えろいことするために巨乳美少女奴隷を買ったはずが、お師匠さまと慕われて思った通りにいかなくなる話

 端的に自己紹介をしたいと思います。
 私の名前はフィリア。
 偉大なる魔法使いであらせられるお師匠さまの一番弟子であり、お師匠さまの奴隷でもあります。

 奴隷とは言っても、奴隷らしい扱いをされたことは一度もありません。
 隷属契約の術式でいつでも私を従えられるはずなのに、お師匠さまは私を買ってから一度だってその術式を行使したことはありません。
 お師匠さまはいつも私を気遣ってくれて、まるで家族みたいに扱ってくれます。

 さて、そんなお師匠さまと暮らす私の一日は日の出とともに始まります。
 窓から差し込む日差しで目を覚ますと、手早く着替えを終えて、身だしなみを整えます。
 そうしてすぐにお師匠さまのお部屋に向かいます。

 お師匠さまはまだこの時間は起きていません。
 日の出から大体二〇分くらい経ってから目を覚まします。
 それまでの間、お師匠さまのベッドの前で膝を立てて座って、お師匠さまの寝顔を眺めているのが私の日課です。

 こうして眠っているお師匠さまは、まるでお人形さんのようです。
 十代前半ほどの小さな体躯に、白く傷のない美しい肌。さらさらと一本一本が細やかで艶やかな銀の髪は、鼻を近づけると本当に良い匂いがします。

 あぁ……お師匠さま。今日もとっても可愛らしいです……。

 こうしてお師匠さまの寝顔を拝見することで、深い幸せを感じるとともに、今日も一日頑張ろうという気になれます。

「ん……フィリア……」

 あ、お師匠さまが起きたようですね。

「おはようございます、お師匠さま」
「ああ、おはよう」

 眠そうに半分だけ目を開いているお師匠さまも、寝ている姿と同様にとても愛らしい。
 瞼から覗く翠色の瞳は、まるで大らかな自然のように、見つめているだけで心が癒やされます。

「ふわぁ……フィリアはあいかわらず早いね」

 お師匠さまのあくびシーン……!
 これは貴重ですね。具体的には三日に一回くらいしか見られません。脳内にきっちり保存しておきましょう。

「お師匠さまのお手伝いをするためですから!」

 私はそう言って、お師匠さまの今日のお洋服を掲げます。
 以前、お師匠さまと一緒にオーダーメイドをした服です。この前ようやく製作が完了したようで受け取ることができました。
 お師匠さまは放っておくといつも同じような服を着ようとするので、お師匠さまのお洋服を選ぶのは私の役目です。

 決して、そう決して! その日の私の好みで選んでいるわけではありません!
 その日のお師匠さまの予定を考慮して、最適だと思われるお洋服を選んでいるだけです! 他意はありません!

「……フィリア。前にも言ったと思うけど、別に着替えまで手伝わなくてもいいんだよ?」
「ダメです! お師匠さまの身の回りのお世話は私の役目ですから!」
「しかし」
「ダメですっ!」

 そう、ダメなんです! もしもお師匠さまのお着替えを手伝わないとなれば、朝こうしてお師匠さまのお部屋に入る口実がなくなってしまいます……!
 そうなるとお師匠さまの寝顔を拝見することができません! 私の一日の活力の源がなくなってしまうんです! それだけは絶対に嫌ですっ!

「そ、そうか。その、無理はしなくていいからね……?」
「はいっ。お気遣いありがとうございます、お師匠さま」

 お師匠さまのお世話が無理なはずがありません。お師匠さまに関係することならなんだってできる自信があります。

「それじゃあ早速、今日もお着替え手伝わせていただきますね」
「……ああ」

 お師匠さまのネグリジェを脱がすと、それだけで大事なところ以外はすべてあらわになります。
 それはそれは一種の絵画や芸術品のように美しい光景で、いつまでも眺めていたい気分に駆られるのですが、お師匠さまに寒い思いをさせるわけにもいきません。
 丁寧に、お師匠さまの手を煩わせないよう、素早く新しい服をお師匠さまの袖に通していきます。

「終わりましたよ、お師匠さま」
「ああ。ありがとう」

 それからはお師匠さまがお顔を洗いになっている間、私は一足先に台所へ向かって、朝食の準備を始めます。
 本当は私一人で全部作ってしまいたいのですが、ろくに料理のことを知らない私ではまだお師匠さまを満足させるような料理を作ることができません……。
 今はまだお師匠さまから技術を盗んでいる最中です。

 朝食を作り終えると、次は当然それを食べる時間です。
 お師匠さまはエルフなので、野菜や果物が大好物のようです。なので、うちは野菜を使った料理が多いです。
 でも私のことを考えてなのか、最近は少しずつ肉や魚などのバリエーションも増えてきたように思います。
 お師匠さまのそうやって私のことを一所懸命考えてくれるところ、本当に大好きです。

 朝食の後は、少しゆっくり過ごしてから魔法の特訓の時間が始まります。

「魔法に魔力を繋いだまま操ることにも大分慣れてきたね」
「はい! お師匠さまのお教えのおかげです!」
「私はなにもしてない。フィリアの筋がいいんだよ」

 魔法の特訓は大変ですが、お師匠さまに少しずつでも近づいている実感は他のどんなものにも代えがたい充足感があります。
 それに、もとより私はお師匠さまの弟子になるために奴隷として買われた身です。
 この時間こそがお師匠さまへ恩を返せる一番の時間であり、それをめんどくさいなどと思うことは絶対にありえません。
 どんなに無理そうに見える課題でも、どれほど同じことの繰り返しでも、一秒たりとも集中は欠かしません。ここで怠けることはお師匠さまへの思いがその程度だったと認めることと同義ですから。

「少し休憩にしようか」

 お師匠さまは時折本を読んだりもしていますが、私が辛そうにしていると必ずこうして声をかけてくれます。

「はいっ!」

 私のことをちゃんと見てくれているからこそのお声は本当に嬉しくて、いつも元気に返事を返すようにしていました。

「お師匠さま。お師匠さまはいつ頃から冒険者としての活動を再開するつもりなんですか?」

 木陰になるガーデンベンチでお師匠さまとの二人で涼む時間はまさしく至福です。

「そうだね。実は、あと一週間もしないうちに再開しようと思ってる」
「そうなんですか……」

 お師匠さまが冒険者活動を再開するとなると、当然、一緒にいられる時間も減ってしまいます。
 私がしょぼくれていると、ふと、私の頭の上に心地のいい温もりが置かれました。

「大丈夫。私はSランクっていう結構すごい冒険者だからね。そんなに頻繁に活動しなくても、お金はじゅうぶん稼げる。フィリアをほったらかしになんてしないよ」
「お師匠さま……」

 そうです。いつまでもお師匠さまに甘えているわけにもいきません。

 初めて会った日、お師匠さまは一人が寂しかったと言いました。
 それなのに熱を出したあの夜は、一人にしてほしいと言いました……。

 それはきっと、私がお師匠さまにとってただ守るだけの対象で、頼れる相手ではなかったからなのでしょう……。

 だから私は決めたんです。
 お師匠さまに甘えるだけじゃない。逆にお師匠さまに甘えられて、頼られるような、そんな人間になるんだ、って。

「お師匠さま……! 私、頑張ります! いつか必ず、お師匠さまを支えられるようになりますから!」
「フィリアにはもう大分支えられている気がするけど」
「足りないんです! もっともっと、お師匠さまのためになれることを勉強します! というわけで、特訓を再開しましょう!」

 そうして休憩や昼食を挟みつつも魔法の特訓を続けていると、やがて日も沈んできます。
 本当は午後は自由時間にしていいと言われているのですが、お師匠さまがお出かけになる時以外はいつも魔法の特訓を自主的にやっています。そしてお師匠さまも、そんな私をいつも見ていてくれるのです。

 日が沈むと、お風呂の時間です。
 お師匠さまはお優しいので、訓練で汗をかいていた私に一番風呂を勧めてくださいます。
 しかし私ごときがお師匠さまよりも先に入るわけにはいきません。先にお風呂に入るのは絶対にお師匠さまです。

 以前、恐れ多くも一緒に入ろうとお師匠さまから誘われたこともありました。
 その時は本当に、ほんっとうにとても非常にこれでもかというほど葛藤したのですが、やはり私ごときがお師匠さまのあられもない姿を見ることなどできないという結論に至りました……。

 それに、お師匠さまの完璧に美しいお体と違って、私はアンバランスに胸にお肉が大きく詰まった浅ましい体です。
 こんなものをお師匠さまに無遠慮に見せることなどできません……。

 でもお着替えは手伝わせていただきます。

 お風呂に入り終えると、一緒に夕食を作ります。
 私の常識では一日は二食が基本だったのですが、お師匠さまは朝と昼と夜で三食を食べることを好みます。
 なんでも、その方が健康にも成長にもいいとのことです。さすがお師匠さまは物知りです!

「フィリア。今日もお疲れさま」

 夕食の時間になると、なんとお師匠さまがいたわってくれました!

「いえ、お師匠さまこそ!」
「……その、フィリア。別に魔法の特訓、一日とか二日とか休んでも私はなにも言わないよ?」
「ダメです! お師匠さま、努力は毎日こつこつと積み上げることが重要なんですよ? お師匠さまも言ってくれたじゃないですか。積み上げたものは裏切らないって。怪我や病気などの特別な理由がないなら一日だって欠かすことはできません!」
「そ、そうか。フィリアは真面目だね」

 えへへ……真面目っ! お師匠さまに褒められちゃいました! 今日は本当に良い日です!

 夕食の後のお師匠さまはお部屋で読書か、魔導書をお書きになります。
 私はいつもそんなお師匠さまと同じお部屋で、同じように魔法の基礎の本を読み込んでの読書か、魔導書の執筆を後学のために横から拝見させていただいています。

 お師匠さまいわく、魔導書の執筆はただの小遣い稼ぎだそうですが、今の私には書いてあることの二割も理解できません……。
 そういえば以前またお師匠さまと本屋に寄った時、お師匠さま著作の魔導書の複製本が売られていて、思わず欲しくなったのを覚えています。でもありえないくらい高額でした。
 お師匠さまにとってはあれが小遣い稼ぎなんですね……。

 このお屋敷も私を買う上で広い家が欲しかったから買ったとのことでしたけど、明らかに広すぎますし、他にもいろいろと……なんだかお師匠さまの金銭感覚って私とはかけ離れてそうです。
 お金が少なくなってきたから活動を再開するって言っていましたが、私からしてみたらまだ全然大金だったりしそうです……。

「ん……そろそろ寝ようかな」
「そうですか? ではお師匠さまがお眠りになるまで、ご一緒します」
「……いつも思うんだが、そのご一緒は必要なのだろうか」
「必要です! 絶対に!」

 朝にお師匠さまの可愛らしい寝顔を見て、夜にまた同じ寝顔を見る! そうして私の一日が終わるんです!
 これだけは譲れません! たとえお師匠さまのお言葉でも無理です!

「そ、そう。必要ならいいんだ。じゃあ、その……おやすみ、フィリア」
「はい。おやすみなさいです、お師匠さまっ」

 お師匠さまがベッドに潜り込んだことを確認して、明かりを消します。
 暗闇の中、私は小さな光の魔法を使って、あらかじめベッドの横に設置しておいたイスに腰を下ろします。

 ……ふむ。お師匠さま……まだ寝れてませんね? いつもの寝顔とはまだちょっと違います。
 でも、そうして寝ようと努めているお師匠さまもとても愛らしいです……!

 …………あ、段々と朦朧としてきて……寝ました。今寝ましたね。私にはわかります。今寝ました。
 えへへ、やっぱりお師匠さまの寝顔は最高です。これで今日も気持ちよく寝られそうです。

「……また明日です、お師匠さま」

 小声で呟いて、そっと部屋を出ます。
 自室に入ったら、私はすぐに机に向かって日記を書きます。
 今日のお師匠さまのご様子と、お師匠さまとのやり取りをページいっぱいに書き記します。記憶力はいい方なんです。

「できましたっ。えへへ、私も明日のために寝ましょう」

 日記帳を閉じて、しまって、明かりを消してベッドに入ります。
 明日も日の出と一緒に起きましょう。それからすぐに着替えて顔を洗って、お師匠さまが目を覚ます前にお部屋に向かうんです。
 そうしてお師匠さまの寝顔を見られれば、明日もいくらだって頑張れます。

「おししょ、う……さまぁ……」

 お師匠さまのことを考えながら、やってきた睡魔に身を任せます。
 今日は、本当に良い日でした。お師匠さまのあくびが見られて、お師匠さまに心配してもらえて、お師匠さまにいたわってもらえて、お師匠さまに褒めてもらえて……。

 あぁ、これならきっと、今日は素敵な夢が見られることでしょう。
 まあ一番素敵なのは、現実のお師匠さまなんですけどね。
「それじゃあ、行ってくるよ。フィリア」
「はい! いってらっしゃいませ、お師匠さま!」

 フィリアに見送られて、屋敷を出る。
 フィリアを一人にするのは少し心配ではあるが、しょせん遅かれ早かれの違いだ。

 フィリアは頑張りすぎる面があるので、私がいない間でも無理な魔法の訓練をしないよう口酸っぱく言い含めてある。
 台所には火事防止の魔法を念入りに仕掛けてあるし、フィリアはまだ回復の魔法が使えないため、それ単体で軽い回復魔法を行使できる鐘の魔道具も用意した。
 屋敷を囲うように、屋敷内の物や人へ悪意を持つ人物は入れないような結界も張ってある。
 悪意を持つ人物は入れなくとも、中に入ってから悪意を持たれては意味がない。なので念のため、来訪者は絶対に中に入れないようフィリアにこれまた言いつけてある。
 他にも、それでも万が一フィリアが危険にさらされた時のために防犯ブザー的な魔道具も渡したりしておいた。栓を引き抜けば、私の持つ受信用魔道具にびびっと連絡が来る仕組みだ。

 ……ちょ、ちょっと過保護すぎるかな……? そんなことないよね?
 でも心配なんですよ。フィリアって無自覚無邪気無防備の三点セットに加えて純真無垢で健気な子だからなぁ。
 これが子を心配する親の気持ちなのか……。
 まあ親は子とにゃんにゃんしたいとか思わないだろうけど。

 今日は私が冒険者活動を再開する日だ。
 活動を休止してから、なんだかんだでもう一ヶ月以上経ってしまっている。
 フィリアを購入する以前は欲求不満な日々が続いていたのでヤケクソ気味に魔物を狩りまくっていたものだが、今はさっぱりである。

 まあ欲求不満なのは変わりないけど……むしろフィリアが四六時中そばにいるせいでひどくなっているかもしれない。というか、なっている。
 薬盛って襲おうとした時とか本当にピークだった。
 今はそこまででもないけれど、一人の時間が取れず長いこと欲求を解消できていないので、いつまた暴走してもおかしくない。

 ……うん? ずっと一人の時間が取れなくて嘆いてたけど、よくよく思い返したら、今は一人じゃ……?
 フィリアは家にいるし。言いつけを守っているはずの彼女はまず追いかけてこない。

 い、いや、一人って言っても外だしな。うん。外はダメだよ。
 いくら欲求不満だからって外はよくない。さすがに変態がすぎる。

 ……で、でもなぁ。一ヶ月以上もお預けされ続けてたんだよ? あの御本山さまを備えたフィリアの前で。
 一度は淫魔の液体薬だって飲んでしまって、なおかつなにもしないで耐え続けた。

 …………見つからなきゃ、いいんじゃない?
 よしんば見つかっても、ほら、魔法でどうこうすれば。
 許可なしにそういう魔法かけるのが犯罪でも、ばれなきゃいいわけですし?
 こう、どこか人気のないところで――。

「だ、ダメだっ」

 ぶんぶんと頭を横に振って危ない思考を振り払う。

 今のだよ。そう、今のが欲求の暴走ってやつだよ。フィリアに薬盛ろうとしてた時もこんな感じだった。
 見つからなきゃいいとかじゃないって。外の時点でもうダメなんだって。
 私はこんな体でもちょっと女の子が好きなだけであって、外であんなことやこんなことをしちゃうような変態じゃないです。

 これ以上考えているとまた悶々としてしまいそうだったので、必死になにも考えないように足を進めていく。
 そうしていると、やがて冒険者ギルドが見えてきた。

 冒険者ギルド。魔物が出没する危険区域での活動を専門とする職業、冒険者を管理する組織だ。
 建物の中に入っていくと、中にいた冒険者たちの視線が私に集まり、少しだけ場が静まった。
 その後すぐに、ひそひそと内緒話をする者が出始める。

 冒険者にはSを最高として、その次にAからFの合計で七のランクが存在する。
 その頂点に君臨するSランクは世界でも両手両足の指で数えられるくらいしか存在しないとのことで、その一員である私もそれなりに有名だ。

 ふふ、そう。
 最近はフィリア関連でいろいろとドジをやらかしてしまっているものの、私は本来《至全の魔術師(シュプリームウィザード)》というすごい魔法使いなのだ。
 全に至りし者とか呼ばれているのだ。
 それ聞くたびに全ってなんだよって毎回思うけど。

「さて、どうするかな」

 依頼が貼り出された掲示板の前に立って、顎に手を添えて唸る。

 掲示板はその難易度によって、FからDで一つ、CとBで一つ、AとSで一つで計三つに分かれている。その中で私が見ているのはAランク以上の依頼が貼り出された掲示板だ。
 FからDならばともかく、A以上の依頼ともなると遠出しなければいけないものばかりだ。
 そんなに強力な魔物が街の近くに頻繁に現れるわけもないので、当たり前と言えば当たり前なのだが。

 うーん……でも、今回は日帰りで終わらせたいんだよね。
 フィリアをあんまり一人にしたくないし。
 いずれは何日もかかるような依頼を受けるつもりではあるけど、しばらくは日帰りでやっていきたい。
 とは言え、報酬がいいAランク以上の依頼はやはりどれも遠出が必須なわけで……。

 だからまあ……転移の魔法、使おうかな。
 あれなら一瞬で移動して一瞬で帰ってこれる。
 ちょっと味気ないが、遠すぎるのでしかたがない。最短の依頼で往復五日ですよ。遠いわ。

 とりあえずAランクのファイアドラゴン討伐でも受けておこうかな。
 竜の肉はおいしいらしいから、持ち帰ればきっとフィリアも喜んでくれるはずだ。

 そう思って貼り出された依頼の用紙の手を伸ばしかけた。その瞬間、背後からギルドの扉が開く音が聞こえる。
 それだけなら気にしないのだが、問題は私が入ってきた時と同じように、いやそれ以上の静寂がギルド内部を支配したことだ。

 あ……これあの子来たわ……。

 掲示板に伸ばしかけた手を引っ込めて、半ば確信しながらも、恐る恐るギルドの出入り口を振り返る。
 するとそこには、私が予想した通りの人物が立っていた。

 背丈は私と同じくらいだろう。しかし比較的落ちついたような雰囲気だろう私とは打って変わって、彼女は実に凄惨だ。
 渇いた血がこびりついたかのような赤黒い髪をツインテールにまとめて、なびかせる。闇の中でさえ、否。闇の中でこそ爛々と輝くであろう真っ赤な瞳には、獣のごとき縦に開いた瞳孔が窺える。
 徹底的に動きやすさを重視した服装と、背と腰にそれぞれ二本ずつ携えた合計四本の小剣。幼気ではあるが、むしろだからこそ彼女の狂気的な雰囲気をかきたてる。

 この街を拠点として活動するSランク冒険者は私と、もう一人。
 それがこの少女、《鮮血狂い(ブラッディガール)》ことシィナだった。

「……!」

 シィナは初め、受付に向かって歩いていたが、私を見つけると、途端に足先をこちらに変えてくる。
 彼女自身の鮮烈な存在感も相まって、思わず、ちょっとビクついてしまった。

「…………」

 私のすぐそばまで来たシィナだが、なにも言葉は発さない。
 ただし獣人である彼女の頭に生えた二つの猫耳はぴこぴこと動いていて、尻尾も心なしか少しはしゃいでいるように見える。
 どうやら、私と会えたのが嬉しいようだ。一ヶ月以上来てなかったからな。

「シ、シィナ。久しぶりだね」

 シィナは無口、無表情がデフォルトではある。が、反応がないわけでもない。
 私が声をかければ、彼女はこくりと首を縦に振った。

 ……正直に言うと、私はこの子がちょっと苦手だ。

 別に、無口だから苦手なわけではない。
 むしろ、無口な子がにゃんにゃんする時に声を出して乱れるとかそそるじゃないですか。猫の獣人だけににゃんにゃん的な?
 それを思えば無口は一種のチャーミングポイントだとも言える。

 見た目だって掛け値なしに可愛い。私を見つけてすぐに駆け寄ってくる辺り、まさしく懐いた子猫のようだ。
 フィリアのように大きなお胸さまこそないが、じゅうぶんにストライクゾーンの範疇である。

 ……ただ、その。
 この子、なんていうか、ちょっと病んでるというか……。
 一度手を出してしまったら、ずぶずぶと泥沼に沈んでいってしまいそうで、その……。

「シ、シィナ?」

 ふと、シィナが不思議そうに首を傾げたと思ったら、さらに一歩近づいてくる。
 ちょっと顔を動かせば、顔と顔が衝突してしまいそうな距離。

 そんな近さの中、シィナは私の肩辺りですんすんと鼻を動かし始めた。
 そして口を開くと、耳元で、静かに言った。

「…………ほかの……」
「ほ、他の?」
「…………ほかの……おんなの……においが、する」

 ひえっ。

 見れば、シィナはぷくぅーっと頬を膨らませて、明らかに不満げな様子を表していた。

「……あなた、は……わたし、だけの……もの……」
「シ、シィナ、だけの……?」
「……だれにも、わたさない。ぜったいに……」

 これですよ、これ……。
 シィナさん、めっちゃ怖いの。
 滅多に口を開かないのに、いざ開いたと思ったら、毎回めっちゃ怖いことばっか言うの。

 シィナは、ともすれば今にも剣を引き抜いて斬りかかってきてもおかしくない、そんな危険な空気さえ纏っているように見える。
 見開かれた、その真っ赤な血の色をした眼が、じーっと私を見つめている。

 Sランク冒険者である彼女が放つその重圧は、周りにいた冒険者が巻き込まれまいとそそくさと逃げ出すほどだ。

「…………かまって」
「う、うん。おいで、シィナ……」

 逃げたり怯えたりしたらなにをされるかわかったものではない。なんとか平常心を装いながら、シィナを抱き寄せて頭を撫でる。
 ふにゃあ、とわずかに頬を緩めたシィナは、確かに可愛い。可愛いのだけども……。

「あなた、が……わたしの、すべて……あなただけ、が……」

 ぽっと頬を朱に染めて、すりすりと猫のように頬や顎を寄せてくるシィナ。
 それはさながら、私についていた「ほかのおんなのにおい」を、自分のそれで上書きするかのように……。

 ……う、うん。や、やっぱ怖いなこの子……。
 これがフィリアなら狂喜乱舞するところなのに、シィナだと気を抜くとなにをされるかわからない不安で、そんな余裕がない。

 よしんばにゃんにゃんするような関係になれたとして、だ。この子だと、その、めっちゃ痛くてグロいこととかされそうな危険がある。
 だってこの子の二つ名、《鮮血狂い》ですよ? 魔物の血しぶきを浴びながら笑顔で惨殺し続ける姿から取られた二つ名なんですよ、これ。
 絶対やばいって……シィナさん、好きな人が泣き叫ぶ姿とかで興奮するタイプだって……。
 そんな子に手を出してしまったら、最悪、その後の人生が簡単に終わってしまいかねない。

「シ、シィナはアマエンボウダナー」

 若干片言になってしまいつつも、甘えてくるシィナに応え続けた。
 猫にするみたいに顎の下を撫でてあげれば、彼女は本当に気持ちがよさそうに、ほんの少しだけその無表情を崩して笑みを見せる。

 そうしながら、私はかつてのことを思い返していた。
 シィナと出会い、そして懐かれた、あの日の過ちのことを……。
 女の子といちゃいちゃしたい。
 あわよくばにゃんにゃんしたい。

 明確にそんな思いを抱くようになったのは、冒険者としての生活が順風満帆となってきた頃だった。

 冒険者にもなっていなかった初めの頃は、ただ単に魔法への興味ばかりが胸の内にあった。
 なにもないところから火を出したり、水を出したり、そういったことが楽しかった。
 前世では空想の産物でしかなかった力。それをこの手で確かに使えるという感覚は、私に大いなる興奮をもたらしてくれたものである。

 しかし、それはまだ魔法が未知だった頃の話だ。
 魔法を知れば知るほど、どんどん学ぶものがなくなっていく。できることとできないことの区別がついて、やがて私にとって魔法はただの常識の一部となった。

 そして魔法の次は、冒険者になってからの新しい生活が大変で、単に余計なことを考える暇がなかった。

 初期の慣れない頃の冒険者生活は本当に大変だった……。
 人の手が入っているわけでもない森や山の中。帰り道がわからず、幾度となくさまよい。
 現地で食糧を調達しなければいけないことが多いため、毒の有無を知らなければならず植生などについて勉強したり。
 冒険者にとって一番怖いのは狼などの動物型の魔物よりも、小さな虫型の魔物だ。
 気づかないうちに這い寄られていて、うっかり刺されたり噛まれたりして即効性の毒なんて食らったりしてしまったら、仲間がいなければその時点でもうお陀仏である。

 魔法があるおかげで、ただ強いだけの魔物程度なら容易に対処できたけれど、そういった地味な部分への対処は本当に面倒だった。

 というか、その強い魔物への対処だって別に楽しいわけでもない。
 ぶっちゃけ戦いなんて無駄に疲れたり怖かったり痛かったりするだけだ。
 ゲームでやるぶんには楽しいけど、残念ながらこれは現実である。

 魔物の絶叫、悲鳴。懸命に子を守ろうとする魔物さえ、人類にとって害になるのなら手を下さなくちゃいけない。
 どんなに取り繕ったって、殺しは殺しだ。そんなものが楽しいはずもない。

 そんな私が、人並みな一つの願望にたどりつくことはもはや必然だと言えただろう。
 そう。その願いこそ――女の子といちゃいちゃしたい……あわよくばにゃんにゃんしたい! 

 ただれた生活を可愛い、あわよくば胸も大きい女の子と過ごしたい!
 胸焼けしそうなくらい甘ったるい日常を過ごしたい!

 それを叶えるためにはどうすればいいのか……。
 最近はずっとそればかりを考えていた。

 今の私は前世とは違って、ほんの一〇代前半がいいところの小さな少女だ。
 普通なら同性と付き合ったり、R18なことをしたいなんて思わない……はずだ。

 こんな私が自分の願いを叶える方法があるとすれば、大雑把に分けて二つになるだろう。

 片方は、ギブアンドテイク――お互いに利益がある関係をつくること。
 たとえば、私の気が向いた時にえっちなことをさせてもらう代わりに、その生活のすべてを養うとか。

 ただこれはちょっと……正直、あんまり気は進まない。
 言い換えれば弱みを握っているだけだ。
 しかもにゃんにゃんできるにしても、いちゃいちゃの方ができない可能性が高い。

 にゃんにゃんもしたいけれど、いちゃいちゃもしたいのだ。
 できれば、恋人みたいな甘くてハッピーな関係が好ましい。
 ……とは言え、元々まともではない望みだ。妥協しなければいけない時もいずれは来るかもしれない。

 そして、それとは違うもう一つの案。
 こちらは至ってシンプルだ。私と同じ趣味嗜好の人を見つけ、その人と交流を深めて、付き合っちゃえる関係まで持って行っちゃえばいい。
 これならいちゃいちゃもにゃんにゃんも好きなだけし放題だ。後ろめたい気持ちを抱く必要もない。

 ただこちらの案の唯一にして絶対的な問題として、どうやってそんな人を見つけるかどうかということが挙げられる。
 私の趣味嗜好を公言するのが一番手っ取り早いけれど、さすがに恥ずかしすぎる。
 最悪の場合、社会的に死んでしまいかねない……心配しすぎかもしれないけど。
 いずれにせよ、私だって今はもう有名なSランク冒険者。変な噂が立つのは勘弁だ。

 しかしそうなると、私の方から同じ性癖の仲間を見分けて、それを探っていくという気長な方策を取らざるを得なくなる。
 だけど、その方法で見つけるのは至難の業だ。下手な手を打てば気持ち悪がられる危険だってある。
 好意を抱いていた相手から、そんな目や思いを向けられる。その時の心理的ダメージはきっと相当なものだ……。

 ……しかし、しかしだ。
 至難の業というだけで、可能性が〇であるわけではない。

「…………」

 今、私は冒険者ギルドの隅っこのテーブル席に腰を下ろしている。
 そしてそんな私の視線の先には、一人の少女がいた。

 彼女はランクAとS、上位二つのランクの高難易度依頼しか貼られていない掲示板の前に、ぽつねんと突っ立っている。
 猫耳と尻尾があるから、獣人だ。

 そんな少女を眺めながら、私は思っていた。

 ……やばい。
 あの子めっちゃ可愛い。

 噂程度には聞いたことがあった。この街には私と同じくSランクの、《鮮血狂い(ブラッディガール)》の二つ名を持つ冒険者がいる、と。
 むしろ私の方が新たにSランクになったくらいで、本当は彼女の方が先輩だ。
 ただ、Aランク以上の依頼はそのどれもが遠出しなければいけないものばかりのため、その事情で街にいることが少ない彼女と鉢合わせる機会がこれまでなかったのだ。
 むしろAランク以上の冒険者ともなると、一つの街を拠点に活動するスタイルの方が珍しい。高ランクでは、転々と街を移動していくスタイルが基本である。
 いや今は別に高ランクがどうとかはどうでもいい。

 とにかく、可愛いのだ。

 剣を身につけているのに、彼女の体はそれを扱う者とは思えないほど華奢で女の子らしい。
 動きやすさを重視した結果、露出が多くなっただろう衣装から覗く白く傷のない肌は、一種の聖域のよう。
 胸の大きさこそそこそこ程度だが、それ以外の部分は完璧に私の理想とマッチしていた。
 ツインテールもよく似合っていて……あれほどまでに可愛いと感じた女の子を私は今まで見たことがない。

「……ふふふ」

 そしてそんな彼女を見た時、私は思ったのだ。

 今の私がまともに女の子と付き合うのは至難の業? もしかしたら気持ち悪がられるかもしれない?
 だからどうしたというのだ!
 私はやってみせる……! なんと言っても、それが私の本当の望みなのだ!
 ならばいくら可能性が低かろうとも、やらずして諦めるわけにもいくまい。

 だからひとまずは、とりあえずあの子に声をかけてみようと思うんです。
 うむ、それがいい。
 ほら、同じSランクだから話しかけやすいしね。他意はない。
 別に一目惚れとかしたわけではない。うん……まだ惚れてはない。気になってるだけだから。

 そういえばあの子、なんかいろいろ危なそうな噂とかもあるらしいけど……まあ、その辺は問題ないか。
 だって、あんなに可愛いのだ。
 見てみてくださいよ、掲示板を眺めてる、あのボーッとした横顔。
 すごく可愛い。
 あんな子が噂のような危険人物のはずがない。

 思い立ったが吉日だ。席を立ち、あの子の方に向かう。

「ごめんね。少しいいかな」
「……!」

 私が横から声をかけると、彼女は今気づいたと言わんばかりに私の方に顔を向けた。
 うむ……やはり可愛い。遠目で見ても可愛かったけど、近くで見るともっと可愛い。

「突然すまない。私はハロと言う。少し前にSランクになった者なのだけど……君は、Sランク冒険者の《鮮血狂い》で間違いないかな」
「……」

 一拍の間を置いて、こくりと頷かれる。

 無口。無表情。これに関しては噂で聞いていた通りの特徴だった。
 聞いていた通りなのだが……うぅむ、これは思っていた以上にとっつきづらいな……。
 突然話しかけてきた私のことを、単に疑問に思っているのか、それとも警戒しているのか。
 表情からではまったく判別がつかない。

 少し臆してしまうが……ここは一つ、想像してみるのだ私よ。
 いつか(きた)るべき未来……そう。この目の前にいる人形のような少女が、まるで照れているような赤い顔で、懸命に私を求める姿を……!

 おお……これはいける! 俄然やる気が湧いてきた!
 人間なせばなる! 勢いさえあれば割とどうにかなる! 私人間じゃなくてエルフだけど!

「この街を拠点に活動するSランクの冒険者が私以外にいると聞いて、ずっと気になってたんだ。それで、よかったらなんだけど……少し、話をしていかないかい? その、君と親睦を深めたい、仲良くなりたいんだ」
「……!」
「もし時間がないなら、次に受ける依頼を私も手伝うから。これでも私は《至全の魔術師(シュプリームウィザード)》なんて大層な名前で呼ばれていてね、魔法の腕には結構自信がある。足を引っ張ったりはしないし、報酬だって、全部君に上げよう」
「…………」
「どう、かな」

 相手がなにもしゃべらないことをいいことに、一気にまくしたてた。
 とは言え、言い終わった後で少し不安にもなってくる。

 いきなり声をかけられたかと思えば、依頼を無償で手伝おうとまで言って関わろうとしてくる。見方によってはかなり怪しい。
 なにか変なことを企んでいると思われてもおかしくはない。
 そう思うと、依頼のことにまで言及したのは余計だった。親睦を深めたい、というだけでよかったはずだ。

 自分の行いを少し後悔していたのだが、幸運なことに、しばらく待った後の少女の返答は頷き――私の提案への了承だった。
 嬉しさを抑えきれず、私は思わず笑顔になる。

「ありがとう」
「……いら、い……これ……」

 お礼の言葉に、少女はさっと私から目線をそらす。そして歩き出したかと思うと、掲示板の一枚の貼り紙を指差した。
 ただし指差した掲示板はAランク以上のものが貼られた掲示板ではなく、CとBランク用の掲示板。そのうちのCランク、日帰りで行けるような近場の草原でのレイジウルフの討伐依頼だった。

「これは……わかった。それを一緒にやろうか」

 ここでCランクの日帰りが簡単な依頼を選んだということは、私が言った言葉をそのまま受け入れてくれていることの証明だろう。
 一緒に依頼をこなして、親睦を深める。私の提案通り、彼女はそういうつもりでいる。

 まだ警戒はされているかもしれないが……少なくとも悪感情は抱かれていないようで、内心ほっとした。

「じゃあ、行こうか」

 依頼を受けて、軽く支度を済ませて、少女と一緒に街を出発する。
 草原自体はすぐそこなので、移動は徒歩だ。
 大変なのは草原につくことではなくて、その広い草原で狼を見つけることにある。
 とは言っても、ある程度はすでに冒険者ギルドの方で場所を絞り込めている。私たちは今回、その場所付近で狼を見つけ出し、倒すことが仕事だ。

 少女は獣人としての優れた五感を、私は魔法で狼の存在を探査しながら、二人で草原を歩く。
 その間、親睦を深めると言った通り、私は少女と会話を重ねていた。
 まあ、この子は無口だから私が一方的に話をしているだけなのだが。

「――そういうわけで、この辺の料理はちょっと口に合わないものが結構あってね。自分で料理の勉強をして、自分の舌に合う料理を作れるようにしたんだ」
「……」
「まあ、まだ全然レパートリーは少ないんだけどね。エルフだから、あんまり肉とか魚とかは食べられなくて……あぁ、《鮮血狂い》は」
「し」
「し?」
「シ、ィ……シ、ィ……ナ。シ、ィナ…………シィナ……」
「シィナ?」

 聞き返すと、少女はこくりと頷く。

「もしかして……君の名前?」

 これまた、こくりと。

「そうか。ありがとう、教えてくれて」
「……」

 今度は頷かなかったが、ぴこぴこと猫耳が反応していた。
 私の思い込みかもしれないが、どことなく嬉しそうにも見えた。
 その様子があまりに可愛らしく、思わず手を伸ばしてさわりかけて、直前で引っ込めた。

 あ、危ない危ない。まだ会って数時間だ。いきなり耳をさわったりなんてしたら嫌われてしまう。
 そういうのはもっと進んだ関係になってからだな、うん。

「シィナは、獣人なんだよね。肉とか魚の方が好きなのかな、やっぱり」
「……」

 話を続ければ、さきほどまでと同様、彼女はしっかりと頷いてくれた。
 ただそれだけではなくて、わずかに口を開こうとして、声を出して自分の声も示そうとしてきてくれている。

「く……だ、もの……も」
「ん」
「きらいじゃ……ない……」
「そうか。それは嬉しいな。今度、一緒になにか食べに行きたいね」
「……う、ん……」

 うん、って! うんって言った!
 了承してくれたこともそうだけど、それだけじゃない……動作だけじゃなくて、ちゃんと口で応えてくれたのだ!
 これは好感度が相当上がってる証拠なのでは!?

 そんな内心の興奮をどうにか抑えて、にやつきそうになってしまいながら会話を続ける。

「でも、これまで時間が全然合わなくて会えてなかったからね。次に会って一緒に行けるのはいつになることやら……」
「……つく……る。じかん……」
「作る……時間を? それは……一緒に食べに行くために?」
「…………ん……」

 今度は少し恥ずかしそうな返事と、小さな首肯。
 ほんの少し頬が赤らんでいるようにも見える。

 ……ふぅー……。

 …………やばいこの子可愛すぎる。
 これは完全に惚れてしまったかもしれないな。

 胸が大きい方が確かに好きだけど、私ではない別の誰かのものであることが重要なのであって、シィナくらいのものでも私はありだと大声で言える。
 いややっぱ大声は無理。でも言えることは確かだ。ベッドの上でだけど。

 それにしても、シィナのこの態度……これ、もしかしてワンチャンある?
 い、いや、さすがに穿ち過ぎか。友達と一緒にご飯を食べに行くくらい誰でもする。
 しょせんは友情の直線上。そもそも、この子が私と同じ性癖の可能性なんてほとんどないのだ。

 それでも……うん。
 それでも、やっぱり可愛いよなぁ……。

 友達でもいいからそばにいたい。もっといっぱい話をして、一緒に街を歩いたりしてみたい。
 いつか、この子の笑顔が見てみたい。

 やばいな……本当に恋をしてしまった可能性がかすかだが大いにあるとかなり思われる。

「なら、私もその日を楽しみにしてるよ」

 なんとか平然を装って、そう告げた。
 シィナは猫耳をぴこぴこと動かして、やはり心なしか嬉しそう。

 ふふふ……あぁ、やっぱりな。
 《鮮血狂い》。風の噂によると彼女のこの二つ名は、血しぶきを浴びながら猟奇的な笑顔で魔物を惨殺していた姿からついた二つ名だということらしいが、やはりこれは出鱈目に違いない。

 いや、最初からわかっていたけどね。こんな子がそんなことするはずないって。
 不名誉な二つ名を与えられて、きっとシィナも内心ではさぞ不満に思っているかもしれない。二つ名のせいで避けられて、気味悪がられて……。
 くっ、シィナはこんなに可愛いというのに。こんな子のどこが不気味だと言うんだ。シィナに不名誉な二つ名を与える原因をつくったやつらを全員張り倒してやりたい。

 そんな風に思っていると、ふと、魔法の探知にあるものが引っかかる。
 あるものというか、今回の討伐対象なのだが。

「――シィナ」

 名前を呼ぶ頃には、彼女も私と同様にそれに気がついていたようだ。
 前を見据え、四本の小剣のうち、両腰のそれぞれに佩いていた二本の剣を引き抜いた。

 私も自分の中の魔力の流れに集中し、すぐにでもどんな魔法でも使える状態に持っていく。

「二〇、二一、二二……まだいるか。聞いていたより数が多いね。まあ、私たちなら問題はないけれど……」

 もしもこれが本来のCランクの冒険者が受けていたなら、あるいは命の保証がなかったかもしれない。
 こういうミスは本当に危険だからできるだけなくしていただきたいものではあるが……低ランクの依頼だと、目撃証言を資料と照合して依頼レベルを設定するのが基本のため、元の情報が曖昧だとしかたがない部分もある。
 魔物に追われていて慌てていたり冷静を欠いていたりして、情報が間違ってしまっていたり。

 なにはともあれ、今ここにいるのはSランク冒険者二名。
 まかり間違っても敗北はありえない。

「右半分、任せるよ。左半分を私が――」

 前に出ようとしたところで、不意にシィナに手で静止を促される。

「シィナ? いったいどうし……」

 シィナの顔を見て、言葉が止まってしまった。

 シィナは笑顔だった。
 ついほんの少し前に望んだ、いつか見たいと思ったはずの顔。
 だけどそれは想像していたやわらかいものとは、まるで異なっているように感じた。
 それはまるで、これから始まる殺しを楽しもうとしているような、そんな表情に……。

 ……い、いや、妄想だな。うん。あまりに妄想がすぎる。
 ちょっと笑顔が想像より外れてたからって、なにもそこまで思うなんて薄情だ。
 私最低だな。

「……わ、たし……が……やる……」
「っ……わ、わかった。後ろで見ているよ……」

 妙な威圧感に気圧されて、知らず知らず後ずさってしまっていた。
 呆然とシィナの後ろ姿を眺めていると、狼の群れが近づいてきて。
 ふと、シィナの姿がかき消えた。

 そして次の瞬間、シィナはすでに狼の群れの真ん中に立っていて、その直線上にいた狼はすべて真横に一閃されていた。

 ――まったく見えなかった。
 きっと彼女は魔力の循環による身体強化に空恐ろしいほどの適性があるのだろう。そしてその莫大な身体能力を完璧に使いこなす技量と感性も兼ね備えている。
 これがSランクの剣使いの力なのかと瞠目しながら、シィナの戦闘を見守る。

 シィナは、やはり笑顔だった。
 襲いかかってきた狼二体を一瞬で粉微塵に切り刻み、まだ温かい血やバラバラになった臓器が降り注ぐ。
 それを浴びるようにして足を踏み込みながら、さらなる狼の首を断ち。
 その血しぶきを浴びながら、やはり次の獲物へ。

 近接戦闘が得意なものでも、あれほどまでに激しく戦うことなど稀だ。
 群れの中心。わざわざ囲いの中に飛び込んで、一歩間違えば命の保証がない中、ひたすらに敵を斬り刻む。
 楽しそうな笑顔で。生き物の血を、無残な死に様を見るのが楽しくてしかたがないように。

 まるで舞うように、踊るように、遊ぶように。彼女は三〇秒とせずにすべての狼を斬り伏せた。
 その頃には彼女の全身は、ひどく凄惨なものになっていた。
 元々赤黒かった髪は返り血でさらなる深い色となり、全身も同じように血だらけ。
 体の節々に臓器の欠片が付着していて、ツインテールの左側には目玉の断片が、肩辺りには狼の胃かなにかが絡みついている。 

「シ……シィナ……?」

 とても戦闘とは呼べない惨殺が終わった後、彼女はその中心で笑みを浮かべたまま狼たちの無残な死骸を見下ろし、静かに佇んでいた。

 しかし私が名前を呼んだ途端、突如ピタッと動きを止める。
 かと思えばその直後、ぐりんっ! と一気に首を動かして、見開いた目でこちらを凝視してきた。

 さきほどまでは確かに笑顔だった。猟奇的ではあるが、楽しそうな笑顔だった。
 なのに今の彼女は完全な無表情で、なにをするでもなく、ただただ私をジーッと見つめてきている。

 そんな光景を眺めながら、私は思っていた。

 ……やばい。
 あの子めっちゃ怖い。

「…………」
「…………」

 え……え? なんなのこれは……。
 あれぇ? あっれぇ?
 おかしいな……さっきまでラブコメ的な波動を感じてたはずなのに……。
 私、友達でもいいからそばにいたいとか、恋する乙女的な思考をしてたはずなのに……。

 なんで急にジャンルホラーになってるの?
 こんな子のどこが不気味だと言うんだ、じゃないよ私。
 この子やばいって……マジでやばい子だったって。

 ど、どうしよう……こ、これ、どうしたらいいんだ……?

「……」
「……」

 シィナはあいかわらず、無表情で私を凝視してきている……。

 ……に、逃げる? 逃げるか?
 でも、本当に逃げて大丈夫か……? 急に逃げたりなんてしたら、逆に後ろからぶっ刺されたりするんじゃないか?
 一緒に依頼を受けようって誘ったの私だぞ? その私がいきなり逃げ出して、シィナがなにもしないとでも?

 に、逃げるのはダメだっ。
 仮にここで逃げ切れたとしても、その後また鉢合わせた時のことも考えると悪手だ。

 だが、このまま沈黙してるのが好ましい選択だと言えないのも事実だ。
 私は割とシィナの好感度を稼いだはず……その私がここで中途半端な態度を取ってしまえば、せっかく私のことをわかってくれたと思ったのに、みたいな感じで刺されかねない。

 だとしたら……いや、でも……。

 …………くっ、やるしかない!
 逃げるのがダメなら……!

「シィナ」
「……!」

 一歩、踏み出す。シィナもまたそれに呼応するように、ぴくりと体を震わせた。
 胸の内の逃げ出したい衝動を全力で押さえながら、シィナに一歩ずつ歩み寄る。
 正直、近づくたびにシィナの見開いた目が近づいてきてガチで怖いのだが、今はとやかく言っている場合ではない。

 シィナの目の前に立つと、私は……そっと、シィナを抱きしめた。

「シィナ」

 臓器とか血とかが付着して半端なく気持ち悪いのだが、今はとやかく言っている場合ではないんだ!

 シィナの名前を耳元で囁くと、彼女は少しだけ身じろぎをした。
 そんな彼女に、私はできる限り優しい声音になるようにして、言った。

「大丈夫」

 子どもをあやすように。なぐさめるように。
 泣いている子どもにするように、優しく背中をさすって。

「大丈夫だから……」
「…………ハ、ロ……ちゃ……?」

 からん、と音を立てて、シィナが持っていた二本の小剣が落ちる。
 動揺か困惑かはわからないが、シィナは少し震えているようだった。

 これはいけると確信した私は、そこでシィナを思い切り、ぎゅーっと力強く抱きしめる。

「大丈夫……大丈夫、だから」

 そう、大丈夫。
 なにが大丈夫なのかまったくわからんけど、とにかく大丈夫なんだ。

 逃げるのがダメなら、発想を逆転させればいい。
 つまり逆に近づいて、抱きしめる。この大胆な策なら逆に襲われることはないと、私は踏んだ。
 とは言え、それだけではなにか足りない感じもする。抱きしめるのに加えて、なんかいい感じの言葉があるともっといい感じになるはずだ。
 そうして私があの短時間で必死に考えた言葉が『大丈夫』。

 この大丈夫という言葉は非常に汎用性が高い。
 相手がどんな心理状態であろうとも、とりあえず抱きしめて大丈夫って言っておけば大体のことは丸く収まる……気がする。
 よしんば的外れだったとしても、私がシィナのことを心配している風なことは伝わってくれるはず。
 つまり、シィナに悪感情を抱かせてしまう可能性が激減するのだ。

 現に、シィナはなんか武器を取り落として、私の抱擁を受け入れてくれている。

 何度も何度も、大丈夫という単語を繰り返す。
 シィナの震えが止まるまで、ずっと。

 そうしていると、やがてシィナは彼女の方から、私を抱きしめ返してきた。
 彼女の力なら私の細い体くらい、へし折ることができる。
 しかしシィナはそれは決してしようとはせず、むしろ壊れ物を扱うように、そうっと……。

 ふっ……。
 よし。やったな。
 シィナがなにを考えてたのか、まるでまったくこれっぽっちもわからないが、どうやら私は正解のルートを導き出すことができたようだ。
 この様子なら、シィナが私を殺そうとすることはまずありえない。

 あとは適当に話を流して、依頼を終えて、この子と別れることさえできればミッションコンプリート……!

 もう恋がどうとかはどうでもいい。初恋は実らないものだと学んだ。
 というかね? あんな惨殺ホラー凝視劇場を見せられて、まだこの子に恋をしてるとか言う方がどうかしてますよ。頭おかしいんじゃねえの。
 吊り橋効果で恐怖を恋と勘違いすることもありえるかもしれないが、それにしたって限度がある。というか危険をもたらした吊り橋に恋なんてするわけがない。

 容姿は確かに可愛い。それは認めよう。
 だけどですね。あんなものを見せられて、まだ手を出す勇気があるかと言われると、私にはないです。
 ないんです。

 ……早くお家帰りたい。
 もういちゃいちゃとか二の次でいい。
 同じ性癖の仲間探しとかも、いい。
 もう、にゃんにゃんさえできれば、それだけでいいから……。

「……ハ……ロ……ちゃ、ん」
「ひっ、んんっ! ど、どうかした?」

 耳元での呟きに心臓を跳ねさせてしまいながら、平然を装う。
 そんな私に、シィナは言う。

 囁くように、この後の私と彼女の関係のすべてを決定づける言葉を、言う。

「…………あな、たは……もう、わたしの…………もの……」
「ぇ」
「ぜったい。きょぜつ……させない」

 とろけるように、心地のいい声音だった。
 たとえるのなら、それはまるで悪魔の誘いのごとく。

「はじ、めて。あなた、が……はじめ、て。わたしを……うけ、いれて……くれた……」
「は、初め……て?」
「う、ん…………あなた、が……わたしの、すべて……あなただけ、が……」

 ぽっと頬を朱に染めて、スリスリと猫のように頬や顎を寄せてくるシィナ。
 それはさながら、猫が自分のフェロモンを擦りつけて、その所有権を主張するかのように……。

 …………あ、あれ?
 これはもしや……正解どころか、かなりやばいルートを導き出してしまったのでは……?

「……ずっと……いっしょ……」
「…………うん」

 ここでもし逃げ出す選択をすれば、今度こそ間違いなく切り刻まれる。
 もはや私には逃げ道など残されていないのだ。
 足を踏み出し、シィナを抱きしめた時点で、もう……。

 渇いた笑いを浮かべながら、血の海の真ん中でシィナに抱きつかれ続ける。

 その日、私はまるで悪魔とでも契約してしまったような気分だった。
「……どう、か……した……?」

 不意にそんな声をかけられて、はっとする。

 昔の過ちに思いを馳せているうちに、猫にするようにシィナの顎の下を撫でていた手を止めてしまっていたらしい。
 シィナの顔が目の前にあり、私の目を覗き込むようにしている。

 妖しいほどに綺麗な、血の色をした瞳。
 思わず「ひっ」と声が漏れかけたものの、ぎりぎりで耐えることができた。

 あいかわらず不思議そうにしているシィナに、私は慌てて取り繕う。

「いや、シィナと初めて会った時のことを思い出していてね。確かあの日、私がここでシィナに声をかけたのがすべての始まりだったな、と……」

 ……そう、あれこそがすべての始まりにして最大の過ち……。

 元々、私はシィナの評判や噂は小耳に挟んでいた。
 二つ名がついた由来も、彼女がどういう人柄なのかも、事前に聞いていたのだ。

 いわく、生き物を惨殺することが趣味。
 いわく、血を見ると途端に笑顔になる。
 いわく、ともに依頼に行った者は皆恐怖で顔を引きつらせながら逃げるようにして街を出ていく。
 いわく、元々髪は白かったが返り血を浴びすぎて赤黒く染まった。
 いわく、いわく、いわく……。

 うわぁ、やばいなそいつ。絶対関わり合いになりたくない。
 噂を聞いた当初はそんな風に思っていたものだ。
 だというのに私はシィナを見た瞬間、そのあまりの見た目の可愛さに「百聞は一見に如かず……だな!」的な感じに、それまで聞いていた話をすべて出鱈目として思考の外に放り投げてしまった。
 その結果があれである。

 もうアホかと。なんで外見しか見なかったのかと。
 百聞は一見に如かず? まあ確かにそうなったな? 百聞を信じなかったからシィナのアレな面を一見して全部理解したな? よかったな?
 いや、これっぽっちもよくないけどね?

 ……まあ、その、正直に言うと、懐かれていること自体は嬉しかったりする。
 こんなにもはっきりと好意の感情を向けられて悪い気がするわけがない。
 ましてやシィナは一度は恋もしかけた相手だ。すぐさま急転直下だったが。
 そんな子にこうして抱きつかれて、猫のように甘えられる今の状態が嬉しくないかと言われれば嘘になる。

 ただ、そんなかすかな嬉しささえ余すことなくかき消してしまうくらいに恐怖の方が大きいのが現状だ。
 以前の、完全に気を許していた直後に惨殺ホラー凝視劇場を見せられた出来事。あれが私の中で軽くトラウマになってしまっていて、どうにもシィナに苦手意識を持ってしまっている。
 初恋は特別だのなんだのと言うが、マジで初恋の失恋はアレな意味で特別かつ強烈に私の胸の奥に刻まれてしまっていた。

 恐怖症。トラウマ。患ったことがない人にはピンとこないものだろう。
 しかしこれがマジで厄介な代物だ。
 写真越しだとか映像越しならなんともなくとも、いざ相対すると猫が虎にもライオンにも思える。
 足ががくがく震えるし、じっと見られるだけで思わず泣きたくなってくる。
 シィナが友好的な態度を取ってくれているから今はまだ平気だが、戦闘モードのシィナはもうマジで洒落にならないレベルでやばいし怖いし逃げ出したい。
 無論、手を出そうだなんて思えるはずもない。

「……い、らい」

 ふと、私から少し離れたシィナが、掲示板の方に顔を向けた。

「うけ、る……? ……あの……とき、と……お、なじ…………い、っしょ……に……」

 苦手ながらも一所懸命に口を開いて、自分の意志を示そうとしてくれる。
 あんなに大胆に頬や顎を擦りつけてきたりしていたのに、こんな時ばかりは断られるのが不安なのか、無表情に浮かぶ瞳がほんのわずかに揺れているように見えた。
 その姿は控えめに言っても可愛い。

 あぁー……これでシィナがアレな性癖じゃなければなぁ……。
 いや私が言うなって話だけど。
 これまで、何度そんな風に思ったか数知れない。

「一緒に、か。実は、ファイアドラゴン討伐を受けようとしてたんだ。転移魔法を使っての日帰りでね」
「……とぶ、とかげ…………にがて……」
「シィナが得意なのは近接戦闘だからね。しかたないよ」

 だから一緒には行けませんね?

「……で、も……この、まえ……ハロ、ちゃん……が、おしえ、て……くれた……まほう…………すこ、し……つかえる、よう、に……なった、から……」

 そう言うシィナはかすかに自慢げに見える。

 私は魔法で遠距離攻撃やら浮遊やらできるので無問題だが、近接戦闘主体のシィナはどうしても空中の敵とは戦いづらい。
 これまでどうしていたのかと聞くと、超人的な跳躍で一気に近づいて一撃で仕留めたり、剣を思い切り投げたりして倒してきたらしい。力技すぎる。
 シィナが剣を四本も装備しているのは、そういう投擲への使用のためや、剣が折れた時の予備の意味合いがあるそうだ。

 そんなシィナに以前教えたのが空中に足場を一瞬だけ作る魔法だった。
 獣人は身体能力に優れる代わりに魔法的能力に低い傾向がある。シィナも同じように魔法は得意ではないそうだが、私が教えたその魔法はシィナの魔力や感性に合わせて専用にカスタマイズを施した特別製だ。
 他の人が使うならばひどく不安定で発動すら難しくとも、シィナに限ってはファイアボルトなどの下級魔法と同程度の難易度で発動できる。そういう風に私が作った。

 教えた当初は、それでもまったく使い物にならない程度だったが、どうやら彼女は地道に練習を重ねていたらしい。

「そ、そうか。使えるようになったのか……」

 ねえ……なんで私、シィナにあんな魔法教えたの?
 いや、なんか不便そうだなって軽い気持ちで作って教えたんだけどさ……。

 くっ、これではシィナの同行をやんわりと断ることができない!
 シィナが一緒なら確かに依頼は楽になるが、例によって惨殺ホラー劇場を見る羽目になってしまう……。
 これまでなんだかんだ言いくるめてきて、一緒に食事に行ったりすることはあれど、依頼に行ったことは初めて会った時以来一度もなかった。

 と、ここで袖を引っ張られたような感覚がして、そちらを向くと、シィナがなにやら物欲しそうな目で見つめてきていることに気がついた。

「え、偉いね。シィナ」

 たぶん、魔法を使えるようになったことを褒めてほしいのだろう。
 そう思い、よしよし、と頭を撫でる。
 するとシィナはされるがまま、気持ちがよさそうに目を細めた。

 ……ふぅ。
 冷静に考えてみるんだ、私よ。

 思い返してみれば、かつての惨殺ホラー劇場でシィナを抱きしめた時、シィナは壊れ物を扱うように慎重に私を抱きしめ返してきた。
 あれはつまりシィナにとって、私は傷つけたくない対象であることの証明にほかならないのではないだろうか。

 それに、今のシィナを見てみるんだ。
 撫でられて気持ちがよさそうにしている今の彼女が、私を望んで傷つけようとするような子に見えるか? いや見えないっ!
 初対面でそう見えなかったから後々やばい一面を目の当たりにすることになったことなんて今は置いておく。

 シィナは確かにちょっと心が病んでそうな部分はある。
 けれども、私が常に友好的な態度を取ってさえいれば、危害を加えてくるようなことはしないはずだ。

 大丈夫。そう、大丈夫だ。
 大丈夫は世界一汎用性が高い言葉だから。大丈夫、きっと大丈夫。

 何度も自分にそう言い聞かせ続けながら、私はファイアドラゴン討伐の依頼用紙をはがした。

「じゃあ、一緒に行こうか。ああ、討伐証明部位以外にも料理用にお肉をある程度持って帰るつもりだから……その、斬り刻まないようにお願いしたい……」
「……」

 惨殺ホラー劇場が少しでもマシになりますように、という思いも込めて釘を刺すと、こくり、とシィナが頷いた。
 イメージ的には「まかせて」って風に自信満々な感じだ。むんっ、と胸を張って言っているようなイメージ。実際にはただ頷いただけ。

 ……よし。このぶんなら今回はトラウマレベルのホラー劇場にはならないだろう。
 そもそもとして、いくら魔法を使えるようになったとは言っても、たかが足場を作るだけの魔法で空中を飛び回るドラゴンを追いかけるのは難しいはずだ。
 今回は前回と違って、私の魔法が主力になる。そしてその私が速攻で終わらせることでシィナの出番をなくしてしまえば、シィナのアレな一面も解放させることなく万事解決だ。
 ふっ、さすが私。完璧な作戦だな。

 これから先の明るい未来に思いを馳せながら、私は依頼用紙を受付へと持って行ったのだった。

 ――なお、その後のファイアドラゴン討伐にて、ドラゴンを捕捉したのち、私が魔法を放つよりも早くシィナが飛び出して超立体的な機動により一瞬でドラゴンを粉微塵にしたのは余談である。
 そうして降ってきた血と臓器の雨にさらされながら、笑顔で「ほめてほめて!」と言わんばかりに駆け寄ってきたシィナに、がくがくと震えていたことも余談である。
 斬り刻まないとはいったいなんだったのか。
 シィナいわく「たの、しく……て……つい……」とのことらしい。

 ふ、ふぅん……たの、楽しかったんだぁ……。
 あ、あああれが……あれ、ああ、あれ、あれが、た、たの、あれ、たのし。
 うぅわあああああああぁもうやだぁああああああ! たすけてふぃりぁあああああっ!

 それは、もう二度とシィナと一緒には討伐依頼を受けないと固い誓いを立てるような、そんな半日間だった……。
 お友達が欲しい。
 なにがなんでも、とにかくお友達が欲しい。

 明確にそんな思いを抱くようになったのは、同世代の子がわたしを見た途端に叫び声を上げて逃げ出す出来事を一〇回ほど経験した時だった。

 元々、わたしは自分が妙に誤解されやすいたちであることは自覚していた。
 感情表現がかなり苦手で、ちょっとした感動や嬉しさなんかでは、このダイヤモンドのように固い表情筋さまはまったく動いてくれない。
 目つきもかなり悪い。別にいつも睨んでいるようだとかそういう感じではなく、その逆。いつも見開いているような目つきで、いわく『見られただけで足がすくむような恐ろしい目』をしているとか。
 声だっていつも小さくて、全力で一所懸命声を出そうと意識して、ようやく途切れ途切れの言葉を口に出せる。
 そのくせして恐怖にさらされた時だけは顔が引きつって笑ってしまい、いわく『血を見ることだけが楽しみな悪魔の顔』になるという。

 誰が悪魔だ。泣くぞ、いいのか泣くぞ。
 …………うぅ、ほんとに泣きたい……。

 終いには大人たちからも怖がられるようになって、特になにもしていないはずなのになぜか異様に故郷に居づらくなってしまったわたしは、逃げるようにしてそこを出た。
 故郷を出る時の、泣き笑いで抱き合う同族たちの光景が今でも忘れられない。
 旅に出てから一週間くらいは、くるまりながら夜に一人ですすり泣いていた。感情表現の不得手具合が極まっているわたしでも、その時ばかりはあまりに悲しすぎて普通に涙が出た。

 そしてその時に誓ったのだ。
 いつか必ず、わたしのことをわかってくれる大親友を作ってみせるんだ! と。

 ひとまず、故郷を出たわたしが選んだ職業は冒険者だった。
 冒険者は犯罪者でさえなければ誰でもなれる、自由な職業だ。荒くれ者が多く集まるというそこなら、わたしに怖がらずに接してくれる人もいるかと期待していた。

 ……いや、冒険者を選んだとか期待していたと言ったけれど、他人に誤解されやすいわたしには他に選択権などなかったのが本当のところ。
 ほんとは戦うのとか疲れるし怖いし痛いしで嫌なのに……。

 幸いなことに戦う才能は故郷で一番というくらいにはあったので――それが怖がられる要因でもあったので、幸いと言うにはいささか複雑だけれど――、冒険者として成り上がることはそう難しくはなかった。
 しかし、わたしにとって重要なのは成り上がりだとか冒険者ランクだとかそんなものではなくて、わたしのことを理解してくれるお友達を作ること。

 幼い頃の記憶が頭をよぎる。
 幼い頃の辛い日々。ひとりかくれんぼをしたり、ひとりおにごっこをしたり、毎晩ぬいぐるみと話す練習をしたり。
 お友達さえできれば……そう、お友達さえできれば、もうそんなことしなくていいのだ!
 わたしは……わたしはぼっちを脱却する! この冒険者ギルドなら、きっとそれができる! わたしはそう信じてる! というか信じさせて!

 そんな願いが通じてくれたのだろうか。
 冒険者の多くはわたしのことを怖がらず、むしろ一緒に依頼をやろうと進んで声をかけてくれた。

 初めて声をかけられた時はそれはそれは嬉しかった。いつもは声をかけられることなんてほとんどなくて、こちらから声をかけたりなんかしたら、震えて泣いて逃げられる。そんな日々だったから。
 初めてのお友達ができるかもしれないチャンスに、今までにないくらい心躍ったものである。

 …………まあ、初めの頃は、という注釈がつくけれど……。

 張り切って、少しでも良いところを見せようと一人で全部の魔物を倒してみせたのが悪かったのだろうか。
 戦うのなんて本当は嫌で、命を狙われる恐怖に引きつった顔になってしまいながら、それでも初めてお友達ができるかもしれないチャンスを逃したくなくて、一所懸命とにかく全力で魔物を倒した。

 なのに、そんなわたしを待っていたのは、故郷と同じ、わたしを恐怖の目で見る冒険者たち。
 悲鳴を上げて逃げられて、お友達になることを諦め切れなくて追いかければ、途中でコケた人がわたしが近づいただけで白目を剥いて気絶して……。

 二度、三度、四度。
 今度こそは怖がらせまいと奮起しているのに、どうしてかいつも同じ結果に収束してしまって、やがてわたしにパーティを組もうと言ってくれる人は一人もいなくなってしまった。
 そればかりか、なにやら不名誉な噂までもが流れ始めてしまっているようだった。

 いわく、生き物を惨殺することが趣味。
 いわく、血を見ると途端に笑顔になる。
 いわく、ともに依頼に行った者は皆恐怖で顔を引きつらせながら逃げるようにして街を出ていく。
 いわく、元々髪は白かったが返り血を浴びすぎて赤黒く染まった。
 いわく、いわく、いわく……。

 生き物を惨殺することが趣味って、違うよ。戦ってる時って大体死にたくないって恐怖でいっぱいで自制がきかなくて、気がついたらああしちゃってるだけで、他意はないんだよ……。
 血を見ると途端に笑顔になるって、それ、恐怖で顔が引きつって笑っちゃってるだけだよ。
 一緒に依頼に行った人が逃げるようにして街を出ていくとか、普通にショックだよ。
 元々は髪は白かったが返り血を浴びすぎて今みたいになったって、全然違うよ。これ地毛だよ。

 ねえ、なんで? なんでこんな噂流れるようになったの? わたしなんにも悪いことしてないよ……?
 ただただお友達が欲しくて、そのために頑張って恐怖に耐えて、必死に冒険者として活動してきただけなのに……。

 ……気がついた時には、わたしは故郷と同じように孤立してしまっていた。
 誰もがわたしを恐怖の目で見て、誰もがわたしを避ける。
 Sランクに上がる頃には、街の人も冒険者の人もギルドの人も、誰もがわたしを腫れ物にさわるように扱うようになった。

 あぁ、どうしてこうなっちゃったんだろう……。
 わたしはただ、お友達と楽しくおしゃべりしたり遊んだり買い物したり、一緒にお食事とかもしたり、そんな当たり前の幸せが欲しいだけなのに……。

 もういっそ、どこか遠く、誰もわたしのことを知らないところへ拠点を移そうかな……。
 ……でもそっちでもまた同じように怖がられちゃったら、どうしよう。
 また拠点を移して……それで? そこでもまた怖がられたら?

 そんな悪い想像ばかりが膨らんで、結局わたしは故郷にいた時と同じように、毎日を一人で過ごし続けて。
 そんな時だった。彼女が私に声をかけてきたのは。

「ごめんね。少しいいかな」

 やはりどこか遠くの方に拠点を移そうと思い、遠方での討伐依頼を掲示板の前で吟味していた時、そんな声をかけられた。

「……!」

 驚いて、顔を向ける。
 そこには、今まで見たことがない一人の少女が立っていた。

 背丈はわたしと同じくらいだ。耳が少し尖っているから、エルフであることは一目でわかった。
 白く傷のない美しい肌。さらさらと一本一本が細やかで艷やかな銀の髪が、彼女の宝石のような瞳を彩る。

 ほんの一瞬だけ、見惚れてしまう。
 そうして固まっているわたしに、少女は言った。

「突然すまない。私はハロと言う。少し前にSランクになった者なのだけど……君は、《鮮血狂い(ブラッディガール)》で間違いないかな」
「……」

 《鮮血狂い》……うぅ、そうだよ。わたしがその二つ名の持ち主です。
 あぁ、なんでわたしそんな二つ名なんだろう。血なんて好きじゃないのに。お友達欲しいだけなのに。名付けた人絶対許さない……。

 って、恨み言呟いてる場合じゃなかった! 返事、返事しないと!

 慌ててわたしが頷いてみせると、ハロ……ちゃん? は少し安心したように頬を緩めた。

「この街を拠点に活動するSランクの冒険者が私以外にいると聞いて、ずっと気になってたんだ。それで、よかったらなんだけど……少し、話をしていかないかい? その、君と親睦を深めたい、仲良くなりたいんだ」
「……!」

 な、仲良くなりたい!? わたしとっ!?
 え!? 本気で言ってくれてるの!?

 今度は驚きで固まっているわたしに、さらに彼女は続けた。

「もし時間がないなら、次に受ける依頼を私も手伝うから。これでも私は《至全の魔術師(シュプリームウィザード)》なんて大層な名前で呼ばれていてね、魔法の腕には結構自信がある。足を引っ張ったりはしないし、報酬だって、全部君に上げよう」
「…………」
「どう、かな」

 依頼を手伝うと言っているのに、報酬は要求しない。怪しいと言えば怪しいが、彼女の表情を見て、そんな思いはすべて霧散する。
 まるで断られることを不安がるかのような表情。そして、声音も。

 それはつまり、彼女は本当にわたしと親睦を深めるという、ただそれだけの目的で声をかけてくれたのだろう。

 こ、この人……わたしのこと知ってるんだよね……?
 だって二つ名のこと知ってたし。それなら噂のことだって……。
 なのに声をかけてくれてる? もしかして……わたしが一人なことを気にして……?
 え、なにその聖人さん……。

 って、戸惑ってる場合じゃない! 早く返事しないと!

 了承か拒絶か。そんなもの、どっちにするかなんて考えるまでもなく決まっている。

 わたしが必死に頷き返すと、ハロちゃんは不安そうな顔から途端に嬉しそうな表情になった。

「ありがとう」
「……い、らい……」

 こっ恥ずかしくなって、さっと目線をそらし、誤魔化し気味に適当な依頼を指し示した。

 うぅ、ばかばかばか! なんでこんな愛想ない反応しちゃったのわたし!
 せっかく諦めかけてたお友達ができるチャンスかもしれないのに、こんな態度取っちゃ嫌われちゃう……!

 そう思いながら恐る恐るハロちゃんの顔色を窺ってみるが、彼女がわたしを嫌うような様子は一切なかった。

「これは……わかった。それを一緒にやろうか」

 少し驚いたような、けれども悪意なんかは一切ない、それでいてほんの少しほっとしたような。
 そんな顔で、彼女はそう答えた。

「じゃあ、行こうか」

 依頼を受けて、軽く支度を済ませて、一緒に街を出発する。
 依頼は近場の草原でのレイジウルフという狼の魔物の討伐だ。
 文字通り近場なので、移動は徒歩である。

 ……本当に、何者なんだろう、この人……。

 最初に親睦を深めると言っていた通り、こうして街を出てから、ハロちゃんは幾度となくわたしに話しかけてくれている。
 わたしは愛想があまりよくない方だと自覚している。無口で、無表情で……自分から話せることなんて全然ない。
 なのにハロちゃんはそんなこと一切気にしないで、いろんな話をしてくれる。
 まるでお友達みたいに。

「――そういうわけで、この辺の料理はちょっと口に合わないものが結構あってね。自分で料理の勉強をして、自分の舌に合う料理を作れるようにしたんだ」
「……」

 夢のような時間。でもだからこそ、一つだけ不満なことがあった。

「まあ、まだ全然レパートリーは少ないんだけどね。エルフだから、あんまり肉とか魚とかは食べられなくて……あぁ、《鮮血狂い》は」
「し」
「し?」
「シ、ィ……シ、ィ……ナ。シ、ィナ…………シィナ……」
「シィナ?」

 一所懸命、自分の名前を伝える。
 《鮮血狂い》の二つ名は好きじゃない。
 それに友達ならきっと、お互いのことは名前で呼び合うだろうから。

「もしかして……君の名前?」
「……」
「そうか。ありがとう、教えてくれて」
「……」

 い、言えた! わたし、言えたよ! 自分の意思をちゃんと伝えられたよ!
 正確に伝わったよ!

 思わず、ぴこぴこと猫耳が動いてしまうのがわかる。
 でも嬉しいのだからしかたがない。しかたがないったらしかたがない!

 これは……これはもしや、もしや本当にお友達ができるチャンスなのではっ?

 今までも、わたしと仲良くしようとしてくれる人たちはいた。
 でも大抵はわたしが無口のせいで話が続かなくなる。そうでなくとも、どうしてかわたしを恐れるようになる。
 誰も、わたしを理解してくれない。
 いや。自分の気持ちを口に出さない、出せないのだから、理解できるはずもない。

 でもハロちゃんはきっと、わたしの噂も承知の上でこうして声をかけてくれて、一緒に話までしてくれている。
 ろくに相槌も打てていないのに、本当に楽しそうに。

「シィナは、獣人なんだよね。肉とか魚の方が好きなのかな、やっぱり」
「……」

 頷いて、肯定した。
 でも、今回はそれだけでは終わらない。ハロちゃんはこうまでわたしに真摯に接しようとしてくれているんだ。
 わたしだって、頑張って自分の意思を示すんだ。

「く……だ、もの……も」
「ん」

 頑張って、口を動かす。

「きらいじゃ……ない……」
「そうか。それは嬉しいな。今度、一緒になにか食べに行きたいね」
「……う、ん……」

 一緒!? 一緒に食べに行く約束!?
 一緒に食べに行くほどの仲って、つまり友達ってことでは!?

 やばい! すごい! 夢の一つが叶いそう!
 わたし今これまでの人生の中で最高にリアルが充実してるんじゃ!?
 わたしリア充してる! やばい! すごい! 語彙力がアレだけどそんなことどうでもいい!
 やばい! 嬉しいよぉー!

 そんな内心の興奮をどうにか抑えて、心の中で思いっ切りうへへへとにやつきながら、会話を続ける。

「でも、これまで時間が全然合わなくて会えてなかったからね。次に会って一緒に行けるのはいつになることやら……」
「……つく……る。じかん……」
「作る……時間を? それは……一緒に食べに行くために?」
「…………ん……」

 当然作りますよ! だってお友達とお食事だよ? お友達とお食事だよ? 大事なことだから二回言った!

 でもちょっと恥ずかしくて、興奮も相まって、少し顔が赤くなってしまう。

 そんな私に、ハロちゃんは笑顔でこう言ってくれた。

「なら、私もその日を楽しみにしてるよ」

 ……うわぁあああああああああああ!
 なにこの良い人ぉぉぉぉおおおおおっ!

 なんでハロちゃんこんなに優しいの? もしかして天使? 天使なの?
 天使みたいに綺麗な髪してるもんね? じゃあやっぱり天使か! 天使だったのか! ハロちゃんこそが天使だったのか! 天使はハロちゃんだった! ハロちゃんイコール天使! 歴史的発見しちゃったよわたし!
 ああ、もう嬉しすぎてにやついちゃいそう! ダイヤモンドの表情筋をぶち壊してにやついちゃいそう!

 あぁ、世の中にはこんな人もいるんだなぁ……。
 わたしの評判も気にせず、こうして近づいてきてくれるハロちゃんみたいな人が……。

 感動が体中を駆け巡って、ぴこぴこと猫耳が動く。
 幸せだ。幸せな時間だ……。
 お友達とおしゃべり。そういえばこれも夢の一つだったんだよ……。

 ……でも、そんな幸せな時間は、そう長くは続いてくれなかった。

「――シィナ」

 ハロちゃんも気づいたらしい。
 討伐対象であるレイジウルフの気配がこちらの方に迫ってきている。

 わたしは剣を引き抜いて、ハロちゃんはなにやら意識を集中させている。

「二〇、二一、二二……まだいるか。聞いていたより数が多いね。まあ、私たちなら問題はないけれど……」

 ハロちゃんもやっぱりSランクだけあって、きっとすごい強いんだろう。余裕綽々って感じに見える。
 でも。

「右半分、任せるよ。左半分を私が――」

 ハロちゃんが前に出ようとしたところで、わたしはハロちゃんに手のひらを見せて静止させた。

 今回の依頼、報酬はわたしがすべてもらうことになっている。
 だとしたら、ハロちゃんが手を出す必要なんてない。
 わたしが全部終わらせる。

 それに、ハロちゃんにわたしの活躍してるところ見てもらいたいし……!

「シィナ? いったいどうし……」

 うぅ、でも、やっぱり戦うのって怖いなぁ……。
 レイジウルフ程度なら負けることはないってわかってるのに、もしかしたらって想像が頭の中にこびりついてしまって、顔が引きつってしまう。

「……わ、たし……が……やる……」

 いや、行ける! 今はハロちゃんもいるんだ! ハロちゃんをわたしが守らないと……!
 ほんの少しでも、ハロちゃんには危険な目には遭わせられない!
 行くよぉ! うわぁああああああああっ!

 全力で踏み込んで群れの中に突入し、そこからがむしゃらに剣を振るっていく。
 血や臓器が体に降りかかることを、気持ちが悪いと思う暇もない。
 死にたくない、そしてハロちゃんを危険にさらしたくない一心で、全速力で狼たちを打倒していく。

 ……そうしてすべてのレイジウルフを討伐し終えて、わたしは小さく息をついた。

 ふぅ……なんとか全部無事に倒せた。や、余裕ではあったんだけど……。
 やっぱりわたし、討伐依頼って嫌いだなぁ……。
 かと言って採取依頼は雑草と区別がつけられなくて苦手だし、護衛はギルドの重鎮らしい護衛相手を怖がらせちゃって以降やらせてもらえないし……他もいろいろ……。

 以前までなら、やりたくもないことをやらなきゃ生きていけない世の中に、このままぶつぶつと不平を言っていた。
 でも今日は違う。わたしにはハロちゃんがいる。これからまたハロちゃんとお話ししながら街に――。

「シ……シィナ……?」

 と……そこでわたしは、ハロちゃんが少し怯えたような顔でわたしを見ていることに気がついた。
 思わず、一気に顔を向けてしまう。
 そこには、故郷の人たちや冒険者ギルドの人たちと同じ、まるで化け物を見るような目でわたしを見るハロちゃんがそこにいた。

 ……あ、あぁああ……ま、またやっちゃった……。

 自分のアホさ加減に、もういっそぶん殴りたい気分だった。
 わたしが戦う光景を見られて逃げられることなんて何度もあったはずなのに。

 いくらわたしの噂のことを知っていたって、しょせんは噂。
 きっとハロちゃんはわたしのことを信じて、近づいてきてくれた。
 わたしがそんなことするはずないって、そう思っていてくれたんだろう。

 でもわたしは今、安易にそれを裏切るようなことを……。

 自分が誤解されやすいことなんて知っていた。なのに初めてお友達ができるかもしれないチャンスに浮かれて、頭から抜けてしまっていたのだろうか。
 今になって、レイジウルフを相手にやり過ぎていたのではないかという自覚がこみ上げてきた。

 ……きっとハロちゃんもこれから、これまでわたしと関わろうとしてきた人たちと同じように……逃げ出すんだろうな……。
 でも、わたしにそれを引き止める権利はない。だってそれは普通の反応だ。普通の……。

 あぁ……せっかく、初めてお友達ができるかもしれないチャンスだったのに……結局わたしは、いつもみたいに……。

「……シィナ」
「……!」

 でも、そんなわたしの予想を裏切るように、ハロちゃんは一歩を踏み出してきた。
 それに思わず、びくりと体を震わせる。

 一歩ずつ、一歩ずつ。確かに彼女はわたしに近寄ってくる。
 むしろわたしの方が後ずさりしそうになってしまった。
 お友達になれたかもしれない人から拒絶の言葉を至近距離から言われたりしたら。そうしたらもう、立ち直れなくなるかもしれないと、そう思って。

 でも目の前までやってきたハロちゃんは、そんなわたしの弱ささえ全部包み込むように。
 そっと、わたしを抱きしめた。

 ……は、ハロちゃん……?

「シィナ」

 耳元で響く、優しい声。泣いている子どもにかけるような、安心するような声音。
 くすぐったくて、身じろぎをしたわたしに、彼女は続けて言った。

「大丈夫」

 子どもをあやすように。なぐさめるように。
 泣いている子どもにするように、優しく背中をさすって。

「大丈夫だから……」
「…………ハ、ロ……ちゃ……?」

 思わず、手に持っていた剣を二本とも落としてしまった。

 ……だい、じょうぶ?
 大丈夫って……ハロちゃん、わたしが怖くないの……?

「大丈夫……大丈夫、だから」

 一度でも怯えてしまったことを申しわけないと言うように。
 近づいてくるハロちゃんに逆に怯えてしまったわたしを、まるで安心させるように。
 彼女は何度もその言葉を繰り返す。

 ……ああ……そっか……。
 ハロちゃん……わたしがずっと寂しがってたこと、きっと最初からわかってくれてたんだ……。
 一人が辛くて、寂しくて……そんなわたしをどうにかしてあげたいって、そう思って、声をかけてくれたんだね。

 本当にハロちゃんは優しいなぁ……。

 ハロちゃんも……同じだったのかな。
 わたしとおんなじように、ひとりぼっちで……それが辛くて、寂しかったから、わたしが苦しんでることがわかったのかな。

 そう思うと、途端にハロちゃんのことが愛おしく思えてきて、わたしは彼女を抱きしめ返してしまっていた。
 決して壊さないよう、傷つけないよう、そうっと……。

 ハロちゃんの髪……やわらかくて、気持ちいいなぁ……。

 …………って、あ、あれ?
 な、なんでわたしこんなにどきどきしちゃってるの……?

 こ、これってまさか……いやいや! 違う違う違う!
 ハロちゃんはわたしと同じ女の子だよ? だから常識的に考えて今の想像は違う!
 これはきっと年甲斐もなく子どもみたいにあやされちゃってるのが恥ずかしいってだけ! きっとそれだけだから! うん! 

「……ハ……ロ……ちゃ、ん」
「ひっ、んんっ! ど、どうかした?」

 自分の気持ちを誤魔化すように、すぐそばにいる少女の名前を呼ぶ。

 とにかく今は、伝えなくちゃいけないと思った。
 今のこの感謝の気持ちを。そして、これからもお友達として一緒にいてほしいことを。

「…………あな、たは……もう、わたしの…………もの……」

 ――あなたのことを、もうわたしは友達だって思ってるの。

「ぜったい。きょぜつ……させない」

 ――お願い。離れないでほしい……これからも一緒にいてほしい。

「はじ、めて。あなた、が……はじめ、て。わたしを……うけ、いれて……くれた……」
「は、初め……て?」

 ――あなたが初めてのわたしのお友達なの。わたしを怖がらないで、受け入れてくれた。

「う、ん…………あなた、が……わたしの、すべて……あなただけ、が……」

 ――あなただけが、今まで生きてきたすべての中で、唯一わたしを理解してくれた人……。
 ――だから、ありがとう。わたしのお友達になってくれて。

 ……伝えたいことが多すぎて言い切れるか不安だったので、ちょっと省略しすぎた気もするが、ハロちゃんならきっと理解してくれるはずだ。
 だってハロちゃんは元々、一人でいたわたしの寂しいって気持ちを理解して近づいてきてくれた。
 そんなハロちゃんなら、きっと簡単に読み取ってくれる。

 ふと、故郷にいた頃に聞いたことがある、相手に深い親愛を伝えるための仕草が頭をよぎった。
 わたしがやることなんて、生涯ないだろうと思っていた。
 でも……。

 かぁーっ、と頬が赤くなってしまうことを自覚しながら、覚悟を決めて、すりすりと頬や顎をハロちゃんに擦りつけた。
 まるで本当の猫がするように、わたしがハロちゃんに大きな親愛の情を覚えているということを、言葉ではなく仕草で一所懸命に伝える。

 ……うぅ、やっぱり恥ずかしいかも。
 でもわたし、しゃべるの苦手だし……。
 それに……ハロちゃんになら、ちょっと悪くない気分、かも。

「……ずっと……いっしょ……」
「…………うん」

 ハロちゃんはやっぱりわたしを優しく受け入れてくれる。
 どんどん勢いを増す心臓の高鳴りは、きっと全部恥ずかしさのせいなんだと。
 そう思いながら、わたしはまるで幼子みたいにハロちゃんに甘え続けた。
 最近、ハロちゃんと会えてないなぁ……。

 冒険者ギルドに足を進めながら、わたしは心の中で小さくため息をついていた。
 あの日、ハロちゃんという念願のお友達ができたことで、わたしは遠くへの移住を取りやめることにした。

 故郷ですら、誰もわたしの本心に気づいてくれる人はいなかった。
 でも、ハロちゃんは初めて会ったはずのわたしの寂しさをすぐに察して、抱きしめてくれた。
 ハロちゃん以上にわたしのことを理解して、受け入れてくれるような存在なんて、後にも先にも誰も現れないような、そんな気がしていた。

 でも、最近はそのハロちゃんにあまり会えていない。

 ハロちゃんに会うために、毎日みたいに冒険者ギルドに通ってるのに……。
 採取も護衛もその他諸々も苦手なわたしが受けられるのは討伐依頼くらいで、その討伐依頼だって別に好きでもなくて、その好きでもないものを毎日みたいにこなしてるのに……。

 むぅ、と少し不機嫌な雰囲気が漏れてしまう。

 そのせいで威圧的なものが漏れて周囲の人たちが小さく悲鳴を上げて走り去っていく。
 なんにもしていないのに怖がられる。昔ならかなり落ち込んでいたものだが、今はちょっとしょんぼりするだけで済む。
 ふふんっ、なんたって今のわたしにはハロちゃんがいるからね!

 ……って、今はそのハロちゃんに会えてなくて落ち込んでるんだって!

 うぅ……どうしたんだろう、ハロちゃん。もしかして、昔のわたしみたいに遠くに移住しようと考えてて、もう街を去った後とかなのかな……。
 もしそうならどうしてわたしに言ってくれなかったんだろう。
 …………もしかしてわたし、ハロちゃんに避けられて……?

 ……あ゛ぅ゛ぁ゛ー! うわぁぁああああああああっ! 

 だ、だめだ……ハロちゃんに嫌われてるかもなんて考えたら……心が折れそう……。
 っていうかあの優しいハロちゃんがわたしを避けてるとかあるわけないからっ! わたしのこと怖がってるとかもあるわけないから! ハロちゃんに失礼だよわたし!
 うぅ、友達を信じられないなんて……わたし最低だ……。

 と、とにかく、ハロちゃんがもし移住を考えてるとしたら、わたしにそのことを教えてくれたはず。
 でもそれはなかったってことは、もっと別の個人的な用事でギルドに来れないか……それとも、まさかなにかの事件に巻き込まれてたり、とか……?

 じ、事件!? もしそうだとしたら、早くハロちゃんを助けてあげないと……!
 ハロちゃんはすごく魔法が得意みたいだけど、わたしと違って身体能力が高いわけじゃない。不意を打たれて背後から眠らされたりとかしたら、きっと簡単に捕まってしまう。
 そして変な人たちから、あんなことやこんなことをされて……。

 だ、だめっ! それは絶対だめ!
 確かにハロちゃんは同じ女のわたしでも見惚れちゃうくらい綺麗で! あの普段はクールなハロちゃんが乱れるところとか想像しちゃうと、なんだか胸がどきどきしてきて、ちょっと変な気持ちになっちゃうけど!
 無理矢理はだめなの! ハロちゃんを泣かせるなんて絶対許さない……! そんなことする人はこのわたしが八つ裂きにしてやる!
 ちゃんと合意がなきゃ、そういうことはしちゃいけないんだから!

 ……合意? 合意があれば、別にそういうことも許すかと言われれば……。
 …………やっぱりだめぇ! お友達(シィナちゃん)は許しませんよ! ハロちゃんとそういうことしたいなら、わたしを倒してからにしなさい!

「……!」

 ハロちゃんのことを考えているとどんどんじっとしていられなくなって、いつの間にか足早に冒険者ギルドへ向かっていた。
 冒険者ギルドの出入り口の扉を若干乱暴にこじ開ける。
 するとギルド内の視線がわたしに集まって、そこにあった喧騒が一瞬にして無に帰すという珍事が発生するが、わたしにとって重要なことはそんなものではない。

 訪れた静寂を不思議に思ったのか、掲示板の前に立っている一人の少女が、わたしの方に振り向く。
 この一ヶ月間ずっとずっと会いたくて、ここに来るまでの道中もずっと考えていた女の子。
 その名は……!

「……!」

 ハロちゃん! いたぁああああああああ!

 ギルドに入った勢いのまま、ハロちゃんの方に向かう。

「…………」 

 ひゃあああ! ハロちゃん久しぶりぃー!
 もう、今までどこ行ってたの? 全然音沙汰ないから心配しちゃったよっ?
 ハロちゃんのことだから無事だろうとは思ってたけど、友達としては心配になっちゃうの!
 でもよかった! ハロちゃんに会えて! 一ヶ月も会えなくて寂しかったんだよ?
 けど今日は会えたし、えへへ、しかたないから全部許してあげるー。

 ……というようなことを一気にまくし立てるような気持ちで、ハロちゃんを見つめる。
 猫耳も思わずぴくぴくと動いてしまって、尻尾もちょっと忙しなく動いちゃってるのがわかる。
 その割に声は出ないが、そんなのはいつものことなので気にしない。それにハロちゃんならきっと言わなくたってわかってくれる。なんたってハロちゃんだもん。

「シ、シィナ。久しぶりだね」

 ほらぁ! わたしの久しぶりって心の中の挨拶に返してくれた!
 えへへ、やっぱりハロちゃんはすごい! 故郷の人たちですらわかってくれなかったわたしのことを、こんな簡単に……。
 ……ん?

「シ、シィナ?」

 なんだかいつものハロちゃんと少し匂いが違うような気がして、不思議に思ったわたしは、一歩さらにハロちゃんに踏み込んだ。
 ハロちゃんとわたしの身長は同じくらい。肩辺りで鼻をすんすんと動かして、以前までのハロちゃんと今日のハロちゃんとの違和感の正体を探る。
 わたしは獣人だから、鼻とか耳とか、そういう五感が他の種族の人と比べて優れている。だからこうすれば、大抵のことは嗅ぎ分けることができる。

 ……むっ、これは……。

「…………ほかの……」
「ほ、他の?」
「…………ほかの……おんなの……においが、する」

 ほんの少しだけど、ハロちゃんの匂いに、ハロちゃん以外の女の人の匂いが混じっている。
 匂いが混じるなんて、よほど近くで接触しなきゃ起きるはずがない。それも偶然じゃなくて、故意的なものでない限りほぼありえないことだ。
 ハロちゃんとそれだけ近くにいる関係……少なくとも、知り合い以上。
 つまりハロちゃんはこの一ヶ月間、わたし以外の誰かと一緒にいた可能性が高いってことになる。

 むぅー……!

 思わず、不満げな態度を取ってしまう。

 確かに、確かにですよ?
 ハロちゃんはすっごい魅力的だから、いろんな人に好かれるのもわかる。
 こんなわたしを理解して、救ってくれて、あまつさえ友達にもなってくれた。そんな天使なハロちゃんが、わたしみたいに一人ぼっちで友達がいないわけがない。
 わたしみたいにハロちゃんのことを好いているような人が、いっぱいいるんだろうと思う。

 わたしは正直……自分にはあんまり自信がない。
 いっつも誰かに怖がられてばっかりだし。ハロちゃんにだって甘えてばっかりで、手間をいっぱいかけさせちゃってるだろうし……。
 そんな面倒なだけのわたしを受け入れてくれるハロちゃんには本当に頭が上がらない。

 だから、そんなわたしにハロちゃんの交友関係に口を挟む権利なんてないことはわかってる。
 わかってるけど……。

「……あなた、は……わたし、だけの……もの……(……ハロちゃん……あのね、今日はわたしだけのハロちゃんでいてほしいの)」
「シ、シィナ、だけの……?」
「……だれにも、わたさない。ぜったいに……(わたしの友達は、ハロちゃんだけなの……だから、今日だけは他の人のところには行かないで? わたしと一緒にいてほしいの……)」

 ……うぅ、やっぱり迷惑……かな。
 いくら友達がハロちゃんだけだからって、ちょっと依存しすぎだよね……。
 …………嫌われたりとか……しちゃうのかな……。

「…………かまって(お願い、ハロちゃん……)」

 最後の思いを込めて、そう呟く。
 するとハロちゃんは、急に甘えたがり始めたわたしにちょっと戸惑いがちに、だけど確かにその返事をくれた。

「う、うん。おいで、シィナ……」

 そう言って、わたしをぎゅって抱きしめてくれる。

 ああ、やっぱりハロちゃんは優しいなぁ。優しくて、温かい。
 いつもは鉄面皮なわたしの顔も、この時ばかりはすっかり緩んでしまっていた。

「あなた、が……わたしの、すべて……あなただけ、が……(ありがとう、ハロちゃん。あなただけがわたしの唯一の、そして一番の友達だよ……)」

 かつてのように、顎や頬をすりすりと擦りつける。
 故郷でのわたしの一族に伝わる、親愛の情を伝えるための仕草。

 やっぱり恥ずかしいけど、これまたやっぱり、ハロちゃんになら悪くない気分。

「シ、シィナは甘えん坊だなぁ」

 ひゃわぁっ!?
 は、ハロちゃん!? そ、それはすごい! それはやばいってぇ!
 あぅ……く、くすぐったくて……で、でも……ふみゃあぁ……。

 まるで普通の猫みたいに顎の下を撫でられて、あまりの気持ちよさにすっかり全身が弛緩してしまう。
 体をハロちゃんの方に倒して、寄りかかる。

 うぅ……は、恥ずかしいぃ……。

「…………」

 ……あれ? ハロちゃんの手が止まった?
 あ、今の沈黙はわたしじゃないからね? ハロちゃんの沈黙だからね?

「……どう、か……した……?」
「……いや、シィナと初めて会った時のことを思い出していてね。確かあの日、私がここでシィナに声をかけたのがすべての始まりだったな、と……」

 ハロちゃんがどこか少し遠い目をして、そんなことを言う。

 ハロちゃんと会ってからの日々はわたしにとって夢のようだった。
 一緒にお食事に行ったり、街を出歩いたり。ずっとずっとお友達としたかったと思っていたことを、ハロちゃんは叶えてくれた。
 あの日、ハロちゃんに出会えたから。

 わたしも同じように昔のことを思い出して、気がついたら、ハロちゃんから離れて掲示板の方に体を向けていた。

「……い、らい……うけ、る……? ……あの……とき、と……お、なじ…………い、っしょ……に……」

 もしかしたら断られるかも、なんて不安げに提案してみると、ハロちゃんはほんの少し困ったような顔をする。

 え、まさか本当に……こ、断られ……?

「一緒に、か。実は、ファイアドラゴン討伐を受けようとしてたんだ。転移魔法を使っての日帰りでね」

 よかった違ったぁああ!
 わたしが飛行する魔物を相手にするのが苦手だから困ったような顔したんだね! 本当によかった……。

「……とぶ、とかげ…………にがて……」
「シィナが得意なのは近接戦闘だからね。しかたないよ」

 ふふふ……しかしですよ、ハロちゃん。

「……で、も……この、まえ……ハロ、ちゃん……が、おしえ、て……くれた……まほう…………すこ、し……つかえる、よう、に……なった、から……」

 ハロちゃんが教えてくれた、なんか空中で足場を作れるようになる魔法、やっとまともに使えるようになったんだよ!
 魔法は苦手だけど頑張ったの! ハロちゃんがわたしのために作ってくれた魔法だもん!
 友情パワーってやつだね!

「そ、そうか。使えるようになったのか……」

 わたしは少し期待の眼差しを向けてみるが、ハロちゃんはそう言ったきりで、なにもしてくれない。

 ……むぅ。
 それとなく袖を引いてみると、ハロちゃんはわたしが欲してくれていることを察してくれたらしい。

「え、偉いね。シィナ」

 はみゃわぁ……。

 ハロちゃんが頭を撫でてくれて、胸の内がぽかぽかと温かくなる。
 いっぱい手間をかけさせちゃってるはずなのに……ハロちゃんはいつもわたしを拒絶せず、受け入れてくれる。

「じゃあ、一緒に行こうか。ああ、討伐証明部位以外にも料理用にお肉をある程度持って帰るつもりだから……その、斬り刻まないようにお願いしたい……」

 お肉? ハロちゃんお肉あんまり食べられないんじゃ……?
 あ、もしかして身長とか、それともその……胸の大きさとか、気にしてるの……?
 うぅ、その気持ちちょっとわかるよ……。
 で、でも、ハロちゃんくらいのもわたしは好きだよ! わたしと同じで揉めるくらいはある感じだもん! だからそんな気にしないで!

「……」

 とにかくハロちゃんのためにもそのお願いは果たそうと、こくりと首肯しておく。
 イメージ的には「まかせて」って風に自信満々な感じだ。むんっ、と胸を張って言っているようなイメージ。実際にはただ頷いただけ。

 よーし! ハロちゃんのためにも今日は気合い入れて頑張ろう!
 ハロちゃんがわたしのために作ってくれた魔法も、どれだけ使えるようになったのか見せてあげたいしね!
 戦いは嫌いだけど、これもハロちゃんのため!
 頑張るぞぉー! おー!

 ――その後、どうやらほんのちょっと張り切りすぎちゃったみたいで、誤ってファイアドラゴンをいつもみたいに斬り刻んじゃったのはご愛嬌ってことで……。
 ハロちゃんと久しぶりにおしゃべりしたり依頼受けたりが楽しすぎて、ついやっちゃったんだよ……許してハロちゃん……。
 頑張って二体目も見つけて、そっちはほら、ちゃんとお肉のぶんは残したから、ね……?
 西の空に半ば太陽が沈んだ頃。
 ファイアドラゴン討伐の依頼もなんとか無事に終わり、ようやく自分の屋敷の門の前まで帰ってきた私は、シィナと別れの挨拶を交わしていた。

「それじゃあ、またね。シィナ」
「……(またねハロちゃん! 今日は楽しかったね……!)」

 しばらく会えていなかったからか、いつも以上に私にべったりだったシィナも、ここまで来ればようやく素直に身を引いてくれた。
 もしかすれば家の中にまでついてくるかも、なんて心配もしていたけれど、どうやら杞憂だったようだ。

 軽く手を振って見送ると、それに返事をするようにシィナは猫耳をぴょこんと一瞬だけ動かして、踵を返して去っていく。

「……行ったか……」

 シィナの姿が完全に見えなくなったところで、私はシィナと会ってからずっと入れていた肩の力を抜いた。

 あぁー、つ、疲れたぁ……。
 一ヶ月以上ぶりなのに、偶然とは言えシィナと依頼を受けようとする日が重なってしまうとは……。

 門を開けて、ふらふらとした足取りで玄関に向かう。

「ただ――」
「お師匠さま! おかえりなさいませっ!」

 玄関の扉を開けると、私が「ただいま」と帰還を知らせるよりも先に、正面に立っていたフィリアが真っ先にお出迎えの挨拶をしてくれた。
 がちゃ。一秒後「お師匠さま!」って感じだ。
 さすがに早すぎて一瞬びびった。

「た、ただいま……えっと、フィリア……いつから玄関に……?」
「ほんの二〇分くらい前です」

 それはほんのと言えるのだろうか……?

 フィリアの背後にぶんぶんと勢いよく揺れる尻尾が幻視できる。
 それはさながらご主人さまの帰宅を心待ちにしていた子犬のよう。というか、ほぼそのものだ。

「その、お疲れだろうお師匠さまを一秒でも早く労って差し上げたくて……ご迷惑、でしたか……?」

 フィリアの瞳が不安げに揺れる。
 私を労りたい。彼女は本当にきっと、ただそれだけを思って待っていてくれたのだろう。

「そんなことはないよ。とても嬉しい。ほら、おいでフィリア」
「え? はい……えっ!? お、お師匠さまっ……?」

 フィリアを手招きして、近づいてきた彼女の頭に手を伸ばして、よしよしと撫でる。
 私の方が頭半分くらい背が低いので、自分の頭より上に手を上げないと届かないのが難点だ。

 ……あ、違う!
 これは対シィナ用兵器の一つだった!
 私普段はフィリアにこんなことしてないっ!

 はっとして、慌てて手を引っ込める。
 今日はずっとシィナといたせいで、ちょっとばかり感覚が狂ってしまっていたようだ。

「す、すまない。まるで子どものような扱いをしてしまって……」
「い、いえっ! 大丈夫です! えっとっ、その、う……嬉しかった、ですからっ……!」

 私がおろおろと弁解すれば、フィリアもおろおろと私をフォローしてくれる。
 フィリアの顔が赤いのは、明らかにフィリアより身長が低い私から頭を撫でられたことが恥ずかしかったからだろう。

 ……私の手が頭から離れた時、フィリアがどことなく残念そうな顔をしていたのは、きっと見間違いだ。

「あ、お師匠さま、お風呂入れてありますよっ! どうぞお先にお入りください!」

 少しでも私の役に立てるように、ということで、フィリアは生活の中で使うような魔法を他の魔法よりも優先して覚えるようにしている。
 お風呂にお湯を入れるくらい、今のフィリアなら朝飯前だ。

「ああ、ありがとう。でもフィリア、こういう時は先に入ってくれていてもよかったんだよ? もしかしたら、今よりももっと帰りが遅くなったかもしれないからね」
「で、でも、私はお師匠さまの奴隷ですし、その私が先になんて……」
「フィリア。フィリアと私は奴隷とその主人である前に、家族だ。それは前にも言ったはずだよ。家族に遠慮なんていらない」
「お師匠さま……」

 それにフィリアが先に入っていてくれたら、気づかなかったとかなんかそんな感じの言い訳してドサクサに紛れてお風呂に突入できるかもしれないじゃん?
 フィリアのお胸さまの真の姿をこの目に収めるチャンスと正当な口実ができる……これ以上にフィリアに先に入ってほしい理由はない!

「わかりました、お師匠さま。もしもお師匠さまのお帰りが遅くなりそうなら、僭越ながらお先に入らせていただきます」
「ああ」
「えへへ……その……ごめんなさい、お師匠さま」
「ん?」

 なぜ謝られたのかわからず、首を傾げる。
 見れば、フィリアは笑いながらも、ほんの少し申しわけなさそうな、小さないたずらを告白する子どものような顔をしていた。

「私……お師匠さまに家族だって言ってもらえるのが嬉しくて……たまにちょっとだけ、わざと卑屈なことを言っちゃってるんです。今のもたぶん……半分はそれが理由でした。お優しいお師匠さまなら、先に入ってもいいと言ってくださることなんてわかってましたから……」
「わざと、か……」
「はい。だから、ごめんなさい……怒り、ましたか……?」

 俯きながら、ちらちらと私の方を盗み見てくるフィリア。
 きっとフィリアは、私が「怒ってないよ」と答えると半ば予想しているのだろう。

 そんなフィリアに、私も少しばかりいたずらをしてみたくなる。

「ああ、怒った。まさかフィリアがそんなことするなんてね」
「っ、お、お師匠さまっ……ご、ごめっ、ごめんなさ――」
「悪い子にはお仕置きをしないと、ね?」

 私がにやりと笑ってみせると、フィリアがぎゅっと目を閉じて縮こまる。
 そうしてフィリアが見ていない隙に、私は魔法で異空間からファイアドラゴンの肉を取り出した。

「目を開けて、フィリア」
「は、はいっ……ふぇっ? こ、これは……?」
「竜の肉さ。お仕置きとして、フィリアにはこれを後で私と一緒に調理してもらう。そしてその料理を二等分したものを余さず食べて、おいしいって言ってもらう。それがフィリアへのお仕置きだよ」
「…………」

 フィリアは目をぱちぱちと瞬かせた後、ぷっ、と小さく吹き出した。

「ふ、ふふっ、お師匠さま……わかりましたっ! そのお仕置き、誠心誠意受けさせていただきますっ!」

 ……そう答えるフィリアの目尻には、しかしながら、ちょっとだけ涙が滲んでしまっている。
 その理由は明白だ。

「……フィリア。さっきはその、すまない。一瞬でも怒ったなんて言ってしまって……念のために言っておくけれど、あれは嘘だからね?」
「ふふ、わかってます。ちょっと怖かったですけど……でも、お茶目なお師匠さまなんて滅多に見られませんからっ。えへへ……新しいお師匠さまの一面を知られて、実は今、ちょっと嬉しいんです」

 そう答える、きらきらとした笑顔が眩しい。

 あぁ……ほんとフィリアは無邪気で純粋ないい子ですわ……。
 まあフィリアがこんなだからなかなか手が出せないわけなんだけど……。

「それじゃ、私はお風呂に入ってくるよ」
「はい! お着替えをお持ちしてすぐ外で待ってますね」
「ああ」

 すぐ外で待ってる必要あるのかという疑問はもう何度も感じて何度も問いかけたものなので今更である。

 脱衣所で服を脱いでいく。
 今日は血の雨にさらされたりと、汚れは結構浴びてしまった。しかし大抵は魔法ではじいてきたので服に跡はなく、匂いもないはずだ。
 事実、フィリアは私が帰ってきても外見や匂いに関してはなにも言わなかった。気を遣われた可能性もあるけど。

 魔法があるとは言っても、お風呂が不必要なわけではない。
 血のように明らかな異物ならともかくとして、時間をかけて自然に付着した汚れは通常の清潔の魔法では落ちない。汗も同様だ。
 そういう汚れを落とすことができる高性能な清潔の魔法も存在するが、下手をすると皮膚を傷つけたり体調が悪くなってしまう危険があるので、よほど環境が悪く切羽づまっていない限りは素直に風呂に入った方がいい。
 あと単純にお風呂は気持ちいいし。

「今日は大変だったな……」

 石鹸で体を洗った後、お湯に浸かって、ふわぁー、と脱力する。
 ぽかぽかとした温もりが全身を包み込んで、溜まった疲労を少しずつほぐしてくれるようだ。

 普通にファイアドラゴンを討伐するだけだったなら、ここまで疲れたりはしなかっただろう。
 原因は、やはり。

「……シィナ、か」

 ギルドについてから依頼の間、そしてこの屋敷に帰るまで、ずっと一緒だった少女の名前。
 シィナ。猫の耳と尻尾、可愛らしいツインテールと、綺麗な真っ赤の瞳が特徴的な少女。

 浴槽の端に背を預け、天井を見上げながら、シィナのことを考える。

 シィナに懐かれている今の現状は、前世の価値観で例えるなら虎に懐かれているようなものだ。
 甘えてくれることは素直に嬉しい。甘える姿だって確かに可愛い。
 だけど私は虎の扱いのプロじゃない。完璧な意思疎通ができない以上、いつ噛まれるかわからない不安が付き纏い、もし噛まれた時のことを思うと身が竦んでしまう。

 もっと長い時間、それこそ家族のように一緒に過ごしていればもう少し慣れることができそうだが……うーん……。

 私はね、虎の手懐け方を知りたいんじゃないんだよ。
 私はただ、可愛い女の子とにゃんにゃんしたいだけなんだ……。

 無論、第一候補はフィリア。あのお胸さまを蹂躙する夢はまだ諦めていない。
 第二候補は…………。

 …………シ……シ、シィ…………。
 ……う、うぅん……。

 …………正直……。
 正直……痛いこととかグロいこととかされないなら……シィナも割とアリかな……とは思う。

 だって見た目はめちゃくちゃ可愛いし。
 甘えてくる姿も、怖いけどやっぱり可愛い。

 ただシィナとそういう関係になるためには問題がいくつかある。
 一つはトラウマを克服しなければいけないこと。

 そしてもう一つ……それは、どうやってシィナの性癖……サディストに対処すればいいのかというものだ。
 サディスト、つまりは他人が肉体的、精神的苦痛を感じている姿に性的興奮を覚えるという性質のことである。

 シィナ自身がサディストと言っていたわけではない。だけど、あのシィナだぞ?
 普段はほとんど無表情なのに、魔物を八つ裂きにする時だけ悪魔のような笑みを浮かべるシィナのことだぞ?
 もはや確定的だろう。明らかだろう。確定的に明らかと二重に証明してもいいくらいだろう。

 私は痛いのとか苦しいのとか全然これっぽっちも好きじゃないので、そういうことされるのは普通に嫌だ。
 ましてやシィナは私なんかよりもはるかに膂力がある。押し倒されたりなんてされれば容易には抵抗できない。
 フィリアなら痛いの好きな疑惑があるから問題なかったかもしれないけど……。

 ……いや、待てよ。
 シィナがサディストだとして……どうして私は今もまだ無事でいられているんだろう。

 シィナと出会ってから、これでもそれなりに経つ。
 一緒に街を歩いたり、散歩したりもした。シィナを刺激しないようにすることに手一杯だったから、具体的なことはあんまりよく覚えてないけど。
 私はシィナに懐かれている。これは自惚れなどではないはずだ。

 シィナは好きな人が泣き叫ぶ姿を見て喜ぶサディストで……だけど、私は未だ一度もそういうことをされたことがない。
 むしろ私に触れる時だけは、まるで壊れ物を扱うように気を遣ってくれていたような気も……。

 ……シィナは言っていた。いわく「あなた、が……わたしの、すべて……あなただけ、が……」と。

 おそらくシィナには、これまで私しかまともに交流したことのある相手がいないのだろう。
 それはつまり、誰ともにゃんにゃんしたことはないを意味する。
 そうなると……。

 ……もしや……。
 もしやシィナはまだ……自分がサディストだということを、明確に自覚はしていないのでは?

 たとえどんな天才でも、それを知る機会がなければ、一生知らないままでいることだってある。
 性癖だってそうだ。いざそういう場面になって、初めて自分の価値観を自覚することもあるだろう。

 つまりなにが言いたいのかというと、だ。
 私が常に攻めの立場でシィナとにゃんにゃんしてしまえば……シィナのサディストが覚醒することはないのでは?

 ……これはもしや、いける……?
 なんやかんや言いくるめて、シィナを受けで満足させ続けることができれば……私の華麗なるテクニックによる攻めの虜にしてしまえば……!

 ……いける……! いけるぞ! これはいける……!
 大分リスクは高い……! 一歩間違えば崖っぷちから転落する危険はある!

 しかし、しかしだ!
 シィナが可愛いのは確かなのだ!
 怖くたって可愛いものは可愛い! ほんとマジ怖いけど!

 あのシィナが恥じらいながら服をはだけさせる様子とか想像してみるんだ私よ!
 私の服の袖を引きながら「……しよ……?」みたいな感じで甘えてくるシィナを想像してみるんだ!

 とても……素晴らしいっ……!

「ふむ……もう少しシィナとも、ちゃんと向き合わないといけないな」

 まずは時間をかけてトラウマと向き合いつつ、シィナという虎の手懐け方を知る。
 別に私は虎の手懐け方を知りたいわけじゃないとは言ったが、その結果として安全にシィナとにゃんにゃんできる可能性があるのなら話は別だ。

 ぶっちゃけシィナはめっちゃ怖い。ほんとマジで怖い。現状では襲おうとすら思えない。
 だがそれはシィナのことをよく知らないからだ。
 なにに対して怒って、なにに対して喜ぶのか。どこまでならセーフでどこからがアウトっぽいのか。
 それらの境界の確信を得て、シィナの生態を把握し、危なげなく付き合うことができるようになれば……!

 ……いける!
 恐怖がなんだ! その果てにシィナと安全にいちゃいちゃにゃんにゃんできる未来が待っていると言うのなら、私は必ず恐怖を克服してみせるぞ……!

 よし……第一候補はフィリア。そして、第二候補はシィナ。
 うむ。決まりだな。次からはこれらを念頭に置いて動こう。
 あわよくば片方だけじゃなくて両方とそういうことできたらいいな。この世界は一夫多妻制も受け入れられてるしワンチャンいけるって。一夫っていうか今生私女だけど。

 ふふふ……。
 シィナに初恋したと思ったら粉々に打ち砕かれた上にトラウマを植え付けられ、フィリアにとんだ勘違いをされて一ヶ月以上ものお預けを食らい。淫魔の液体薬事件やファイアドラゴン惨殺事件、その他諸々……。
 もうほんと最近は散々なことばっかりだなと思っていたが……やはり最後に笑うのは私なのだ!

 必ず、必ず可愛い女の子といちゃいちゃにゃんにゃんしてやるんだっ!
 私は絶対に諦めんぞ!
 夢は見るものじゃなくて叶えるものだって前世でもなんか有名な人が言ってたしな!

 ふふふ……ふふふふふ。
 ふぅーっはっはっはっはっはっはっ! はーっはっはっはっはっは!

 …………なお。
 知らず知らず笑い声が漏れてしまっていて、のちにフィリアから微笑ましげな目線を向けられ、非常に恥ずかしい思いをすることになるとは、この時の私は思いもしていなかったのだった……。
 通常、肉食動物の肉はあまりおいしくないのが常である。
 今回討伐したファイアドラゴンはもちろん肉食動物だ。
 しかしどういうわけか、竜の肉は高級食材扱いされるほどにおいしいという。

 竜に限らず、強い魔物から取れる肉はどれもこれも独特で甘美な味を有していることが多く、高値で取引されている。
 それはおそらく前世ではなかった概念の力、魔力による作用なのであろう。
 私は魔法は得意でも魔物の研究は専門外なので、詳しいことはわからない。
 ただ、その魔物が強ければ強いほど素材がおいしくなることは確かだ。

 もっとも、魔物によっては逆にとんでもないくらいまずいものもあるようだけど……。

「わぁ……おいしそうですね、お師匠さまっ」
「ああ」

 焼いている肉から立ちのぼる芳ばしい香りに、フィリアが頬を綻ばせている。
 かく言う私も少し笑みをこぼしてしまっているかもしれない。

 この体になってから肉や魚があまり食べられなくなった関係で、竜は狩ったことはあっても食べたことはなかった。
 そんな私でも、この竜の肉の香りは「食べたい」と強く思えるほどに濃厚で良いものだった。

 まあ、一番食べたいのはフィリアだけどね?
 無論、性的な意味で。

「でも、少し作りすぎてしまったかな……」

 少なくとも四人分くらいはありそうだ。
 浴場で声に出して笑ってしまっていたからだろう、私がお風呂を出た時の、そしてフィリアがお風呂から戻ってきた時の微笑ましげな視線。
 それが恥ずかしくて、焦りながら調理を始めてしまったせいだ。使う量を間違えてしまった。

「私はお肉があまり食べられないし……いくらかは残して、明日に回さないといけないかもしれないね。そうすると味も薄れちゃうだろうけど……」
「大丈夫です! お師匠さまが作ってくださったお料理を残すなんて絶対ありえません! 私が責任を持って全部食べさせていただきますからっ!」
「えぇ……」

 四人分だよ? 私はどんなに頑張っても一人分が精一杯だから、つまりは三人分をフィリアが食べなきゃいけないってことだよ?
 野菜とかならまだしも肉でそれはちょっと無理がある。

「いや、そこで頑張ってもらわなくてもいいよ。フィリアに無理はさせてまで食べさせたくはないから……」
「無理なんかじゃないです! だってこれは、お師匠さまが私のためを思って取ってきたくれたお肉なんです……いわばこれはお師匠さまの私への思いがこめられた最高の料理っ。それを残すだなんて、絶対ありえません!」
「そ、そうか」

 がばぁっ!

 前のめりになる勢いで力説するフィリアに少し後ずさりしてしまいつつ、相槌を打つ。
 谷間が目に入るので非常に眼福ではあるのだが、火を使っている最中なので、あまりそちらに視線を向けるわけにはいかないのがなんだかちょっと悔しい。

 作った料理を残さず平らげてくれることは確かに嬉しいことだ。
 ただ……そうなるとやっぱり、一つだけ気になることがある。

「……でもフィリア……その……あんまりお肉を食べると……」
「食べると……?」
「……太るかもしれないよ? いくら魔法の練習で汗を流してるとは言っても……」
「…………」

 フィリアが沈黙したので横目で盗み見てみれば、なにやら物凄く葛藤するような表情をしている。

「……大丈夫、です! お師匠さまのお料理を食べるためなら……ちょっと太るくらいで、お師匠さまの思いをこの体の中に全部受け入れられるなら……!」
「…………フィリア」

 一旦火を止めて、私はフィリアの方に向き直った。
 フィリアを、咎めるように見つめる。

「お、お師匠さま?」
「私は、フィリアのことを奴隷扱いするつもりはないって言ったね。でも、今だけはその権限を行使させてもらう。フィリア、お肉は無理して全部食べなくてもいい」
「無理なんかじゃ――」
「フィリア」

 フィリアの言葉を遮って、一歩詰め寄る。

「フィリアがそうして無理をして、本当に太ってしまったり体調を崩したりなんてしてしまったら……私は私を許せなくなる」
「お、お師匠さま?」
「確かに、フィリアの体はフィリアのものだ。本来なら私が口を出すことではないのかもしれない。でも……そんなフィリアの体を、私は大切に思っているんだよ」

 にゃんにゃんする際、その相手はちょっと太ってるくらいがちょうどいいとはよく聞く。
 そちらの方が抱き心地がいいとかなんとか。
 しかしそもそもの話として私の方が小さい。それにこうしてフィリアが太ることを許容し続けていたら、いずれはそれがさらなる肥大化を見せてしまうかもしれない。

 それはダメだ!
 いくらフィリアが私のためだとかなんだとか言っても、それだけは看過できない!

 私は今のフィリアの体が好きなんだっ!
 大きくてぽよんぽよんと揺れるお胸さま! それは他の部分との凹凸、そのギャップによって最大限の魅力を発揮する!

 私の夢の一つ……太ももの辺りからゆっくり上に指をなぞらせていって、柔らかな大きな膨らみの下をつーっと撫でて。
 そこで「他の部分はとても清楚なのに、ここだけはとてもいやらしいね。ふふ、さわってほしいのかな?」って感じに言葉責めをして!
 その時の恥ずかしそうにするフィリアの反応を楽しむシチュエーションに立ち会う夢……!

 それを達成するためには、フィリアには今の体型を維持してもらわなくては困るのだっ!

 フィリアがなんと言おうと、これだけは譲れない。
 たとえ主人と奴隷の権限を行使してでも止めさせてもらう!

 そんな固い決意を持ってフィリアを見据える。
 そんな強い私の視線に、フィリアは初め、目をぱちぱちと瞬かせていた。どうして私がそこまで強く言うのか、理解できないように。

 しかし、彼女はやがて私の言葉を噛みしめるかのように目を閉じると。
 突如、ばちんっ! と自分で自分の頬を思い切りぶっ叩いた。

「いっ、た……!」

 いやなにやってんの?
 いった、って……そりゃ痛いよ。
 だって手形残ってるもん。

 フィリアってやっぱり本当に痛いの好きなのかな……?

 というか、この状況、なんだか既視感がある。
 前にもこんなことがあったような……。

「お師匠さま……私が間違ってました」

 すべてを理解し(たぶんなにも理解してない)、心の中で噛みしめているかのような顔で、フィリアが言う。

「無理をすることを、お師匠さまの思いを受け止めることだなんてうそぶいて……でもそれはその実、お師匠さまに責任を押しつけることと同義でした」
「う、うん?」
「そんなこともわからないまま、本当に私のためを思ってくれたお師匠さまの思いを軽々しく無下にしようとしていた私は……本当に大馬鹿者です」

 ……う、うぅん……。
 なんだろう……なんとなくだが、またなにかフィリアが勘違いをしている気がする……。

 フィリアが一人でなんか急に語り出す時は大抵すごい勘違いをしている時だ。
 私の経験則がそう言っている。

 このまま放っておけば、フィリアはまたなにかよくわからないことを言って私の思いもよらない行動に出てくるに違いない。

 だが、それは放っておけばの話だ。
 私は過去の事例から学ばない浅はかな思考の持ち主ではないのである。

 今まではただ相槌を打つだけだったから勘違いを加速させてしまっていた。
 しかしフィリアが勘違いをしていることを客観的に認識できたこの時点で、すぐにでも彼女の話を遮って訂正してしまえたなら、きっとすぐに勘違いは解ける。

 後々になって違うと言いにくい雰囲気になるのはもう散々である。
 すぐに訂正することが大切なのだと私は学んだ。

 さあ、今こそその教訓を活かす時……!

「今まで私に気を遣って使われていなかった主人としての権限を、こんなことで使ってくださったお師匠さまは」
「フィリア、あの」
「きっと、私に嫌われるかもしれないって思いながら、それでも私のためを思って、そうしてくれたんでしょうね」
「別にそんなこ」
「ただただ、私の体を気遣って……それだけのために」
「ちが」
「お師匠さまはいつも本当にお優しいです。優しいなんて言葉だけで終わらせるのが失礼なくらい……」
「だからちが」
「なのに私はっ!」

 ねえちょっと私の話聞いて?

「最初から独りよがりでっ……うぅ、自分で自分が情けないです。お師匠さまにいつもご迷惑をおかけしてばかりで、一つだってお師匠さまのためだって胸を張れることのできない自分が……」
「……いや……」

 なんで肉食べたら太るからやめた方がいいよってだけの話で、こんなに深刻になっているんだこの子は……。

 私今回なにかした? なんにもしてないよね?
 太ったフィリアはちょっと嫌だなって言っただけだよね?
 前々から思ってたけど、フィリアって絶対思い込みが激しいタイプだ……。

 うーむ……とりあえず勘違いを訂正する前に、フィリアを励ましてあげた方がいいかもしれない。
 こんな落ち込んだ状態のまま夕食の時間にもつれ込んでしまったら、せっかくの竜の肉をフィリアがおいしく食べられない。

「フィリア。いつも言っているだろう。迷惑なんていくらでもかけてくれていいと」
「でも、私は……!」
「わかってるよ、フィリア。気にしないでいいなんて言っても、フィリアは真面目だから、一人で自分を責めてしまうだろう。でもね、フィリアはちゃんと頑張っているよ。一つずつ、できることをこなして……きっとまだ、その自覚ができないだけだ」
「……お師匠さま」
「いつか必ず、その努力が報われる日が来るよ。自分を認められる時が来る。フィリアがいつも私を思ってくれていることは私が一番よく知ってるから。その私が言うんだから間違いない」
「…………」
「君の頑張りは決して無駄じゃない。だから、下を向かないでフィリア。不安なら、私を見ていればいい。自分で自分を傷つけるくらい辛いなら、私がフィリアを抱きしめるよ。ふふ。なんと言っても、私はフィリアのお師匠さまだからね。弟子を甘やかすのも私の役目さ」

 そう微笑みかけて、今日帰ってきた時にそうしたように、フィリアの頭の上に手を伸ばしてよしよしと撫でる。

 実際、フィリアはほんとマジで頑張っている。
 毎日早起きをして、毎日私の手伝いをして、毎日何時間も魔法の練習をして、毎日魔法の勉強をして。
 彼女はそれらを一日たりとも休むことはない。
 いつも元気に、明るい声で、私のそばで笑っている。

 そして、それらを苦に思わないように振る舞い続けている彼女が落ち込む時というものは、そのどれもが私に関することで自分の言動に納得できていない時。
 もうあんまりにできすぎた弟子すぎて、私にはもったいないくらいだ。

「お師匠さまぁ……」

 フィリアはうるうると瞳を潤ませながら、頭を撫でる私の手をおとなしく受け入れていた。

 ……よし、いい感じだな。
 あとしばらくこうして、フィリアが落ちついたら勘違いの方も早く正してしまおう。
 ただ単に太ったフィリアが嫌だなって思っただけで他意は一切ないってことを伝えるのだ。

 フィリアにはちょっと悪いけど、だってそもそもそれが事実だからな……。
 それにそっちの方がフィリアもあんまり気負わずに、なーんだ、みたいに軽く流してくれるはずだ。
 それでこれを機にもうちょっと休んだりさぼったりすることを覚えてくれたらいいな。

 いくらなんでも頑張りすぎなんだよ。もう社畜とかそういう次元じゃない。
 それにもっと私への態度が柔らかくなってくれた方が、いざという時……つまりはえろいことしたいと言い出す時に、こっちも言いやすいし。

 そう思いながら、フィリアの頭を撫で続けていた。
 そしてフィリアの反応が薄くなり始めてそろそろいいかな、と手を離そうとした。

 そんな時だ。
 突如、私の頭を柔らかい二つの物体が包み込んだのは。

「んむっ!?」
「お師匠さまは……こういう時、いつも私の欲しい言葉をくれます……」

 自分がフィリアに抱き寄せられたのだと気づくのに、数秒かかった。

 豊かで温かで柔らかな、覚えのある心地いい弾力。
 とろけてしまうような甘い香り。ほんの少し身じろぎするだけで、顔のあちこちをふにふにと柔らかな感触が押し返す。

 思わずフィリアの顔を見上げれば、彼女はほんのわずかに頬を染めながら、胸の中にいる私を至近距離で見つめていた。
 フィリアが、口を開く。

「気にしなくていいなんて言わないで、頑張らなくていいなんて言わないで、不安がらないでなんてことも言わないで……いつだって、どんな時も……どんな私のことも認めて、無条件に私を甘やかしてくれる」

 囁くような小さな声。
 漏れる吐息はどこか熱を孕んでいて、どうしてかフィリアから目を離すことができない。

 フィリアの様子が、いつもと違う……?

「フィリ、ア……?」
「聞こえますか……? 私の心臓……こんなにどきどき言っちゃってます。全部、お師匠さまのせいです……」
「わ、私の……?」
「はい。お師匠さまが、弱音を吐く情けない私のこと……怒りも叱りもしないで、あんなに甘やかすから……」
「そ、そんなこと、言われ……ても……」
「……いつも甘すぎるんです、お師匠さまは……とっても……本当に、ずるいくらい……」

 それはただ、感動と親愛に満ちた顔だったのかもしれない。
 だけど。

 熱を孕み、潤んだ瞳。
 上気して、赤くなった頬。
 熱く震えるような静かな吐息。

「……あんまりに甘すぎて……お師匠さまと一緒にいると、毎日が幸せすぎて…………私、おかしくなっちゃいそう……」

 どこか扇情的にも見えるフィリアのその表情から、私は目が離せなくなっていた。
 いつもなら胸の感触を味わうことにばかり意識が行って、他のことなんてまったく目に入らないくらいなのに。
 今だけはそんなものは全然気にならなくて。
 ただただ私の視界に映るフィリアの熱のこもった表情が、視界と頭の中のすべてを埋め尽くしている。

 フィリアのことで頭がいっぱいで、他のことをなにも考えられない。

「お師匠さま……」
「ふぃ、ふぃり……あ……?」

 フィリアの顔が近づいてきているような気がした。
 それが意味していることに頭が追いつかないまま、徐々にその距離が縮まっていく。
 すっかり固まってしまった私の体は、激しく鼓動を鳴らす心臓以外はまったく動いていなくて。

 そして、私とフィリアは――。

「へっ!?」
「ひゃっ!?」

 私とフィリアは、不意に屋敷の中に鳴り響いた聞き慣れない鈴の音に、びくっと体を跳ねさせた。
 フィリアは目を瞬かせて周囲を見渡し、何事かと慌てている。
 しかし状況が状況だっただけに一瞬驚いてしまったが、私はこの音の正体を知っていた。

「だ、誰かがこの家を訪ねてきたみたい、だ。今のはその、ら、来客があった時に知らせてくれる魔道具の鈴の音だから……」

 必死に頭を回してそう告げれば、フィリアが再び私の方を向く。

「そ、そうなん、ですか?」
「あ、ああ。だから、えっと……」

 未だ私はフィリアに抱き寄せられたままだった。
 しかし鈴の音で目が覚めたのか、すでにフィリアはつい数秒前のように熱に浮かされた表情はしておらず、いつも通りの様子に戻っているように見えた。

 そのフィリアが、現状を認識したのか、はっとしたような顔になる。
 かぁーっ! と一瞬にしてその顔を真っ赤に染め上げて、ばっ! と即座に私を解放して後ずさった。

「ご、ごご、ごごごごめ、ごめんなさいっ!」

 ぐるぐる模様が瞳の中に見えそうなくらいの混乱具合で、何度も頭を下げ始める。

「わ、私、い、今なにをっ……? な、なんであんな……あぅっ、お師匠さまぁ! 今のは、そのっ、違ってっ。なにが違うって、えっとっ、あの、えぇっとっ……ちが、違うのぉ。違うんですよぉ……! はぅぅっ。あぅあぅっ……!」
「い、いいから落ちついてっ。とりあえず今は来客に対応しないと、ね?」

 見るからにショート寸前なフィリアをどうどうと落ちつかせようと試みるものの、効果は見られない。
 たぶん、私がいるからいけないのだろう。私がここにいる限り、どんな言葉をかけたところできっと意味はない。
 ここは一旦離れて、一人で冷静になってもらった方がいい。

「私が外の様子を見てくるから、フィリアはここで料理を見ててっ。なんにもしなくていいからね? ただ落ちついて、ここでおとなしくしていればいいからっ……わかった? フィリアっ、返事!」
「は、はいっ!」
「よし! それじゃあ私、行ってくるから……!」

 ぱたぱたとフィリアのもとを離れて、台所を脱出する。
 それはさながら、逃げるようにと形容するような去り方だったかもしれない
 でも、それもしかたがない。フィリアほどではないが、私だって混乱しているのだ。

「……さ、さっきの」

 小走りで玄関に向かいながら、さきほどのことを思い返す。

 ……さ、さっきの……もしかしてフィリア、キスしようとしてきてた……?
 お、思い違いかな……で、でも、あんなフィリアの顔、今まで見たことないし……。
 っていうかあれ現実だったの? 私の願望が生み出した幻とかじゃなくて?

「で、でも」

 フィリアは今まで家族の温かさもなにも知らないで、ずっと一人だったという。
 だとすれば、さっきのフィリアは、あるいはその人恋しさが暴走した結果なのかもしれない。

 フィリアは普段、私のために尽くそうとするばかりで、甘えようとはしてこない。
 主人と奴隷。師匠と弟子。彼女の中にはきっと常に私の方が立場が上だという認識があって、素直に甘えることができないのだろう。
 ただ頑張ることで自分の存在意義を示して、褒められたがったりすることが精一杯。それが普段のフィリアの精一杯の甘え方。
 でも、そんなフィリアでもきっと人恋しさを抑え切れない時があるのだ。

 フィリアにとって甘えられる初めての相手が私で。でも、ろくに甘え方も知らなくて。
 それゆえに、不安に苛まれて弱っていたフィリアは、知識の中にあるもっとも色濃い愛情表現の一つを行動に起こそうとしてしまった。
 つまりは親愛から生じた、フィリアなりの甘えたいという表現が肥大化しただけの行動。
 きっとそれだけで深い意味はない。
 実際、国によっては家族とキスすることなんて大して珍しいことでもないだろう。

 ……でも。
 でも……もし、あのまま邪魔が入らなかったら……い、いったいどうなってたんだろ……。

 フィリアはそこで終わろうとしていても、私の方は、いつものように良い師匠を演じ続けられていただろうか……?
 もしかしたら耐え切れず、フィリアに……。

「くっ……とにかく、フィリアに無理矢理襲いかかるなんてことだけは絶対ないようにしないとな……」

 フィリアは私の奴隷なので、きっと真正面から言えばさせてくれる。
 だけどフィリアの嫌がることはしたくない。

 確かに、フィリアにえろいことしたい気持ちは十二分にある。
 でも、フィリアはいつも、あんなにも私のことを思って頑張ってくれている。
 私の浅ましい欲望なんかで、そんな純粋な彼女の思いを踏みにじりたくはない。
 今はもう言いにくいだけじゃなくて、そんな風にも思ってしまっている。

 もしもフィリアとそういうことをするのなら、それとなく不可抗力とか、フィリアのためにしかたなくみたいな感じとか……できればフィリアからしてほしいってお願いされるのが一番いいな、うん。
 フィリアをできるだけ傷つけず、嫌がらない範囲でそういうことをしたい。
 ……べ、別に万が一にでも嫌われるのが怖くてヘタレてるわけじゃないぞ? 違うからなっ。
 それもこれも全部フィリアのためだから。私はあと一歩を踏み出せないヘタレじゃないからっ!

「とにかくっ! 今は来客だ……!」

 考え事をしているうちに足が遅くなってしまっていた。
 また、鈴の音が屋敷内に響く。
 だけどすでに玄関の前にはついていたので、私はその扉を開けて、急いで門へと向かった。

「待たせてすまない。私がここの主のハロだ」

 フィリアとのことを頭から追い出して、今はただ来客との対応だけに意識的に集中する。
 胸に手を当てて、少し深呼吸。そして、私は門越しに立っている来客の方を向いた。

「いったいなんの用、で……」
「……(うぅ。ハロちゃん、さっきぶり……)」

 そんな私を迎えたのは、門の向こうで佇んだまま私をじっと見つめている、見慣れた猫の獣人の少女だった。
「シィナ……? もう帰ったはずじゃ……どうしてここに?」

 暗闇の中で爛々と輝く真っ赤な瞳に一瞬怯んでしまったが、すぐに、風呂場で固めた決意のことを思い出す。
 シィナの生態を理解し、恐怖さえ克服することができれば、シィナと安全ににゃんにゃんする可能性があるというあれだ。

 思い出せ……! 今までの過酷な経験を……!

 女の子といちゃいちゃしたい一心で勇気を出してシィナに声をかけたのに、とんでもないヤンデレ風味な少女であることが判明したあの日……!
 ついぞ我慢し切れなくなってフィリアを買ったはずなのに、なんだかんだあったせいで容易に手を出すことができなくなってしまい、むしろ事あるごとに生殺しをさせられる日々……!
 ()や……こほん。淫魔の液体薬を誤って飲んでしまい、その衝動と快感に一晩中耐え忍んだあの日……!

 この悲しい過去たちのことを思えば、今更諦めるなんてありえない。
 夢の実現には困難が伴うものだ。しかしだからこそ目指すだけの価値がある。
 やるぞ……! 私は必ず、絶対、女の子といちゃいちゃにゃんにゃんしてみせるんだ!

 シィナは可愛いシィナは可愛いシィナは可愛い……大丈夫怖くないっ!
 いける!

「……(うぅ、どうしよう。なんて言ったらいいんだろう……)」
「……ん? シィナ……?」
「…………あけ、て……(えっと、とりあえず入れてくれる……? ここじゃ言いづらくて……)」

 がしっ! と音を立てて門の鉄格子を両手で掴み、たった三文字だけを呟いて、見開いた赤い瞳で私を凝視してくる。
 たとえ私がここからいなくなっても、ずっとそこにしがみついて私の方を見続けているような光景を幻視してしまい、思わず顔が引きつる。

 ……や、やっぱ怖……いや怖くない!
 これも見方によっては可愛いって!
 信ずるものは救われるんだ! なんか偉い人がそんなこと言ってた気がする! 誰かはわからない!

「わ、わかった。少し待っててくれ」

 門には錠が取りつけられているが、実のところただの飾りだ。飾りというか、むしろ錠を外そうと試みた不届き者を麻痺させる術式が錠に入っている。
 本当はすべて魔法によって管理されていて、その魔法に魔力を登録された者だけが好きに開けられる仕組みになっている。魔力にも指紋のように人それぞれの性質があるのだ。
 今のところ、この門には私とフィリアの二人しか登録されていない。

 そんなこんなで門に私の魔力を流し込み、ロックを外す。
 気分的には虎を檻から解き放ったような感じだ。
 するとすぐにシィナが外と内の境界を越え、私のところまでやってくる。

「……ありが、とう(ありがとう、ハロちゃん)」
「礼には及ばないよ。それで、いったいどうしたの? なにかあったのかい?」

 私が問いかけると、しかしシィナは黙り込んだ。

「…………(ハロちゃんを心配させたくないなぁ……でも、言わないと……)」
「……し、シィナ?」
「……(でもでも、うぅ……あんなに悲しい思いをしたのは久しぶりだよ……せっかく直前までハロちゃんと一緒にいれて、今日はいい日だったなって思ってたのにぃ……)」
「えっと……」

 質問には答えず、ただただ佇んだまま見つめてくる。
 そんな状況が十秒くらい続いた後、突如シィナが私に飛び込むような勢いで抱きついてきた。

「し、しししし、し、シィナっ?」

 声が震えているのは照れであって恐怖ではない照れだ照れ、オーケー?

「……ハロ、ちゃん……(宿屋の人に『あなたさまが泊まっている噂が広まって客が全然来なくなってずいぶんが経ち、生活がもう本当に苦しいんです。どうか出て行ってください、お願いします』……なんて土下座されたの初めてだよ。この宿の人は優しいなって思ってたのに、ずっと迷惑だって思われてたなんて……)」
「ど、どうかした、の……?」
「……うごか、ないで(ごめんねハロちゃん。でもちょっとだけ、寂しさを紛らわさせて……?)」
「は、はい」

 今日最初に会った時にもされたように、すりすりと頬や顎を擦りつけてくる。
 シィナにとっては挨拶のようなものなのか、これは会うたびに割とされるのだが……どうにも今は少し様子がおかしい。
 いつもは頬を少し染めて、若干機嫌がよさそうにしてくるものなのだけども、今はまったくの無表情だ。
 むしろ普段の時とは真逆の、負の感情が彼女の心を支配しているようにも思う。

 ……真逆? つまり機嫌が悪い……?
 なんで? やっぱりなにかあっ……た――――はっ!

 その時ふと、今日初めにシィナからかけられた言葉を思い出した。

『…………ほかの……おんなの……においが、する』

「っ――!」

 ま、まさか……。
 まさかシィナは、私がフィリアと一緒に暮らしていることを察して、フィリアを始末しに来たのでは……!?

 今不機嫌なのは、さっき私がフィリアに抱き寄せられた影響できっとフィリアの匂いが色濃く残ってしまっているから。
 だからこんなにも執拗に、すべてを自分の匂いで上書きするかのようにすり寄ってきているのだ。

 まずい。フィリアを守らなければ……! シィナに過ちを起こさせてしまうのもダメだ!
 だが、シィナはまだなにもしていない。それなのに厳しい態度を取ってしまえば、彼女の不興を買ってしまうに違いない。

 ここはそこはかとなくやんわりと優しげに、諭すような感じでいくんだ!
 大丈夫、私ならできる!
 口のうまさなら結構自信があるし!
 シィナだって私の言うことならそこそこ聞いてくれる……はず!

「シィナ」
「……!(ハロちゃん……?)」

 まずは不機嫌な彼女の心をほぐし、なぐさめるために、そっと抱きしめ返してから、よしよしとシィナの頭を撫でた。
 すると、シィナの動きが止まる。
 シィナの頭が横にあるので顔は見えないが、少し驚いたような反応をしていることだけはわかった。

「ねえ、シィナ。私はシィナのことをとても大切に思っているよ」
「……(大、切……?)」
「シィナになにがあったのかは知らない……言いたくないなら、言わなくてもいい。誰かに受け入れてもらうことが、必ずしも救いとは限らないからね」

 シィナはもう凄まじく悲惨な過去があるに違いない。
 もう見た目からしてそんな雰囲気がにじみ出ている。隠し切れない狂気的な雰囲気があるというか……。
 きっと私なんかには到底想像できない悲しい過去があるのだろう。

 だってそうじゃなきゃ、十代前半くらいの歳で魔物を八つ裂きにして悪魔みたいに笑うような性格になるわけないし……。
 相当悲惨な幼少期送ってるってこの子……。

「誰にでも知られたくないことの一つや二つはある。それにそれはもしかしたら……私のために言わないでくれているのかもしれない」

 そう言うと、シィナはわずかに顔を伏せる。

「……(……ハロちゃんにはかなわないなぁ。ハロちゃんを悲しませたくないからって誤魔化そうと思ってたけど……ハロちゃんはもう、わたしが悲しい思いをしたって気づいてるんだね……)」

 シィナが再び顔を上げて、少し顔を離して私の方を向いた時、その瞳は疑問の色を宿していた。

「……ハロちゃん、も……?(ハロちゃんにも、そういう言いたくないことってあるの?)」
「ああ……私にもあるよ。誰にも言えない秘密が……」

 まあ、元は男だったなんて言えるわけもないな。
 よく知らない人には言う気にもなれないし、同じく親しくなった人にだって変な態度を取られるのは嫌だから言う気にならない。
 過去がどうであれ、私は今、ハロという新しい名前を持ってここにいる。だから私は以前の世界でのことを前世と言って区切りをつけているのだ。

 ……ん?
 あれ? 私ってもしかして、割と本当に悲しい過去持ってた?
 でもなぁ、前世は前世だからなぁ。もうほんとに区切りをつけて、懐かしいだけであんまり未練とかないし。
 そんなことより可愛い女の子とにゃんにゃんしたい。いちゃいちゃもあればなおよし。

「……(ハロちゃん、すごく遠くを見るみたいな……儚い目をしてる。なにか……あったのかな。でも……言いたくないって言ってたし……)」

 なにはともあれ、今はシィナが過ちを犯すことを止めるのが先決だ。

「でもね、私がシィナのことを大切に思っている。その言葉と思いに嘘はないよ」
「……ハロ、ちゃん……」
「信じてほしい。私のことを。私は、私の大切なものを傷つけようとするものを許さない。誰であろうと……だから、シィナ。言いたくないなら言わなくてもいい。でも、もしなにか力になれることがあるのなら、遠慮なく言っていいからね。私はシィナの味方だ」
「……(ハロちゃん……)」

 これは一見、シィナを傷つけようとするものを許さないと言っているように見えるかもしれないが、それはほんの一部分の意味合いでしかない。
 私が許さないのは私の大切なものを傷つけようとするもの。
 つまり、大切なもののカテゴリに属するシィナ以外の誰か、すなわちフィリアを傷つけるものを許さないという裏返しでもある。
 フィリアが私にとっての大切なもののカテゴリに属していることなど、匂いが移るほど近くにいることを知っているシィナはお見通しのはずだ。

 シィナを気遣う姿勢を見せつつ、同時に牽制をする。
 これによって、この牽制はシィナが私の気遣う姿勢で覚えた感情と同程度の自制心をシィナに植えつける効果を得られる、はずだ。
 あくまでシィナのフィリアを始末しようとする心には気づいていないふりをして、なんとなく「なにかあったのかなー?」的な感じに心配する風なふりをして牽制。
 私はシィナの内心に気づいていないという設定なので、さしものシィナでもここで反論はできないし、容易にフィリアに手を出すこともできなくなったはずだ。

 ふふ……やはり天才だな。さすが私。
 もしかしたら口先のうまさは魔法より上なんじゃない?

 そんな私の思惑もつゆ知らず、シィナは私の目をまっすぐに見つめてきたかと思うと、

「……ありがとう(ハロちゃんってわたしのことこんなに大切に思ってくれてたんだ……すっごく嬉しいっ。えへへ、嬉しすぎて宿屋の人に追い出されたのなんか全然へっちゃらになっちゃったよ!)」

 そう、小さく微笑んで。
 また、すりすりと頬と顎を擦り寄せてきた。
 最初の時のように不機嫌さはなく、いつものように……むしろ、いつも以上に機嫌よさそうにさえ見える。
 少なくとも今の彼女から負の感情は一切感じられない。

「ああ。礼には及ばないよ」

 よし、クエストクリアだ! ミッションコンプリート!
 甘えてくるシィナをよしよしとあやしながら、心の中でほくそ笑んだ。

 ふっふっふ……どうよ。私、結構うまく口が回るでしょ?
 なんと言っても《至全の魔術師》だからな。全に至ってるからな。
 全がなにかは知らないけど単語からして凄そうだから凄いに違いない。

 というか、今回初めて私の思った通りの展開にできたんじゃないの?
 フィリアを買った時はお師匠さまとか慕われて手が出しづらくなってしまった。淫魔の液体薬を飲んでしまって、一人にしてほしかった時もなぜかそばにいるとか真逆のことを言われてしまった。
 シィナとの出会いの日の初めての惨殺ホラー劇場でだって、ちょっと落ちつかせたらそそくさと距離を取るつもりが、いつの間にか完全に懐かれて。

 それが今回はどうだろう。
 きちんとスムーズにフィリアの暗殺計画を阻止できた。

 どうやらついに確率が収束し始めたようだな……。
 これまで不幸な失敗が多かったぶん、これからは幸運な成功が続くに違いない。
 これは女の子といちゃいちゃにゃんにゃんできる日も近いぞ……!

「……ハロちゃ、ん……おね、がい……ある(ただ、それはそれとして一つだけお願いが……)」
「お願い?」

 しばらくすりすりし続けて満足したのか、体を離したシィナが、不意にそんなことを言い出した。

 フィリアを始末することに代わるお願いなのだろうか?
 でも今のシィナからは、そこまで物騒なことを言い出す気配は感じられない。
 不思議に思って首を傾げていると、しばらく黙り込んでいたシィナが、ゆっくりとその口を開いた。

「……いっしょ、に……くらしたい(えっとね、追い出されてからいろいろ巡ったんだけど、どこの宿も泊めてくれないの……お願いハロちゃん。今日だけでいいから泊めて……)」
「一緒に、暮らすっ?」

 そんなシィナの思わぬ申し出に、私は素っ頓狂な声を上げてしまったのだった。