──

 マゼンタたちが出発した日の夕暮れ時、ひとりの男が村に現れた。
 20代前半の灰色の髪の男だった。瞳は大きく、人なつっこい顔をしていた。涼しげな若草色のローブに薄布のストール姿の男は、まるで風にそよぐ草木のようだった。

「ちょっと、ええですかぁ?」

 男はシアンに足を治してもらった、農夫のザビの家畜小屋にひょっこりと顔を出した。男の口調も、(ほが)らかで人なつっこかった。

「……誰だい、あんた?」

 家畜の世話を終えたザビは怪訝(けげん)な顔をして言った。たとえ人懐っこい男といえど、田舎の村はよそ者をたやすく受け入れたりはしない。

「いやぁね、実は自分、頼まれて人探しをしとるんですよぉ」
「……人を?」
「ええ。おっちゃん、ここ最近、この村で可愛らし~お子さん見はりませんでしたかぁ?」
「……子供?」
「えぇ、綺麗な髪した、12歳くらいのお子さんですぅ」
「……知らんね」

 ザビは意味もなく農具用のフォークで(わら)をかき集める。

「あれぇ、おっかしいなぁ? ここら辺にいる言われてはるばる来たんですけどぉ?」
「そうかい、だが、あいにく俺は何も知らん。帰った帰った」
「そうでっかぁ、こりゃ参りましたなぁ。その子、貴族のご子息なんですがねぇ、ちぃと前から行方不明ですねん」
「貴族の?」

 ザビの手が止まった。
 男はにっこりと笑う。

「おっちゃん、何か知っとるような反応しはりますねぇ?」
「い、いや、俺は何も……。」
「いやいや、そんなん構えんとってくださいよぉ。おっちゃんを問い詰めようとかじゃありませんからぁ」

 男は腰にくくりつけている小さなカバンから、金貨を取り出した。

「おっちゃん、この金ぴか見たら何か思い出しませんかぁ?」
「……それは」

 男は家畜小屋に入ってきた。

「お、おい、勝手に入るんじゃない」
「一枚じゃあきまへんか? ほなら……。」
 男は金貨をもう一枚カバンから取り出す。
「おっちゃんの欲しい分だけあげますよぉ?」
「ちょ、ちょっと待て……だいたい、アンタ何者なんだ?」
「……何者?」
 男の足が止まった。
「そんなん、どうだってよろしゅうおまへんかぁ?」

 そうして、男は「ほぅれ」と金貨を指ではじいてザビの前に落とした。
 屈んでその金貨を取るザビ、取り終えて顔を上げると、すでに目の前に男が立っていた。

「なっ!?」

 男はザビの顔面を手でわしづかみにすると、家畜小屋の柱に押しつけた。優男(やさおとこ)に似つかない怪力だった。

「あきませんなぁ、大切なものから目ぇ離したらぁ……。おっちゃん、そうやって人生で大切なもん失うタイプでっせ?」
「う、ふぐぅ、う……。」
「恐ろしゅうおまっか? すんませんなぁ、怖がらせてしもうて……。」
 男は顔を近づけた。
「でも俺、人がビビっとるところ見るの、めっちゃ好きやねん……。そういや、おっちゃんの奥さんもええ顔しとりましたよ?」
「ご、ご、ごぶ……!?」
「ははっ、その表情その表情。たまらんわぁ。安心しとってつかぁさい。奥さんは無事ですけぇ」

 男は家畜小屋の入り口を見た。ザビもそちらに目を向ける。そこにはザビの妻が立っていた。

「……!?」

 妻はザビたちのもとへ歩き始めた。ザビは必死に首を振ってこっちに来ないように伝える。

「まぁ、無事っちゅうのとは違うかもしれまへんけど」

 ザビの妻は背後から男の体に手を回すと、男の肩に顎を乗せた。

「ッ!?」

 男はザビの妻の頬にいやらしく指をはわせながら言う。
「皆で仲良ぉやりましょうやぁ……。」


 それからしばらくして、ザビの家に農夫のマッソが訪ねてきた。

「おおい、ザビさぁん、家畜小屋の柵が空きっぱなしになってるよぉ?」
「おお、マッソさん。ちょうど良かった」とザビは言った。
「ん? ちょうど良かったって……何がだい?」

 家の中では、ザビとザビの妻と、例の男が楽しく酒を囲んで談話(だんわ)している最中だった。

「素敵な人と友達になれたところなんだ」
 ザビは言った。
「ええ、とっても素敵な人と」
 ザビの妻も言った。
「……はぁ」

 男は微笑んでマッソの方へ歩いてくる。

「マッソさんいいはりますの? はじめましてぇ」

 男は手を差し出した。いきなり差し出された見知らぬ男の手だった。マッソは身を少し引いてザビ夫妻を見る。不自然な笑顔をふたりは浮かべていた。まるで、無理やり顔の皮膚を左右に引っ張られているような。

「……ザビさん?」

 男は無理矢理マッソの右手を取り、握手に持ち込んだ。

「お、おい……。」
「自分、アッシュ言いますねん。……よろしゅう頼んます」

 男の笑顔は、ザビ夫妻とは違い自然でさわやかだった。


 さらに夜が暮れた頃、男・アッシュを囲んで村では宴会(えんかい)が開かれていた。まるで、彼がこの村に富をもたらす者であるかのようで、昨日のシアンよりも手厚(てあつ)い歓迎ぶりだった。皆が宴の中心にいるアッシュばかりを見ていた。

「いやぁ、遠路(えんろ)はるばるよくぞお()しくださいました」
 村長がうやうやしくアッシュに頭を下げる。
「そんな、かしこまらんでもええですがなぁ。俺は皆さんにちょいとばかし訊きたいことがあって、この村まで来ただけですさかい」
「ほほう、訊きたいことというのは?」
「ええ、昨日、この村におった可愛らしいお子さんの話なんですがねぇ」
「おお、あれは確か……。」
 村長がマッソを見る。
「ああ、俺はバン爺の親戚のお子さんだって聞いたけどな?」
 アッシュは興味深そうにマッソを見る。
「その……バン爺ゆう人は何もんでっか?」
「数年前に、この村に流れてきたじいさんだよ。確か……王都で魔術師をやってたんだっけ?」

 その“魔術師”というマッソの言葉に反応し、アッシュの指がピクリと動いた。

「そうだっけ? あんまり詳しいことは聞かないなぁ。まぁ、魔術師であることには変わりないよな。あの爺さんのおかげで畑の収穫が増えたんだし」と、ザビが言った。
「……そりゃ結構な術式を使いはりますな。もっと詳しゅう教えてくれませんか?」
 マッソはあご髭をなでながら言う。
「う~ん、あんまり身の上話をしない人だからなぁ……。」
「そういえばバン爺さん、腕に白いブレスレットつけてなかったか? あれって確か、等級魔術師の(あかし)かなんかだろ?」
「へぇ、そうなのか? ……ん?」

 そうマッソとザビが話していると、突然アッシュが笑い出した。

「……どうしたんだい、いきなり?」
 アッシュは膝を叩いて愉快そうに天井を見上げる。
「いやぁ、おっちゃんたちが王都の魔術師言いはりますから、びっっくりしてしもうて。せやけど、白い腕輪でっか? えろお安心しましたわぁ」
「……どうしてだい?」
「白い腕輪、そりゃ7級の魔術師の証明ですわ。等級いうても下の下、そこら辺の我流で魔術を身につけたもんとさして変わりませんのよ」

 マッソとザビは顔を見合わせる。

「そ、そうかい……で、それだと何で安心するんだ?」
 アッシュはマッソの手を両手で握った。
「ええやないですか、そないなこと。それよりも、そのおじいちゃんたちがどこに行ったのか教えてくれまへんかね?」

 マッソは、アッシュの瞳の奥が光るのを見た。

「あ、ああ……。あの三人は……。」
 (ほう)けたようにマッソは語り始めた。


 村人たちから情報を聞き出した後、アッシュは外で立ち小便をしていた。

「いやぁ、思った以上に楽な仕事やなぁ。気をつけんといかんのは、あの坊やくらいや……。」
 空に浮かぶ月を見ながらアッシュは独り()つ。

 アッシュが視線を下げると、成人したばかりの美しい村の娘が井戸で水汲みをしていた。アッシュの顔にふわりとした笑顔が浮かぶ。

「……手伝いましょか?」

 娘がふり返ると、そこにはアッシュが立っていた。

「い、いえ、結構です。お客様に雑用など……。」
「“お客様”」
 アッシュは暗い笑いを浮かべた。
「あの、何か……?」

 アッシュは笑いを浮かべたまま、ゆっくりと娘に近づく。

「ちょ、本当に結構ですから……。」

 しかしアッシュはさらに娘に近づき娘の腰に手を回した。

「きゃっ」 

 アッシュは接触するほどに娘に顔を近づける。

「や、やめて……。」
「口開けぇや」

 その言葉を聞くや否や、娘の瞳からは光が失われ、アッシュの言われるままに口を開いた。
 アッシュは娘の開いた口に自分の舌を滑り込ませる。

「……ん、く」

 アッシュは茂みの奥に娘を押し倒した。


 翌朝、その村からアッシュは消えていた。村人たちは村長の家で目を覚まし、二日酔いの頭をかかえて笑いあっていた。

「シェンタさんとこの出産祝いにしてははしゃぎ過ぎたな」
「ああ、あんなに飲んだのは久しぶりだよ」
「どうして、あんなに飲んだんだっけ?」
「さぁ、誰かが一気飲みし始めてそれから……。」
「あれ、あんまり記憶がないな……?」
「なにか……大切なことを忘れているような……。」

──