梶君の中学校時代の話を聞いてから、数日後。いつも通り図書室で執筆をしていた私たちのところに、
「文芸部の諸君!」
文芸部顧問の松峰先生が、溌剌とした笑顔でやって来た。松峰先生は、若い女の先生だ。
「頑張ってる?」
「ええ。まあ……」
バシンと肩を叩かれた梶君が、首をすくめて、曖昧な返事をする。
「文化祭の企画、文芸部はどうするの?」
どうやら松峰先生は、もうじき開催される文化祭の出し物について尋ねに来たらしい。
「もう来月でしょ? 他の文化系の部活は、とっくに内容決めて、準備に入ってるわよ」
この高校は部活動が盛んなので、文化祭は、文化系の部活が様々な企画を行い、かなり盛り上がるらしい。
「文化祭って、文芸部も何かするの?」
梶君を見て問いかけたら、
「先輩に聞いた話だと、文芸部は、去年は、部員がおすすめする本の紹介をパネル展示したって言ってたかな」
と教えてくれた。
「へえー。パネル展示かぁ。今年もそれでいいんじゃないかな」
すると、松峰先生が、
「おすすめ本の紹介ですって? そんなのぬるい……ぬるいわっ」
と机の上に、ドンと両手をついた。
「は、はい?」
松峰先生の迫力に気おされ、私は身を引いた。
「君たちは文芸部でしょ? 本を出さなくてどうするの!」
「本?」
怪訝な表情をした梶君に、松峰先生は、
「君たち、小説を書きなさい。それを同人誌にして、文化祭当日、配布するの。部費は溜まってるから、オンデマンド印刷ならいける」
と言って、目をキラリと光らせた。
「本なんて無理ですよ」
私は、きっぱりと断った。
「どうして?」
「本にして、文化祭で配布するってことは、私が書いた小説を、不特定多数の人に読まれるってことですよね。そんなの恥ずかしすぎます」
小説と呼べるのかどうかも分からないつたないものを、梶君ならともかく、他の人に見せられるわけがない。
「最初は恥ずかしくても、慣れるわよ」
「いや……あまり、慣れたくないです」
私がそう言うと、松峰先生は苦笑した。
「自分の小説を人に読んでもらうのって、楽しいと思うけどね」
残念そうな顔をしている松峰先生を見ていると申し訳なくなるけれど、自分の小説を人に読んでもらう勇気は、私にはない。
「じゃあ、今年も、おすすめ本の紹介にしとく?」
「松峰先生」
黙って話を聞いていた梶君が、ふいに先生の名前を呼んだ。
「やります」
「はい?」
「えっ、梶君?」
松峰先生と私が、同時に声を上げた。梶君は真面目な表情で私たちを見た後、もう一度、
「文化祭に、文芸部で同人誌を出します」
はっきりした口調で言った。
「えええーっ! 待ってよ、梶君!」
「あら、出す? ほんとに出しちゃう? じゃあ、いっとこう!」
動揺して椅子から立ち上がった私の横で、松峰先生が楽しそうに手を叩いている。
「イヤだよ、私、無理、絶対無理!」
ぶんぶん首を振っている私を見上げ、梶君が、
「先生の言う通り、人に読んでもらうのって、いい勉強になるよ。独りよがりじゃなく、人に読まれるのに足る作品を書こうという気持ちになるし。実際、俺が読み始めてから、蒼井さんの小説って良くなってるよ。やってみない?」
と静かに語りかけた。
「でも、そうしたら、梶君……」
(霧島悠だってこと、バレない?)
心の中で問いかけたら、私の声が聞こえたかのように、梶君がニヤリと笑った。
「俺なら大丈夫。文体変えるから」
私たちのやり取りが分からなかったのか、松峰先生がきょとんとしている。けれど、すぐに笑顔になり、
「部長の梶君が乗り気だから、文芸部の文化祭の企画は、同人誌配布で決定ね。印刷会社は、私が探して調べておくわ。印刷所に原稿を送る締め切り日も、また伝えるね」
まるで自分が本を作るかのように、ウキウキとした調子で言った。
「えっ! 梶君、文芸部の部長だったの?」
松峰先生の言葉の中に、初耳の情報があり、私はびっくりして梶君を見た。
「言ってなかったっけ。入部してすぐに、先輩たちに押し付けられたって」
「聞いてない!」
ぶんぶんと首を振る。
「じゃあ、まあ……部長命令。蒼井さん、文化祭用の短編を書いて」
梶君がにこっと笑った。
ふい打ちの笑顔に、私は息を飲んだ。
(ちょっと、その顔、ずるい……)
そんなに素敵な笑顔を見せられたら、これ以上「イヤ」なんて言えない。
私は口を開けたり閉めたりし、なんとか断ろうとしたけれど、結局、
「うん、分かった……」
と頷いて、椅子に腰かけ直した。
なぜかほんのりと熱を持った頬に戸惑う。
梶君は、私の答えに満足げな表情を見せると、
「いい本を作るように頑張ります」
と松峰先生を見上げて、そう言った。
「文芸部の諸君!」
文芸部顧問の松峰先生が、溌剌とした笑顔でやって来た。松峰先生は、若い女の先生だ。
「頑張ってる?」
「ええ。まあ……」
バシンと肩を叩かれた梶君が、首をすくめて、曖昧な返事をする。
「文化祭の企画、文芸部はどうするの?」
どうやら松峰先生は、もうじき開催される文化祭の出し物について尋ねに来たらしい。
「もう来月でしょ? 他の文化系の部活は、とっくに内容決めて、準備に入ってるわよ」
この高校は部活動が盛んなので、文化祭は、文化系の部活が様々な企画を行い、かなり盛り上がるらしい。
「文化祭って、文芸部も何かするの?」
梶君を見て問いかけたら、
「先輩に聞いた話だと、文芸部は、去年は、部員がおすすめする本の紹介をパネル展示したって言ってたかな」
と教えてくれた。
「へえー。パネル展示かぁ。今年もそれでいいんじゃないかな」
すると、松峰先生が、
「おすすめ本の紹介ですって? そんなのぬるい……ぬるいわっ」
と机の上に、ドンと両手をついた。
「は、はい?」
松峰先生の迫力に気おされ、私は身を引いた。
「君たちは文芸部でしょ? 本を出さなくてどうするの!」
「本?」
怪訝な表情をした梶君に、松峰先生は、
「君たち、小説を書きなさい。それを同人誌にして、文化祭当日、配布するの。部費は溜まってるから、オンデマンド印刷ならいける」
と言って、目をキラリと光らせた。
「本なんて無理ですよ」
私は、きっぱりと断った。
「どうして?」
「本にして、文化祭で配布するってことは、私が書いた小説を、不特定多数の人に読まれるってことですよね。そんなの恥ずかしすぎます」
小説と呼べるのかどうかも分からないつたないものを、梶君ならともかく、他の人に見せられるわけがない。
「最初は恥ずかしくても、慣れるわよ」
「いや……あまり、慣れたくないです」
私がそう言うと、松峰先生は苦笑した。
「自分の小説を人に読んでもらうのって、楽しいと思うけどね」
残念そうな顔をしている松峰先生を見ていると申し訳なくなるけれど、自分の小説を人に読んでもらう勇気は、私にはない。
「じゃあ、今年も、おすすめ本の紹介にしとく?」
「松峰先生」
黙って話を聞いていた梶君が、ふいに先生の名前を呼んだ。
「やります」
「はい?」
「えっ、梶君?」
松峰先生と私が、同時に声を上げた。梶君は真面目な表情で私たちを見た後、もう一度、
「文化祭に、文芸部で同人誌を出します」
はっきりした口調で言った。
「えええーっ! 待ってよ、梶君!」
「あら、出す? ほんとに出しちゃう? じゃあ、いっとこう!」
動揺して椅子から立ち上がった私の横で、松峰先生が楽しそうに手を叩いている。
「イヤだよ、私、無理、絶対無理!」
ぶんぶん首を振っている私を見上げ、梶君が、
「先生の言う通り、人に読んでもらうのって、いい勉強になるよ。独りよがりじゃなく、人に読まれるのに足る作品を書こうという気持ちになるし。実際、俺が読み始めてから、蒼井さんの小説って良くなってるよ。やってみない?」
と静かに語りかけた。
「でも、そうしたら、梶君……」
(霧島悠だってこと、バレない?)
心の中で問いかけたら、私の声が聞こえたかのように、梶君がニヤリと笑った。
「俺なら大丈夫。文体変えるから」
私たちのやり取りが分からなかったのか、松峰先生がきょとんとしている。けれど、すぐに笑顔になり、
「部長の梶君が乗り気だから、文芸部の文化祭の企画は、同人誌配布で決定ね。印刷会社は、私が探して調べておくわ。印刷所に原稿を送る締め切り日も、また伝えるね」
まるで自分が本を作るかのように、ウキウキとした調子で言った。
「えっ! 梶君、文芸部の部長だったの?」
松峰先生の言葉の中に、初耳の情報があり、私はびっくりして梶君を見た。
「言ってなかったっけ。入部してすぐに、先輩たちに押し付けられたって」
「聞いてない!」
ぶんぶんと首を振る。
「じゃあ、まあ……部長命令。蒼井さん、文化祭用の短編を書いて」
梶君がにこっと笑った。
ふい打ちの笑顔に、私は息を飲んだ。
(ちょっと、その顔、ずるい……)
そんなに素敵な笑顔を見せられたら、これ以上「イヤ」なんて言えない。
私は口を開けたり閉めたりし、なんとか断ろうとしたけれど、結局、
「うん、分かった……」
と頷いて、椅子に腰かけ直した。
なぜかほんのりと熱を持った頬に戸惑う。
梶君は、私の答えに満足げな表情を見せると、
「いい本を作るように頑張ります」
と松峰先生を見上げて、そう言った。