「なぁ、双葉、坂口がどうして早く帰るか知ってる?」
「いえ、僕が知りたいくらいです」
今日も佐藤さんと新海さんと三人で練習をしていると、上村先輩が聞いてきた。
次の練習も、次の次の練習の後も、坂口くんはすぐに帰っていた。
僕が声を掛けるよりも早く姿を消すために、呼び止めることすらできないのである。彼が一人暮らしということは聞いていたので、おそらく家庭の問題ではないとは思うが、僕の考える帰る理由は根拠のない想像に過ぎない。
「美波は知らない?」
「私も分からないですね」
「そっかぁ」
先輩はロダンの考える人のようなポーズをとり、何やら考え込んでいる。おそらく坂口くんに関することを考えているのだろうが、僕たちにはどうすることもできなので、自主練習を再開することにした。
「双葉、ちょっと頼みがあるんだけど」
とてつもなく嫌な予感がするのは、僕の勘違いだろうか。
「頼みによりますけど...」
「坂口が練習のあとにどこに行ってるのかを調べてくれない?」
やっぱり。
そのような要件であることは、容易に想像できた。
「でも、それって先輩のやることなんじゃ...」
「だって同級生だろ?なんか先輩が探りを入れると、堅苦しい部活だって思われかねないじゃん」
「そんなことないと思いますけど」
僕は、頭をフル回転させて断る理由を考えていた。
「本番までもう一週間ちょっとしかないし、僕も練習しないとやばいんですよね」
こう告げると、先輩は唇を噛み、何も言い返せないといった様子だった。
先輩は視線だけを僕の横に移した。佐藤さんにも確認をしているのだろう。佐藤さんも、僕と同様、あまり関与はしたくないといった様子であり、練習したいというオーラを醸し出していた。
少し申し訳ない気もするが、自分のスキル不足は練習して補うしかないし、その時間も日に日に少なっていたので仕方ない。
「やっぱり俺が行くしかないか」
「すみません」
僕と佐藤さんは一言、謝罪を入れた。
先輩は肩を落としており、一つ溜息を吐いた。
先輩が溜息を吐くなんて珍しいなと思いながら、先輩の顔を横目に見ると、目の下にくっきりとした隈ができていることが見て取れた。黒子ほどくっきりとしているわけではないが、通常の人間の目の下の色ではない。
「先輩、目の下の隈はどうされたんですか?」
「あぁ、最近あんまり寝れてなくてね」
話しかけられると思っていなかったのか、先輩は気の抜けた返事をして答えた。
寝れてない理由って何だろう。先輩は理系の学部だから研究などが徹夜になっているとも考えられる。
しかし、これの答えは既に頭に浮かんでいた。
上村先輩は、今回のお祭りの仕切りをしている。仕切りというのは、お祭りのチー ムの責任者のようなものだ。比較的大きなお祭りであるかつ、新入生のデビューのお祭りということもあり、失敗できないというプレッシャーも相当なものだろう。普段、僕たちの前では笑顔で気さくな上村先輩が、自分の生活の時間を削ってでも、お祭りの準備に励んでいる。しかも、目の下に誰でもわかるような隈を作るほどに。
僕は、先輩がどれだけこのお祭りを成功させたいのかという気持ちの熱量を感じ切ることができていなかった。新入生だから先輩の言われた通りにしていればいい。もしかすると、無意識のうちにこのような気持ちになってしまっていたのかもしれない。 先輩についていくだけで上手くいくというのは、それだけ先輩方の準備が入念にできているという証拠だ。
先輩は新入生の不安を失くすために隊列を考え抜いてくれ、そのような隊列を作る ために新入生一人一人と関係を持っていた。何より、先輩はすべての体験会、練習に来ている。同じグループの先輩でありながらも、先輩の頑張りや大変さに気付けないのは自分の怠慢だ。
「先輩、ちょっと待ってください!」
体育館の出口に向かっていた先輩を、無意識のうちに呼び止めていた。
僕は新入生だけど、お祭りを成功したい気持ちはみんな一緒だ。
僕だって先輩の役に立ちたい。
「やっぱり僕が行きます」
「急にどうしたんだよ」
「うーん、やっぱり同級生のことは同級生が一番わかるかもしれないなって」
本当は違うけど、それをここで本人を目の前にして言うのは恥ずかしかったので、自分の心に秘めておくことにした。
「それなら双葉に託そうかな!よろしくな、双葉!」
「任せてください!」
先ほどとは打って変わり、先輩は屈託のない煌めく笑顔を見せた。
やはり、上村先輩には笑顔が似合う。
お祭りが終わったとき、このお祭りの仕切りで幸せだったと言ってもらいたい。
「それと、何ですけど...」
僕はとある人物を指さしながら言った。
「佐藤さんにも協力してもらいます」
♢
「なんで私まで、この任務を実行しないといけないのよ」
「僕一人だけなんて可哀そうだと思わないの?」
「一ミリも思わない」
「そうですか」
次の日の練習が終わり、僕たちは坂口くんの帰り道を尾行していた。
自転車だったら尾行しにくかったので、徒歩で安心した。
隣にいる佐藤さんはといえば、本人の応諾をえないまま任務に当たらせているので、何かと愚痴をたらしている。こんなことを言いながらも、一緒に尾行してくれているので、やはり優しい人だと感じた。
その後も坂口くんの後をつけていると、とある場所に入っていくのが見えた。
「河川敷...?」
そこは大学の近くを流れる、少しばかり大きな川の河川敷であった。
「どうしてこんなところに?」
佐藤さんは、口に手を当てて、ひっそりとした声で聞いてきた。
「わからない、何をするんだろう」
練習をするのだろうと考えていたのだが、それならば体育館でやるのがいいだろう。わざわざこんな人気のない橋の下にまで来る必要はない。
しばらく僕と佐藤さんの間には会話はなく、静寂が漂っていた。ターゲットの坂口くんはといえば、何かするわけでもなく、来てからずっとスマホの画面を見ている。本当に何をしに来たのか謎である。
すると、坂口くんはスマホをポケットにしまい、体を伸ばした後に鳴子を手にした。
その後の光景は僕からしてみれば、考えられないことだった。鳴子を手に取った後、坂口くんは踊りの練習を始めた。ここまでは僕の予想した通りだったが、その踊っているのが坂口くんかと目を疑うほどに下手だったのである。偉そうに言っているが、 僕よりは上手なのは内緒の話。
横の佐藤さんともお互いに目を合わせ、今の光景が現実だと改めて認識する。
彼はダンス経験者で、新入生の中でも群を抜いて上手だった。実際の練習の光景を見ていたからこそ、目の前の踊りに驚きを隠せないのである。確かに、鳴子に関しては初心者ということもあり苦戦をしていたが、最近ではきれいに鳴らせることができるようにまでなっていた。
ここで、ライン特有のポキポキッという音が響いた。唐突すぎて、思わず体が少し跳ね上がってしまった。その音の発信元は佐藤さんのスマホであり、幾度となく夜の空間に響いている。人気のないことが、音の響きに拍車をかけている。
彼女は音が鳴らないように、慌ててマナーモードにするが時すでに遅し。
不自然な音に気付いたのか、坂口くんがこちらに近づいてくる。僕たちは近くのコンクリートの陰から覗きを働いており、二人そろって口を両手で隠して、最大限に体を縮こまらせた。
見つからないでくれと願ったのも束の間、坂口くんは体育座りをしていた僕たちの前に仁王立ちするように立っていた。これが万事休すというやつか。
「こんなところで何してるの?」
何気ない一言だが、首を徐々に絞められている気分だ。
「坂口くん、練習の後は帰るの早いから何してるのかなと思って」
佐藤さんの声色にはいつもの元気はなく、たどたどしい。
「それで尾行してきたのか。それで、今の俺の練習は見てたの?」
僕と佐藤さんは、口から言葉を発することはなく、小さく頭を縦に振った。
その後、僕たち三人の間には物音一つない空間が広がった。かろうじて、橋の上を通る自動車のエンジン音が聞こえる程度だ。こんなことなら先ほどのラインの通知音が響いてくれた方が楽である。この空気の重さに押しつぶされそうになり、何とか口を開こうとするが言葉が浮かばない。横目に佐藤さんを見ると、彼女はずっと下を向いている。この空気に耐え切れないのだろう。
「俺、皆が思うほど器用な人間じゃないよ」
この静寂を解いたのは、意外にも坂口くんだった。
「三森くん、最初の僕の印象を教えて」
「え?」
ここで、少し苦手な印象ですなんて言っていいものなのか。空気の重さから思考回路までにも負荷がかかっており、上手く頭を回すことができない。
でも、今の坂口くんの目の真剣さはこれまでに見たことがない。彼はもしかしたら何かを打ち明けるのではないだろうか。そんなときに自分の気持ちを偽ることは、彼の決意に傷をつけることになってしまう。
「正直、金髪だし怖いイメージだったかな」
「佐藤さんは?」
「ごめんなさい、正直わたしもそう感じていた」
佐藤さんも申し訳なさそうだが、正直に答えた。
僕たちの返答を聞いた坂口くんは、一つ息を吐いた。
「昔からそうなんだよ」
これを皮切りに、彼は昔を思い出すかのように話を続けた。
「何度もやらないと上手くなれないのに、最初から何でも上手くできますみたいに強がってしまう。だからたくさん練習するんだけど結局上手くできるようになることが少なくて、そんな口だけの僕から友達は離れていった。僕は何とか皆に認めてもらいたくて色々なことに挑戦した。水泳、サッカー、バレー、書道、たくさんやったけどどれも上手くなれなかった。自分的にはすごく練習してたんだけどね」
確かに、最初に僕と鳴子の練習をしたときにも、もう少し練習すればできるようになりそうだとも言っていた。
「色々やっていたのは皆に認められるためであって、それ自体を上手くなりたいという気持ちがなかったのだと思っている。自分の存在価値を高めるための道具として習い事をやっていたんだ」
そう話す彼は、どこか寂しさを感じさせる。
「だけど、ダンスだけは好きで続けた」
話を始めてから常に下の方を見ていたが、初めて視線を上げ、僕らの目を見て言った。
...ダンスは好き。
一度だけだが、前にも坂口くんの口から直接聞いた言葉である。
「ダンスだけだよ。やっていて楽しいと感じたのは。ダンスをやっているときの自分が一番生き生きしているのが分かるんだ」
「前にも佐藤さんの踊りの評価もしてたよね」
「うん」
「え、何よそれ。私のいないところで何してるの」
佐藤さんは自分の体を両腕で覆い隠すような恰好を取り、体を横に向けた。これでは僕たちがいやらしい話をしていたみたいではないか。
「佐藤さんの踊りは上手だと思うよ」
坂口くんのその言葉を聞いた佐藤さんは、虚を突かれた表情をし、両腕の封印を解いた。
ここまでストレートに上手と言われるとは思っていなかったのだろう。
「今でも俺は、自分のダンスは上手だと思ってない。コンテストとかにも出たけど、 表彰を受けることもなかったし、自分とは段違いのレベルの同級生を見てきたからね」
彼の視線はまたも下を向いたが、次の瞬間、今度は僕の目だけを見て言った。
「双葉が僕のウェーブを褒めてくれたときすごく嬉しかった。このウェーブができるようになったのは中学生のときで、そのときにはすでに僕の周りには友達と呼べる人はもういなかった。だから、これを見て褒めてくれる人がいなかったから、褒めてくれたのは双葉が初めてだ」
暗くてよく見えないが、彼の瞳には涙が浮かんでいるように見える。
「俺はよさこい部が好きだ。同期も先輩もみんな。みんなで最高のお祭りにしたい」
よほど照れ臭かったのか、鼻の下を少し掻いている。辺りは既に暗くなってるが、彼の頬が赤くなっているのが分かる。
横からすすり泣く声が聞こえた。
坂口くんがここまで優しい心を持ち合わせていたとは驚きだった。
先入観でパリピや陽キャだと決めつけていた自分が恥ずかしくなる。
彼は悲しい過去を持ちながらも、それにめげることなく自分の好きなことを見つけたのだ。これから先、彼となら切磋琢磨していける、そんな気がした。
「みんなで頑張ろうねぇ...」
佐藤さんは泣きすぎで、何と言っているのか聞き取ることができなかったが、おそらく頑張ろう的なことを言ったのだと予想する。
このような話をしてくれたということは、僕たちのことを信頼していると考えて差し支えはないだろう。そして、僕たちを信頼してくれていると考える理由がもう一つ。
「そういえばさっき僕のことを、下の名前で呼んでくれたよね?」
「え、呼んでないよ」
坂口くんは、まるで台本を読むかのような返答をした。
「いや、確かに私も聞いた」
佐藤さんが追い打ちをかける。
「もう一回、呼んでほしいなぁ」
僕は、彼を揶揄うようにわざとらしく言った。
「な、なんで言わなきゃいけないんだよ」
「いいじゃん、呼んでくれよ」
彼は腑に落ちないといった表情をしているが、覚悟を決めたようだ。
「ふ、双葉」
別に告白するわけじゃないんだから、そんなに緊張しなくていいのにと思いながらも、イノセントな少年のような坂口くんを可愛く思えた。
「これで満足かよ」
「え、もう終わり?私の名前は呼んでくれないの?」
こうなることは予想していた。
佐藤さんは名前で呼んでほしいようだ。
「み、美波」
坂口くんは今でも爆発するのではないかと錯覚するほどに赤くなっていた。
こればっかしは僕も同情する。この流れを作ったのは僕だけど。
任務も完了したし、帰ろうとしたところ佐藤さんの視線がこちらに向いた。
「双葉くん、どこに行こうとしてるの?」
「え、帰ろうかなと」
「ふーん」
この流れは予想してなかった。
佐藤さんあからさますぎるでしょ。しかし、もう逃れることはできない。
「光輝くん、美波さん、これからよろしくね」
未だにぎこちなさはあるけれども、僕らはお互いに緊張が解けるまで名前を呼び合 った。女子から名前で呼ばれることは母親以外になかったため、むずむずしさはあったが、僕らが信頼で結ばれたことを感じることができた。
しばらく世間話をして、そろそろ帰ろうとなった。
しかし、ここで一つの疑問が浮かぶ。
「それはそうと、何でこんな橋の下で練習していたの?」
「みんなに踊っているところを見られるのが恥ずかしいからだよ」
それだけかよ。
♢
次の日、練習の始めに美波さんと共に、上村先輩の元へ任務の完了報告をしに向かった。
「どうだった?」
「先輩が心配することは何もありませんでした」
「いや、何だよそれ」
「だから、心配することはありません」
僕と美波さんは顔を合わせて笑い合った。
「俺に何か隠しているだろ」
「いえ、別にぃ」
先輩は納得している表情はしていなかったが、その表情にはどこか笑みを含んでいた。
同級生同士の信頼があるのだと考えているのだろう。それ以上、先輩から聞かれる ことはなかった。
「いえ、僕が知りたいくらいです」
今日も佐藤さんと新海さんと三人で練習をしていると、上村先輩が聞いてきた。
次の練習も、次の次の練習の後も、坂口くんはすぐに帰っていた。
僕が声を掛けるよりも早く姿を消すために、呼び止めることすらできないのである。彼が一人暮らしということは聞いていたので、おそらく家庭の問題ではないとは思うが、僕の考える帰る理由は根拠のない想像に過ぎない。
「美波は知らない?」
「私も分からないですね」
「そっかぁ」
先輩はロダンの考える人のようなポーズをとり、何やら考え込んでいる。おそらく坂口くんに関することを考えているのだろうが、僕たちにはどうすることもできなので、自主練習を再開することにした。
「双葉、ちょっと頼みがあるんだけど」
とてつもなく嫌な予感がするのは、僕の勘違いだろうか。
「頼みによりますけど...」
「坂口が練習のあとにどこに行ってるのかを調べてくれない?」
やっぱり。
そのような要件であることは、容易に想像できた。
「でも、それって先輩のやることなんじゃ...」
「だって同級生だろ?なんか先輩が探りを入れると、堅苦しい部活だって思われかねないじゃん」
「そんなことないと思いますけど」
僕は、頭をフル回転させて断る理由を考えていた。
「本番までもう一週間ちょっとしかないし、僕も練習しないとやばいんですよね」
こう告げると、先輩は唇を噛み、何も言い返せないといった様子だった。
先輩は視線だけを僕の横に移した。佐藤さんにも確認をしているのだろう。佐藤さんも、僕と同様、あまり関与はしたくないといった様子であり、練習したいというオーラを醸し出していた。
少し申し訳ない気もするが、自分のスキル不足は練習して補うしかないし、その時間も日に日に少なっていたので仕方ない。
「やっぱり俺が行くしかないか」
「すみません」
僕と佐藤さんは一言、謝罪を入れた。
先輩は肩を落としており、一つ溜息を吐いた。
先輩が溜息を吐くなんて珍しいなと思いながら、先輩の顔を横目に見ると、目の下にくっきりとした隈ができていることが見て取れた。黒子ほどくっきりとしているわけではないが、通常の人間の目の下の色ではない。
「先輩、目の下の隈はどうされたんですか?」
「あぁ、最近あんまり寝れてなくてね」
話しかけられると思っていなかったのか、先輩は気の抜けた返事をして答えた。
寝れてない理由って何だろう。先輩は理系の学部だから研究などが徹夜になっているとも考えられる。
しかし、これの答えは既に頭に浮かんでいた。
上村先輩は、今回のお祭りの仕切りをしている。仕切りというのは、お祭りのチー ムの責任者のようなものだ。比較的大きなお祭りであるかつ、新入生のデビューのお祭りということもあり、失敗できないというプレッシャーも相当なものだろう。普段、僕たちの前では笑顔で気さくな上村先輩が、自分の生活の時間を削ってでも、お祭りの準備に励んでいる。しかも、目の下に誰でもわかるような隈を作るほどに。
僕は、先輩がどれだけこのお祭りを成功させたいのかという気持ちの熱量を感じ切ることができていなかった。新入生だから先輩の言われた通りにしていればいい。もしかすると、無意識のうちにこのような気持ちになってしまっていたのかもしれない。 先輩についていくだけで上手くいくというのは、それだけ先輩方の準備が入念にできているという証拠だ。
先輩は新入生の不安を失くすために隊列を考え抜いてくれ、そのような隊列を作る ために新入生一人一人と関係を持っていた。何より、先輩はすべての体験会、練習に来ている。同じグループの先輩でありながらも、先輩の頑張りや大変さに気付けないのは自分の怠慢だ。
「先輩、ちょっと待ってください!」
体育館の出口に向かっていた先輩を、無意識のうちに呼び止めていた。
僕は新入生だけど、お祭りを成功したい気持ちはみんな一緒だ。
僕だって先輩の役に立ちたい。
「やっぱり僕が行きます」
「急にどうしたんだよ」
「うーん、やっぱり同級生のことは同級生が一番わかるかもしれないなって」
本当は違うけど、それをここで本人を目の前にして言うのは恥ずかしかったので、自分の心に秘めておくことにした。
「それなら双葉に託そうかな!よろしくな、双葉!」
「任せてください!」
先ほどとは打って変わり、先輩は屈託のない煌めく笑顔を見せた。
やはり、上村先輩には笑顔が似合う。
お祭りが終わったとき、このお祭りの仕切りで幸せだったと言ってもらいたい。
「それと、何ですけど...」
僕はとある人物を指さしながら言った。
「佐藤さんにも協力してもらいます」
♢
「なんで私まで、この任務を実行しないといけないのよ」
「僕一人だけなんて可哀そうだと思わないの?」
「一ミリも思わない」
「そうですか」
次の日の練習が終わり、僕たちは坂口くんの帰り道を尾行していた。
自転車だったら尾行しにくかったので、徒歩で安心した。
隣にいる佐藤さんはといえば、本人の応諾をえないまま任務に当たらせているので、何かと愚痴をたらしている。こんなことを言いながらも、一緒に尾行してくれているので、やはり優しい人だと感じた。
その後も坂口くんの後をつけていると、とある場所に入っていくのが見えた。
「河川敷...?」
そこは大学の近くを流れる、少しばかり大きな川の河川敷であった。
「どうしてこんなところに?」
佐藤さんは、口に手を当てて、ひっそりとした声で聞いてきた。
「わからない、何をするんだろう」
練習をするのだろうと考えていたのだが、それならば体育館でやるのがいいだろう。わざわざこんな人気のない橋の下にまで来る必要はない。
しばらく僕と佐藤さんの間には会話はなく、静寂が漂っていた。ターゲットの坂口くんはといえば、何かするわけでもなく、来てからずっとスマホの画面を見ている。本当に何をしに来たのか謎である。
すると、坂口くんはスマホをポケットにしまい、体を伸ばした後に鳴子を手にした。
その後の光景は僕からしてみれば、考えられないことだった。鳴子を手に取った後、坂口くんは踊りの練習を始めた。ここまでは僕の予想した通りだったが、その踊っているのが坂口くんかと目を疑うほどに下手だったのである。偉そうに言っているが、 僕よりは上手なのは内緒の話。
横の佐藤さんともお互いに目を合わせ、今の光景が現実だと改めて認識する。
彼はダンス経験者で、新入生の中でも群を抜いて上手だった。実際の練習の光景を見ていたからこそ、目の前の踊りに驚きを隠せないのである。確かに、鳴子に関しては初心者ということもあり苦戦をしていたが、最近ではきれいに鳴らせることができるようにまでなっていた。
ここで、ライン特有のポキポキッという音が響いた。唐突すぎて、思わず体が少し跳ね上がってしまった。その音の発信元は佐藤さんのスマホであり、幾度となく夜の空間に響いている。人気のないことが、音の響きに拍車をかけている。
彼女は音が鳴らないように、慌ててマナーモードにするが時すでに遅し。
不自然な音に気付いたのか、坂口くんがこちらに近づいてくる。僕たちは近くのコンクリートの陰から覗きを働いており、二人そろって口を両手で隠して、最大限に体を縮こまらせた。
見つからないでくれと願ったのも束の間、坂口くんは体育座りをしていた僕たちの前に仁王立ちするように立っていた。これが万事休すというやつか。
「こんなところで何してるの?」
何気ない一言だが、首を徐々に絞められている気分だ。
「坂口くん、練習の後は帰るの早いから何してるのかなと思って」
佐藤さんの声色にはいつもの元気はなく、たどたどしい。
「それで尾行してきたのか。それで、今の俺の練習は見てたの?」
僕と佐藤さんは、口から言葉を発することはなく、小さく頭を縦に振った。
その後、僕たち三人の間には物音一つない空間が広がった。かろうじて、橋の上を通る自動車のエンジン音が聞こえる程度だ。こんなことなら先ほどのラインの通知音が響いてくれた方が楽である。この空気の重さに押しつぶされそうになり、何とか口を開こうとするが言葉が浮かばない。横目に佐藤さんを見ると、彼女はずっと下を向いている。この空気に耐え切れないのだろう。
「俺、皆が思うほど器用な人間じゃないよ」
この静寂を解いたのは、意外にも坂口くんだった。
「三森くん、最初の僕の印象を教えて」
「え?」
ここで、少し苦手な印象ですなんて言っていいものなのか。空気の重さから思考回路までにも負荷がかかっており、上手く頭を回すことができない。
でも、今の坂口くんの目の真剣さはこれまでに見たことがない。彼はもしかしたら何かを打ち明けるのではないだろうか。そんなときに自分の気持ちを偽ることは、彼の決意に傷をつけることになってしまう。
「正直、金髪だし怖いイメージだったかな」
「佐藤さんは?」
「ごめんなさい、正直わたしもそう感じていた」
佐藤さんも申し訳なさそうだが、正直に答えた。
僕たちの返答を聞いた坂口くんは、一つ息を吐いた。
「昔からそうなんだよ」
これを皮切りに、彼は昔を思い出すかのように話を続けた。
「何度もやらないと上手くなれないのに、最初から何でも上手くできますみたいに強がってしまう。だからたくさん練習するんだけど結局上手くできるようになることが少なくて、そんな口だけの僕から友達は離れていった。僕は何とか皆に認めてもらいたくて色々なことに挑戦した。水泳、サッカー、バレー、書道、たくさんやったけどどれも上手くなれなかった。自分的にはすごく練習してたんだけどね」
確かに、最初に僕と鳴子の練習をしたときにも、もう少し練習すればできるようになりそうだとも言っていた。
「色々やっていたのは皆に認められるためであって、それ自体を上手くなりたいという気持ちがなかったのだと思っている。自分の存在価値を高めるための道具として習い事をやっていたんだ」
そう話す彼は、どこか寂しさを感じさせる。
「だけど、ダンスだけは好きで続けた」
話を始めてから常に下の方を見ていたが、初めて視線を上げ、僕らの目を見て言った。
...ダンスは好き。
一度だけだが、前にも坂口くんの口から直接聞いた言葉である。
「ダンスだけだよ。やっていて楽しいと感じたのは。ダンスをやっているときの自分が一番生き生きしているのが分かるんだ」
「前にも佐藤さんの踊りの評価もしてたよね」
「うん」
「え、何よそれ。私のいないところで何してるの」
佐藤さんは自分の体を両腕で覆い隠すような恰好を取り、体を横に向けた。これでは僕たちがいやらしい話をしていたみたいではないか。
「佐藤さんの踊りは上手だと思うよ」
坂口くんのその言葉を聞いた佐藤さんは、虚を突かれた表情をし、両腕の封印を解いた。
ここまでストレートに上手と言われるとは思っていなかったのだろう。
「今でも俺は、自分のダンスは上手だと思ってない。コンテストとかにも出たけど、 表彰を受けることもなかったし、自分とは段違いのレベルの同級生を見てきたからね」
彼の視線はまたも下を向いたが、次の瞬間、今度は僕の目だけを見て言った。
「双葉が僕のウェーブを褒めてくれたときすごく嬉しかった。このウェーブができるようになったのは中学生のときで、そのときにはすでに僕の周りには友達と呼べる人はもういなかった。だから、これを見て褒めてくれる人がいなかったから、褒めてくれたのは双葉が初めてだ」
暗くてよく見えないが、彼の瞳には涙が浮かんでいるように見える。
「俺はよさこい部が好きだ。同期も先輩もみんな。みんなで最高のお祭りにしたい」
よほど照れ臭かったのか、鼻の下を少し掻いている。辺りは既に暗くなってるが、彼の頬が赤くなっているのが分かる。
横からすすり泣く声が聞こえた。
坂口くんがここまで優しい心を持ち合わせていたとは驚きだった。
先入観でパリピや陽キャだと決めつけていた自分が恥ずかしくなる。
彼は悲しい過去を持ちながらも、それにめげることなく自分の好きなことを見つけたのだ。これから先、彼となら切磋琢磨していける、そんな気がした。
「みんなで頑張ろうねぇ...」
佐藤さんは泣きすぎで、何と言っているのか聞き取ることができなかったが、おそらく頑張ろう的なことを言ったのだと予想する。
このような話をしてくれたということは、僕たちのことを信頼していると考えて差し支えはないだろう。そして、僕たちを信頼してくれていると考える理由がもう一つ。
「そういえばさっき僕のことを、下の名前で呼んでくれたよね?」
「え、呼んでないよ」
坂口くんは、まるで台本を読むかのような返答をした。
「いや、確かに私も聞いた」
佐藤さんが追い打ちをかける。
「もう一回、呼んでほしいなぁ」
僕は、彼を揶揄うようにわざとらしく言った。
「な、なんで言わなきゃいけないんだよ」
「いいじゃん、呼んでくれよ」
彼は腑に落ちないといった表情をしているが、覚悟を決めたようだ。
「ふ、双葉」
別に告白するわけじゃないんだから、そんなに緊張しなくていいのにと思いながらも、イノセントな少年のような坂口くんを可愛く思えた。
「これで満足かよ」
「え、もう終わり?私の名前は呼んでくれないの?」
こうなることは予想していた。
佐藤さんは名前で呼んでほしいようだ。
「み、美波」
坂口くんは今でも爆発するのではないかと錯覚するほどに赤くなっていた。
こればっかしは僕も同情する。この流れを作ったのは僕だけど。
任務も完了したし、帰ろうとしたところ佐藤さんの視線がこちらに向いた。
「双葉くん、どこに行こうとしてるの?」
「え、帰ろうかなと」
「ふーん」
この流れは予想してなかった。
佐藤さんあからさますぎるでしょ。しかし、もう逃れることはできない。
「光輝くん、美波さん、これからよろしくね」
未だにぎこちなさはあるけれども、僕らはお互いに緊張が解けるまで名前を呼び合 った。女子から名前で呼ばれることは母親以外になかったため、むずむずしさはあったが、僕らが信頼で結ばれたことを感じることができた。
しばらく世間話をして、そろそろ帰ろうとなった。
しかし、ここで一つの疑問が浮かぶ。
「それはそうと、何でこんな橋の下で練習していたの?」
「みんなに踊っているところを見られるのが恥ずかしいからだよ」
それだけかよ。
♢
次の日、練習の始めに美波さんと共に、上村先輩の元へ任務の完了報告をしに向かった。
「どうだった?」
「先輩が心配することは何もありませんでした」
「いや、何だよそれ」
「だから、心配することはありません」
僕と美波さんは顔を合わせて笑い合った。
「俺に何か隠しているだろ」
「いえ、別にぃ」
先輩は納得している表情はしていなかったが、その表情にはどこか笑みを含んでいた。
同級生同士の信頼があるのだと考えているのだろう。それ以上、先輩から聞かれる ことはなかった。