主じゃねぇんだぞ。

「食べたいなら、また来年だ」

「……残念だけど、仕方ないわね」

 そう言って、カタリナは記憶にこの味を刻みつけるように黙々と豚肉サンドイッチを口に運んだ。

 俺たちがサンドイッチを食べ終わったころには、広場に多くの屋台が出来上がっていた。

 リーファが言っていた「肉を串に刺して焼いたもの」や、ソーセージを焼いたもの。

 果物の切り売りや、色鮮やかなお菓子。

 中には酒ダルを持ってきて、エールを売っている屋台もある。

 食べ物の他には、職人が作った王冠のレプリカや、仮装用の衣装、中には藁で作った人形なんかも並んでいる。

「んじゃ、そろそろメインディッシュを探しに行くか」

「え? メインディッシュ?」

 カタリナが首を傾げた。

「忘れたのかよ。レモンのはちみつ漬けだよ」

「……あっ!」

 カタリナの顔にぱっと花が咲く。

 しかし、すぐにプイっとそっぽを向いてしまった。

「べ、別にそこまで食べたいってわけじゃないから(うぅ……食べたいけど、食い意地が張ってる女みたいにみられるのは嫌だよぅ……)」

 今更かよ。と心の中でささやく。

 本当に手が焼けるな、こいつは。

「何勘違いしてるのか知らねぇけど、俺がレモンのはちみつ漬けを食べたいんだよ。だから、ちょっと付き合ってくれないか?」

 そう尋ねると、カタリナの表情が少しだけ柔らかくなった。

「仕方がないわね。本当に子供なんだから(もしかして、自分が食べたいことにして、わたしに気を使ってくれたの? 優しい……好き)」

「……」

 あの、心の中で俺の行動をいちいち解説しながらデレるの、やめてもらえませんかね。黒歴史を暴露されているみたいでメチャクチャ恥ずかしいんで。

「取りあえず、行こうか」

 凄まじい羞恥心に身悶えしながら、レモンのはちみつ漬けを探してカタリナと広場を再び歩きはじめる。


 人混みの中で泣いている小さな子供を見つけたのは、そんなときだった。
 年齢は5歳くらい……だろうか。

 つい目を止めてしまったのは、11年前に飛び出した故郷に残してきた妹にそっくりだったからだ。

 くりっとした目に三編みのおさげ髪。サイズが大きいぼろぼろの服。

 多分、着ているのは大人の服を流用したものだろう。北地区の子供は、ちゃんと体に合った服を着るので貧しい南地区の子か。

「すまんカタリナ、ちょっと待っててくれ」

「え? あ、ちょっとピュイくん?」

 カタリナを待たせて、少女の元へ走る。

「……どうした? 迷子にでもなったか?」

「っ!?」

 少女がビクリと身をすくませた。

 怖がられないように屈んで目線をあわせてから声をかけたが、怯えさせてしまったか。

「あ〜、いや、急に声をかけて悪いな。でも、そんな警戒するなよ。別にお前を連れ去ろうとか考えてるわけじゃない。両親とはぐれちまったのか?」

「……」

 しかし、少女は何も答えてくれない。

 参ったな。

 こんなことならモニカでも連れて来ればよかったか。

 あいつ、妙に子供に人気があるからな。

 多分、子供と同レベルの思考をしているからだと思うけど。

「その娘、迷子なの?」

 背後から声がした。カタリナだ。

「多分な。見知らぬ俺にビビってるみたいで、何も話してくれないけど」

「見知ってても、見た目が怖いから何も話さないでしょうね」

 手厳しいな! 

 ていうか、辛辣っていうより、ただの悪口だろそれ!

 こう見えても俺はガーランドの子供とかに人気あるんだぞ。おやつあげたりしてるから。

「カタリナって子供は得意か?」

「得意? どういう意味?」

「いや、なんつーか、子供相手が得意なら、こういう時に緊張をほぐして話を聞けたりするのかなって」

「バカにしないでくれる? わたしはカタリナ・フォン・クレールよ?」

 自信満々に胸を張るカタリナ。

 なんだか不安だが、そこまで自信があるなら任せてみるか。

 すっと前に出たカタリナは、少女を見下ろしながら言い放つ。

「そこのあなた、わたしに事情を話しなさい(こ、これでいいかしら?)」

「うん、やめろバカ」

 全然よくねぇよ。

 なんてことしてくれてんだ。さらに怯えちゃったじゃねぇか。

 少女はなんだか今にも走って逃げて行きそうな雰囲気だ。

 ここで逃げられたら、更に迷子になってしまいそうだ。

 なんとかして俺たちは怖くないってことを分かってもらわないと。

 でも、言葉で説明しても分かってもらえなさそうだし、冗談を言っても笑ってくれないだろうし──

「……あ、そうだ」

 ふとひらめいた俺は、少女の前に座ってポケットの中から銅貨を1枚取り出した。

「いいか嬢ちゃん? この銅貨がどっちの手に入っているか当てたら、良いものを見せてやるよ」

「……? いい、もの?」

 ぽつり、と少女が答えた。

 よし、少し興味を引けた。

「そうだ。すごく綺麗で、可愛いやつ」

「……うん、わかった」

 少女はこくりと頷くと、じっと俺の手を見る。

 俺は銅貨を右の手のひらで握って、両手を交差させるようにゆっくりと動かした。

 何の種も仕掛けもない、ただの子供だましだ。

 左手に銅貨が移動した……なんてことはない。

「さぁ、どっちだ?」

 俺は握りしめた両手を差し出す。

 少女はしばらく悩んで、右手をちょんと触った。

「おお、正解」

 右手を開いて、銅貨を見せる。

 瞬間──

「……わぁっ!」

 手のひらの銅貨が青白く輝き、小さな妖精が飛び出した。

 その妖精は、色々な花びらを振りまきながら少女の周りを飛び回る。

「あはっ! 妖精さん、待って!」

 少女は嬉しそうに妖精を追いかけ、その場でくるくると回りだす。

 捕まえようとする少女の手から逃れるように飛び回った妖精は、やがて空へと消えていった。

「……あ〜、消えちゃった」

「消えちゃったな」

「ねぇ、今の、オジサンがやったの?」

「オジ……」

 なんてこと言いやがる。俺はまだ25歳だぞ。

「あ、ああ、そうだよ。今のは俺の魔術だ」

「すごいっ!」

 キラキラとした羨望の眼差しを向ける少女。

 あれは昔から得意としている、手品のようなものだ。

 実際に妖精を召喚魔術で呼び寄せたというわけじゃなく、銅貨の中に含まれている銅成分と魔力を反応させて生み出した幻影だ。

 まぁ、この手品を使うと銅貨が1枚なくなっちまうのが少々痛いが、これを見て喜ばない子供はいない。

 この手品は、冒険者になる前に師事していた魔術師に教えてもらったものだ。あれから何年も使っていなかったけど……うん、まだ使えてよかった。

「今の……」

「ん?」

 ふと気づくと、カタリナが驚いた顔で俺の手をじっと見ていた。

「ああ、ただの手品だよ。子供だましだけど、中々いいだろ?」

「……ええ、すごく良いわね(……すごく、懐かしい)」

「……?」

 懐かしい? 

 カタリナも前に見たことがあるのか?

 まぁ、俺が考えた手品ってわけじゃなくて、師匠に教えてもらっただけだからな。ありきなりな手品なのかもしれない。

「ねぇねぇ! もう1回やって!」

 少女が俺のシャツを引っ張ってきた。

「いいぜ。でも、その前に事情を説明してくれないか?」

「ジジョウ?」

「そ。なんでこんなところにひとりでいるんだ?」

「……あ、そうだ。ええとね、ママとパパがはぐれちゃって」

「ママとパパがはぐれた?」

「そう」

 こくりと頷く少女。

 まぁ、はぐれたのは少女のほうだろうが、子供からしたら両親がはぐれたって感じなんだろうな。

 俺の手品ですっかり気をよくした少女は、俺に事情を説明してくれた。

 彼女の名前はパム。南地区に住んでいて、今日は家族3人で祭りに来た。

 初めての王冠祭りで「お菓子がもらえる」と興奮して走り出し、両親とはぐれてしまったらしい。

 話の途中で「パパはよくおならをする」とか、「ママはよく怒る」とかあっちこっちに寄り道をしていたけど、多分、そういうことだ。

「なるほどな。じゃあ、パムちゃん。一緒にママとパパを探そうか」

「ちょ、ちょっとピュイくん」

 慌ててカタリナが止めに入ってきた。

「人探しなら、街の衛兵に任せたほうがいいんじゃない? 彼らの専門だし」

「そうだけど、今日は祭りの警備に忙しいと思うぜ。それに、あいつらは面倒なことをやりたがらないからな」

 祭りの中での人探しなんて、面倒極まりない。

 やつらは「やっておく」と言っておきながら放置するのは目に見えている。

 下手をすると小銭を稼ぐために奴隷商に売られるかもしれない。そういう話は聞いたことがあるし、実際に何度も見てきた。

 だからパムの両親は俺が探してやるしかない。

「悪いカタリナ。ちょっと待っててくれないか? この子の親を見つけたら、レモンのはちみつ漬けを腹いっぱいおごってやるからさ」

「……何を言ってるの」

 カタリナは冷ややかな目で言う。

「わたしも手伝うに決まってるでしょ」

「え」

 意外な提案にギョッとしてしまった。

 俺の反応に慌てたのか、カタリナがまくしたてるように続ける。

「な、何よ。こう見えても、子供は得意なんだからね?(うぅ……すごく苦手だけど、困っている子供を放ってはおけないしな)」

 やはり子供が苦手だったらしい。

 さっきのやりとりでそうなんじゃないかとは思ってたけどさ。

 でも、苦手なのに手伝ってくれるなんて、いいヤツすぎるだろ。

 後で本当にレモンのはちみつ漬けを腹いっぱい食わせてやりたくなった。

「よし、じゃあみんなで探しに行くか」

「うん!」

 パムは元気よく返事をすると、俺とカタリナの間に入って手をつないだ。

 右手を俺に、左手をカタリナに。

「……っ」

 流石にこのシチュエーションは恥ずかしい。

 これじゃあ、なんだか──本物の家族みたいじゃないか。

「ち、ちょっと……っ」

 迷惑そうに顔をしかめるカタリナ。だが──

(な、な、なによこれっ!? なんだかパムちゃんが、わたしとピュイくんの子供みたいじゃない! 控えめに言って……最高のシチュエーションよっ! パムちゃんグッジョブっ!)

 ……うん、そういう反応になっちゃうよね。

 まぁ、ちょっと恥ずかしいけど、カタリナが喜んでくれるならこのままでいいか。
 パムと一緒に、とりあえず広場を周ることにした。

 広場の外周には、ルイデ像を中心に丸い円を描くように屋台がずらりと並んでいて、多くの人が行列を作っている。

 屋台から流れてくるのは、食欲をそそられるいい香り。

 そんな中を歩くのだから、腹が減るのは仕方がないことだろう。

 パムのお腹がグウと鳴いた。

「……あっ」

 彼女は俺の顔を見て「エヘヘ」と恥ずかしそうに笑った。

 つられて笑顔がにじみ出てしまう。

 なんだこのメチャクチャ可愛い生き物は。

「なんか食べるか?」

「えっ!? いいの?」

「まぁ、ひとつくらいなら」

 そう言った途端、カタリナからじっと睨まれた。

「な、なんだよ?」

「別に(ピュイくんって、年令問わず女性に優しいのね)」

 な、なんだお前、もしかして子供に妬いてんのか!?

 流石に対抗意識を持つ相手を間違ってるだろ。

 そんなカタリナの嫉妬にまみれた視線に見送られながら、俺は屋台に向かう。

 ざっと見たところ、子供が食べられそうなものはない。

 どうしようかと思案する俺の目に写ったのは──レモンのはちみつ漬けだった。

 カタリナも食べたいと言っていたし、これが良いな。

 すぐさま屋台に行き、3人分のはちみつ漬けを買った。

 カタリナの瓶には少し多めに入れてもらった。

「お待たせ」

 はちみつ漬けが入った小さい瓶をパムに手渡す。

 それを見たパムは、それはそれは嬉しそうに破顔した。

「うわぁっ! レモンのはちみつ漬けだっ! これっ……いいの!?」

「もちろん」

「あっ、ありがとうっ!」

 両手で大事に抱きかかえるように瓶を受け取るパム。

 それを微笑ましく眺めたあと、カタリナにも瓶を差し出した。

「……え?」

 カタリナは目をぱちぱちと瞬かせる。

「お前の分だよ」

「あ、ありがとう」

 どういう表情をすればいいかわからなくなったのか、カタリナはなんだか恥ずかしそうな、ちょっと拗ねているような顔をした。

(わたしの分も買ってきてくれるなんて優しい。ピュイくん、大好き)

 あやうく悶絶しかけてしまった。

 なんだよその反応。パムも可愛いけど、お前も可愛いな。クソ。

 緩んだ口元を隠すために、パムに話しかけることにした。

「ママとパパを探すのは、腹ごしらえしてからな?」

「うん」

 パムは俺に見向きもせず、ヒョイヒョイとレモンを頬張っていた。

 両親より食い物か。可愛いんだか薄情なんだかわからんな。

 とりあえず、ルイデ像の前に3人並んでしばらく黙々とレモンを口にはこぶ。

 うん、久しぶり食べたけど、甘酸っぱくて美味い。

「カタリナも昔はこんなふうに家族で祭りとかに行ってたのか?」

 隣に立つカタリナに何気なく尋ねる。

 彼女は遠くを見ながら答えた。

「よく覚えていないわ。あった気もするけど。ピュイくんはどうなの?」

「俺はないな。ヴィセミルみたいなデカい街に住んでたら違ったのかもしれないけど、俺が育ったのは北部の寂れた農村だからな。祭りと言ったら教会の感謝祭とかだけど、俺は大嫌いだった」

「どうして?」

「そりゃあお前、あれだよ。祈ってもなんにもしてくれないヤツに、なんで感謝しなきゃいけないんだって話だ」

「……まぁ、神さまもあなたみたいな人に感謝なんてされたくないでしょうし、双方幸せで良いんじゃないかしら」

 さらっと手厳しいな。

 こいつは本当に、どんな状況でも揺るがない辛辣乙女だ。

 と、思っていたが──

「でも、その意見には同意するわ。わたしもピュイくんと一緒で、感謝祭とか大嫌いだもの」

「え? そうなの?」

「そうよ。だって神さまが本当にいるなら……わたしの両親は殺されずに生きていたはずだもの」

 思わずレモンのはちみつ漬けが入った瓶を落としそうになってしまった。

 カタリナの過去を聞くのははじめてだが、まさかそんな経験をしているとは思わなかった。

 冒険者になる前に師事していた魔術師と世界を旅していたとき、そういう子供はたくさん見てきた。

 ある子供は両親をモンスターに殺され、ある子供は野盗に故郷を焼かれていた。

 そんな子供たちを保護して、孤児院に送り届けることもあった。
 
 両親を殺され、故郷を焼かれ、泣きじゃくる子供を喜ばせるために覚えたのが、さっきの手品だ。
 
 カタリナもあの子供たちと同じ境遇だった……なんて安直には断言できないけど、似た経験をしていることは確かだろう。

 「フォン・クレール」という名前は、「クレール家の子供」という意味だし、もしかすると元々は貴族出身で没落してしまった可能性もある。

 没落した貴族の苦労話は酒の席でたまに耳にする。

 大抵はやっかみが含まれた笑い話に変えられているが、詳しく聞けば聞くほど耳を塞ぎたくなるような悲惨な内容だった。

 極貧生活を強いられているなんてのは、いいほうだ。

 中には娼婦に身を落としたが耐えきれず薬漬けになった者もいるし、奴隷として遠くの国に売られてひっそりと死んだ者もいる。

 その末路は、決まって幸せとは程遠いものだ。

「ちょっと」

 と、カタリナの声。

「話を膨らませなさいよ。わたしがせっかく話題を振ってあげてるのに(もしかして、変な話をしちゃったから引いちゃったのかな? だとしたらゴメン)」

「あ、いや……わ、悪い。なんていうか、昔にカタリナみたいな境遇の子供をたくさん見てきたからさ」

「……うん」

 ぽつり、とカタリナの声。

 なんだよ。話を膨らませろとか言っておきながら、お前がお座なりな返事で終わらせんじゃねぇよ。

 というか「うん」って、どういう意味だ。

 俺の過去を知ってるのかよ。

(ピュイくんが孤児をたくさん見てきたのは知ってるよ。だってピュイくんは、あの女魔術師フリオニールと一緒に旅をしていたんだもんね)

「……え?」

「な、何よ?」

「あ、いや、なんでもない」

 あぶねぇ。つい声に出てしまった。

 俺は必死に昂ぶった気持ちを落ち着かせるために、甘酸っぱいレモンを口に運ぶ。

 まさか、カタリナの口……じゃなく、心の声からフリオニールの名前が出てくるとは思わなかった。

 フリオニールは俺が師事していた、魔術の師匠の名前なのだ。

 俺は冒険者になる前まで、彼女と一緒に世界を旅しながら魔術の訓練を受けていた。

 しかし、8年前に彼女とは別れてから一度も会ってないし、連絡も取ってない。

 フリオニールの名前はガーランドにすら話していないのに、どうしてカタリナが知ってるんだ?

 あいつと顔見知りだった、とか?

 フリオニールはエルフで長命だし、ずっと世界を旅していたと言っていたのでありえない話じゃない。

 でも、俺も一緒にいたことを知ってるのは、おかしすぎる。

「あっ!」

 と、パムが誰かに気づいて突然駆け出した。
 
 とっさに引き留めようとしたが、俺はその手を下げた。

 彼女の視線の先にいたのが、若い夫婦だったからだ。

「ママ! パパ!」

「……パム!?」

 女性がパムに気づいた。

 どこかパムと似ている顔立ちの女性……いや、この場合、パムが彼女に似ているというべきか。

 良かった。

 どうやら、パムの両親を見つけることができたらしい。
 パムは慌てて駆け寄ってきた母親に抱きついた──かと思いきや、突然立ち止まり、腰に手を当てて「むん」と胸を張った。

「もう、ママってば、だめでしょ? ちゃんと手をつないでなきゃ」

 そして、第一声がそれである。

 俺はたまらず笑ってしまったが、母親にはそんな余裕はなかったらしい。

 泣きそうだった表情が、一気に怒りの色に染まる。

「な、何を言ってるのよ! パムがお菓子につられて勝手に走っていっちゃったんでしょ!」

「……あれっ? そうだったっけ?」

「ホントにもう! 心配したんだから!」

 母親がパムをぎゅっと抱きしめる。

 状況がよくつかめないのか、パムは一瞬キョトンとしてから嬉しそうに「えへへ」と笑った。

 それを見て、再び笑みがこぼれてしまう俺。

 ママに会えて本当に良かったなパム。

 ま、あとでこっぴどく叱られると思うけど。

「あの、もしかして、パムを保護していただいたのでしょうか?」

 父親が俺たちに声をかけてきた。

 継ぎ接ぎのシャツから見える腕は筋張っていて日焼けをしている。多分、西地区の市場かどこかで荷降ろしの仕事をやっているのだろう。

「まぁ……保護っていうか、迷子になっているみたいだったんで、一緒に探してただけですけど」

「そうだったのですね。本当にありがとうございます。何かお礼をしたいのですが……すみません、行進で子供たちに配るお菓子くらいしかなくて」

「いえいえ。そんなつもりでパムちゃんに声をかけたわけじゃないので、お気になさらず」

「本当にすみません」

 父親が深々と頭を下げる。

 なんだかすごく人が良さそうな父親だと思った。

 パムたちと同じ南地区に住んでいる賭けポーカー仲間が何人かいるが、こんなに出来た人間じゃない。

 口を開けば不平不満ばかりで、自身の境遇の呪い、社会を憎み、いつも周囲に毒を吐きまくっている。

 南地区に住む人間は心も貧しいヤツらばかりだと思っていたけど、偏見だったのかもしれないな。

 母親が厳しそうなのも、パムを思ってのことだろうし。

 うん、すごく良い家族じゃないか。

「じゃあな、パム」

 母親に抱きかかえられたパムに声をかけた。

「もう迷子になるんじゃないぞ」

「うん、オジサンも気をつけてね。バイバイ」

「……」 

 俺は迷子になんてならないし、そもそもオジサンじゃねぇ! 

 俺はピチピチのお兄さんだ!

「おねぇちゃんも、バイバイ!」

「……え? う、うん、バイバイ」

 不意に声をかけられ、しばらく反応に苦慮していたカタリナだったが、小さく手を振り返した。

 母親と父親はもう一度俺たちに礼を言って、人混みの中に消えていった。

 彼らが消えた雑踏をしばらく眺める。

 もうすぐ「王冠行進」がはじまるのか、ルイデ像広場には多くの王冠をつけた人で溢れかえっていた。

「意外だったわ」

 ぽつりと聞こえたのはカタリナ声。

 隣を見ると、彼女もぼんやりと群衆を眺めていた。

 一瞬、何を言っているのかわからなかった。
 
 少しだけ考えて、パムの父親のことを言っているのだと気づく。

「だな。南地区に住んでるヤツって、もっと粗暴な連中だと──」

「そういうことじゃないわよ」

 カタリナがちらりと俺を横目で見る。

「ピュイくんが子供に対してあんなに真剣だなんて、知らなかった」

 ああ、そっちか。

「出来なかった『親孝行』みたいなもんだよ」

「え? 親孝行?」

「俺って魔術師になりたくて故郷の村を飛び出したクチだからさ。親孝行的なものはなにもやってないんだよ。パムを助けたのは彼女が困っていたからだけど、両親も同じくらい困ってるだろうなって思ったからだ」

 そう説明して思い出す。 

 故郷を飛び出したのは、もう何年前だろう。

 フリオニールと別れたのが8年前だから、少なくとも10年は経っているか。

 国王に仕える「宮廷魔術師」に憧れていた俺は、現れたフリオニールに無理やり弟子入りして村を飛び出した。

 彼女の元を離れているのに、いまだに故郷に帰れていないのは後ろめたさがあったからだ。

 魔術師になるために村を出たのに宮廷魔術師になれず、かといって優れた冒険者にもなれていない。

 そんなヤツを歓迎してくれるわけがない。

「なるほど。親不孝者のピュイくんは、子供を助けてその罪悪感をごまかしてるってわけね」

「……言い方」

 もっとオブラートに包んでもバチは当たらんだろ。

 ったく、この辛辣乙女は。

「でも、ピュイくんのおかげでパムも彼女のご両親も救われたと思うわ。誰だって、ひとりになったり、大切な人がいなくなるのは怖いはずだもの」

「お前もそうなのか?」

「前はそうだったけど……今はどうかしらね(今は家族みたいなひとたちがいるから)」

 家族みたいなひと? なんだそりゃ?

 ヴィセミルで親戚にでも再会できたのか?

 そんな話は初耳だが、まぁ、それでカタリナの寂しさがなくなったのなら良いことじゃないか。

 こいつも大変な子供時代を過ごしてそうだしな。

「それで、どうする? もう少しレモンのはちみつ漬け、食うか?」

 俺は少しだけレモンが残った小瓶をカタリナに見せた。

「……うん、食べたい」

 カタリナは小さくコクリとうなずく。

 素直な反応だな、おい。

 前々から思ってたけど、食べ物に対しては本当に素直なんだな。

 でも、食べたいというのなら、食べさせてやろうではないか。

 そう思って再びレモンのはちみつ漬けが売られていた屋台に行ったのだが、生憎、売り切れてしまっていた。

 流石は子供に人気のある食べ物だ。

「あ〜、売り切れちゃってたか。残念……」

 俺の隣で聞き覚えのある声がした。

 そちらを見ると、呆然と屋台を見ているモニカの姿があった。

 いや、彼女だけではなく──ガーランドとサティの姿も。

「……なんでお前らがいるんだよ」

 この雑踏の中でばったり会うなんて、どんな奇跡だ。

 俺の声に気づいたガーランドがこちらを見た。

「ん? ……おお、ピュイではないか。鎧の修繕はどうしたのだ?」

「とっくにリーファに依頼したよ。店にいるときにリーファに王冠祭りがあるって聞いてさ。カタリナが初めてだっていうから、足を伸ばしてみたんだ」

「なるほど。それはいい心だけだぞピュイ。初めてというのなら、無理やりにでも参加させないとダメだ」

 ニヤリと笑みを浮かべるガーランド。

 なんだかメチャクチャ王冠祭りに思い入れがあって、「毎年参加してます!」みたいな発言だけど、お前も参加できてないだろ。笑うドラゴンの依頼で街を離れてるから俺も参加できてなかったわけだし。
 
 今度は俺が尋ねた。

「それで? そっちは?」

「依頼を終わらせて街に戻ってきたところだ。どうやらサティも王冠祭りを知らなかったようでな。だったら今日は屋台で晩飯を買って食べるかと足を運んでみたのだ」

「へぇ、サティも初めてだったのか」

「……そう、なんです」

 サティが恥ずかしそうにはにかむ。

 サティは東の国出身だし知らなくて当然か。でも、街を離れることが多い冒険者には、そういう人間が多いのかもしれないな。

「あっ! ちょっとまってください!」

 甲高いモニカの声が響く。

「ピュイさんたちが持ってるそれ、レモンのはちみつ漬けじゃないですか!? ズルいですよ! わたしも食べたかったのに!」

 どうやらモニカは、俺たちが持っていた小瓶に気づいたらしい。

「ん? 食いたいのか? じゃあ、俺の残りをやるよ。あんまり無いけど」

「え?」

 小瓶を差し出すと、スッとモニカの表情から感情が消えた。

「……いえ。いいです。ピュイさんの食べかけなんて、なんだか変な病気が移りそうですし」

「喧嘩売ってんのかお前」

 ひとを病原菌みたいに言うな。

 無理やり食わせたろか。

「しかし、なんだかんだ言って、こうやって集まってしまうとは、本当に俺たちは腐れ縁なのだな」

 ガーランドがしみじみと言う。

「腐れ縁ってなんだよ。もっといい感じの表現はできねぇのか」

「じゃ、じゃあ、家族……とかどうですかね?」

 恥ずかしそうにサティが言う。

 はっとして彼女を見た瞬間、サティは仮面で半分を隠している顔を真っ赤にして、うつむいてしまった。

「すっ、すみませんっ! 変なことを言ってしまいました……」

「いやいや。全然変じゃないぞ。家族か。いい表現じゃないか」

「うむ、そうだな」

 ガーランドも満足げに頷く。

 命を預け合う運命共同体の俺たちは、ある意味家族以上の存在なのかもしれない。

 お互いがお互いを補完しあい──助け合う。

「……ん?」

 俺ははたと気づく。

 さっきカタリナが心の中で言っていた「家族のようなもの」って、もしかして──俺たちのことなのか?

 カタリナはパーティを家族のように思ってくれているのではないか。

 だからこそ彼女は、他のメンバーを助け、俺の個人実績を肩代わりするために休日にひとりで依頼を受けていたんじゃないだろうか。

「な、なによ?」

 俺の視線に気づいたカタリナが目を瞬かせた。俺は頭を振る。

「別に。ただ、妙にしっくりきたなと思ってさ」

「なによそれ。意味がわかんない(というか、そんなに見つめないでよ。照れちゃうじゃない、バカ)」

 照れたいののはこっちだバカ。

 塩対応で辛辣なくせに心の中でデレまくったり、俺たちのことを家族だなんだと勝手に思ったり。

 本当にこいつは──可愛いすぎるだろ。

「ちょっと、変なことを言うのはやめてくださいよ、ピュイさん!」

 突然、モニカが俺の名を呼んだ。

 まさか心の声が聞こえたのか、と焦ったが全然違っていた。

「わたしたちが家族って、年齢的に言ったらピュイさんはわたしのお兄さん、ってことですよね? ちょっと、なんていうか……キモすぎですよそれ!」

「よし。お前、次の依頼の報酬減らす」

「ぎゃっ!? なんですかそれ! リーダーの権限を悪用したパワハラですよパワハラ! ちょっと、なんとか言ってくださいよ! カタリナお姉ちゃん!」

「お、おねぇ……っ!?」

 モニカがすがりつくようにカタリナの腕にしがみついた。

 それを見て、ガーランドとサティが笑う。

「わははは、たしかにカタリナはモニカのお姉さんっぽいな」

「ふふ、そうですね」

「あ、あなたたちまで何を言ってるのよ!(わたしはお姉さんとかじゃなくて、ピュイくんの恋人がいいのっ!)」

 顔を真っ赤にしながら、しれっとデレるカタリナ。

 ちょっと気をつけてくださいよ、カタリナさん。あんまり興奮すると、その胸中デレが、ぽろっと口に出ちゃいますよ?

 腕にしがみついて「早く晩ごはんを買いに行こうよ、お姉ちゃん」とねだるモニカと「ちょっとやめてよ」と言いながらも、まんざらでもなさそうなカタリナ。

 ガーランドは「あまりはしゃぐと迷子になるぞ」と呆れ顔だし、サティはみんなを見て楽しそうにクスクスと笑っている。

 そんなパーティメンバーを見て、俺はしみじみと思った。


 うん、なんていうか──本当に家族みたいじゃないか。
 俺が彼女に声をかけられたのは、いつものように依頼を終えてギルドで完了手続きをしていたときだった。

「あれ? ジェラルド・ピュイじゃない」

 カウンターで依頼完了の確認待ちをしていた俺の背後から声がした。

 女性にフルネームで呼ばれ、俺はてっきりギルドの受付嬢に名前を呼ばれたのかと思った。

 だが──俺の後ろに立っていたのは、全く別の女性だった。

「げ」

 そいつの姿に、さっと血の気が引いてしまった。

 まず目に入ってきたのが、前髪を上に上げて三編みに結い、高い位置でポニーテイルにした赤い髪。

 顔立ちは整っていているが、瞳には刃のような鋭さがある。

 そして、まるで下着のような革の胸当てと鍛え抜かれた筋肉。なぜかその豊満な胸よりも先に、綺麗に割れた腹筋に目が行ってしまう。

 セクシーというより、神話に出てくる戦乙女(ヴァリキュリア)のような雰囲気の女性。

 彼女の名前はリルー。

 元海賊の冒険者仲間で、ガーランドの嫁でもあり──俺がこの世で最も警戒している天敵と呼べる女だった。

「なにその顔。久しぶりに綺麗なお姉さんに会えて嬉しくないの?」

「全っ然嬉しくない」

「またまた照れちゃって。ていうか、最近全然ウチに遊びにこないじゃん。たまには娘の相手をしに来てよね? みんなあんたのこと、気に入ってるみたいだしさ?」

 リルーがガッシリと俺の肩に腕を回す。

 まるでぶっとい縄で締め付けられているような錯覚に陥るが、そこまで苦しくないのは、リルーのデカイ胸がバチコリ当たっているからだ。

 くそう。相変わらず羞恥心のかけらもなくセックスアピールしてきやがって。

 マジでこの女は苦手だ。

「あれ……もしかして、ま〜だあのときのコト、引きずってるワケ?」

 リルーが茶化すように目を細める。

「あはは、だ〜いじょうぶだって。もう酔っ払ってもあんたを襲ったりしないからさ?」

「……っ」

 俺はつい、拳をぎゅっと握りしめてしまう。

 こ、この女……つ! 

 今思い出しても背筋がゾッとする。

 あれは、一年くらい前だったか。

 久しぶりに「リルーと3人で酒を飲もう」とガーランドに誘われたのだ。

 彼らが結婚して子供が生まれてからは、こちらから飲みに誘うのは遠慮していたから、すごく嬉しかった。

 集まるのは何年ぶりかというくらいだったので、ガーランドもリルーも楽しみにしていたのだと思う。

 だから、3人とも少しハメを外してしまった。

 子供たちが寝てから本格的に酒を飲み始めたのだが、次第に酒の量が増え、1時間もしないうちにガーランドが潰れた。

 そして、その次に俺が潰れて──気がついたら、リルーに馬乗りにされていた。

 そう。この女は、あろうことか旦那のガーランドが潰れている傍で、童貞の俺を襲おうとしてきたのだ!

 リルーの海賊時代の逸話は色々と耳にしたことがある。

 1日で10人の男とヤッただの、腹上死させた男は両手の指で済まないだの。

 ガーランドと結婚してからはそういう遊びはきっぱり辞めたらしいのだが、酔のせいで理性の奥で眠っていた肉食獣の本能が目覚めてしまったというわけだ。

 慌てて発動させた覚醒魔術でリルーの酔いを覚ましてなんとか難を逃れたが、それ以降、ガーランドの家に行くのは二の足を踏んでいる。

「……ていうか、俺に何の用事だよ?」

 俺はリルーの腕を払い除けてから尋ねた。

「実はこれからあたしのパーティも依頼に行くんだけど、メンバーのひとりが体調不良で休んじゃってさ」

 リルーも俺たちと同じくパーティを組んで活動している。

 メンバーは海賊時代の仲間だとか言ってたっけ。

「だからさ、臨時メンバーとして依頼に参加してくれない?」

「参加? 俺がか?」

 尋ねるとリルーはこくりと頷いた。

「休んでるのがあんたと同じ回復魔術師なんだよ。ちょっと遠出する予定だから、回復職なしで行くのが不安でさ」

「助けてやりたいのはやまやまだが、依頼から帰ってきたばかりなんだよな」

「知ってる。さっきあっちで旦那と会ったし」

「会ったなら、俺じゃなくてガーランドを誘えよ。盾役のあいつがいれば回復魔術師がいなくてもなんとかなるだろ」

「そうだけど可愛そうじゃん。疲れてるだろうしさ」

「俺だって疲れてるわ」

「は? 疲れてる? あんたが? どうせ後ろのほうでダラダラと回復魔術使ってただけでしょ?」

「……そ、う、ぐっ」

 ご明察である。

 くそう。長い付き合いだからか、よく俺のことをわかっていらっしゃる。

 リルーが甘ったるい声で、俺の腕に手をまわしてくる。

「ねぇ、ピュイぃ。お願い。一緒に来てよぉ?」

 そして、豊満なふたつのアレを俺の腕に押し付けながら──とんでもないことを口にした。

「もし、あたしのお願いを聞いてくれなかったら……あんたの秘密のこと、うっかり仲間にバラしちゃうかもよ?」

「……っ」

 心臓を鷲掴みされたような感覚があった。

 全身から汗が吹き出し、膝がガクガクと笑い始める。

 リルーの顔を見ると、それはそれは悪そうな笑みを浮かべていた。

「あんた、まだ秘密にしてるんだよねぇ? アレ」

「い、言えるわけねぇだろ」

「だから気にする必要ないって言ってんのにさ。心の声を聞く読心スキルなんて、誰も気にしないって」

「……っ!?」

 俺はリルーの腕を振り払い、彼女に詰め寄った。

「て、てめ……スキルのことを軽々しく口に出するんじゃねぇ……っ」

「あはは、ごめんって。てか、急に顔近づけないでよ。キスされるのかと思ってドキドキしたじゃん」

「するかボケ!」

 リルーがケラケラと笑う。

 俺がこいつのことを天敵と思っているのは、こんなふうにエロ絡みしてくるからではない。

 この女は……俺が読心スキルを持っていることを知っているのだ。

 今思い出しても、本当に最悪すぎる。

 リルーは、俺が最初に所属していたパーティ──読心スキルネタで追放されたあのパーティ──にいた女魔術師と知り合いだったのだ。

 リルーに聞いたとことによると、その女魔術師との酒の席で「とんでもない冒険者がいた」という話になって、俺の名前が出てきたらしい。

 なんという最悪の奇跡。

 悪魔のいたずら。

 よりによって、なんでこいつに読心スキルの情報が行くかなぁ!?

「ねぇ、ピュイ?」

 リルーが上目遣いで扇情的な視線を俺に送ってくる。

「……今あたしが何を考えてるか、わかる?(ピュイのぶっとい◯◯◯をあたしの×××にねじ込んで、△△△にしてやりたいわ)」

 変態っ! 変態よっ!

 皆さん気をつけて! ここにド変態のエロエロ肉食獣がいますよっ!

「あははは! 顔真っ赤! あんた、経験豊富そうな顔してるのに、純粋すぎ!」

「う、うるさい!」

 ちょっと黙れこのドSの変態肉食系女子め!

 心を読まれて気にしないのは、お前みたいな変態だけなんだよ!

 ウブな俺の反応を見てケラケラと腹を抱えて笑うリルー。

「で? どうする?」

 散々俺をおちょくりまくって満足したのか、ドS肉食女が笑い涙を拭きながら尋ねてきた。

「だから、俺は疲れて──」

 そこで言葉を飲み込んでしまう俺。

 俺を見つめるリルーの目が、全然笑っていなかったからだ。

 この女は、首を縦にふらないとマジで読心スキルをバラすつもりだ。

「……し、仕方ない。今回だけだぞ」

「やたっ! サンキューな、ピュイ!」

 嬉しそうに肩を組んでくるリルー。

 またしても胸がムニュムニュ当たってるけど、全然嬉しくない。

 選択権は俺にはなかった。

 弱みを握られている俺は、こいつの言いなりになるしかないのだ。

「……ん?」

 と、落胆していた俺の背中に、ゾクリと寒いものが走った。

 既視感があると思ったのは、それが魔術による精神攻撃を受けたときに感じる悪寒に近かったからだ。 

 まさかこんなところで、誰かの魔術の攻撃でも受けているとでも言うのか?

 でも、一体誰が。
 
 そう思って、ふとカウンター近くの一角を見たとき──

「あ」

 目に飛び込んできたのは、壁から半身を覗かせて、凄まじい形相でこちらを見ている女。

 カタリナ・フォン・クレール。

 我がパーティに所属する最強冒険者にして、泣く子も黙る辛辣の乙女。

 その辛辣乙女は、心の中で呪詛のような言葉を繰り返していた。

(ピュイくんが……知らない女とくっついてる……ピュイクンガ……シラナイ……オンナ……)

 なんだか嫌な予感がする。


 いや、これは──むしろ嫌な予感しかしないんですけど!
「ねぇ、ピュイ。なんだかすっごい殺気がこもった視線を感じるんだけど」

「奇遇だな。俺もだ」

 リルーはこう見えてBランクの冒険者で、そうとう腕っぷしは強い。

 海賊時代も悪党稼業に身を置きながらも高貴さを持っていたため「黒い女伯爵」と呼ばれるほどの人物だったらしい。

 彼女の経験が、カタリナの殺気を敏感に感じ取ったのだろう。

「……なるほど。殺気を放ってたのは、あの女ね」

 リルーもカタリナの存在に気づいたらしく、そっと俺に耳打ちしてくる。

「ねぇ、あの女って……もしかしてピュイの情婦?」

「情婦とか言うな。俺のパーティメンバーのカタリナだ」

「あれが噂の『聖騎士』カタリナか。初めて見たよ」

 リルーがニヤリと不敵な笑みを浮かべる。

 嫌な予感がした。

 こいつ、絶対トラブルを発生させるつもりだ。

 これは先手を打って、カタリナに事情を説明したほうがよさそうだ。

 とりあえず、ここにカタリナを招くことはせずに、一旦解散してから──

「ねぇ、そこのあんた! こっちに来なよ!」

「てめぇ、コラ!」

 何をさらっとトラブルの種を呼びつけてんだ!

 血の気が多くて喧嘩上等なのは知ってたけど、場の空気を少しは読めよバカ!

 しかし、そんなことを考えているうちにカタリナは凄まじい殺気を伴わせ、ずんずんと近づいてくる。

 ごくりと息を呑んでしまった。

 メチャクチャ怖え。

 もしかするとカタリナに狩られる前のモンスターって、こんな気分なのかもしれない。

「よ、よぉ、カタリナ」

 俺は努めて冷静に「今気づきました」感を出しながら声をかける。

「い、い、一体どうしたんだ?」

「随分と戻ってくるのが遅かったから呼びにきたんだけど……そちらの女性はどなたかしら?(洗いざらい吐いてもらうから)」

 やっぱりそう来ますよね。

 どう返すか悩んでいると、リルーが自己紹介を始めた。

 仲よさげに、俺の肩に腕を回して。

「どうも。あたしはリルー。ピュイとは腐れ縁っていうか、馴染みっていうか、友達以上恋人未満っていうか」

「お、おまっ……!」

 疑われるようなことを言うな! 
 
 絶対わざとやってるだろコイツ!

 俺は慌てて肩に回してきた腕を払ったが、遅かった。

「……へぇ?」

 カタリナはドラゴンすらも射殺せそうな鋭い視線を俺に向ける。

(どういうことかしら。ちゃんと説明してくれるかしら。わかりやすく簡潔に)

 おおう。心の声で棒読みするなんて、すごい特技をお持ちですねカタリナさん。

「ち、違う。俺とリルーはただの冒険者仲間で……」

「……(へぇ。呼び捨てだなんて、ずいぶんと仲がよさそうなことで)」

 う、うおお……嫉妬の炎がメラメラと燃えてやがる。

 俺は誰にでも呼び捨てだろ、と説明したいけど火に油感が半端ない。

「お、おいリルー! お前からちゃんと説明しろよ!」

「仕方ないなぁ。まぁ、恋人未満云々ってのは冗談だけど、ピュイと仲が良い冒険者仲間ってのはホントだよ。これから一緒に依頼を受けに行くんだもんね?」

「依頼に? ピュイくんがあなたと?」

「そ」

「……ふ〜ん(……浮気者)」

 浮気者ってなんだよ。

 たしかに俺が別のパーティと依頼に行くのは、広義で浮気に該当するのかもしれないけど、お前、絶対違う意味合いで言ってるだろ。

 胃がキリキリと痛みだした俺をよそに、カタリナが涼しげな表情で続ける。

「それで? どうしてピュイくんがあなたの依頼に行くことになったのかしら?」

「ん? あんたに関係ある? それ?」

「……っ」

 リルーがカタリナの嫉妬の炎に大量の燃料を投下した。

 俺は天に祈った。

 もう、これ以上はやめてください、と。

「関係あるに決まってるでしょ」

 カタリナが敵意丸出しの声でリルーに言い放つ。

 どうやら、天に召す我らの父は、俺の願いを華麗に無視したらしい。

「ピュイくんはわたしのパーティメンバーよ? オーバーワークは見過ごせないわ。あなた、無理をすると怪我につながるって知らないの?」

「いやいや、ピュイは回復魔術師でしょ? 前線で体を張ってるわけじゃないから、オーバーワークにはならないと思うんだけど。……あれ? 一緒にパーティを組んでるのに、そんなこともわからないんだ?」

「……」

 ゴゴゴゴゴゴ。

 カタリナの背後に憤怒の炎の幻視が見えた。

 ピンと張り詰めた沈黙が、ギルドカウンター周辺に広がる。

 その異様な空気を感じてか、依頼を受けにきた冒険者たちも遠くから不安な眼差しで俺たちを見守っていた。

 ギルドの受付嬢も「さて、事務仕事をしようかしら」などと言って、バックヤードに消えて行く始末。

 冷え切った空気を切り裂くように、カタリナが言う。

「そう。じゃあ、わたしも参加していいかしら?」

「参加?」

 リルーが首をかしげる。

「そうよ。人手が足りないのよね? だったらわたしも手を貸してあげるわ。それとも、わたしが参加するとなにか不都合でもあるのかしら?」

 カタリナがスッと目を細める。

(ゼッタイ、フタリッキリ、サセナイ。アナタ、ユルサナイ)

 あの、カタリナさん? なんだか亜人種モンスターの喋り方みたいになってますけど、大丈夫ですか?

「へぇ?」

 リルーが楽しそうに笑った。

「不都合なんてとんでもない。ふふ……いいわよ。あんたも来なよ。手助けは大歓迎さ」

「お、おい、リルー」

「何よ? 別に良いじゃない。別にあんたのことをどうこうしようってわけじゃないけど……なんだか、久しぶりに疼いてきたわ」

「……っ」

 リルーが獲物のを見るような目で小さく舌なめずりする。

 背中に寒いものが走った。

 何が疼いてるのかメッチャ聞きたい一方で、ゼッタイ聞きたくない。

 これは「俺のために争わないで」なんて可愛いレベルじゃない。むしろ、こいつらの視界に俺の存在なんて入ってない。

 これは、どちらが頂点捕食者であるか示すためのプライドを賭けた女の戦いだ。

 怯える俺の前でにらみ合い、バチバチと火花を散らすカタリナとリルー。

 完全に俺の存在を無視しているので、これはフェードアウトできるんじゃ……と思ってゆっくり回れ右しようとしたが、ふたりにガッシリと腕を掴まれた。

「「さぁ、行きましょうか」」

 ふたりはにっこりとほほえみながら、同時にそんなことを言う。

 俺にはもう、引きつった笑顔を返すことしかできなかった。
 ヴィセミルはブリザリア王国にある街のひとつだが、ブリザリア王がこの地を平定する以前は、「エヴァンキ」という王がここ一帯を支配していた。

 その金遣いの荒さから「散財王」と呼ばれていたエヴァンキが、権威の象徴として建てたのが「モンティーヌ城」だ。

 散財王が住んでいた居城だけあって、純白の外観は真珠のように光沢を放ち、きらびやかな室内装飾の中でも特に王の寝室は豪華で、壁一面が金箔で塗り固められているという。

 そんなモンティーヌ城は、今は観光名所のひとつとして一般公開されていて、大切なヴィセミルの税収のひとつになっているらしい。

「……それで、そのモンティーヌ城にモンスターが現れたってわけか」

 リルーのパーティメンバーと合流してからヴィセミルを出発して、1時間ほど──

 モンティーヌ城を目指す道中でリルーから依頼の詳細を聞いた俺は、そう締めくくった。

「そゆこと。だから領主さまも早く解決したいんでしょうね」

 リルーがつまらなさそうに言う。

 彼女はギルドで声をかけられたときと同じく超軽装だったが、腰には2本の斧を下げていた。

 海賊時代から愛用しているというハンドアックスだ。

 接近戦でも使えるし、投擲武器としても使える便利なものだが、扱いには相応の技術がいるらしい。

 そんなリルーに尋ねる。

「というか、モンティーヌ城って、ひとつで金貨10枚くらいする彫像とか置いてるんじゃなかったっけ? そんなところでモンスターとやりあって大丈夫なのか?」

「知らないけど大丈夫でしょ。ぶっ壊してもギルドが怒られるだけだし」

「……メチャクチャ他人行儀だけど、損害賠償請求されても払わないからな」

 渋々依頼を手伝ってるのにマイナス収支になるとかどんな罰ゲームなんだ。 

 後日カタリナから「浮気した罰金ね」とか言われそうだし。

「……」

 殺気を感じて、ふと前を歩くカタリナを見た。

 彼女はこちらには目もくれず、リルーの仲間たちの後ろを歩いているが、その背中からはただならぬ殺気がにじみ出ていた。

 あれは「別に気にしてないから」と装ってはいるけれど、確実にこちらの一挙手一投足を把握している。

 これは、不満が爆発する前にちょっと声をかけたほうがいいかもしれない。

「お、おい、大丈夫か?」

「……何が?」

 ジロリと俺を睨むカタリナ。

 はい、怖いです。

「いや、なんていうか……連続で依頼に出てるからさ。体力とか大丈夫なのかなって」

「平気よ。よくわからないけど、体の奥底から力がみなぎってくるのがわかるもの。あと10回くらいは依頼に行けそうよ」

 カタリナがプイッと前を向き直す。

 確かに、ガーランドたちと依頼に出たときよりも気力にあふれている気がする。

 多分、リルーへの怒りがもたらすバフ効果でしょうね。

 魔術師の強化魔術より効果が高い気がするな〜、それ。

「ちょっとぉ、ピュイ」

 リルーが猫なで声で近づいてきた。

「カタリナだけじゃなくて、あたしのカラダも気遣ってくれない?」

「……」

 無言でじっとりと睨んでやった。

 こいつはまたトラブルの種を作ろうとしやがって。

「あはは、そんな怒んないでよ」

 リルーがそっと顔を近づけて耳打ちしてくる。

「家に帰ったら旦那にアレをいっぱい使ってもらうつもりだからさ?」

「……っ!? 一体何の話だよ!?」

「え? もちろん気遣いの話だけど?」
 
 ニヤケ顔で首をかしげるリルー。

「何よ、顔を真っ赤にして。……あれ? もしかして違うコト想像しちゃった?」

「う、うるせぇよバカ! そんなに使ってほしけりゃ、俺じゃなくてお前のパーティの仲間にやってもらえ!」

「え〜? ムリムリ。あいつら、戦闘に関してはすっごく頼れるんだけど、そういうことには疎い連中だからさ」

 リルーが呆れた顔で前を歩くふたりの男を見る。

 ヴィセミルを出発するときに紹介されたが、やはりふたりともリルーの海賊時代の仲間らしい。もしかして同じ船に乗っていた海賊だったんだろうか。

 しかし、疎い連中って酷い言われようだな。

 なんだか俺と同じ苦労をしてそうだ。

 勝手にひとりでリルーの仲間に親近感をいだきつつ、俺は余計なトラブルを避けるためにエロ絡みしてくるリルーと十分離れてから足を進めることにした。

 整備された街道から険しい山道に入り、さらに1時間ほどが経ったとき──俺たちはようやく目的地のモンティーヌ城に到着した。

「……うほぉ」

 城を見た瞬間、思わずため息のような声が漏れてしまった。

 モンティーヌ城に来たのは初めてだが、観光名所として保存しようと考えた領主ルイデの気持ちがよく分かった。

 大理石で出来ているのかと思うくらいに外壁は真っ白で、周囲の田園風景と相まって、まるでおとぎ話の中の世界に足を踏み入れた気分だ。

 これはすごい。

「とりあえず、中に入るわよ」

 美しい外観になんて興味がないと言いたげに、リルーは城の中に入っていく。

 そういうサバサバとしたところ、昔から変わってないな。

 俺たちが来ることを想定してか、それともモンスターが現れたせいで関係者が慌てて逃げたからか、モンティーヌ城の扉は解放されていた。

「……すご」

 ホールに入って再びため息。

 豪華とは聞いていたが、内装もハンパではなかった。

 吹き抜けの天井に、大理石の柱。

 ブロンズ製のシャンデリアに、きらびやかな装飾が施された壁。

 これは城というより、宮殿といったほうがいいかもしれない。

「こんなところに、本当にモンスターがいるのか?」

「……て、話だけど?」

 しんと静まり返った大広間に、俺とリルーの声が響く。

 周囲を見渡したが、モンスターらしき姿はない。

 一通り周囲警戒を済ませたリルーの仲間のひとりが声をかけてきた。

「とりあえず、城内を周ってみましょうか。姉御はピュイさんたちをお願いするっス」

「りょ〜」

 姉御というのは海賊時代からの呼び名だろうか。

 リルーの仲間が先頭に立ち、俺たちは慎重に城内の索敵をはじめた。

 玄関広間を抜けて、客間(サロン)に入る。

 まず目に飛び込んできたのが、演劇か何かのシーンを再現した壁面の絵画だ。白馬にまたがった騎士が、女性を抱えて男と戦っている様子が描かれている。

 玄関広間に負けずとも劣らない豪華なシャンデリアがあって、大きな窓からは眩しいほどの日差しが差し込んでいる。

 実に綺麗な部屋だが──モンスターの姿はない。

 と、思ったときだ。

 突然、客間に甲高い物音が響いた。

「きゃっ!」

 悲鳴を上げたリルーが俺の腕にしがみついてきた。

 何だと思って音のほうを見たら、大きな燭台が倒れていた。

「す、すみません。俺の剣が当たってしまったっス……」

 どうやらリルーの仲間が倒してしまったらしい。

 それを見て、リルーがパッと俺の腕から離れた。

「あはは、ごめんごめん。ちょっとビックリしちゃってさ」

「……ったく、乙女かよ」

 余裕の表情で答える俺だったが、心臓はバクバクだった。

 お、お前、いきなり抱きついてくるんじゃねぇよ。

 またカタリナに変な疑いをかけられるだろうが。

 音の方に気を取られただろうから、こっちには気づいてないよな……と、思ってカタリナを見た。

 彼女は養豚場の豚でもみるような冷めた目で俺たちを見ていた。

(ふぅん……あ、そう。そんなことをしてピュイくんの好感度あげようとしちゃうんだ? へぇ?)

 彼女の心の中はジェラシーに燃えていた。

(いいわ。望むところよ。わたしだって……やるときはやる女なんだから!)

 おい、やめろ。

 やるときにやらなくていい。

 そんなことで対抗してたらモンスター討伐どころじゃなくなるから!

「姉御」

 リルーの仲間の声がした。

「気をつけてください。スケルトンっス」

 リルーの仲間が剣を構えた。 

 その視線の先にいたのは、ぼろぼろの剣を持った骸骨。

 アンデッドモンスターのスケルトンだ。

「ここは俺たちに任せて、カタリナさんたちは下がってくださいっス」

「……わかったわ(今がチャンスなのね)」

 チャンス? 

 一体なんのことだと首を傾げた瞬間、カタリナが俺に向かってダイブしてきた。

「ここは危険よ! 下がってピュイくん!(と言いながら、ピュイくんに抱きついちゃう! えいっ!)」

「グエゥっ!?」

 突然カタリナから致死級の羽交い締めを食らった俺は、死んだカエルのような声をあげてしまった。

 体の中からミシミシと嫌な音が聞こえ、一瞬、意識が飛びかける。

 カタリナが恥ずかしそうに上目遣いで俺を見る。

(……どうかな? 好感度、上がった?)

 むしろ落ちたわボケ!

「あっ! 気をつけてピュイくん! 後ろからまたスケルトンが来てるっ!」

 カタリナが俺の後ろを指差して叫んだ。

 羽交い締めを食らっているので振り向けないが、背後からカタカタとスケルトンの音が聞こえてくる。

「早くこっちに来てピュイくん! スケルトンから距離を取るのよ!(よ、よし、勇気を出して、もう一回好感度上げ、いくわよっ)」

 再びカタリナが凄まじい力で俺の体を引き寄せ、抱きしめてくる。

 しびれるような激痛が脳天を貫いた。

「……」

 悲鳴すら上げられなかった。

 もうやめてくれカタリナ。

 これ以上やられたら、マジで死んでしまう。

 殺すなら俺じゃなくて、スケルトンにしてくれ。

 しかし、そんなことをしている間にも次々と客間にスケルトンが集まってくる。

 このままでは、カタリナに……いや、スケルトンに殺られてしまう。

 薄らぐ意識の中で、色々な意味で危機感を募らせたとき。

「きゃあ! 危ないっ!」

 カタリナが悲鳴をあげながら、近づいてきたスケルトンに鋭い後ろ蹴りを見舞った。

 胸部に凄まじい蹴りを食らったスケルトンは上半身が粉々になり、バラバラとその場に崩れ落ちる。

 その光景を唖然とした表情で見つめる俺。

 うん、しっかりと対策を講じてくれていたことには安心したけど……カタリナさん、あなたって蹴りだけでスケルトンを討伐できるのね。

 なんていうか、お前のほうがコワイわ。

(へぇ〜、意外とやるじゃない)

 ふと見たリルーが、心の中でそんなことをささやいていた。

(これは、あたしも負けてられないわね)

 カタリナの強さを見て、リルーのプライドに火が付いたか? 

 ──と思ったが、状況は俺が想像しているのとは真逆の方向へと進む。

「ちょっと、なんとかしてよぉ、ピュイぃ!」

 あろうことか、リルーが戦闘を放棄して俺の右腕にしがみついてきたのだ。

 彼女はその豊満なおっぱいをムニムニと俺の腕に押し付けながら続ける。

「ほら、あっちからまた別のスケルトンが来てるぅ! 助けてよぉ!」

「……」

 カタリナが暗殺者のような目でリルーを睨みつけた。

(こ、この下賤女っ! なんのためらいもなくピュイくんの気を引くためにカラダを使いやがったわねっ! いいわよ! そっちがそう出るなら、こっちだって!)

 今度はカタリナが俺の左腕にがっしりと抱きついてきた。

「コ、コワイよ、ピュイくん! タスケテっ!」

 そういうことに慣れていないのか、ぎこちなく助けを求めてくるカタリナ。

 彼女も頑張って胸を押し付けようとしてくるが、硬い胸当てがゴツゴツ当たって痛いだけだった。

「ちょっとカタリナ! あんた助っ人でしょ!? さっさとスケルトンを倒しに行きなよ!」

「リルーこそ仲間が必死に戦ってるじゃない! ピュイくんはわたしに任せて早く援護に行きなさい!」

 ふたりの美女がやいのやいのと罵倒を飛ばしながら俺の腕を引っ張る。

 両手に花とは、まさにこのことだ。

 かたや誰しもが羨望の眼差しを向ける、お姫様のように可憐で清楚な美女。

 かたや全ての男は彼女の前では童貞になると言っても過言ではない、グラマラスで妖艶な美女。

 そんなふたりに抱きつかれるなんて、貴族連中でも経験したことがないはず。

 うん、控えめに言って俺って幸せ者────じゃねぇ!

 ちょっとまて、何だこの状況は!?

 前衛がふたりして俺に助けを求めてくるって、どゆこと!?

 俺、魔術師だよ!?

 それも、運動音痴で貧弱な回復魔術師だよ!?


 助けてほしいのは……俺のほうなんですけどっ!