新歓の期間も過ぎ去り、体験会ではなく練習が始まっていた。
 よさこいにおいては鳴子を鳴らせなければ話にならないが、チームで一つの作品を作り出す以上は、振りを覚えることも同じくらい重要なことだ。練習では新入生に対する振り入れに多くの時間が割かれており、僕は新しい世界に戸惑いながらも、必死に食らいついていっているところだった。
 しかも、例年よりも時間がないため、先輩の指導にも熱が入っている。これまで練習は数回ほど行われたが、できない歯痒さ故に涙を流している新入生も見てきた。体験会では元気いっぱいだった佐藤さんも、今度ばかりは余裕がなさそうである。
 そんな中、ダンス経験者の坂口くんは瞬く間に振り入れを終え、誰よりも早く踊れるようになっていた。
 練習の始めにストレッチを行い、その後にアイソレーションとリズムトレーニングをやっているのだが、新入生が皆苦戦している中、彼だけは完璧にこなしており、先輩の目を引いていた。
 先輩の間でも、期待できる新星として噂されていた坂口くんであったが、彼には一つ欠点があった。

「双葉くん、今のところカウント遅れてたよ」

「すいません!」

「それじゃ今のところも一回通すよ。みんなでできるまで繰り返すからね!」

 前に立って振り入れをしてくれているのは、春野先輩だった。
 最初の体験会でしか会うことはなかったが、練習になると皆勤賞であり、毎回こうして新入生に振り入れをしている。
 どうやら春野先輩はインストラクター部門という、練習のスケジュールを立てたり、演出を考えたりする部署のリーダーをしているらしい。
 はじめこそ優しい先輩だと感じていたのだが、練習となるとなかなかにスパルタな一面があった。みんなができれば手を叩いて褒めてくださるのに対して、できないとこのように名指しで注意を受け、全員でできるまで繰り返させる。
 厳しい練習だが、逃げ出す新入生はいなかった。
 春野先輩はできない振りなどがあれば、練習後であってもマンツーマンで教えてくれるのである。
 練習では厳しいけどプライベートはすごく優しい。春野先輩に相談すれば、どうにかしてくれるという謎の安心感が生まれ、新入生は絶大な信頼を寄せているのである。春野先輩は、正に理想の先輩像を体現していた。

「はいオッケー!今日の振り入れはここまでにします。練習の終わりまでもう少し時間があるので、それまでは自主練習にします。今日の振りを反復するのも良し、先輩に質問するのでも良し。有意義に使ってください」

 春野先輩の指示に、みんなが一斉に返事をした。
その返事をピストルに、新入生の数人が春野先輩の元へ駆けていった。おそらく、春野先輩に振りを見てほしいという申し入れの競合だろう。
 僕は、自分の踊りを他人に見てもらうことは恥ずかしい。そのため、あのように自分から積極的に先輩の元へ向かう新入生の姿は称賛する。

「双葉くんは今から何するの?」

 鳴子の練習をしようと、ステージの上に置いてある自分のバックの中を探っていると、僕の隣で同じくバックの中身を探っている佐藤さんから聞かれた。
 そして、体験会で随分、距離が近くなったこともあり、上村先輩に続いて、佐藤さんからも下の名前で呼ばれるようになっていた。未だに、僕は彼女のことを佐藤さんと呼んでいるが。

「僕は鳴子の練習をするとしようかな」

「そうだよね。まずは鳴子を鳴らせないとだよね」

「振りは本番までにどうにかなりそうだけど、鳴子ばっかりは百発百中にしたい」

「ぐぬぬ、やることが山積みでパンクしちゃいそうだよ...」

「佐藤さんは、しっかりと振りは覚えられているんじゃない?」

「うーん、でも次の日になると忘れちゃうんだよね」

「僕は練習中でも危ういから羨ましいよ」

 僕は、他の人に比べて、振りを覚えることに時間がかかるようであり、それはこれまでの数回の練習を通して自分が一番理解していた。
 正直、振りの練習をしたほうがいいのかなとも感じているが、振り入れをしてから 数日経った後に踊ると、何故か踊れるようになっているという上村先輩の経験談を信じて、ここは鳴子の練習をするとしよう。いざという時は上村先輩に詰め寄って、マンツーマンのレッスンを申し込むつもりだ。

「何事も反復するしかないね。本番まで頑張ろうね」

 そう言い残して、佐藤さんは新海さんと一緒に上村先輩の元へ向かっていった。自分のバックから鳴子を取り出し、虫食いのように陣取られた体育館の空いたスペースを探す。こういうとき、一人で練習するとなると、小さなスペースで構わないた め、すぐに練習スペースを見つけることができる。案の定、ステージ側の体育館の角は誰もおらず、一人で鳴子の練習をするにはもってこいの場所を見つけた。
 練習の邪魔にならないように気を付けながら、縫うように進んでオアシス(体育館の角)に辿り着いた。

「三森くんも鳴子の練習をするんだね」

 今日の練習もきつかったなと背伸びをしながら考えていたとき、横から聞き覚えのある声が聞こえた。

「踊りの練習はしなくていいの?」

 やはり、坂口くんだ。
 僕のオアシスの水が一瞬にして、枯れてしまったような気持ちだ。
 未だに彼に対しての苦手意識が働いてしまっている。

「うん、今日は鳴子の練習をしようかなって」

「この前もそう言って鳴子の練習してたじゃん」

「そうだけど...」

 それは君もじゃんか!と心の中で思ったが、それは空しく音になることはなかった。
 これまでも何度か練習中に、自主練習の時間を設けられることはあった。前回の練習でもその時間は設けられ、僕は今回と同じく一人でひたすら鳴子の練習をしていた。その中で、坂口くんも一人で鳴子の練習をしているのを知っている。
 そして、これこそが坂口くんの欠点。
 鳴子を上手く扱うことができない。
 これは、坂口くんに限らず僕もそうである。
 彼がデビューするにあたって、振りについては問題がないだろう。
 しかし、よさこいに欠かすことのできない鳴子を上手く扱えない以上、それはよさこいと呼べるのか。最初から最後まで、常に鳴子を鳴らすわけではないと思うが、いざ使って演出をする際に鳴子を使えないのでは話にならない。

「坂口くんは良いデビューにできそう?」

 少しくらい雰囲気を投げ飛ばそうと、会話の話題を方向転換した。

「振りについては問題ないけど、鳴子が上手くいってないからそこだね」

「振りを覚えるのが凄くはやいよね」

「昔からダンスの振りを覚えていたからその経験が活かされているのかも」

「一人だけ先輩からマンツーマンで教えてもらっていたもんね」

 坂口くんは振りを教えるとすぐに踊れてしまうため、新入生とは別メニューで振り入れをしてもらっているのだ。そんな彼は、前回の練習ですでに一曲全体の振り入れを終え、先輩グループの練習に交じっている。
 最初こそは鳴子に苦戦していた彼だが、踊りのセンスからすぐにできるようになるだろうと考えていたのだが、そんな僕の予想は外れた。

「だけど、どうしても鳴子が体になじまない。どうしたものか」

「うーん、僕もまだコツを掴め切れていないんだよね」

 自分で言っていて空しくなる。坂口くんよりも早く始めたのに。

「佐藤さん、踊りはもうちょっとしたら上達の時期に入るし、鳴子も上手く使えているからすごいよね」

 坂口くんの口から佐藤さんの名前が出たのは意外だ。
 こうして誰かと会話をしている姿は何度も見てきたが、彼が誰かと行動を共にしている場面を見たことはない。てっきり、他人に興味がないのかと考えていたのだが、意外と周りの人間の観察を行っているのかもしれない。もしかしたら坂口くんは人間観察が趣味なのか。よく漫画とかでも、他人に興味がない人は、そのような振りをしているだけであって、人間という生物に興味が津々であるという設定があるのを見たことがある。

「ダンスが好きだから、皆の踊っている姿を見るとついつい見ちゃうんだよね」

 この坂口くんの発言に、またも先入観を持ちがちという自分のダメなポイントを炙り出された気がした。

「双葉、坂口、おしゃべりばっかりしてないで練習しろよー」

 遠くから上村先輩の声がした。
 近くには佐藤さんと新海さんがおり、こちらを見ながらニヤニヤしている。僕たちがサボっていたと思っているのか。はたからみるとそう思われても仕方ないかもしれないが。
 返事をしたが、僕らの細い音は、先輩の元に届く前に練習生の話し声で掻き消えてしまった。
 僕と坂口くんはそれぞれ違う方向を向いて、練習を始める。
 そういえば、彼の口から「ダンスが好き」という言葉を聞いたのが初めてだということに気が付いた。
 はじめはチャラい陽キャのような印象を持って苦手意識を抱いていたが、何かに没頭できるという一面を知ることができたことで、彼に対する見方が変わったように思われる。今でも、ひたむきに鳴子と向き合っていることだろう。
 見かけによらず頑張り屋さんだと思い、彼の方を向くと、欠伸をしながら退屈そうに鳴子を鳴らしていた。

前言撤回だ。



 本番まで残り二週間となった。
 新入生もある程度踊れるようになってきたということで、練習は厳しさを増していた。しかし、始めの頃に涙を流していたような人も、踊れるようになると楽しさが勝つようになり、その顔には自然と笑顔が溢れるようになっていた。
 そんな僕はというと、上村先輩の助言の通り、一定期間を経過した後に踊ってみると、見違えるほどに踊れるようになっていた。これを上村先輩に報告すると、威張った態度で声を上げて笑っていた。「俺を崇め申し上げろ」とか言っていたのだが、周りから変な目で見られてしまったので、自分は関係のない振りをした。
 今日の練習の時刻は過ぎているのだが、いつものストレッチが始まる気配を感じられない。これまでの新入生なら、戸惑った態度で辺りを見渡していたのだろうが、今ではすっかり先輩方と仲良くなり、話し声が絶え間なく響いていた。

「遅れてごめんね」

しばらく待っていると、インストのリーダーである春野先輩と部長の山田先輩が颯爽と姿を現した。

「遅れたのは申し訳ないが、みんなにいい知らせがあります」

山田先輩の言葉に歓声が沸く。

「では瑞葵、発表を頼む」

「まかせて」

 瑞葵と聞いて一瞬、誰のことか分からなかったが、そういえば春野先輩の名前だということを思い出した。
 春野先輩を、皆が固唾を飲んで見守る。

「遂に新入生のデビューであるお祭りの隊列が完成しましたぁ!」

 先ほどの静寂とは真逆で、今度は鼓膜がはちきれるほどの歓声が沸いた。

 ...隊列?

 それが何なのかはよく分からなかったが、周りの先輩に背中を叩かれたので、とりあえず喜んでいる振りをした。
  前の二人もしばらくは隊列の完成で喜んでいる皆を眺めていた。しかし、静まる気配が一向に感じられなかったので、しびれを切らした山田先輩は手をパンパンと叩き、 お知らせはこれだけじゃないから静かにしてくれという合図を送った。

「駿、前に出てきてくれ」

 山田先輩がそう言うと、上村先輩は緊張気味に歩を進め、僕らと対面する形で山田先輩と春野先輩の横に並んだ。

「駿はこのお祭りの仕切りということで、この隊列作りにも関わってくれました」

「この隊列の型を作ったのはわたしだけど、この型に人をはめ込む作業をしてくれたのは駿くんです」

 なるほど、話から察するに、隊列というのは誰がどこで踊るのかを図面化したものなのだろう。
 しかし、あの上村先輩が責任者としてお祭りに関わっていたとは驚きである。口癖が「だるい」の上村先輩からは考えられないが、確かに、上村先輩がよく新入生と話 している光景を目にしていた。

「今回、隊列作りを担当させていただきました、二年生の上村駿です。こんな大きくて大事なお祭りの隊列作りに関わることができて嬉しいです」

 前に立っている上村先輩の顔が紅潮しているのがわかる。
 いつもハキハキとした口調ではなく、たどたどしくなっている。
 そんな先輩の様子を見て、何をかしこまっているんだ、らしくないぞ、などのヤジが飛んでいた。そのヤジに対して、上村先輩は必死に言葉を返している。
 普段の姿からは想像できない先輩の新しい一面も垣間見れたことで、先輩が本気で取り組んでくれていることが感じ取れた。

「今回の隊列をお見せしたいと思うので、各自のスマホを用意してください」

 言われるがままに、ステージに置いてある自分のバックからスマホを取り出し、元居た場所に腰を下ろす。

「隊列のファイルをラインで送るので、しばらくは自分の位置を確認してみてください」


 そのあと、ラインの通知音が色々な端末から鳴った。
 僕は添付されていたファイルから隊列のデータを開き、まずはその人数の多さに驚きを覚えた。練習のときから感じていたが、踊り子だけでも六十人近くはいるだろうか。これに大きな旗が加わると考えると、演舞の迫力は相当なものになるだろう。
 これほどの人数がいると、自分の名前を探すだけでも一苦労だ。やっとの思いで、最初のオープニングの位置を把握することができた。まずは自分の動きだけを確認しようと思ったが、オープニングの横には佐藤さんの名前があり、僕と佐藤さんの斜め前には坂口くんの名前があった。こうも同じグループのメンバーが近くにいるということはあるのだろうか。

「今回、新入生は不安な気持ちがあったと思いますが、この不安を乗り越えるために、同じグループの同級生や先輩方に相談をしたことかと思います。新入生はこのお祭りがゴールではなくスタートです。本番当日、これまでの練習などを思い出してリラックスできるように、隊列の近くにはなるべく同じグループのメンバーで固めるようにしました」

 それでこんなにもメンバーが近くにいたのか。
 よく見ると、僕たちのすぐ後ろには上村先輩の名前があった。
 上村先輩はどのような想いで、この隊列の型に名前をはめ込んでいったのだろうか。
  一人一人が本番当日、笑顔で踊れるように想像していたに違いない。
 先輩、新入生、誰一人として妥協させることなく完成した隊列は、光り輝いているように見えた。
 しかし、これほどの人が目まぐるしくフォーメーションチェンジを繰り返すとなると、急な焦燥感が芽生えた。振りや鳴子に関しては、これまでの練習で上達することはできたのだが、それをこの密集した空間でやるとなると、また別の話になる。
 しかし、これまで、真摯に練習を担当してくださった春野先輩、一番近くで支えてくれ、大切な隊列を作ってくださった上村先輩、よさこい部の運営を支えている山田先輩、新入生のみんなが笑顔でデビューを迎えられるように接してくださったすべての先輩方のためにも、弱音を吐いている暇などなかった。

「隊列も完成して、自分のパートも決まったことなので、本日の練習は完全な自主練習にしたいと思います。次の練習から隊列の練習に入るので、イメージトレーニングをしておくようにしてください。では、解散してください」

 インストのリーダー春野先輩がそう告げると、皆が一斉に腰を上げた。
 まだ、隊列の話で持ちきりである。
 まずは自分がどこのパートを踊るのかを整理しようと、閉じていたファイルを開く寸前、不意に背中を凄い勢いで押された。

「双葉くん、オープニングの隊列が横だったね!よろしく!」

 例の如く、佐藤さんだった。

「よろしく」

「ん、なんか元気なくない?」

「え、そうかな。別にいつも通りだけど」

「よく見るとそうかも!」

 いつにも増して彼女の勢いが凄い。にしてもさりげなくディスられた気がする。

「お!坂口くんも近くだね」

 彼女は近くを通りすがった坂口くんにターゲットを変更した。

「うん。よろしくね」

「坂口くんも双葉くんと同じく、元気がないように見える」

「別にいつも通りだけど」

「返す言葉まで一緒。あんたたち実は双子なんじゃないの?」

『そんなわけないだろ』



 遂に隊列の練習が始まった。
 自分が想像していた以上に、隊列に苦戦を強いられていた。
 振り入れでは、移動の時間はその場で次の振りの準備をすることができたために、何かと余裕が生まれていた。しかし、隊列となると短い時間で、移動をすることになる。次にどんな振りをしなければならないのかは、練習を重ねていくしかない。
 苦戦をしているのは僕だけではなかった。人数が多いこともあり、先輩でも自分の立ち位置を間違えたり、時間内に辿り着くことができなかったりしていた。そうすると、必然的に新入生のミスも相次ぐわけであり、全体として隊列の練習は後れを取っているようであった。

「だから、そこの移動が間に合ってないってば!」

 この通り、春野先輩の声が体育館内に大きく響く機会が増えていた。
 先輩は苛立ちを隠すことができていない様子であり、後ろで一本に結えているポニーテールを大きく揺らす回数が多い。春野先輩はいらだつとポニーテールを揺らす癖があるのだと上村先輩が言っていた。正直、普段は優しい先輩が苛立つほどの恐怖はない。そう話していた上村先輩の顔には、笑顔はなかった。

「はい。そろそろ終わりの時間なので、給水を持って前に集合してください」

 春野先輩の指示に従い、水筒をもって腰を下ろす。
 普段の練習なら、この時間も周りの人と話をしているのだが、本日が初めての隊列練習で疲労が溜まっているのか、人と話すメンバーはいなかった。みんな、息を切らしているようで、忙しない呼吸が辺りを支配していた。

「これで練習を終わりますが、最後に瑞葵から話したいことがあるそうなのでバトンタッチします。それじゃ、瑞葵よろしく」

 いつも通り、最後の挨拶は山田先輩だったが、本日は春野先輩からの言葉もあるようだ。終始、機嫌が悪かったため、良い話だと考えることはできなかった。

「はい。みんな疲れている中、時間を割いてくれてありがとう。どうしても今日の隊列練習の感想を言いたかったので」

 体がすくみ上がるような堅苦しい雰囲気が漂う。

「今日の練習、全体を通じて集中力がなかったように感じられました。特に先輩のみんな。久しぶりに大きなお祭りで踊れることが楽しみで待ちきれない気持ちは分かります。しかし、人様に披露する以上はおふざけではいけません。気を引き締めるようにお願いします」

 先輩方は、窮屈そうに返事をした。

「そして」

 自分の鼓動が速まっているのが分かる。先輩方に申した以上、新入生に対しても何か言うのは自明だった。

「新入生の皆さんはデビューのお祭りであり、戸惑う気持ちもあるでしょう。しかし、新入生だからできないというのはただの言い訳にすぎません。できないのなら誰よりも練習をする、世間話をしている暇などないはずです。先輩方にも言いましたが、新入生の皆さんも、最高のデビューになるように気を引き締めていきましょう」

 僕含め、新入生はそろって返事をした。

「厳しいことを言いましたが、みんなで最高のデビューにしましょう!後輩の皆さんは、何か分からないことがあれば、部長の山田や私に聞きに来てください!みんなが 不安のない状態で迎えたいので!」

 こうして解散となった。
 よっぽど春野先輩の檄が心に響いたのか、帰る人はおらず、みなが鳴子を手に自主練習に励もうとしている。これだけでも、春野先輩の人望や信頼が分かる。僕も、少しでも隊列移動に集中できるように、個人の踊りのスキルを上げるようにしよう。
 これまでも一人で練習することしかなかったのだが、これには弱点があった。それは、客観的な評価をしてくれる人がいないということだ。鏡があるわけでもないし、 自分の踊りがどういった感じなのかを知る術がなかったのだ。この弱点は前から感じていたが、なかなか切り出すことができずに今に至っている。
 春野先輩の檄も飛んだことだし、そろそろ一歩を踏み出さなければならない。
 僕は辺りを見渡し、お目当ての人を探す。
 しかし、その人を見つけることができない。確か練習にはいたはずであるが。

「佐藤さん、坂口くんどこにいるかわかる?」

「え、どうだろう」

「さっきから探しているんだけど見つかんないんだよね」

「うーん、でも坂口くんのバックないから帰ったんじゃない?」

「ほんとだ。気が付かなかったな」

 踊りが上手な坂口くんからのアドバイスを頂きたかったのだが、本人にも事情というものがあるのだから帰ったとなれば仕方がない。一人で練習をするとしよう。

「坂口くんに何か用?」

「うん。僕の踊りを見てもらってアドバイスをもらおうかなと思って」

「確かに坂口くん踊り上手だもんね」

「いつも一人で練習してたけど、客観的な評価も欲しいし」

 そして、佐藤さんは何やら考える素振りを見せて言った。

「それだったら私たちと一緒に練習する?」

「え?」

 このお誘いは意外だった。
 よさこい部の体験会に来たとき、初めて話したのが佐藤さんであり、そのときから彼女とは同じグループで練習をしたりして、同じ時間を過ごしてきた。
 しかし、こんなにも深い関係なのに、彼女とこれまで面と向かって練習をしたのは、始めの鳴子を鳴らすときだけではないだろうか。
 こう考えると、彼女からの評価も気になるところである。

「そちらが迷惑でないならお願いしようかな」

「迷惑なんてとんでもない!私たちの踊りも見てほしいし!」

 さっきは聞き間違えかと思って流していたが、今回も私たちって言ったな。ということは。

「一応、初めまして...になるのかな。新海幸佳です。よろしくね」

 当然こうなる。

「三森双葉です。よろしく」

 同じグループなのに初めて話すという人見知りならではの珍事もありながらも、僕たちはともに練習をした。