城を追い出されたマゼンタとバン爺、バン爺は失意で落ち込み、マゼンタは納得いかない様子だった。
「……なんで黙って行っちゃうわけ?」
「……仕方あるまい。結局は家族の問題じゃからな。それに、シアンが選んだことじゃ」
「選んだんじゃなくって、選ばされたんでしょ?」
「……人間、必ずしも自分の意志を自由にしとるわけじゃあないじゃろ」
「それにしてもあきらめるのが早いよっ」
「……計算外じゃった。シアンが気がかりにしとったのは、親父さんだけじゃあなく、お袋さんの事情まであったんはな。ああなると、部外者がどうこう言うても通用せんよ」
「……てっきり、力づくでもシアンくんを助けるもんだと思ってたよ」
「よその家庭の事のことを、そこまで引っかき回す権限なんぞワシにはないよ」
「じゃあ、どうしてここまで来たのさ?」
「……ワシはあの子を助ければ、自分の中でのけじめをつけられると思うとった。かつては何もしないで見殺しにしてしまった命を、今度こそはと。そうすれば、死なんですんだ命があったのだと、そう思える気がしてな……。せめて、やれるだけの事はやろうと……。」
「……バン爺」
「結局、ワシもアイリス伯も、やっとることは同じじゃった。過去に囚われて、それを埋め合わせようと現在をないがしろにしとる。奴は手に入らなかった栄光と事故死した妻、ワシは自殺した息子……情けないのう、思い出と戦っても勝てはせんというのに」
「……違うよ」
「……何じゃ?」
「バン爺の息子さんは自殺したんじゃあないよ……。」
「……どういう意味じゃ?」
※
「あなた、あの人を知ってるの!?」
それまで見知らぬ人間に警戒をしていた、川辺に献花をしていた女は、今では血相を変えてマゼンタに迫っていた。
「えっと、いや、何て言うか、知り合いというか、知り合いの息子さんというか……。」
女の思わぬ反応に、マゼンタはしどろもどろに答える。
「……良かったぁ。ようやく……見つかった……。」
女はマゼンタの目の前で地面に座り込むと、深くため息をついた。
「……あの、おねえさんは一体、その人とどういう……?」
女は顔を上げる。目尻には涙のしずくがあった。
「命の……恩人なんです」
「え?」
女はゆっくりと立ち上がり、思い出をふり返るように川を見る。
「……15年前、川でおぼれてた私を助けてくれたんですよ」
マゼンタは川を見る。そこまで流れの激しい川には見えなかった。
「……昔、増水したって話を聞いたんだけど。……その時に?」
女は首をふって言った。
「……その少し前。……あの頃、うちは父が借金を抱えたまま亡くなってしまって、母は毎日のように借金取りに取り立てを受けてて……。母も働いてはいたんですが、全然返済に追いつかなくって……。だんだん母はやつれて、子供ながらにそんな母がどうかなってしまうんじゃないかと心配してました。ある夜、頬がこけて顔も蒼白していた母が、夕涼みに行こうとわたしを外に連れ出して……。母の様子がおかしかったのは気づいてたけれど、毎日忙しい母の気分転換になればと、一緒に出かけたんです……。」
※※
少女は母と一緒に川辺に立っていた。楽しいものではなかった。ただ、夜の川を母と一緒に眺めているだけだったのだから。雨は降っていなかったが、空は厚い雲に覆われ月明りがなく、川は闇色に染まっていた。
「……母さん、川なんて見てても面白くないよ。……そろそろ帰らない? ……母さん?」
母は少女の体に縄を結びつけていた。
「……何してるの?」
しかし、母は何も答えない。鬼気迫る勢いで娘の体をきつく縛り続けていた。
「……ねぇ、ちょっと、何?」
そして母は自分の体も縄で縛り始める。
「……ねぇ、怖いよ、やだよ、母さんどうしたの?」
少女は体を引いて母から逃げようとする。しかし、やせ細った母の体だったが、決意が彼女の体に作用しているのか、びくともしなかった。
さらに、母は石をポケットに入れ始めた。
「ねぇ、どうしたの? ねぇ、おかしいよ、母さんっ」
母は少女に言った。その顔の白さは、暗闇だというのに少女に鮮明に見えた。
「……お父さんのところに行きましょう」
「……え?」
そして母は川に飛び込んだ。
「きゃああ!」
母に引きずり込まれ、少女も川の中に落ちていった。
「た、助け……て……。」
少女は川岸に戻ろうとするが、心を決めている母はより深い場所へと進んでいく。
「が、がぶっ、だ、誰か……!」
水位が肩まで及び、少女は叫ぼうとしても水を飲み込みうまくできない。
意識が遠のいていき、少女から生の執着も消えようとしていた時に、遠く声が聞こえてきた。
「何やってるんだ!」
──誰?
激しい水しぶきと体のゆれる衝撃、おぼろげな意識の中で少女は男の顔を見た。30歳くらいの男だった。
男は少女をわきに抱えると川岸に泳ぎ始める。しかし、うまく前進しない。男が引っ張っているのは、少女の体だけではなかった。縄でくくられている少女の母、しかも川の深淵に向かおうとしている体だった。
「がぶぅあ、がばぁ!」
男も水を飲み込みながら、想像以上の体力を使用して少女を引っ張る。
「邪魔しないでぇ!」
「く、くそ、あんた何やってんだよぉっ」
男と少女の母は、川の中で少女を綱引きのように引っ張り合っていた。
このままでは埒があかない、そう思った男は術式で少女の縄を切ろうと試みた。
消耗した体力、死が迫る緊急性、水の中という不安定な状況下、術式を使うには難しい状況だったが、男は川底の小石を拾うと術式を開始した。
父を目指して身につけた大地の術式、その力を使って、小石を金属製の刃に作り替えたのだ。
「う、くそ……。」
男は刃で少女の体に食い込む縄に切れ目を入れ、ついに少女の体を解放した。少女は一気に浅瀬までたどり着いた。
「おにいさん!」
解放された少女は浅瀬から男に手を伸ばす。男はその手を握ろうとしたが、不十分な状況でのオドの使用で、男には体力が残されていなかった。
「あ……あ……。」
そして、男の姿は真っ暗な川の中に消えていった。
川辺に上がった少女は呆然と座り込んでいた。その隣には、男が脱ぎ捨てた靴が置かれていた。
少女がその靴に手を伸ばそうとすると、突然、川の中からジャバっと水の音がした。少女は男が無事だったのかとその方向を見る。
しかし、そこに立っていたのは少女の母親だった。
「き、きゃあああ!」
母親は鬼気迫る顔で川の中から少女に迫る。少女はたまらずに川辺から逃げ出した。
※※
「……どうして今になって?」
「故郷を飛び出してから、ずっとここには戻らなかったんです。母に見つかるのが恐ろしかったから……。でも、もうこの歳だし母を恐れる必要もないから、命の恩人を探そうと思って……。それに今は夫も一緒だから……」
女は土手の上を見た。マゼンタもその方向を見る。そこには男がいた。
「……それと」
女は自分のお腹に手を当てた。
※
マゼンタから話を聞き終わった後、バン爺は道端にあった大きな石にへたり込み頭を抱えた。
「……息子は、自殺したんじゃあなかったんか」
「……それどころか、見ず知らずの少女を助けたんだよ」
バン爺はひとりごとのように言う。
「ワシが勝手に……息子が絶望しとったと思うとったのか……。」
「……それとね、そのおねえさんが息子さんを探してた理由が他にもあるの」
「……何じゃ?」
「そのおねえさん、お腹に子供がいるんだって。それでね、もし男の子が生まれたら、その子に自分の命の恩人の……バン爺の息子さんの名前をつけようって……。」
バン爺は深くうなだれた。
「……そうか」
「……バン爺、息子さんは自分を犠牲にして人を助けたんだよ。バン爺はそのお父さんでしょ? だったら、まだやることがあるんじゃないの?」
バン爺は顔を上げる。
「……うむ、あの世で息子に叱られてしまうのう」
バン爺は立ち上がった。
「……行くかの、マゼンタ」
「うん」
そうしてふたりはふり返り、アイリス伯の城を見た。
すると城が爆発した。
「「え?」」
「……なんで黙って行っちゃうわけ?」
「……仕方あるまい。結局は家族の問題じゃからな。それに、シアンが選んだことじゃ」
「選んだんじゃなくって、選ばされたんでしょ?」
「……人間、必ずしも自分の意志を自由にしとるわけじゃあないじゃろ」
「それにしてもあきらめるのが早いよっ」
「……計算外じゃった。シアンが気がかりにしとったのは、親父さんだけじゃあなく、お袋さんの事情まであったんはな。ああなると、部外者がどうこう言うても通用せんよ」
「……てっきり、力づくでもシアンくんを助けるもんだと思ってたよ」
「よその家庭の事のことを、そこまで引っかき回す権限なんぞワシにはないよ」
「じゃあ、どうしてここまで来たのさ?」
「……ワシはあの子を助ければ、自分の中でのけじめをつけられると思うとった。かつては何もしないで見殺しにしてしまった命を、今度こそはと。そうすれば、死なんですんだ命があったのだと、そう思える気がしてな……。せめて、やれるだけの事はやろうと……。」
「……バン爺」
「結局、ワシもアイリス伯も、やっとることは同じじゃった。過去に囚われて、それを埋め合わせようと現在をないがしろにしとる。奴は手に入らなかった栄光と事故死した妻、ワシは自殺した息子……情けないのう、思い出と戦っても勝てはせんというのに」
「……違うよ」
「……何じゃ?」
「バン爺の息子さんは自殺したんじゃあないよ……。」
「……どういう意味じゃ?」
※
「あなた、あの人を知ってるの!?」
それまで見知らぬ人間に警戒をしていた、川辺に献花をしていた女は、今では血相を変えてマゼンタに迫っていた。
「えっと、いや、何て言うか、知り合いというか、知り合いの息子さんというか……。」
女の思わぬ反応に、マゼンタはしどろもどろに答える。
「……良かったぁ。ようやく……見つかった……。」
女はマゼンタの目の前で地面に座り込むと、深くため息をついた。
「……あの、おねえさんは一体、その人とどういう……?」
女は顔を上げる。目尻には涙のしずくがあった。
「命の……恩人なんです」
「え?」
女はゆっくりと立ち上がり、思い出をふり返るように川を見る。
「……15年前、川でおぼれてた私を助けてくれたんですよ」
マゼンタは川を見る。そこまで流れの激しい川には見えなかった。
「……昔、増水したって話を聞いたんだけど。……その時に?」
女は首をふって言った。
「……その少し前。……あの頃、うちは父が借金を抱えたまま亡くなってしまって、母は毎日のように借金取りに取り立てを受けてて……。母も働いてはいたんですが、全然返済に追いつかなくって……。だんだん母はやつれて、子供ながらにそんな母がどうかなってしまうんじゃないかと心配してました。ある夜、頬がこけて顔も蒼白していた母が、夕涼みに行こうとわたしを外に連れ出して……。母の様子がおかしかったのは気づいてたけれど、毎日忙しい母の気分転換になればと、一緒に出かけたんです……。」
※※
少女は母と一緒に川辺に立っていた。楽しいものではなかった。ただ、夜の川を母と一緒に眺めているだけだったのだから。雨は降っていなかったが、空は厚い雲に覆われ月明りがなく、川は闇色に染まっていた。
「……母さん、川なんて見てても面白くないよ。……そろそろ帰らない? ……母さん?」
母は少女の体に縄を結びつけていた。
「……何してるの?」
しかし、母は何も答えない。鬼気迫る勢いで娘の体をきつく縛り続けていた。
「……ねぇ、ちょっと、何?」
そして母は自分の体も縄で縛り始める。
「……ねぇ、怖いよ、やだよ、母さんどうしたの?」
少女は体を引いて母から逃げようとする。しかし、やせ細った母の体だったが、決意が彼女の体に作用しているのか、びくともしなかった。
さらに、母は石をポケットに入れ始めた。
「ねぇ、どうしたの? ねぇ、おかしいよ、母さんっ」
母は少女に言った。その顔の白さは、暗闇だというのに少女に鮮明に見えた。
「……お父さんのところに行きましょう」
「……え?」
そして母は川に飛び込んだ。
「きゃああ!」
母に引きずり込まれ、少女も川の中に落ちていった。
「た、助け……て……。」
少女は川岸に戻ろうとするが、心を決めている母はより深い場所へと進んでいく。
「が、がぶっ、だ、誰か……!」
水位が肩まで及び、少女は叫ぼうとしても水を飲み込みうまくできない。
意識が遠のいていき、少女から生の執着も消えようとしていた時に、遠く声が聞こえてきた。
「何やってるんだ!」
──誰?
激しい水しぶきと体のゆれる衝撃、おぼろげな意識の中で少女は男の顔を見た。30歳くらいの男だった。
男は少女をわきに抱えると川岸に泳ぎ始める。しかし、うまく前進しない。男が引っ張っているのは、少女の体だけではなかった。縄でくくられている少女の母、しかも川の深淵に向かおうとしている体だった。
「がぶぅあ、がばぁ!」
男も水を飲み込みながら、想像以上の体力を使用して少女を引っ張る。
「邪魔しないでぇ!」
「く、くそ、あんた何やってんだよぉっ」
男と少女の母は、川の中で少女を綱引きのように引っ張り合っていた。
このままでは埒があかない、そう思った男は術式で少女の縄を切ろうと試みた。
消耗した体力、死が迫る緊急性、水の中という不安定な状況下、術式を使うには難しい状況だったが、男は川底の小石を拾うと術式を開始した。
父を目指して身につけた大地の術式、その力を使って、小石を金属製の刃に作り替えたのだ。
「う、くそ……。」
男は刃で少女の体に食い込む縄に切れ目を入れ、ついに少女の体を解放した。少女は一気に浅瀬までたどり着いた。
「おにいさん!」
解放された少女は浅瀬から男に手を伸ばす。男はその手を握ろうとしたが、不十分な状況でのオドの使用で、男には体力が残されていなかった。
「あ……あ……。」
そして、男の姿は真っ暗な川の中に消えていった。
川辺に上がった少女は呆然と座り込んでいた。その隣には、男が脱ぎ捨てた靴が置かれていた。
少女がその靴に手を伸ばそうとすると、突然、川の中からジャバっと水の音がした。少女は男が無事だったのかとその方向を見る。
しかし、そこに立っていたのは少女の母親だった。
「き、きゃあああ!」
母親は鬼気迫る顔で川の中から少女に迫る。少女はたまらずに川辺から逃げ出した。
※※
「……どうして今になって?」
「故郷を飛び出してから、ずっとここには戻らなかったんです。母に見つかるのが恐ろしかったから……。でも、もうこの歳だし母を恐れる必要もないから、命の恩人を探そうと思って……。それに今は夫も一緒だから……」
女は土手の上を見た。マゼンタもその方向を見る。そこには男がいた。
「……それと」
女は自分のお腹に手を当てた。
※
マゼンタから話を聞き終わった後、バン爺は道端にあった大きな石にへたり込み頭を抱えた。
「……息子は、自殺したんじゃあなかったんか」
「……それどころか、見ず知らずの少女を助けたんだよ」
バン爺はひとりごとのように言う。
「ワシが勝手に……息子が絶望しとったと思うとったのか……。」
「……それとね、そのおねえさんが息子さんを探してた理由が他にもあるの」
「……何じゃ?」
「そのおねえさん、お腹に子供がいるんだって。それでね、もし男の子が生まれたら、その子に自分の命の恩人の……バン爺の息子さんの名前をつけようって……。」
バン爺は深くうなだれた。
「……そうか」
「……バン爺、息子さんは自分を犠牲にして人を助けたんだよ。バン爺はそのお父さんでしょ? だったら、まだやることがあるんじゃないの?」
バン爺は顔を上げる。
「……うむ、あの世で息子に叱られてしまうのう」
バン爺は立ち上がった。
「……行くかの、マゼンタ」
「うん」
そうしてふたりはふり返り、アイリス伯の城を見た。
すると城が爆発した。
「「え?」」