どういうことだろう。
見知らぬ白い天井。
自分の足でここに来た訳では無いことは明白だった。
自分の身に起こったことを回想してみた──

この日は雲一つ無い、晴天だった。
せっかくだから散歩に出ようと外に出かけた。
「ねぇ、知ってる?最近、騒がれてる物騒な事件!」
「知ってるー!怖いよねぇ!事件の統一性がないんでしょ?」
 散歩の途中で、今話題の事件について女子高生たちが話しているのを聞いた。
そう、この町には恐怖を貶めている殺人事件が多発している。事件に統一性がなく、何に対しても気を張らなくてはならない。
誘拐、刺殺、放火、轢き殺し…彼のすることはさまざまだ。
「彼」と説明したが犯人の性別が男であるうえに、事件に彼が関わっている事実も、名前が桐生卓人であることも判明していた。
どこから洩れた情報なのかは分かっていない。
自身で自分だと分かる印を残していくのかも知れない。
「だめ…早く帰ろ…」
 考えてるうちに怖くなり寒気がした。
早足に家への道を歩く。
耳から流れる音楽プレイヤーの曲は場違いなような気がしてくる。
だけど、静かな住宅地の合間を歩くには安心材料として効果的だった。
人通りが少なく、民家が多く立ち並ぶ道を一人で歩いていた。
今思えば、これがいけなかったんだろう。
気がつけば、視界が逆さになっていた。

…え?
何、これ…。
逆さの視界の端で青い車と青年が笑ってるのが見えた。私、車に轢かれたんだと分かったのを最後に意識が途絶えた──



…私、車に轢かれて…それから…どうなったんだっけ。
私の目の前に広がるのは知らない家の天井。
ここは、どこだろう…。
あの青年は何だったの?
自分では何一つ答えが出せない。
「あ、起きたみたいだね」
「きゃあぁぁっ!?」
「あ、だめだよ!そんな大声だしたら。そんなことないと思うけどもし誰か通ったら外に聞こえちゃうよ」
「え?…何…だれ…?」
急に声をかけられて驚いて悲鳴が出るが、相手に慌てて抑えられ自分で口を覆う。
肩の力を抜けず固まった身体をジロジロ見られてしまう。
「ふっ…びっくりさせてごめんね。僕の名前は桐生卓人。知ってるかな。で、ここは君の住んでる町からは少し遠いところ、さらに言えば山奥で…僕の今の家。…さぁ、いま君に起きている状況がもう分かってるんじゃないかな?」
 桐生卓人。
当たり前だ。その名前を知らない人はたぶん居ない…世間知らずでなければ。
それはつまり…私は誘拐か何かをされたということだろう。
私は桐生を見つめ返す。
どうしてだろう…怖いはずだったのに、すごく冷静で居られる。
桐生は一切、目を逸らさない私を見て、困ったように顔を歪めた。
「間宮さん、怖くないの?今の状況、分かってる?」
 もちろん、分かっている。
今の状況が理解出来ないほど私は馬鹿ではない。
だけど、なぜだろう…目の前の人は普通にしてたらモテるだろう優男なイケメンで、怖い感じがしないからだろうか。
自分でも驚くほど、落ち着いていたのだ。
「私、あなたに車で体当たりされたんだよね。身体が逆さになって吹っ飛ぶほど…なんで、わざわざそんなこと…誘拐するなら車に押し込めばいいじゃない…」
疑問だった。
「…いい度胸してるよね、間宮さんって。…間宮さん、僕と行動を共にする気はない?」
「え?」
質問の答えを期待したのに、全くの見当違いで、その聞こえた言葉を疑った。
「うん、当然の反応だね」
「あっ、待ってよ、さっきの答え聞いてない!」
「せっかちって言われない?答えるから聞いてて。…ただ誘拐するだけだと暴れられたり声を出されたりして上手くいかないことを知ってるから死なない体当たりで気を失ってもらうのが僕のやり方。本当は都合のいい人間、見つけて誘拐して長時間、恐怖に震える人間を監禁してじっくり殺そうと思っていたんだけどね…間宮さんには出来なかったよ。どうやら、僕は気に入ったみたいなんだ、間宮さんの強情さと目にね。もちろん、それだけじゃないよ。初めてだよ、人間を生かしておきたいと思ったのは。僕と一緒に来る気ない?」


ここに来て初めて衝撃を受けた。
こんな展開、誰が想像していただろうか。
だけど…。
「少しの時間をあげよう。ただし、早めに決断してね。嫌なら嫌と断ってくれて構わないよ。でもね、よく考えて?僕が誰なのか」
 その先の言葉は十分に理解している。
彼は桐生卓人なのだ。殺人鬼だということを忘れてはいけない。
私は再度、彼を見つめる。また彼も困ったように顔を歪めた。
分かった気がするのだ。こうなることを。誘拐した人間を簡単に解放してくれる犯人なんて居るわけないからだ。
それに、彼…危ういのだ。
普段の行動とかではない。
精神に何か重いものを抱えていそうで危うい…しっかり私が彼を見てあげなくては…。彼の精神を私が支えてあげたい。
早い段階で考えがまとまっていた。どうして殺人鬼である彼のそばにいたいなんて思うのだろう。
私はこの短時間ですでに桐生卓人という人間に魅了させられていたのだ。
鬱屈とした代わり映えのない毎日を送ってきて、親も研究ばかりで子供に関心を向ける両親ではなかった。そんな中、私は思ったことがあるのだ。
誰でもいいから私を連れ去って欲しい…と。
「分かった。私あなたといる」
「本当にそれでいいの?」
優しいのね。
「考えを変えるつもりはないわ。あなたが引き込んだんだから責任をとりなさい」
「へぇ…いいね。分かった。じゃあ、僕と一緒に地獄に堕ちてよ。…ここなら誰もこないよ。部屋はあっちを使って。家から持ってきたい物があるなら車で送るよ。別に僕は顔までバレてる訳じゃないからね」
「…私を犯罪まで巻き込ませたりしないよね?」
「…ふっ…素人にさせるわけないじゃない。分かってるよ。きみに何かあれば僕が守るから。あぁだけど…まさか、僕の口から人を守るなんて言葉が出てくるなんてね…。大丈夫、間宮さんは死なせたりしない」
自嘲気味に笑う彼が気になった。
彼はどんな生き方をしてきたんだろう。いまの自分が出来るまで何かなければ、犯罪者なんてならないはず。彼にはサイコパス思考があるようには見えなかったのだ。これまでの積み重ねで作り上げたものだろう。
私で変えられるかな。いや、変えてみたい。彼の隠す闇を和らげてあげたい。
「ありがとう。私も自分のことは自分で守れるようになるよ」
 微笑んで答える。
殺人鬼に微笑む私は変なのかな。
卓人はそんな私に顔を歪めて目をそらしていた──



少し沈んだ太陽の光はまだ眩しくて目が覚める。
「ん…あれ…私、いつの間に寝てたんだろう…」
 体を起こし、自分の家ではないことに少し驚く。卓人が用意してくれた自分の部屋。
「そっか…私、あの人といることを選んだんだっけ…」
そばに置かれた時計に目をとめる。
3:10…もうそんな時間か…。
よく見ればこの家、ちゃんとした生活感のある家のようだ。最低限の家具以外の物がある点、若さを感じる。
「卓人くん?いるの?」
 物音一つしない。外の音すら聞こえない…。
静かすぎると思った。空調設備はどこも作動していなかったが、寒く感じ肩をさする。
リビングまで歩いて卓人がいないことを確認する。
私が起きた時、卓人が着ていたパーカーが掛けられていた。私にパーカーを掛けてどこかへ出かけたようだ。
薄情な人。私、まだここ来たばかりで不安なのよ、これでもちゃんと女の子なのよ。
「何で?私を置いてどこ行くっていうのよ…」
「──何か言った?」
「ヒェッ!?た、卓人くん…!?」
「ごめん、また驚かせたね。どうしたの、もしかして…寂しかった?」
誰もいないと思ってたのに。驚きを他所に当の本人、卓人はニヤニヤしていた。
楽しそうに聞かれて面白がってるのが分かる。本当にそうだって答えたらどうだっていうの?優しい言葉の1つでもかけてくれるの?
 本当、どうしてそんな気持ちになるのだろう。
私はついさっきまで彼が犯罪者であることを忘れてしまっていた。
「……私、まだ26歳なの」
「え?うん」
「度胸があってもこれでも女の子なの。来たばかりの家で1人って落ち着かないし、こんな場所だし余計に…」
「うん。寂しかったんだね?」
「…そうだって言ってるでしょ…」
何?試されてる?顔が熱くなる。
「そっかそっか(笑)ごめんね?今夜は置き去りにしたりしないよ」
 …今夜?
「ねぇ…夜、どこか出かけるつもり?」
「そうだよ。…どうかしたの?僕にとって夜は最高の活動時間だしね。もちろん、ついてくるよね?」
 …え?…何かする気なの…?
「…っ行く!」
説明をされてないけど、何かもし悪いことならわざわざ私を連れて行くはずがないと踏んで…。



「そう、良かった」
 と、彼は笑う。なぜかその上がる口角を凝視してしまう。何が良かったのだろう。
もしかして、私、早まったか?
私は彼が何かをしようとしていることに薄々と気づきはじめていた。
「…どこ行くの?」
「東京だよ。…クスクス…」
 …ゾクリ
寒気が背中を支配した。
卓人くん…あなたは何かしようとしているの?
私を犯罪に巻き込むのはやめてほしいと言ったことを覚えているのだろうか。
今の卓人は笑っていた。本当に嬉しそうに、楽しくて仕方ないという風に──


その日の夜のこと。
「間宮さん、今から出かけるけど出れる?」
「え?えぇ、大丈夫よ。」
持っていたカバンの中に入っていた手帳を見ていたときだった。チラリと手帳に視線を落とす。1週間後に施設見学の文字が目に入った。
浪人になってまで看護資格をやっと手に入れて卒業も間近だと言うのに。卓人はどこまで許してくれるのだろうか。
卓人について車庫に向かう。車でどこかへ向かうようだ。
「ねぇ…東京って言ったってどこよ?」
「…それはその内分かるんじゃない?僕からは何も言えないよ。」
 変な答え方…そう返ってくるんだと思っていたけど。
卓人は言いたくないことは真面目に答えないところがあるように思う。
卓人の運転する車に乗り込む。
「間宮さんってさ、何で看護資格取ろうと思ったの?」
え!?
思わず声が出るところだった。 そうか、私のこと調べたのか。そんなことも知っているのね…。
「あなたには何もかも筒抜けなの?…そうね、看護資格取ろうと思ったキッカケはね、少し前の話なんだけどね。車の轢き逃げに合ったとき友達が重傷を負ってね、何も出来ない自分に腹立たしいと思った…それだけのことよ。ありきたりな答えでしょ」
それも理由だけど、本当の理由は別にあるけどね。
「へぇ…友達想いなんだね、間宮さんって」
 そう言った彼は車を静かに走らせ、目的地につくと無断で端に車を寄せ停めた。
車が止まった場所は住宅地だった。
明らかにおかしい。
ここが、目的地?
夜であることもあり、静まりかえった住宅地はどこか怖く見える。
「降りる?待っててもいいよ。」

 少し迷った。
ここで降りたら何かに巻き込まれるかもしれない。それだけは絶対に嫌だった。桐生卓人と共にいることを望んだけど、犯罪を手助けしたり巻き込まれたり自分が犯罪者になるのだけはゴメンだった。
でも、それ以上に頭を埋めたのはここで卓人を見離すと私が後悔するような取り返しのつかないことが起きそうな気がしてならないのだ。
「行くわよ。こんなところで置いて行かれるなんてもっと嫌よ」
 心霊現象を信じてるわけじゃないけど、何か出てもおかしくない。
卓人の隣をしっかりキープして歩く。
「…間宮さん、もしかして暗いの怖いの?」
「…そんなんじゃ…ないわよ…」
声が少し震えてしまう。怖いのバレバレだった。ふっと息を吐く音が耳元でした。
「くっ付いてたらオバケも嫉妬して寄ってこないかもね、ほら」
腰を抱くようにして引き寄せられてしまう。
恋愛にはなかなかご縁のない生活だったから、急に異性を意識するようなことをされては戸惑ってしまう。
いっきに顔が熱くなる。
「いや、あの、まってっ…は、恥ずかしいから…」
やめてとは続けられなかった。
私が言葉を発した時から、卓人からの視線をずっと感じていたのだ。そんなに見られたら余計に恥ずかしい。
「そう?でも安心するでしょ?怖いって感情どこかいってたみたいだし」
「だからって…」
今どきの若い子って積極的っていうか、距離感いまと違うのかな…。火照った顔を手で仰いいて誤魔化す。
そんな私のことなんてすでに卓人には関心の的ではなかった。掴まれていた腰の手がふいにパッと離れる。
ハッとして卓人を見る。笑っていた。
「……何かここ危ない空気が流れてるね。面白そうだ」
「…どういうこと?」
「あれ?分からないかな。ここ…ガソリンの臭いすごくする。何やろうとしてるんだろうね…。楽しみだ」
 ゾッとした。何てことをサラリと言うのだろう。やっぱり狂っている。
私は彼の精神状態が不安になる。
「卓人くん?」
 卓人は私の呼びかけに反応しないほど、今の状況を楽しんでいるのだ。
いつの間にか卓人の足は速くなり私が後ろを歩く形になっていた。
いよいよおかしな雰囲気になってきて自分がここに居ていいのか分からなくなってくる。
と、いきなり卓人は立ち止まり、私は卓人の背中に突っ込んだ。
「な、何?」
「ねぇ、君でしょ?あの家、焼こうと考えてるのって」
 明らかに私に言った言葉ではなかった。