「糸口が見つからねぇな……」
キルフェ城砦地下の独房で、リュカは独りそう呟いた。
天井近くに開いた小窓が唯一の光源である、昼なお暗いジメジメとした場所。壁の隙間から染み出した雨水が水たまりに跳ねる音が響き、ときおり鉄格子の向こう側の通路をオリガの配下の騎士が独り行き来しながら、独房の中を恐ろしく冷たい目で覗き込む。
ヴァレリィもどこかに監禁されているのだとは思うが、リュカには彼女の居所は知らされていない。
リュカは壁にもたれ掛かって、膝の間に顔を埋める。
ゆっくり考えるにはむしろ良い機会だと、彼は昨日のあの不可解な出来事を最初から振り返ってみることにした。
事の始まり、この不可解な出来事の起点を思い起こすとすれば、それは捕虜が一名逃げ出したと聞かされたあの時だろう。
同僚のユーディンは、この居なくなった捕虜のことをテルノワールの人間らしい大柄な若い男だったと、そう言っていた。
だが騎士たちが総出で探したにもかかわらず、そいつは一向に見つからなかった。
ここまでくれば、この捕虜は嵐に紛れて遠くへ逃げてしまったと考えるのが妥当だろう。
その次は、吊られた三人の騎士たち。
ヴァレリィの言う通りなら、彼らの身体から血が抜き取られていることになるのだが、その抜き取られた血は見つかっていない。
目的は何だ? なんで血を抜き取った?
普通に考えれば、その逃げ出した捕虜の仕業と考えるのが自然なのだろうが、目的が全くわからない。
何より不可解なのは騎士たちが吊られていた場所だ。
あの辺りは姫殿下の子飼いの騎士たちが警護していたはずなのだが、餌食になったのは金鷹騎士団の同僚たち。
つまりは、エルネストたちをわざわざあそこまで運んできて吊しあげたということだ。
そこまでするからには、それにも何か意味があるはずだ。
(たとえば、姫殿下を怖がらせるため……とか?)
もしそうなら効果は覿面だったと言わざるを得ない。
壁を隔てたすぐ隣で血抜き、つまり人間を食べるための加工が行われていたという事実は、姫殿下を震え上がらせ、喰人鬼の存在を知る彼女を盛大に怯えさせた。
(……待てよ? 仮に怯えさせることが目的だったとすれば、姫殿下が『喰人鬼』を調べていることを知っている人間の仕業ってことになるのか?)
もしそうだとしたら、疑わしい者の数はかなり絞られる。
確実に犯人じゃないヴァレリィと当の姫殿下を除外すれば、最も怪しいのは、オリガと銀髪のメイドということになる……のか?
だが、この二人を怪しんでみても、結局姫殿下が殺されたあの部屋に入ることが出来なかったという時点で、犯人から除外するしかない。
姫殿下が『安全な場所に移りたい』、そう言いだしてから部屋を移るまではわずか一刻ほど。
リュカたち以外にもあの部屋の存在を知っていた者がいて、しかも都合よく鍵がもう一本あって、そいつが自由に出入りできた。
今度はあえて、そういう前提で思考を巡らせてみる。
だが、やはりそれはどうにも無理がある。
当然だ。あそこでリュカとヴァレリィがあの秘密の部屋のことを姫殿下に伝えるかどうかなど、誰にもわかる訳が無いのだから。
そしてあの部屋に入った時点で、姫殿下には誰も手出しは出来なかったはずだ。
リュカはそこで一旦思考を切り替える。
彼は昨日の出来事を順に思い起こし始めた。
記憶は鮮明。姫殿下の着ていたドレスの皺の形まで鮮明に思い出せる。
やはり強く違和感を抱くのは、隠し部屋へと移動する際、姫殿下がヴェールで顔を覆っていたことだ。
『化粧していない顔を見られたくない』
女というのはそういうものだと言われてしまえば、そうですねとしか言いようがないのだが、顔を隠していたのは事実だ。
実はあれが姫殿下では無く、別人だったという可能性は……無いな。
リュカ自身、移動中に彼女とは何度も言葉を交わしている。
あれは間違いなく姫殿下だった。
それに姫殿下であろうがなかろうが、扉を閉じた後は、誰も出入り出来なかったはずなのだ。
問題はそこなのだ。
(扉を閉じた後は不可能……か? じゃあ、その前なら……)
思い起こしてみれば、ほんの数分だがリュカとヴァレリィが姫殿下から目を離したタイミングがある。姫殿下が部屋に入った後、着替えをする時だ。
あの時は確かヴァレリィが扉を閉め、リュカとヴァレリィは扉の前で通路の方を警戒していた。
この間ならオリガとメイドが姫殿下を殺すことも……いや、やはり無理か。
この間にも部屋の中からは引っ切り無しに姫殿下の話し声は聞こえていたし、オリガが外に出た後は部屋の奥へと声をかけ、姫殿下がそれに返事をするのも聞いている。
なによりリュカ自身、閉まっていく扉の隙間から、自分自身の目で、ベッドに腰かける姫殿下の姿を目にしているのだ。
思いっきり穿った見方をして、この時点で姫殿下はすでに殺されていて、死体を座っているように見せかけたのだとしても、今度は、その死体の首以外の部分はどこへ消えたという疑問に、とって代わられるだけだ。
(やっぱり糸口が見つからねぇ)
いくら知恵を絞ってみても、現時点では、『ヴァレリィが姫殿下を喰った』なんていう荒唐無稽な話が最も辻褄があってしまうのだから、それは舌打ちの一つもしたくなる。
(団長……落ち込んでんだろうな)
珍しくもリュカはヴァレリィに会いたいと、本心からそう思った。
甲冑の硬質な足音が階段を下りてくる。
オリガがリュカの独房を訪ねて来たのは、随分時間も経って夕刻のこと。
その時、彼は珍しく頭を使い過ぎたせいか、こめかみに鈍い痛みを覚えていた。
相変わらず糸口の掴めぬまま、考えれば考えるほどに全ての現象が、ヴァレリィが『喰人鬼』だという結論へと収束する。
認めたくはないが、リュカは確かに焦っていた。
独房の前で止まった足音は二人分。
リュカが顔を上げれば、カンテラの薄明かりの下に手枷を嵌められ、粗末な麻の貫頭衣を着せられたヴァレリィの姿が浮かび上がる。
オリガは犬の散歩でもするかのように彼女の腰に結んだ綱を曳きながら現れ、鉄格子の向こう側から、石壁にもたれ掛かるリュカを虫けらでも眺めるような目で見下ろした。
不愉快げに頬を歪めるリュカ。
ヴァレリィは目を閉じたまま。
オリガは、そんな二人の様子を勝ち誇ったかのように見回して、口を開いた。
「独房の居心地はどうだ?」
「思ったより悪くない。日がな一日寝っ転がってても、文句一つ言われないってのが最高だね」
元々が怠惰なリュカにしてみれば半ば本心なのだが、強がりだと思ったのだろう、オリガは口元に嘲るような薄笑いを浮かべた。
「気に入ってもらえたならなによりだ。もうしばらくはそこに居てもらうことになるからな」
「あ? なんだと?」
「我々は今夜、ここを出発し、この女を王都に移送する」
「……取り調べはもういいのかよ」
「ああ、これ以上は何も必要ない。全て認めたのだからな、この女が。自分が姫殿下を弑殺したのだとな」
これにはさすがに、リュカも目を見開いた。
「馬鹿げてる! そんなはずある訳ないだろうが!」
ヴァレリィが姫殿下を殺した。その可能性は微塵もない。それは、それだけは有り得ないのだ。
「団長! なんとか言ってください!」
リュカが声を荒げてもヴァレリィは目を閉じて俯いたまま。
ただその指先は、貫頭衣の裾をぎゅっと握ったままかすかに震えている。
(一体、何があった? お前は脅しや拷問に屈するようなタマじゃないだろ!)
「ふっ、良心の呵責に耐えかねたのであろう」
「お前には聞いてない!」
軽い口調で口を挟むオリガを、リュカは目を剥いて睨みつける。
彼女は別段怯える様子も怒る様子もなく、ただやれやれと肩をすくめた。
「口の利き方には気をつけろ、ろくでなし。だが私は今非常に機嫌がいい。許してやる。それに安心しろ。心配せずとも、貴様の身の安全は保障してやる」
「……どういう意味だよ」
「そのままの意味だ。どうせ貴様がそれほどまでにこの女の無実にこだわるのは、我が身可愛さゆえなのだろう? 貴様をこの女の罪に連座させられぬように取り計らってやろうというのだ。秘密裏に国王陛下に接触し、姫殿下の遺言として、お前たちの婚姻を最初から無かったことにしていただく。無理筋ではあるが、国王陛下は姫殿下を大層可愛がっておられたからな。その遺言となれば無碍にはなさるまい」
その瞬間、リュカの双眸に激しい怒りの色が宿った。
「てめぇ! 俺を人質にしやがったな!」
「人聞きの悪いことを言うな。これはこの女が望んだことだ。私はそれに善意で応えてやろうというのだ。一度は友と呼んだ女なのだからな。この聞き分けの悪い男にもわかるように言ってやれ、ヴァレリィ」
オリガはヴァレリィの腰に巻きつけた縄を引き寄せ、薄笑いを浮かべながら、これ見よがしに彼女の耳元に唇を寄せる。
ヴァレリィに抵抗する素振りはない。
彼女は静かに瞼を開いて、リュカの方へと視線を向けた。
諦めきった目、いつもの彼女からは想像も出来ぬほど弱々しく力のない瞳が、リュカを見ていた。
「……すまない。姫殿下は私が殺した。私が殺したのだ」
「嘘だ!」
「聞いてくれ! お、お前との婚姻を無かったことにするのは、別にお前のためでは無いのだ。ただでさえ姫殿下を弑した大悪人として名を汚すことになるのに、そ、その上、お前のような愚か者の妻であったと蔑まれるのは……耐えがたいのだ、私は。軽蔑してくれていい。私はそんな女だ。とんでもない女に付きまとわれたと、後々笑い話にでもしてくれればいい。……それでいいのだ」
「そんな話を信じる訳ないだろうが! 俺は……」
「頼む! 聞き分けてくれ!」
「馬っ鹿野郎! 誰がそんなこと……!」
思わず声を荒げるリュカ。
だが、その声を遮るようにヴァレリィは大声を上げた。
「しつこい男は嫌いだ! 私はお前と別れたいのだ! 最初からお前のことなど好きでも何でもないのだ! 顔も! 顔も見たくない!」
血を吐くような叫び声が地下牢の壁に反響して、痛いほどの静寂の内へと溶けていく。
荒い呼吸、静かに肩を上下させるヴァレリィ。
オリガがその肩に手を置いて、リュカへと勝ち誇ったような顔を向けた。
「はっ! しつこい男はみっともないぞ。ともかく、貴様には全てが終わるまでそこにいてもらう。なあに、心配するな。それほど時間が掛かる訳ではない。この女についてはもはや取り調べも必要ないのだからな。王都に辿り着けば、その日の内にも処刑は執行されることだろう」
リュカはごろりと床に転がった。
オリガとヴァレリィが去ってから、既にかなりの時間が経過している。
彼女たちはもう王都に向けて出発してしまったのだろうか。
それにしても、相変わらず嘘の下手な女だ。
あんな顔で嫌いだと言われたら、それ以上怒鳴りつけることも出来やしない。
「これで……良かったんだよな」
そもそも少し前までは、ヴァレリィとの婚姻が苦痛で仕方なかったはずなのだ。らしくもない感情に捉われて、らしくもないことを口にして、らしくもない事をしている。
その自覚はある。
(望み通りじゃないか、これで独り身に戻れるんだ……)
リュカはかれこれ数刻も、こうして自分自身に語り掛け続けている。
「くそっ……」
彼が苛立ち混じりに寝返りを打つのとほぼ同時に、鉄格子の向こう側からやけに能天気な女の子の声が聞こえてきた。
「やっほー、ぼんぼん」
「……あん?」
リュカが不機嫌さ丸出しで振り向けば、鉄格子の向こう側から双子のメイド――ミリィとヒラリィが、こちらを覗き込んでいた。
「あはは、なんやねん。その、しけた顔」
「ほんまや、えらい景気の悪い顔しとるなぁ」
「あ? お前らの相手する気分じゃないんだって、向こう行けってば」
リュカがしっしっと手を払うと、双子が非難じみた声を上げる。
「うわっ、感じ悪ぅ。ぼんぼんに用事はのうても、こっちにはあんねんて」
「せや! 苦情や苦情! 文句の一つも言わなやっとれんわ!」
鉄格子の向こうから顔を突きつけてくるヒラリィを、リュカは揶揄うように煽る。
「苦情? なんの苦情だよ」
「なんの苦情やあらへん! ぼんぼんのせいで依頼に失敗してもうたやないか! どないしてくれんねん」
「……依頼?」
「せや! 姫殿下の護衛や! ぼんぼんがそばにおるから大丈夫やろ思て気ィぬいてたらこのザマや。まったく、暗殺貴族が聞いてあきれるで」
「……なるほどな、お前らが姫殿下についてきたのはそういう理由か……っていうか、お前らなんにもしてねーじゃん!」
「あーあ、せっかく助けたろ思たのに、その物言いは酷いんちゃうか? ぼんぼん」
「助ける? 別にいらねぇよ。ここ、結構居心地いいしな」
「まさかこのまま指くわえて見てる気やないやろな?」
「……うるせぇ。余計なお世話だバカ野郎。もう俺の嫁って訳でもねぇみたいだしな」
「うわっ! なに? ぼんぼん、拗ねてんの?」
「ダサっ! ダサいわー。確かに、こんなくだらん男やったら、三下り半突きつけとうなるで」
わざとらしく顔を顰める双子に、リュカは苛立ち混じりに声を荒げる。
「うるせぇよ! お前らも、もう依頼も何にも無ぇんだったら、とっとと王都に帰れよ!」
「そうしたいのは山々なんやけどなー。あのオリガってのがさー、『重犯罪者の護送に部外者は連れていけない。遠慮してもらおうか』とか偉そうに言いくさってさー、ウチら置いてけぼりやねん、酷いと思わへん?」
部外者――その一言に、リュカの脳裏を一人の人物の姿が過った。
「部外者ねぇ……じゃあ、ステラノーヴァとか言ったか。あのメイドもここに残ってんのか?」
「なに言うてんねんな。あの銀髪娘は今朝、早ぅに出発したで。なんか木箱持たされて、独りで」
「ふーん……」
木箱というのは、おそらく姫殿下の首が入っているのだろう。
腐る前に王都に届けるために先行させたということなのだろうか?
リュカがそんなことを考えていると、ヒラリィが顎に指を当てて視線を上向ける。
「でも、なーんか、変やねんなぁ」
「変?」
「もう姫殿下もおらんのに、わざわざ車椅子まで積みこんでってんで」
「車椅子?」
「そう、あのゴツいヤツ。あれってここに残していかれへんぐらい値打ちの有るもんなんやろか?」
途端に、イルの胸の内で何かが叫び声を上げた。
ここだ! ここが糸口だ! と、しきりに心の奥で何かが騒ぎ立てる。
(なんだ? 俺は一体何に引っかかっている? 何に気がついた?)
「ここに残していけない……車椅子」
そう口にした途端、リュカの脳裏を過る光景があった。
それは鮮明な記憶。姫殿下をあの隠し部屋へと移す時に、彼の視界に映っていた風景だ。
カンテラを手に先頭を歩く銀髪のメイド。
ヴェールを被った姫殿下。
彼女の座る車椅子をオリガが押して――。
オリガが押して?
(そうだ! オリガが車椅子を押していた! ということは……! いや、慌てるな! もしそうなら、何か……何か! 俺のこの妄想染みた思い付きを裏付ける証拠があるはずだ)
リュカは頭の中で昨日の記憶を必死に手繰り寄せる。
隠し部屋に入った姫殿下が『下着を脱がせろ』と言い出して、ヴァレリィが慌てて扉を閉めた。
最初に出て来たオリガが部屋の中へと声を掛けて、姫殿下の返事が聞こえた。
それから部屋の中を覗き込むと、ステラノーヴァが車椅子を押して出てくるところ。
その肩越しにベッドに腰かける姫殿下の姿が見え――。
「あった! ありやがった!」
突然大声を上げて立ち上がるリュカに、ミリィとヒラリィは二人して目を丸くする。
「な、なんやねん! 突然、でっかい声出して、びっくりするやんか!」
「おい、こっから出してくれ。俺は団長とオリガを追う!」
「なんやねんな、急に。ちょっとぐらい説明してーな!」
「せや、説明せえや!」
「うっせぇ、早く俺をここから出せ! わかったんだって! いや……まだ首以外がどこに消えたかはわからないが、少なくとも犯人がわかったんだって!」
「……なんや分かれへんけど、後でちゃんと説明してもらうで!」
ミリィたちに鍵を開けてもらって独房から廊下に歩み出ると、別に足を延ばせないほど狭いところに押し込められていた訳でもないのに、リュカはやたらと大きな伸びをした。
「あいつらが出て行ってからどれぐらい経った?」
「さぁ……? ヒラリィ、どれぐらいやろ」
「たぶんやけど、六刻ぐらいやないやろか?」
「六刻か……」
さすがに六刻分もの遅れを取り戻すのは、簡単なことではない。
だが、少しずつでも向こうを上回る速度で追っていけば、どこかで必ず後ろ髪をひっつかまえることが出来るはずだ。
「いそがなきゃ……な」
リュカが唇に歯を立てると、双子はちらりと互いに目を見合わせる。
「じゃ、ヒラリィ、ウチらは部屋戻ろかー」
「せやな。じゃーぼんぼん、頑張ってなー。応援してるでー」
二人が背を向けて歩みだそうとした途端、「ぎゃん!?」と頭をぶつけた犬みたいな声が響き渡った。
リュカがヒラリィの尻を蹴り上げたのだ。
「お、乙女のケツに蹴り入れるとか、何考えとんねん!」
「うるせぇ! お前らも一緒に来んだよ!」
「イヤやっちゅうねん! 他の女を助ける手伝いなんか真っ平ごめんやわ!」
「せや! せや! 考えてもみーや。うまいこと助け出したら助け出したで、目の前でイチャイチャされたりすんねんで冗談やないっちゅーねん!」
「するか、ボケェ!」
声を荒げるリュカに、双子はほぼ同時に左右から顔を突きつけてきた。
「いーや! する、ぜーったいするね!」
「するに決まっとるがな! っていうか、もう嫁でもないとか言うてたやん。そもそもぼんぼん助ける辺りまではまあ、こっちも奥さまにお世話になってる身やししゃーないと思うけど、ウチらも暗殺者や、無料で赤の他人助けるほど安ぅないで」
「わーった! わーったから! 金払う! だから手伝ってくれって、な!」
リュカがそう言って手を合わせると、途端に彼女たちは二人して、世にも珍しいものでも見たかのような顔をした。
「なんやねん? ぼんぼん、どうしてしもてん? まさか暗殺貴族ヴァンデール子爵家の長男ともあろう御方が、ビビってしもたとか言う訳やないやろな?」
「……そ、そういうことじゃねぇよ」
「じゃ、なんやねん」
怪訝そうに首を傾げる双子。リュカは彼女たちから視線を逸らして、苦虫を噛み潰したかのような顔をした。
「……俺、馬、乗れねぇ」
「「……は?」」
「馬だよ! 馬! 馬に乗れねぇって言ってんだろうが! あいつら! 俺の言うことはちぃぃぃっとも聞きやがらねぇ! 獣のくせにお高く留まりやがって畜生め!」
地団駄を踏みながら喚き散らすリュカに、二人は呆れたとばかりに顔を見合わせた。
「よう考えたら、確かにぼんぼんが馬乗ってるとこ見たことないな」
「ホンマや」
そして二人は声をそろえて、指をさす。
「「ぼんぼん、かっこ悪ぅ!」」
「うるせぇー!」
双子はなにやらヒソヒソと話あった末に、顔を見合わせてにんまりと口元を歪めた。
「なあ、ぼんぼん。手伝ってもええねんけどぉ、それなりに高く付けさせてもらうでぇ」
「わかった。金なら出してやる。妾にしろってのは却下だ! 早くしろ! いくぞ!」
「え! ちょ、ちょっと待ちぃや! まだ何にも言うてへんやんか!」
そんな傍から見ている分には冗談としか思えないようなやりとりの末に、先に駆け出したリュカの後を追って双子が階段を駆け上がる。
玄関ホールに走り出ると、そこには同僚の騎士たちが集まっていた。
彼らはリュカの姿を目にすると、少し驚いたような表情で互いに顔を見合わせた。
「おい、リュカ。なんだよ脱獄かよ。一応俺ら、お前の監視するように言われてんだぞ、見て見ぬフリもしにくいだろうが、ばーか」
そう口にしながら歩み寄ってきたのは、男爵家の放蕩息子ユーディンである。
彼はニヤニヤしながら、リュカの肩に肘を乗せた。
「聞いたぜぇ、団長からとうとう三下り半叩きつけられたって?」
「うっせぇ、俺は団長を追う。止めるってんなら容赦しねぇぞ」
「容赦しねぇと来たもんだ。それは万年味噌っかすのおめえのセリフじゃねぇな」
そう言って彼は、リュカの鼻先をピンッと弾いた。
「遅ぇんだよ、バカ野郎が! いつまで経ってもテメェが出てこねぇから、もう俺たちで団長、寝取っちまおうかってな話をしてたところだ」
「テメェらの手に負えるタマじゃねぇよ」
「ははっ、違いねぇ。表に馬車を用意してある。とっとと行きやがれ。俺らは何も見なかった、気が付いたら馬車が一台盗まれてたってだけの話だ、なあ、みんな」
ユーディンがそう言って振り向くと、同僚たちは声を上げて笑う。
リュカは礼を言うでもなく、振り返ることすらせずに外へと駆け出した。
門前の広場には馬車が一両。
とは言っても一頭立ての小さな荷馬車だ。
それが、すぐにでも駆け出せるように引き出されていた。
彼らは慌ただしくそれに飛び乗ると、御者台に乗ったミリィが「いくで!」と鞭を入れる。
途端に馬は大きく嘶いて駆け出し、馬車は開け放たれたままの城門を一気に飛び出した。
『私は流星になりたい。
長い夜を越えて、愛するあなたの下へと降りていきたい。
夜空に光の軌跡を描き、あなたの記憶に深く刻みこまれたい。
だから、
幾億の夜の果て、永久が最後の吐息を漏らすその日まで。
夜空の星が全て地に墜ちて、この身が塵に変わるその日まで。
あなたへ愛を囁き続けよう。
私は流星になりたい。次に生まれ変わる時には、
流星になって、愛とともにあなたへと降り注ぎたいのです』
馬車の振動を背中に感じながら、私はそっと口ずさみます。
読み手もわからぬ古い詩。
共に星を見上げた夜、あの方が吟じた古い詩です。
こんな歯の浮きそうな言葉も、あの頃の私には、バラ色の文字でしたためられているかのように感じられたものです。
長い長い夜を越え、遂にその日が、すぐそこにまで近づいているのです。
◇ ◇ ◇
リュカは馬車の荷台、その柵にもたれ掛かって、元来た道を振り返った。
夜は深く、雲に覆われた空には星一つ見当たらない。
振り向いても、城砦は既に通り過ぎて来た夜の向こう側。
もはや輪郭すら見えやしない。
ガタガタと車輪が小石をはねる振動が尻を跳ね上げる。
彼らが進んでいるのは、広大な原野を突っ切る一本道。
風景には長らく何の変化もなく、ただただ行く先には暗闇に向かって砂利道が伸びているだけだ。
リュカは胸の内で燻る焦燥から目を背けて、再び今回の不可解な出来事に思いを馳せる。
最初から仕組まれていた。そうとしか考えようがない。
なんにせよ、犯人は確定している。
もはや疑いようもない。動機も大体想像がつく。
あとは首だけを残して消えた死体の謎が残っているだけだ。
死体がどこに消えたかを解き明かさずとも、犯人を追い詰めることは出来る。
だが、それもヴァレリィを救い出せなければ意味がない。
つまりここから先、優先すべきは彼女を救い出すこと、それだけ。
今はどんなことをしてでも追いつくこと、それだけなのだ。
だが、六刻分の遅れが彼に重く圧し掛かる。
オリガたちが乗る大型馬車に比べれば、確かに彼らの乗る荷馬車の方が脚は速い。
だが、やはり馬も生き物。休みなくずっと走らせ続けられる訳ではない。
「母さんに連絡さえ取れれば、王都に入る前にどうにかしてもらうんだがなぁ……」
思わず口をついて出たそんな呟きに、御者台のミリィが呆れ顔で振り返る。
「そりゃー無いもんねだりってもんやわ。伝書鳩も連れてきてないねんから、どうしようもあらへんやん」
「わかってる、言ってみただけだ」
「それにあっちはあっちで忙しいと思うで。ウチらが王都を出た時は、まだ例の首狩りの件でバタバタしてたし」
「首狩り? そんなに手こずるなんて母さんらしくねぇな。そんなに例の宝玉が厄介ってことなのか?」
すると双子が同時に首を振った。
「それ以前の問題や」
「少なくとも、ウチらが出発する時点では正体すら特定出来てへんかったし。途中の宿場町でも噂になってたから、ウチらが王都を出た後も何人かは殺されてるんちゃうかな」
「首狩り……か」
思えば奇妙な符合である。
首だけを持ち去る殺人鬼と、首だけが残された姫殿下。
何かが引っかかった。
「なあ、お前らが王都を出た後の殺しって、本当にその『首狩り』の仕業なのかな?」
「はぁ? 何やそれ? どういうこと?」
「首狩りを騙る別のヤツじゃないかって言ってんだよ。その死体が凍ってたか、どうかってこと」
ミリィとヒラリィは、顔を見合わせて首を傾げる。
「知らんけど、人の首ぶった切るような物騒なヤツ、そんな何人もおらへんやろ」
「でもさ、でもさ、ミリィ。言われてみたら、ウチらが出発する前でも、『首狩り』の仕業っていう前提やったから、わざわざ誰も死因なんて確認してへんかったやん」
最初に殺された何人かを除けば、いずれも王太子バスティアンから齎された情報で、どこで何人殺されたかという結論だけ。
首のない死体が発見されれば、それは首狩りの仕業という公式が成り立っていたのだ。
「ちっ」
「あー! また、舌打ちしたー! 感じ悪ぅー!」
ぷぅと頬を膨らませるヒラリィ。
リュカは「うっせ」と舌先に載せた言葉を吐き出すと、向かい風に乱れた髪を煩わしげに掻き上げた。
「つまり、『首狩り』が、こっちに来てた可能性はあるっていうことだよな」
「で、姫殿下の首を刈ったって? んなアホな」
「そうじゃないけど……。でも、何かすっげぇ引っかかってることがあんだよ。ただ、問題はそれが何かが分かんねぇことなんだけどさ」
「おじいちゃんみたいやな」
「『ごはんはさっき食べたじゃない』ってヤツや」
「ボケ老人じゃねーよ」
顔を顰めるリュカの姿に、双子が楽しげな笑い声を上げる。
「あー、もしかして、ぼんぼん。凍らせて砕けば死体を粉々に出来んじゃね、それで消えた死体の謎、解決じゃね……とか、思ってる?」
「アホか。思ってねぇってーの」
実際そんなことをしたら、氷が溶けた後は見るも無残な肉片の山だ。
というか、凍らせる凍らせない以前に、誰もあの部屋に入っていない。
あの時点で首だけになってたならともかく、あの時点ではベッドに座っていた。
身体はあったのだ。
リュカは、確かにそれを目にしたのだ。
そう考えた途端、頭の片隅で、また何か引っかかるような感触があった。
(なんだ? 俺は今何を考えた? 何に引っかかった?)
途端に、これまでに起こった様々な出来事が、彼の脳裏で鮮明な映像のままに渦を巻き始める。
首狩り、残された首、消えた身体、薄暗い部屋、切断面から覗く白い骨、黒いヴェール。赤い血、血まみれのベッド、血まみれの夜着、滴り落ちる血、吊られた男たち……。
最後に、姫殿下のニヤニヤといやらしく笑う顔が瞼の裏に浮かんでくる。
そしてリュカは静かに顔を上げると、苦々しげにこう呟いた。
「そうか……そういうことかよ」
耳に痛いほどの静けさ。夜の静寂。温い風がそっと頬を撫でた。
わずかに視線を上げて遠く南の方角へと目を向ければ、明滅する星を呑み込みながら暗雲が広がる気配を見せている。
「しばらくは雨かもしれぬな」と愛馬の背を撫でながら、ヴァレリィの父――サヴィニャック公爵は独りそう呟いた。
王都から南へ一日、サヴィニャック公爵家本邸の庭先。
夜中だというのに彼はそこで独り、愛馬の背に荷物を結わえ、旅支度を進めていた。
引退して以来長らく身に着けることも無かった甲冑を引っ張り出し、家伝の大剣『鬼殺し』を背負う。
これで準備は整ったと、馬の手綱を曳いて門の方へと歩み始めようとする彼の傍に、夜着の上にローブを羽織った妻が静かに歩み寄ってきた。
「……あなた」
公爵は足を止め、妻の方を振り返る。
「……私は務めを果たさねばならぬ。王家への忠義は果たされねばならぬ。だが同時に、姫殿下を再び裏切ることも出来はしない。ならば私が採るべき道は一つしかない」
すると、彼女は弱々しく微笑んだ。
鼻先と目元はわずかに赤い。それを指摘するのは野暮というものだろう。
「わかっております。止めに参った訳ではありません。何年あなたの妻をやっていると御思いですか? 私とてサヴィニャック家の女でございます」
「うまくいかなければ九族誅滅。サヴィニャック家の名は泥にまみれ、お前たちの命もない」
「ええ、わかっておりますとも」
思えば彼女とは、幼少期より兄と妹のように育ってきた仲である。
彼女を女として意識したのは、随分後のこと。
道ならぬ恋に破れ、抜け殻のように生きていた頃のことである。
思えば彼を支えてくれたのは、この妻であった。
彼の罪、彼の失意、彼の決断、そのすべてを知りながら必死に支えてくれたのはこの女なのだ。
自分には過ぎた女だと思う。
「……愛している。私はお前を誰かの代わりだと思ったことはない。私は本当に幸せであった」
「私も幸せでございました」
公爵は自嘲気味に微笑む。
互いに過去形で語り合わねばならぬとは、と。
公爵自身にはもはや何も変えられない。
王家への忠誠を至上のものとして生きてきたのだ。
それを曲げることはできない。
だから全てはあの婿殿に懸かっているのだ。
あの頼りない男に全てを賭けねばならない。
公爵は馬に結わえた荷物から一通の書簡を引っ張り出して妻に手渡すと、彼女の目を見つめながら言い含める。
「これを……この書簡を、人を使って王太子殿下へ届けさせてくれ。かの御方であれば、決して悪いようにはなさらんはずだ」
そして、公爵は馬へと飛び乗った。
「では……な」
「ええ、あなた」
彼は馬に鞭を入れると、振り返ることもなく門から外へと駆け出していく。
妻は公爵の姿が見えなくなるまでそこに立ち尽くし、そして独り、膝から地面に崩れ落ちる。
暗い地面にぽたりぽたりと雫が落ちて、押し殺すような嗚咽が静寂の中に溶けていった。
◇ ◇ ◇
リュカたちが城砦を出発した日から数えて、三日目の朝。
サヴィニャック公爵家の長男――ヴァレリィの腹違いの弟が、旅人に身をやつして密かに王都へと辿り着こうとしていた。
彼の懐には公爵が妻に託した書簡がある。
彼は真っ直ぐに王太子のいる王宮を目指していた。
同じ頃――。
「見えたで! あの馬車や! ぼんぼん、覚悟はええか!」
「今さら聞くんじゃねぇ、んなこと!」
テルノワールとフロインヴェールの国境近く、朝靄の立ち込める鬱蒼とした森の中、黒曜の森と呼ばれるその森を貫く一本道。
そこでリュカたちは視界に一両の馬車と、姫殿下直属の騎士たちの馬影を捉えていた。
「気分はどうだ」
オリガのその問いかけに、ヴァレリィは無言で応じた。
キャビンの中、どこかやつれたような顔つきの彼女は、まんじりともせずに誰も座っていない向かいの座席、その座面の縫い目を見つめている。
「ふっ、またあの男の事を考えているのか? まさか、助けに来てくれるとでも思っているのではあるまいな」
ヴァレリィは静かに瞑目すると、自嘲するように吐息を漏らした。
「……来る理由が無いではないか。ただでさえ、あやつは私との婚姻を拒んでいたのだ。その上大人しくしてさえいれば、姫殿下殺しの罪に連座させられずに済むのだからな。誰が好き好んでこんな女を救いにくるというのだ」
「ハッ! くだらぬ男だな。しかし残念といえば残念だ。護送中の咎人を奪い返しにくるようであれば、堂々と叩き斬ることもできるのだがな」
「……約束したはずだぞ。あやつには手を出さぬと」
おどけるように肩をすくめるオリガを、ヴァレリィがジロリと睨みつける。
「貴様が大人しく従っている間は……な」
「……わかっている」
ヴァレリィが下唇を噛むと、オリガはニヤついた笑みを浮かべて、彼女に顔を突きつけてきた。
「本当にわかっておるのか? 救われるのはあの男一人だ。公爵家の滅亡は避けられぬのだぞ」
「……わかっていると、そう言っている」
ヴァレリィの言葉尻に怒気が纏わりつくのを耳にして、オリガは彼女の顎を掴んだ。
「いや、わかっておらぬようだな、その態度は。正直に告白してしまえば、私は貴様のことを友だと思ったことなど一度も無い。一度もだ。ずっと貴様の下風に立たされてきたことが悔しくてならなかったのだ。今、私の心がどれだけ浮きたっているかわかるか? 貴様のこの惨めな姿にな!」
その声は、次第に苛烈な響きを帯び、顎を掴む指に力がこもりはじめる。
「あの男を助けたいと望むのならば、無様に私に縋れ、惨めに私に媚びろ!」
「……わかっている」
「あん? なんだって? ちゃんとわかるように言え。教えたであろうが!」
オリガが指先に力を籠め、ヴァレリィは喉の奥から絞り出すように声を漏らした。
「おねがい……します、オリガさま」
項垂れるヴァレリィ。オリガは満足気に頷くと、彼女の顎から指を話した。
「くっ、ふはっ! ふ、ふふ、はははははは!」
ヴァレリィは幼年学校時代から、オリガが自分ことをライバル視していることには気づいていた。だが、まさかここまで劣等感を拗らせているとは思ってもみなかった。
「城砦を出る前に述べた通り、この黒曜の森を抜けたところで馬車を停める。先触れとして騎士の大半を王都へ向かわせ、残った者どもをブチ殺して……我々は姿を消す。世間は喰人鬼ヴァレリィが、騎士たちを殺して逃亡したと、そう思うはずだ。そのまま事実は闇の中。貴様を奴隷として他国の変態貴族に売り渡した後、私は命からがら喰人鬼から逃れたフリをして王都に戻る」
「……約束は守ってくれるのだろうな」
「ああ、騎士に二言はない。もはやあんなウジ虫のことなどどうでも良いのだからな。ちゃんと国王陛下への書簡は先触れの兵士に持たせるとも。それよりも己の不幸を見苦しく嘆き悲しんで欲しいものだがな。お前はこれから死ぬまで変態貴族の慰みものとして生きていかねばならぬのだからな」
「……運命だ。それも受け入れよう」
ヴァレリィがそう返事をした途端、オリガが不満げに口を尖らせる。
「つまらん。自分を犠牲にしてでも助けたいなどとは……随分と惚れたものだな。貴様を絶望させようと思えば、やはりあの男を殺すべきか」
「違う、そ、そうじゃない! やめてくれ! やめて……くださ、い」
ヴァレリィの声が弱々しく消え入りそうになったところで、唐突に御者台とキャビンの間の小窓が開いて、御者を務める騎士が顔を覗かせた。
「オリガさま! 背後から馬車が一両、真っ直ぐにこちらに向かって参ります!」
良いところを邪魔されたとばかりに、オリガは舌打ちして窓から馬車の後ろを覗き込む。
そして再びヴァレリィに顔を突きつけると、いやらしく口元を歪めながら、こう告げた。
「ヴァレリィ……約束とはいえ、あの男が自ら殺されにきた場合は殺しても仕方があるまい」
◇ ◇ ◇
「ほな、手はず通りいくでぇ! ぼんぼん、手綱は任せた! なんぼ馬に乗れん言うたかて、真っ直ぐ走らせることぐらいは出来るやろ!」
ミリィは遥か前方を行く馬車と騎士たちの姿を見据えながらそう言い放つ。
一方、荷台のリュカは緊張の面持ちで腕を伸ばし、御者台に座る双子の間から手綱を握った。
「その真っ直ぐ走らせるってのが難しいんだろうが!」
前を行く大型馬車に速度を落とす気配は無い。
だが、そのすぐ後ろを追走する騎士たちは、既にこちらに気付いているようだ。その証拠に、彼らは徐々に速度を落とし始めていた。
「来るで!」
ヒラリィが声を上げるのとほぼ同時に、騎士たちは一斉に馬首を返し、リュカたちの方へと突っ込んでくる。
視界で立ち昇る砂煙。馬蹄の響きが地鳴りのごとくに轟き、騎士たちの上げる雄叫びが次第に近づいてくる。
「お、おい!」
「やかましぃ! まだやッ!」
顔を引き攣らせるリュカを、ミリィが怒鳴りつける。
距離三十ザール。二十ザール。遂に十ザールを越えて、先頭の騎士が剣を振り上げた、まさにその瞬間――。
「入った!」
ミリィが大声を上げた。
距離十ザール。
それは即ち、この双子にとって必殺の距離。
二人が両手をスカートの中に差し入れて引き抜くと、その十本の指の間には、鋭く太い鉄の針が挟み込まれていた。
「「食らいさらせッ! こんんのぉお、ボケぇええええ!」」
品の欠片も無い声を上げて二人が腕を振るうと、鋭い風斬り音が空気を削る。
彼女たちの手から放たれた合計十六本の鉄針が、一斉に馬上の騎士たちへと襲い掛かった。
途端に響き渡る悲鳴。赤い血のアーチを描きながら、騎士たちが次々と馬上から投げ出されていく。
双子の手から放たれた鉄針は、兜と甲冑のわずかな隙間、騎士たちの喉元を寸分違わず貫き、彼らの首の骨を砕いたのだ。
「「もういっちょ!」」
双子が更に鉄針を放つと、後続の騎士たちを乗せた馬が突然足をもつれさせて、左右の木々の間へと突っ込みはじめる。
今度は馬の脚を貫いたのだ。
次々に振り落とされる騎士たち。馬は前のめりに倒れ、落馬した彼らをその巨体で容赦なく圧し潰す。一瞬にして阿鼻叫喚の地獄が、そこに出現した。
「うひぃ……ひでぇもんだ」
もつれ合って転がる騎士と馬、その間を走り抜けながらリュカは首をすくめる。
ミリィは背後で遠ざかっていく馬と騎士の死体の山を振り返って、追ってくる者がいないことを確認すると、リュカの手から手綱をひったくった。
「こっから先はアンタの出番やで! ぼんぼん!」
「ああ、わかってる!」
先を行くのは城砦まで侍女たちを乗せてきた大型馬車。
なにせ重量が違う。
彼らの荷馬車に比べれば、その速度もお上品なものだ。
数分と立たずに追いついて、二台の馬車は森を貫く一本道を並走し始めた。
「ミリィ! もっと寄せろ!」
「あいよ!」
宙空に枝を伸ばす木々。
葉の隙間から差し込む陽光は疎ら。
枝の影が網目模様を描く一本道で、二台の馬車が車体を擦りあわせ、そのけたたましい音を森の中に響かせる。
リュカは荷台の上で手を伸ばすと、大型馬車の車窓、その奥に向かって声を限りに叫び声をあげた。
「だんちょおおおおおおおおおお!」
伸ばした彼の腕の先、車窓の奥。そこには驚きに目を丸くするヴァレリィの姿があった。
「何をしに来たのだ、馬鹿者! お前と私はもう関係ないはずだ。頼む! 頼むから! 大人しく引き返してくれ!」
大型馬車の車窓から彼女が声を上げれば、荷馬車の荷台で腕を伸ばしたリュカが、ムスッと腹立たしげに口元を歪める。
「ふざけんな、高飛車女! 妻として尽くすとか勝手に覚悟決めといて、今度は勝手に別れてくれだと! バカにするのもいい加減にしろ!」
「そうではない! そうではないのだ!」
「じゃあ何だってんだ! このメスゴリラ! 今さら好みのタイプじゃなかったとか言っても返品なんてきかねーぞ! おいコラ、お高く止まりやがって! この筋肉ダルマ! 貰い手がねぇから適当な相手で手を打とうと思ったけど、やっぱり我慢できなかったってか!」
「な!? なんだと!」
売り言葉に買い言葉とはまさにこのこと。
いきなり罵詈雑言を投げつけられて、先ほどまで悄然としていたはずの彼女の顔が、怒気を孕んで次第に紅潮していく。
「何だお前は! 乙女に向かってメスゴリラだの筋肉ダルマだのと! 一体どういう了見だ! 私の気も知らずに好き放題言いおって! ああそうだ! 嫌いだ! お前なんか大嫌いだ! お前の顔なんか二度と見たくないわ!」
御者台の上では、ミリィが「マジかこいつら」と目を覆って呆れかえり、ヒラリィがイルの方を、とんでもないバカを見たとでもいうような顔で振り返っていた。
一方、キャビンの奥ではオリガが、『見たことか、所詮、男などこんなものだ』と、口元に嘲るような笑みを貼り付ける。
だが、睨みあうリュカとヴァレリィは、もはや他の者のことなど眼中に無い。
「知るか! お前の気なんぞ知ってたまるか! このクソ女ァ! そうか、わかった! お前は俺のことが嫌いなんだな! 顔も見たくねぇってんだな!」
「っ……、そ、そうだ! 嫌いだ! 大っ嫌いだぁああああ!」
ヴァレリィの絶叫が木々の間に響き渡る。その途端、リュカは犬歯をむき出しにしてにんまりと笑った。
「じゃあ、俺はお前のことが大好きだ!」
途端にその場にいた全員が全員、一斉にリュカの方を二度見した。
「は……はい?」
呆気にとられるヴァレリィに、リュカが指を突きつける。
「天邪鬼なんだよ、俺は! 嫌いだと言われれば好きになるし、追われれば逃げるし、逃げようとするなら追いかける。お前が俺を嫌いだってんなら、死ぬまで付きまとってやるからな!」
「ど、ど、どんな理屈だ、それは!」
慌てふためくヴァレリィをじっと見据えて、リュカは決然と声を上げた。
「うるせぇ! 理屈なんか知るか! お前は俺の女だ!」
「ふぁっ!?」
途端に、ヴァレリィの顔が真っ赤に染まる。
頭から湯気でも噴き出しそうなほどに真っ赤。
御者台のミリィがため息混じりに、「面倒くさ……」と苦笑すれば、ヒラリィが「史上最低の告白を見た」と天を仰ぐ。
車窓の向こうではオリガが嫌悪感も露わにリュカを睨みつけると、ヴァレリィの肩を掴んで声を荒げた。
「嫌がる女の尻を追い回すなど度し難いクズだ。とっとと失せろ! 失せねばブチ殺すぞ!」
だが、もはやオリガのことなどお構いなし。リュカはヴァレリィだけを見据えて更に大声を上げる。
「女に全部押し付けてのうのうと生き延びろ? バカ言うんじゃねぇ! そんな後ろめたさ背負って生きるなんて真っ平御免なんだよ、クソ女。助けて欲しけりゃそう言え! 言えよ! お前が望むならどんなヤツでもブッ倒してやる! 俺がなんとかしてやる! 一度しか言わねぇぞ! 二度と言わないからな! 俺はお前のことが好きになっちまったんだ! わかったか!」
「罵んのか口説くんか、どっちかにせぇや……ほんま」
「どんだけねじくれとんねん……ほんま」
ミリィが呆れかえると、ヒラリィが器用に肩をすくめる。
そんな二人のことなどお構いなしに、彼は再び馬車の方へと手を伸ばして絶叫した。
「来い! ヴァレリィ!」
次の瞬間――
「ヴァレリィ! 貴様、何を! バ、バカな!」
オリガの慌てる声が響いて、馬車の扉が弾けるように開け放たれた。
彼女の手を振り払ってヴァレリィが扉に体当たりをし、そのまま外へと飛び出したのだ。
ヴァレリィの涙が宙空にアーチを描き、木洩れ日を反射してキラキラと光った。
「ヴァレリィイイイイッ!」
リュカは必死に手を伸ばし、彼女の身体を受け止める。
だが、走行中の馬車からのダイブである。
さすがにおとぎ話の王子さまや英雄譚の英雄のように颯爽と抱きとめることなど出来やしない。
そのまま二人はもつれるように荷台の上へと倒れこみ、リュカは彼女の下敷きになって、「ぐぇっ……!」と潰れたカエルのような声を漏らした。
「す、すまない! だ、大丈夫か! 旦那さま!」
ヴァレリィが慌てて身を起こそうとすると、リュカの両腕が彼女の身体をぎゅっと抱きしめる。
「……やっと取り戻したんだ。俺から離れんじゃねぇ」
彼女は口元に微笑みを浮かべ、静かに目を瞑って彼の胸へと頬を寄せた。
「旦那さま……ダメだとわかっているのに。巻き込んでしまうとわかっているのに、貴様があんな嬉しいことを言うから、つい……我を忘れてしまったではないか……」
すると、リュカは彼女の髪に指を這わせて、こう囁いた。
「心配しなくていい。お前が死ぬ必要なんて無いんだ。姫殿下は死んでなんかいないんだから」
澄んだ水を湛える美しい湖。その湖畔をひと際大きな馬車が一両、ゆっくりと走っていた。
フロインヴェールの西の国境近く、メルヴィル湖という名の湖である。
風光明媚なその湖畔には、王家が避暑に利用する白亜の離宮が佇んでいる。
夏も終わりに近づき秋の気配。もはや、そこには誰の姿も見当たらない。
そんな離宮のエントランスで馬車を停めて、御者台から銀髪のメイドが飛び降りる。
彼女はキャビンに歩み寄ると、そっと扉を開けて中へと声を掛けた。
「……ついた」
「うむ……ご苦労じゃったの」
メイドが差し出した手を取って降りてきたのは、白い夜着を纏ったヴェルヌイユ姫である。
足に包帯は巻かれておらず、彼女は自分の足で静かに地に降りた。
「私は流星になりたい、か……」
彼女は周囲を見回し、愛した男がこの地で謡じた想い出の詩の一節をそっと舌先にのせた。
◇ ◇ ◇
「それは、一体……ど、どういうことだ? 姫殿下が生きておられるだと!?」
手枷が邪魔でうまく起き上がることができないのだろう。
ヴァレリィはリュカの胸に頬を寄せたまま身を捩って彼の顔を覗き込む。
彼が何を言っているのか理解できなかったのだ。
だが、彼女が顔を上げるのとほぼ同時に御者台でミリィが切羽詰まった声を上げた。
「いちゃいちゃすんのは後にしてくれへんか!」
見れば、オリガの乗る大型馬車が荷馬車の前へ出て、左右に蛇行しながら道を塞いでいる。
森の一本道、曲がってやり過ごせるような脇道もない。
ヴァレリィを取り戻せばもはやオリガに用は無い。
当初の予定では彼女を救い出したら、ぶっちぎってそのまま逃げてしまうつもりだったのだが、計算が狂った。
本来であれば、荷馬車の方が脚は速いのだが、ヴァレリィを受け止めるために速度を落とした一瞬のタイミングで、大型馬車に前へ出られてしまったのだ。
「停めてくれ、ミリィ」
「ええんか?」
「ああ、ここでケリをつけるさ」
リュカはヴァレリィの肩を抱いて身を起こし、ミリィが手綱を引いて荷馬車を停車させる。 少し先の方でオリガを乗せた大型馬車も速度を落とし、やがて停まった。
車輪の音が消え去ってしまうと、朝靄の立ち込める森の中に、静寂が舞い降りた。ぶるると馬の嘶きが聞こえて、その直後にタッと短い着地音が響く。
リュカの目に大型馬車から飛び降りるオリガの姿が映った。
彼女のその手には抜きはらわれた剣が握られている。
その切っ先をリュカたちの方へと向けて、彼女は怒声を張り上げた。
「貴様ァ! 自分が何をしているのかわかっているのか! その女に関われば貴様も同罪! 姫殿下殺しの罪に連座して死にたいのか!」
リュカは荷台から飛び降りると、挑むようにオリガを見据えた。
「いつ姫殿下が死んだ? 大した演技だったよ、オリガ。もしこれが団長だったら二秒でバレてるところだ」
「わ、私を引き合いに出すな!」
「褒めてるんですってば。人を騙して平然としてるような腹黒女は、俺の好みじゃないし」
「そ、そうか……私はお前の好みか、そうか……」
デレデレと嬉しそうに身を捩るヴァレリィの姿に、御者台のへりに肘をついたミリィが、ヒラリィへと呆れ声を漏らした。
「隙あらばイチャイチャしようとしよんなぁ……腹立つわぁ」
「ほんまやで」
二人の呟きが聞こえた訳ではないだろうが、ヴァレリィは思い出したかのように目を見開いた。
「し、しかし、旦那さまよ。我々は実際に姫殿下の死体を見たではないか!」
「本当に姫殿下の首でしたか?」
「な、なにを言っているのかわからん。あれを姫殿下以外の誰かだと言い張るのは、さすがに無理がありすぎるだろう。扉を閉じる際、姫殿下がベットに腰かけておられるのを見た。お前も確かに見たはずだ。直前までお話されていた声も聞いている。確かに姫殿下はあの部屋の中におられた。そこから私はずっと部屋の前に居たのだ。誓って部屋に出入りした者はいない! 他の誰かに入れ替わることなど、どう考えても出来はしないではないか!」
「ま、そう思いますよね。俺も少し前まではそう思ってましたよ、まんまとね」
「……ち、違うのか?」
戸惑いの表情を浮かべるヴァレリィに、リュカはニッと笑いかける。
オリガはじっと彼を睨んだまま。
ここで小馬鹿にしてこない時点でオリガは認めてしまったも同然だ。と、彼は胸の内で苦笑した。
「団長、死体を見つけた時に、部屋の中に転がってたものを思い出してみてください」
「転がっていたもの? ベッドの上に姫殿下の御首、あとは……そうだな。お召しになっていた夜着が大量の血にまみれていたぐらいだと……」
「足の添え木はどこに行きました?」
ヴァレリィは「はっ!?」と息を呑む。
「扉が閉じる時、姫殿下はベッドに座っておられましたけど、その足に添え木は付いていませんでした。足を折った人間が寝るときにいちいち添え木を外すと思います? 外しませんよね。寝てる間に骨がズレたらくっつくものもくっつきませんから。部屋から出て来た時にメイドやオリガ、誰も添え木なんて持ってませんでしたし。じゃあ添え木はどこへ行ったと思います?」
「な……わ、わからん、どういうことだ?」
「決まってます。姫殿下の足についたままですよ。つまりあれは姫殿下じゃないってことです」
「バカな! どこで入れ替わったというのだ。隠し部屋への道すがら、私は姫殿下といくらか言葉を交わしたぞ。お前も話をしていたではないか! あれは断じて他の誰でも無い、確かに姫殿下だった!」
「そりゃそうです。あれは本物の姫殿下ですから」
その一言に、ヴァレリィの頭上に大きな疑問符が浮かぶ。
彼女はぐぬぬぬと呻いたかと思うと、喚くように声を上げた。
「わからん! 全然わからん! 旦那さまよ。意地悪しないでわかるように言ってくれ!」
「じゃあ聞きますけど、隠し部屋に移ったあの時、姫殿下の車椅子を押してたのは誰でしたか?」
「誰って……関係あるのか、そんなことが?」
「もちろん」
「……覚えてはいないが、あの銀髪のメイドではないのか?」
「違います。押していたのはオリガですよ。おかしいと思いませんか? エルネストたちが殺られて、姫殿下は喰人鬼に襲われるー! なーんて怯えてたのに、率先して周囲を警戒しなきゃいけないはずのオリガが車椅子を押してたんです。そうしなきゃならない理由があったんだよな。な! オリガ!」
リュカはオリガの方へ向き直り、挑発するような笑みを浮かべる。
彼女は身じろぎ一つせず、じっとリュカを睨みつけていた。
「思い出してみてくださいよ、団長。姫殿下がエロい下着を持ち出した時、あのメイドは衣装箱が重くて持てないって言ってたじゃありませんか。あのメイドは非力なんです。つまりあの時、メイドの力じゃ押せないぐらい車椅子が重かったってこと。そりゃそうですよね。姫殿下の体重に加えて、もう一人分の重さが加わってるんだから」
「なっ!?」
「それが、あの車椅子がバカみたいにデカい理由です。中は空洞であの時、そこには姫殿下の身代わりが入ってたって訳です。まったく馬鹿にされたもんですね。言い換えれば、あの車椅子は最初から姫殿下が自分の死を演出するための大道具だったって訳ですよ」
「最初から……? つまりそれは、ひ、姫殿下が私を陥れたと……そういうことか?」
「残念ながら、そういうことです」
ヴァレリィは目を見開いたまま固まっている。
頭が理解するのを拒んでいる、リュカの目にはそう見えた。
無理もない。自分を陥れようとしたのが敬愛する王家の人間――姫殿下だというのだから。
「着替えと称して俺らを隠し部屋の外に出した後、車椅子の中から身代わりを引っ張り出してベッドに座らせ、姫殿下自身は車椅子の中に隠れる。自分が部屋の中にいると思い込ませるために、必要以上に声高に喋って、最後には僕らに身代わりの姿を目撃させた。僕らはまんまと部屋の中に姫殿下がいると思い込んだまま、本物の姫殿下はメイドが押す車椅子に隠れて脱出した、そうだよな? オリガ」
「ふっ、バカバカしい……。では聞くが、その身代わりというのは一体、誰だ?」
「さあな。全くそっくりの人間ってのはさすがに無理がある。だが、ヴェールで顔を隠しちまえば、よく似た輪郭の人間もいるだろうよ。どうせ最後は首だけになっちまうんだ」
「いや、だが……それでは」
ヴァレリィが唇を震わせたその瞬間、オリガのけたたましい笑い声が響き渡った。
「はははははははは! まったく何を言い出すかと聞いていれば、バカバカしい。貴様が想像力豊かなのはよくわかった。騎士ではなく劇作家にでもなった方が大成したかもしれんぞ? では、なぜ首だけを残して身体が消えた? それこそ、その女が喰人鬼である証拠ではないか!」
途端に、リュカは悔しげに唇を噛み締めて項垂れる。
「そこなんだよな……そこがわからなかったんだ」
「それみたことか! 貴様の浅知恵などそんなものだ。こじつけで姫殿下を貶めた罪は決して許されるものではないぞ!」
勝ち誇ったように胸を張るオリガ。だが、リュカは静かに顔を上げると、
「確かにわからなかったよ。城砦を出るあたりまでは、な」
と、犬歯をむき出しにして、獲物を見つけた肉食獣のような獰猛な笑みを浮かべた。
「なんだと!?」
思わず目を見開くオリガ。そんな彼女をほったらかして、リュカはヴァレリィの肩を抱く。
「団長、『首狩り』ってのを覚えてますか?」
「無論だ。そ、それがどうした? なにか関係があるのか?」
「鈍いなぁ……まあそこもかわいいとは思いますけど」
「か、かわいい……そ、そうか、かわいいの……か、え、えへへ」
ヴァレリィが恥じらうように身を捩ると、背後で双子がジトっとした目をする。
「絶対わざと惚気てるで、あれ」
「言うたったら可哀そうやろ。女出来て、舞上がっとんねんて」
そんな双子の呟きなど聞こえないフリをして、リュカはヴァレリィへと問いかけた。
「首を刈る殺人鬼と、首だけになった姫殿下と言えば、わかりますよね?」
「まさか、あの姫さまの御首が首狩りが刈り取った女の首だと……?」
「正確には逆ですけどね。姫殿下の身代わりにするために首を刈ってたのが首狩りってことですから。姫殿下そっくりの輪郭の持ち主を探し出すのに、一体何人殺したことやら」
リュカはあらためてオリガの方へと向き直る。
「もう全部ネタはあがってるんだ、観念したらどうだ?」
そして、彼女の方へと指を突きつけて、こう言い放った。
「オリガ! いや、首狩り!」