万葉の都。 早朝6時。
わたしが、
最愛の
夫としている店は
1時間後の
朝7時には open札が掛かる
珍しいブックカフェ。
着物に金銭をかける『着倒れ』、
飲食に金銭をかけるは
『食い倒れ』――。
対して『寝倒れ』は少し様子が
変わると言っていい。
何故なら
寝てばかりいると
身持ちを潰してしまう
が
『寝倒れ』。
道楽を揶揄する意味合いとは
ちょっと
違う。
実際、
睡眠時間ランキングは
2番目に短いとされるから
夕暮れ迫るとーー
街も人も寝静まる――。かに
店は閉まり
人通りは無くなる。
そんな、
世界遺産の寺の
旧境内を中心とする
観光や商業地域のなかに
わたし達夫婦の
ブックカフェは
ある。
繊細な格子窓。
まっ白い漆喰壁に虫籠窓が映える
町家で、
常連さんからは
外見とちがって
シンプルでレトロモダンな
インテリアが
黒塗りの壁に浮き彫りに
なって良いとお褒め頂く。
わたしの拘りは
カウンターの渋艶タイルと
鰻の寝床奥の窓。
柳の葉が垂れ下がる
長テーブル席の背後に設えた
棚には
夫が選んだ
至極の本が並んでいる。
黒天井の高い吹き抜け
ソファーの席は
永遠を感じると人気で
いつも誰かしら
常連さんが座ってもいる。
朝7時から夜の23時。
夫と入れ代わり
店に立つわたしは、
今日もキンとした透明な空気の
早朝6時から
店の前に
お鹿さんが 『おやすみ』して
いないか
確認しつつ、
掃き掃除をしていて。
こんな
わたしには神様とのヒミツが
ある。
『神鹿』。
万葉の昔から神聖される鹿は
此処では
神様のお使い。
昔は
道で亡くなりになると
移動を
寺に願えねばならなく、
費用は
その敷地の持ち主払い。
ゆえに家の前の
お鹿さんの死骸を
隣の家の前に移動させて、
また移動させてと、
一番寝坊した人が
割を食う。
そんな話が生まれた江戸期には
特別な政策もあり、
殺生は持っての他。
誤って鹿を殺したとなれば
その子供が、
死骸と生き埋めされる
『石子詰』があるほど。
当時、寺の記録には
『死鹿清料控』金額は3文。
これが
『早起きは三文の徳』の
由縁なのだとか。
そんな昔話を聞きながら
わたしは万葉の都に
生まれ、
育ち、
営み、
伴侶を得た。
さて、
東大寺南大門の手前
観光客が連なり通る辺りから
少し
脇に逸れる池の畔に
興味のままに進んでみれば
突然
赤い鳥居が現れる。
広大な公園には
大仏殿から、
小さいながらも名を馳せる社が
点在する中、
緑芝生の公園に朱鳥居と
白い稲荷像だけ
鎮座する
場所がある。
名のみ語られる霊験さえ
謎な社。
不思議な匂いがする空間。
子供の頃から
この社を知る、わたしは
御百度参りを続けて、
丁度99度目の
霞みが、かかる朝。
何時もの赤鳥居を潜り抜けた
瞬間、
其処が何時もの公園ではないと
気付き、
とうとう
相手に出会える予感に震えた。
あるはずない
鳥居から伸びる参道。
金銀に光りつつ纏わりつく霞み。
参道の両脇に榊が植わり、
枝に藤の蔓が絡まり
房咲き、
松や桜が生えた
野原に
そここと鹿が寝そべって
こちらを伺っている。
覚束無い足取りで進むと
剥き出しの拝殿に着く。
背景には
新緑の影を落とす
春日山が横たわり、
煌々と白む空には
金色の月輪が現れて、
逆光の中に其の輪郭を
わたしの眼に
鮮やかに映し出す。
巨大な満月を
背負い、
神職袴の姿で佇んでいたのは
立派な御角を持つ稲荷狐。
わたしが望む相手でもある、
角稲荷の神使いの
『睡』
だった。
『いらっしゃいませー!』
朝7時からopen札をかける
わたし達夫婦のブックカフェは
朝7時から午後3時までが
わたしが担当。
夕方5時から夜11時までを
夫が切り盛りする。
今入ってきた
2人の女性客様に挨拶した
女学生ちゃんに
昼の11時から夕方5時まで、
男学生くんには
入れ替わり
夕方4時から夜10時までバイトを
お願いしている。
『冷し茶粥と奈良漬けセット。
と、素麺と柿の葉寿司セット。
珈琲は後ですね。はい。』
軽食オーダーを取って
女学生バイトちゃんが
『オーナー!冷茶セット1!
麺セット1です。あと、、』
小声で
わたしに耳打ちしてくれるが、
いつもの事なので
大体予想は
つく。
わたしは微笑んで、
バイトちゃんに頷くと
近くの老舗さんに卸してもらう
柿の葉寿司を
出して、
茶粥と素麺をセットする。
ブックカフェとはいえ、
本を読みながら
休憩する
常連さんや、
観光の人がマップを片手に
入店してくる。
『えー、あの人がマスターの
奥さん?ふつーじゃない!』
混じって、
夜の常連客か、
夫目当ての女性客が、
何の偵察だか
わたしを
やっか見に、朝や昼に
来るのも
慣れたもの。
『オーナー!葛きり、 しきしき、
入りました。セットしますね!』
バイトちゃんが
観光客のオーダースイーツを
準備する。
うちの茶粥は、ほうじ茶粥。
冬なら『おかき』を
月浮かべる。
水は
店の中庭にある自慢の井戸水。
茶粥奈良漬けセットと
素麺柿の葉寿司セットを
カウンターに出すと、
黒蜜黄粉葛きりと
しきしき茶ジャム餡をセットした
バイトちゃんが、
ブックテーブルに座りながら
わたしに視線を刺してくる
女性客2人に
手早く運ぶ。
わたしには、
スイーツ2つを観光客に
運ぶようにとの、
心配りができる彼女に
口が緩んだ。
最近彼女は、
夕方から入る男学生バイトくんと
付き合いはじめたらしい。
と、
夫に教えてもらった
からかもしれない。
『しきしき』は
和クレープにえんどう餅を
はさんだ
大和の伝統おやつ。
わたしも、夫も
子供の頃から、
親に作ってもらって
食べた
懐かしい味。
えんどう餅の甘いのや、
正月なら餅、葱や鰹節のお惣菜で
食べるのも良し。
カフェでは茶ジャム餡を挟む。
『ご馳走さま。珈琲、美味しい
からゆっくり出来るよ。本も
いろいろ読めたし、もう一仕事
してくるかなぁ。それにしても、
オーナーも大変だね。じゃあ。』
蔵書を読みながら
ゆっくりしていた常連客。
彼がそう
言いながら、チラリと
殺気まがいの視線をする
女性客2人を
見て苦笑するので、
わたしも、少し困った顔をして
見せて
お勘定をする。
夫の友人で、大学の研究室に
勤務する彼は
夫の時間も
わたしの時間でも顔を出す
律儀な一面を持つ。
『ありがとーございましたー!』
バイトちゃんの小気味のいい
挨拶に送られて彼が出て行くと、
今度は
初老の紳士が
アンティークレジスタ前に
立つ。
『朝から晩まで、なかなかの
入りらしいやないか。
坊とお嬢が切り盛りして、
お父ちゃんらも、安心やな。』
ニコヤかに
それでいて落ち着いた
雰囲気のまま、
わたしの定位置、
渋艶タイルのカウンター席で
さっきまで
珈琲を堪能していたご隠居は
わたしも、夫も頭が上がらない
子どもの頃からの
商店街の会長。
『しかし、一時はどうなるかと
肝を冷やしておったのだよ。』
ご隠居は、
細く垂れ下がる目を
わたしに向けて、
珈琲のお代をトレーに置くと
『ご馳走さん。またな。』と
颯爽と出て行かれ
『ありがとーございましたー!』
バイトちゃんの声を
背負いながら
商店街の顔馴染みに声を
かけて行く。
カクシャクそのもの。
時間は午後3時。
『時間ですねー。
オーナーお疲れさまでーす。』
頼もしい限り
バイトちゃんの言葉に礼しながら
店の奥、
坪庭を越えて設えた
2階住居への螺旋階段を
わたしは
上がる。
『しかし、一時はどうなるかと
肝を冷やしておったのだよ。』
さっきのご隠居声が
リフレインする。
まさかとは思いつつ
勘のいい商店街会長だから
気が抜けない。
『PPP、PPP』
アラームの音がして
わたしは、
寝室のドアを開ける。
ダブルベッドで
まだ眠る夫の姿が
目に入って、
とりあえずシャワーを
浴びる用意にと
静かに
着替えを
クローゼットから出した。
わたしと夫は
隣同士の幼馴染み。
夫は大学で
古典文学の助教授として働く
眼鏡イケメンだった。
子どもの頃からモテモテの彼。
隣住まいの幼馴染みという
アドバンテージがなければ
わたしなど
至って普通の
甘味処なんちゃって
看板娘なんかに
夫が
恋してくれるなんて
都合の良い奇跡は起きない
事ぐらい
充分心得えている。
ダブルベッドでまだ眠る
夫の頬に
そっと手を添えて
今日も おはようは伝えられず
心の中で思うのは、
最愛の貴方へ今日も囁く
わたしの
『おやすみなさい。』
*串蒟蒻 110円
*胡麻豆腐 110円
*大和雑煮330円
*柿の葉寿司110円
*ノンアルコールカクテル
各440円
夜の軽食メニューを出していくと
『マスター!お疲れさまでーす』
昼から入ってくれる
学生バイトの女の子が挨拶をして
上がる。
『日曜、11時行基の噴水な。』
そんな女子バイトちゃんに、
僕と仕事をしてくれる
学生のバイトくんが声をかける
のはもう
付き合ってるの公認だな。
『あ、マスター。お昼にまた、
ファンの常連さんたち来てまし
たよ!もう、なんなんですかね』
タイムカードを押して
其のまま出て行くかと思うと、
振り返りバイトちゃんが
僕に忠告してくれる。
『しゃあないよ。
ナチュラルイケメンの宿命って
やつだろ。ね、マスター。』
なんだろう。
ナチュラルイケメンって。
『じゃあ、あんたは縁ない話ね』
『ひどくない、それ。』
仲が良いんだよね、
本当に。
付き合い初めだしな、
楽しい時だよ。
どこか僕達の学生時代を
思い出させるかな。
『とにかく!マスター!オーナー
にちゃんと、フォローしておい
て下さいよね。何かなる前に!』
バイトちゃんに眼鏡の前で
ビシッと指を立てられて
しまった。
『いらっしゃいませ!』
学校や仕事終わり、
観光疲れの休憩に、
この日限りの人や
顔馴染と常連のお客さまが
入れ替わり
僕達のブックカフェに寄って行く
ゆっくり本を読む人や、
特別に本を御所望する方達は
もう少し夜の帳が降りる頃に
フラりとやって来る。
『よっ!マスター。いつもの』
気安げに入って来たのは
近くで工房をしている、腐れ縁。
『オーナーの時間に来たいのに、
予約入ってこれね~。疲れた』
体験工房をしているヤツは
子供の頃から
妻に懸想する
ライバルだったから
そんな事を今でも言う。
バイトくんがいつもの
胡麻豆腐と、柿の葉寿司、
大和茶をヤツに出してくれる。
『あ~オーナーに癒されたい~』
大和茶をゴクゴクと飲んで
渋艶タイルのカウンターに
うつ伏せる。
僕達のブックカフェは、
妻の家が営んでいた甘味処と、
隣だった
僕の両親の本屋を改装して
建てた
僕達の夢の場所。
コイツも、
僕達の家と同じ区画で仏具屋を
していた親の家を継いで
数珠や、お香、散華作りの
体験もしていて、
最近は体験の方が
忙しいらしい。
『そんな事いってると、いいか
げん奥さんに怒られますよぉ。
あ、日曜の11時過ぎに予約!
空いてたら、散華おねがします』
散華というのは、
仏様の来迎に
花が降ったという伝承から
菩薩の供養儀には
花や葉を撒き散らす。
華の芳香は鬼神を祓い
場を清めるからだとか。
本来の蓮花に代えて、
今は色紙で蓮華を模っている為か
手にすれば
功徳があると
守りや災い除け、呼福、
受験にと
法要で撒かれる美しい散華を
集める人もいるほど。
コイツの工房は
蓮形に互いの干支の守り本尊を
彩色写仏して
渡しあうとかで
ずいぶん流行っている
みたいだね。
『彼女とか!生意気だな~。
バイト内恋愛は禁止しろ~。』
腐れ縁のコイツは
そんな事を言って
ジト目で相手を睨むと、
バイトくんも負けてない。
『なんすか?!あ、どーしようか
な。マスターにオーナー取られ
た時点で、恋愛ご利益あるか
怪しいっすよねぇ。やめよかな』
バイトくんも
悪い顔をのぞかせて電話を
エプロンから
チラつかせるんだよね。
『やめろ?!そ~ゆの、すぐに
SNSすんな!空ける!
日曜、11時過ぎな!毎度!』
慌ててバイトくんの電話を
阻止しようとする
ヤツを
イタズラ顔で避けるバイトくん。
やれやれ
ゆっくり本を読むお客さまに
BGMを夜用に変えようか。
アンプスピーカーから流す
曲を入れ換えていると
『いらっしゃいませ!』
バイトくんの声で入り口を見る。
珍しく、
『睡』
が、そこに立っていた。
彼は羽織袴にブーツ。
この辺りは
万葉の都らしく、
着物姿も、コスプレも珍しくない
けれども、
僕の目には、
しっかり
彼の頭に
稲荷の耳と、男鹿の角が
生えているのが見える。
バイトくんと、
腐れ縁のヤツも何の不信感も
顔に出していないから、
どうやら
僕だけに彼の耳と角は
見えるらしい。
神気のせいか
顔とかも
僕以外は、
朧気になるらしいし。
『よう、珈琲やらをよばれるぞ』
彼は気にする素振りも
見せずに口を弓なりにして笑う。
今日はまだ黄昏時。
彼等が来るには早いようなと、
思いつつ
僕は『睡』に珈琲を出す。
『どうだ、1年立って。入 りは
上々らしいじゃないか。はん?』
妖艶な色気を放つドヤ顔で
見られながら
ブックカフェの様子を
聞いてくる神使ね。
妻にも
昔からモテモテだったと
言われる
僕だけど、
この方達に比べたら
とてもじゃない。
とわいえ、
この人成らざる美形顔から
見下ろされると、
本当に恐れ多いけど。
なぜだか、微妙にムカつくんだ。
『お前が良ければ、伴侶は
わしが善きに計らう。何時でも
解いてやろ。遠慮するなよ。』
頭に生えた稲荷耳を左右に
動かしながら
出した珈琲を、さも
旨そうに啜って
相変わらず
妖艶な笑顔で
妻を横取りすると、
僕を脅してくるからかな。
『いらっしゃいませ!』
再び、来客の様子に
入口を見ると
これは、、、
どうやら『睡』のお連れさま
みたいだ。
白いヘラジカの立派な角に
砂ずり藤の花が
絡み付いているている
鬣の頭に羽織袴姿。
それだけで、
どこの神使かは
なんとなく解るかな。
『春の。来たか。珈琲なるもの
馳走してやろう。座れな。』
ここは僕達のブックカフェ
なんだけどな、と
思いつつ
これまた、恐ろしい美貌を持つ
新手の客に
僕は珈琲を出す。
『春』と呼ばれた神使は
僕が出した
珈琲をクンクンと鼻を近づけ
嗅いでから、
カップをそのままに
チビりと舐める。
『春の、こうして掌に器を
持ち上げるのよ。粋にな。』
どうやら、
新手の神使も珈琲を
お気に召したよう。
僕はホッと安堵の息をついて
カウンターへ戻る。
『いらっしゃいませ!』
次々とバイトくんの来店挨拶が
かかるから、
見ると、、
今日の夜は何かあるのかな?
僕と妻のブックカフェは
僕が担当する
夜の時間には
人成らざる方達が
やって来る。
まだ黄昏時なのに
今日はもうブックカフェは
神使ばかりで満席だね。
『氷はないのか。』
現れた氷の角を持つ鬣の
神使にクレームを
言われながら
僕はすべての発端たる神使、
『睡』を
スマイル眼鏡の奥で
軽く睨らむ。
だってね、
これぐらいは許されると
思うよ。
昔から神聖とされる鹿は
神使だと
大人に聞きかされ
僕は万葉の都に
生まれ、
育ち、
営み、
伴侶を得た。
そんな僕の前に初めて神使の
『睡』
が現れたのは、夢の中。
漆黒の空間に
突然
赤い鳥居が現れる。
鮮やかな緑芝生に朱鳥居と
白い稲荷像だけが
鎮座する記憶にある場所が
目の前に広がる。
不思議に風の凪いだ空間。
霞みかかる無音夜。
僕は
ゆっくりと見覚えのある
赤鳥居を潜り抜けた。
瞬間、
其処が見覚えのある
場所ではないと
気付いて、
ああ
これは夢だと解ったんだ。
何故なら
あるはずない
鳥居から伸びる参道が見える。
金銀に光りつつ纏わりつく霞みは
神の雲だから。
道の両脇には邪気祓いの
榊が植わり、
その
枝に藤の蔓が絡まって
こんなにも房咲いているのに
全く
甘い薫りがしない。
やっぱり此は
可笑しいなと思うと
松や桜が生えた野原には
沢山の鹿が寝そべって
僕を伺い見て
どの鹿も瞳からルビーの光を
放っているんだ。
僕は妙な気持ちでゆっくりと
進む。
見たことがある
剥き出しの拝殿に着いた。
知っている拝殿なのに
背景には知らない光景がある
違和感。
新緑の影を
落とす
春日山が横たわり、
煌々と
白む空には
金色の月輪が現れて浮かぶ。
逆光の中に其の輪郭を
僕の眼に
鮮やかに映し出す影が、いる。
巨大な満月を
背負い、
神職袴の姿で佇んで、いる。
それが
立派な御角を持つ稲荷狐。
角稲荷の神使
『睡』
が、口を弓なりにして僕に
笑った?
『夢から醒めぬ、哀しき夫は
お前だね。二年越して眠りから
醒めぬお前に、妻から体を
捧げられし故、お前に黄泉還り
の魂術を施してやろ。寄れ。』
言われた言葉を理解できず
面食らう。
2年越して眠りから醒めぬ?
僕が唖然とした顔をしているのを
さも面白気に観察する
彼は
お構い無しに言葉を紡ぐ。
『わしも、主も人との約束故、
統べる地より離るるは
神無しの月の合瀬ほどよ。
他所を知らず、人の生業を知ら
ず情を知らねども、人は願うて
訪れる。なあ、知らぬ理にて、
人の思いなど汲めるはずなか
ろ。過ち汲めば 解らんとて
聞こえん振りするのよ。』
何だろう?
巨大な満月を背負うかに立つ
彼の姿に酔いそうで
言葉が耳を素通りしていく。
『しかし主は考じた。人なり
世を知り陳する人の声を誠を
計ってみようぞと、わしに命さ
れた。よってお前に術の条件を
与えたろ。わしらに、人の知事
を 開示するな会処を設けい。』
条件は、何に対する条件なんだ?
人の事を知る場所を作れ?
僕は彼の妖艶なまでの
美しい顔をまじまじと捉えて
応じなければ
どうなるのか?と問う。
『造作もない。お前は只只、魂の
予定の如く眠り終わるのみ。』
ニカアッと口を開けて
嗤う表情を見せ付けられて、
漸く僕は
『睡』
彼等の言う、ー人を知らずのー
本質が腑に落ちて、
応と答た。
『あい、妻、結願 得たり!』
ザーーーーーーーーー
と、
松や桜がざわめき
キヤアーーーーーーーー
と、
鹿達が嘶く
僕は再び漆黒の闇夜に落とされた
『マスターお疲れです。』
朝7時からopen札をかける
僕達夫婦のブックカフェ。
夜11時に
バイトくんが上がりの
挨拶をして、
closeの札をかけた。
結局、店の情報誌で見たとか
ほざいて
黄昏時
散る前は
綴じきらない蓮華を
見聞やと
意味深に嗤う
神使等は連れだって
出て行った。
本当は
昼に妻を
見に行く客と
同じで、
こんな僕を
見聞に来たのだと
充分理解しているよ。
妻は彼等にモテモテだからね。
『明日また、よろしくお願い
します。お先ですっ。』
バイトくんが帰り、
僕は
坪庭を越えて設えた
螺旋階段を
地下へと降りる。
両親の書店時代の
蔵書に
僕の収集本書庫。
幾つか店に出す本と、
ネットで希望された本を
腕に、
そのまま
住居になる2階に上がると、
独りシャワーの下で
暖かい水音を
浴びる。
僕は3年前に
交通事故で眠ったままになって、
『睡』
には、深淵彷徨う
夢で会った。
僕はすでに
第1チャクラが
破損して、
生体エネルギーを
地と体に循環出来なくなり、
本当は衰弱死だったと
其の時
彼に告げられた。
そんな僕の、為
妻が
『睡』
と、夢から醒める
交渉をした
のは
神の御技で、
妻の生体エネルギーを僕
とシェアするという
契約。
『PPP、PPP』
アラームの音。
シャワーを終えた
僕は、
寝室のドアを開け
ダブルベッドで
死し眠る妻の姿を
見つめる。不意に、
『何故、お前の腹黒なるを、
奴等は知らぬか、愚かな人か。』
僕目当ての
女性常連客を揶揄する、
『睡』
の台詞が
僕の頭内に
ぽかりと浮かび木霊する。
子どもの頃から変わらず
素直に清い心が
眩しい妻。
とりかえれるを知れば
清い彼女は、僕の為に全て
身を投げ出してしまうだろう
けど、
それは、とても
嫌なんだ。
ことば交わせず、
まぐわ獲ず、
子も成されない。
それでも
微ぎもしない胸の
生きる温のない君でさえ、
腕に囲い離れ難くて
奴彼に
取られまいと足掻くんだな。
今日も今日で、
唯一の
交換ノートに沢山沢山
記して
妻の冷たい薫りに
縋り絡み付くと、
僕らの
夜をつないで
愛おし過ぎる
君にはきっと
呪い同然の
合言葉を
唇ごと耳へ流し込めば
とりかえ、、に、な、る
『おやすみ。』
僕の最愛の君
終