鋭敏な俺と愚直な君

 真美はまた難しい顔つきでシャーペンを握った手を口元にあてて考えている。沈黙の中、がらっと引き戸を開ける音が響いた。
「げ、ほんとにいる」
 廊下側の扉から俊が顔を覗かせていた。

「なんで兄貴の方までいるの?」
「ダメでしたか?」
 真美が手を口にあてたまま俊を見上げる。それに対してはうんともすんとも返事をせずに、俊は丸山園長に視線を向けた。
「勉強終わったから、外で遊ぶって」
「それなら、あなたは真美さんを案内してあげて。どうせ居るなら」
「めんどくせ」
「あら? 何か言った?」
「はい、喜んで!」

 居酒屋の店員のような返答をして、俊は真美を手招きした。渉のことは完全無視だ。丸山園長も「真美さん」としか言わなかったから、渉としてもここを動く気はなかった。
「お願いします」
 真美はぴょこんと立ち上がり、ノートとシャーペンを持って俊のそばへと寄った。
「えーと、じゃあ、まずは……」

 引き戸が締まり、ふたりの声が遠ざかる。麦茶を飲んでから、さて、という風に丸山園長は渉の顔を見た。
「真美さんとお話している間、お兄さんは口を挟みませんでしたね」
「僕はただの付き添いですし」
「良いご家庭で育ったのでしょうね、おふたりは。真美さんはずっと腑に落ちない表情だったし、あなたはあなたで申し訳なさそうな顔をされてる」
 フラットに指摘され、渉は思わず俯く。

「それが普通なのです。まっすぐに育った人の反応としては。ですけど、恵まれていることを後ろめたく感じるだなんて、おかしいでしょう? そういう心境になってしまう状況がある世の中がおかしいのだと私は思います」
「……そうですね」
 素直に頷いたものの、じいっと見られているのがわかって渉の体は固くなる。

「なにか」
「お名前は、渉さんていうの?」
「はい」
 丸山園長はひとりごとのように「なるほど」とつぶやいた。
「茅子さんは、自分は恵まれていると話したのではない?」
「……自分たちはラッキーだ、って」
 しきりに頷いて、丸山園長は麦茶ポットから二人分のグラスに麦茶を注いだ。

「茅子さんと俊さんには支援を受ける際の障害もなかったし、茅子さんはなんの問題もなく自立できているし。モデルケースのような順調さね、良い見方をすれば。でもね、上の下、中の上、なんていうように、狭い中でも差があって、茅子さんが今のあなたのような顔をするときもある。それってどう思う?」
 言い淀んでいると、丸山園長はじっと渉の目を見た。
「率直に言ってみて」
「……不毛だなって」
「そうね」

 ふっと息を吐いて丸山園長は窓の方へと顔を向けた。渉も首を捻ってそちらを見る。
 中学生か、小学六年生くらいの男の子ふたりがサッカーボールを蹴りながら園庭に駆け出し、もっと小さな子どもたちに囲まれて茅子が遊具の方へと歩いて行くところだった。後姿の茅子は大きな麦わら帽子を被っていた。

「私は、あの子はもっと欲張りになってもいいのにって思うの」
 その声は、それまでとは少し違うトーンに聞こえた。
「手伝いに来てくれるのは嬉しいけれど、それもどうかなって思いもするし」

 渉が頭を戻すと、丸山さんは複雑そうな表情をしていた。
「社会に出て、いっそう孤独を感じて、施設出身者同士でホームシェアしたり集まったりということは多くて、それは素晴らしいことなのだけれど、同じ境遇の者だけでコミュニティに閉じこもってしまうのはよろしくない。やっぱり、広いつながりを持たなければ」

「増田さんは、会社でうまくやってます。先輩からも頼りにされてて仲良いし、先月も社員旅行に参加してくれたし」
「ええ。そうなのですってね」
 とても優しい表情になって丸山園長は頷いた。
「いい人たちばかりだって、聞いてます。私も嬉しいわ、ありがとう」
 慈愛に満ちた眼差しを向けられ、渉は気恥ずかしくなってしまう。

「姉弟がここに来たばかりの頃はね、俊さんの方が引っ込み思案でいつも茅子さんの後ろに隠れていたの。茅子さんは、大丈夫よーお姉ちゃんが一緒だからねーって俊さんの手を握って。大丈夫よーって、おばあさまの口癖だったのですって。きっとご両親が亡くなったとき、おばあさまはそう言って孫を励まされたのでしょうね。茅子さんはそれを真似して、一生懸命俊さんを励まそうとして」

 その祖母の言い付けを守って、茅子は真面目に丁寧に仕事をこなすのだということを渉は思い出した。愚直なくらいに。

「俊さんは、茅子さんが大好きで、大きくなったらお姉ちゃんをお嫁さんにするからずっと一緒に暮らそうね、なんて」
 丸山園長はこらえきれないようにくすくす笑いだした。
「それが身体も態度もあんなに大きくなって。子どもが成長するのってあっという間なのよ。そりゃあ私も白髪が増えるワケだわ」
 そこでふと笑いを引っ込めて、日差しの方へと目を上げる。
「風が出てきたわね。日陰にいれば涼しそう。外に出ましょうか」
 誘いかけられて渉は頷いて立ち上がった。
 出入り口の掃き出し窓を開けると、熱気は相変わらずでも風が吹き抜けるのが心地よかった。夕立がくれば一気に涼しくなりそうだが。

 園庭のぶらんこのそばには大きな樹木が、砂場の上にはパーゴラがあって日除けになっていた。ぶらんこの横に立って小さな子どもたちを見守っている茅子の姿を渉は見つめる。

 頬に視線を感じて振り向くと、丸山園長がまた渉を見ていた。それで渉は、自分がまた「申し訳なさそうな」顔になっていたのだと自覚する。
「まずは、同じ目線で同じものを見ることです。感じたり考えたりするのはそれからです」
 丸山園長もまたフラットな調子で言う。
「小さなことから、自分ができると思ったことから始めてください」

「はい! それならあたしは、あの子たちと一緒に遊びます!」
 いきなり妹の声がして渉は驚く。いつの間にか出てきていた真美は、ちょうど園長の言葉を聞いていたようだ。

 元気よく園庭に走り出して砂場へ行き、砂遊び用のくまでで砂を弄っていた男の子に話しかけたようだった。だが男の子は顔を上げない。真美は気にせず、向かいで自分も砂を掘り始めた。

「あの子は、短期入所している子です。学校がいうところの問題行動が多く、お母さんが気を病んでしまって」
 しばらくてんでに穴を掘ったり山を作っていたふたりだったが、そのうち男の子の方が真美のことを気にしだした。

 真美が砂の山にトンネルを掘り始めると、それを助けるように反対側から山をつっつき始めた。真美が手を差し込むと、男の子の方から指が見えたらしい。
 歓声があがり、その瞬間山が崩れてしまって、もっと声が大きくなった。
 ぶらんこで遊んでいた二人の子どもも合流して、みんなでまた砂山を作り始める。

 にこにこしながらそれを見ていた茅子の顔が、渉の方を向いた。渉はとっさに右手を上げる。茅子もぱっと右腕を上げて、それから恥ずかしそうに指を泳がせてから腕と顔を砂場の方に戻した。
 渉も照れ臭くなって右手を頭にもっていきながら顔を横に逸らす。

 その視線の先、建物の脇に二階の通路に続く外階段があった。その一段目の踏み板がひしゃげて曲がってしまっている。渉はじっと視線を注いで考え込んだ。
〈ひまわり〉からの帰り道、電車の中で真美が尋ねてきた。

「あたし、そんなにひどい顔してた?」
「何が?」
「先輩が慰めてくれたの。大丈夫かって。園長は相手が大人だろうと子どもだろうと、ハードな現実と理想論を同等に語るからびっくりするだろって」

 そう話す真美は、まだしっくりきていない顔つきだ。
「確かにびっくりしたし、動機はミーハーだったけど。でも、行って良かったって思うよ。レポート、しっかり書かなきゃ」
「えらいじゃん」
 素直に褒めてやると、真美はふふんと簡素な胸を反らせて見せた。

 その夜、渉はスマートフォンで撮影した画像を見せて、父親に相談した。
「この階段の修理、俺にできるかな?」
〈ひまわり〉の建物の外階段、その一段目だけ踏み板がほぼ割れてくの字に曲がってしまっていた。
「コンクリート板か?」
 老眼鏡をかけて父親は渉のスマートフォンをを持つ。

「うん、スコップか何か打ちつけちゃって割れたとかって。他の段を見ても劣化は少ないし、鉄骨自体は改装工事のときに補強したんだって。だから踏み板だけどうにかできるなら」
 父がたどたどしい指付きで画面をスワイプして画像を切り替えるのに合わせて渉は説明する。

「おまえはどうするつもりだ?」
「アングルで枠を作って土台にすれば、パテで補修できるかなって。どうかな」
「寸法は?」
「はかったよ」
「明日の朝、切ってやる」
「軽トラと溶接機借りていい?」
「パテはないぞ」
「ホームセンターで買ってくる」

 話が決まって、渉は〈ひまわり〉に電話をかけた。
『ほんとに直してもらえるの? 渉さんが?』
 フラットな丸山園長の口調は驚きに満ちていた。
「はい。明日の午前中に材料を準備します。窺うのはまた昼すぎがいいですか?」
『ええ、そうね。ほんとに大丈夫?』
 念を押されると自信が揺らぎそうになるが、渉は小気味よく「はい」と答えておいた。電話ではなく、表情を見られていたらあの鋭い園長さんには見透かされていただろうなと思う。

 先にお風呂に入ってと母親に急かされてカラスの行水で入浴をすませる。
 なんだかどっと疲れて自室のベッドに横たわると一気に眠たくなってきた。朝寝坊した割に早く寝付けそうだ。

 寝入る前にとスマートフォンをチェックする。それで同僚の遠藤から着信があったことに気づいた。休み中だというのになんだろう。
 少し面倒だったけれど大事な用件かもしれないと折り返し電話をかけたものの通じない。とりあえずなんの用かと尋ねるメッセージを送っておく。
 ぽてっと枕もとにスマートフォンを置いて、渉はすぐに寝入ってしまった。

「わたるー。お父さんと工場に行くんでしょ。起きなさいよー」
 ドア越しに母親の声が聞こえたときにはもう朝。寝ぼけ眼で画面を見ると、昨夜寝入った後に遠藤からまた着信があったようだ。完全にすれ違いだ。
 メッセージでの返事はないから結局なんの用件かがわからない。大したことではないということか。
 朝から電話しても出ないだろうと思い、しばらくしてから電話することにする。

 朝食の後、父親とふたりで工場に向かい、L型アングルを階段の踏み板の寸法に合わせて切断してもらった。それから近くのホームセンターに行ってコンクリート用の接着パテを手に入れる。
 工場に戻って必要な道具を軽トラックに積み込み、いったん自宅へと帰った。

 昼食のそうめんを茹でてもらっている間にスマートフォンをチェックし、遠藤に折り返しの電話を入れるつもりでいたことを思い出す。
 その場ですぐにかけてみると、今度はすぐに遠藤が出た。
「お疲れ。何度か電話もらってたみたいだけど」
『あー、うん、頼みたいことあったんだけど。もういい、大丈夫』
 遠藤はどこか外にいるのか、周りががやがやしている物音が伝わってくる。
「いいのか?」
『うん、いい、いい』
 なんだか忙しそうだ。じゃあまた休み明けに、とだけ挨拶して渉は電話を切った。

「お兄ちゃん今日も〈ひまわり〉に行くんだよね」
 真美は自分も行きたそうにしていたが、友だちと約束があるから行けないと残念そうだった。
 今日も日差しがきつくて汗が出る。渉は頭にタオルを巻いて気合を入れ、軽トラックを運転して〈ひまわり〉へと向かった。




「げ。また来やがった」
 顔をゆがめる俊(しゅん)の頭を丸山園長が小突き、荷物を運び入れるのを手伝うように言ってくれた。

「言っとくけど、かやこはいないぜ」
「え?」
「用ができたって、今日は来ないって。いいトコ見せたかったんだろうに、残念だな」
 そりゃあ茅子に会えれば、と期待はしたが目的はそれじゃない。自分にできることをしに来たのだ。しっかりと、丁寧に。
「よし」
 また気合を入れて、渉はまずは割れてしまったコンクリートの踏み板を取り外した。両側のササラに取り付けられたアングルピースにボルトで固定してあったそれを、再利用するのだからと丁寧に脇に除けて置いておく。
 次に持ってきたL型アングルの四辺をアングルピースの上につき合わせてみる。寸法はばっちりだ。
 渉はよし、と溶接機の準備を始める。アングルを溶接で接合するのだ。

 中学生の頃、父親の工場でロボットが溶接したブラケットのバリ取りをさせられた。渉が通っていた中学校から職場体験の受け入れ先として頼まれたからで、他にも同級生がふたり工場に来ていた。
 最後に、渉たちは溶接をやらせてもらった。火花が飛び散る熱い作業は、怖くもある。腰が引けつつも、幼い頃に憧れた溶接を体験できたことが嬉しかった。

 溶接は男のロマンだ。飛び散る火花、溶ける鉄。ぱちぱちと爆ぜる音。

 それ以降、何度か溶接をやらせてもらったけれど、父親が直接渉を見てくれることはなかった。渉に小型溶接機の操作を教えてくれたのは、当時ロボットと一緒に簡単な溶接をしていたパートのおばちゃんだった。
 目に負担のかかる作業だから渉にあまりやらせるなと、母親が言っていたらしいことを後から察した。あの頃にはまだ、自分も溶接工になるのだと自然に思っていたのだけれど。

 教わったことをひとつひとつ思い出しながら渉は準備を進める。
 アースグリップを挟み、溶接する部分に付着物がないかをチェック。ゴーグルを装着し手袋をはめる。溶接スイッチを押して溶接棒からワイヤーを出す。ワイヤーの先端を溶接部分に合わせる。いよいよだ。

 もう片方の手で溶接マスクを顔の前にかざす。ふうっと呼吸を整えてから、渉は溶接棒のワイヤーの先端を見つめる。
 ファイヤー!
 心の中で号令をかけ、先端ノズルのスイッチを押した。

 溶接ワイヤーがアングルに軽く当たるだけで巨大な線香花火みたいな光球が生まれ、ぱちぱちと火花が飛び散る。それは光のシャワーみたいだ。
 数十秒で一か所めの溶接が終わる。接合できているのを確認し、残りの三か所も溶接する。

 完璧な四角形の枠を作ることができて渉はほっとした。枠をササラのアングルピースの上に固定する。
 これで作業の山場は乗り越えた。よし、と頭を上げると、遠巻きにこっちを見ている子どもたちの姿が目に入った。
「すげー。花火みてえ」
「ぱちぱちいってたね」
「おにいちゃん、熱くない?」
 遠くから心配そうに声をかけられ、渉は手袋をはずしながら首を横に振った。
「危ない作業はもうしないから大丈夫だよ」
 すると、横から真っ先に俊が近寄ってきて覗き込んだ。
「すげえ、意外な特技。やるじゃん」
 上から目線だが、感心してくれているようだ。ははっと笑って渉は踏み板の補修を始める。

 割れた踏み板を枠の上に接着し、ひび割れたすきまを埋めるようにたっぷりめにパテを塗り込む。
 乾いてから盛り上がった部分を削ってなめらかにする。だけど仕上がりの見た目が悪い。ペンキ塗装をすれば良いのだろうが。

「これで充分よ」
 思い悩む渉に丸山園長が言った。
「業者さん相手ならもっと完璧にって言うところだけど、渉さんがやってくれたのならこれで充分、ね?」
「これで階段のぼっても平気?」
「うん。もう大丈夫。渉さんにお礼をしましょうね」
 口々に子どもたちからお礼を言われ、渉はこれで切り上げることにした。見た目を気にするときりがないからだ。

 俊と中学生の男の子と女の子(昨日は男の子ふたりだと思ったが、ひとりはショートカットの女の子だった)が片づけを手伝ってくれた。
「みんなでスイカを食べましょう」
 最後に園庭の水道で手を洗っているとおやつに招かれた。

 昨日出入りした掃き出し窓から室内に入り、更に隣の食堂らしい部屋に案内された。既に子どもたちがスイカに夢中になっている。
「こっち座ろうぜ」
 促されて席に着くと俊がスイカと麦茶を持ってきてくれた。渉への当たりが若干柔らかくなった気がするのは気のせいだろうか。

 もらったスイカは、皮が薄く実が真っ赤な小玉スイカで、スイカ自体久し振りに食べた気がして余計に美味しかった。農家さんからの差し入れなのだと言う。

「正月には毎年臼を持ってきてもちつきやってくれるおっさんで」
「杵と臼で? 俺、見たことないよ」
「そういうのは恵まれてるんだよな、オレら。こうやって支援してもらえるから。クラフト作家の人が工作を教えに来てくれたり、サッカークラブのコーチが来たり。チャンスは与えてもらえてると思う。ものにできるかは自分次第で」
 こういうことをさらっと言える俊は、とても強いのだろうなと思った。だけど、みんながこんなふうに強いわけではない。
「俊くんは、進学するの?」
「ほんとは就職したいんだけど、まわりが大学行けってうるさい。かやこも、高卒の人とは一緒に暮らしません、とか。ひどくない?」
「行けるなら行っておいた方がいいよ」
「あんたは大卒?」
「一応」
「ふーん」
 スイカを食べ終わった俊は椅子の背にもたれて渉を見上げる。明らかに値踏みされてる。

 沈黙に耐えられなくなって、渉は思わず尋ねた。
「増田さんは今日はどこに行ったの?」
「は? 気になんの? ストーカー?」
 眉毛を跳ね上げて睨まれてしまう。
 違うんですけど、話題が他に思いつかなかったからなんですけど、気になってるのは事実なのですけど、それを言ったら後をつけたことがあるのも事実で、あれ、俺ってストーカーなのか、とまたもや渉は思考がぐるぐるする。
 俊の視線が痛い。へんな汗がこめかみを伝い、渉は頭に巻いていたタオルを取って顔を覆った。

「……会社の人に呼ばれたって言ってたんだよな」
「え?」
「あんた知らないのかよ?」
 俊は腕組をして思い出すような顔で空を見ている。
「特には聞いてないけど」
 茅子を誘う会社の人間となれば、小永井の顔が思い浮かぶが、いや待てよと渉も思い出す。

「一張羅のワンピースに化粧道具まで引っ張り出して、すっげえそわそわしてたんだよな、朝かやこの家に行ったとき」
「ちょっと待ってよ!」
 渉は思わずテーブルに身を乗り出して俊に詰め寄る。
「おしゃれして出かけるって、それってデートじゃないの!?」
 ポカンと口を開き、直後に俊は目を吊り上げた。
「は? 誰とだよ? 誰がかやこをデートになんか誘うんだよ」

 社内で茅子を狙っているのは清水だが、渉がもっと気になったのは遠藤のことだった。渉のところに何度も電話をかけてきた、あの用件が気になる。
「俺、電話を」
 ジャージのポケットからスマートフォンを出し、その前に帰る挨拶をしなければと気を回すと、俊が心得たように丸山園長を呼んでくれた。

 スイカをご馳走になったお礼と修理のお礼を言い交わして渉は〈ひまわり〉を後にした。
 軽トラックの陰で改めてスマホを取り出し遠藤にコールする。見ると、ついてきたらしい俊が落ち着かない様子で荷台の後ろに立っていた。

『もしもし?』
 通話に出た遠藤の周りは昼時に話したときのようにざわついている。どこか店内にいるのだろうか。
「あのさ」
 額にじっとり汗を浮かせながら渉は尋ねた。
「今、茅子ちゃんと一緒だったりする?」
『カヤコチャン? いるよ、そこに』
 どうして、なんで、おしゃれして、遠藤なんかと一緒にいるんだ?
 瞬時にして疑問符であふれかえった渉の頭はパンクして、電光掲示板のように疑問文がスクロールする。

「どこにいるんだ!?」
『あ? れんが横丁の〈地中海食堂〉って店だよ、四月にオープンした。知り合いがやっててさ……』
「すぐ行く。動くなよ、そこから動くなよ」
 通話を切って運転席のドアを開ける。
「オレも行く!」
 俊が飛びついてきて、四の五のやりとりする時間も惜しくて彼を助手席へと押し込んだ。

 駅前にあるれんが横丁は、城下町ならではの放射環状型の路地を利用したレトロなモチーフの商店街で、主に飲食店が軒を連ねている。
 遠藤が言っていた店の名前は知らなかったが、狭いエリアだから行ってみればすぐに見つかるだろうと思った。

 お盆期間でどこも込み合っているだろうと、早々に空き表示が出ていたパーキングに軽トラを置いて道を急いだ。
 午後の商店街は人が多く、広くもない道幅のレンガ敷の小径を人にぶつからないよう気をつけながら店名を確認して歩く。

 ほどなく見つけて渉は足を止める。その立て看板の貼り紙に凍りつく。
 A4サイズのチラシには「おしゃれなイタリアンカフェでランチ街コン・参加者募集」の文字。黒板タイプの立て看板に貼られたその上部にチョークで「本日開催・貸し切り中」の文字。
 街コンだと!? 渉はくらりと倒れそうになる。

 街コンとはいうまでもなく、出会いを求める男女が集まるイベントだ。ここに茅子が、そわそわとおしゃれをして、いそいそとやって来ているというのか、そうなのか。

「あ、ほんとに来た。今頃遅いんだけど」
 ひょこひょこと店内から遠藤が出てくる。ショックのあまり渉はまだ言葉が出てこない、代わりに俊が遠藤に尋ねた。
「かやこがいるって聞いて来たんだけど。かやこは?」
「へ? 君だれ?」
「弟です」
「うそ、カヤコチャンの弟? カッコよすぎない? モテるでしょ?」
「かやこはどこ。呼んできて」
「カヤコチャンなら清水さんと帰ったよ」

「……!」
 清水の名前が出てきて更にショックで、反動で渉は我に返った。
「なんで清水さんまで」
「だから、頭数足りなくなったから職場の人も誘ってくれって頼まれて。ここ、中学の先輩の店でちょくちょく来てるから。たまーに開催してんだよ、街コン。小永井だって来てるだろ、ほら」