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 何処の学校もそうかもしれないが、僕の学校の文化祭では、合唱コンクールが毎年決まって行われた。各クラスで決めた曲を合唱。優秀賞を決める。審査は、近隣の小学校の音楽教師を招いて行った。
 パンケーキの屋台と、合唱の練習。文化祭までにやることはこの二つで、多忙を極めた。どのクラスも、両方を完璧にできるわけがないと最初から踏んでおり、合唱の方に力を込めるクラス。屋台の方に力を込めるクラスと様々だった。
 僕たちは、パンケーキの屋台を優先した。そっちの方が楽しかったからだ。歌うなんて、喉と足が疲れるだけ。対して、パンケーキは焼く練習をしているだけで、そのおこぼれをもらうことができて好評だった。
 もちろん、全く合唱の練習をしなかったわけではない。
 毎日、朝に一回。昼休みに二回。放課後に三回。後は、音楽の授業に数回歌った。それだけでも十分、恥をかかない程度には歌えるようになった。
 後はパンケーキに集中だ。
 女の子が好むような、可愛らしいデザインのケーキを焼いてみたり、来客のお年寄りも食べられるように、細かくカットしたケーキ。餡子も添えてみた。後は、育ち盛りの運動部が喜ぶ、がっつりとした大きさのやつ。
 沢山メニューを考えた。当然、僕は何も考えなかった。萩上や他の優秀な女子たちに従い、言われるがままにケーキを焼く練習をしただけだった。
 そして、文化祭当日。
 文化祭は二日間に渡って行われた。
 一日目は、合唱コンクール。
 二日目は、屋台などの出し物。
 パンケーキの屋台に力を入れていた僕たちは、一日目の合唱は特に思うことは無く歌った。
 そして、二日目から、頑張った。
 積極的に客引きをして、パンケーキを売りまくった。屋台は思ったよりも好評で、午前中だけで材料が切れてしまった。散々練習したのに、ほとんどのことを女子たちがこなしてしまい、男子の僕たちは買い出しに行かされた。思惑通り、可愛らしいデザインのケーキは女子に好評で、小さくカットして餡子添えたものはお年寄りが好んだ。ビックサイズのパンケーキは、男子が受け狙いで買いに来た。
 そして、文化祭はあっさりと終わった。
 僕たちのクラスは、出し物でも、そして、合唱コンクールでも、優勝した。
 パンケーキの屋台は、客の量や、反応から「もしかしたら、優勝できるかもね」と言い合っていた。だから、いざ、「出し物の部、優勝、二年三組」と言われた時、そこまでの驚きは無かった。
 心臓を射抜かれたような衝撃が走ったのは、「合唱コンクール優勝、二年三組」と校長が言った時だった。
 まさか、優勝するなんて思っていなかったんだ。
 体育館に集まった全校生徒が一斉に湧いたのを今でも覚えている。
 出し物の部、合唱コンクールの部。この二つ同時に優勝するクラスなど、いまだかつていなかったのだ。
 ひねくれていた僕は、八百長を疑った。話題を作るために、僕たちのクラスに二つの優勝を与えたのではないか? と。他のクラスも、「そんなわけないだろ」という奴らが少なからずいた。
 だけど、選考理由を聞いて、皆、納得した。
 パンケーキの屋台が優勝したのはわかり切ったこと。客のニーズにあったケーキを販売し、客引きを積極的で、好感が持てたということ。
 合唱コンクールで優勝した理由。
 それは、萩上千鶴の伴奏だった。
 歌唱や指揮は平均的だったが、彼女の弾くピアノが、他のクラスのピアノと一線を画していたのだ。そこで点数が跳ね上がった。
 あの文化祭を通して、萩上はまた、伝説のような存在となった。
 勉強もできて、運動もできて、そして、ピアノも弾ける。
 文化祭が終わった後も、その興奮は冷めることはなかった。
 休み時間が来れば、誰かが教室の隅の電子ピアノを引っ張り出してきていう。「萩上さん! 何か弾いてよ」と。
 彼女は少し困った顔をして、でも、決して拒まないで、ピアノの前に立ち、いろいろな曲を弾いた。彼女の弾けない曲なんて無いんじゃないか? って言うくらい、彼女は沢山の曲を弾くことができた。有名作曲家の名曲だったり、最近話題のアニメの曲だったり、耳にこびり付くようなCМソングだって、即興で弾いて見せた。
 みんな面白がって、「じゃあ、これは?」「これは弾けないの?」と、彼女にリクエストする。彼女は、「弾けるよ」と力強く言って、弾いて見せるのだ。
 本来なら「もう合唱コンクールは終わったぞ!」と注意する立場の先生でさえ、彼女の才能に感嘆の声を洩らし、「じゃあ、これは弾けないのか?」とリクエストしていた。当然、萩上は弾いていた。
 すごいなあ…。
 僕はそんなことを思いながら、横目で彼女を見た。
 文化祭が終わって、いつの日か、萩上が僕に話しかけたことがあった。
「ごめんね」
 萩上ははにかみ、頬を照れ臭そうに搔きながら言った。
 当然、何故彼女に謝られるのかわからなかった僕は「何のこと?」と聞いていた。
「僕、萩上になんかしたっけ?」
「文化祭のことだよ」
「文化祭?」
「ごめんね、桜井君、、せっかくパンケーキを焼く練習してくれたのに、ほとんど焼かせて上げられなかったから」
「ああ、そんなことか」
 すっかり忘れていた。
「別に気にするなよ。僕が焼くよりも、萩上とか、他の女子が焼いた方が断然綺麗に仕上がる」
「おつかいに行かせちゃって、ごめんね。お店まで歩くの大変だったでしょ?」
 あの時の文化祭で、僕に対して、「私たちが焼くから、あんたちは引っ込んでいて」「あんたたちは材料を買ってきて」と指示したのが、、萩上ではなく、他の仕切りたがりの女子であることを、僕は知っていた。だから、彼女が謝る理由がわからなかった。
「いいよ。別に」
 本当に、恨んでいなかった。
「逆に、学校がある日に、スーパーに出かけられたのは、妙な優越感があった。むしろ感謝しているさ」
 そう言っても、萩上は申し訳なさそうな顔を崩さなかった。
 僕が萩上に対して悪いことをしたような気分になって、僕は慌てて弁明した。
「ほら、材料買った後に、一緒にいた男子と、店先のガシャポンで遊んだんだよ。一人一回ずつ回して、一番レアなストラップを出した奴が優勝ってゲームをしたんだ」
 ほら。と、ポケットの中に入れていた自転車の鍵を取り出す。ゲームのモンスターの造形のストラップがぶら下がっていた。
 僕の馬鹿なエピソードを聞いて、萩上はやっと胸をなでおろした。
「そっか、それならよかった!」
「うん、気にするなよ」
 その時、教室の隅で駄弁っていた女子が、萩上を呼んだ。
「おーい! 萩上さーん!」
 萩上はスカートを翻して振り返り、「はーい」と返事した。その拍子に、彼女のスカートの中がちらっと見えたことは誰にも言わなかった。
 彼女が立ち去った後、僕の机の周りには、石鹸のような爽やかな香りが残っていた。