一夜明け、真面(まとも)に寝もせぬままに迎えた翌日の昼下がり。

 無理やり着せられた小綺麗な礼服姿のリュカは、時間の経過とともに重くなっていく気分そのままに、ソファーの上でぐったりと横たわっていた。

「逃げてぇ……」

 ソファーの座面に頬を(うず)めたまま、死んだ魚のような目で(なげ)く弟を見下ろして、エミリエンヌが呆れ混じりに肩をすくめる。

「リュー坊。そろそろ覚悟を決めたらどうなの」

「他人事だと思って気楽に言ってくれるよ。姉ちゃんだって、俺の運の無さは知ってるだろ。きっととんでもなくブサイクで、性格の悪い女が来るに決まってる」

「あはは……否定できない辺りが、なんともだねぇ」

 エミリエンヌが渇いた笑い声を漏らすのとほぼ同時に、庭先の方から馬車の停まる音が聞こえてきた。

「旦那さま、奥さま、おいでになったようでございます」

「ええ、それではお出迎えに参りましょうか」

 両親とメイド長が慌ただしく出て行ってしまうと、向かいのソファーに座っていたシャルロットが、不自由な目を閉じたままニコリと微笑む。

「どんなお方なのでしょう? お優しい方だと良いのですけれど」

 だが、結婚自体が不本意なリュカにしてみれば、末妹のその無邪気な問いかけは、なんとも返事に困る。

 彼は身を起こすと、話を逸らすように話題を変えた。

「シャル、そう言えば、身体の具合はどうなんだ?」

「ええ、お兄さま。まだ大丈夫です」

「遠慮するんじゃないぞ。俺は別に嫌じゃないからな」

 すると彼女は、なんとも申し訳なさげな表情になって小さく頷いた。

「ありがとうございます……お兄さま」

 やがて、リュカを呼びに来たメイド長が、

「坊ちゃまの奥さまがお待ちかねでございます。よろしゅうございましたね。とても美しい方ですよ」

 と、そう声を掛けると、彼は、「女の女に対する評価は信じないことにしてるんだ」とぶっきらぼうに吐き捨てて、のそりと重い腰を上げた。

 ため息とともにリュカが応接間に足を踏み入れると、両親とテーブルを挟んで向かい合う、年配の男性と若い女性の姿がある。

 男性の方は四十代後半ぐらいだろうか。

 がっちりとした大柄な体格。どちらかといえば蛮族の族長とでも紹介された方がしっくりくるような、四角く男臭い顔立ちの雄々し過ぎる男性である。

 恐らくこれが父親なのだろう。

(この父親の娘かよ……ヤバいな、こりゃ本当にメスゴリラかもしれないぞ)

 父親は立ち上がるとリュカの方へと歩み寄って、機嫌良さそうに笑顔を浮かべた。

「キミがリュカくんか! ふむ、急な申し入れを快く受け入れてくれたことを感謝する。娘と一緒に暮らし始めるのは、戦地から帰ってからということになるのだろうが、よろしく頼むぞ!」

「は、はぁ……」

 気の抜けた返事をしながら、リュカはその父親の背後、椅子に腰を下ろしている娘の方をちらりと盗み見た。

 父親と同じ燃えるような赤毛に、白い花の髪飾り。白いドレスを纏った清楚な出で立ちとは裏腹に、見るからに不機嫌そうな空気を纏わりつかせて顔を伏せたまま。

 どうやら彼女にとっても、この縁談は不本意なものらしい。

 リュカが、(二人してゴネれば破談に出来たりしないかな)と、そう思案しはじめたところで彼女が顔を上げた。

 その途端――

「え?」

「へ?」

 リュカと彼女、二人は目を丸くしたまま硬直する。

 そして――

「「うぇえぇえええええええええええええぇぇぇぇぇっつ!?」」

 ――二人して、素っ頓狂な大声を上げた。

「だ、だ、だ、だっ、だ、だ、だ、団長っ!? な、な、なんで、なんでこんなところに!」

「き、貴様の方こそ!」

 そこにいたのは、なんとヴァレリィ。

 昨日、リュカに散々説教をぶちかました彼の上司、騎士団長のヴァレリィであった。

「このクソ親父! 一体、ど、どういうことだよ!」

「ち、父上、これは何かの間違いではありませんか!」

 リュカとヴァレリィがそれぞれの父親に食ってかかるも、父親たちはそしらぬ顔。

「では公爵さま。顔合わせも済んだようですし、あとは若い二人だけで」

「うむ、ヴァンデール卿。それがよかろう」

 そう頷き合うと、抗議の声を上げる二人をその場に残して、そそくさと部屋から出て行ってしまった。

 残された二人は、呆然とその場に立ち尽くす。

 呆気にとられたような壮絶な静寂の中で、リュカが「なんで、こんなことに……」と肩を落とした途端、ヴァレリィが彼の胸倉を()じり上げながら声を荒げた。

「よ、よりによって、なんで貴様なのだ!」

「知りませんよ! 団長こそ! 断ってくださいよ!」

「出来るか! 貴様は父上の恐ろしさを知らんからそんなことが言えるのだ! それに私が知らされた時には、既に籍を入れられた後だったのだからな!」

「こっちだって一緒ですってば!」

 二人して、それぞれの両親に()められたとしか言いようが無い。

 ヴァレリィは不愉快げに頬を歪めながら、投げ捨てるようにリュカの胸倉から手を放すと、ギリリと奥歯を鳴らした。

「くっ……。こうなったら、貴様が此度の遠征で戦死してくれることを祈るしかあるまい。いや、祈っておっても(らち)が明かん。私も覚悟を決める。そうだ、私が()るしか……」

「その覚悟は決めないで!?」

 ただでさえ危険な遠征なのに、婚姻によってリュカの生存率が著しく低下した。

 そして、ヴァレリィは、リュカの鼻先に指を突きつけると、こう言い放ったのだ。

「くっ……せ、籍は入ってしまったが、勘違いするな! そうだ! 貴族の離婚は許されぬが、戦功を立てて、その褒美として陛下に入籍の取り消しを求めればお認めいただけるかもしれん! 今はくれぐれも他の団員たちに気取られないようにするのだ! ヤツらは絶対に面白がるに決まっておるからな! わかったな!」