アモルとリザの仲を深めさせる作戦は、ひとまず成功と言ってもいいだろう。
 リザはなんだかんだアモルのことを気にかけてくれてたし、アモルも自分を守ってくれた彼女に感謝しているようだった。

 花壇で変質し新たに誕生した植物の魔物のことで、アモルとリザの意見が対立してしまったりもしたが……あのくらいは些細な問題だ。喧嘩にすら入らない。
 アモルはもちろん全然気にしてなかったし、リザもあの後追いかけて、アモルが怒っていなかったことを伝えたらホッと息を吐いていた。
 その安心したような仕草に関しては無意識だったのか、リザ本人は気づいていないみたいだったが。

 というわけで、次である!

 アモルとの交流を終え、残るは二人だ。
 フィリアとシィナ。もとい、人間と獣人。もとい弟子と相棒。もといメロンとミカン(なにがとは言わないがどちらも甘美かつ柔らかいことは間違いない!)。
 どちらの方がリザが馴染みやすそうかと言われれば、まあ――。

「シィナ、いるかい?」

 シィナである。

 うむ。まあ、これもわかりきってた答えだ。
 ただ、一番最初の交流相手にアモルを選んだ時は『リザが唯一気にかけていた子だから』とわざわざピックアップしたのに対して、今回は消去法で決めたという違いがある。

 リザはなぜか、フィリアにだけは異様に刺々しい。
 それはかつてリザが不死だった頃、彼女が私に当たっていた時以上に。
 たぶんこの感覚は、勘違いではないだろうと思う。
 フィリアにだけあんなにきつく当たる理由は、正直よくわからないけど……。

 とにかくそういうわけなので、フィリアは可能な限り後に回すべきだと判断した。
 そうなると消去法で、次はシィナと交流を図るべきという結論に至るわけだ。

「……シィナ?」

 そんなこんなでリザを引き連れて今度はシィナの部屋の前までやってきた。
 やってきたわけなのだが……扉にノックをして呼びかけても、中から反応が戻ってくることはなかった。

 元々シィナは無口な方ではあるけど、こういった呼びかけに対してはなにかしらのリアクションを取ってくれる。
 小さく「ん……」と一文字程度の返事をしたりだとか、猫耳をぴょこんと動かしたりだとか。まあ猫耳を動かされても扉越しでは見えないのだが。
 しかし見えないなら見えないなりに彼女も配慮して、そういう時はなにかしら物音を立ててくれる。
 だけど今回はそれもなかった。

「……入らせてもらうね」

 一応、本当にシィナが部屋の中にいないかどうかだけこの目で確認しておこうかと、形だけでも許可を求めてからドアノブをひねる。

「あれ、シィナ……」

 呼びかけても反応がなかったことから、ここにはシィナはいないのだろうとすでに見切りをつけていたのだが、意外にも彼女は部屋の中にいた。

 イスに腰を落ちつけ、本を手に持ち、机に向かっている。
 ただし、本を読んでいるとかそういうわけではない。視線は開いたページではなくて下を向き、完全に脱力して机に突っ伏してしまっている。
 本を握る手にも力は込められておらず、かろうじて手の中に収まっているという感じだ。半開きのまま、今にも机から落ちそうな危なっかしい位置に無造作に投げ出されていた。

「……すぅ……すぅ……」

 リザはひらひらと翅を羽ばたかせて先行すると、シィナを観察するようにその周囲をゆっくりと旋回した。

「……寝てるみたいだね。気配はあったのに返事がないからハロのこと無視してんのかなこいつって思ってたけど、ま、寝てたなら情状酌量の余地はあると見てもいいかもね」
「あはは、ただ居眠りしてただけで罪を被せられちゃたまらないね……どうしよっか、リザ」
「……嫌なことを後回しにするのは嫌いなの。このままここで待つよ。待つことには慣れてるし」

 お目当ての相手が居眠りをしている事態に直面したリザは、小さくため息をつくと、シィナが突っ伏している机の端に座った。

 リザが言う嫌なことと言うのは、十中八九謝罪のことであろう。
 この家で暮らす条件として出した、今朝リザが起こした騒ぎのことでフィリアとシィナに謝ってもらうこと。
 今回はそれを口実に、リザをシィナのもとに連れてきた次第だ。

 実を言うと、リザを積極的にフィリアたちと交流させて馴染ませるという私の作戦は、リザには直接的には伝えていない。
 アモルのもとに連れて行った時も、焦げ跡の修復を名目に、できる限り自然な流れでアモルと邂逅できるよう誘導した。

 なぜそんなことをしているのかと言えば、理由は至って単純で、リザに気を遣わせないためだ。
 もしも私の行動の本当の意図をリザに伝えてしまったら、多少無理矢理にでも円滑な関係を構築するために、もしかしたらリザは自分の感情を無理に抑え込んでフィリアたちと接してしまうかもしれない。
 いや、かもしれないではない。そうすることで私の悩みが晴れるのなら、きっとリザは喜んで実行する。

 だけど、それではダメなのだ。
 これから一緒に暮らしていく以上、リザだけがストレスを感じるような環境で過ごしてほしくはない。
 それに、私が好きなリザは、いつも不機嫌で偉そうで口が悪くて、だけどいつだって自分に嘘偽りがない。他人の目や評価なんて欠片も気にせず、常にありのままを曝け出してくれる彼女なのだ。

「……気持ちよさそうに寝てるね」

 個人的には、寝ているなら一旦出直した方がいいのではとも思ったが、他に優先してやるべきことがあるわけでもない。リザが待つつもりならと、私も一緒に待つことにした。
 心の中でシィナに断ってから彼女のベッドに腰を下ろし、すぅすぅと規則正しい寝息を立てるシィナを眺める。

 聞けば今朝のリザの襲撃騒動の際に、シィナはいち早くフィリアの元に駆けつけてくれたという。
 いつもは私かフィリアに起こされるまでグースカと寝ているシィナが、だ。
 朝が苦手なのに頑張ってくれたぶん、その反動が来たのだろう。

 シィナは普段、その冷たく威圧感を放つ眼差しで周囲の人々を遠ざけてしまいがちだ。
 けれど瞼を閉じて眠る今の彼女は、普通の女の子となんら変わりないように見えた。

 ……むぅ。
 初めて会った時から思ってたことけど、シィナって普通にめちゃくちゃ可愛いんだよね。

 元はと言えば私、シィナと仲良くなりたくてシィナに声かけたわけだし。
 その後いろいろあってそんな気持ちもすっ飛んじゃったわけだが……今はもう、シィナを怖いと思う気持ちはほとんどなかった。
 だからだろうか。シィナのその可愛らしい寝顔から、どうにも目が離せない。

 無防備な姿を晒す彼女をこうして眺めていると、なんだか手を伸ばして、触れたくなってくる。
 頭を撫でて、猫耳をくすぐって、頬をつついたりして。

 ……も、もし……それでも起きなかったら?

 自然と、視線がシィナの胸部を向く。
 シィナが下を向いていることで重力によって垂れたそれは、普段見るより大きく、柔らかく見えた。

 ……ごくり……。

 …………はっ!?

 い、いやいやいや!
 なに考えてるんだ私! 寝込みを襲うなんてダメだ! 言語道断だ!
 確かにシィナは私のことが好きだって言ってくれたけど……いや、言ってくれたからこそ! 彼女の気持ちには誠実に向き合わなくては……!

 せ、誠実……うむ、誠実に……。
 ……可愛い女の子といちゃいちゃにゃんにゃんしたいがために奴隷買ったやつがなにほざいてんだって感じだが……。
 そ、それはそれ、これはこれ!
 シィナの気持ちを裏切るような真似は断じて否だ!

 ……まあその、もし触っちゃっても、シィナならなぁなぁで許してくれそうな感じもするけど……。

 …………。

「……ハロ?」
「ひゃい!?」

 不意に声をかけられて、ビクッと肩が跳ねる。
 ハッとして見てみれば、リザが私を不思議そうに見つめてきていた。

 そ、そうだ。ここにはリザもいたんだった。
 わ、私変なことしてなかったよね? 大丈夫だよね? 変な目で見られたりしてないよね?

「な、なにかな? リザ」
「……んー……別に。ハロ、ぼーっとしてたみたいだったから。どうしたのかなーって」
「い、いや、別にどうもしないよ。リザこそ退屈じゃないかい?」
「ハロが一緒なのに退屈なんてありえないよー。こうしてハロと話してるだけで、ワタシはじゅうぶん幸せだよ」

 そう言ってリザはニッコリと微笑む。
 再会した当初こそ「誰だこいつ」って感じだったけど、こういう好感度MAX的な発言にもそろそろ慣れてきた。

 態度や口が悪くて倫理観が崩壊してて価値観が歪んでるだけで、リザも普通に可愛いんだよなぁ。
 うん、まあ……だけって言うには多すぎかつ大きすぎる問題な気もするが……。

「……んぅ……?(……んぅ……あれ、寝ちゃってた……?)」

 そんな風にリザと話していたからだろうか。シィナの口から小さく声が漏れて、彼女の瞼がゆっくりと開いた。
 開いたとは言っても、半開きだ。
 眠そうな眼で最初に近くにいたリザを見て、次に私を見て。ゴシゴシと目をこすった後、再度リザと私を見る。

「おはよう、シィナ」
「……!? ……お、おは……よ……(ハ、ハロちゃん!? え、えっと、お、おはよう……?)」
「ごめんね。起こしちゃったかな」
「……だ、だい、じょうぶ…………(だ、大丈夫だよ……うぅ、もしかして寝顔見られちゃってた……? ……でも、よくよく考えたらいつも朝起こしてもらう時に見られてる気がするから、今更かも……)」

 シィナはいそいそと姿勢を正すと、開きっぱなしだった本を閉じて、机の引き出しに入れる。
 その時チラッと見えた表紙には『ゴブリンでもわかる読み書き講座』と書かれていた。

 どうやらシィナは文字の勉強をしている最中に寝てしまっていたようだ。
 うんうん、勉強って退屈だもんね。眠くなっちゃうよね。わかるよ……。
 私もこの世界の文字を学ぶのには結構苦労したし、最近は魔物調教師の免許を取るための勉強をコツコツやったりもしてるから、すごいわかる。
 でも、ちゃんと自発的に勉強してて偉いなぁシィナは。

「……ハロちゃ……?(はみゃ……ハロちゃん?)」
「シィナは偉いね」
「……え、へへ……(えっと……どうして頭を撫でてくれるの? よくわかんないけど……気持ちいいから、なんでもいいかなぁ……えへへ)」

 シィナは私の手を受け入れるように目を細めたままじっとして、時折気持ちよさそうに猫耳をぴょこぴょこさせる。

 猫耳の手触りもあって、シィナの頭を撫でるのって結構気持ちいいんだよね。
 シィナも毎回喜んでくれることもあって、なんだかことあるごとに撫でてあげたくなる。

「ふーん……シィナ、だっけ」
「あ……リーム、ザード……ちゃ……(あ、リームザードちゃん。どうしたの?)」
「今朝剣を向けられてた時は血も涙もない冷徹なやつかと思ってたけど、お前、結構マシな顔もできるんだね」

 リザは憮然とした視線をシィナに向けていた。

「え……え、と……そ、そう、かな……?(れ、冷徹……うぅ、やっぱり初対面の人にはそう見られちゃうんだね……で、でも、マシって言ってくれたよ! 諦めずに毎日こっそり笑顔の練習してた成果がやっと出てきたんだ……!)」
「うん。お前みたいなやつは数え切れないくらい見てきた。だから、今のでなんとなくわかったよ。お前は元狂犬の番犬なんだね。ああいや、猫の獣人だから番猫かな? どっちでもいいけど。自分の大事なもののためなら、非情にも非道にもなれる。お前はそういうやつなんだね」
「ぇ……あ、あの……(ひ、非情? 非道? あの……どっちにもなりたくないんだけど……)」
「ワタシと同じだ。究極的な話、ワタシもハロ以外のことはどうだっていいからね。正直お前のことはどうとも思ってなかったけど、今は少し親近感を覚えるよ」
「…………そ、っか……(あぅ……おかしいよぉ。仲良くなれたのに、なんでこんな悲しい気持ちになるの……ぐすん……)」

 おぉ、思ってもみない好印象だ。
 正直リザはシィナに関しては、なんとも思っていないと思っていた。いや、実際そうだったみたいだが……。
 なんとも思っていない。すなわち、無関心。
 好きの反対が無関心だと言うように、リザにシィナへの興味を持たせることは難しいのではないかと少しばかり危惧していたのだけど……血まみれの日々を生きてきたシィナの価値観が、リザのそれとうまく合致してくれたみたいだ。

 ……どことなくシィナがしょんぼりしてる気がするけど……。
 気のせい? ……や、気のせいではないかも……理由はよくわかんないけど……。

 とりあえずもう一度頭を撫でてあげると、シィナは少し目を見開いて私を見上げた後、うるうると瞳を震わせて、ポスンと私の胸に顔を埋めてきた。
 うむ、やっぱりちょっと落ち込んでたみたいだ。
 ふっ、さすが私だな。シィナへの恐怖心がなくなって以来、以前よりさらに彼女のことがわかるようになってきたからな!
 ……まあ落ち込んじゃってた理由はやっぱよくわかんないのだが!

「……そ、それでまあ、ちょっとお前に言わなきゃいけないことがあるんだけど……」

 頃合いを見計らって、リザがそっぽを向きながら言いづらそうに切り出す。

「……? わた、し?(……? ハロちゃんじゃなくて、わたし?)」
「そ、そう。お前。元はと言えばそのためにここに来たし……」

 十中八九、今朝の騒動の謝罪の件だろう。
 いつだって堂々としてるリザが言いよどむ姿はだいぶ珍しいが、リザはご存知の通りあの性格なので……一万年以上生きてて人に謝罪とかしたことないんです……。

 や、再会してからは私にはちょくちょく謝ってた気がするけど、それは私なのでノーカンだ。リザの中のヒエラルキーじゃ、なぜかよくわからないが私がトップになっちゃってるみたいだし。
 自分とヒエラルキーが同じか、下の相手に謝罪する。そんな経験がリザにないことは、彼女の性格からして確定的かつ明らかである。

 私はそんなリザを後方弟子面で見守ることにして、お口にチャックをして二人の様子を静観する。

 リザは逡巡するようにたびたび口を開いては「あー」とか「その」とか「まあ」とか意味のない言葉を繰り返していた。
 嫌なことを後回しにするのは嫌いだと言っていたのに、どう見ても謝罪までの時間を引き伸ばしていたのだが、そこを意地悪くツッコんだりはしない。
 なにせこれはリザにとっては人生ならぬ妖精生初めての謝罪へ臨む瞬間なのだ。誰だって一世一代の瞬間には緊張する。

 頑張れリザ! 私は陰ながら応援してるぞ!

「…………」
「…………(え……えっと……だ、黙り込んじゃったけど……どうしたのかな……)」

 いくら引き伸ばしたところで意味などない。
 そんなことを本当はわかっているリザは、やがて言葉を繰り返す頻度が少なくなり、最終的には完全に沈黙する。
 シィナも元々自分からしゃべる方ではないので、お互いにまったくの無言だ。

 陽気な鳥のさえずりが外から聞こえていなければ、あまりの気まずさに耐えかねて、もしかすればリザは「なんでもない」と踵を返してしまっていたかもしれない。
 でもそんなものはしょせん可能性の話だ。
 リザは逃げ出さなかった。

 意を決したようにシィナを見上げ、葛藤するように顔を歪め……自分の心を落ちつかせるように深呼吸をした後、小さく頭を下げた。

「わ、悪かったわ……」
「……? なに、が……?(わ、悪かった? え。な、なにが……?)」
「だからその、今朝お前を……いや、あなたたちを殺しかけたこと……あ、謝ってあげなくもな、じゃなくてっ……あ、謝るわ。ワタシが悪かった……ごめんなさい」

 リ、リザが、あのリザが他人に謝っている……いつも傍若無人だったあの子が……。
 なんか泣きそうだ。これが親心というやつか……どちらかと言うとリザが私の育ての親だけど……。

 シィナは最初こそ目をパチパチとさせていたが、リザの発言を咀嚼し終えると、そっと彼女に自分の人差し指を差し出した。

「……なにこれ。死ねってこと?」
「!? ち、ちが、う……あく、しゅ……(死ね!? 指を差し出しただけでなんでそうなるの!? ち、違うよ! 握手だよ!)」
「握手? なんで?」
「なか、なおりの……あく、しゅ……(仲直りの握手! まあその、別にもう怒ってないんだけど……形だけでもこうしてあげた方が、リームザードちゃんも気に病まなくて済むかなって!)」
「……」

 リザは理解しがたいものを目にしたかのようにシィナを見上げ、その後、なぜか私の方を見てくる。

 どうしたらいいの? と。
 そんなことを訴えかけてくるリザの眼に、リザの好きにしていいよ、と私は微笑みで返した。

「む、ぅ……」

 そんな私の返事にリザは困ったように眉をひそめる。
 それからもう一度シィナを見て、迷うように自分の手を見下ろして。
 おずおずと、リザは彼女の人差し指に自身の手を重ねる。
 
「……なか、なおり……(えへへ、これで仲直りだね!)」
「…………よくわかんないやつだね、お前」

 シィナの言動の理由をリザは心底理解できていないようだったけれど、それでも肩の力は抜けたようだ。

 この後も三人で少しおしゃべりをしたのだが、リザはほぼ自然体でシィナに接していた。
 親近感を覚えるという発言は嘘ではなかったらしく、さしづめ、その接し方は同じ境遇の悪友という印象を受けた。

 思えばシィナがリザに握手を求めたのも、リザがシィナを自分と同じだと評したように、シィナがリザに自分に近いものを感じたからだったのかもしれない。
 二人の相性は案外良好だったみたいだ。

 よしよし。このぶんならリザとアモル、それからリザとシィナは私がいなくても喧嘩したりはしなさそうかな。
 リザを馴染ませるのは大変だと思ってたけど、思いのほかなんとかなるものだ。

 リザが昔よりだいぶ丸くなってるのが大きいかもだけど。
 不死だった頃の彼女は、そりゃあもう傍若無人を極めていたものだ。
 あの頃の彼女は、まさしく死ぬために生きていた。心に余裕がなかった。
 世界と命への憎しみ。怒り。生きていることそのものが苦痛とでも言わんばかりだった。

 だけどあの頃と違って、彼女は今、自分の意思で生きている。心に余裕がある。
 それが今の結果を生み出したのかもしれない。

 さて、残る問題は……。

 今日だけで何度も衝突している二人の姿を脳裏に思い浮かべて、私は密かに気合いを入れ直すのだった。