従者は永遠(とわ)の誓いを立てる

「そんな境遇だから、失礼ながらあまり誇れる立場ではないということなの。だから……こんな言い方はフレンに悪いけれど。ラッシュハルト家では持て余してしまったのでしょうね。ラッシュハルト家には継承権のあられるお子がちゃんとおられたのだから」
 グレイスはなにも言えなかった。レイアの言葉が怒涛過ぎて。
 フレンが間接的ではあるが、伯爵家の人間?
 領主の息子?
 おまけにそれが出自の秘密?
「でも、なにしろ貴族のお家だわ。平民の住む街になど放り出せなかったということでしょうね。せめて貴族の関与する場所で過ごして、成長してほしいと。レイシスがそれを拒否できるわけもないわ。だから受け入れて、年頃もちょうど良いと、グレイスの従者にしたということよ」
 それが最後の答えだった。
 弱小ではあるが貴族の家の、このアフレイド家にやってきた理由も。
 それが使用人という立場になったのも。
 そうでなければ、ほかの貴族の家に入り、住む理由がないのだから。
 フレンは知っていたのだろうか、と思う。
 しかしおそらく知っていたのだろう。だからこそ「フレンのお父様やお母様は」と訊いたグレイスに答えるとき、あんな寂しそうな顔をしたのだ。
「そう、でしたの……」
 グレイスはそれしか言えなかった。頭の中でまだ整理がつかない。
 レイアはそれがわかっているだろうが、だからといって、今、話をしないわけにはいかないはずだ。ちょっとだけ話を中断して、お茶に手を伸ばした。
 グレイスはぼんやりそれを見て、そして気付く。レイアは自分にお茶を飲ませてくれるつもりで、まず自分がお茶を手に取ったのだ。
 よってグレイスも手を伸ばしてティーカップを取り上げた。ひとくち口に含む。
 紅茶はすっかり冷めてしまっていた。ほのかにぬるいだけ。
 でもその紅茶により、少しだけ思考を落ちつかせることができた。
「続けていいかしら」
 グレイスがひとくち、ふたくちお茶を飲んで、少し落ちついたのを感じたのだろう。ティーカップをソーサーに戻してレイアは言った。
 グレイスも「はい」と答える。話は続きに戻った。
「レイシスがフレンを懲戒解雇して、フレンはこの屋敷から放り出される形になったわ。幼い頃にこの屋敷に来て、ずっと暮らしていたフレンが行く場所などあるはずないでしょう」
「そう、……なりますね」
 フレンから居場所を奪ってしまったのは自分であるので、胸が痛んだ。グレイスの声は気落ちする。それを慰めるように、レイアはちょっと微笑んでくれた。
「それで、フレンはフレンのお母様の元に身を寄せていたようなのよ」
 フレンのお母様。お妾……といったか。正式な奥様ではない女性。
 でもおそらく、いくらかの身分がある女性なのだろう。今もラッシュハルト家と関連があるかはわからないけれど。それでもそれなりの屋敷かなにかに住んでいるはずだ。
 それをきっとレイアは調べ、突き止めてくれたのだ。
「勿論、一時的なもののつもりだったと思うけれど。グレイスが気にかからないはずがなかったでしょうし」
 その意味はわかる。
 フレンは約束を違えるようなひとではない。
 あのときの誓い。
 違えることなどないように、いつかはグレイスの元へ、どういう形かはわからないにしろ、来てくれるつもりだったに決まっている。
「それで、フレンの元に遣いをやって交渉していたのだけど、難儀したわ。そう簡単に応じてくれるはずなんてなかったもの。その間に、グレイスがダージル様に呼び出されたわね。婚約のこれからの話をされるのだと」
 レイアの話は続く。
 先日のグレイスのお出掛け。出遭ってしまった襲撃。
 そこへ話がやってくれば、心臓はひやっと冷たくなった。恐ろしかったことを思い出してしまって。
「この家の動きも探っていたから、その情報は受け取っていたのだけど、嫌な予感がしたわ。それで、二ヵ所へ連絡をしたの」
 二ヵ所、がどこかをグレイスはわかるような気がした。そしてその通りだった。
「フレンの元。それからアフレイド領の自警組織。馬を飛ばして急がせたのだけど……間に合って良かったわ。少なくともレイシスとグレイスのことは救うことができたのだから」
 すべてわかった。グレイスを助けにフレンと自警組織が駆け付けてくれた理由。
 フレンに至っては遠くにあるラッシュハルト領か、その付近にいたというのだから、そこから駆け付けてくれたのだ。
 胸がじんと熱くなる。
 フレンがどれほど急いでグレイスの元へ駆け付けてくれたというのを実感したから。
 それから感謝すべきは二ヵ所、だけではない。グレイスを気にかけ、諜報というのだろうか。その意味で力になってくれていた、目の前のレイアにも、である。
「おばあさま。……ありがとうございます」
 熱くなった胸は、同じ熱いものをグレイスの喉までこみ上げさせた。嬉しさと感謝と、それから喜びに涙が零れそうだ。
 けれどグレイスはなんとかそれを飲み込んだ。泣くところではないし、泣いている場合でもなかった。
 代わりに笑みを浮かべた。涙を飲み込んだあとでは作った笑顔だったけれど、悪い意味ではないのは伝わってくれただろう。レイアも微笑んでくれた。
「それで。……入ってきてちょうだい」
 言いかけて、レイアはふと視線を逸らした。部屋の扉のほうへ向ける。
 こんこん、と扉が音を立てた。
 グレイスはその音だけでわかってしまう。これは、こんな叩き方をするのは。
 胸が高鳴りの予感を覚えた直後であった。
「失礼いたします」
 扉が開いた。
 そこに立っていたのは、予想通り、フレン。
 ただし、グレイスが初めて見る姿であった。
 服がまったく違う。グレイスに接するときの大半がそうであるような従者としての黒い服や、礼装や正装のタキシードとも違う。
 色がまず、白だ。かっちりしたジャケットと、しっかり折り目の付いたスラックス。そして控えめな装飾がそれらを飾っていた。
 まるで……貴族の息子、といった様子であった。
 グレイスはなにも言えなかった。嫌だとか嬉しいとか。そんな領域まで思考が及ばない。ただ、目を丸くしてそんな格好のフレンを見つめるしかなかった。
 グレイスの様子に、そして見つめてくる視線にか。フレンは笑みを浮かべた。
 ちょっと照れた様子、という表情。グレイスは今まで何度も見て、よく知っている表情だ。
 それで思い知った。
 これは確かにフレンなのだ。自分の傍にずっといてくれたひとだ。
 格好など関係ない。来てくれた、のだ。
「フレン=ラッシュハルトです。お嬢様」
 胸に手を当て、軽く頭を下げる。
 名前は当たり前のようにフレンであった。
 けれど姓が違う。先程何度もあがった、ラッシュハルト、という姓。
 でもそのあとに続けられた、グレイスの呼び方。なにも変わっていなかった。
 グレイスはなにも答えられなかったけれど。
 ラッシュハルト、と名乗った。
 ということは、フレンはラッシュハルト家の人間になってしまったのだろうか。
 その意味するところもこれだけではわからない。
 目を丸くするばかりのグレイスに、フレンはやはり照れたような表情を浮かべ、ちょっとだけ首を傾げた。
「……こういうものは慣れませんね。このような服を着るなんて、もう二十年近く前になるでしょうか」
 二十年前。おそらくそれは、フレンがラッシュハルト家から出されたときのこと。
 自分と出逢う前のフレン。このような姿だったのだ。
「あとはフレンから話してもらうのがいいでしょう。私はお部屋に戻っているわ。お話が終わったら来てちょうだい」
 レイアは腰掛けていたソファから立ち上がる。扉へ向かおうとした。
 お部屋、とはレイアがこの屋敷に住んでいた頃の部屋であろう。レイアが出ていったのはかなり前とはいえ、手入れは怠られていないし、家具もきちんと残っている。
「おばあさま」
 グレイスは慌てて自分もソファを立った。レイアの元へ向かう。
 レイアの元へ、だけではない。この部屋に入ってすぐのように、しっかり抱きついた。
「ありがとうございます。今の私がこうして在れるのは、おばあさまのおかげでしたのね」
 レイアはちょっと驚いたようであったけれど、すぐにふっと笑みを浮かべてくれる。
「かわいい孫のためだもの。なんということはないわ」
 抱きついてくるグレイスをそっと撫でてくれた。そして扉に手をかけ、出ていく。
「貴女の幸せを願っているわ」
 ぱたりと扉が閉じて、小さな足音が遠ざかっていく。それを少しだけ聞いていて、グレイスは振り返った。
 フレンと二人きりになる。でもなんだか状況が違いすぎてくすぐったい。いつものように「フレン!」などと近付けるはずもないし、なにを言ったらいいのかわからない。
 それを悟ったように、動いたのはフレンからであった。グレイスの前までやってくる。
「お嬢様。このような事態になるまでお話もせずにすみませんでした」
 軽く礼をされる。グレイスはすぐに理解した。幼い頃に少しだけ話したときのことだ。
「いいえ、……私も、訊いてはいけないのかと思って、触れずにいたもの。でも、訊いておいた方が良かったのね」
 グレイスの心。フレンと会話をする間に徐々に落ちついていってくれた。
 だって、ここにいるのは確かにフレンなのだ。格好が違ったって、このひとであることは変わりやしない。
 急に、先程の比ではなく胸がかっと熱くなった。グレイスの中で熱い感情が爆発する。
「フレン!」
 それでもしっかりとした声で名前を呼ぶ。たっと床を蹴って、フレンの元へ寄る。
 フレンが腕を開くのが見えた。フレンの気持ちも理解して、グレイスは迷うことなく腕の中へ飛び込んだ。
「逢いたかったわ!」
 一番言いたかったこと。やっと言えた。
 抱きついたグレイスを、フレンはしっかり受け止めてくれた。それだけでなく、ぎゅっと強く抱きしめてくれる。
「私もですよ、お嬢様」
 雨の中、縋ったときとはまったく違っていた。フレンの行動にはひとつの迷いもなかったのだから。
 それはグレイスにはっきり伝えてくれた。
 フレンの気持ちを。
 グレイスに抱いてくれる気持ちを。
 あのときの抱擁とくちづけ。
 グレイスをただ宥めるためのものではなかったのだ。
 痛いくらいにそれが迫ってきて、グレイスの目から今度こそぽろぽろと涙を零させた。
 ぎゅっとフレンの胸元を握って抱きつく。服の感触はまったく違ったけれど、そのあたたかさに違いなどない。間違いなく、グレイスの愛しているひとだ。
「お嬢様」
 フレンはしばらくグレイスを抱いていてくれたが、やがてグレイスの肩に手をかけた。そっと自分から剥がす。
 けれどそれは拒絶ではない。グレイスの顔を覗き込んでくれるためだ。
 要されているそのことがわかり、グレイスも顔をあげた。
 視線の先、映ったのは穏やかで優しい翠色。グレイスの大好きな色。
 その瞳は、でも今までとは少し違った。ほろりと崩れそうなほど、やわらかい。
 きっとそれに込められているのは、愛しさ。
「貴女を想っています。貴女のお傍に仕えるようになってから、ずっと」
 静かに言われたことは、グレイスがずっと欲しかった言葉だ。
 ずっと欲しいと思って、けれど言ってもらえることなどないのだと思っていた言葉。
 これは夢ではないかとグレイスに思わせてしまうほど、幸せな言葉だった。
「私もフレンが好きよ。ずっと想っていたわ」
 グレイスの言葉も自然に出てきた。
 夢ではないかと思ってしまうものの、これが現実であることなど疑いようもなかったのだ。
 優しい翠色に見つめられているから。嘘偽りのない、真摯な色。
「貴女の元にいられるように、私はラッシュハルト家に戻りました。今はフレン=ラッシュハルトと申しましたね。それは名実共になのです」
 グレイスの瞳を正面から見つめて、フレンの言ってくれたこと。
「父上に認めさせました。私の身分を。私生児であることは変わりません。継承権もありません。ですが」
 すぅ、と息を吸って、言われた言葉。力強い響きだった。
「男爵家令嬢と結ばれるには、必要なだけの身分が今はあります」
 それは爵位の大きな違いというもののためだっただろう。グレイスの家がもっと高位の貴族であったなら、私生児である息子が夫になるなど赦されるはずもなかった。
 けれど、下の身分の貴族なら。
 半分は伯爵家の血を持っている身としてなら。
 赦されるだけに値するのである。
「ですから、お嬢様」
 フレンはふと、手を伸ばした。グレイスの頬に触れる。白い手袋の手で。
 そこだけは以前とまるで変わらなかった。グレイスにとって、一番近くにいてくれるあたたかな手の感触。
「私を迎えてくださいますか」
 アフレイド家の事情から、グレイスは外へ嫁ぐことはない。一人娘なのだから。
 だから、結ばれるとしたら外からやってきた人間なのだ。
 フレンもだからこそそういう言い方をしたのだろう。
 身に染み入って、グレイスはまた胸から溢れそうなほどの熱いものを感じた。
 けれど今度は泣かなかった。
 自然に出てきたのは、やわらかな笑み。
 幸せからの、よろこびの笑み。
「ええ。私のもとに居てほしいわ」
 グレイスの返事にフレンの目元が緩んだ。愛しさの溢れていた瞳がもっと優しい色になる。
 グレイスの頬に触れる手に、力が入った。そっと引き寄せられる。
 理解して、グレイスは目を閉じた。自然にそうなったのだ。
 ふわりと触れ合ったくちびるはもう、あの雨の中のような冷たさなど持っていなかった。
 体温のままにあたたかな感触は、心配することなどもうないのだと。グレイスに確かに伝えてくれた。
「貴女のお世話をする役目も、お茶を淹れる役目も、変わらないでいたいですね」
 グレイスを緩やかに抱いたままで、フレンは言った。
 その言葉にグレイスはふふっと笑ってしまう。
 変わらない。
 そう、なにも変わらない。
 フレンとの関係が変わっても、やりとりをする言葉はなにも変わらない。
「それは入り婿様として適切なのかしら」
 ちょっとからかうような響きになった。けれどフレンはすぐに言い切る。
「適切でしょうよ。だって、私は」
 フレンは再びグレイスの肩に触れた。そっと離される。
 しかし今度は瞳を見つめてくれるのではなく、すっと腰を落とした。グレイスの前にひざまずく。
 そしてグレイスの手に触れ、そっと自分の手に乗せ、包み込んで。
 グレイスはなにが起こるかそれだけでわかってしまった。
 幸せと、少しのおかしさが同時にやってきて、グレイスの顔を幸せな笑みで満たした。
「ずっとお嬢様のお傍にいるのですから」
 それは誓い。
 従者としてではない誓い。
 手の甲に落とされたやわらかなくちづけは、いつまでも変わらない愛を誓うためのもの。

 (完)

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