蜂谷先生が切金の部分にヘラを差し入れ、テコの要領で力を込めると、石膏型は難なく粘土から外れた。

 ここからが問題だ。

 先生は一瞬躊躇う様子を見せた後、思い切ったように剥き出しになった粘土の塊をヘラで少しずつ削り取ってゆく。

 その様子を見守りながら、俺はごくりと喉を鳴らす。

 今まで大切にしていたものを自らの手で壊す。一体どんな気持ちだろう。辛いかもしれない。それこそ胸の内では言葉では言い表せない感情が渦巻いているかもしれない。

 だから――だからこそ星乃の予想通り何か見つかりますように……!
 隣にいた星乃が、俺の上着の袖をぎゅっと掴む。彼女も祈るような視線で蜂谷先生の手元を見つめている。

 ――それからどれくらい経っただろう。

 塑像台の上に残ったのは、削られて細切れになった無数の粘土と、芯棒として使われていたらしい布の巻かれた小さな木片。

 それだけだった。

「これで、全部……?」 

 絞り出した星乃の声が、別人の発したもののようにしわがれて聞こえた。
 いくら塑像台の上を見回しても、他には何もない。

 蜂谷先生は言葉を発する事なく、塑像台の上にじっと目を落としている。赤坂も戸惑ったようにそれを見つめている。

 そんな……。

 俺達はまた、蜂谷先生に対して取り返しのつかない事をしてしまったんだろうか? 先生の大切にしていたものを滅茶苦茶にしただけだなんて。

 どうして俺は、星乃が「壊してみないか」と言った時に、止めるという選択肢を選ばなかったんだろう。こうなってしまう可能性だって充分あったのに。

 星乃も真っ青な顔で塑像台の上を見つめている。

 何か言わなければ……と口を開きかけたその時

「……妙だな」

 蜂谷先生が呟く。
 見れば、先生は芯棒(しんぼう)を手に取り、その表面に巻かれたものを指でなぞっている。

「普通、芯棒には棕櫚(しゅろ)(なわ)を巻いて使うものだが……こんな素材のものを巻いても粘土がうまく付かないはずだ。だからひび割れができてしまったんだろうが……」

 先生の手元を覗き込めば、なるほど、木片に巻かれた布は光沢のある薄い素材でできていて、粘土がくっつくような起伏がない。

「先生! その芯棒、私にもよく見せてもらえませんか? お願いします……!」

 星乃が声を上げる。明らかに必死な様子で。僅かな手掛かりを捜すように。

  そうして蜂谷先生から手渡された芯棒を、星乃は両手で回しながら観察する。
 
 布だと思っていたものは表面がつるつるとした幅一センチメートルほどの薄いビニール紐だった。

 梱包に使うようなそれが、長方形の木片の側面に隙間なく幾重にも巻かれている。どうしてこんなものを使ったんだろう。それも側面だけに。そうする必要があったんだろうか?

 俺がそこまで考えた時、はっとしたように星乃が顔を上げた。

「もしかして、小鳥遊先輩は敢えて芯棒にこのビニール紐を巻いたんじゃないでしょうか?」

「……一体何のために?」 

「防水のためです。芯棒を粘土による湿気から守るために、防水性のあるビニール紐を何重にも巻いたんです。でも、木片を守りたかったなら全体をビニールで覆うはずなのに、これは側面だけに巻かれて、上下の面は木がむき出しになっています。だから、保護したいのは紐と木片との間……もしかしたらそこに何かがあるんじゃないでしょうか? あの、ハサミか何かを貸してもらえませんか? この紐を切ってみたいんです」

「……それなら俺がやろう」

 蜂谷先生は芯棒を取り上げると、紐の隙間に小刀を差し入れて力をこめる。
 ぶつりと切れた箇所から手際よく巻き取っていくと、やがて紐の下から白いものが現れた。

 細長く折りたたまれた紙だ。それが木片に巻きつけられていたのだ。