白い湯気の立ち込める豪華な浴場。壁は金で縁取られ、陶磁の床に大理石の浴槽。

 自慢の風呂と言うだけのことはあって、その広さはリュカの私室の倍ほどもある。

「どうだ婿殿! 気持ち良かろう!」

「……はあ」

 熱い湯は確かに気持ちが良いが、気は休まらない。

 すぐ隣へちらりと目を向ければ筋骨隆々の肉体。上機嫌に鼻歌を歌うヴァレリィの父親の姿がある。

「あのぉ……公爵さま?」

「なんだ、他人行儀ではないか。この期に及んで公爵さまはないだろう」

「は、はぁ」

「パパでもダディでも好きなように呼べばよい。おすすめはパピーだ!」

「呼べるか!」

 ついつい素に戻って声を荒げてしまったことに気付いて、リュカは慌てて身を縮める。

「……す、すみません」

「ははは、構わんよ。こちらはクズで無能で役立たずという娘の言葉を前提に、君を婿に迎えているのだ。いつまでも猫を被られていては気持ちが悪くてかなわんからな」

 クズで無能で役立たずという言われ方にはちょっと引っかかるものがあるが、リュカは観念したとばかりに肩をすくめる。

「ああ、もう……。言っときますけど、ウチの家は貴族って言っても言葉遣いは相当汚いですからね。実際貧乏貴族ですし。後で文句言わないでくださいよ」

「構わんと言っておる」

 父親はそう言って大きく頷くと、リュカはため息混じりに問いかけた。

「しかし、なんで俺なんです? 団長ならもっとふさわしい縁談はいくらでもあるでしょうに」

「娘の話の大半が、君のことだからだ」

「は?」

「運に見放された貧乏神、才能の欠片もない粗大ゴミと、まあ、娘が帰省する度にそんな感じの話を聞かされておったのだが、娘がそこまで男の話をすることなどこれまで無かったことでな。ああ見えて我が娘は恥ずかしがり屋なのだ。だからこれは照れ隠しで、実は話に出てくるその男のことを好ましく思っておるのではないかと。ならば娘の気持ちを汲んでやるのが、親の務めではないかと、そう思ってな」

「いや……それ……照れ隠しじゃなくて、思いっきり本心だと思いますけど。それに公爵さまから見れば、子爵家なんて格下も格下。そんなのに娘をくれてやろうだなんて、乱心したと思われてもしかたないと思いますけど」

「はっ、そう思いたいものには思わせておけばよい。身分違いの恋ならば、私も通った道だからな」

「そうなんですか?」

「ああ、二人で国を捨てて逃げる約束までした。だが結局、私はこのサヴィニャックの家を捨てることは出来なかったのだよ。彼女にはいくら()びても()び足りんが、もはやどうすることも出来はしない。そういう訳だ。娘の身分違いの恋に反対する気になど到底なれん」

 ヴァレリィのは恋では無いのだから大前提からして間違えているのだが、無論そんなことを口に出せる訳が無い。

「それにだ。娘婿(むすめむこ)の候補者として君に目をつけたのは、実は十年近くも前のことなのだ。実際、娘の口から君の名が出た時には本当に驚いたものだ」

「……十年って、なんで俺を」

「実は現役時代、御前試合にて君の父上と剣を交えたことがあるのだ。結果は私の圧倒的な勝利だったのだが、私の目は節穴ではない。断言しよう。君の父上はわざと負けたのだ。恐らく私と彼の間には天と地ほども実力の差がある。圧倒的な強者でなければ、あれだけ鮮やかに負けることなど出来んのだからな。どんな事情があるのかは知らぬが、彼はその実力を隠していた。そして私は、君もまたそうだと睨んでいる」

(親父、ドジ踏んでんじゃねー!)

 胸の内で父親に毒づきながら、リュカは呆れた風を装って肩をすくめる。

「いや、言っちゃなんですけど、公爵さまの目は節穴だと思いますよ」

「ははは、まあいい。節穴ならそれはそれでかまわんよ」

「はあ」

「私自身は王家への忠誠を至上のものとしてここまで生きて来たのだし、娘にもそれを叩きこんできた。だがな。笑ってくれて構わないぞ。娘が騎士として独り立ちするようになって初めて、自分が正しかったのかどうか、わからなくなったのだ」

「なにがです?」

「娘の父として、一人の父親として、娘が戦地で死ぬかもしれないと思うと、急に恐ろしくなってしまったのだよ。卑怯でも良い、情けなくとも構わないから娘には生きていて欲しい。そう思ってしまったのだ。だからこそ私が唯一勝てないと思った男、その息子であれば娘を守ってくれるのではないかとな。おかしいと思うだろう?」

「おかしいとは思いませんよ。ただ、でっかい図体してつまんないことに悩むものだなと。そんなの当たり前じゃないですか。娘が死んで喜ぶ父親なんている訳ないんですから」

 相当に無礼な物言いではあるが、父親は気に留める様子もなく静かに微笑んだ。

「当たり前……か。やはり君は私や娘とは違うのだな。君の父上もそうだった。だからこそ頼みたいのだ。娘はこれからも王家のために身を投げ出そうとすることだろう。そんな娘を、君の妻を、ずっと守ってやって欲しいのだ」

 そして、彼は湯に鼻先が触れるほどに頭を下げた。

「公爵さま、買いかぶりですって。それに団長は俺が守らなくたって……」

「頼む」

 頭を下げ続ける父親の姿に、リュカはどう答えて良いものかわからなくなって、ただ眉間に深い皺を寄せた。