冒険者ギルドの入り口の扉をくぐると、シィナちゃんは私の手を握ったまま、ずんずんと奥の方に歩いていきます。
 危険な噂が尽きないシィナちゃんが突如として来訪したからか、建物内の喧騒が一気に静まり返っていましたが、シィナちゃんは一切気にする様子を見せません。

 うぅ、やっぱりシィナちゃんは冒険者の間でもかなり有名みたいですね。
 こんなに注目が集まっているとなると、シィナちゃんがお師匠さまにしてしまったというあんなことやこんなことについて掘り返してお聞きするのは避けた方がよさそうです……。
 その、もしあんなことやこんなことが私の想像通りだったとしたら、お師匠さまの名誉が……。

 ……も、もちろん私が想像してるようなことじゃない可能性は全然あるんですが!
 ……どんなことを想像しているかは、秘密です……。

「……こん、にち……は……!」
「こ、こんにちは……?」

 迷いのない足取りで窓口までやってくると、シィナちゃんは「まずは挨拶!」とばかりに受付嬢さんに気合がこもった挨拶を繰り出します。
 この受付嬢さんはシィナちゃんと接するのも慣れているのか、少々戸惑った様子はあれど、怯えている気配はありません。

「あの、本日はどのようなご用件で……」
「……ギルド、マスター……」
「ギルドマスター……? ギルドマスターになにかご用事ですか?」
「……ん。そう……ギルド、マスターと……めんかい? ……したい」

 め、面会? ここのギルドマスターさんとですかっ?
 あ。もしかしてシィナちゃんが言ってたお師匠さまの二つ名の由来を絶対に知ってる人って、そのギルドマスターの方のことだったんでしょうか。

 冒険者ギルドの責任者の方ともなれば、確かに知ってるでしょうけど……こんな個人的な理由で会うのは不可能ではないですか……?
 それともシィナちゃんには、なにかギルドマスターほどの偉い人と面会にこぎつけることができる秘策が……?

「面会ですか……? でしたら、ギルドマスターにお伝えする内容について先に軽く伺いたく思いますがよろしいでしょうか」
「さきに……?」
「はい。ギルドマスターは多忙な身ですので、重要な案件でない限りは面会の許可を出すことはできません」
「…………そう、なんだ……」
「はい……そうなんです」
「……」
「……」

 ……気まずい沈黙が二人の間に流れます。
 シィナちゃん、やっぱりノープランだったんですね……。

「……それで、えぇと、本日はどのような理由でギルドマスターとご面会の希望を……」
「……あの……その…………え、えと…………」

 半ば勢いでここまで来たシィナちゃんも、さすがにお師匠さまの二つ名の由来を知りたいという理由だけで面会できるとは思っていないようです。
 なにか良い建前がないかと必死に思考をかき回しているようでしたが、残念ながら打開策は思いつかないようでした。

「……とくに……りゆうは……」
「では、申しわけありませんが、許可を出すことはできませんね……」
「……そう……」

 あぅ……。
 シィナちゃん、また落ち込んでしまいました……せっかく元気になってくれたのに……。
 猫耳と尻尾が一緒に垂れ下がって、ショボボボーン……という感じです。

 ギルドマスターさんとなんとか話せれば元気を取り戻すことはできると思いますが、冒険者ギルドは今まで関わりがない場所でしたし、私も特に案は思いつきません。

 私のためにと張り切って連れてきてくれたシィナちゃんの気持ちを思うと心苦しいですが、やはりギルドマスターさんに会うのは諦めた方がよさそうです……。
 これ以上受付嬢さんのお仕事の邪魔をするわけにもいきません。

 私はシィナちゃんに、冒険者ギルドを立ち去ることを提案しようとしました。

「なんだ、妙に静かだな。なにかあったか?」

 そんな時、疑問の声とともに窓口の奥の方から職員の一人と思しき方が姿を現しました。

 とても凛々しい雰囲気を纏った女性の方です。
 左目に痛々しい裂傷の跡が残っているのが印象的で、生気のない虚ろな瞳孔が瞼の間から垣間見えました。
 ですが、もう片方の目には確かな光が宿っています。
 射抜くかのごときその視線は、強く鋭く、まるで刃のような印象を受けます。
 
「あ、ギルドマスター。お疲れさまです」

 どうやらこの方がシィナちゃんが会おうとしていたギルドマスターご本人のようでした。
 シィナちゃんの対応をしていた受付嬢さんが、気軽な様子で挨拶を投げかけます。

「ああ、貴様もな。それで、なにかあったのか? チェルシー」
「なにかあったというほどのことではないのですが……その、シィナさんが……」
「あれがどうした。また依頼先で問題でも起こしたか? 以前問題を起こしてからは、討伐依頼以外はほぼ受けられなくなっていたはずだが……まったく、Sランクは問題児ばかりで困るな」

 そんなことを言いながらこちらに近づいてきたギルドマスターさんは、窓口の仕切りの影で隠れていたシィナちゃんの存在にようやく気がついたようでした。

「ん? あぁ、なんだ。直接来ていたのか。ならば、この静けさは貴様が原因か」
「……ギルド……マスター……」

 シィナちゃんの猫耳が、ピコーン! と起き上がります。
 ギルドマスターを見つめるシィナちゃんの視線にどこか期待の感情が込められている気がするのは気のせいではないでしょう。

 ……それはそうとシィナちゃん、当たり前のように問題児扱いされてたのですが、そこはスルーなんですね……。
 とりあえず、その問題児の中にお師匠さまが含まれていないことを祈っておきましょう……。

「シィナさん、ギルドマスターと面会がしたいそうなんです」
「ほう? なにか重要な案件か?」
「いえ、特に理由はないそうで、断っていたところでした」
「……個人的な用事か。仕事中の相手にそんな都合が通るはずもないのだがな。あいかわらず貴様は常識が欠けているようだ」

 こ、今度は非常識扱いを……。
 これにはさしものシィナちゃんも、再び猫耳をヘナヘナとしおれさせてしまいます。

「まあいい。ちょうど休憩にしようと思っていたところだ。話があるなら聞こうじゃないか」

 ピッコーンッ!
 シィナちゃんの猫耳が跳ねるように反応を示します!

「よろしいのですか?」
「構わん。いい加減、《鮮血狂い(ブラッディガール)》が来るたびにギルドがこんな空気になることにも対処せねばならん。私がこいつと何事もなく話している姿でも見せておけば、周囲のやつらの態度も多少は改善されるだろう」
「ギルドマスターは、自分の都合で人を傷つける方には容赦ないですからね。談笑している姿を見せることで、シィナさんがそのような人ではないと他の方々にも知らせられるというわけですか」
「そういうことだ……談笑と呼べるまでいくかはわからんがな。そこのテーブルで話をする。なにか問題が発生したなら呼びに来い」
「わかりました。後で三人ぶんのお飲み物をお持ちしますね」
「気が利くな」
「いえいえ、いつもお世話になっていますから」

 受付嬢さん――チェルシーさんと言うみたいです――との会話を終えると、ギルドマスターさんはシィナちゃんと私に向き直りました。

「今言った通りだ。ここではチェルシーたちの仕事の邪魔になるからな。そこのテーブルで話を聞く。行くぞ」
「は、はい」

 シィナちゃんは堂々と頷き、私は少し緊張しながら返事をします。
 無意識のうちにシィナちゃんの手をギュッと握ってしまっていました。
 ああして正面から見据えられると、ちょっと怖い感じです……なんとなく、悪い人ではないことはわかりますが……。

 ギルドマスターさんにテーブルに案内され、促されるままに私とシィナちゃんは席につきます。
 それからすぐにチェルシーさんがやってきて、三人分のお飲み物を置いていってくださいました。

「さて、初対面の者もいる。まずは自己紹介でもしておこうか」

 チェルシーさんが立ち去ると、ギルドマスターさんがそう切り出しました。

「私の名はソパーダ・スード。このギルド支部のギルドマスターだ。かつてはそこの《鮮血狂い》と同様、冒険者をやっていた。よろしく頼む」
「は、はい。私はお師匠さま……じゃなくて、ハロ・ハロリ・ハローハロリンネの弟子のフィリアと言います。よろしくお願いします、ソパーダさん」
「ほう、やつの弟子か。それがやつを伴わず、《鮮血狂い》と肩を並べての来訪とは……さて、どんな理由で尋ねてきたか気になるものだな」

 ソパーダさんは私たちの用事がお師匠さまに関係するものであると、すでに当たりをつけていたようでした。
 木のコップを口に運びながら、私とシィナちゃんに話を切り出すことを促してきます。

 私はシィナちゃんと視線を合わせて、こくりと頷き合いました。

「私たち、お師匠さまの二つ名の由来について気になって調べていたんです。でも、ここに来るまで何人かにお聞きしたんですが、誰も知らなくて……」
「……ギルドマスター、なら……しってる、と……おもった……」
「ふむ……なるほどな。冒険者ギルドが認めている二つ名であれば、当然そこのトップは由来を知っている。単純かつ明快な答えだ」

 私たちの用件を把握したソパーダさんは、木のコップを机の上に戻して片肘をつきます。

「貴様たちの期待通り、やつの二つ名である《至全の魔術師(シュプリームウィザード)》の由来であれば私が知っている」
「本当ですかっ?」
「ああ。もっとも魔法を専門とする者であれば、その二つ名を耳にしただけでも、ある程度は勘づくだろうがな」

 二つ名を耳にしただけで勘づく……?
 どういうことでしょう。私はまだお師匠さまから魔法を教わって数ヶ月くらいなので、全然わかりません……。

「やつがそう呼ばれるようになったのは、かつて発令されたある緊急依頼がきっかけだった」

 私が頭の上に疑問符を浮かべていると、ソパーダさんが期待に応えるように説明を始めてくれました。

「その依頼とは、長き眠りから目覚めた強大な古竜、『鉄塵竜』の討伐だ。そいつは約半径一キロの金属類を自在に操る力を持っていてな……それらを武器や防具として扱う肉体派の冒険者にとって天敵とも呼べる存在だった」
「それ、しってる……ハロちゃ、が……げんわく、まほう? ……で、とうばつ、したって……」
「そうだ。かの脅威を討伐するため、多くの魔法使いの冒険者が集ったが……実質的には、やつがたった一人でその脅威を討伐してしまった。半径一キロより外側からの幻惑魔法などという、はっきり言って理解不能な所業でな……」

 半径一キロの金属を操る……規模が大きすぎてよくわかりませんが、とても強そうです。
 でもそんな強い古竜さんをたった一人で倒しちゃうなんて、さすがはお師匠さまですね!

「えっと……つまり、その魔法がものすごくすごかったから、お師匠さまは《至全の魔術師》と呼ばれるようになったということでいいんでしょうか?」
「それもあるが、それだけではない。一番の理由は、やつがその魔法を素手で発動していたことだ」
「……? それって普通じゃないんですか?」
「普通なものか。魔法を使う者は皆、本格的な魔法行使には杖や魔導書を必要とする。媒体としてな。常識だ」

 じ、常識なんですか。知りませんでした……。
 私、昔はただの村娘で魔法とは縁がありませんでしたし、いつもお師匠さま素手で魔法を使ってましたし、てっきりそういうものなのかと……。

「慣れた魔法、体に合った魔法であれば素手で使うことも可能だ。私もいくつか使える魔法はある。だが、それもごくわずか……そもそもあのように素手で魔法を扱うのは、本来は妖精族の魔法の使い方だ」
「妖精族ですか? それって……あの伝説の?」

 昔、村にやってくる吟遊詩人さんが語るお話で聞いたことがありました。
 なんでも言い伝えによると、かつて人類に魔法の恵みと奇跡を最初にもたらした種族が妖精族なんだそうです。

 今はずいぶんと数を減らして、人目を逃れるように森の奥深くに隠れてしまっているそうなんですが……。
 一説では、エルフの里で匿われているという話もあります。

 私の確認に、ソパーダさんは頷きで返しました。

「妖精族は、肉体そのものが高い魔力伝導率を持つ。言うなれば肉体そのものが媒体なんだ。だから杖や魔導書に頼らず、その身一つで魔法を自在に行使することができる。自身ばかりか、自然の魔力まで使ってな」
「な、なんだかすごそうです」
「だがそのぶん、魔法の出力は人類と比べて遥かに劣るとされている。川の水ほどの魔力を使えるが、それをこの小さなコップ程度しか汲めないと言えばわかりやすいか」

 ソパーダさんは言いながら、木のコップを軽く揺らして見せました。
 無尽蔵と言えるほどの魔力がありますが、それを一気に使うようなことはできないということですね。

「そしてその妖精族の中に、ある異端の妖精が存在する」
「異端の妖精……ですか?」
「その妖精は、各地の伝承、伝説、おとぎ話、そして遥か昔を記した歴史の書物において、少なくとも千年以上前から実在が確認されている。その存在は常にその時代の魔法を極めた者の影にあり、その者に魔導の真髄を授けたとされ……一部の文献においては、《全》と謳われる者」

 お師匠さまの二つ名の由来について、ついに核心に触れた気がしました。
 私はゴクリと生唾を飲み込みます。

「かの妖精は本来妖精族が持つはずの魔力出力の上限を持たないとされている。そして貴様の師匠であるやつの魔法の使い方と、規格外の魔法……やつの姿を見た誰かが言った。あれはかの《全》の妖精に魔導のすべてを授けられた、今代最高の魔術師――《至全の魔術師》ではないかと」
「……それが、お師匠さまの二つ名の由来……」
「そうだ。やつの二つ名とは、いわばやつの師を指し示したもの。そしてやつがこの時代において最高の魔術師であることを証明する、唯一無二の称号だ」

 お師匠さまの、お師匠さま――。
 伝説の妖精族。その中でもさらに古来より伝わる、異端の妖精。《全》と謳われる者。
 ……よくわかりませんが、なんだかとってもすごそうです。

 でも……その妖精さんは、常にその時代の魔法を極めた人のそばにいたんですよね?
 だとしたら、どうして今、お師匠さまのそばにはいらっしゃらないんでしょう。
 ……なんだかちょっとだけ、そんなことが気になりました。