最近、よく話すようになった人がいる。
「せーんぱい。今日もやっぱりここにいたぁ〜」
先輩。2個上。高校3年生。いつも屋上でお弁当を食べているのに肌が真っ白なのは、普段からインドア派だからだと思う。
「最近の天気、めちゃよくないですか? 快晴すぎ! こんだけ晴れてると日焼け止めの意味無さそうで萎えます〜」
血液型はB型。血液型と人柄は関係ないというけれど、少し天然。読書家。なのに部活は写真部。えーと、あとは……あ。勿論、彼女なし。
「……うるさいな。何なの、お前。最近毎日来てるけどさ。あ、もしかして暇なの?」
「はぁ〜!? 暇なわけないんですけど?? 年中暇人で予定ガラ空きな先輩と一緒にしないでくれません!?」
私は、さも心外だと訴えるように頬を膨らませて先輩を見下ろした。
「もう自分で言いますけど、私ってばモテるんですよ。街を歩けば10人中10人は振り返る美少女JKというやつなんですよっ!」
「……はぁ」
「そんな人気者の桃ちゃんとご飯食べれるって、先輩ってば世界1の幸せ者ーッ! ひゅー!!」
「黙れ、還れ」
「あれ、なんか漢字おかしくないですか? 桃、悲しいです。泣いちゃいそう〜。これは慰謝料として先輩の焼きそばパンをですね、一口貰う権利があると思うんですよ」
「いやいやいや、人気者の桃さまに食べかけなんて渡せないわ〜。食べたいなら今から購買行って買ってこいよ」
「いえいえ、そんな。私、優しいので、今日のところは先輩の食べかけで我慢しといてあげます」
そう言って、私は当然のように先輩の隣に座って微笑みかける。それでも先輩はこちらをチラリとも見ないで黙々と中庭を眺めていた。
あぁ。心地良い。私に対して少しも温度の乗らない声も、その態度も、何もかもが過ごしやすい。
このまま先輩が、一生私の方を向かなければいいのに。
そんな心の声が聞こえたのか聞こえなかったのか分からないが、先輩はようやく中庭から目を逸らして私の方を向く。
少し長めの前髪から覗く目が、真っ直ぐ私を捕らえた。あぁ、好きだなぁ。私を映しても、意味を宿すことない眼が好き。
先輩は、ずっと変わらないから好き。
先輩は黙ったまま、じっと私を見つめた後、ガサゴソと鞄を漁って何かを私に差し出してくる。
「……あの、これで勘弁してください」
キャラメルだった。
「俺の、受験生の疲れた頭に糖分を与えてくれる大事な大事なおやつだけど…………ここで主食を渡すよりは、まぁ」
「…………なんですか、その説明口調。別にいらないですよ」
「は、なんでだよ!? 慰謝料ってお前が言ったんだからだな?」
「いやだって、そんな……」
そんな、本気じゃなかったのに。やり過ぎたかなって、焦る。どうしよう。もしかして、ウザかったかな。先輩に嫌われちゃう?
じっと、先輩の目を見る。ガラス玉みたいな目。あっ、良かった。変わってない。
そうだよね。だって、私のことなんて、文字通り眼中にないもんね。
「……えへへ、先輩がそこまで言うなら貰ってあげます」
「…………なんかおかしくないか?」
「おかしくないですよ。キャラメルの方も陰キャ代表みたいな先輩に食べられるより、美少女な私に食べられた方が本望のはずです」
「くっ……それを言われると何故か否定が出来ない……」
私は、文句を言いながら焼きそばパンをかじっている先輩から貰ったキャラメルを口に放り込んで、屋上に吹く心地良い風を感じた。ジリジリ太陽が眩しい7月だった。
そんな、日焼けを嫌う女子が1番避ける季節に屋上にいるのは、桜も散り始めた春の終わり頃に先輩と出会ってしまったからだった。
私、加賀谷桃は、かわいい。
自分でそんなこと言うのはどうなのかと自分でも思うが、本当にかわいいのだ。
小さい時から、かわいいかわいい言われて育ってきたし、欲しいものはなんでも買ってもらえたし。これで気がつかない方がおかしいほどだった。
学校に通うようになってからは、さらにその、『かわいい』が故の特別扱いはエスカレートしていくようになった。
しかし、学校生活における特別扱いが良い方向に働くことはほとんどない。
名前も知らない人の好きな人をとったとかどうとかで嫌われて、いじめられた。好きでもない男に囲まれて、それが嫌で堪らなくて、なのに誰も気づいてくれなくて、エコ贔屓だのぶりっこだの。
もう、そんな生活には疲れたのだ。限界だった。だから私は、かわいいを受け入れて利用することにした。
服に気をつけて、メイクにも気をつけて、精一杯のかわいいを纏う。性格も容姿みたいな甘ったるいものを装って、何かあったら困った顔をして周りに頼る。そしたら、何も出来なくても何でも手に入るようになった。
そして、気がついてしまった。自分が、かわいいだけで生きていけることに。
それと同時に、つきつけられてしまった。
心を許せる友達、いない。
何にもやりたいこと、ない。
本当に欲しいもの、ない。
え、私、何のために生きてるんだろう。本当の私はもっと、本当に、すっごく虚無で空っぽなのに、と。みんなの思っているような、こんな子じゃないのに、と。
それが怖くて、手に入るものならなんでも欲しくなった。学年一カッコいい彼氏。みんなが持ってないようなブランドのコスメ。目に見えた特別扱い。みんなみんな私のもので、きっとみんな、私のことが羨ましい。
でも、それでもまだ、足りなくて。
それならいっそ一人になってみようかと、屋上へ続く階段でご飯を食べようと思った。屋上には鍵がかかっているから、わざわざこんな学校の端っこまで来る人はいない。あそこなら一人になれるだろう、と。
そう思った私が階段に座ってご飯を食べていると、後ろからガチャ、という音が聞こえてきて。その音に驚いて振り返ってみると屋上から出てきた先輩がいて、屋上の鍵を持っていた理由を問い詰めてみたのだ。
すると、前に先生から掃除のためにと屋上の鍵を渡されたが、返却しそびれて有効活用しているだけであって、盗んではいないのだと弁明された。それはそれでどうなのだろう。普通は返す。少し、人間性を疑った。
しかし、冷たくて硬い階段に座って食べるなら、私も屋上で食べたい。そのため、そのことを口止め料にして、私も屋上でご飯を食べる許可をもぎ取ったわけである。
その日から、屋上の鍵は屋上の手前の階段に置いてある荷物の中に隠されるようになり、共同所有となったのだ。
「せーんぱい。私のこと知ってます??」
「……いや知らんけど。あ、何? もしかして芸能人とか?」
「あは。違いますよ。なら、先輩もここにいていいや。これからは私とご飯、一緒に食べましょ!」
「嫌だよ。そもそも俺の場所で、後から来たのは君じゃん」
めんどくさそうに、先輩は言った。
その瞬間、好きだと思った。でもそれは恋とかじゃなくて、なんていうの。
人として、好き。
どうでもいい扱いなんて、久しぶりにされたから初めて気がついた。無関心って、こんなに、こんなに心地良かったんだ。
だって、私が何をしてもこの人は幻滅しない。イメージの中の私を見ない。
多分、私をかわいいと思っていない。
────だから、この人は私のことを好きにならない。
「てゆーか先輩、今日も焼きそばパンですか? どれだけ好きなんですか、それ」
「……別に俺が何食べてたっていいだろ。そっちだっていつも同じような弁当じゃねーか」
「はい? 私のは毎日中身が変わってるし、栄養たっぷりですけど? てか、先輩って毎日同じことするの好きなんですか、それか願掛けでもしてるんですか?? また今日もお姉ちゃんのこと覗き見して」
パチン、と。
あ。今日、初めてちゃんと目が合った。
中庭で友達とご飯を食べているお姉ちゃんを指差しながらそう言った途端、先輩はあからさまに慌てて焼きそばパンを口から吹き出した。あまりに分かりやすすぎる。
「……ッは〜〜??? 覗き見じゃないんですけどー?? 俺には中庭を見る権利もないってことですか!?」
「めちゃめちゃ必死じゃないですか。ま、簡単にお姉ちゃんは渡しませんけど」
「べ、別にお前に許しをもらう必要はないと思うんですけど??」
「うわ、先輩マジだ〜。語尾どうしちゃったんですか」
私がそう指摘すると、先輩は私から顔を背けた。最早、お姉ちゃんを見ていたと自白しているようなものである。
すると、私の生やさしい視線に不服そうな顔をしていた先輩は、私から目を逸らして中庭を見た。どうやら、誤魔化すことは諦めたらしい。
「……別に、見てるだけなんだからほっといてくれよ」
「それはそうなんですけどね。私だって、無害だから許してるんですよ。ストーカーさんになってたら、私もすぐにポリスを呼んでいますとも。……で、今日はお姉ちゃんと何回話せたんでしたっけ?」
「まだ今日は続くから明言はできないだろ!」
そう言った先輩は、誤魔化すように焼きそばパンに齧り付いた。そんな風に誤魔化さなくても、必死に弁解している様子から白状しているようなものに。
「……0回って正直に言えばいいのに」
「目は! 目は3回あってるんだよ!!」
「先輩の哀れな妄想か、暑さで幻覚でも見たか、もしくは気のせいじゃないですか?」
「どれだけ俺を疑ってるんだよ! 気のせいじゃねーよ! 絶対俺の方見てたもん!!」
「はいはい、そうだといいですねー?」
にやにやと笑って先輩をみると、見事に顔が真っ赤になっていた。
こうやって先輩をからかうのが私が学校にくる1番の楽しみかもしれない、と考えて、卵焼きを一口かじる。
もうお分かりだろうけど、先輩は、私の姉である加賀谷桜にベタ惚れなのである。
お姉ちゃんは、おっとりしている。勉強が出来て、優しくて、真面目で、私とは大違いな普通の女の子だ。
お姉ちゃんに、今まで彼氏ができたことはない。
お姉ちゃんはあんまり恋愛とかに興味ないみたいで、初恋がまだだというのもあるが、 その理由の大部分は私がブロックしているからである。
お姉ちゃんは騙されやすく、純粋で、本当に優しい人なのだ。私のような面倒臭い妹を持ってそうとう苦労しただろうに、私のことを嫌わずに今でも仲良くしてくれる。
そんなお姉ちゃんのことが、私は大好きだ。だから、お姉ちゃんには幸せになってもらいたい。変な男には引っかからないで欲しい。
そんな思いから、お姉ちゃんのことが好きな男を調べ、お姉ちゃんに相応しいかをチェックし、私のおめがねに叶わなかった場合はブロックすると決めている。
まず第一に、私のことを好きにならないこと。
私は、自分の顔が与える影響を自覚している。これが原因でお姉ちゃんが悲しむようなことがあってはならない。てゆーか、私がお姉ちゃんに嫌われたくないから、というのが大きいかもしれない。
そして第二に、性格が破綻していないこと。
浮気をするような人や、金使いが荒い人、暴力癖があるような人をお姉ちゃんに近づけるわけにはいかないからだ。お姉ちゃんは純粋なので、困ってるとか言われたらすぐにお金を貸しちゃいそうだから。
だから、最初に先輩がお姉ちゃんを好きだと分かったときは、大成功だと思った。
先輩は私のことを好きにならないし、性格もまぁマシだし。見事に条件通過してるし。仕方ない。先輩にならお姉ちゃんを任せるのもやぶさかではない。
私も先輩のこと、嫌いじゃないし。
そう思って、まぁいずれ上手くいくでしょ、と見守っていたのだが、おかしいな、全然そんな兆しがない。
きっと、というか多分、むしろ絶対、先輩が奥手すぎて、お姉ちゃんにあまりアタックしていかないせいだ。していることは、こうやって屋上からお姉ちゃんを眺めているだけ。
学校代表の美少女である私とはこうやって話すくせに、クラスメイトのお姉ちゃんとは話せないとか。なんていうか、本当に。
不干渉を決めてた私だけど、流石に奥手すぎて手を貸したくなってくる。
「ねーえ、先輩。協力してあげましょうか。私ってば優しいので、先輩のことお姉ちゃんに紹介してあげてもいいし、ダブルデートに誘ってあげてもいいですよ」
「…………いや、別に必要ない。自分で努力するから大丈夫だ」
「えー、今、めっちゃ考えてたじゃないですか。それに、先輩の努力とやらをまだ見せてもらったことないんですけど」
「これからどんどん見せてくんだよ!!」
「あは。本当ですか? 何年後かわかんないけど、楽しみにしときますねーー?」
先輩は、私に協力も頼んでこない。
だからまだお姉ちゃんと先輩はただのクラスメイトなだけなんだよ、と思ったりもするけど、そんなところも嫌いじゃなかったりする。
先輩が、手に入らなくて良かったなぁ。
私のものになってくれないから、ずっと、好きでいられる。ずっと、お姉ちゃんを好きでいてね。私の視線には気づかないでね、と。
祈りをこめて先輩を見上げた。
「先輩は、なんでお姉ちゃんが好きなんですか?」
先輩が、私に振り向くことはきっと、一生ない。私はそれがいい。それでいい。
「……なんでかな」
でも先輩は、お姉ちゃんに振り向いて欲しいんでしょ? だったら、見つめてるだけなんてやめたらいいのに。
だから先輩は、バカだなぁと思う。
だって私、知ってるよ。
恋って、結ばれなくちゃ意味ないんでしょ?
────事件が起きたのは、その2週間後のことだった。
いつも通り家に帰ると、お姉ちゃんが正座して私の部屋にいた。意味がわからない。
「えーと、お姉ちゃん。急にどうしたの?」
「……実はですね、桃に相談がありまして」
「はい、なんでしょう」
お姉ちゃんがこんなに改まって相談にくるなんて滅多にない。余程真剣なことなのだろうか。
私が荷物をおろしてお姉ちゃんの向かい側に座ると、お姉ちゃんが言いづらそうに口を開いた。
「…………えーと。桃のクラスに、田中くんっているじゃない?」
「……田中くん? 田中俊くんのこと??」
同じクラスの田中俊は、1年生にしてサッカー部のエースで顔もよく、人気がある。いつも女子に騒がれている彼ならお姉ちゃんが知っていてもおかしくないなぁ、と思ったのだが、お姉ちゃんは横に首を振った。
「いや、田中亮介くんのことなんだけど……」
「えっ!? 亮介の方!? あの図書委員の?」
「そうそう、私と同じ日が担当なんだけどね?」
びっくりして、頭が上手く回らない。
だって田中亮介は、私と同じクラスなのにも関わらず、知っている情報がほとんどないような地味なクラスメイトだ。しかも、図書委員なんて名前だけで、ほとんど誰も真面目に仕事しないような委員会だったはず。
どうして学年も違うお姉ちゃんが彼を好きになるというのだろう。
教室でもいつも本を読んでいるような、まさに教室片隅系の男子だから、うちのクラスで『田中』といえばほぼ全員が田中俊の方をイメージするだろうに。
「そっか、お姉ちゃんも図書委員なんだっけ。……ごめん、何の役にも立てなくて本当に申し訳ないんだけどね? 私も田中亮介くんについてはあんまり詳しくないかも……」
と、泣く泣くお姉ちゃんに言ったところ、お姉ちゃんはあからさまに残念そうな顔をした。
「そ、そっか、そうだよね。桃は、その、学校でも派手だもんね。じゃあごめんね!!」
と、顔を真っ赤にして言ったきり、慌てて部屋を出て行こうとするので、抱きついて捕まえて無理やり話を聞く。
すると、無駄に長い話をされたので、その話の内容を整理して一言で言うと、どうやらお姉ちゃんは田中亮介に恋をしてしまったらしい。
真面目同士、毎週決まった曜日にちゃんと図書委員として仕事をしたり、帰りが一緒になって、一緒に下校したりしているうちに、彼の優しさに気づいて好きになってしまったそうだ。まるで、少女漫画みたいな話じゃないか。
しかも、今週末に遊園地デートをするというのだから、展開が早すぎて意味がわからない。前言撤回。流石の少女漫画でもここまで上手くいかない。
そんなことになっているならば、もっと早く相談してくれたらよかったのに、とも思ったが、それを言ったところで今更どうしようもない。時間は待ってはくれないのだ。
そこまで話を聞いて、私の頭に浮かんだのは先輩のことだった。
昼休みのたびにお姉ちゃんを見ている先輩。目を合わせることでさえ出来ないぐらい、お姉ちゃんを好きな先輩。ずっとお姉ちゃんを想い続けている先輩。
そうだ。先輩のことは、どうなるのだろう。どうしよう。
先輩はあんなにお姉ちゃんのことが好きなのに。私は、先輩がお姉ちゃんとくっついてくれないと、困るのに。
お姉ちゃんに話を聞いた次の日から、私は早速田中亮介の素行調査を始めた。何せ、初デートは1週間後。残された時間は少ない。
しかし、幸にも同じクラスだということもあり、情報はすぐに集まった。適当に話しかけるだけで情報が集まるのだから、『かわいい人気者』の称号はすごい。
私の期待に反して、調べれば調べるほど、田中亮介はいい人だという証拠がボロボロと出てくる。
曰く、困っていたときに委員会を代わってもらったとか。とにかく真面目で課題を忘れているところを見たことが無いだとか。
そしてさらに、今までに付き合った彼女もいないとか。これならお姉ちゃんを元カノ問題に巻き込むことはないし、彼の友達にさりげなく私の印象を聞いてもらったら、『かわいいとは思うけれど世界が違いすぎて怖い』とのことなので安心出来る。
それに、実は家柄もいいらしい。なんと甲斐性まである。姉の交際相手にするなら、まさに完璧じゃないか。
この調査結果を、私の報告を毎日ビクビクしながら待っていたお姉ちゃんに伝えると、
「ね、亮介くんって本当にいい人だったでしょ? そんなに心配することないってば。そうだ! ねぇ、明日のデートの服選んでくれない? めいっぱいオシャレして行きたいんだ……!!」
と、嬉しそうな顔で笑っていた。
「あ、うん、そうだね……」
対照的に、私は曖昧に笑うことしか出来なかった。
だって、本当は田中亮介が悪い人で、お姉ちゃんの交際相手に相応しく無い人物であることを望んでいただなんて、口が裂けても言えないし。
目の前で笑うお姉ちゃんは幸せそうだ。田中亮介もいい人みたいだし、2人に問題はない。
でも、それなら先輩のことはどうしよう。先輩はこのことを知らないはずだ。
どうする、伝える? 誰に、何を?
お姉ちゃんに、あなたのことをずっと好きな人がいるから、明日は行かないでって?
先輩に、明日お姉ちゃんがデートしちゃうから、邪魔しに行かないとって?
そんなのおかしくて、もう手遅れだってことに気がついてるのに、私は必死で頭を働かせて先輩とお姉ちゃんの未来を探した。
だってきっと、先輩の方がお姉ちゃんのことを好きだよ。お姉ちゃんは少しも気付いてなくても、ずっとずっと先輩はお姉ちゃんのことを見てたんだよ?
そういや今日も、先輩は屋上からお姉ちゃんを見てたな。お姉ちゃんの、笑ったときにできる笑窪が好きだとか、気持ち悪いこと言ってたな。
そんなことを思い出すと、まるで走馬灯のように、先輩がお姉ちゃんのことを眺めている時の優しげな横顔が頭によぎる。先輩の、お姉ちゃんのことを語る、優しい声が頭に響く。
そもそも、地味で真面目な田中亮介がありなら、先輩だってありじゃんか。どうして、ずっと身近でお姉ちゃんを見てたはずの先輩じゃないの。
ほら。余計に、先輩だっていいじゃん。先輩だって負けてないぐらい良いところがあるって、私はちゃんと知ってるのに。
知ってるから、だから、私は。
私は、喉まできていた言葉を飲み込んで。
先輩に連絡しようと手に持ったスマホを机の上に裏返しに置いて、お姉ちゃんに笑いかけて口を開いた。
「分かった。私が、世界一かわいくしてあげる。デートが上手くいくように、私も超祈ってるから!」
…………だって、お姉ちゃんは先輩の気持ちなんて知らないはずなんだから、わざわざ今伝えて混乱させることもないよね。
第一、お姉ちゃんが人を好きだと言ったのは初めてだし、そのお姉ちゃんの意思を尊重すべきだ。先輩は、私に協力しなくていいって言ってたし。私、先輩よりもお姉ちゃんの方が大事だし?
だから、私がこのことをお姉ちゃんと先輩に伝えなかったのに他意はない。
他の理由は一切無いから、純粋にお姉ちゃんを応援出来る。
「桃ってばめっちゃ頼りになる! 本当にありがとう。私、頑張るね!!」
「っ、ん。頑張って!」
私は、嬉しそうに笑うお姉ちゃんから目を背けたくて、服を選ぶ振りをして後ろを向いた。心臓が、ドクドクと音を立てて鳴っている。
もしお姉ちゃんの恋が上手くいったら、先輩はどうするんだろう。私達の仲はどうなるんだろう。
もしかして先輩は、私のものになっちゃったりするのかな。
それって、すっごく。
すっごく、ゾクゾクする。
そしてその週末。結果から言うと、お姉ちゃんと田中亮介の初デートは大成功した。
あまりに惚気られて飽きたから端折るけれど、帰りに観覧車の頂上で告白されて、付き合いだしたらしい。ベタすぎて砂糖を吐きそうだ。
お姉ちゃんが、教室片隅系で地味男子代表である田中亮介と付き合いだしたことはすぐに広まった。お姉ちゃんと付き合いだしたことをきっかけに、彼がイケメンに大変身を遂げたからだ。お姉ちゃんもみるみる綺麗になってるし、恋の力ってすごい。
そしてお姉ちゃんは、お昼休みは友達ではなく彼氏である田中亮介と食べるようになった。お姉ちゃんは気合いをいれてお弁当を作るようになって、いつも私に味見をせがんでくる。本当は卵焼きがしょっぱすぎることなんて、絶対言ってやらない。
だって、屋上から見える、いつもの中庭の風景からお姉ちゃんの姿が消えたせいで、先輩の姿も消えてしまった。
私では、普段は真面目な先輩が、規則を破ってまで屋上に来る理由になれなかった。
1人で食べるご飯は何にも美味しくなくて、美味しいはずの卵焼きの味もしない。ただご飯を食べているだけなのに、ボロボロと生暖かい雫が頬を伝う。
私、あれも欲しくて、これも欲しくて、空っぽな自分を埋めたくて。でも、どれだけ満たしても埋まらない。こんなに満たされてるはずなのに、みんなに羨ましがられるのに、本当の奥の方はずっと、ずっと、空洞のままだから。
だって、私、本当は。誰も持ってないものしか欲しくないし、そんなものは、この狭い学校の中に一つもないことを知ってる。
ずっとブレブレで、欲しいものも、やりたいことも、いつも周りの人次第。かわいいって、大事にされる方ばっかり選んで生きてる。
そしたら、ただかわいいだけでも生きていけるから。
でも先輩はずっと、地味なお姉ちゃんを見てたから。すごいなって、羨ましいなって、私のものにしたいって本当は思ってたんだよ。
私は先輩が、手に入らないから面白くて好きなのに。そんなの矛盾してておかしいよね。
「……せんぱい」
私、いつからこんなに弱くなっちゃったの。
屋上へ行ったら苦しいし、もう先輩はいない。頭では理解しているはずなのに、私は昼休みに屋上へ通うことがやめられなかった。
だって先輩に会いたいのに、いないから。私、本当は、先輩がいてくれないと、もう息も詰まりそうな学校でご飯を食べることすらままならないのに。
「ッ、今更、意味わかんない……」
そんなことに気がついたのが今だなんて、本当に馬鹿みたいだ。
こんな簡単なことに気づくのに、1週間かかった。それも、先輩を失ってから。
もう、遅いのに。私が全部壊したから、手遅れなのに。
やっぱりあのとき、先輩に連絡をしていればよかった。お姉ちゃんに、嘘の田中亮介の情報を渡せばよかった。彼女がいるとか、素行が悪いとか。
でも、そうすることが何故か嫌だった。あのまま、先輩が手に入るかもしれないと思った。一生交わらない視線が好きなんて嘘をついて。
私じゃダメ?
そんなにお姉ちゃんがいいの??
『先輩は、なんでお姉ちゃんが好きなんですか?』
『……なんでかな』
ふと、昔した会話が思い浮かぶ。
私はちゃんと、先輩のことがどうして好きなのか言えますよ。私の方が、こんなにかわいいですよ?
あと私に何があったらいいんだろう。
どうやっても、足らない。
空っぽで埋まらない。
先輩がこっちを向いてくれないと、自分が生きてる価値見出せないよ。
────もしかして私、かわいいだけじゃ、もう生きられない?
だって私がかわいいだけでいいなら。
先輩が、私をかわいいだけで選んでくれるような人なら私、先輩のこと好きになってないもんね。
自分でかけた呪いが、今になって足を引っ張ってくる。
私は、込み上げる涙を強引に袖で拭って、また卵焼きを一口かじった。甘いはずの卵焼きなのに、目から落ちてくる水のせいで、しょっぱい。
「ッ、美味しくない……」
まるで私の涙を隠すみたいに、パラパラと雨が降ってきた。だから、今日はもう、先輩は来ない。
そのせいで涙が止まった。先輩がここに来ないことに、自分以外の理由があることに安堵している自分がいる。
ただ夕焼けが、痛かった。
それから2週間が経って、先輩はようやく屋上に現れた。
何故か先輩を見るだけで泣きそうになったけど、私はいつもの私に近づくように、無理やり口角を上げて先輩に近づいた。
「わ、先輩! 久しぶりじゃないですか。この2週間、どこでご飯食べてたんですか?」
「……別に、どこだっていいだろ」
「そうですね。聞いといてあれですけど、私もそんなに興味なかったです」
そう言って、いつも通りにすとんと先輩の横に腰を下ろす。
「……今日も焼きそばパンなんですか? 栄養偏りすぎてウケますね」
「………」
「髪の毛、めっちゃ跳ねてますよ。寝坊したんですか?」
「………」
「そういや、そろそろテストですね。勉強進んでますか?」
何を話しかけても、先輩はこっちを見ない。顔すら上げずに、何処を見ているのか分からないような濁った瞳を伏せて、黙々と焼きそばパンを食べ続けている。
「……先輩、泣いてるんですか?」
まるで私の問いに肯定するように、かすかに嗚咽する声が聞こえ、アスファルトの上に何個か染みができた。
だから、私は必死に、先輩の涙が止まるようにって祈りながら先輩の背中をさすった。
私のせいだ。私のせいだ。私のせいでしょ。先輩が、私のせいで泣いてしまった。
やめてくださいよ。そんなに苦しい顔をしないでください。代わりに私が泣いてあげるから、もうこれ以上泣かないで。
先輩、ごめんなさい。また、馬鹿みたいな話しましょうよ。中身のない話でいいんです。
どうでもいいことを話しましょう。それを先輩がまたウザいとかなんとか言って、そしたら私が心外だと怒って。
ねぇ先輩。また、お前馬鹿かって、うるさいって言ってくださいよ。
私がお姉ちゃんの代わりに、ずっと隣に居ますから。お姉ちゃんみたいに、いなくなったりしませんから。
あれから、どれぐらいの時間が経ったのだろうか。嗚咽を漏らす先輩が焼きそばパンを食べ終わった頃にキーンコーンと、予鈴の音が鳴った。
先輩はそれを合図に、空になった焼きそばパンの袋を持って立ち上がる。
私は、これを逃したらもう2度と会えない気がして、先輩のブレザーの裾を握って話しかけた。
「っせ、先輩。明日からも屋上来てくださいよ。私、1人でご飯食べるの、想像以上に悲しかったんですからね?」
「……別に俺じゃなくてもいいだろ。お前と一緒に食べたいやつ、いっぱいいるだろうしさ。ほら、人気者の加賀谷桃さまなんだろ?」
「……ッ、私は、先輩と食べたいんですよぉ」
「俺と食べてどうするんだよ。それとも何。もしかして俺のこと好きとか?」
先輩が冷めた目をして私を振り返った。いつもみたいなふざけたやり取りのはずなのに、先輩の目にバッチリ私が映っていることが、怖くて仕方がない。
私は、背筋を這うように湧き上がってきた罪悪感を殺して、無理矢理微笑んだ。
「……違いますよ。なんで私が先輩のこと好きなんですか? 自意識過剰すぎです」
私、かわいいだけだから、こんなにも無害です。
バレてないかな。バレてないよね。お姉ちゃんに先輩のこと、わざと言わなかったなんて先輩は知らないもんね。
それでも、失恋相手の妹になんてもう会いたくないんだろうな。それに、お姉ちゃんの恋愛事情を教えなかった私への不信感とかもあるのかも。
でも逃がさない。私は、まだまだ会いたい。これからも会いたい。
だから、離してあげない。
違う。違う。違うんだよ。
先輩のこと好きだけど、これは恋愛の好きじゃない。好きじゃないから勘違いしないで。いなくならないでよ。
どうにかして私が、先輩を好きじゃないって証明しなくちゃ。
心拍数が上がる。緊張で吐いてしまいそう。
「そもそも私、彼氏いますし」
気づいたら、どうしようもない嘘が口から溢れていた。
頭の中がグルグルと回る。ぐるぐる、ぐるぐる、圧倒的に酸素が足らない。それでも、どうにかしてこの嘘を、本物にしなくちゃ。
そうだ。この後、連絡先交換した男子に適当に告白しよう。私が先輩のこと好きじゃないって証明出来たら、このままそばにいてくれるよね。
今日からみんなに好かれる、純粋で優しくて真面目だけが取り柄みたいな、お姉ちゃんみたいな女の子にならないと。
かわいいだけじゃ、手に入らない。
どうやっても、どんな手を使っても、先輩を私のものにしなくちゃ。ビッチってクラスメイトに嫌われるとか、仲間外れとか、どうでもいいよ。空っぽとか、どうでもいいよ。
だって、先輩がそばにいるだけで満たされるような、そんな気がしてる。
頭の中がぐちゃぐちゃする。脳内の価値観が入れ替わる。自分の気持ちよりも、先輩といられることの方が優先順位が高くなってしまった。
この苦しい気持ちが、切ない気持ちが、恋じゃないなら、なんなんだろう。
でも、結ばれないと意味がないなんてちっとも思えないから、これはきっと恋じゃないのだと思う。執着とか、ドロドロした、そういうもの。
だって私、先輩のことなんて好きじゃないから。
ずるい私は、にっこりと笑って先輩に手を伸ばした。
「ただ、可哀想な先輩を慰めてあげようと思っただけです。私、優しいので」
お願いだから、私から離れていかないで。
そう言って先輩の手を握った私は、どんな顔をしてたのかな。あの時みたいに、泣き出しそうな顔だけはしてないといいな。
こんな私、ちっともかわいくない。
でも、先輩が、姉じゃなくて私を見てる。ただそれだけで気持ちよかったの。ようやく、欲しかったものが手に入ったような気がしたの。
かわいくなくても、生きていける気がしたの。
だから、ずっと先輩のそばにいるし、先輩を傷つけることはしませんから。
────私に手を、伸ばしてよ。