私がこの少女が淫魔だと気づけなかった原因はいくつかあるが、要因はやはり、この少女の見た目が非常に幼かったことだろう。
 淫魔は他者を魅了して支配下に置く特性上、その他者――特に、異性にとって魅力的な肢体を持っている場合が非常に多い。
 出るところは出ていて、引っ込むところは引っ込んでいる。魔性のごとき極まった美貌は、異性を惑わす色気を常に放っている。

 さながら、甘い香りで虫を誘う食虫植物のようなものだ。
 人を惑わし、同情を誘い、そして食い物にするために、淫魔はそんな姿をしている。

 しかし、この少女はそんな淫魔としてあるべき特徴とはまるで真逆だ。
 体はまるで発育していない子どものもの。色気にしたって、ちょっとだけ大人っぽく見える程度しかない。
 素質はあれど、淫魔の本来あるべき姿とはほど遠い。

 淫魔は、見た目は人と同じ形をしているとは言っても、本質的には魔物だ。
 その成長速度は、人間とはまるで違う。
 ほんの数年で著しく成長し、一桁の年齢のうちに大人となんら変わらない体つきになる。

 そしてそうして成熟するまで、淫魔は決して人前に姿を現さない。
 体が成長していない間は『魅了の魔眼』も同様に未完成であるからだ。
 もしもうまく魅了にかけられなければ、簡単に淫魔だと見破られてしまう。
 淫魔は精神に干渉する魔法はずば抜けて得意だが、直接戦闘能力はそこまで高くない。もし魅了にかけようとして失敗した相手に戦いの心得があったなら、その未熟さも相まってあっさりとやられてしまいかねない。

 そう、そうなのだ。
 こんな小さな淫魔が用いる『魅了の魔眼』は、未完成であるはずなのだ。
 厳密には魔法ではない特性とは言え、未完成ならば、たとえ術式で縛られていても体内で少し魔法を使うくらいならできる。
 術式を逆算して解析し、自分にかかっている魅了の効果をかき消すことができる……はずなのだが。

「む、ぅ」

 ……それができない。言葉一つで、完全に魔法を封じられてしまった。
 つまり、この少女が持つ魔眼はすでに完成されているということ。

「……本当は、あなたに魅了をかけることなんてできないはずだったの」

 近づけていた顔を少しだけ離すと、少女は俯きながら、呟くように言う。

「外は大雨……本当なら、わたしは外でそのまま野垂れ死んでたはず。でも、そんなわたしをあなたは見つけて、助けてくれた……それが、一つ目の間違い」
「間、違い」
「そう。もしもわたしが淫魔じゃなくたって、間違いなく犯罪者だったんだから、そのまま見捨てちゃえばよかったのに」
「そんなこと……」
「『優しさは甘さ。もっともつけ入る隙がある、愚かな感情。優しい人ほど操りやすい』……それが、わたしたち淫魔の共通の認識」

 私の腕を掴んでいた少女の手の力が緩んで、手首の方へと移動していく。

「そして二つ目の間違いは……あなたが魔法使いだったこと」
「それは、どういう……?」

 私の手の甲をくすぐるように、少女の指が動く。 

「外で倒れてたわたしはずぶ濡れだったはず。だから普通なら、脱がせて着替えさせる。そうしたらわたしはすぐに淫魔だってバレてた……でもあなたはたぶん、わたしを魔法で乾かしたから。だから、わたしの正体に気づけなかった」

 おおふ……確かに、もし着替えさせていたら淫魔の紋様ですぐに気づけていた……。
 一応魔法だけで済まさずにちゃんと着替えさせた方がいいかなとも考えたんだけど、勝手に肌見ちゃ悪いかなって思ったんだよね。あと、替えの服もないし。

 でもやっぱり、見た目が幼すぎるせいで淫魔だとまったく疑ってかかっていなかったのが一番の原因のように思える。
 だってほら。もしもこれがフィリアのようにご立派に実った果実をお持ちだったなら、私もね、この子淫魔なんじゃないかなって疑って脱がせていたと思うんですよ。

 いや、別に衣服の裏に隠された豊満なお体の柔肌を拝みたいとかじゃなくてね?
 あわよくば着替えさせる過程で触りたいとかでもなくてね。もし仮に触っちゃってもそれはあくまで不可抗力だからやましい気持ちなんて全然なくて。ただ純粋に気遣ってるだけでね?
 ほんとだよ?

「…………」

 私の手の甲をなぞっていた少女の指が止まり、その指が私の手を取ると、また彼女の顔が近づいてくる。
 完全支配のため、口づけで体液を送り込むつもりだろう。
 しかし魔眼で縛られている私は、せいぜいがぷるぷると体を動かすくらいが限度で、まったく抵抗することができなかった。

 情けなくも、思わずぎゅっと目を瞑ってしまったが、予想に反していつまで経っても唇に刺激は訪れなかった。

「安心して」

 耳元で、ささやくような声。
 瞼を開けると、少女の顔は私の顔の正面ではなく、すぐ横にあった。

「あなたを完全な支配下に置くつもりはない。少し、わたしのやることを手伝ってもらうけど……」
「君の、やること……?」
「街を出たいの。わたし一人の力じゃ、逃げ回るだけが精一杯で、門の見張りを突破できないから……魔法使いであるあなたの力を借りたいの」
「魔法使いの、力……もしかして……最初、から、そのためにここに……」
「……残念だけど、違う。わたしはただ、雨宿りできる場所を探してただけ。ここ、大きくて隠れやすそうだったから」

 《至全の魔術師》とまで呼ばれる魔法使いの家に侵入を図るだなんてどういうつもりなのかと思っていたが、どうやら、来たばかりのせいで街の知識がなかっただけのようだ。
 確かに、知っていたなら知っていたで、どうしてそんな明らかに危ないところに不注意に忍び込もうとしたのかという話になってしまうのだから当然だ。

 うぅむ……故意に侵入しようとした可能性もある相手だったというのに、ちょっと気を抜きすぎていたのかもしれない。
 この屋敷、対侵入者用の防犯魔法が完備してあるとは言え、あくまで外部からの侵入をシャットアウトしてるだけで、こうやって一度中に入れちゃったらなんの意味もないからな……。
 この子の見た目が幼かったからっていうのはもちろんだが、家だからって油断しきっていた部分もあったのだろう。
 今度からは、玄関にでも人か魔物かを見分ける探知魔法でも新しく置いておいた方がいいかもしれな――。

「――――ひぁあっ!?」

 突如走った刺激に、魔眼による制約さえも無視して、びくんっと全身が飛び跳ねた。

「あ……な、え? あ、あれ……? な、なにが……?」

 頭の中が一瞬真っ白になって、一泊置いてから、今の甲高い声が私の発したものであると理解する。
 理解、したけれど。
 ま、待って。なんで? なんで……え? ま、待って、待って。
 い、今のなに? なにが起きたの?

 思考が乱れてまとまらない。急に思考が途切れたせいか、なにがどうなってあんな声を出してしまったのか、これっぽっちもわからない。
 混乱しながらも、とにかく状況を把握しようと目を動かすと、すぐそばで目をぱちぱちと瞬かせている淫魔の少女に気がついた。

「……驚いた。いたずらで、ちょっと唇で挟んでみただけなのに……耳、敏感なんだね」
「み、耳……?」

 耳、って。あの耳? 耳をちょっと触られただけでああなったの? なんで?
 ……まさかエルフだから?
 だってエルフ、他の種族より耳長いし。

 え? 待って、エルフの弊害って、肉類が苦手で、一〇〇メートルくらい走るとぶっ倒れるミジンコみたいな体力だけじゃなかったの?
 耳も弱点なの? 吸血鬼みたいにいっぱい弱点あるの? もしかして雑魚なの?

 で、でも、自分で触ってもあそこまで感じることなんて今までなかったのに……。
 ……他の人に、触られたから?
 そんな程度のことで、あんなに?

「自分の体のことなのに、知らないの?」

 心底不思議そうな顔で、少女が小首を傾げている。
 ぶっちゃけ魔眼にかけられた時よりも激しい混乱と危機感の真っ只中にいる私に、淫魔の少女はしばらく考え込んだ後に、微笑んだ。

「……なら、うん。あなたにはいろいろ手伝ってもらうんだし……お礼にわたしが、あなたの体のことをあなたに教えてあげる」
「か、体のことを、教える……?」
「大丈夫。経験はないけど、やり方は知ってるから。あなたの体は、どんなことに弱いのか、どんなことをされるのが好きなのか……わたしが隅々まで調べてあげる」

 恥ずかしそうに頬を赤めるでもなく、興奮に声をうわずらせるわけでもなく、妖艶に誘惑するでもなく。
 淡々と、邪気のない声で。それがさも本当に良いことであるかのごとく、流れるように淫魔の少女は言った。

 混じりけのない純粋な善意しか感じなかったものだから、言葉に詰まって、一瞬だけ返事が遅れてしまう。
 そしてその一瞬の間に、すでに淫魔の少女の手が私の服の裾にまで伸びてきていて。

「っ、ま、待ってくれっ! そ、そんなことはしなくていい……!」

 必死に、本当に必死に魔眼の効果に全力で抵抗して、ギギギ、となんとか腕だけでも動かして、少女の手を掴む。
 こんな状態なのでまったく力はこもっていなかったが、とりあえず私の制止の意思は伝わってくれたようだ。

 すでにへそ辺りまで服をめくっていた少女の手が、止まる。
 ただしあくまで止まっただけで、まだ手を引いてくれたわけではない。

「どうして止めるの?」

 またしても心底不思議そうに、少女が首を傾げた。

「ど、どうしてっ? えぇと、あの……そ、そう! 私はそういうのが苦手でなっ。だ、だから必要ないんだっ」
「苦手……? でも、さっきとっても良い声出してた。気持ちよかったんだよね?」
「へっ? ち、違う! それは違うっ! さっきのは、えっと、思わず出てしまったというか……その、ただ驚いてしまっただけで……別に気持ちよくなんか――ひぅっ」

 言っている途中で、また、耳を唇で挟まれる。

「ほら。こんなに敏感。息も荒いし……本当は気持ちいいんじゃないの?」

 きっと、少女にその気はまったくないのだろう。
 だがそれでも、思うように動かない体。自分では否定しているはずのことを、さらに上から否定される感覚。
 実践を伴って体に直接教え込むかのようなやり方に、一瞬、調教でもされているかのような錯覚に陥る。

 なんで……なんでこんなことに?
 私はただ、フィリアやシィナといちゃいちゃにゃんにゃんな幸せな毎日を送りたいだけだったのに……。
 私まだなんにも悪いことしてないよ? なんにも悪い、こと……。

 ……いや、体目的でフィリアを買ったり、それなのにそのことを未だフィリアに言えてなくて騙したままだったり、私のためを思って頑張ってくれている彼女に薬盛ろうとしたり、その薬を買う時に店の人に幻惑魔法かけてたり、故意に魔法に欠陥をつくってシィナをあられもない姿にしようとしたり……。
 あれ、割と悪いことしてるのでは……?
 ばれてないから別に大事になってないだけで、一個でも真実を知られたら、どれもとんでもないことになるのでは……?

 ……いやいやいや! でもほら! 犯罪じゃないから! ばれなければ!
 そう……ばれなければ犯罪じゃない! だから私はなにも悪くない!

 私の魔法の師匠だって言ってた! 自分を正当化して理性や心を守ろうとするのは人類の数少ない良いところだって! 本当に愚かで醜くて救いがたくてお似合いで良いと思うって!
 ……良いってどういう意味だっけ? ……ま、まあいいや。
 とにかく、私はなんにも悪くないんだ! こんな仕打ちを受けるいわれなんてない!

 だからとにかく、今はすぐにでもこの子にこんなことをやめさせて早く魔眼を――。

「――ふぁああっ!?」
「逆の耳も同じくらい……やっぱり、気持ちいいんだよね?」

 私が否定したり、沈黙したりしていたからだろう。
 彼女が再度私の耳を刺激して、無邪気に確認の言葉を投げてくる。

 ……も、もうだめかもしれん……。
 だって無理だもん……こんな状況で魔眼どうにかするとかできないもん……確かに私、魔法はすごい得意だけど、今は魔法封じられてるし。

 魔法がない私の力なんて、人間の子どもレベルだ。体力面ともなると、それにも劣る。
 私の師匠だって言ってた……精神干渉系の魔法には絶対かけられないようにしておけって。どんな状況や場所でも常に反射の術式を維持しておけって。あんなのにかけられる魔法使いは見通しが甘い間抜けだけだって。

 まさに今の私のことだ……家の中だからって油断して、魔眼の隷属術式にかけられた見通しの悪い間抜け……。

「むぅ……どうして答えてくれないの? これじゃまだ、気持ちいいって言うには足りないの?」

 また少女の顔が私の耳の方へ行きかけて、思わず「ひっ」と声が漏れた。

「な、なんで……な、んで、こんなこと……」
「これから手伝ってもらうことへのお礼、ってさっき言ったよ」
「こ、こんなのお礼じゃない……!」
「……? 気持ちいいのは良いことのはず。良いことだから、気持ちがいい(・・)って言うんでしょ?」
「い、いいこと?」
「うん。直接したことはないけど、仲間たちがこういうことしてるの、隠れて見てたから。その時のあなたたち、いつもとっても気持ちよさそうにしてた。幸せそうな……ちょうど今のあなたみたいな、とろけた顔してた」

 淫魔は魔物。人類とは根本的に違う存在。
 わかってはいた。だが、こうもはっきりと常識面が異なることを示されてしまうと、なにを言えばいいのかもわからず、絶句するほかなかった。
 人が人に贈り物をするように、こうすることが相手のためになるのだと、彼女は本気で思っている。

「続き、するね? 苦手って言ってたけど……大丈夫。わたし、ちゃんと気持ちよくできるよう頑張るから。出来損ないのわたしでも、それくらいのことはできるはずだから……」

 頑張って魔眼に抵抗してたのに、度重なる刺激のせいか、段々と体に力が入らなくなってきていた。
 少女の動きを止めようと必死に頑張っていた、ただでさえ弱かった私の手は簡単に優しく振りほどかれて、押し倒される。途中までめくられていた服の裾が、さらに上げられていく。

「あ、ぅ」

 胸の肌着が、露出する。
 フィリアには着替えの関係でいつも見られていて、その時は全然恥ずかしくなんて感じないのに、今はどうしてか、顔が勝手に赤くなっていくのがわかった。
 そんな私の肌着に、彼女はまるで戸惑うことなく手を伸ばす。

 ――あ……これ、もうほんとにだめだ……。

 打つ手がなく、説得もかなわず。
 このままされるがままになるしかないと悟って、これから行われるだろう行為を想像し、無意識に瞼を強く閉じる。

 まさに、その時だった。

 不意に、少女が弾かれたように顔を上げて、あらぬ方向を向いた。
 どうしたのか、と瞼を上げて少女の視線の先を追うと、その先には部屋の出入り口たる、今は閉じられている扉がある。

「……『答えて』。この家にはあなた以外に、何人の人がいる?」

 隷属術式を用いての質問に、勝手に口が動く。

「ふ、たり。一人は、フィリア……形式上は、私の奴隷」
「奴隷……なら、あなたを操って命令すれば、そっちは問題ないはず。もう一人は?」
「……シ、ィナ。彼女は……」

 そこでようやく、彼女が急に扉の方を見て、こんな質問をしてきた意味に気がついた。
 わずかながら音がする。この部屋に近づく、誰かの足音。
 一つの街の中、数多くの冒険者たちの捜索から今日までずっと逃げ回ってきたのが、この淫魔の少女だ。だから私よりも一足早く足音に気がついたのだろう。

「彼女は?」
「私と……同じ、Sランクの冒険者だ」

 その言葉に少女は目を見開き、急いで私に普段通り振る舞うことを術式で命令する。
 服を正し、私をベッドの前のイスに座らせて。淫魔の少女自身は、ベッドの片隅で人見知りのふりでもするように自分の体と目元を隠す。
 そして部屋への来客を迎える準備がちょうど整ったところで、扉のドアノブが動いた。