*  *  *

「悪い話ではないな」

 アキラ兄さんが言った。オベロン王の宮殿にある控えの間。オレたち3人が、謁見の内容を伝え終わったところだ。

「俺たちはこの3ヶ月間、あの村で言葉を学んだ。簡単な日常会話程度なら習得することができた」

 皆、だまって最年長の言葉を聞いている。

「けど皆、感じてないか?これ以上先に進むのは難しいって」
「……ですねな」

 ハルマが続いた。

「ここ最近、ゲンさんの辞書に追加される言葉が減ってきてます。あの村だけでは新しい発見も少なくなってるんですよ」

 他の転生者たちもうなずく。

「まぁ当然っちゃ当然だ。周囲を山に囲まれた小さな平野。ペタフ畑と、近くの山での狩りがすべての村だ。おまけに街へ続く道は、長雨でずっと通行止め。そこで得られる知識なんて、この世界のごく一部だ」
「やっぱ、兄さんもそう思ってた?」
「実は密かに考えていたんだ。この世界の本を一冊でも入手できたら、覚えられる言葉は一気に増えるのにってな」

 アキラ兄さんは、テーブルに置かれた本の表紙をコツコツと叩いた。

「それが、ここにある」

 タイトルらしき大きな文字の羅列、その下に数行に渡って小さい文字の羅列が続く。1文字1文字は、2~5画程度の単純な線の組み合わせで、漢字のような複雑さはない。けど、当然ながら何を意味している文字なのかは全く想像がつかない。

「とはいえ、楽な道じゃあねえぞ?」

 マコトが言うと、ハルマもため息混じりに続けた。

「俺達の世界にも、別の国、別の時代の文字を解読した人はたくさんいますけど、その人達はみな何年、何十年って時間をかけてきたんだ。けど俺たちに用意された時間は半年……」
「しかもノーヒントででしょ…… それって今まで以上の無理ゲーくない?」

 シランは眉間にシワを寄せて深刻そうな変顔を作った。

『それについて、我が父から仰せつかっています』

 全員の頭の中に日本語が響く。皆、一斉に部屋の入口を見た。

『失礼。父に〈自動翻訳〉をかけていただきました。皆様の手伝いをするようにと……』

 そう言って頭を下げたのは、サスルポの巣に囚えられていたあの子だった。確か名前は、フェントだったか。巣穴で救出したときは、ズボンとブーツ、それに革のマントという旅のいでたちだったが、今は絹のように光沢のある薄手のドレスに身を包んでいる。

『父は皆様に、図書館の利用を許しました。文学、哲学、魔法学、数学……あらゆる知識が納められた、我々の聖域です。かの書の解読のための力となるでしょう』
「気持ちは嬉しいけど……結局はオレたちの知らない文字で書かれてるんだろ? それって意味あるのか?」
「うーん。複数の本の文字の並びに共通点が見つかれば、そこに書かれていることを推測できると思います。図書館の本も、使い方次第ではヒントにはなりえるかも」

 ハルマが言う。コイツが今話した、俺達の世界の言語学者たちも、そうやって解き明かしていったのだろうか……?

「この方を村へお送りしたら、図書館へご案内します。それまでしばらくお待ち下さい」

 フェントの後ろには、キンダーが立っていた。オレたちの方を見て頭を下げる。転生者嫌いの門番がやったのは、オレたち日本から来た転生者が未だにやってしまう挨拶の仕草だった。

「おれも てつだうと いった けど おうは きょぜつした」

 キンダーは申し訳無さそうに言う。

「しかたない このせかいの にんげん かんたんに かいどく できる これは おれたちの たたかいだ」
「すまない きょうだい(タカフ)

 思いがけない言葉が飛び出した。タカフ……直訳すれば『兄弟』だ。それは、この世界の人間が友人に親しみを込めて使う、最大級の親愛の呼びかけだった。お調子者のイーズルはアニーラへの好意も絡めて、しきりにキンダーをそう呼んでいた。けど、キンダーが誰かをタカフと呼ぶのは聞いたことはない。

「おれを きょうだい(タカフ)と よんでくれるのか?」
「おまえ センディ たすけた それに むらも たすけよう している」

 両目の中間あたりがうずいた。涙腺が刺激され、下のまぶたに涙がたまるのがわかる。

「ありがとう…… かならず せいせき もちかえる!」

 そうだ。この解読には、聖石の原石がかかっている。楽な道じゃない、そんな事はわかってる。でも……村を助けるためだ。なんとしてもやり遂げるんだ!