――リームザードさんの口から語られる彼女自身の過去は、私の想像を絶するものでした。

 リームザードさんがそれなりに長い時間を生きていることは、私も知っていました。
 以前お師匠さまの二つ名についての由来を調べた際に、それが《全》と呼ばれる妖精……つまりはリームザードさんにあることと、その実在がおよそ千年以上前から確認されていること。
 そんなことを、冒険者ギルドのギルドマスターであるソパーダさんから聞いてましたから。

 けれど私はどうやら、長く生きるということの意味をあまりにも軽く考えすぎてしまっていたみたいでした。
 リームザードさんがお師匠さまに出会うまでに歩んできた軌跡には、希望や幸福なんて呼べるようなものは何一つとしてなくて……まるで深く暗い海の底で溺れもがき苦しみ続けてきたかのように、あまりにも痛ましく、おぞましい。

 ……私は今、幸せです。
 お師匠さまという大好きな人がいて、その人も私のことを大切にしてくれていて、当たり前のように一緒に過ごせている。
 お師匠さまが笑うと、私も自然と笑顔になる。

 だからこうも思います。
 この先もずっと一緒にいられますように。この日々がいつまでも続きますように。
 願わくば、どうか永遠に。

 ……でもやっぱり、そんな風に思ってしまう理由は、今が幸せだからに過ぎないんです。

 少しだけ、思い出してみます。
 それはまだお師匠さまに出会う前の、幸せになる前の私のこと。
 ……いつ誰の奴隷になるかもわからない暗い牢屋の中、ただ虚空を見つめ続けていた日々のこと。

 お母さんに私を見てもらいたくて、ずっと頑張ってきたのに。なんの感慨もないかのように奴隷として売られてしまって。
 生きる意味も見失い、喪失と絶望に打ちひしがれていたあの時間が……もしも永遠に続いてしまうのだとしたら?

 一度は体験した日々ですから。少し想像するだけでも、自分が感じるだろうことは予想がつきます。
 きっと私は、こう思うのでしょう。

 ……死にたい。もう終わりたい。
 なにも見たくない。聞きたくない。感じたくない。

 そんな風に思って……でも、もしも私の命がリームザードさんと同じ永遠のものだったとしたら、その願いだけは絶対に叶わない……んですよね。
 泣いても。叫んでも。嘆いても。どうにもならなくて諦めたって。
 変わらない。死ねない。終わらない。
 真っ暗な牢屋の中で、私はいつまでも一人ぼっちで……。

 ……私のこれは、しょせんは想像に過ぎません。
 けれどリームザードさんは、私が今思い浮かべた以上の苦しみを実際にその身で味わってきたのでしょう。
 それも人間の一生を何百と積み上げなくては到達できないほどの気が遠くなる時間を、終わりも見えないまま。

 今日という日に至るまで、いったいどれほど心をすり減らしたことでしょう。
 どれほど死を渇望し、その救いに焦がれたことでしょう。
 いったいどれほど……孤独という病に蝕まれたことでしょう。

 お師匠さまはそんな荒んだリームザードさんと出会って、どうしたのでしょうか。
 以前、お師匠さまからリームザードさんと出会った当時の話を聞いた際には、お師匠さまはリームザードさんの望みを叶えてあげられなかった……約束を果たせなかったとおっしゃっていました。
 しかしただ単に約束を果たせなかっただけだとしたら、あのリームザードさんがあそこまでお師匠さまに懐くとは思えません。
 おそらく他になにかがあったとは思うのですが……。

「出会ったばかりのあの子は本当に危なっかしくてね。危険な森の中だって言うのにとにかく警戒が散漫でさ」

 私が考え事をしてる間に、リームザードさんはお師匠さまと出会ってからの思い出を語り始めます。
 ついさきほど、彼女自身のことを話していた時は、思い出したくもないことを語るような、どこかつまらなさそうな仏頂面でしたが、今は少しばかりの喜色が滲んでいました。

「そこかしこを不注意にうろついたり、見た目が弱そうなだけの凶悪な魔物にフラフラ近づいてったり。少し目を離したら次の瞬間には死んでるんじゃないかって、もう気が気じゃなかったよ」
「ハロちゃ……むかしはそんな……むけいかい、だったんだ……」
「昔はっていうか、今もね。それなりにマシにはなったみたいだけど、あいかわらず油断が多いよあの子は」

 リームザードさんは呆れたように肩をすくめます。

「危険地帯をうろつく時なんかはさすがに警戒するようになったけどね。自分と同じ人型の生き物……とりわけ身内と認識したやつにはとにかく隙だらけだ。あと、小さな子どもなんかにもね。そいつらが裏切ったりだとか、欺いてきたりだとか、そう言ったことを考えもしない」
「……うん。確かにお姉ちゃんに魅了をかけるの、すごく簡単だったかも」

 アモルちゃんが言っているのは、アモルちゃんがこの家に来たばかりだった頃の出来事でしょう。
 その時はまだアモルちゃんが淫魔だとわかっていなくて……不意打ちで、お師匠さまはアモルちゃんの魅了の力にかかってしまったそうです。
 私はその場面に出くわすことはありませんでしたが、お師匠さまが襲われそうになったと後々になってから聞いて、知らないうちにお師匠さまを失っていたかもしれないと、ちょっと取り乱しちゃった覚えがあります。
 でも、そのおかげでお師匠さまも私を意識してくれていたことを知ることもできたので……えへへ。そこまで悪いことばかりでもなかったですね。

 と、私に思いの丈を告げる可愛らしいお師匠さまを思い出して私が内心密かにニヤついていると、アモルちゃんが「あっ」と訂正するように首を横に振りました。

「ううん……だった、じゃないかも。今も……わたしがただの子どもじゃなくて、成熟した淫魔だったと知った後でも……魔法の開発のためにわたしに魅了をかけてほしいって、頼ってもらえたから」
「……はあ。あいかわらずだね、あの子は。アモルに少しでも魔が差したりしたら、好き勝手されちゃってもおかしくないってのに」
「うん。わたしもちょっとだけ……お姉ちゃんが心配になっちゃった」

 ……お師匠さま……アモルちゃんがここまで言うくらいですから、本当にまったくの無警戒だったんでしょうね……。
 なんだか私までお師匠さまが心配になってきちゃいました。
 もちろん、気を許した相手にはそんな風に無防備になってしまうところも、お師匠さまの数あるキュートチャームポイントの一つではありますが……。

「でもね。そんなお姉ちゃんだったから、わたしのことを心から信じてくれてるんだって伝わってきて……すっごく胸がポカポカして……わたし、嬉しかった」

 胸の前に手を当てたまま、アモルちゃんはリームザードさんを見つめます。

「少しだけだけど……わたしね。妖精さんのこと、わかるの。わたしも妖精さんと同じで、産まれた時から皆と違ってて……それがわかった時、皆から仲間って認めてもらえくなっちゃったから」
「同じ……ね。今のワタシの話を聞いて、それでもお前はワタシとお前が同じって言うんだ?」
「うん。わたしと妖精さんは、きっと同じ。あ……そっか。だからわたし、妖精さんを一目見た時から、仲良くなりたいってずっと思ってたのかな」

 嬉しいことに気がついたように、アモルちゃんが顔を綻ばせます。

「同じだから……なんとなくわかるの。自分じゃどうしようもないことで一人ぼっちにされて……毎日が辛くて嫌なことばっかりだと、期待することに疲れてきちゃう。皆と違うからしかたない。異端だからしかたない、って。そんな風に最初から全部諦めて……自分から、一人になろうとしちゃう。本当は一人なんか嫌で……誰かを愛したいのに。誰かに、愛してもらいたいのに……」
「……お前はそうだったんだね」
「うん。わたしも……そうだったの」

 アモルちゃんは、あくまで自分とリームザードさんが同じだという姿勢を崩しません。
 それはアモルちゃんが自分とリームザードさんは同じだと、心の底から信じているからなのでしょう。

 リームザードさんは、そんなアモルちゃんの言葉を拒絶も否定もしませんでした。
 ただ黙ったまま、ジッとアモルちゃんを見つめ返します。

「そんなわたしに……諦めて、もう求めてすらいなかったわたしに……お姉ちゃんは、寄り添ってくれた。わたし、お姉ちゃんを傷つけちゃうようなことだっていっぱいしちゃったのに、お姉ちゃんを悲しませて、泣かせたりもしちゃったのに……そんなわたしを見捨てたりしないで……お姉ちゃんは、わたしが欲しかったものをくれた。妖精さんも……同じ、だったんでしょ?」
「……」
「お姉ちゃんは、妖精さんが言ってたみたいに……わたしや妖精さんみたいな小さな子には、すごく甘いから。妖精さんがどんなにきつく当たったって、お姉ちゃんなら笑ってそばにいてくれたはずだって……わたし、そう思う。それがきっと、妖精さんは……」
「……はぁ」

 語り続けるアモルちゃんのまっすぐな瞳に、リームザードさんは観念したように肩をすくめました。
 自分は異端だと。誰とも違うのだと。
 かつてはそう嘯いていたはずのリームザードさんも、アモルちゃんの純粋さの前ではどうやら形無しのようです。

「そうだね……ワタシはあの子を絶対に死なせるわけにはいかなかったから、ほとんど四六時中一緒にいたけど……お前の言う通り、あの子はワタシと一緒にいる間、いつも楽しそうに笑ってた」
「えへへ……やっぱり」
「……守るのも、魔法を教えるのも、他のどんなことだって。ワタシがあの子にしてやってたことはすべて、ワタシのためだ。ワタシが死ぬため。いつの日かあの子に終わらせてもらうため。それは絶対に、あの子のためなんかじゃなかった。だってのに、あの子は……いつもありがとう、って。全部知ってるくせに。ワタシがハロをなんとも思ってないことなんて重々承知のはずなのに。無邪気に、無鉄砲に……いつだって」

 それはさながら懐かしむようで、愛おしむようで。
 まるで我が子を慈しむかのように、リームザードさんは微笑みを浮かべます。

「他人なんか鬱陶しいだけだったはずなのに、いつしかあの子がそばにいるのが当たり前になってた。一人の時に感じてた不安や苛立ちが……あの子の近くにいる間だけは、和らぐようだった」

 しかしそこまで語ったところで、リームザードさんの顔に暗い影が差しました。

「……でもさ。だからこそ……だからこそ、あの日。あの子がワタシを終わらせる魔法を完成させたと言って、それをワタシに行使した、あの日……ワタシはあの子から逃げ出してしまった」

 それは私がリームザードさんについてお師匠さまから聞いていた話と、ほとんど一致していました。
 お師匠さまいわく、リームザードさんはお師匠さまを見限って、どこかへ行ってしまったと。
 リームザードさんの話を聞く限りですと、別に見限ったわけではなさそうですが……リームザードさんが一度お師匠さまの前からいなくなってしまったこと自体は間違いないみたいですし、おそらくは二人の間でなにか誤解があったのだと思われます。

 いえ、それにしても……。

「逃げ出した……ですか? えぇと……それはつまり、直前で死ぬのが怖くなって、逃げ出しちゃった……と?」
「はぁ?」

 その場合、リームザードさんは口で死にたいと言っていただけのはた迷惑な人になってしまいますが……。

 幸いと言うべきか、その憶測は間違っていたみたいです。
 リームザードさんは私にジトッとした不満そうな目を向けてきました。

「そんなわけないでしょ……第一、逃げちゃったのは直前じゃないし。あの子がワタシに魔法を行使したって言ったでしょ。逃げちゃったのはその後」
「後、ですか? ですが後になってしまうと、そもそもリームザードさんはここにはいないはずでは……」
「はぁ? ……あー」

 ふと、リームザードさんはなにか間違いに気がついたように頭を掻きました。

「いや……そっか。お前、どうやらあの日のワタシと同じ勘違いをしてるみたいだね」
「同じ勘違い……? どういうことですか?」
「あの子が作り出したワタシを終わらせる魔法は、今のお前が想像してるみたいな『不死の存在を殺す』ものじゃないんだ。あくまでワタシの中にある『不死の呪いを取り除く』だけのものだったってこと」

 ……なるほど。それは盲点でした。
 もしリームザードさんが不死の存在を殺し得る魔法を受けたのなら今ここにはいないだろうと思い、その前に逃げ出したのだと勝手に思い込んでしまいましたが……それならば辻褄は合います。

 リームザードさんは確かに、お師匠さまが作り出した不死を終わらせる魔法をその身に受けたのでしょう。
 そして一万年という長過ぎる歳月にわたって彼女を蝕んでいた不死の呪いは、完全に取り除かれた。

 しかしそうなると。

「ではリームザードさんは、どうしてお師匠さまから逃げ出してしまったのですか? 呪いがなくなったのなら……その、いつでも死ねるようになったわけですし。気兼ねなくお師匠さまと一緒にいられたはずだと思うのですが」

 死ぬだのなんだのと、縁起の良くないことはあまり言いたくありませんでしたが、それがリームザードさんの長年の悲願であったことは事実です。

 あの日のワタシと同じ勘違い、なんて言うくらいですから、当時のリームザードさんも自分がその魔法を受ければ死んでしまうものだと思っていたのでしょう。
 実際にはそうはならなかったわけですが……不死の存在を殺すことも、不死の呪いを取り除くことも、本質的な結果は同じはずです。

 違うことがあるとすれば、選択肢が提示されることでしょうか。
 すなわち、無限ではなくなった命でまだ生きてみるか。それとも、すぐにでも生を終えてしまうか。

 お師匠さまとまだ一緒にいたいなら、生きればいい。
 もうこれ以上生きることに疲れてしまったのなら……自ら命を絶ってしまえばいい。

 勝手な憶測ですが、私はリームザードさんなら前者を選ぶものだと思っていました。
 いえ……今この場にリームザードさんがいる以上は、最終的にはやはり生きることを選んだのでしょう。
 ですがリームザードさんの発言を鑑みるに、不死の呪いから解放された当時の彼女は、お師匠さまと一緒にいることは選ばずにお師匠さまの前から逃げ出してしまったようです。
 それはいったい、どうしてなのでしょう?

「……それは……」

 私の疑問に、リームザードさんはどうにも答えづらそうに目を背けます。
 誰にはばかることなく飾り気のない言葉を多く口にする彼女にしては珍しい、口ごもるような素振り。
 どこか後ろめたい気持ちを抱えているような、そんな態度に見えました。

「……怖かったんだ」

 数秒の沈黙を経て、ポツリとこぼれたのは、そんな言葉。

「怖かった……ですか? それは……不死でなくなった後も生きることが?」
「……半分は正解だね。ただ、死ねないから生きてる。それだけでしかなかったワタシにとって、自分の意志で生きることを選ぶってのは……すごく不安で、怖いことでさ」

 そう告白するリームザードさんの肩は、なにかに怯えるように震えていました。
 今はもう自分の意志で生きることを選んだ後なのでしょうが……それでもまだ、こうしてここで生きていることさえもリームザードさんにとっては不安でしかたがないことなのかもしれません。

「……けどさ」

 しかしリームザードさんはすぐに頭を振って、その震えを振り払います。

「そんな悩みは些細なことなんだよ。それだけならきっと、ワタシはあのままあの子と一緒にいることを選んでた。言ったでしょ? 半分は正解だ、って。あの日、ワタシがあの子の前から逃げ出しちゃった理由の残りの半分は、別にある。そしてそれこそが……あの子が抱える苦しみと絶望の正体なんだ」
「…………え。ちょ、ちょっと……待ってください。それは、まさか……い、いえでも……そんな、こと……」

 答えを目前にしたここに至って、私はある予想にたどりついてしまい、図らずも動揺してしまいます。

 この話をする直前、リームザードさんは言っていました。お師匠さまが抱える苦しみは、もとをたどればすべて自分のせいだと。
 それは裏を返せば、仮にリームザードさんがお師匠さまと出会わなければ、お師匠さまはその苦しみを背負わなかったということになる。

 長い人生の中でリームザードさんが味わってきた、リームザードさんだけの苦しみ。
 不死の呪いを取り除く魔法。それによって生じた、お師匠さまの苦しみ。
 かつてリームザードさんを蝕んでいた不死の呪いと、それに纏わる壮絶な過去。本来であれば話したくもないだろうはずのそれを、なぜ彼女はわざわざ私たちに明かしたのか。
 ずっと抱いていた死にたいという思いが霞んでしまうくらい、お師匠さまと一緒にいる時間が好きだったはずなのに。そんなお師匠さまから逃げ出してしまうほど、リームザードさんが強い恐怖を抱いた理由――。

 本題であるここに至るまでにリームザードさんがばら撒いた、数々の断片的な情報が頭の中を巡ります。
 それらが一つに繋がる答えは――おそらく、ただ一つだけです。

 違うと否定してほしい。縋るような目を向ける私へと、しかしリームザードさんは力なく首を横に振りました。

「……そうだよ。全部、お前の想像通りだ」
「そ、んな……では、お師匠……さまは……」

 愕然とするしかない私の横で、シィナちゃんとアモルちゃんは未だピンとこない様子で首を傾げています。
 そんな彼女たちにも理解してもらうべく、リームザードさんは、私が一足先にたどりついてしまった残酷な真実を告げます。

「――ワタシを蝕んでいた不死の呪いは今、あの子の……ハロの中にある」
「…………え?」
「ど、どういう……こと?」

 二人の動揺は、至極当然のものです。
 リームザードさんは一つずつ、当時の出来事を紐解いていきます。

「簡単な話だよ。あの子がワタシに行使した、不死の呪いを取り除く魔法……それは確かにワタシの中から不死の呪いを消し去った。だけどそれはあくまで、ワタシの中から追い出すだけのものだったんだよ。不死の呪いを完全に消滅させられたわけじゃない……」
「……私、は」

 その続きは、私が自然と口にしていました。
 震える唇が、認めたくない真実を紡いでいきます。

「お師匠さまがリームザードさんを、殺さなかったのは……わざわざ呪いだけを取り除くなんて遠回りな手段を取ったのは、母親のように慕っていたリームザードさんを手にかけることがどうしてもできなかったからだと……思ってました。でも……それだけじゃなかったんです。たとえお師匠さまの魔法の才能を持ってしても、不死の存在を殺すことはできなかった……」
「そうだ。だからあの子は決断して……そして作り上げた。こんなワタシのために……ワタシの中にある不死の呪いを、自分自身に移し替えてしまう魔法を。不死の呪いを完璧に消し去ることはできなくても、干渉できるだけの才能はあったから。ううん、あってしまったから」

 シィナちゃんもアモルちゃんも、言葉を失っています。
 いえ……私もそれは、同じです。現実をまだ、受け入れきれていない。

 そんな私たちに、リームザードさんは畳み掛けるように言います。

「お前たちはさ、少しも疑問には思わなかった? あの子が弟子を取ることが。まだ二十代にもなってないくらい若いのに。しかもその弟子ってのは、フィリア……エルフである自分より寿命が短い人間だ。変な話でしょ? 自分よりも先立つだろうやつに自分の後を継がせようだなんて」

 言われてみれば確かに、それは疑問を覚えるべき事柄だったのかもしれません。
 今までそんな簡単なことにさえ気づけなかったのは、きっと……お師匠さまがくれる数々の優しさと温かさに、私が浮かれていたから。

「あの子はさ、恐ろしかったんだ。これから先、不死になった自分が歩むことになる絶望の軌跡が。大切だったはずの人が皆、自分を置き去りにしていなくなって……なにもかもが色褪せた世界で、いつか一人きりになる。その未来に悩んで、恐怖して……そうして選んだんだよ。かつてのワタシと同じ選択を。選んで、そして願った。他の誰かに……お前に。いつかこの苦しみから自分を救ってほしいと」
「っ……」
「不死の存在を殺す。自分にはできなかったことでも、他の誰かなら。もしかしたらこの子なら……ってさ。バカげた話でしょ。そいつが自分より遥かに劣る才能しか持ってないことなんて、わかりきってるだろうに……それでもきっと、諦めきれなかったんだ。いや、それしか縋るものがなかったって言うべきかな」
「お……お師匠さまは、そんなこと……私に一度も……」
「言うわけないだろ。一度はあの子に背を向けて逃げ出したワタシを笑顔で迎えてくれたような甘いあの子が、そんな重荷を背負わせるようなこと」

 矛盾していました。
 救いを求めていたはずなのに。そのために弟子を取ろうと思い立ったはずなのに……その弟子に、望むはずのことを言わないだなんて。

 でも聞くまでもなく、わかっていました。そんなことは。
 リームザードさんの言う通り、わざわざ私を苦しませるだけのことをお師匠さまが言うはずがない。
 たとえ矛盾していようとも、そうしてしまうんです。お師匠さまは。

 初めて私がお師匠さまにお会いした日……お師匠さまは言っていました。
 一人が寂しくて、虚しくて、満たされないから、私を買ったと。
 そして私はそれに対し、言いました。私も一人だったからわかります、と。
 お師匠さまを抱きしめて、これからは私があなたのそばにいますと、そう言って笑った。

 だけど私は理解していなかった。お師匠さまが言う寂しさの理由を。虚しさのわけを。
 不死の呪い。永遠の孤独。
 誰もが自分より先立つ。大切な人に取り残され続けて、いつしか本当の自分を知る人が誰一人としていなくなって……世界で一人ぼっちになる。
 その苦しみを、絶望を、なにもわかっていなかった。
 それなのに軽い気持ちで、同じだと、言ってしまった。

 あの日、あの時、お師匠さまはありがとうとお礼を言って、笑ってくれました。
 でも……でも。
 もしかしたらお師匠さまは、本当はずっと……。

「……あの日。ワタシはあの子がワタシの呪いを肩代わりしたことを理解して……ワタシが味わった絶望を、いつかあの子も味わうことを知って。どうしようもなく怖くなったワタシは、逃げ出した。君と一緒にいたい……そう言って手を差し伸べてくれたあの子に、背を向けて……遠くへ遠くへ、誰の目も届かないところに逃げた」

 皆が陰鬱に口を閉ざしてしまった中、罪を告白するかのように、リームザードさんは言います。

「暗い闇の中で一人になって……ワタシはすぐに死んでしまおうと思った。元はと言えばそのためにあの子を育てたんだ。もう死ねるんだから、死にたいなら死ねばいい。死んでしまえば、こんな意味のわからない苦しみも、理解できないもどかしさも、後ろめたさも後悔も……全部なくなる。楽になれる。そう思って……」

 リームザードさんは、片手で自分の顔を覆うと自嘲気味に笑いました。

「……でもできなかった。どれだけ自分で自分を傷つけても、死ぬ直前になるといつも頭をよぎる。あの子が私にかけてくれた言葉が、笑顔が……あの子と過ごした時間が、いつだってワタシの心を惑わして……ワタシを生かしてきた」
「妖精さん……」
「何年もそんなことを続けてさ……それでやっと、気づいたんだ。ワタシはまだ、あの子と一緒にいたいって思ってるってこと。平和ボケしたあの子と過ごす時間が、大好きだったんだって……あの子のことを、愛してたんだ、って。アハハ、今更だよね……でもその時初めて、ワタシもこの世界に生きてるんだって実感した。あの子にもとに戻ろうって思えたんだ」

 ……かつての私とは違い、リームザードさんは理解しているのでしょう。
 お師匠さまが言っていた寂しさの理由を。虚しさのわけを。
 その苦痛がどれほど深いものなのか、彼女だけが本当の意味で知っている。
 なにせその絶望は、元々はリームザードさんのものだったんですから。
 そして押しつけるようにして逃げてしまったそれと向き合うために、彼女はお師匠さまのところに戻ってきた。

「なにをされるのも覚悟の上だった。あの子はワタシのためにあんなことをしてくれたのに、ワタシはそんなあの子の思いに見て見ぬふりして、身勝手に逃げたんだから。恨まれてもしょうがない。それどころか、本来ならあの子のそばにいる資格すらない。どんな酷いことされたって……受け入れる、つもりだったんだけどね」
「お姉ちゃんは……そんなことしないよ」
「うん。やっぱりあの子は甘いよ。あいかわらず、甘かった。こんなワタシを許してくれるどころか……中途半端に呪いに対処したことでワタシを苦しめてたんじゃないかって。変な勘違いして、ずっと待っててくれてたんだから。本当に甘くて、愚かで……なによりも愛おしい」

 これがワタシのすべてだと、リームザードさんは彼女自身の話を打ち切りました。

 そして今度は、まっすぐに私を見据えてきます。
 決意が宿った瞳に気圧されて……私は一瞬、ビクリと肩を震わせてしまいました。

「フィリア。お前は言ったね。ワタシと最初に会ったあの時、受け入れるはずもない提案をくれてやった際に。魔法の腕で、いつかあの子に並び立てるようになる。もし未来が見えていて、届かないとわかっていても諦めない。そんなことを」
「……はい。言い、ました……」
「今ならわかるだろ。ワタシがあの後に怒った意味が。足りないんだよ(・・・・・・・)、それじゃあ。並び立つだけじゃ無意味だ。届かないなら無価値だ。そんな程度の思いじゃ、あの子の絶望の一片たりとも救えやしない」
「わ、私は……」

 お師匠さまと過ごしたいくつもの日々が脳裏を駆け巡ります。
 その多くで、お師匠さまは笑っています。私のことを気にかけて、微笑んでくださっていました。
 いえ、私だけではありません。
 シィナちゃん、アモルちゃん。お師匠さまはいつだって、他の誰かのことを気にかけて……本当に苦しいのは、辛いのは、自分だったはずなのに。

 お師匠さま……お師匠さまは、どう思っていらしたのですか?
 いつか絶対に一人になる。そばにいる大切な人は皆、自分よりも先立ってしまって、ただ一人取り残される。
 誰も寄り添えず、誰も理解できず。いつしか本当の自分を知る人は誰一人としていなくなる。
 そんな不安と焦燥の中で……救いを求めたはずの相手が、心から満たされた温い気持ちで魔法の修行に臨んでいる。そんな姿を見るのは……。

「もう一度言ってやる。フィリア、お前じゃハロを救えない。自己満足に浸る今のお前がどれだけ努力したところで、たどりつく果てなんてたかが知れてる」
「……」
「そして二度目だ。今度はフィリアだけじゃなくて、お前たち全員に言おうか。本来ならワタシに、こんなこと言う資格はないけれど……」

 リームザードさんは私たちを見回して、睨みつけるようにして言い放ちました。

「あの子の絶望に向き合う覚悟がないなら、あの子のもとを去れ。お前たちが向ける好意という名の重圧が、あの子の心を押しつぶす前に」

 ……もしもこれで私たちがいなくなって、お師匠さまが怒ってしまったとしても、リームザードさんは覚悟の上なのでしょう。
 お師匠さまに嫌われて、拒絶されて。もしかすれば、もう一緒にいられなくなるのだとしても。
 それがいつかの未来のお師匠さまの苦しみを和らげることに繋がるなら。リームザードさんは文字通りなんだってする。
 そうじゃなきゃ、私がリームザードさんと最初に遭遇したあの日、お師匠さまが大切にしているだろうはずの弟子の私を容赦なく殺そうとなんてしなかったはずです。
 もしも本当に殺してしまった後、自分がお師匠さまにどう思われるかなんて……そんなことにも思い至らないほど、リームザードさんはバカではありません。

 なにがあろうと。誰が相手だろうと。どんなことが待ち受けていようと。
 いつかその身が朽ち果てるその時まで、自分のすべてをお師匠さまのために捧げる。
 きっとそれこそが、リームザードさんが自分の意志で生きると決めた理由であり、お師匠さまが抱く苦しみに向き合うための覚悟なんです。

 ……私は……。
 私は情けないことに……答えを出せずにいました。

 お師匠さまが今まで向けてくれた笑顔が。かけてくれた言葉が。お師匠さまの絶望に裏打ちされたものだったとしたら。
 幸せになったぶんだけ、取り残される苦痛に耐えきれなくなるのだとしたら。
 私と過ごした時間と思い出が……いずれ、お師匠さまの心を絞め続ける鎖になってしまうのだとしたら。

 私は……いったい、どうすればいいのでしょうか。
 ……教えてください、お師匠さま……。