フレンは男にナイフを突き刺すことはなかった。
 が、先程飛んできたナイフはフレンが投げたものであること、そして男の反応によっては、今、手にしているナイフを振るうことも辞さない姿勢であること。よく思い知ったのだろう。
 男は、ひっ……とだけ声を洩らして、情けなくどさりと座り込んだ。
 フレンはしばらくそれを見降ろしていたけれど、男が降参の態度になったことで一連のことを終えたらしい。ポケットからなにかを取り出した。口に咥え、どうするかと思えば。
 ピーッ!
 鋭い音があたりをつんざいた。耳に刺さるかと思うほど鋭く、大きな音。
 あれはどうやら笛だったらしい。思ったことで、グレイスは、はっとした。
 やっとなにかが頭に浮かんだ、と思う。
 それはグレイスの凍り付いた心が、笛の音の刺激で一気に溶けたことを示していた。
 遅すぎることだが、ぶるっと体が震えた。それは悪寒のようにグレイスの体を冒していき、体から力を奪った。脚ががくがく震えて倒れ込みそうになってしまったグレイス。
 しかし倒れ込むことはなかった。グレイスの体は力強い腕に支えられていたのだから。