スターゲイザー 少女の残骸と流星の詩

 北の果て、永久凍土の国に(たん)を発する大陸公路は、あいだにいくつもの小国を貫いて、大陸の南、砂漠の国エスカリス・ミーミルに突き当たるまで続く。

 ここでいう小国とは、フロインヴェール、ミラベル、ゴア、テルノワールの四つ。これら四つをあわせて『四姉妹』と称することもある。

 しかし、この四姉妹には現在、不穏な姉妹喧嘩の兆しが現れ始めていた。

 つい、数か月前のことである。

 テルノワールにおいて、商業組合と徴税官との小競り合いを端緒に暴動が勃発。すぐに鎮圧されるだろうという大方の予想を(くつがえ)して、それは革命へとエスカレートした。そして、遂には群衆の波が王宮を呑み込んでしまったのだ。

 王制の国々のど真ん中に突如として現れた、王を(いただ)かぬ国――共和制国家。

 近隣諸国の王族にしてみれば、明日は我が身。心穏やかでいられるはずも無く、ミラベル、ゴアの二国はすぐさまテルノワールへの出兵を決めた。

 良く言えば慎重、悪く言えば優柔不断な王を頂点に(いただ)くここフロインヴェールだけが、日和見(ひよりみ)を決め込んでいたという状況である。

 だが、度重なるミラベルとゴアからの要請にフロインヴェール王もとうとう覚悟を決め、出兵の触れが出されたのは、つい先日のこと。

 そんな(ただ)ならぬ状況下のフロインヴェール王都――サン・トガン。

 その中央、王宮の別棟にある金鷹(きんよう)騎士団の詰め所には、腕組みをした女騎士と、テーブルを挟んだその向かい側でしゅんと項垂(うなだ)れる少年の姿があった。

 少年の歳は十六。クセの強い黒髪が特徴的な他には、目立つところは何もない。背が高い訳でもなければ低い訳でもなく、顔立ちも至って平凡。

 なのに、不思議なほどに見すぼらしく見えるのは、覇気(はき)の欠片も感じさせない目つきのせいであろう。怒鳴りつけられてしゅんとする有様は、どこか捨てられた子犬を思わせる。

 一方の女騎士は、少年より少し年上の十八歳。彫刻かと見まがうような整った顔立ちに、燃えるような赤毛。多少気が強そうではあるが、(たぐ)い稀なる美女と言っても差し支えはないだろう。

 少年と同じ軽装鎧に包まれた肢体は、すらりとした八頭身。そんな彼女はつり目がちな赤い双眸(そうぼう)に、今にも溢れ出しそうな怒りを(にじ)ませていた。

「リュカ、貴様はなぜ私が怒っているのか、理解しているのだろうな」

「……も、もちろんです」

 夏の(さか)り、窓から差し込む夕陽に染まる石造りの床。その上で小さく縮こまっていた少年の影が、おずおずと頭を上げた。

「よし、ならば正直に答えろ! 昨晩、任務の最中に持ち場を離れ、どこへ行っていたのだ?」

「その、あの……こ、小腹がすいたので、炊事場(すいじば)に……。残り物でも貰えないかな、と」

「そうだな。使用人の一人が、お前に乾酪(チーズ)を二切ればかり渡したと証言している。どうだ、旨かったか?」

「え、あ……はい。さすがに大臣閣下のお屋敷ともなると、乾酪(チーズ)一つとっても、高級なやつで……」

「そうか、高級品だったか。ふむ、では聞くが、お前がおいしくその乾酪(チーズ)を喰らっている間に、護衛対象であるアンベール卿が殺害されたことについては、どう考えている?」

「うっ、あ……なんというか、その」

「その、なんだ?」

()()()()()……と」

 途端に、女騎士のこめかみに青筋が走った。

()が悪いで済む話では無いわ! 要人警護の最中に小腹がすいただぁ? 貴様が呑気に乾酪(チーズ)なぞ(むさぼ)っている間に、大臣閣下が喰い散らされておるではないか!」

「あ、あはは、さ、さすが団長、うまいことおっしゃる」

「やかましいっ!」

 女騎士がドンッ! と、テーブルに拳を落とすと、少年は首をすくめて身を跳ねさせる。

 そして、女騎士はテーブルの上へと身を乗り出し、彼の鼻先へと怒りの形相を突きつけた。

「貴様がドジで、どうしようもなく運が悪いのは百歩譲って許せても、素行が悪いのは別問題だ! 今日、私がどれほど将軍閣下からお叱りを受けたと思っている! 貴様は私に何か恨みでもあるのかッ!」

「恨みだなんて、め、滅相もありません!」

 彼女が口にしたように、リュカと呼ばれたこの少年はとんでもなくドジで、とてつもなく運が悪い。

 段差があればもれなく(つまず)き、外を歩けば鳥の糞が降ってくる。誰かが石を蹴れば彼の方へと飛んでくるし、金を持てば財布を落とし、女の傍によれば当然のように痴漢に間違われる始末。

 今回だって、置物のように立たせておくだけなら問題なかろうと、護衛対象の居室の前を見張らせていたのだが、結果はご覧の有様である。

 女騎士――この騎士団の団長を務めるヴァレリィは興奮気味に吐息を漏らすと、水差しから木椀へと水を注ぎ、それを一気に(あお)った。

 どうやら怒鳴りすぎて喉が()れたらしい。

 すでに、この詰め所にいるのは彼女とリュカの二人だけ。

 勤務時間が過ぎるやいなや、とばっちりを恐れた団員たちはそそくさと帰ってしまったのだ。

 帰っていく同僚たちの姿を目にして、リュカがそろそろ説教も終わるのではないかと、淡い期待を顔に出してしまったのがマズかった。

 それがヴァレリィの更なる怒りを買い、結果として現在の一刻にも及ぶ、延長戦の原因となったのである。

「本当にもう、貴様というヤツは……」

 ヴァレリィの怒りに釣り上がった(まなじり)が、次第に情け無げに垂れ下がり始めるのを見て、リュカはこの説教がまだまだ長引くことを確信する。

「どんな縁故かは知らんが、貴様なぞ王太子殿下の御推薦で配属されたのでなければ、とうの昔に叩き出しているところだ」

「……えーと、その、すみません」

「緊張感のない顔をしおって。貴様は今、この国がどんな状況にあるかわかっているのか!」

「わ、わかってますとも」

 そう答えはしたものの、リュカの目は明らかに泳いでいる。

 ヴァレリィは、彼をジトッとした目で見据えながら、ドスの利いた声で問いかけた。

「言ってみろ」

「えっ、えっと……その、もうすぐ、テルノワールへ出兵することになっています」

「そうだな。国王陛下が御心(みこころ)を定められたからには、すぐにも戦争に突入することになるだろう。その時、我ら金鷹(きんよう)騎士団は最前線で戦うことになる」

 リュカはちゃんと答えられた事にホッと胸を撫で下ろす。しかし、ヴァレリィの質問はそれでは終わらなかった。

「それから!」

「えっ!? そ、それから? えっと、あの、その……」

 リュカの目が、泳ぐどころかぐるぐると回り始めたのを見て、ヴァレリィは呆れ混じりのため息を吐き、彼のことをギロリと睨み付けた。

首狩り(ヘツドハント)だ!」

「ああ、そう! そうでした!」

「そうでしたではないだろう! そもそも我々がアンベール卿の護衛に回ることになったのは、ヤツが卿を狙っているという情報が(もたら)されたからであろうが!」

 ――首狩り(ヘツドハント)

 それは数日前から王都を騒がせている、連続殺人鬼の通名である。

 女だということ以外は何もかもが不明。死体から首を持ち去るというあまりにも特徴的な手口で、既に十名近い市民を殺害していた。

 通常、市井(しせい)の治安維持活動は衛士たちの業務であって、主に貴族の子弟によって構成される騎士団には関わりの無いことなのだが、今回ばかりは護衛対象が大臣ということもあり、彼女たち金鷹(きんよう)騎士団も護衛要員として駆り出されたのだ。

「それにしても、首狩り(ヘツドハント)ってのは大胆なヤツですよね。騎士団が守りを固める屋敷に侵入してくるなんて」

「馬鹿者! 貴様は運や態度だけではなく目まで悪いのか? アンベール卿を殺害したのは、ヤツではないぞ」

「え、でも」

「アンベール卿の遺体には、首があっただろうが!」

「あ、そういえば……」

「そもそもこの話は最初からおかしかったのだ。これまで首狩り(ヘツドハント)の被害者は庶民の若い女ばかりだったというのに、どういう訳か今回に限ってはアンベール卿を狙っているというのだからな」

「ですよね! そう、そうなんですよ! 俺も、きっとガセだろうと思ってたんです!」

 なぜか、誇らしげな顔をするリュカを睨みつけて、ヴァレリィが声を荒げた。

「だからと言って、持ち場を離れて良いという話にはならんわ! 結果的にはアンベール卿は殺されたのだ。獣に食い荒らされたかのような無残な姿でな。今回の犯人は別のヤツだ。取り急ぎ『喰人鬼(しよくじんき)』と呼称されることになったが」

「うわぁ……」

「なんだ? 国王陛下の命名に、文句があるのか!」

「うぇっ! 国王陛下!? とんでもありません! さすが陛下! 最高! 最高の命名です!」

 必死で愛想笑いを浮かべるリュカ。だが、ヴァレリィはそんな彼を冷め切った表情で眺めて、こう告げた。

「ほお……そうか。ならば、どのあたりが最高なのかじっくり聞かせてもらおうではないか」

 ここまでくると、もはやただのイビリである。

 リュカにとって彼女の説教は日常の一部ではあるが、よほど将軍閣下に叱責されたのが(こた)えたのか、今日の彼女はいつも以上にねちっこい。

 リュカは少なくともあと一刻は、この説教という名の気晴らしが続くことを確信した。
「はぁああああぁ、酷い目にあった……」

 リュカは屋敷に戻った途端、腰の剣帯を外しもせずにソファーの上へと倒れこんだ。

「ちょっと! 坊ちゃま、横になるにしても、せめて着替えぐらい済ませてからにしてくださいまし。ソファーが汚れてしまいます!」

「まあまあ、お兄さまはとてもお疲れみたいですから」

 銀縁眼鏡を押し上げながら、批難じみた声を上げるメイド長を、リュカの幼い妹――シャルロットが(なだ)める。

 幼く目の不自由な彼女にそう言われてしまえば、普段リュカにだけ当たりのキツいメイド長も、それ以上はもう何も言えない。

「はぁ……仕方ありませんね」

 不本意げなメイド長のため息をよそに、リュカは横になったまま、気だるげに周囲を見回した。

 居間には家族が勢揃い。どうやら夕食を終えた直後らしく、父と母、姉に妹が、食後のお茶を楽しんでいる際中だったようだ。

「わはは! その分では大分絞られたようだな」

「まったく、ネチネチいたぶりやがってさ。そりゃ嫁の貰い手もねーわ」

 面白がるような父親の物言いに、リュカは思わず唇を尖らせる。

 結局あの後、一刻どころかそれ以上もいたぶられ続け、おかげで夕食の時間にも間に合わなかったのだ。

 運が悪いのは今に始まったことではないが、あのヒステリー女が上司だということが最大の不運だと、リュカは心底そう思う。

「にゃはは、いやー悪いねぇ、リュー坊」

 ソファーの背後からリュカの顔を覗き込んできたのは、姉のエミリエンヌ。

 適当に縛った黒髪に、整ってはいるが化粧っけのない顔。首回りのよれよれにたわんだ短衣(チユニツク)が、貴族令嬢とは思えないだらしなさを(かも)し出している。

「あ、ここにも貰い手の無いのがいた」

「……ぶん殴るよ?」

 彼女もヴァレリィと同じく十八歳。

 貴族の子女は早い者なら十二歳、遅くとも十六歳ぐらいまでには大抵輿入れか婿取りを済ませる。

 そんな中で十八にもなって独身とくれば、立派な行き遅れとしか言いようがない。

 ところが実は彼女もヴァレリィも、決してモテないという訳ではない。

 むしろ逆。二人とも引っ切り無しに縁談を持ちかけられては、それを(そで)にし続けているのだ。

 ヴァレリィはあのキツい性格を知らなければ絶世の美女。エミリエンヌも外面(そとづら)だけは素晴らしく、家の中と外ではほぼ別人だと言っても良い。

「まぁ、あっちはどうか知らないけど、姉ちゃんの場合、結婚相手に求める条件が特殊すぎるからな」

 リュカがそうフォローすると、エミリエンヌがうんうんと頷いた。

「そうそう、そういうこと! 暗殺貴族ヴァンデール子爵家に婿入りできる男なんてそうそういないんだから、しょーがないよねー」

 名門とは言わないまでも名籍の古い家門であるヴァンデール子爵家には、表には出せない裏の顔がある。

 それが、()()()()

 彼らは代々王家の走狗として、主に仇なすものを闇に葬ってきた暗殺者の一族なのだ。

「それはそうと姉ちゃん、くだらないドジ踏むのは勘弁してくれよ」

 突然、リュカが思い出したようにジトリとした目を向けると、エミリエンヌはバツが悪そうに頭を掻いた。

「あはは、ごめーん。いやーまさか()()()()()()()()()()()終わる前にさ、誰か来るなんて思わないじゃない。あんな夜中にさ」

 実は今回、王太子バスティアンの指示で財務大臣のアンベールを始末したのは狼使いの姉、エミリエンヌである。

 実際、アンベールはやり過ぎた。巨額の横領を働きながらも、余りにも巧みな手口で悪事を隠蔽し、証拠を掴ませなかったのだ。

 通常なら投獄の上、財産の没収で(あがな)えるような罪なのだが、その才覚が仇となって暗殺貴族に命を奪われることになったのである。

 近頃、世間を騒がせている首狩り(ヘツドハント)が次に狙っているのはアンベール卿だという噂を流し、王太子がそれならばと、善意に見せかけて騎士団を警護につける。

 そして、リュカの警護の番が来たらあえて持ち場を離れ、その間にエミリエンヌが屋敷に侵入して狼たちにアンベールを始末させるという段取りになっていたのだ。

「こんなことなら、素直に俺が()った方が良かったんじゃねーの?」

「剣で始末すればいくら味噌っかすを演じていても、護衛に従事していたお前が真っ先に疑われるだろうが。蟻の一穴から(つつみ)が瓦解するという(たと)えもあるのだ。ことは慎重に運ばねばならぬ」

 父親のジョナタンが重々しくそう告げると、リュカは呆れたと言わんばかりに肩をすくめた。

「で、ドジ踏んでりゃ世話ねぇっての」

「そんな意地悪言わないでよ。別にアタシが()ったってバレた訳じゃないんだからさぁ」

 そのまま血痕だけを残して、アンベールは行方不明――と、そういう段取りだったのだが、予想外の出来事が起こった。

 夜中だというのに女が一人、アンベールの寝室に忍び込んできたのである。

 アンベールの奥方とは別の女、いわゆる情婦だ。

 彼女がけたたましい悲鳴を上げたおかげで、エミリエンヌは処理している途中の死体を放り出し、慌てて逃げ出す羽目に陥ったのだ。

「犯人は、『喰人鬼(しよくじんき)』って呼ばれることになったってさ」

「えー、なにそれ、ダサすぎ。あはは!」

「笑いごとじゃねーぞ、姉ちゃん。おかげでほんっとに酷い目に遭ったんだからな!」

 リュカがそう言って唇を尖らせると、母親のブリジットが大きく頷く。

「そうですよ、エミリ。笑いごとではありません。失敗は失敗なのですから、ちゃんと罰を受けてもらいますからね」

「ええっ!? マヂで?」

 思わず身を固くするエミリエンヌに、ブリジットはニコリと微笑みかけた。

「ええ、もちろん。とりあえず罰としてここから一ヶ月、『入浴はパパと一緒の刑』に処します」

「えぇーっ! ちょ、ちょっと! ママ! アタシもう十八だよ、絶対ヤだよッ!」

「……そんなに嫌がらなくてもいいじゃないか」

 傷ついた顔をする父親に構うことなく、エミリエンヌは悲鳴じみた声を上げる。

「どこの世界にパパとお風呂に入る成人済みの娘がいるってのよ! イヤ! 絶対にイヤよ!」

「イヤじゃないと、罰にならないでしょう?」

 ブリジットがそう(たしな)めると、幼い妹のシャルロットが話に割り込んできた。

「そうですよ、お姉さま。ワタクシだって、我慢してパパと一緒に入ってるんですからね」

「……我慢して」

 幼い末娘の悪意の無い一言が父親を直撃。彼はがくりと肩を落とす。そんな父親を尻目に、母親は「そういえば」と、思い出したかのようにリュカの方へと顔を向けた。

「リュカ。あなた、明日は非番でしたわよね」

「うん、そうだけど……なに?」

 なにか、面倒な用事を押し付けられるのではないかと身構えるリュカ。

 そんな彼に、母親はやけに楽しげな様子で、こう告げた。

「明日は来客がありますから、遊びに出かけたりしちゃダメよ」

 含みのある微笑みを浮かべる母親に、リュカは怪訝(けげん)そうに眉根を寄せる。

 すると、どうにか立ち直った父親が一つ咳払いをして、やけに重々しくこう告げた。

「客というのは……おまえの伴侶だ」

「…………はい?」

「今日、お前の公爵家への婿入りが決まったのだ。正式なお披露目は遠征から戻ってきてからという事にはなるが、先方たってのご希望でな。本日のうちに籍を入れておいた」

「はぁああああああぁぁぁっ!?」

 これには、さすがにリュカもソファーから飛び起きる。

 それはそうだ。婚姻の申し込みをすっ飛ばして婿入りが決定。それどころか既に籍が入っているというのだから、驚かない方がおかしい。

「ちょ! ちょっと待て! 勝手なことすんじゃねぇ! クソ親父!」

「馬鹿者! 我がヴァンデール家はエミリエンヌとその婿が継ぐのだから、お前はいずれどこかに婿入りせねばならんのだ。相手は超名門の大貴族だぞ。それが是非にと、お前を名指しで指名してこられたのだ。こんな機会は滅多にあることではないだろうが!」

「ムチャクチャだ! 俺の意志はどうなるんだよ!」

「貴族の子弟にそんな自由があるとおもうか? ともかくお前に拒否権はない! 明日の昼過ぎにはお越しになるから、くれぐれも粗相のないように!」

 顔も知らぬ相手との婚礼など、貴族社会においてはよくある話。

 だが自分の身に降りかかってくるとなると話は別だ。

「嘘だろ……」

 思わず項垂(うなだ)れるリュカの頭を、幼い妹と半笑いの姉が、「よしよし」と慰めるように撫でた。
 一夜明け、真面(まとも)に寝もせぬままに迎えた翌日の昼下がり。

 無理やり着せられた小綺麗な礼服姿のリュカは、時間の経過とともに重くなっていく気分そのままに、ソファーの上でぐったりと横たわっていた。

「逃げてぇ……」

 ソファーの座面に頬を(うず)めたまま、死んだ魚のような目で(なげ)く弟を見下ろして、エミリエンヌが呆れ混じりに肩をすくめる。

「リュー坊。そろそろ覚悟を決めたらどうなの」

「他人事だと思って気楽に言ってくれるよ。姉ちゃんだって、俺の運の無さは知ってるだろ。きっととんでもなくブサイクで、性格の悪い女が来るに決まってる」

「あはは……否定できない辺りが、なんともだねぇ」

 エミリエンヌが渇いた笑い声を漏らすのとほぼ同時に、庭先の方から馬車の停まる音が聞こえてきた。

「旦那さま、奥さま、おいでになったようでございます」

「ええ、それではお出迎えに参りましょうか」

 両親とメイド長が慌ただしく出て行ってしまうと、向かいのソファーに座っていたシャルロットが、不自由な目を閉じたままニコリと微笑む。

「どんなお方なのでしょう? お優しい方だと良いのですけれど」

 だが、結婚自体が不本意なリュカにしてみれば、末妹のその無邪気な問いかけは、なんとも返事に困る。

 彼は身を起こすと、話を逸らすように話題を変えた。

「シャル、そう言えば、身体の具合はどうなんだ?」

「ええ、お兄さま。まだ大丈夫です」

「遠慮するんじゃないぞ。俺は別に嫌じゃないからな」

 すると彼女は、なんとも申し訳なさげな表情になって小さく頷いた。

「ありがとうございます……お兄さま」

 やがて、リュカを呼びに来たメイド長が、

「坊ちゃまの奥さまがお待ちかねでございます。よろしゅうございましたね。とても美しい方ですよ」

 と、そう声を掛けると、彼は、「女の女に対する評価は信じないことにしてるんだ」とぶっきらぼうに吐き捨てて、のそりと重い腰を上げた。

 ため息とともにリュカが応接間に足を踏み入れると、両親とテーブルを挟んで向かい合う、年配の男性と若い女性の姿がある。

 男性の方は四十代後半ぐらいだろうか。

 がっちりとした大柄な体格。どちらかといえば蛮族の族長とでも紹介された方がしっくりくるような、四角く男臭い顔立ちの雄々し過ぎる男性である。

 恐らくこれが父親なのだろう。

(この父親の娘かよ……ヤバいな、こりゃ本当にメスゴリラかもしれないぞ)

 父親は立ち上がるとリュカの方へと歩み寄って、機嫌良さそうに笑顔を浮かべた。

「キミがリュカくんか! ふむ、急な申し入れを快く受け入れてくれたことを感謝する。娘と一緒に暮らし始めるのは、戦地から帰ってからということになるのだろうが、よろしく頼むぞ!」

「は、はぁ……」

 気の抜けた返事をしながら、リュカはその父親の背後、椅子に腰を下ろしている娘の方をちらりと盗み見た。

 父親と同じ燃えるような赤毛に、白い花の髪飾り。白いドレスを纏った清楚な出で立ちとは裏腹に、見るからに不機嫌そうな空気を纏わりつかせて顔を伏せたまま。

 どうやら彼女にとっても、この縁談は不本意なものらしい。

 リュカが、(二人してゴネれば破談に出来たりしないかな)と、そう思案しはじめたところで彼女が顔を上げた。

 その途端――

「え?」

「へ?」

 リュカと彼女、二人は目を丸くしたまま硬直する。

 そして――

「「うぇえぇえええええええええええええぇぇぇぇぇっつ!?」」

 ――二人して、素っ頓狂な大声を上げた。

「だ、だ、だ、だっ、だ、だ、だ、団長っ!? な、な、なんで、なんでこんなところに!」

「き、貴様の方こそ!」

 そこにいたのは、なんとヴァレリィ。

 昨日、リュカに散々説教をぶちかました彼の上司、騎士団長のヴァレリィであった。

「このクソ親父! 一体、ど、どういうことだよ!」

「ち、父上、これは何かの間違いではありませんか!」

 リュカとヴァレリィがそれぞれの父親に食ってかかるも、父親たちはそしらぬ顔。

「では公爵さま。顔合わせも済んだようですし、あとは若い二人だけで」

「うむ、ヴァンデール卿。それがよかろう」

 そう頷き合うと、抗議の声を上げる二人をその場に残して、そそくさと部屋から出て行ってしまった。

 残された二人は、呆然とその場に立ち尽くす。

 呆気にとられたような壮絶な静寂の中で、リュカが「なんで、こんなことに……」と肩を落とした途端、ヴァレリィが彼の胸倉を()じり上げながら声を荒げた。

「よ、よりによって、なんで貴様なのだ!」

「知りませんよ! 団長こそ! 断ってくださいよ!」

「出来るか! 貴様は父上の恐ろしさを知らんからそんなことが言えるのだ! それに私が知らされた時には、既に籍を入れられた後だったのだからな!」

「こっちだって一緒ですってば!」

 二人して、それぞれの両親に()められたとしか言いようが無い。

 ヴァレリィは不愉快げに頬を歪めながら、投げ捨てるようにリュカの胸倉から手を放すと、ギリリと奥歯を鳴らした。

「くっ……。こうなったら、貴様が此度の遠征で戦死してくれることを祈るしかあるまい。いや、祈っておっても(らち)が明かん。私も覚悟を決める。そうだ、私が()るしか……」

「その覚悟は決めないで!?」

 ただでさえ危険な遠征なのに、婚姻によってリュカの生存率が著しく低下した。

 そして、ヴァレリィは、リュカの鼻先に指を突きつけると、こう言い放ったのだ。

「くっ……せ、籍は入ってしまったが、勘違いするな! そうだ! 貴族の離婚は許されぬが、戦功を立てて、その褒美として陛下に入籍の取り消しを求めればお認めいただけるかもしれん! 今はくれぐれも他の団員たちに気取られないようにするのだ! ヤツらは絶対に面白がるに決まっておるからな! わかったな!」
「はぁ……エラいことになっちまった」

 とぼとぼと騎士団詰め所へと歩きながら、リュカは深いため息を吐いた。

 このままではマズい。

 ヴァレリィの尻に敷かれる、そんな一生が待ち受けている。

 運が悪いとか、もうそんなレベルの話ではない。

「どうしたもんだろうなぁ……」

 そう呟きながら、騎士団詰め所のある王宮別棟の入り口に差し掛かったところで――

「あ」

「げっ」

 彼は、ばったりとヴァレリィに出会ってしまった。

 リュカの姿を目にした時の彼女ときたら、害虫を見る目つき、まさにそれである。

 よく見れば、彼女の目の下にはかすかに(くま)が出来ている。それを指摘すると――

「見るな、馬鹿者。貴様をどうやって殺せばバレないかと、何千通りと殺害方法を考えておるうちに夜が明けてしまったのだ」

「なんて物騒な……」

「ふん! ともかく! 昨日言った通り、くれぐれも他の者には気取られないようにするのだぞ。貴様のような半端者に(めと)られたなどと知れたら、憤死しそうになるわ」

「……って言っても、いつかはバレるんですけどね」

 思わず肩をすくめるリュカ。だが、ヴァレリィが完全に不貞腐(ふてくさ)れた顔つきで詰め所の扉を開けた途端、

「「団長! ご結婚おめでとうございまぁあああぁぁぁす!」」

 盛大な拍手とともに、待ち受けていた騎士たちが歓声を上げた。

「「な!?」」

 思わず目を丸くして固まるヴァレリィとリュカ。

 そんな二人を騎士たちが取り囲んで、口々に祝いの言葉を述べ始める。

「おめでとうございます!」

「水臭いじゃありませんか! 団長!」

「いやー! まさか二人がそんな関係になってたなんてなー!」

「ツイてないとか言ってた割にゃ、一番の幸運引き当てやがって! (うらや)まし過ぎんだろが、リュカ! 死んじまえ! この抜け駆け野郎!」

 突然のことに完全に硬直していたヴァレリィが、我に返って声を上げた。

「ま、ま、待て! 待て! 待て! お、おまえたち、ど、ど、ど、どうしてそれを!」

「どうしてって……なあ」

 騎士たちは怪訝(けげん)そうな顔をして、互いに顔を見合わせる。

「昨晩、団長の御父上から届いたんですよ。成婚の内祝いが」

「なん……だと」

 思わず頬を引き()らせるヴァレリィと頭を抱えるリュカ。

 どうやら父親たちの方が一枚上手だったらしい。

「そりゃー、びっくりもしましたけどね。でもよくよく考えて見りゃ説教とはいえ、他の連中より団長とリュカが一緒に居る時間も長かった訳ですし、顔を突きつけてる時間が長けりゃ恋に落ちるなんて、そういうこともあんのかなって」

「……ねぇよ」

 そんなリュカのぼやきは完全に黙殺されて、騎士たちは大きく頷き合う。

「遠征の間もまあ、新婚さんですからね。戦闘以外はイチャイチャしてもらっても良いっス。俺ら見て見ぬフリします。それぐらいの気遣いはできますから!」

「そうそう! 戦闘以外はまあ、新婚旅行のつもりで!」

 騎士たちは善意のつもりなのだろうが、ヴァレリィは更に顔を引き()らせたかと思うと、たまらず声を上げた。

「そんな物騒な新婚旅行があるかっ!」

 そして翌日、ヴァレリィは(やまい)と称して、初めて公務を欠席したのである。
 ヴァレリィが公務を休んださらに翌朝のことである。

「遅い!」

 玄関の扉を開けるなり大声を浴びせかけられて、リュカは思わず硬直した。

「えっ!? えっ!?  な、な」

 突然叩かれた猫みたいに目を丸くする彼の鼻先に、ヴァレリィが指を突きつける。

「まったく……貴様のことだから、道すがらに不運に見舞われて毎日遅刻しておるのかと思っておったが、こんな時間に屋敷を出ているようでは遅刻して当然ではないか!」

「だ、団長!? な、なんでこんなところに?」

「貴様を迎えにきてやったのだ!」

「迎えにって……。それに、ど、どうしたんです? その恰好」

「う、うるさい! ジロジロ見るな!」

 彼女の出で立ちは薄桃色の可愛らしいドレス。華やかな髪飾りも良く似合ってはいるが、少なくともこれから詰め所に向かおうという恰好ではない。

「でも今から着替えても、朝礼に間に合わないんじゃ……」

「それをお前が言うのか? この時間に屋敷を出ていれば、どのみち遅刻ではないか。だが、まあいい。今日は休む。感謝しろ、貴様の分も休暇届を出しておいてやったぞ」

「……はい?」

「父上がお前をお呼びだ。イヤだとは言わせぬぞ!」

「普通にイヤですけど」

「私だってイヤだ。だが、お前に拒否権はない」

「ええぇ……」

 休むこと自体は大歓迎なのだが、『あの父親に呼ばれている』と言われれば、その気の重さは絶望的としか言いようが無い。

 救いを求めて背後を振り返れば、玄関の奥では両親がニマニマと笑っていた。

 メイドたちが大量の手土産らしきモノを持っているあたり、親同士の間で話が通っているのはもはや疑いようも無い。

 結局、リュカは無理やり馬車に押し込められ、屋敷を出発することとなった。

 いかに公爵家の豪奢な馬車とはいえ、キャビンはそれほど広い訳ではない。

 そんなところに、不機嫌さを隠そうともしないヴァレリィと二人きり。気まずい。あまりにも気まずい。彼女は腕組みをしたまま一言も発せず、重苦しい無言の時が過ぎていった。

 そして王都の一番南、戦争狂(ウォーモンガー)と恐れられた先代国王が辺境の蛮族を攻め滅ぼした記念として建てた凱旋門をくぐる頃、とうとう沈黙に耐えきれなくなったリュカは、おずおずと口を開いた。

「あの……団長、お身体は大丈夫なんですか? 昨日、休んでおられましたけれど」

「ん? ああ、仮病だからな。昨日は父上に抗議するために実家に戻っておったのだ。周囲の者を巻き込むようなやり方は、さすがに腹に据えかねたのでな」

「その……大丈夫なんですか?」

「何がだ?」

「いえ、団長の御父上は随分怖そうな方でしたから」

 その瞬間、ヴァレリィの奥歯がギリッと音を立てた。

「ひっ!?」

 思わず身を逸らすリュカに、彼女は苦虫を噛み潰したかのような顔で語り始める。

「実は……父上と勝負をしたのだ。私が勝てば国王陛下に掛け合って婚姻そのものを取り消していただく。父上が勝てば大人しく貴様に妻として尽くすとな。無論、普通に剣を打ち合って私が父上に(かな)うはずがない。父上は素手。両足を縛り母上を背負いながら戦うという、私に有利な条件を呑んでいただいた上での勝負だ」

「それだけの条件なら負ける訳……」

「いや、惨敗だ。むしろそのせいで手加減が出来ぬ分、本気で殺されかけた」

 これにはさすがにリュカも目を丸くする。

 ヴァレリィは、『戦乙女』の異名を持つほどの剣の使い手なのだ。

 リュカの知る限り、国王陛下主催の御前試合でも負け知らず。一対一で彼女に勝てるものなどもはやこの国にはいないと、そう言われている。

 そんな彼女をとんでもなく不利な条件の下で打ち負かすのだから、彼女の父親は一体どんな化け物なのか。

「騎士に二言は無い。私は貴様を夫として生涯尽くす……だが、まだ気持ちの整理がつかんのだ。許せ」

「は、はぁ……」

 そこからは再び無言。むっつりと不機嫌そうに押し黙るヴァレリィに、リュカは何をどう言って良いかわからず、ただ時間だけが過ぎていった。
 屋敷に辿り着くと、玄関前の庭先には使用人たちがずらりと並んで、二人を待ち受けていた。

 そしてその中央には、一組の男女の姿がある。

 男性の方は先日、顔を合わせたヴァレリィの父親。

 女性の方はその奥方だろう。

 多少年齢を感じさせるものの、目じりに優しげな(しわ)の浮かぶ上品な女性であった。

「父上、母上、ただいま戻りました」

「うむ、待ち()びたぞ!」

 そして父親は、リュカに向かって破顔する。

「ははは! 婿殿! よく参られた。それにしてもあらためて顔を合わせると、婿殿はやはり頼りないな!」

「父上……最初からそう申しておるではありませんか」

「アナタ、ヴァレリィ、失礼ですわよ」

 誰がどう見たって、ヴァレリィに釣り合う男ではないのだ。リュカとしては苦笑するしかない。

「いえいえ奥方さま、公爵さまの仰る通りですから。実際俺ってば、ほんとに頼りないんですよね。今からでも遅くありません。どうか『私の目は節穴だった。やはりこんな軟弱者との婚姻などなかったことにしよう』とかなんとか言ってやってください」

「な! 貴様! 父上の目を節穴だと! この無礼者!」

 途端にヴァレリィが声を荒げ、奥方はぽかんとした顔をして首を傾げる。だがその途端、父親の大きな笑い声が響き渡った。

「うわはははははははっ! 面白い! 実に面白い男だな、君は。我が娘よ、まさにお前の申しておった通りの男ではないか。(つら)の皮が厚いし、(ろく)に空気を読む気も無い。こいつは大物に化けるやもしれんぞ。見てくれはどうしようもないが、それもまた良し。(ろく)でもない女に言い寄られて、浮気に走る恐れも無かろうて」

「アナタ、先ほどよりも、もっと失礼なことをおっしゃってますわよ」

 奥方が呆れ混じりにそう(たしな)めると、ヴァレリィが大きく頷いて声を上げる。

「そうです、父上! ワタクシはこの男がクズだ、無能だ、役立たずだと散々申して参りましたが、見た目については、そこまで酷いとは……」

「ほう、お前はこういう見てくれが好みか?」

「な、ち、違います! 人の容姿をあげつらうのは、貴族の(たしな)みとしてそぐわぬと思っただけです! こやつの中身は大嫌いですが、見た目がそれほど嫌いという訳では……。一応、その、妻としての覚悟を決めた訳ですから、その、夫への()われのない中傷は……」

 話の途中からしどろもどろになったかと思うと、最後には顔を真っ赤にして(うつむ)いてしまった娘の姿に、両親は一瞬ぽかんとした表情になる。

 だがそのすぐ後、リュカの目に映ったのは、ヴァレリィの両親がなにか微笑ましいものでも見たかのような顔で、温かな視線を絡み合わせる姿であった。


 ◇ ◇ ◇


「うわはははははははっ!」

「ち、父上、なにもそんなに笑わなくとも良いではありませんか!」

 ヴァレリィがぷぅっと頬を膨らませると、父親がにんまりと揶揄(からか)うような顔をした。

 リュカたちは今、大広間に通されて、両親とともに豪勢な料理の並べられたテーブルを囲んでいる。

 なんとも騒がしい父娘のやりとり。それをよそにリュカは身を縮めて、おずおずと手近な料理へと手を伸ばしている。

 そっと視線を上げて観察してみれば、心底楽しげな父親の笑い顔。そのすぐ隣に寄り添って、口元を手で隠しながら上品に笑う奥方。父親に揶揄(からか)われてはヴァレリィが慌てふためいて声を上げている。

 どうやら家族の仲はすこぶる良好らしい。

「しかし、見れば見るほどに婿殿は頼りないな」

「アナタ、また……。失礼ですわよ」

 話の矛先が唐突に自分の方へと向いたことに気付いて、リュカは思わず身を跳ねさせる。

「何が失礼なものか。娘の婿ともなれば、これから先は我が息子となるのだ。言うべきことは言うとも。まあ、少々頼りなくとも問題ない。私がみっちり鍛えてやれば、たとえ赤子であろうともひと月もあれば素手で熊を(くび)り殺せるぐらいにはなる。どうだ婿殿? ひと月ぐらいはこちらにおれるのだろう? なんなら長期の休暇をとれるように私から口添えしてやろうではないか」

「え……あ、いや、その」

 ヴァレリィのしごきを思い出し、恐らくはそれ以上であろう父親のしごきを想像して、リュカは思わず頬を引き攣らせる。

 そんな彼を見かねたという訳ではないのだろうが、ヴァレリィが口を挟んだ。

「父上、我々は数日のうちに戦地に向かわねばなりませぬ。明日には王都に戻らねばならぬのです」

「むう……そうか。そうであったな。ならばそれは戦地から戻った後の楽しみにとっておくとしよう。王家への忠誠を尽くし、その身を粉にして働いてくるがいい」

「無論です。忠誠無比と音に聞こえしサヴィニャック家の娘として、その婿として、恥ずかしくない働きをして参りますとも」

 忠誠無比とは大げさなようにも思えるが、それこそがサヴィニャック家の誇りなのだそうだ。

「ところで婿殿、君は我が娘のことをどう思っておるのだ?」

「ど、どう?」

 唐突な父親の問いかけに、リュカが思わず引き()った愛想笑いを浮かべると、ヴァレリィが不貞腐(ふてくさ)れたような顔をした。

「どうせ、口うるさくて気ばかりが強いメスゴリラとでも思っておるに決まっています。実際、私は数か月前に、こやつが「あのメスゴリラめ」などと愚痴っておるのを耳にしておりますから」

 あの時には本当に殺されるかと思った。

 振り向けばそこにヴァレリィが立っていたのだ。

「ほう、そうなのか? 婿殿」

「あ、あれは言葉のアヤというか、その……今みたいな恰好だと、その、とってもかわいらしいな、と、その、うん、えーと……好みのタイプです、はい」

(見た目だけは)と胸の内で付け加えながら、リュカはどうにか話を取り(つくろ)う。本心ではメスゴリラだと思っていても、さすがにそれを口に出す訳にはいかない。

 ところが彼のこの発言に、ヴァレリィは意外な反応を見せた。

「こ、好みのタイプ……き、貴様は、そ、そ、そ、そんな目で私を見ておったのか」

 彼女は果実の()れるがごとくに真っ赤になって、そのまま黙り込んでしまったのだ。

 それを目にした父親は益々上機嫌になって、大きな笑い声を上げた。

「うむ、結構! 結構! わはははは!」

 娘が婿を連れて帰ってきたのがよほどうれしかったのか、結局、終始大はしゃぎと言ってもよいぐらいのはしゃぎっぷりである。

 そして夕食が終わるや否や、父親ははしゃぎっぷりもそのままに、勢い余ったのかとんでもないことを言い出した。

「婿殿、この屋敷はな、風呂が自慢なのだ。夫婦の絆を深める良い機会だ。我が娘とともに入ってくるといい!」

「はいぃ!?」

 リュカは思わず椅子の上で身を跳ねさせる。

 ヴァレリィの方を盗み見ると、彼女は顔を真っ赤にして、リュカを睨んでいた。

「くっ……こうなったら……」

 奥歯をギリリと鳴らす彼女の姿に、リュカは思わず震え上がった。

(こ、殺される!)

「お、俺は団長をた、大切にしたいので、その、そういう色々は戦地から帰ってきてからにしようって心に決めてるんです。そうです! そ、その方が生きて帰ってこようという気になりますから!」

「なるほど、今時珍しいほど禁欲的な男だな、婿殿は。うむ、だが男とはそうでなくてはならん。よし! わかった。ならば今夜はワシと父子(おやこ)の絆を深めることにしようではないか!」

「は?」

 リュカが思わずぽかんと口を開けた途端、父親は(まばた)きする間もなく彼へと歩み寄り、その身体をひょいと小脇に抱え上げた。

「ちょ、ちょま!」

「うわはははは! では婿殿! 男同士の裸の付き合いといこうではないか!」

「だ、団長! な、なんとかしてください!」

「知らん」

「だんちょぉおおおお!」

 遠ざかっていくリュカの悲鳴じみた声を聴きながら、ヴァレリィは「ばか……」と小声で呟いた。

 彼女は彼女なりに、妻の務めとして一緒に風呂に入る覚悟を決めたというのに、庇ったつもりか、彼がそれをあっさりと断ってしまったのだ。

 ホッとしたというのが本心ではあるが、一方では折角決めた覚悟の行き場を持て余して、どうにも腑に落ちない心地でもある。

 ぷぅと頬を膨らませる娘の姿に、母親は上品に目を細めた。
 白い湯気の立ち込める豪華な浴場。壁は金で縁取られ、陶磁の床に大理石の浴槽。

 自慢の風呂と言うだけのことはあって、その広さはリュカの私室の倍ほどもある。

「どうだ婿殿! 気持ち良かろう!」

「……はあ」

 熱い湯は確かに気持ちが良いが、気は休まらない。

 すぐ隣へちらりと目を向ければ筋骨隆々の肉体。上機嫌に鼻歌を歌うヴァレリィの父親の姿がある。

「あのぉ……公爵さま?」

「なんだ、他人行儀ではないか。この期に及んで公爵さまはないだろう」

「は、はぁ」

「パパでもダディでも好きなように呼べばよい。おすすめはパピーだ!」

「呼べるか!」

 ついつい素に戻って声を荒げてしまったことに気付いて、リュカは慌てて身を縮める。

「……す、すみません」

「ははは、構わんよ。こちらはクズで無能で役立たずという娘の言葉を前提に、君を婿に迎えているのだ。いつまでも猫を被られていては気持ちが悪くてかなわんからな」

 クズで無能で役立たずという言われ方にはちょっと引っかかるものがあるが、リュカは観念したとばかりに肩をすくめる。

「ああ、もう……。言っときますけど、ウチの家は貴族って言っても言葉遣いは相当汚いですからね。実際貧乏貴族ですし。後で文句言わないでくださいよ」

「構わんと言っておる」

 父親はそう言って大きく頷くと、リュカはため息混じりに問いかけた。

「しかし、なんで俺なんです? 団長ならもっとふさわしい縁談はいくらでもあるでしょうに」

「娘の話の大半が、君のことだからだ」

「は?」

「運に見放された貧乏神、才能の欠片もない粗大ゴミと、まあ、娘が帰省する度にそんな感じの話を聞かされておったのだが、娘がそこまで男の話をすることなどこれまで無かったことでな。ああ見えて我が娘は恥ずかしがり屋なのだ。だからこれは照れ隠しで、実は話に出てくるその男のことを好ましく思っておるのではないかと。ならば娘の気持ちを汲んでやるのが、親の務めではないかと、そう思ってな」

「いや……それ……照れ隠しじゃなくて、思いっきり本心だと思いますけど。それに公爵さまから見れば、子爵家なんて格下も格下。そんなのに娘をくれてやろうだなんて、乱心したと思われてもしかたないと思いますけど」

「はっ、そう思いたいものには思わせておけばよい。身分違いの恋ならば、私も通った道だからな」

「そうなんですか?」

「ああ、二人で国を捨てて逃げる約束までした。だが結局、私はこのサヴィニャックの家を捨てることは出来なかったのだよ。彼女にはいくら()びても()び足りんが、もはやどうすることも出来はしない。そういう訳だ。娘の身分違いの恋に反対する気になど到底なれん」

 ヴァレリィのは恋では無いのだから大前提からして間違えているのだが、無論そんなことを口に出せる訳が無い。

「それにだ。娘婿(むすめむこ)の候補者として君に目をつけたのは、実は十年近くも前のことなのだ。実際、娘の口から君の名が出た時には本当に驚いたものだ」

「……十年って、なんで俺を」

「実は現役時代、御前試合にて君の父上と剣を交えたことがあるのだ。結果は私の圧倒的な勝利だったのだが、私の目は節穴ではない。断言しよう。君の父上はわざと負けたのだ。恐らく私と彼の間には天と地ほども実力の差がある。圧倒的な強者でなければ、あれだけ鮮やかに負けることなど出来んのだからな。どんな事情があるのかは知らぬが、彼はその実力を隠していた。そして私は、君もまたそうだと睨んでいる」

(親父、ドジ踏んでんじゃねー!)

 胸の内で父親に毒づきながら、リュカは呆れた風を装って肩をすくめる。

「いや、言っちゃなんですけど、公爵さまの目は節穴だと思いますよ」

「ははは、まあいい。節穴ならそれはそれでかまわんよ」

「はあ」

「私自身は王家への忠誠を至上のものとしてここまで生きて来たのだし、娘にもそれを叩きこんできた。だがな。笑ってくれて構わないぞ。娘が騎士として独り立ちするようになって初めて、自分が正しかったのかどうか、わからなくなったのだ」

「なにがです?」

「娘の父として、一人の父親として、娘が戦地で死ぬかもしれないと思うと、急に恐ろしくなってしまったのだよ。卑怯でも良い、情けなくとも構わないから娘には生きていて欲しい。そう思ってしまったのだ。だからこそ私が唯一勝てないと思った男、その息子であれば娘を守ってくれるのではないかとな。おかしいと思うだろう?」

「おかしいとは思いませんよ。ただ、でっかい図体してつまんないことに悩むものだなと。そんなの当たり前じゃないですか。娘が死んで喜ぶ父親なんている訳ないんですから」

 相当に無礼な物言いではあるが、父親は気に留める様子もなく静かに微笑んだ。

「当たり前……か。やはり君は私や娘とは違うのだな。君の父上もそうだった。だからこそ頼みたいのだ。娘はこれからも王家のために身を投げ出そうとすることだろう。そんな娘を、君の妻を、ずっと守ってやって欲しいのだ」

 そして、彼は湯に鼻先が触れるほどに頭を下げた。

「公爵さま、買いかぶりですって。それに団長は俺が守らなくたって……」

「頼む」

 頭を下げ続ける父親の姿に、リュカはどう答えて良いものかわからなくなって、ただ眉間に深い皺を寄せた。
 リュカが困り果てていた、丁度その頃――

「お、奥さま、お、王太子殿下がお見えでございます」

「殿下が? またお独りで?」

「はい、ご自分で馬車を(ぎよ)されて」

「もう……あの子ったら」

 彼の実家、王都のヴァンデール子爵家では、メイド長の報告に、リュカの母親ブリジットが呆れ果てた様子で肩をすくめていた。

 王太子――次期国王の来訪である。普通こんな貧乏子爵家に、王族が(みずか)ら足を運ぶことなどあり得ないことであるし、もしそんなことがあるなら一族郎党、膝をついて出迎えねばならぬところでもある。

 だが、ブリジットに慌てる様子は見受けられない。

 しばらくするとメイド長に先導されて、王太子バスティアンが姿を現した。

「殿下、護衛の一人もお連れにならねば、危のうございますよ」

 ブリジットが開口一番そう(たしな)めると、彼は、ニコリと微笑む。

「問題ありませんよ。王族を手に掛けた者は、九族誅滅というのが先代国王陛下の定めた我が国の法です。九親等、数百人に渡って処刑される覚悟のある者など、そうはおりますまい。それに私がここを訪れることを知る者は、少ない方が望ましいですからね」

「……確かにそうなのですけれど」

「それはそうと、リュー坊の成婚、なかなか大変な騒ぎになっているようですね。あ、失礼、まずは祝辞を述べるべきでしたね」

「もったいないお言葉です」

 王太子は二十代後半、サラサラの金髪と女性的な整った面貌。物腰やわらかな美男子である。

 今はお忍びの来訪ゆえに飾り一つない地味な服装ではあるが、それでも隠しきれない上品さが滲み出ている。

「父上も婚姻の申請が上がってきた時には、目を丸くしておられました。まさか相手があの戦乙女とは……ってね」

 国王のその時の様子を思い出したのか、彼は口元を緩めた後、真顔に戻ってこう言った。

「念のため申しておきますが、サヴィニャック公爵は忠誠心厚い方です。ですが、それでもあなた方の裏の顔を知られる訳には参りませんよ?」

「はい、その辺りは慎重にすすめて参ります」

「まあ、あなたがそうおっしゃるのであれば、本当に問題はないのでしょうけれど」

 王太子が彼女に、ここまで親しげなのには訳がある。

 それというのも彼は十代の頃、身分を隠してこの屋敷で暮らしていたことがあるのだ。

 暗殺貴族のそばほど安全な場所はない。先王が亡くなって、泥沼のような後継争いの中で、彼の安全を確保するために行われた措置だったのだが、彼はブリジットの甥と偽ってこの屋敷に二年ほども滞在していたのである。

 それゆえか、彼はヴァンデール子爵家の者たちを家族のように思っている節があった。

「ところで、例の『首狩り(ヘツドハント)』のことは何か掴めましたか?」

 王太子がそう問いかけると、ブリジットは目を伏せ、小さく首を振った。

「申し訳ございません。今のところは、まだ……」

 実は先日のアンベール卿暗殺の指示を受けた際、ブリジットは彼からもう一つ別の指示を受けていた。

 それが、殺人鬼『首狩り(ヘツドハント)』の抹殺である。

 本来、市井(しせい)の出来事に王家が首を突っ込むことなど有り得ないのだが、この『首狩り(ヘツドハント)』に関して言えば話は別。この殺人鬼は、王家にとっても無視の出来ない存在なのだ。

 世間には公表されていないことではあるが、実は首狩り(ヘツドハント)の殺害手段には首を持ち去る他に、もう一つ大きな特徴があった。

 それは凍死。真夏だというのに、発見された首のない死体はカチコチに凍り付いていたのだ。

 死体を検証した結果、首を刈り取られたのは死んだ後のことであって、被害者の直接の死因はいずれも凍死だったのである。

 真夏の街中で凍死、はっきり言って異常としか言いようが無い。

 だが実はたった一つだけ、そんな出鱈目なことを可能にするモノがある。

 それは先代国王が辺境の蛮族を討伐した際に手に入れた、三つの宝玉の一つ、『氷河の結晶』。

 氷を自在に操るという、まるでおとぎ話のような超常の力を宿した由来不明の宝玉である。

 王家の秘宝として、厳重に保管されていたはずのそれが宝物庫から失われたのは数か月前のこと。

 つまり殺人鬼『首狩り(ヘツドハント)』は、王家の秘宝、『氷河の結晶』を持ち去った犯人だと目されているのだ。

「しかし……あなた方らしくありませんね。こんなに手こずるとは」

「申し訳ありません。通常死体の一部を持ち去るのは、相手に強い執着を持つ者特有の行動なのですけれど、残された身体の雑な扱いを見ると、どうにもそれが当てはまりません。実際、被害者の人間関係を洗っても怪しい者は見当たらず、愛憎の(もつ)れや怨恨の可能性も薄い。とにかく手掛かりが無さすぎるのです。日々、配下の者に命じて陋巷(ろうこう)を見回らせておりますが、首狩りは女だというだけでは、どうにも雲をつかむような話ですので……」

「宝玉の力を発動できるのは女性だけですからね。……ただ、できるだけ早く宝玉を回収していただければ助かります。三つの宝玉も宝物庫に残されているのは、あと一つですし」

 三つの宝玉の内、一つは数年前に失われている。だがそちらは問題ない。今回はそれとは話が違うのだ。

 首狩り(ヘツドハント)が何者なのかはわからないが、超常の力を持つ宝玉の存在を近隣諸国に知られることがあれば、どんな難癖をつけられるかわかったものではない。宝玉を巡って、各国が一斉に攻め込んでくることすらあり得るのだ。

「重々、承知しております」

 これで話は終わりだろうと、ブリジットが見送りのために腰を浮かしかけたところで、王太子が再び口を開いた。

「待ってください。実は……本日訪れたのは、その件ではありません」

「と、おっしゃいますと?」 

「……伯母上のことです」

「伯母上? ヴェルヌイユ姫殿下がなにか?」

「ええ」

 久しぶりに耳にしたその名に、ブリジットは思わず眉を(ひそ)める。

 ヴェルヌイユ姫と言えば現国王の実妹にして、王位継承権第二位。非常に変わった人物で、(よわい)四十にして未婚の姫である。とはいえ未婚の姫を呼びならわす処女姫(バージンプリンセス)という呼称も、さすがに四十を超えると嫌がらせとしか思えない。

「伯母上が……戦場に兵たちの慰問に行くと言って、聞き分けてくれぬのです」

「それはまた、どうして……」

「わかりません。なにせ気まぐれなお人ですから。ある程度戦況が落ち着いてからということにはなるのでしょうが、護衛が伯母上子飼いの騎士たちだけではいささか不安が残ります。いや……不安がっているのは私ではなく陛下なのですけどね。そこで、なんとか伯母上に気付かれぬように、そちらで護衛をお願いしたいのです」

「……殿下、我々は暗殺者ですよ?」

「わかっています。ですが、そこをなんとか頼みたいのです。お願いします」

 王族に頭を下げられては、ブリジットもさすがに嫌とは言えない。

「およしください、殿下。わかりました。その代わり、報酬は期待しておきますので」

 ブリジットはそう言って悪戯っぽい微笑みを浮かべると、扉の前に佇んでいるメイド長の方を振り向いた。

「エレネ、話は聞いていましたね。誰を差し向ければ良いと思いますか?」

 ブリジットが問いかけると彼女は少し考えた末に、銀縁眼鏡を押し上げながら、こう答えた。

「戦場ということであれば、そうですね……双子が適任ではないかと」

「双子ですか……いいでしょう。少し先のことになりそうですが、彼女たちに旅の準備をさせておきなさい」

「かしこまりました」

 ブリジットは満足げに頷くと、今度は王太子の方に顔を向ける。

「という訳で、殿下。メイドを二名、姫殿下のお付きの侍女としてねじ込んでくださいませ」

「メイド? 私が頼みたいのは、護衛であって……」

「殿下、暗殺貴族に仕えるメイドですよ? ご心配なく、彼女たちも一流の暗殺者ですから」


 ◇ ◇ ◇


 ヴァレリィはバルコニーに歩み出て、空を見上げた。

 星は夜空に明るく、夏の盛りらしいジトリと湿り気を帯びた風が、彼女の赤毛を(なび)かせる。

「……なんというか、本当に期待を裏切らないヤツだな」

 彼女は乱れそうになる髪を押さえながら、苦笑気味に吐息を漏らす。

 彼女の伴侶となった少年は今、来客用の寝室に放り込まれて、うんうんと(うめ)いている。

 なんのことはない、長風呂でのぼせたのだ。

 実際のところ彼の運の無さを思えば、風呂好きの父につき合わされた時点で、こうなることは大体予想がついていた。

「まったく……父上はあの男の何を気に入ったというのだ」

 そうは口にしたものの、ならばどんな男なら満足なのかと問われれば、それはそれで困る。

 これまでは剣一筋。普通の女の子のように、恋物語に胸を焦がすようなことは無かったのだから。

(私は本当に、あの男のことを愛せるようになるのだろうか?)

 だが騎士に二言は許されない。愛せるかどうかではなく、愛さなくてはならないのだ。

 考えてみれば、運が悪いということ以外、あの少年がどんな人間なのかよく分かっていない。

 あえて思い出そうとしても思い浮かぶのは、転んだり、(つまず)いたり、机の角に足の小指をぶつけて(うずくま)っている姿ばかり。

(まずは、あやつの良いところを探すところから……だな)

 彼女がそう考えるのとほぼ同時に、星が一つ、青白い尾を引きながら北の空を滑り落ちる。

 それが消えていった方角を目で追って、彼女は静かに口を開いた。

「……私は流星になりたい。長い夜を越えて、愛するあなたの下へと降りていきたい」

 口をついて出たのは、詠み人も知らぬ古い(うた)の一節。どこで聞いたものかまでは覚えていないが、彼女が覚えている唯一の恋の(うた)だ。

(さすがに、こんな熱烈な恋は望むべくもないが、少しぐらい努力してみるのは悪いことではないだろう)

 と、彼女はわずかに口角を上げた。