神主さんは、如月千草に向かって恭しく礼をした。
知り合いなのか?
見れば、巫女さんもきょとんとした目をしていた。
「おい、如月、知り合いなのか?」
「あ、うん。そんなものだね」
如月千草は、神主さんの方を見たまま、曖昧な返事をした。
神主さんは「いやあ、お久しぶりですなあ」と、間延びした声で言い、脂っぽい頬を撫でた。
「前に来たのが、いつでしたっけ?」
「ええと、二年前だね」
「もうそんなに経つんですか? ってことは、もう成人したんですか?」
「そうだね、だから、今は大学に…」
「大学ですか、綺麗になられて」
神主さんは大人らしく、余裕を持った声をしていた。
「御父様の仕事は継ぐんですか?」
「いや…、どうだろう? まだちょっとわからないや」
「そうですか。継いでくださったら、御父様もきっと喜ぶでしょうね」
「さあね? 喜ぶのやらどうやら?」
如月千草と、この神社の神主さんは、そうやって、身の上話を続けた。
忘れ物にされた僕と巫女さんがぼーっとしていると、神主さんが「あ、そうだ」と手を叩いて僕の方を見る。そして、険しい顔をした。
「とんでもないものに取り憑かれてますね」
「あ、はい」
この人も見える人か。
こう言う顔をされるのはもう慣れっこだった。神社や寺に行くと、大抵の人が、眉間に皺をよせて、唇を一文字に結びながら僕のことを見に来る。そして、僕の背後の存在に気付く。
これを祓おうとするか、放っておくかで、その人の賢さがわかった。当然、賢いのは後者だった。
「うーん…」
神主さんは数十秒唸り、僕の背後の「何か」を睨み続けた。
巫女さんが、「どうですか?」と聞いたが、答えなかった。
さらに十秒考えた後、神主さんは絞り出した。
「これは…、我々の手には負えませんね…」
「そうでしょう?」
如月千草がため息混じりに言った。
「私も何度か試したんだけど、びくともしないのよ、コイツ」
「千草さんでも通用しなかったんですか? それは…、流石に…」
「彼、他の神主や法師のところにも行ったらしいけど…、みんな無理だったらしいの。だから、試しに、『神様』の力を利用してみようと思ったんだけど…、あんまり効果は無かったね。ちょっとおとなしくなる感じ」
如月千草がははっと笑うと、ショルダーバッグに入れていたペットボトルを取り出し、中の霊水をシャカシャカと振った。
神主さんは、それを見て少し嬉しそうな顔をした。
「ああ、うちの霊水ですか。御神体の山から湧き出ているので、私よりも効果はありそうですね」
如月千草は、さらにショルダーバッグから観光パンフレットを取り出し、地図を広げて神主さんに見せた。
「ほら、これ…、他にもパワースポットを回ろうと思っているんだけど…、何処が良いと思う? 流石に、一日じゃ回れないから」
「そうですね…、こことかいいんじゃないですか? 坂を下ったところにバス停があるので、それに乗って行けば、十分くらいで着くことができますよ? ああでも、道がちょっと険しいので、その格好じゃ、怪我をするかも…」
「まあ、険しい道には慣れてるからね。父さんとの修行でよく歩いたから」
「ああ、そうですか。それなら安心ですね」
「うん」
神主さんは、僕と如月千草に「ちょっと待っててくださいね」と言うと、本殿の方へと走っていった。その間に、僕は無病息災のお守りを、彼女は学業のお守りを巫女さんから買った。お守りを受け渡すとき、巫女さんの手は震えていた。よっぽど僕の背中の『何か』が怖いのだろう。
本殿の方へと行っていた神主さんが、砂利を踏み鳴らしながら戻ってきた。
「千草さん、気休めになればいいですが…、これをどうぞ」
そう言って、五枚の護符を渡される。
如月千草は苦笑しながらそれを受け取った。
「悪いね」
「いえ…、人を助けるのが、我々の仕事ですから」
「うん、ありがたく受け取っておくよ。一応、私も札の囃し方は知ってるから」
札を観光パンフレットに挟み込むと、彼女は優しくショルダーバッグに仕舞いこんだ。
僕の方を振り返り、優しく微笑む。
「じゃあ、次に行こうか」
「あ、うん」
帰りに、参道の端に立ち並んだ出店を冷やかしで見て回ったが、特にこれと言ったものは無かった。
何も買わず、神社を後にする。
アスファルトで舗装された山道を歩きながら、僕は如月千草に先ほどのことを聞いた。
「前の神社もそうだけど…、如月って、なんかこう…、顔が広いな」
「そこまでも無いけどね」
彼女はそっけなく返事をし、ショルダーバッグからコンビニで買った霙飴を取り出し、コロンと舐めた。僕の方にも、一つイチゴ味を寄越してくる。
僕は飴を口に放り込み、もごもごとしながら続けた。
「如月の家って、なんなの?」
「会話で察してよ」
如月千草の声は、何処か突き放す感じだった。
落石だろうか? 彼女は、道端に落ちていたごろっとした石ころを厚底のサンダルで蹴飛ばした。石は地面を転がり、ガードレールの向こうの茂みに消えた。遅れて、バサバサッ! と雀のような小さな鳥が飛び立つ。
「あーあ、やっぱり気づかれたか…」
「気づかれたかって…、あの神主さんにばれたくなかったの?」
「まあ、そんな感じ」
如月千草は気まずそうな顔をして、後頭部をポリポリと掻いた。
「この神社…、効果はあるんだけどねえ…、神主さんが礼節を大切にする人だから…、出くわすと絶対に話し込んじゃうのよ。あー、めんどくさいめんどくさい、私が人見知りだって知らないのかな? まあ、知らないか…」
話し込むってほどの長さでも無かったけどな。
如月千草は「まあいいか…」と言うと、ショルダーバッグを上からぽんぽんと叩いた。
「護符をもらえたからね。嫌な思いをして出くわした甲斐があったもんだ」
「その護符って、使えるの?」
「リッカ君の部屋に貼ってあるやつよりはよっぽど効果があるよ? 何せ、神聖な霊水を使って擦った墨汁を使ってるからね」
「そうなんだ…」
僕がそう相槌を打つと、如月千草は我に返ったように、はっとした顔になった。
さっきの出来事を忘れるかのように、髪の毛を振り乱して首を横に振る。そして、いつもの快活な顔になると僕に微笑んだ。
「ま、そういうわけよ」
どういうわけだ?
疑問を残したまま、僕たちはバス停に着いた。神主さんは「徒歩十分」と言っていたが、実際はニ十分くらい歩いた気がする。まあ、十分程度の誤差は切り捨ててやるか。
近くにあった自販機で水を買い、ベンチに座ってちびちびと飲んでいると、坂道の向こうから市内バスが走ってきて僕たちの前に停車した。
「よし、行こうか」
「うん」
観光客らしき人たちが降りるのを待ってから、僕たちはバスに乗り込んだ。一応運転手に、「このバスは石野宮神社に行きますか?」と尋ねた、いかつい顔の運転手だったが、「はい、行きますよ」と穏やかに言われた。
バスの一番後ろに隣り合った座る。
僕は座席シートに背をもたれ、人がいないことをいいことに、脚をだらんと投げだした。
「歩き疲れた…。もう無理」
「まだ一件目でしょうが。この時間帯なら、あと三件は回れるけど? どこも山の中にあるから、結構歩かないとダメだよ?」
「それをさ、先に言ってくれよ。アパートを出る前にさ」
僕はパンパンに腫れたふくらはぎを親指で揉んで、気休め程度にほぐした。
如月千草は呆れたようにため息をついた。
「もう少し頑張れるものだと思ってた」
「逆に、如月が強すぎなんだよ」
僕は如月千草の顔を覗き込んだ。彼女の顔は、白くふっくらとしていて、まだまだ余裕って感じが滲み出ている。
「何か運動でもしてたの?」
「いや、運動は特に」
彼女は頬をぴくっと動かしてから、首を横に振った。
「霊力がある身…、神社に行く機会が多かったから…、自然と入り組んだ地形には強くなったの」
「へえ、羨ましいや」
僕はなぞるように言った。
アスファルトで舗装されているとは言え、山道には細かな落石や枝葉が落ちていて、それを踏むたびに、バスの大きな車体が揺れた。
その拍子に、僕と如月千草の肩が触れ合う。彼女ははなんてことないように、「あ、ごめん」と言ったが、僕はあの時の「除霊」が思い起こされ、一人で勝手に赤面した。
それがばれないように、右手で顔を抑え、下を向く。
僕がよっぽど疲れているように見えたのか、彼女は本気で心配した声をあげた。
「あの…、本当にきついの? なんかごめん…、もう旅館行く?」
「いや…、いい…」
僕は彼女の方を見なかった。
「せっかくなんだ、行けるところまで行こう」
「そう…」
それに、旅館に行くにはまだ早い時間…。
「って、え?」
僕はゆでだこのようになった顔を、如月千草の方に向けた。
彼女は面食らったような顔になり、「なに顔赤くしてんの?」と言った。そんなことはどうでもよくて…。
「え、旅館に行くの?」
知り合いなのか?
見れば、巫女さんもきょとんとした目をしていた。
「おい、如月、知り合いなのか?」
「あ、うん。そんなものだね」
如月千草は、神主さんの方を見たまま、曖昧な返事をした。
神主さんは「いやあ、お久しぶりですなあ」と、間延びした声で言い、脂っぽい頬を撫でた。
「前に来たのが、いつでしたっけ?」
「ええと、二年前だね」
「もうそんなに経つんですか? ってことは、もう成人したんですか?」
「そうだね、だから、今は大学に…」
「大学ですか、綺麗になられて」
神主さんは大人らしく、余裕を持った声をしていた。
「御父様の仕事は継ぐんですか?」
「いや…、どうだろう? まだちょっとわからないや」
「そうですか。継いでくださったら、御父様もきっと喜ぶでしょうね」
「さあね? 喜ぶのやらどうやら?」
如月千草と、この神社の神主さんは、そうやって、身の上話を続けた。
忘れ物にされた僕と巫女さんがぼーっとしていると、神主さんが「あ、そうだ」と手を叩いて僕の方を見る。そして、険しい顔をした。
「とんでもないものに取り憑かれてますね」
「あ、はい」
この人も見える人か。
こう言う顔をされるのはもう慣れっこだった。神社や寺に行くと、大抵の人が、眉間に皺をよせて、唇を一文字に結びながら僕のことを見に来る。そして、僕の背後の存在に気付く。
これを祓おうとするか、放っておくかで、その人の賢さがわかった。当然、賢いのは後者だった。
「うーん…」
神主さんは数十秒唸り、僕の背後の「何か」を睨み続けた。
巫女さんが、「どうですか?」と聞いたが、答えなかった。
さらに十秒考えた後、神主さんは絞り出した。
「これは…、我々の手には負えませんね…」
「そうでしょう?」
如月千草がため息混じりに言った。
「私も何度か試したんだけど、びくともしないのよ、コイツ」
「千草さんでも通用しなかったんですか? それは…、流石に…」
「彼、他の神主や法師のところにも行ったらしいけど…、みんな無理だったらしいの。だから、試しに、『神様』の力を利用してみようと思ったんだけど…、あんまり効果は無かったね。ちょっとおとなしくなる感じ」
如月千草がははっと笑うと、ショルダーバッグに入れていたペットボトルを取り出し、中の霊水をシャカシャカと振った。
神主さんは、それを見て少し嬉しそうな顔をした。
「ああ、うちの霊水ですか。御神体の山から湧き出ているので、私よりも効果はありそうですね」
如月千草は、さらにショルダーバッグから観光パンフレットを取り出し、地図を広げて神主さんに見せた。
「ほら、これ…、他にもパワースポットを回ろうと思っているんだけど…、何処が良いと思う? 流石に、一日じゃ回れないから」
「そうですね…、こことかいいんじゃないですか? 坂を下ったところにバス停があるので、それに乗って行けば、十分くらいで着くことができますよ? ああでも、道がちょっと険しいので、その格好じゃ、怪我をするかも…」
「まあ、険しい道には慣れてるからね。父さんとの修行でよく歩いたから」
「ああ、そうですか。それなら安心ですね」
「うん」
神主さんは、僕と如月千草に「ちょっと待っててくださいね」と言うと、本殿の方へと走っていった。その間に、僕は無病息災のお守りを、彼女は学業のお守りを巫女さんから買った。お守りを受け渡すとき、巫女さんの手は震えていた。よっぽど僕の背中の『何か』が怖いのだろう。
本殿の方へと行っていた神主さんが、砂利を踏み鳴らしながら戻ってきた。
「千草さん、気休めになればいいですが…、これをどうぞ」
そう言って、五枚の護符を渡される。
如月千草は苦笑しながらそれを受け取った。
「悪いね」
「いえ…、人を助けるのが、我々の仕事ですから」
「うん、ありがたく受け取っておくよ。一応、私も札の囃し方は知ってるから」
札を観光パンフレットに挟み込むと、彼女は優しくショルダーバッグに仕舞いこんだ。
僕の方を振り返り、優しく微笑む。
「じゃあ、次に行こうか」
「あ、うん」
帰りに、参道の端に立ち並んだ出店を冷やかしで見て回ったが、特にこれと言ったものは無かった。
何も買わず、神社を後にする。
アスファルトで舗装された山道を歩きながら、僕は如月千草に先ほどのことを聞いた。
「前の神社もそうだけど…、如月って、なんかこう…、顔が広いな」
「そこまでも無いけどね」
彼女はそっけなく返事をし、ショルダーバッグからコンビニで買った霙飴を取り出し、コロンと舐めた。僕の方にも、一つイチゴ味を寄越してくる。
僕は飴を口に放り込み、もごもごとしながら続けた。
「如月の家って、なんなの?」
「会話で察してよ」
如月千草の声は、何処か突き放す感じだった。
落石だろうか? 彼女は、道端に落ちていたごろっとした石ころを厚底のサンダルで蹴飛ばした。石は地面を転がり、ガードレールの向こうの茂みに消えた。遅れて、バサバサッ! と雀のような小さな鳥が飛び立つ。
「あーあ、やっぱり気づかれたか…」
「気づかれたかって…、あの神主さんにばれたくなかったの?」
「まあ、そんな感じ」
如月千草は気まずそうな顔をして、後頭部をポリポリと掻いた。
「この神社…、効果はあるんだけどねえ…、神主さんが礼節を大切にする人だから…、出くわすと絶対に話し込んじゃうのよ。あー、めんどくさいめんどくさい、私が人見知りだって知らないのかな? まあ、知らないか…」
話し込むってほどの長さでも無かったけどな。
如月千草は「まあいいか…」と言うと、ショルダーバッグを上からぽんぽんと叩いた。
「護符をもらえたからね。嫌な思いをして出くわした甲斐があったもんだ」
「その護符って、使えるの?」
「リッカ君の部屋に貼ってあるやつよりはよっぽど効果があるよ? 何せ、神聖な霊水を使って擦った墨汁を使ってるからね」
「そうなんだ…」
僕がそう相槌を打つと、如月千草は我に返ったように、はっとした顔になった。
さっきの出来事を忘れるかのように、髪の毛を振り乱して首を横に振る。そして、いつもの快活な顔になると僕に微笑んだ。
「ま、そういうわけよ」
どういうわけだ?
疑問を残したまま、僕たちはバス停に着いた。神主さんは「徒歩十分」と言っていたが、実際はニ十分くらい歩いた気がする。まあ、十分程度の誤差は切り捨ててやるか。
近くにあった自販機で水を買い、ベンチに座ってちびちびと飲んでいると、坂道の向こうから市内バスが走ってきて僕たちの前に停車した。
「よし、行こうか」
「うん」
観光客らしき人たちが降りるのを待ってから、僕たちはバスに乗り込んだ。一応運転手に、「このバスは石野宮神社に行きますか?」と尋ねた、いかつい顔の運転手だったが、「はい、行きますよ」と穏やかに言われた。
バスの一番後ろに隣り合った座る。
僕は座席シートに背をもたれ、人がいないことをいいことに、脚をだらんと投げだした。
「歩き疲れた…。もう無理」
「まだ一件目でしょうが。この時間帯なら、あと三件は回れるけど? どこも山の中にあるから、結構歩かないとダメだよ?」
「それをさ、先に言ってくれよ。アパートを出る前にさ」
僕はパンパンに腫れたふくらはぎを親指で揉んで、気休め程度にほぐした。
如月千草は呆れたようにため息をついた。
「もう少し頑張れるものだと思ってた」
「逆に、如月が強すぎなんだよ」
僕は如月千草の顔を覗き込んだ。彼女の顔は、白くふっくらとしていて、まだまだ余裕って感じが滲み出ている。
「何か運動でもしてたの?」
「いや、運動は特に」
彼女は頬をぴくっと動かしてから、首を横に振った。
「霊力がある身…、神社に行く機会が多かったから…、自然と入り組んだ地形には強くなったの」
「へえ、羨ましいや」
僕はなぞるように言った。
アスファルトで舗装されているとは言え、山道には細かな落石や枝葉が落ちていて、それを踏むたびに、バスの大きな車体が揺れた。
その拍子に、僕と如月千草の肩が触れ合う。彼女ははなんてことないように、「あ、ごめん」と言ったが、僕はあの時の「除霊」が思い起こされ、一人で勝手に赤面した。
それがばれないように、右手で顔を抑え、下を向く。
僕がよっぽど疲れているように見えたのか、彼女は本気で心配した声をあげた。
「あの…、本当にきついの? なんかごめん…、もう旅館行く?」
「いや…、いい…」
僕は彼女の方を見なかった。
「せっかくなんだ、行けるところまで行こう」
「そう…」
それに、旅館に行くにはまだ早い時間…。
「って、え?」
僕はゆでだこのようになった顔を、如月千草の方に向けた。
彼女は面食らったような顔になり、「なに顔赤くしてんの?」と言った。そんなことはどうでもよくて…。
「え、旅館に行くの?」