小さなアパートの一室。


『ねぇ、パパ。私、これからバイトだからさぁ。夕飯は、いつもみたいに冷蔵庫の中のを温めて食べてね』


俺の娘……。

妻と死別した俺にとって、この娘が俺のすべてだった。生きる意味。


『あぁ。帰りは、気をつけろよ? あと、遅くなるようなら電話をしろ。夜は、危ないから』


『もうっ! そんなに子供扱いしないでよ』


県立高校に今年入学した娘。うちの経済状況を察し、レストランでバイトを始めた。


親思いのとても………優しい娘……だった。


『パパ? そんなに恐い顔してどうしたの?』


『あぁ、ごめん。ごめん。大丈夫だよ。ほら、もう行きな』


娘のマナが、家を出ていく。俺は、閉まった玄関のドア音をテレビを見ながら聞いていた。
それが、生きた娘を見る最後とは知らずに。


いつもと変わらない。普通の日常。
音もなく突然壊れた。


どうして、あの時。行くな!って止めなかったのか。後悔は、死ぬまで続くだろう。

何度も何度も何度も何度も、繰り返し自分を責めた。

ーーーーあれから、もう一年が過ぎた。


当時と同じ部屋なのに、この部屋で落ち着くことはもう二度と出来ない。

娘は、あの日。

姿を消した。今も見つかっていない。だが、理由は分かっている。娘は、数人の男たちに襲われた。そして、奴等に喰われた。知っているのは、父親である俺だけ。

あの時。娘の携帯は通話中になっていて、俺の携帯に繋がっていたから。

娘が喰われる一部始終を俺は、仕事終わりに電話口で聞いた。


『獣人』


この一年で俺は、あと一歩まで奴等『獣人』を追い詰めていた。慣れないパソコンを駆使し、俺と同じように大切な人を獣に殺された方達と情報を共有する。もちろん、すべてが役立つ情報ではないが、中には見逃せない有力な情報もある。その一つ一つをパズルのように組み合わせ、一年かけてやっと奴等の巣を見つけた。

今夜、俺は娘を惨殺した『獣人』に復讐する。覚醒した奴らには、拳銃やナイフなどの殺傷武器が効かない。常人をはるかに越えた身体能力を持つ……。俺たち人間は、奴らの周りを飛び回る蠅と変わらない。
普通なら、復讐する前に俺の方が奴等に返り討ちにされるだろう。


でも今の俺には秘策があった。
闇ルートから手に入れたこの薬ーー。

服の内側のポケットに忍ばせた注射器。短時間なら、この薬で俺も獣人と同等の力を手にすることができる。
この一本の薬を手にする為に、俺は全財産を使った。明日からは、帰る家もない。
まぁ、復讐が終わればこの世に未練もない。死ぬつもりだ。だから、関係ない。


夕方。


俺は喪服に着替えるとアパートを出た。電車を乗り換え、駅から数キロ離れた奴等が集まるコンビニを目指す。


しばらく、遠くから見張る。

一時間………。

二時間………。

辺りが、真っ暗になる。人通りも少ない。
その時、道の反対側から、走ってくる女がいた。
その女の表情から、ただ事ではないと分かる。物陰から様子を伺っていた俺の方に向かって走ってくる。歳は、15ぐらいだろうか。俺の娘と大差ない。少女は、必死に何かから逃げていた。


飛び散る汗と………涙。


何から逃げてる?
コンビニを見つけ、少し安堵したのだろう。駆け足で中に入る。彼女は、知らない。このコンビニは、魔の巣だと。
明るい店内。陽気な音楽。すべてが、甘い罠。
店内で作業中の店員二人。俺は、そいつらの顔を知っていた。
娘を殺した男たち。何度も資料で確認したから間違いない。
俺は、注射器を取り出し、腕をまくる。
覚悟は出来てるつもりだったが、注射器が小刻みに震えていた。


この薬を俺に提供した痩せ男。獣人を見つけ、処刑する組織の幹部らしい。奴の不快な笑みが、一瞬頭をよぎった。

間をおいた俺は、周囲の異変に気付く。辺りが、やけに静か。無音。


「!?」


コンビニの窓ガラスが、真っ赤になっている。ペンキじゃない。あれは。


血……。


どうなってる。奴等が、いない。


それに誰だ?
あの血で汚れた店内で、笑いながら漫画を見ている仮面の女は。
床に散らばる肉と骨。
娘を殺した男たちを紙のようにちぎった女。


俺は、見た。

本物の悪魔をーーーーー。