ダリア伯の屋敷ではささやかな宴が始められていた。
 貴族の食事に招かれているということで、マゼンタはマナーが分からず苦労していたが、シアンはテーブルマナーをしっかりと身につけていた。
 そんなシアンを見ながら、ダリア伯は「感心な少年ですなぁ」と頬をゆるませる。シアンの美しい容姿に完ぺきなマナーが併せられると、大人は見てるだけで機嫌が良くなるようだった。
 しかし、そんなシアンをバン爺をダリア伯と同じようには見ていなかった。そのシアンの落ち着きぶりに不自然さを感じていた。

 ダリア伯はナプキンで口をぬぐって言った。
「……それで、これからローゼス卿はどちらまで向かうご予定なので?」
「うむ……そのことなんじゃが……。今回お前さんの所に足を運んだのは、ちぃとばかし頼みごとがあったからなんじゃ」
「……はて、何でしょうか?」
「実は……王室に口添えを頼みたくての」
 ダリア伯はテーブルの上のナプキンをたたみなおした。
「……どういった事をでしょうか?」

 バン爺はシアンを見る。それを合図に、食卓の視線が一斉にシアンに集まった。

「この子の後見人(こうけんにん)を王室の者に頼みたいんじゃ」
「……あえておうかがいしませんでしたが、この子とローゼス卿とはどういったご関係で?」
「……この子、シアンはアイリス伯の子息じゃ」

 バン爺がその名を口にしたとたん、部屋の雰囲気が一変した。後ろにいた執事の顔にも驚きの表情があった。

「……なんと、あのアイリス伯ですか?」
「そう“あの”アイリス伯じゃ」
「しかし……いったい、なぜローゼス卿とアイリス伯の子息が……?」
「ありていに言うと、まったくの偶然じゃ。たまたまこの子と知り合う機会があっての。言ってしまえば何の縁もゆかりもない。じゃが、この子は有望な魔術師での。このまま父親の下におったら将来をつぶされかねん。父親以外身寄りがおらんようじゃが、王室で後見人をたててしまえばこの子を守れると思うての」
「なぜ……その……赤の他人ともいえるような子にそこまで?」
「ワシの責務(せきむ)じゃろうて」
「責務ですと?」
「かつて、1級魔術師の職務を投げ出した……な。ワシはこの国の魔術師の未来に責任があったはずじゃった。それを自分の都合でやめてしもうたからのう」
「……。」
「なにより、ワシは父親としての仕事も投げ出してしもうた」
「……あれは、ローゼス卿のせいではありません」
「どうじゃろうな」

 バン爺は鼻で笑った。そんなバン爺を、マゼンタは白パンをかじりながら見ていた。

 ダリア伯は気まずそうに杯のぶどう酒を飲むと、口をぬぐって態度を改めた。
「ローゼス卿、そうお考えであるならば、1級魔術師に復帰なさってはいかがか? 王都には貴方の復帰を待ち望んでいるアカデミー会員も多いのです」
「もう、ワシの等級は失効になっとるよ」
「そこは特例で何とかしてみせます。私や他の、ローゼス卿の支持者が手を回せば……。」
「権威で黙らせるか。若い魔術師の中には不満を持つ者が出てくるだろうな。……アイリス伯のように」
「そ、それは……。」

 バン爺は両手を差し出した。老人らしい、細くしわが入った手だった。

「ジジイのこのちっぽけな手で何とか出来るのは、子供ひとりの人生がやっとじゃよ。それでも手に余るわい」
 ダリア伯は目を落とす。
「……分かりました。王室への書簡(しょかん)を用意させます」
「助かるよ、ダリア伯」
「その書簡を、今は退任されたといえ、ローゼス卿が直々に王室へ持っていけば、よほどのことがない限り、要望が通らないという事はありますまい」
「だと良いがの。……ああそれとダリア伯」
「なんでしょう?」
「ちょいと……後で話せんか?」
「……よろしいですが──」

 ダリア伯はどんな話をするのか問おうとしたが、バン爺の表情を見て、それは言及すべきではないと直感的に思った。しかし、テーブルにはもうひとり直観に優れた者がいた。


 食事が終わり3人は部屋に戻った。各々割り当てられた部屋に向かおうとしていたが、先ほどの会話で気にかかることがあったマゼンタはバン爺に訊ねる。

「ねぇバン爺」
「何じゃ?」
 バン爺は荷物を整理していた。
「バン爺が1級を放棄(ほうき)したのは聞いてたけど、父親の仕事も投げ出したってのはどういう意味?」
「……そんなこと、言うとったけな?」
「……とぼけてる?」
「いやいや、歳じゃからのう。あんまり会話の細かいところは覚えられんよ」
「……じゃあ、あたしの事を自分の情婦(じょうふ)だって言ったことも?」
「そりゃ言っとらん」
「覚えてんじゃん」
 バン爺の荷物を整理する手が止まった。
「……あまり詮索(せんさく)はせんといてくれ。ただ、王宮の仕事にかまけて、家庭をないがしろにしただけじゃよ。よくある話じゃ」
「ふぅん」