ここで逆らうとイジメは更にエスカレートしていくことがわかっていたから、逆らうことができなかった。
でも、まさかカッターナイフまで持ち出されるとは思っていなかった。
あたしは自分の首に手を当てて、そのときの恐怖を思い出していた。
冷たい刃の感触がしっかりと残っている。
真里菜に自分の命を握られているという絶望感も、胸に刻まれた。
これ以上耐えることはきっと不可能だ。
精神が壊れる前に、本当に殺されてしまうかもしれないのだから。
美緒が出てきたら相談しないと。
そう思っていたときだった。
足音が近づいてきてあたしは視線を向けた。
咲たちだ。
まだここにいると知られたらなにを言われるかわからない。
あたしはすぐに下駄箱の裏に身をかくした。
「本当にやるの?」
そんな光の声が聞こえてきて耳をすませる。
「当たり前じゃん。全部の願いが叶うんだよ?」
「でも、ただの都市伝説だよね? もし失敗したら?」
「大丈夫。ちゃんとバレないようにやるから」
咲の言葉にあたしは首をかしげた。
またなにかを企んでいるみたいだけれど、光は乗り気じゃない様子だ。
それでも咲はそれを実行しようとしているらしい。
「もし本当だったら、あたしたち3人は無敵だよ」
この声は真里菜だ。
真里菜は都市伝説というなにかをする気でいるみたいだ。
こっくりさんとか、そういうもの話かもしれない。
高校生になってそんなものを信じているなんて、案外子供っぽいのかもしれない。
それからも3人はなにか会話をしながら、校舎を出て行った。
あたしはその後ろ姿を確認してから身を翻して体育館倉庫へと走った。
渡り廊下を抜けて観音開きの大きな扉を開き、体育館の最奥へと走る。
自分の足音だけが聞こえてくるなか、ズッと重たいものが横へずれる音が混じってあたしは歩調を緩めた。
体育館倉庫の戸が少しだけ開き、そこから小さな手が見えている。
「美緒!」
あたしは再び走り体育館倉庫の戸にすがりつくようにして開けた。
中から出てきた美緒はあたしの倒れ掛かるようにして体重を預けてきた。
「美緒、大丈夫!?」
「平気」
その声は想像していたよりもしっかりしていて、少しだけ安心した。
しかし、美緒の制服は切られているし、踏みつけられていた足も引きずっている。
あたしが外へ出されてからも暴行を受けたようで、髪の毛はボサボサになっていた。
「ごめん、ごめんね美緒」
胸が痛くて涙が滲んできた。
あたしのせいで美緒がこんなめにあってまったんだ。
美緒はあたしを助けようとしてくれたのに。
「大丈夫だから!」
途端に美緒はそう叫んで、あたしの体を押し戻したのだ。
あたしは驚いて美緒を見つめる。
美緒は青ざめ、あたしから視線をそらしている。
それはいつもの美緒じゃなかった。
あきらかに様子がおかしい美緒にたじろぐ。
「美緒、あいつらになにか言われたの?」
聞いても美緒は質問に答えず、あたしの横を通り過ぎていく。
「ねぇ、美緒!」
「ごめん。今日はもう帰りたい」
美緒は小さな声で言い、あたしを残して体育館を出て行ってしまったのだった。
ひとりで家に帰ってきたあたしはすぐに部屋着に着替えて、制服は洗濯機に押し込んだ。
こんなことをしたらイジメの証拠がなくなってしまうとわかっているけれど、いつまでもイジメの痕跡を見ていることは自分が耐えられなかった。
《ナナ:美緒、大丈夫?》
それからも美緒のことが気になってメッセージを送ったが、なかなか既読はつかなかった。
夕食を食べているときも、お風呂に入っているときも美緒があの3人になにをされたのか気が気ではなかった。
もし美緒があの3人になにかしらの弱みを握られていたとしたら?
そう考えただけで全身の血液は凍り付いてしまう。
今でもひどいイジメに遭っているというのに、今以上に抵抗できなくなってしまうかもしれないのだ。
それに美緒にとっての弱みはきっとあたしにとっての弱みにもなる。
あたしと美緒はそれくらい一身胴体で生きているから。
寝る前にもう1度スマホを確認したけれど、やっぱり美緒へのメッセージは既読がついていなかった。
電話をしてみようかとも思ったが、出てくれない可能性のほうが高い。
体育館倉庫であたしと目を合わせなかった美緒の姿を思い出すと、また胸が痛んだ。
幸いなのは明日が休日だということくらいだ。
明日はあの3人に会わなくていい。
美緒だって少しは気が楽になっているはずだ。
「明日になってから、もう1度メッセージを送ってみようかな」
独り言を呟いてベッドにもぐりこむ。
時間はまだ早かったけれど、疲れきってしまっておきている余裕はなかった。
それに、夢を見ている間だけはあの3人のことを忘れることができる。
あたしにとっては救いの時間なのだ。
そう思っていたのに、眠りを妨げるようにスマホが鳴った。
美緒からの返事かもしれない!
そう思ってすぐにスマホ画面を確認して、心臓がドクンッと大きく跳ねた。
強いストレスを感じて呼吸が短くなるのを感じる。
それは咲からのメッセージだったのだ。
《咲:明日、夕方5時に丘の上の廃墟に集合》
それだけ書かれた文字は、こちらに否定させない威圧感がある。
あたしはゴクリと唾を飲み込んだ。
丘の上の廃墟というのは、ここから20分ほど離れた簡素な場所にある建物のことだった。
昔は老夫婦が暮らしていたらしいが、今は若者たちのたまり場などどして使われている。
美緒とあたしはあの3人に連れられてその廃墟に何度か足を運んだことがあった。
もちろん、楽しい思い出なんてひとつもない。
あの廃墟内に連れ込まれて暴力を振るわれた経験しかないのだから。
咲は明日あたしをあの場所に連れて行こうとしているのだ。
嫌な予感しかしなかった。
せっかくの休みで心休まる時間を持つことができると思っていたのに、それは咲からのメッセージで打ち砕かれることになってしまった。
あたしは大きく深呼吸をして、スマホをベッド脇に置いた。
咲に返事はしていない。
返事をしないとまたキレられることはわかっているけれど、どうしてもできなかった。
「廃墟になんて行かない」
頭まで布団をかぶって呟いた。
廃墟に行けばなにをされるかわからない。
そんな場所に進んで自分から行くことなんて絶対にない。
そうだ。
明日になったら美緒と一緒に遊びに出かけよう。
家にいたらあの3人が押しかけてくるかもしれないから、外にいればいい。
あいつらだって、あたしたちの居場所まで突き止めることはできないだろうから。
あたしはそう思い、キツク目を閉じたのだった。
☆☆☆
そして、無常にも朝はやってきた。
スマホを確認してみても、美緒から返事は来ていなかった。
もちろん既読もついていない。
変わりに咲たち3人からは無視するなという内容のメッセージが10件近く入っていた。
それを確認してゆるゆると息を吐き出す。
誰かを嫌いになるのと、誰かを好きになったときの行動はよく似ている。
どちらも、相手の一挙手一投足に反応してしまうのだ。
嫌いならほっといてくれていいから。
3人へ向けてそう言うことができたらどれだけ楽だろうと思う。
あたしにはそんな勇気はなかった。
せいぜに、送られていたメッセージを無視するくらいのことだ。
あたしは手早く着替えを済ませて外へでた。
今日は嫌味なくらいに快晴で、太陽が眩しい。
歩きながら美緒へ電話を入れることにした。
しかし、何度鳴らしてみても出てくれない。
仕方なく美緒に自分の行き先だけメッセージで送っておくことにした。
気がついて、来てくれればいいけれど……。
☆☆☆
あたしがやってきたのは駅前だった。
あたしが暮らしている町は田舎だけれど、駅前まで出てくるといろいろなお店が立ち並んでいる。
学生さんの行き来も多いため、スイーツのお店や雑貨やなど見て回る場所もある。
ひとりでブラブラと商店街を歩き、時々気になった店に入って商品を眺める。
それだけでも十分楽しむことはできるのだけれど、はやり気になるのは美緒のことだった。
商店街を角から角まで見て回る間に何度もスマホを確認したけれど、美緒はメッセージを見てくれていないようだった。
歩きつかれてきたし、近くに喫茶店に入ることにした。
昔ながらの喫茶店は店内はこげ茶色のもので統一されていて、ドアを開けると鈴の音色が響いた。
穏やかな店内音楽にホッとしながら足を進めると、あごひげを蓄えた店長と思われる男性に席まで案内された。
窓際の2人席だ。
クリームソーダを注文して、ぼんやりと誰も座っていない前の席へ視線を向ける。
ここには何度か美緒と一緒に来たことがあった。
最初に来たのは中学2年生の頃で、あの時は喫茶店に入るのがはじめてたっだから、2人してとても緊張していた。
ここの店長さんがとても気さくな人だったから、安心して料理を注文できたことを今でもよく覚えている。