ヴァレリィが公務を休んださらに翌朝のことである。

「遅い!」

 玄関の扉を開けるなり大声を浴びせかけられて、リュカは思わず硬直した。

「えっ!? えっ!?  な、な」

 突然叩かれた猫みたいに目を丸くする彼の鼻先に、ヴァレリィが指を突きつける。

「まったく……貴様のことだから、道すがらに不運に見舞われて毎日遅刻しておるのかと思っておったが、こんな時間に屋敷を出ているようでは遅刻して当然ではないか!」

「だ、団長!? な、なんでこんなところに?」

「貴様を迎えにきてやったのだ!」

「迎えにって……。それに、ど、どうしたんです? その恰好」

「う、うるさい! ジロジロ見るな!」

 彼女の出で立ちは薄桃色の可愛らしいドレス。華やかな髪飾りも良く似合ってはいるが、少なくともこれから詰め所に向かおうという恰好ではない。

「でも今から着替えても、朝礼に間に合わないんじゃ……」

「それをお前が言うのか? この時間に屋敷を出ていれば、どのみち遅刻ではないか。だが、まあいい。今日は休む。感謝しろ、貴様の分も休暇届を出しておいてやったぞ」

「……はい?」

「父上がお前をお呼びだ。イヤだとは言わせぬぞ!」

「普通にイヤですけど」

「私だってイヤだ。だが、お前に拒否権はない」

「ええぇ……」

 休むこと自体は大歓迎なのだが、『あの父親に呼ばれている』と言われれば、その気の重さは絶望的としか言いようが無い。

 救いを求めて背後を振り返れば、玄関の奥では両親がニマニマと笑っていた。

 メイドたちが大量の手土産らしきモノを持っているあたり、親同士の間で話が通っているのはもはや疑いようも無い。

 結局、リュカは無理やり馬車に押し込められ、屋敷を出発することとなった。

 いかに公爵家の豪奢な馬車とはいえ、キャビンはそれほど広い訳ではない。

 そんなところに、不機嫌さを隠そうともしないヴァレリィと二人きり。気まずい。あまりにも気まずい。彼女は腕組みをしたまま一言も発せず、重苦しい無言の時が過ぎていった。

 そして王都の一番南、戦争狂(ウォーモンガー)と恐れられた先代国王が辺境の蛮族を攻め滅ぼした記念として建てた凱旋門をくぐる頃、とうとう沈黙に耐えきれなくなったリュカは、おずおずと口を開いた。

「あの……団長、お身体は大丈夫なんですか? 昨日、休んでおられましたけれど」

「ん? ああ、仮病だからな。昨日は父上に抗議するために実家に戻っておったのだ。周囲の者を巻き込むようなやり方は、さすがに腹に据えかねたのでな」

「その……大丈夫なんですか?」

「何がだ?」

「いえ、団長の御父上は随分怖そうな方でしたから」

 その瞬間、ヴァレリィの奥歯がギリッと音を立てた。

「ひっ!?」

 思わず身を逸らすリュカに、彼女は苦虫を噛み潰したかのような顔で語り始める。

「実は……父上と勝負をしたのだ。私が勝てば国王陛下に掛け合って婚姻そのものを取り消していただく。父上が勝てば大人しく貴様に妻として尽くすとな。無論、普通に剣を打ち合って私が父上に(かな)うはずがない。父上は素手。両足を縛り母上を背負いながら戦うという、私に有利な条件を呑んでいただいた上での勝負だ」

「それだけの条件なら負ける訳……」

「いや、惨敗だ。むしろそのせいで手加減が出来ぬ分、本気で殺されかけた」

 これにはさすがにリュカも目を丸くする。

 ヴァレリィは、『戦乙女』の異名を持つほどの剣の使い手なのだ。

 リュカの知る限り、国王陛下主催の御前試合でも負け知らず。一対一で彼女に勝てるものなどもはやこの国にはいないと、そう言われている。

 そんな彼女をとんでもなく不利な条件の下で打ち負かすのだから、彼女の父親は一体どんな化け物なのか。

「騎士に二言は無い。私は貴様を夫として生涯尽くす……だが、まだ気持ちの整理がつかんのだ。許せ」

「は、はぁ……」

 そこからは再び無言。むっつりと不機嫌そうに押し黙るヴァレリィに、リュカは何をどう言って良いかわからず、ただ時間だけが過ぎていった。