リュカが困り果てていた、丁度その頃――

「お、奥さま、お、王太子殿下がお見えでございます」

「殿下が? またお独りで?」

「はい、ご自分で馬車を(ぎよ)されて」

「もう……あの子ったら」

 彼の実家、王都のヴァンデール子爵家では、メイド長の報告に、リュカの母親ブリジットが呆れ果てた様子で肩をすくめていた。

 王太子――次期国王の来訪である。普通こんな貧乏子爵家に、王族が(みずか)ら足を運ぶことなどあり得ないことであるし、もしそんなことがあるなら一族郎党、膝をついて出迎えねばならぬところでもある。

 だが、ブリジットに慌てる様子は見受けられない。

 しばらくするとメイド長に先導されて、王太子バスティアンが姿を現した。

「殿下、護衛の一人もお連れにならねば、危のうございますよ」

 ブリジットが開口一番そう(たしな)めると、彼は、ニコリと微笑む。

「問題ありませんよ。王族を手に掛けた者は、九族誅滅というのが先代国王陛下の定めた我が国の法です。九親等、数百人に渡って処刑される覚悟のある者など、そうはおりますまい。それに私がここを訪れることを知る者は、少ない方が望ましいですからね」

「……確かにそうなのですけれど」

「それはそうと、リュー坊の成婚、なかなか大変な騒ぎになっているようですね。あ、失礼、まずは祝辞を述べるべきでしたね」

「もったいないお言葉です」

 王太子は二十代後半、サラサラの金髪と女性的な整った面貌。物腰やわらかな美男子である。

 今はお忍びの来訪ゆえに飾り一つない地味な服装ではあるが、それでも隠しきれない上品さが滲み出ている。

「父上も婚姻の申請が上がってきた時には、目を丸くしておられました。まさか相手があの戦乙女とは……ってね」

 国王のその時の様子を思い出したのか、彼は口元を緩めた後、真顔に戻ってこう言った。

「念のため申しておきますが、サヴィニャック公爵は忠誠心厚い方です。ですが、それでもあなた方の裏の顔を知られる訳には参りませんよ?」

「はい、その辺りは慎重にすすめて参ります」

「まあ、あなたがそうおっしゃるのであれば、本当に問題はないのでしょうけれど」

 王太子が彼女に、ここまで親しげなのには訳がある。

 それというのも彼は十代の頃、身分を隠してこの屋敷で暮らしていたことがあるのだ。

 暗殺貴族のそばほど安全な場所はない。先王が亡くなって、泥沼のような後継争いの中で、彼の安全を確保するために行われた措置だったのだが、彼はブリジットの甥と偽ってこの屋敷に二年ほども滞在していたのである。

 それゆえか、彼はヴァンデール子爵家の者たちを家族のように思っている節があった。

「ところで、例の『首狩り(ヘツドハント)』のことは何か掴めましたか?」

 王太子がそう問いかけると、ブリジットは目を伏せ、小さく首を振った。

「申し訳ございません。今のところは、まだ……」

 実は先日のアンベール卿暗殺の指示を受けた際、ブリジットは彼からもう一つ別の指示を受けていた。

 それが、殺人鬼『首狩り(ヘツドハント)』の抹殺である。

 本来、市井(しせい)の出来事に王家が首を突っ込むことなど有り得ないのだが、この『首狩り(ヘツドハント)』に関して言えば話は別。この殺人鬼は、王家にとっても無視の出来ない存在なのだ。

 世間には公表されていないことではあるが、実は首狩り(ヘツドハント)の殺害手段には首を持ち去る他に、もう一つ大きな特徴があった。

 それは凍死。真夏だというのに、発見された首のない死体はカチコチに凍り付いていたのだ。

 死体を検証した結果、首を刈り取られたのは死んだ後のことであって、被害者の直接の死因はいずれも凍死だったのである。

 真夏の街中で凍死、はっきり言って異常としか言いようが無い。

 だが実はたった一つだけ、そんな出鱈目なことを可能にするモノがある。

 それは先代国王が辺境の蛮族を討伐した際に手に入れた、三つの宝玉の一つ、『氷河の結晶』。

 氷を自在に操るという、まるでおとぎ話のような超常の力を宿した由来不明の宝玉である。

 王家の秘宝として、厳重に保管されていたはずのそれが宝物庫から失われたのは数か月前のこと。

 つまり殺人鬼『首狩り(ヘツドハント)』は、王家の秘宝、『氷河の結晶』を持ち去った犯人だと目されているのだ。

「しかし……あなた方らしくありませんね。こんなに手こずるとは」

「申し訳ありません。通常死体の一部を持ち去るのは、相手に強い執着を持つ者特有の行動なのですけれど、残された身体の雑な扱いを見ると、どうにもそれが当てはまりません。実際、被害者の人間関係を洗っても怪しい者は見当たらず、愛憎の(もつ)れや怨恨の可能性も薄い。とにかく手掛かりが無さすぎるのです。日々、配下の者に命じて陋巷(ろうこう)を見回らせておりますが、首狩りは女だというだけでは、どうにも雲をつかむような話ですので……」

「宝玉の力を発動できるのは女性だけですからね。……ただ、できるだけ早く宝玉を回収していただければ助かります。三つの宝玉も宝物庫に残されているのは、あと一つですし」

 三つの宝玉の内、一つは数年前に失われている。だがそちらは問題ない。今回はそれとは話が違うのだ。

 首狩り(ヘツドハント)が何者なのかはわからないが、超常の力を持つ宝玉の存在を近隣諸国に知られることがあれば、どんな難癖をつけられるかわかったものではない。宝玉を巡って、各国が一斉に攻め込んでくることすらあり得るのだ。

「重々、承知しております」

 これで話は終わりだろうと、ブリジットが見送りのために腰を浮かしかけたところで、王太子が再び口を開いた。

「待ってください。実は……本日訪れたのは、その件ではありません」

「と、おっしゃいますと?」 

「……伯母上のことです」

「伯母上? ヴェルヌイユ姫殿下がなにか?」

「ええ」

 久しぶりに耳にしたその名に、ブリジットは思わず眉を(ひそ)める。

 ヴェルヌイユ姫と言えば現国王の実妹にして、王位継承権第二位。非常に変わった人物で、(よわい)四十にして未婚の姫である。とはいえ未婚の姫を呼びならわす処女姫(バージンプリンセス)という呼称も、さすがに四十を超えると嫌がらせとしか思えない。

「伯母上が……戦場に兵たちの慰問に行くと言って、聞き分けてくれぬのです」

「それはまた、どうして……」

「わかりません。なにせ気まぐれなお人ですから。ある程度戦況が落ち着いてからということにはなるのでしょうが、護衛が伯母上子飼いの騎士たちだけではいささか不安が残ります。いや……不安がっているのは私ではなく陛下なのですけどね。そこで、なんとか伯母上に気付かれぬように、そちらで護衛をお願いしたいのです」

「……殿下、我々は暗殺者ですよ?」

「わかっています。ですが、そこをなんとか頼みたいのです。お願いします」

 王族に頭を下げられては、ブリジットもさすがに嫌とは言えない。

「およしください、殿下。わかりました。その代わり、報酬は期待しておきますので」

 ブリジットはそう言って悪戯っぽい微笑みを浮かべると、扉の前に佇んでいるメイド長の方を振り向いた。

「エレネ、話は聞いていましたね。誰を差し向ければ良いと思いますか?」

 ブリジットが問いかけると彼女は少し考えた末に、銀縁眼鏡を押し上げながら、こう答えた。

「戦場ということであれば、そうですね……双子が適任ではないかと」

「双子ですか……いいでしょう。少し先のことになりそうですが、彼女たちに旅の準備をさせておきなさい」

「かしこまりました」

 ブリジットは満足げに頷くと、今度は王太子の方に顔を向ける。

「という訳で、殿下。メイドを二名、姫殿下のお付きの侍女としてねじ込んでくださいませ」

「メイド? 私が頼みたいのは、護衛であって……」

「殿下、暗殺貴族に仕えるメイドですよ? ご心配なく、彼女たちも一流の暗殺者ですから」


 ◇ ◇ ◇


 ヴァレリィはバルコニーに歩み出て、空を見上げた。

 星は夜空に明るく、夏の盛りらしいジトリと湿り気を帯びた風が、彼女の赤毛を(なび)かせる。

「……なんというか、本当に期待を裏切らないヤツだな」

 彼女は乱れそうになる髪を押さえながら、苦笑気味に吐息を漏らす。

 彼女の伴侶となった少年は今、来客用の寝室に放り込まれて、うんうんと(うめ)いている。

 なんのことはない、長風呂でのぼせたのだ。

 実際のところ彼の運の無さを思えば、風呂好きの父につき合わされた時点で、こうなることは大体予想がついていた。

「まったく……父上はあの男の何を気に入ったというのだ」

 そうは口にしたものの、ならばどんな男なら満足なのかと問われれば、それはそれで困る。

 これまでは剣一筋。普通の女の子のように、恋物語に胸を焦がすようなことは無かったのだから。

(私は本当に、あの男のことを愛せるようになるのだろうか?)

 だが騎士に二言は許されない。愛せるかどうかではなく、愛さなくてはならないのだ。

 考えてみれば、運が悪いということ以外、あの少年がどんな人間なのかよく分かっていない。

 あえて思い出そうとしても思い浮かぶのは、転んだり、(つまず)いたり、机の角に足の小指をぶつけて(うずくま)っている姿ばかり。

(まずは、あやつの良いところを探すところから……だな)

 彼女がそう考えるのとほぼ同時に、星が一つ、青白い尾を引きながら北の空を滑り落ちる。

 それが消えていった方角を目で追って、彼女は静かに口を開いた。

「……私は流星になりたい。長い夜を越えて、愛するあなたの下へと降りていきたい」

 口をついて出たのは、詠み人も知らぬ古い(うた)の一節。どこで聞いたものかまでは覚えていないが、彼女が覚えている唯一の恋の(うた)だ。

(さすがに、こんな熱烈な恋は望むべくもないが、少しぐらい努力してみるのは悪いことではないだろう)

 と、彼女はわずかに口角を上げた。