駿人さんと和解らしきものをしたわたしたちは、その二日後ドイツからオーストリアに入った。
一部地域を除いて国境審査のないヨーロッパ。同じドイツ語圏内ということもあって、ザルツブルクの駅構内の表示はドイツとそう変わらず、けれどもスーパーにはモーツァルトの肖像が描かれたお菓子がたくさん売っていたりして。
そういう些細な変化でわたしはようやくオーストリアに来たのだと実感した。
「ここからは約束通り自由行動でしょう。わたしはこれからカフェに行くんだ」
「へえ、どこの?」
「ガイドブックに載っているカフェに行きたくって。とっても可愛い内装で、ケーキも美味しいんだって。なんでも、ピスタチオ味のマジパンの入ったチョコレート菓子発祥の地として有名なんだって」
わたしは鼻息荒く説明した。
午前中にザルツブルクへ到着をしたわたしたちはその足でミラベル宮殿やザンクト・ペーター教会と墓地や大聖堂などを見て回った。
そのあと、昼食は旧市街のレジデンツ広場に面したカフェレストランに。ヨーロッパは一皿がとても大きくて、このときばかりは駿人さんがいてくれると助かる。
そしてこれからは待ちに待った自由行動。
フュッセン行きの列車の中で和解したわたしたちは穏やかに旅を続けている。
約束事は、お互いを尊重すること。プライバシーの尊重だ。ようするに、適度な個人行動を認めるということ。
だって、さすがにずっと誰かと行動すると息が詰まっちゃうから。宿泊部屋は別々なんだけど、ゆっくり買い物だってしたいのだ。
「俺も行く」
わたしはじとっと駿人さんを見つめた。
この人、まだわたしのことを子ども扱いするのか。
「いや、俺もちょうど小腹が減ったし。ほら、有名な店なら同僚に土産を買うのもやぶさかではないし」
「……しょうがないなあ」
たしかにモーツァルトクーゲルンというお菓子はザルツブルクでは定番のお菓子だ。発祥の地の店ならば駿人が興味を持ってもおかしくない。
ゲトライデガッセ通りは観光客も多い目抜き通り。左右には土産物店が並び、つい目移りしてしまう。
「見てく?」
あんまりにもわたしが注意散漫になっていたのか、駿人さんが口元を緩めながら尋ねてきた。
「ううん。あとでいい。カフェ、人気みたいだから先に行く」
到着をしたカフェはこじんまりとした小さな店。家庭的な内装は女の子らしさで溢れていて、わたしの中にかろうじて残っている乙女心がくすぐられた。
あいにくと店内は満席で、待ち時間を使ってショーケースののケーキをじっくりと吟味した。どのケーキも美味しそうで、どれを選ぶべきか。うーん、迷ってしまう。
「やばい。どれも美味しそうで決められない」
「俺も」
なんて、駿人さんもまんざらでもなさそうで、二人して数々のケーキに目を奪われていたら、待ち時間も苦にならなかった。
しばらくして二人掛けの席に案内されて、わたしが迷いに迷ってオーダーしたのはチョコレートケーキ。素朴な飾りつけのケーキだけれど、スポンジとクリームが何層にも重なっていて断面が可愛らしい。
「ん、美味しい。もっと甘いのかなって思っていたけど、そこまででもないね。やーん、美味しくって幸せ」
「うまいな。さすが人気店。オーストリア、クオリティ高いな」
駿人さんが満足そうに目を細めた。
彼の前にもわたしとは違う種類のチョコレートケーキが置かれている。
「わたし、オーストリアではわたしできるだけカフェに行こうって決めているんだ」
何しろオーストリアといえばカフェだ。数日後に向かうウィーンでも、行きたいカフェはたくさんある。何しろザッハトルテ発祥の地なのだ。これはもう行くっきゃない。
「俺も付き合うよ」
「え、でも……。駿人さんこういうところあんまり好きじゃないでしょ」
とは言うものの、実はわたし駿人さんの嗜好をよく知らない。二人きりで出かけたことなんてなかった。
ケーキをもう一口。やっぱり美味しくってほわんと頬が緩んでしまう。
それにしても、駿人さんはいったいどういうつもりだろう。まだ保護者面をするつもりなの? それとも……ケーキが好きだとか?
わたしは駿人さんの頼んだケーキを見つめた。すでに八割方なくなっている。
「……俺だって、食べたいんだよ」
ぼそりと声が聞こえてきた。少々ぶっきらぼうに聞こえるのは、気のせいか。
「何を?」
「……ケーキ」
観念したかのように、駿人さんが口を開いた。
ええと、要するにこれって、わたしの保護者というよりもむしろ……。
「駿人さん甘いもの好きなんだ」
「悪いか」
「いや、別に」
わたしはきょとんとした。今どきスイーツ男子なんて珍しくもない。会社でもチョコレートバーをバリボリ食べていた男性社員とか普通にいたし。いや、あれは本能が糖分を欲していただけかもしれないが。
「普通、男が甘いものに執着するとかカッコ悪く見られたりするだろ」
「そうかな?」
「そうなんだよ」
「ああ、もしかして歴代のカノジョに何か言われた?」
「ノーコメント」
ここで余計なことを聞いてしまうのがわたしという生き物らしい。
そして、彼の反応から図星だと察した。
彼はまだばつが悪そうにしている。どうやら相当恥ずかしがっているようだ。
もしかしたら、一見クールそうに見える外見に惹かれた女性には、彼の甘いもの好きががっかりポイントだったのかもしれない。
……別に、駿人さんがどんな女性と付き合っていたかなんてわたしには関係ないけど。
「わたしは気にしないけどな」
普段完璧な彼の一部に触れることができてほんのり嬉しくなる。彼でも照れ隠しをするらしい。
一部地域を除いて国境審査のないヨーロッパ。同じドイツ語圏内ということもあって、ザルツブルクの駅構内の表示はドイツとそう変わらず、けれどもスーパーにはモーツァルトの肖像が描かれたお菓子がたくさん売っていたりして。
そういう些細な変化でわたしはようやくオーストリアに来たのだと実感した。
「ここからは約束通り自由行動でしょう。わたしはこれからカフェに行くんだ」
「へえ、どこの?」
「ガイドブックに載っているカフェに行きたくって。とっても可愛い内装で、ケーキも美味しいんだって。なんでも、ピスタチオ味のマジパンの入ったチョコレート菓子発祥の地として有名なんだって」
わたしは鼻息荒く説明した。
午前中にザルツブルクへ到着をしたわたしたちはその足でミラベル宮殿やザンクト・ペーター教会と墓地や大聖堂などを見て回った。
そのあと、昼食は旧市街のレジデンツ広場に面したカフェレストランに。ヨーロッパは一皿がとても大きくて、このときばかりは駿人さんがいてくれると助かる。
そしてこれからは待ちに待った自由行動。
フュッセン行きの列車の中で和解したわたしたちは穏やかに旅を続けている。
約束事は、お互いを尊重すること。プライバシーの尊重だ。ようするに、適度な個人行動を認めるということ。
だって、さすがにずっと誰かと行動すると息が詰まっちゃうから。宿泊部屋は別々なんだけど、ゆっくり買い物だってしたいのだ。
「俺も行く」
わたしはじとっと駿人さんを見つめた。
この人、まだわたしのことを子ども扱いするのか。
「いや、俺もちょうど小腹が減ったし。ほら、有名な店なら同僚に土産を買うのもやぶさかではないし」
「……しょうがないなあ」
たしかにモーツァルトクーゲルンというお菓子はザルツブルクでは定番のお菓子だ。発祥の地の店ならば駿人が興味を持ってもおかしくない。
ゲトライデガッセ通りは観光客も多い目抜き通り。左右には土産物店が並び、つい目移りしてしまう。
「見てく?」
あんまりにもわたしが注意散漫になっていたのか、駿人さんが口元を緩めながら尋ねてきた。
「ううん。あとでいい。カフェ、人気みたいだから先に行く」
到着をしたカフェはこじんまりとした小さな店。家庭的な内装は女の子らしさで溢れていて、わたしの中にかろうじて残っている乙女心がくすぐられた。
あいにくと店内は満席で、待ち時間を使ってショーケースののケーキをじっくりと吟味した。どのケーキも美味しそうで、どれを選ぶべきか。うーん、迷ってしまう。
「やばい。どれも美味しそうで決められない」
「俺も」
なんて、駿人さんもまんざらでもなさそうで、二人して数々のケーキに目を奪われていたら、待ち時間も苦にならなかった。
しばらくして二人掛けの席に案内されて、わたしが迷いに迷ってオーダーしたのはチョコレートケーキ。素朴な飾りつけのケーキだけれど、スポンジとクリームが何層にも重なっていて断面が可愛らしい。
「ん、美味しい。もっと甘いのかなって思っていたけど、そこまででもないね。やーん、美味しくって幸せ」
「うまいな。さすが人気店。オーストリア、クオリティ高いな」
駿人さんが満足そうに目を細めた。
彼の前にもわたしとは違う種類のチョコレートケーキが置かれている。
「わたし、オーストリアではわたしできるだけカフェに行こうって決めているんだ」
何しろオーストリアといえばカフェだ。数日後に向かうウィーンでも、行きたいカフェはたくさんある。何しろザッハトルテ発祥の地なのだ。これはもう行くっきゃない。
「俺も付き合うよ」
「え、でも……。駿人さんこういうところあんまり好きじゃないでしょ」
とは言うものの、実はわたし駿人さんの嗜好をよく知らない。二人きりで出かけたことなんてなかった。
ケーキをもう一口。やっぱり美味しくってほわんと頬が緩んでしまう。
それにしても、駿人さんはいったいどういうつもりだろう。まだ保護者面をするつもりなの? それとも……ケーキが好きだとか?
わたしは駿人さんの頼んだケーキを見つめた。すでに八割方なくなっている。
「……俺だって、食べたいんだよ」
ぼそりと声が聞こえてきた。少々ぶっきらぼうに聞こえるのは、気のせいか。
「何を?」
「……ケーキ」
観念したかのように、駿人さんが口を開いた。
ええと、要するにこれって、わたしの保護者というよりもむしろ……。
「駿人さん甘いもの好きなんだ」
「悪いか」
「いや、別に」
わたしはきょとんとした。今どきスイーツ男子なんて珍しくもない。会社でもチョコレートバーをバリボリ食べていた男性社員とか普通にいたし。いや、あれは本能が糖分を欲していただけかもしれないが。
「普通、男が甘いものに執着するとかカッコ悪く見られたりするだろ」
「そうかな?」
「そうなんだよ」
「ああ、もしかして歴代のカノジョに何か言われた?」
「ノーコメント」
ここで余計なことを聞いてしまうのがわたしという生き物らしい。
そして、彼の反応から図星だと察した。
彼はまだばつが悪そうにしている。どうやら相当恥ずかしがっているようだ。
もしかしたら、一見クールそうに見える外見に惹かれた女性には、彼の甘いもの好きががっかりポイントだったのかもしれない。
……別に、駿人さんがどんな女性と付き合っていたかなんてわたしには関係ないけど。
「わたしは気にしないけどな」
普段完璧な彼の一部に触れることができてほんのり嬉しくなる。彼でも照れ隠しをするらしい。