異世界学事始-ことのはの英雄譚-

 センディとイーズル、そしてアマネの3人だけは村に戻ることになった。サスルポに囚えられていたセンディは体力を消耗しており、これ以上山の中を連れ回すにはいかない。

「イーズル こいつを たのむ」
「ああ おれが こいつと アニーラを しあわせにする おまえのかわ……ガダー!!」

 『ガダー』は日本語に翻訳すると"痛い"だ。どさくさに紛れて、アニーラを娶ろうとしたイーズルにキンダーは強烈なパンチをお見舞いした。

「ゲン……」

 弱々しい声で、センディがオレに話しかけてきた。

「ごめん こんなことに…… おれ ゲンの やく たちたくて……」
「わかってる せいせき かならず もちかえる」

 オレはセンディの頭をポンと軽く叩いた。

「アマネ、みんなをよろしく」
「うーん、不服ですけど……センディのことも心配だしなぁ」

 アマネはため息交じりに言った。

「われが せいいきの ばしょ しられては ならない」

 シャリポは、アマネが〈足跡顕化〉を使用する瞬間を見逃さなかった。これから何処へ連れて行かれるかわからない。だからアマネは来た道をいつでも引き返せるよう、メンバー全員にスキルを使おうとしていたのだ。

「すぐに スキルを かいじょ さもなくば」

 シャリポは右手の上にあの赤い光を発生させる。

「わかった! わかりましたよ!!」

 アマネが指をパチンと弾くと、オレたちに発動していたスキルは解除され、足跡が光ることはなくなった。そしてこの先に彼女が進むことは許されなかった。

  *  *  *

「うわ……」

 オレは絶景に言葉を飲み込んだ。西の空が真っ赤に染まり、太陽が沈もうとしている。
 サスルポの巣から3時間あまり……ガズト山の尾根に到着した。ここまで来るとかなり遠くまで見渡せる。山の麓を流れる川は、西日を反射して黄金色に輝きながら南に向かう。その途中に村があり、そこから視線を左に移せば、オレたちの隠れ里がある山の影がぼんやりと見えた。さらにその奥には稲妻を孕んだ黒雲。南の街道に停滞する嵐だろう。

「そろそろ夜よ。まだ歩くの?」

 リョウがシャリポに尋ねる。よほどの理由がなければ、夜の山を歩き回るのは危険だ。

「もうすぐ つく」
「は? もうすぐって……」

 何もない尾根。この周りに彼らの聖域とやらがあるとは思えない。ギョンボーレ2人はこちらを振り向きもせずに、歩き続けていた。

「ん?」

 その背中を追い続けていると、不意に視界がかすみ始めた。霧だ。つい今、夕焼けの絶景を見たばかりだったのに、あっという間に周囲が真っ白になるほどの霧に囲まれた。

「山の天気は変わりやすいと言うけど……」

 それにしたって、この霧は突如現れたとしか言いようがなかった。自然現象とは思えない。シャリポは霧の中を黙々と歩き続ける。

「みんな! 前にいる人の背中を見失わないでね!!」

 リョウは最後方にまわって、後ろから声をかけ続けた。尾根伝いの細い足場を、オレたちは一列になって進む。その足場すら、白い闇に消えて見失いそうになる。足元を意識し、しっかりと踏みしめながら、前の背中を見つめながら進み続ける。ギョンボーレの奴ら、どこまで歩かせる気だ?
 不思議なのは、さっき夕焼けを見ていたはずなのに、いつまで経っても夜にならないことだ。視界は悪いが、周囲は白いまま。時間が止まったようだった。

「ついたぞ」
「え?」

 シャリポたちが足を止める。途端に、オレたちの周りにたち込めていた霧がすうっと晴れていく。

「嘘でしょ……」

 オレたちは尾根を歩いていたはずなのに、いつの間にか谷底にいた。両側の斜面は、四角い石で階段状に補強され、その上には花が咲き乱れている。花壇の段々畑といったところか。その花畑の所々には、やはり石で作られた建物が立つ。歴史の教科書で見た古代ギリシアの神殿のような形の建物だ。

「わがいちぞくの みやこだ」 

 街というよりは、巨大な庭園のような印象を抱いた。花が咲き乱れる谷のあちこちに石造りの建物はが点在し、やはり石で舗装された道が通る。その横には水路が掘られ澄んだ水が陽光に輝きながら流れていた。
 外にいるギョンボーレは皆、シャリポと同じような背格好だった。とがった耳と白い肌。そして明るい色の長い髪。顔はみな美形で、年齢も性別も見分けにくい。彼らは思い思いのところで楽器を奏でたり、それに合わせて踊ったりしている。

「まさにエルフの里って感じですね」

 アツシが360度全方位を眺めながらいう。オレもそのイメージに納得だった。ファンタジーでお馴染みの妖精の国だ。

「ここだ」

 シャリポは、谷の中心にあるひときわ大きな建物までオレたちを連れてきた。白い石の壁と、丸い柱で支えられた三角形の屋根、それぞれに細かい彫刻が施されている。

「おまえたちの なかで ことばを まなぼうと いいだしたのは だれだ?」

 建物の入り口につづく階段の手前で、シャリポは尋ねてきた。

「言い出しっぺはゲン。皆に呼びかけたのは私よ」

 リョウは答える。

「僕もです!」

 すかさずアツシも一歩前に歩み出た。

「ちょっ! アツシ!」
「水くさいですよリョウさん」

 この先に何があるかわからない。リョウは敢えて最年少のアツシの名を出さなかったのだが……

「僕ら3人のスキルがあって初めて辞書作りは可能になるんです。ここまできたら一連托生ですよ!」
「はぁ……わかった」

 リョウは観念する。普段はおとなしい中学生だが、こういう時の腹の座り方は大人顔負けだ。

「よし さんにんを だいひょうしゃと みなす これより われらが おう オベロンに あってもらう」
「えっ!?」

 後ろの方でハルマがが声を上げた。

「ついてこい」

 シャリポと子供のギョンボーレは階段を昇り始めた。

「あの……ゲンさん!」

 後に続こうとするオレの背中を、ハルマがトントンと叩いた。

「どうした?」
「もしかしたら、ただの偶然かもしれませんが……これから会う奴、ひょっとした俺達の世界を知ってるかもしれません」
「どういうことだ? 連中の王ってヤツがか?」
「はい、オベロンって名前……俺達の世界の『妖精の王』と同じ名前です」
「なんだって!?」
「……あ、それでか」

 アツシ、がポンと軽く手を叩く。

「いや、僕も聞き覚えがあったんです。ラノベや漫画に出てくる名前なんで……」
「もとはヨーロッパの伝説に出てくる名前です。そこからシェイクスピアの戯曲にも登場するようになって、最近のファンタジー作品でも出てくることが多いです」

 オレたちの知る妖精(エルフ)によく似たギョンボーレ族。そして妖精の王(オベロン)と同じ名前を持つ彼らの王。偶然? ……いや、それにしては出来すぎている。

「なにしてる! はやくこい!?」

 シャリポが階段の途中でとまり、オレたちに声をかけてきた。

「何にしても、会ってみなければわかりません。行きましょう」

 アツシの言葉に、俺とリョウは目を合わせて頷いた。

「気をつけて」

 ハルマはそう言って、オレたちを見送った。

  *  *  *

 大広間に通される。その最奥には玉座らしいものがあり一人の男が座っていた。

『わが娘、フェントを助けてくれたそうだな。礼を言う』

 一瞬、何が起きたかわからなかった。あまりに自然に頭の中に言葉が流れてきて、日本語で話しかけられたように感じた。

『驚いているところを見ると……そうか。やはり〈自動翻訳〉を持っていないと見える』

 まるで二重音声だ。穏やかな語り口は、確かに目の前にいる人物の口から発せられているこの世界の言葉だったが、その日本語訳が脳内に直接響いていた。

「これが……〈自動翻訳〉スキル?」
『さよう』

 女神がド忘れしない限り、転生者に付与される能力。この世界の人間は、オクトたちの言葉をこうやって受け取っていたのか!?

『改めて名乗らせていただく。ギョンボーレ……君たちが言うところのエルフ族の王、オベロンだ』

 聞きたい事はたくさんある。なぜこの王は、転生者のスキルを持っているのか? オベロンという名前は、俺達の世界の伝説と関係があるのか? けど、何よりもまず……

「オレたちはガズト山のふもとの村から来ました。今、その村は聖石を失って困っています」

 ギョンボーレの王が口を開くと、穏やかの声が頭に響く。

『知っている。次代の聖石の原石は、我々が回収した』
「1つだけで構いません。それを村に置かせて下さい」
『シャリポはその申し出を断ったのではないかな?』
「はい。ですが……」
『なぜ聖石をあの村に置かなくてはならない? 再び略奪されるためにか? 君たちのような転生者に?』
「違います!!」

 思わず声が大きくなる。違う。そうじゃない! そうはさせない!!

「二度と略奪は起こしません。オレたちが守ります! あの村には今、聖石がひとかけらしかない。このままだと、あの村は滅びます」
『滅ぶのではない。滅ぼしたのだ。君たちが』
「…………」
『魔族の力が強くなる時、異界より転生者が呼ばれ、人々を守る。それがこの世界の歴史だ。かつての転生者たちは、聖石に敬意を払っていた。聖石の加護を受けることはあれども、聖石を奪いも壊しもしなかった……』
「この世界の、歴史……?」

 初めて聞く話だった。過去にも魔王と転生者の戦いがあったのか? けど、聖石を奪いも壊しもしない、というのは何だ? だって魔王の戦いには……

「転生者の間では、魔王を倒すには聖石を精製して作る武器が必須と言われています。もしかして、それが違うと……?」

 オレと同じことを考えていたのか、アツシがオベロン王に問う。

『いかにも。聖石を武器にするなどと転生者たちが考えたのは、此度の戦いが初めてだ。だから我々は、転生者の手が届かない所で聖石を管理し成長を見守ることにした』
「待って下さい! 聖石を武器にするのは、今回が初めてと? 昔は違ったのですか!?」

 今度はリョウが尋ねる。なんだかおかしい。オレがあの時オクトから聴いた話は何だったのか? 何故奴らは、詐欺同然の方法で村から聖石を持ち去ったのか? 過去の転生者たちは聖石を使わずに倒した。それはどうやったのか? その方法を、オクトたちは、この世代の多くの転生者たちは、誰も知らなかったのか?

「そうだ……誰も知らないんだ」

 オレの頭の中に、何かが降りてきた。初めてこの世界の辞書を作ろうとしたときの閃き、それに近い感覚だった。

「ゲン?」
「知るはずがない……。〈自動翻訳〉がある。言葉を学ぶ必要がないんだ……」
「どうしたんですか、ゲンさん?」
「すべて……そうすべて、オレたちの知っている言葉に変換されて頭の中に響く。あいつらは言葉を学ぶ必要なんてなかった……!」

 オベロン王は何も言わずオレを見ている。その視線を感じていたけど、頭の中に現れた思考を止めることはできなかった。

「オレたちは、この世界の人達が主食にしているあの粉が、小麦粉ではなくフフッタだと知った。ペタフの実を乾燥させて挽いた粉だ。麦を挽いたわけじゃない。そしてペタフ畑で働く人々の話を聞いた」
「あ、ああ、そうだな……」

 リョウはぽかんとした顔でオレの言葉に相槌を打つ。もっとわかりやすく説明しようか、いやオレ自信の考えがまとまっていない。考えろ! オレの思考は今どこへ向かっているんだ!?

「けど……多分あいつらの頭には『小麦粉』という名前が響くんだ。用途も味もあまり違いはない。だから小麦粉と認識していても問題ない。この世界で生きていくのには十分な知識だ」
「ど、どうしたんですか、ゲンさん? もうちょっと、詳しく……」

 悪いアツシ。もう少し……もう少しだけ待ってくれ!
 
「そういう事はあちこちにあるハズだ。あの干し肉の動物は鹿じゃない、ターグルだ! あの獣は熊じゃない、ゴラブだ! オークではなくサスルポ、そして……」

 オレは王の方を見る。

「あなた達はエルフではなく、ギョンボーレだ……!」

 王は静かにオレを見つめている。その瞳の中に何かを言いたげな色が見えた。けど、まずはオレの考えがまとまるのを待ってほしい……。

「言葉を学ぶ必要がなければ……当然、歴史や文化を学ぶ機会も少なくなる。そんな奴らの目の前に、聖石があったらどうなる? 頭の中に響くんだ、これは強力な自然エネルギーを宿す鉱石ですって……。オレたちにしてみれば、目の前に原子炉があるようなもんじゃないか! なら……作るだろ。核兵器を!!」

 そうだ! そういうことなんだ!! オレの頭の中だけの閃き。実態とズレている所もあるかもしれない。けど、オクトのような「まともな」転生者たちの考え方と、そう外れてないと思う。
 聖石がもつ歴史や、人々への恩恵、そして信仰心。そういうものへの理解なしに、純粋なエネルギー源として聖石を見たら、戦いに使えないかと考えるのはごくごく自然な発想だ。

『なるほど』

 黙っていたオベロン王の声が、また頭に響いた。

『……わが娘フェントには、もしこの世界の言葉を話す転生者がいたら連れてくるようにと伝えていたが、間違いではなかった』

 オベロン王は、ゆっくりと玉座から立ち上がる。そして、傍に控えていた家臣に合図する。すると、その家臣は両手に抱える直方体を王に手渡した。

『これは、代々の王が書き連ねてきたこの世界の歴史書だ』

 そう言いながら王は、直方体をオレの両手に乗せる。歴史書……? ああ、確かにそれは本だった。表紙の横幅とほぼ同じくらいという異様な分厚さだが、紙を束にしその一辺を綴る構造は間違いなく本だ。何ページあるんだコレ?無数の紙の重さがオレの両手に沈み込む。

『半年だ。半年でそれを読みこなしてみせよ』
「え……?」

 オレは表紙を開く。覚悟はしていたけど、全く読めない。見たこともない文字だった。

『もしそれができたならば、我々ギョンボーレは、君たちを真なる転生者とみなし、あらゆる助力を惜しまない』
「真なる、転生者?」
『聖石の加護を受け、魔族と対決する救世主だ。もちろん、我々が管理している聖石の原石も託そう」

 ということは……聖石を、あの村に戻すこともできる?

「ゲンさん!!」
「やったよゲン!!」

 リョウとアツシの喜びの声。けど……これはそんなに気軽に喜んでいいものじゃない……! 再び本に目を落とす。喜びを拒絶するような、無表情の文字達。

  *  *  *

「悪い話ではないな」

 アキラ兄さんが言った。オベロン王の宮殿にある控えの間。オレたち3人が、謁見の内容を伝え終わったところだ。

「俺たちはこの3ヶ月間、あの村で言葉を学んだ。簡単な日常会話程度なら習得することができた」

 皆、だまって最年長の言葉を聞いている。

「けど皆、感じてないか?これ以上先に進むのは難しいって」
「……ですねな」

 ハルマが続いた。

「ここ最近、ゲンさんの辞書に追加される言葉が減ってきてます。あの村だけでは新しい発見も少なくなってるんですよ」

 他の転生者たちもうなずく。

「まぁ当然っちゃ当然だ。周囲を山に囲まれた小さな平野。ペタフ畑と、近くの山での狩りがすべての村だ。おまけに街へ続く道は、長雨でずっと通行止め。そこで得られる知識なんて、この世界のごく一部だ」
「やっぱ、兄さんもそう思ってた?」
「実は密かに考えていたんだ。この世界の本を一冊でも入手できたら、覚えられる言葉は一気に増えるのにってな」

 アキラ兄さんは、テーブルに置かれた本の表紙をコツコツと叩いた。

「それが、ここにある」

 タイトルらしき大きな文字の羅列、その下に数行に渡って小さい文字の羅列が続く。1文字1文字は、2~5画程度の単純な線の組み合わせで、漢字のような複雑さはない。けど、当然ながら何を意味している文字なのかは全く想像がつかない。

「とはいえ、楽な道じゃあねえぞ?」

 マコトが言うと、ハルマもため息混じりに続けた。

「俺達の世界にも、別の国、別の時代の文字を解読した人はたくさんいますけど、その人達はみな何年、何十年って時間をかけてきたんだ。けど俺たちに用意された時間は半年……」
「しかもノーヒントででしょ…… それって今まで以上の無理ゲーくない?」

 シランは眉間にシワを寄せて深刻そうな変顔を作った。

『それについて、我が父から仰せつかっています』

 全員の頭の中に日本語が響く。皆、一斉に部屋の入口を見た。

『失礼。父に〈自動翻訳〉をかけていただきました。皆様の手伝いをするようにと……』

 そう言って頭を下げたのは、サスルポの巣に囚えられていたあの子だった。確か名前は、フェントだったか。巣穴で救出したときは、ズボンとブーツ、それに革のマントという旅のいでたちだったが、今は絹のように光沢のある薄手のドレスに身を包んでいる。

『父は皆様に、図書館の利用を許しました。文学、哲学、魔法学、数学……あらゆる知識が納められた、我々の聖域です。かの書の解読のための力となるでしょう』
「気持ちは嬉しいけど……結局はオレたちの知らない文字で書かれてるんだろ? それって意味あるのか?」
「うーん。複数の本の文字の並びに共通点が見つかれば、そこに書かれていることを推測できると思います。図書館の本も、使い方次第ではヒントにはなりえるかも」

 ハルマが言う。コイツが今話した、俺達の世界の言語学者たちも、そうやって解き明かしていったのだろうか……?

「この方を村へお送りしたら、図書館へご案内します。それまでしばらくお待ち下さい」

 フェントの後ろには、キンダーが立っていた。オレたちの方を見て頭を下げる。転生者嫌いの門番がやったのは、オレたち日本から来た転生者が未だにやってしまう挨拶の仕草だった。

「おれも てつだうと いった けど おうは きょぜつした」

 キンダーは申し訳無さそうに言う。

「しかたない このせかいの にんげん かんたんに かいどく できる これは おれたちの たたかいだ」
「すまない きょうだい(タカフ)

 思いがけない言葉が飛び出した。タカフ……直訳すれば『兄弟』だ。それは、この世界の人間が友人に親しみを込めて使う、最大級の親愛の呼びかけだった。お調子者のイーズルはアニーラへの好意も絡めて、しきりにキンダーをそう呼んでいた。けど、キンダーが誰かをタカフと呼ぶのは聞いたことはない。

「おれを きょうだい(タカフ)と よんでくれるのか?」
「おまえ センディ たすけた それに むらも たすけよう している」

 両目の中間あたりがうずいた。涙腺が刺激され、下のまぶたに涙がたまるのがわかる。

「ありがとう…… かならず せいせき もちかえる!」

 そうだ。この解読には、聖石の原石がかかっている。楽な道じゃない、そんな事はわかってる。でも……村を助けるためだ。なんとしてもやり遂げるんだ!  
 ギョンボーレの図書館は、オベロン王の宮殿よりも更に巨大な建物だった。宮殿の裏から真っすぐ伸びる通路のその先に、それはそびえている。まるで図書館が本殿で、宮殿はその入り口に過ぎないかのような配置だった。

『私たちはなによりも知識を敬い、重んじます。商売も、(まつりごと)も、魔法の使用も、知識があって初めて行うことができる。知識があるからこそ我々は生きることができる。それは王も例外ではありません』

 フェントは、ギョンボーレの価値観を語る。見かけはセンディと同じくらいの子供だったが、その話しぶりは大人のものだった。元の世界のファンタジーだと、エルフは人間より寿命が長いという設定が定番だった。この種族も、見た目以上の年齢だったりするのかもしれない。

「これは……」
「ハハ……すげぇなコレ」

 図書館の内部に、全員が圧倒された。建物の中央は、吹き抜けのホールになっていて、はるか高い天井に円形のドームがかぶさっている。そのドームを支える円筒形の壁面すべてが本棚だ。
 吹き抜けの周囲には本を取るための回廊が巡らされている。その回廊は全部で5層。地上階を含めると6階分の高さの壁。その全てにぎっしりと本が収めれている。
 中央ホールだけじゃない。そこから三方に向かって長い部屋が伸びていて、その壁もやはり本棚となっている。壁だけじゃない。室内には人が歩けるスペースを残して、並べられる限りの本棚が並べられている。

「これ、全部で何冊くらいあるんですか?」
『正確な蔵書数は不明ですが、この世界で書かれたありとあらゆる書物が収められていると言われています。ギョンボーレ族、人間族はもとより、魔族の記した書も。……恐らく数十万冊になるかと』
「はぁ~」
「日本の図書館じゃ数十万冊なんて珍しくないけど……」
「この世界には、手書きか、ごく簡単な印刷技術で刷られている本しかなさそうですね。そうなると、数十万はものすごい数です」

 いつの間にかリョウとハルマは、棚から何冊か取り出し、ホール中央のテーブルに広げていた。工場で大量に印刷できる令和日本ならいざ知らず、この世界の本の発行部数なんてごく少数だろう。それが数十万冊となると、確かにとんでもないスケールだ。

「リョウ、もし文字が読めるようになったら」
「……うん。投影し放題ね」

 この図書館を活用できれば、リョウの〈叡知投影〉は正真正銘SSRスキルとなるだろう。

「その文字が問題なのよ」

 テーブルにシランが歩み寄ってきて、開かれたページに目を落とした。

「ウチらそもそも、この世界の文字が全部で何種類あるのかすら知らないワケじゃん? まずはそっからでしょ」
「シラン、いい所に気が付いたね。アルファベットは26文字、ひらがなカタカナは50文字弱。この世界のが表音文字ならそのくらいで済む」

 リョウは話す。

「けど漢字はちがう。表意文字とか表語文字っていうんだけど、一つの文字に特定の意味や発音まで含まれるから、何万文字にもなる……」

 この世界の文字がどちらのグループかあるいは全く別の発想で作られた文字なのか。それ次第で難易度は大きく変わるわけか。

「リョウさん、それだけじゃないよ」

 首を振りながらハルマが言う。

「複数の文字を組み合わせて使ってる可能性だってあります」
「どういうこと?」
「思い返して下さい。俺たち日本人って何種類文字使ってました?」
「あっ!」

 漢字とひらがなとカタカナが思い浮かぶ。そうか……その可能性もあるのか。

「日本語だけで漢字、ひらがな、カタカナの3種類。そこにアルファベット加えて4種類。数字は普通アラビア数字ですけど、時々ローマ数字を使うので、6種の文字を使い分けてることになります。それに今、魔族の本もあるって言ってましたよね? 人間とギョンボーレと魔族で違う言葉や文字を使ってるとしたらどうなります?」

 クラクラしてきた。それをどうやって整理すりゃいいんだ……?

「ちょっといいですか?」

 アツシが手を挙げた。全員の視線が最年少の転生者に向けられる。

「どうした?」
「僕に考えがあるんです。えっと、フェントさん。あなたは何処まで協力してくれるのですか?」
『父より命じられたのは皆様の寝泊まりと食事、それとご希望の書をこの長机に運ぶことだけです。書の内容のや、わからない言葉の解説は出来ません』

 つまり翻訳作業自体ではなく、身の回りのサポートに限られるわけか。

「わかりました。それじゃあ、早速一冊持ってきてほしい本があります」
『どのような本をご所望ですか』
「辞書です。そんなに語数はいりませんが、とりあえず辞書を一冊」
『かしこまりました、お待ち下さい』

  *  *  *

『ん……おまたせしました』

 数分後、フェントが持ってきたのは、かなり大判の本だった。小柄な彼女が抱えると、上半身がほとんど隠れてしまい、まるで本に足が生えてヨタヨタとこちらに近づいてくるように見えた。

「わわっ、すみません! そんな大きいなんて!?」

 アツシは慌てて駆け寄るが、小柄な彼の体格からするとまだこの本は大きい。マコトが間に入って本を受け取る。大柄のマコトが持っていてもなお、それは大きく感じられた。

「でけえな。この世界の辞書ってのは皆こんなサイズなのか?」
『はぁ……正しい決まり事はありませんが、知識の源泉とも言える書ですから、どれもこれくらいの大きさかと』

 ん? フェントの言葉のつながりがよくわからなかった。知識の源泉だと、サイズも大きくなるのか?

 オレは、隠れ里で毎晩書き連ねていた異日辞典を思い浮かべた。始めは木の板切れに、村に人と仲良くなってから脱穀した後のペタフの繊維で作った藁半紙に書いている。
 その束はオレの肩に届くほどの量になっているけど、いつかは一冊の本にしなければいけないと思っている。そのサイズは手の平に収まるくらい……扱いやすいサイズでなければと思っていたけど……

「ああ、そういうことか」

 そこまで考えて合点がいった。オレがイメージしているのは元の世界の辞書だ。手のひらに収まる大きさにするために、めちゃくちゃ小さい文字で印刷されている。
 でもこの世界にそんな小さな文字を印刷できる機械は多分無い。手書きであの爪の先くらいしかない文字を書いていくのも無理だろう。となると、自然とサイズは大きくならざるを得ない。

「よっと」

 マコトは長机の上に、その巨大な直方体を置く。

「で、アツシ。この辞書をどうするんだ。文字が読めないことには使いようが……」
「はい。 辞書にはルールがあります。これはどんな世界でも同じはずです」
「は?」
「まぁ僕らは、リョウさんが投影してくれるから、そのルールがなくてもやってこれましたが……ゲンさんの辞書、普通に使うことは出来ないと思います」
「順番だ……」

 オレは言う。自分の辞書の弱点は自分が一番良くわかっている。あの辞書は欠陥品だ。誰でも使える形にするには、文字や版の大きさ以上に重要なことがある。

「オレの辞書は、五十音で並んではいない。投影で直接アタマに叩きこまなければ、あんな辞書使えないよ」
「あ、そうか。インデックスがないのか、ゲンさんの辞書って」

 ハルマが納得して、手を叩いた。

「新しい言葉を覚えるたびにページを足していったからな。知らない言葉を探すには特定の順番である必要がある。たぶんそれは、この世界のルールでも同じだ」
「そうです、そういう事です!!」
「お手柄だぞアツシ! 冴えてるな!?」
「はははっ、僕はまだ中学生ですからね」
「は? どういうことだ?」

 アツシは苦い表情を浮かべて説明する。

「国語や英語の授業で紙の辞書を使わされるんです。時代はスマホや電子辞書なのに、未だにペラペラって……必要なのはわかりますけど、ちょっとウンザリしてました」

 そういう事か。キーボード入力で検索すれば欲しい言葉が見つかる電子辞書では、インデックスは必要ない。それに慣れきった人間には、今のアツシのような発想は難しいかもしれない。授業で紙の辞書の使い方を覚えさせられる中学生ならではのアイデアだった。

「うん、思った通りです! 最初のページ、頭文字は同じ文字が続いています。コレが”あ”や”a"でしょう。同じように頭文字をさらっていけば、この世界で使われている文字の中で、少なくとも一種類は全文字を拾えるはずです!」

  *  *  *

「これが最後のページです」
「ということは全部で42字か」

 オレは皆が見守る中、フェントから貰った紙に辞書に記された言葉の頭文字を書き写していった。
 未知の文字たちの書き心地は、カタカナに近いように感じた。直線と角が多く、カーブを描く文字は殆どない。直線の本数は1~6本、だいたいが三角形か四角形を作りそこに線を数本付け足して1文字としている。中にはその付け足しの線が複数文字を貫いているものもある。

「こういうのって……アルファベットの筆記体みたいなものでしょうか?」
「どうだろう? 決めつけるのは良くない気もするけど、とりあえずはそう考えておくか?」
「大文字と小文字のような区別は無し……でいいのかな? 見た感じでは、頭文字と同じ形の文字を2文字目以降も使ってますよね」
「うーん、どうだろう。 さっき変な形の文字あったよ?」

 それぞれが気がついたことを言い合う。村で仕入れた言葉を辞書に書き加えるときにもこういう会議は行っていた。だから皆、同じノリで思い思いのことを話していた。オレはそれを手元においた別の紙にメモしていく。

「ひとつだけ安心したことがありますね」

 と、ハルマ。

「表音文字か表意文字かの問題。42文字程度なら、少なくともこの世界でメインで使われている文字は表意文字と考えていいのでは? ひらがなよりチョイ少ない数。これなら僕達でも覚えられます!」

 最悪の予想は、見分けのつかない表意文字が何百何千パターンとある場合だったけど、その心配はなさそうだ。

「それじゃあ次は、これらの文字がそれぞれどんな発音を担っているか、ね」
「あ、それについては俺に考えがあるぞ」

 今回手を挙げたのはマコトだった。

「まず、俺たちがこれまでに覚えてきた単語を見つけて、それを手がかりにするしかない。これはいいよな?」
「そうだな」
「となると、俺たちが知ってる単語が多く載ってるジャンルの本がいい。それってなんだと思う?」
「そりゃ……農業関係なんじゃないのか?」

 オレたちの言葉の先生である、村人たちはほとんどが農夫だ。村の周囲の広大なペタフ畑を作り、それを挽いてフフッタ粉を作って、王宮への納税や行商との商売に用いている。

「だろ!? なら話は早い。フェントちゃん! 農業の……特にペタフの育て方について解説してる本を持ってきて!」
『…………』

 フェントは少し困ったような顔をしただけだ。口を開かず、頭の中にも何も言葉が響かない。

「……あれ?」
『えっと、ペタフの育て方……ですか??』
「う、うん」
『あの、そういうのは……農夫の皆さんは、親から教わるものなので……わざわざ記している書はないかと思います』
「え゛?」

 マコトの考えを聞いてる間は「おお!」と思ったけど、よくよく考えてみればその通りだった。この世界の農夫が、テキストを読みながら作物を育てているとは思えない。ベランダで日曜菜園をやるサラリーマンじゃないんだ。そもそも、村で文字を見たことが殆どない。識字率も高くないのかもしれない。

「くっそー! いいアイデアだと思ったのになー!!」

 マコトは長机を軽く拳で叩くと、がっくりうなだれた。

「マコトっちにしては、ちゃんと考えたよ、うん!」

 シランはマコトの肩をたたいた。

「シラン、てめーすごいムカつくな……!」
「いやアイデアは悪くないです。マコトさん!」

 今度はハルマが応える。

「農夫の生活をわざわざ書くような本があればいいんですよ!」
「そんなのあるか……?」
「フェントさん、王宮の貴族や役人がガズト山の近くを訪れた紀行文ってありませんか?」
『紀行文ですか……わかりました、探してみます』

 フェントはくるりと踵を返して、本棚へと向かっていった。

  *  *  *

 ハルマの希望した通りの本が見つかった。
 120年前の王都の徴税官が付けていた日記だ。フェントによれば、彼は任地を訪れるたびに、その土地の地理や文化を日記に書き、引退後にそれを編集して出版したそうだ。

「よくそんなもんがあると分かったな」
「役人が地方に赴任して、その土地の様子を日記に残すってのは文学でよくあるパターンです。土佐日記とか聞いたことあるでしょ?」

 そういえば古文の時間に聞いたことがあるワードだ。今思い出さなければ、今後一生(すでに一回死んでるけど……)思い出さなかっただろう。

「やった!!」

 リョウは最初のページを開いたとたん歓喜の声を上げた。

「おわっ、なんだよいきなり?」
「見てよコレ! 最高のおまけ付き!!」
「おまけ?」

 リョウからその本を受け取る。最初のページには山や林の絵や、道や川を示すだろう曲線が載っている。これは……

「地図……?」
「 この役人さん、自分が赴任した地方の地図を描き残していたみたい」

 道の所々には、城壁や家のような図形も描かれている。そしてそれらの横には地名と思われる文字の並びも……

「そうか! オレたちが知っている地形と重なる地図が見つかれば……」
「書き加えられた地名から文字を推測できまる!」

 きた! 重大な手がかりが見つかったぞ!

「あ、あのー……ちょっといいですか?」

 アツシが申し訳無さそうに、小さく手を挙げる。

「なんだよアツシ……?」
「すごく言いにくいんですけど……僕たちって、言うほどあの村周辺の地名知ってます? そもそもあの村って何て名前なんですか……?」
「…………」

 頭の中が白紙になる。そしてそこに何も書き足せない。言われてみれば、あの村は「村」としか呼んでなかったし、あの川も「川」だ。

「名前って、同じものが複数ある時に初めて意味を持つんだな……村は一つだし、川も道も一本ずつ。確かに村人はわざわざ固有名詞で呼んでなかった……」

 リョウは固まる。マコトと同じく我らがリーダーのアイデアも不発か? オレはページを行ったり来たり、何度もめくる。

「……いや、いけるぞリョウ」
「え?」
「少なくともホラ、ガズト山はわかる。結構でっかく描かれている」

 3ページ目の地図にガズト山の頂上によく似た形の絵が大きく書かれているのだ。村人たちも、村からひときわ近く、ひときわ大きいガズト山だけだは別の(グラト)とは区別してガズト山(グラトガズト)と呼んでいた。あんな目に付きやすい山は他にない。この謎の文字の集合体は間違いなく『ガズト』と読むはずだ。

「この地図、北向きじゃないのね」
「まぁ北側が上ってのは、俺達の世界でも元は西洋のローカルルールですからね。江戸の地図は西が上だったそうですし、オーストラリアの世界地図なんか南極が上にきます」
「何でも知ってるなお前……」

 思わず、ハルマの雑学に感心する。

「たぶんですけど、日が昇る方向を地図の上側にするというのがこの世界のルールなんだと思います」
「東が上……あ、そういうことか」

 ひらめく。これは皆ほぼ同時に気がついたようで、全員同じような顔をしていた。

 同音異義語の存在。例の笑える(ウケル)(ウケル)のように、オレたちは同じ発音で異なる意味を持つ言葉をいくつか見つけていた。
 柿と牡蠣、あるいはright()right(正しい)のようなもの、それ自体は珍しくない。
 けど、『アノア』と『テムア』は異質だった、『アノア』には「上」と「東」という意味があり『テムア』には「下」と「西」という意味がある。対義語同士の同音異義語。絶対に何らかの理由があると思っていたけど、地図を見れば一目瞭然だ。この世界には太陽が現れる方向を上、沈む方向を下と考える概念が存在する。

「てことは、上端にあるこの言葉が『アノア』で下端のこれが『テムア』……なのか?」
「そう考えていいと思います」
「なら、上下を示す文にも同じ字が使われてる事になるな。東西よりも上下の方が使う頻度は高いはず。これは大きな手がかりになるぞ!」

 少しずつ、本当に少しずつだけど、オレたちの異世界文字の解剖は進み始めた。
 最初に判明した単語は『ガズト』『アノア』『テムア』の3つ。そこを起点に、未知の文字のパズルゲームが始まった。最初に判明した文字は『ア』だ。アノアの最初と一番最後、テムアの一番最後、そしてガズト前から二番目に同じ文字が存在している。

「ということは、ローマ字に近いのかも」
「母音と子音の組み合わせで音を表記する……多分そうでしょうね」

 『テムア』の最初の文字と『ガズト』の最古の文字から『(テデット)』を探す。その過程で、同じ文字が最後に使われる語を抜き出していく。この単語群の中には、おそらく同じくトで終わる『(ビャギト)』、『彼女(シャギト)』、『彼ら(ミャーギト)』、『(カラト)』、『飲む(ナート)』があるはずだ。
 こうして陣取りゲームのように、理解できる文字や単語を広げていく。

 基本ルールは確かにローマ字と同じだったけど、例外もあった。どこからどこまでが母音なのか、何を持って子音と扱うのか、その辺りははっきりしない言葉。必ず2文字で1音を表記するのかといえばそうではなく、3文字で1音のパターンや、発音をしない文字なんてのもある。

「まー英語のknife(ナイフ)も最初のkは発音しませんしね、珍しいことでもないかと」
「そのあたりの分類が必須かと言うとそうでもないしな。オレたちは別に言語学者じゃないわけだし」

 ともあれ、この作業を初めて1ヶ月。オレたちはなんとか最低限の文字を読めるようになった。同時にかなりの量の新単語も仕入れられた。この勢いで王の歴史書もいけるはずだ!

 と思っていたが……

「だめだ……」

 さっぱりわからない。どのページを見ても、不可解な文章の羅列だった。

「ねえマコトっち、アタシ待ってんだけど?」
「急かすなよ。あと5つ調べたい単語があるんだ」
「そんなに溜め込まないで、その都度調べに来ればいいじゃん!」

 徴税官の日記と同じように、オレが〈連続攻撃〉スキルで写本を作り、分担して解読をしているのだが、すぐにわからない単語にぶつかるから辞典が必要になる。
 フェントにもう2冊、辞書を運んできてもらったけどそれでも足りず、常時取り合いの状態が続いていた。

「おい、ゲン!! ここ意味が通らないぞ!? お前が写し間違えてるんじゃないのか?」

 マコトが棘のある声でオレを捕まえた。

「『森を飲む』っておかしいだろ『飲む(ナート)』じゃなくて『近い(ナー)』じゃないのか?」
「あー……そうだな、悪い」
「ったく、しっかりしてくれよ!」
「ゲンゲンにあたってもしょうがないでしょ? 少しのミスくらい……」
「なんだと!?」
「2人ともやめなさい!!」

 リョウが、マコトとシランの間に割って入る。先が見えない作業に、皆が苛立ち始めている。この本ばかりの建物に閉じこもって今日で15日、精神的にもキツくなっていた。

「だいたいさ、ココまでして読まなきゃいけないのか、この本?」
「は?」
「大変だけど村の聖石がかかってるんだ、やるしかないよね?」
「そこだよ! なんでオレたちがゲンの尻拭いしなきゃ……」
「ちょっと! それ言ったらダメじゃん!?」

 はっとしてマコトは口をつぐんだ。

「………………」

 返すべき言葉が見つからない。そうなんだ。本来これはオレにしか責任がない問題だ。

「転生者全員に責任がある問題。聖石の件は全員それで意見一致したはずだよね?」

 珍しく、リョウの口調に怒りの色があった。

「リョウ、やめてくれ。お前まで……」
「ああそうかい! 俺ひとりが悪者ってわけね!!」
「そういう訳じゃ」
「やってられるか」
「お、おい待て!!」

 マコトは閲覧室を出ていった。

「はあ……。ゲンゲンにもリョウちんも悪くない。わかってるよ?」

 マコトと言い合っていたはずのシランだけど、今はリョウを責めるような眼差しになっていた。

「でもごめん……こういうの、なんかダルい……」

 そう言い捨ててマコトの後を追う。

「最悪だ……」

 その様子を眺めながらハルマがつぶやく。アキラ兄さんもバツの悪そうな顔をし、アツシはおろおろと皆の様子を伺っていた。

「ふぅ……みんな少し休憩しようぜ」

 オレは平静な口調を作りながら残りのみんなに声をかけた。さっきフェントが軽食の差し入れを持ってきてくれたけど、まだ誰も手をつけていない。

「……二人は私が連れ戻してくるから」

 リョウはそう言って外に向かおうとする。すかさずオレはその肩を掴む。

「待て! アンタも少し休め。オレが行くから」
「駄目よ。こういうのはリーダーの仕事だし」
「……わかった。じゃあ一緒に行こう。外の空気吸ったほ方がいいかも」
「な、なんなの? 気味悪いんですけど……?」
「リョウ、自分が涙声なのわかってる?」
「え?」

 途端に、リョウの目から雫がこぼれた。ここまで泣き言ひとつ言わず、皆を引っ張ってきたリーダーが、初めて見せた涙だった。