北の果て、永久凍土の国に端を発する大陸公路は、あいだにいくつもの小国を貫いて、大陸の南、砂漠の国エスカリス・ミーミルに突き当たるまで続く。
ここでいう小国とは、フロインヴェール、ミラベル、ゴア、テルノワールの四つ。これら四つをあわせて『四姉妹』と称することもある。
しかし、この四姉妹には現在、不穏な姉妹喧嘩の兆しが現れ始めていた。
つい、数か月前のことである。
テルノワールにおいて、商業組合と徴税官との小競り合いを端緒に暴動が勃発。すぐに鎮圧されるだろうという大方の予想を覆して、それは革命へとエスカレートした。そして、遂には群衆の波が王宮を呑み込んでしまったのだ。
王制の国々のど真ん中に突如として現れた、王を戴かぬ国――共和制国家。
近隣諸国の王族にしてみれば、明日は我が身。心穏やかでいられるはずも無く、ミラベル、ゴアの二国はすぐさまテルノワールへの出兵を決めた。
良く言えば慎重、悪く言えば優柔不断な王を頂点に戴くここフロインヴェールだけが、日和見を決め込んでいたという状況である。
だが、度重なるミラベルとゴアからの要請にフロインヴェール王もとうとう覚悟を決め、出兵の触れが出されたのは、つい先日のこと。
そんな徒ならぬ状況下のフロインヴェール王都――サン・トガン。
その中央、王宮の別棟にある金鷹騎士団の詰め所には、腕組みをした女騎士と、テーブルを挟んだその向かい側でしゅんと項垂れる少年の姿があった。
少年の歳は十六。クセの強い黒髪が特徴的な他には、目立つところは何もない。背が高い訳でもなければ低い訳でもなく、顔立ちも至って平凡。
なのに、不思議なほどに見すぼらしく見えるのは、覇気の欠片も感じさせない目つきのせいであろう。怒鳴りつけられてしゅんとする有様は、どこか捨てられた子犬を思わせる。
一方の女騎士は、少年より少し年上の十八歳。彫刻かと見まがうような整った顔立ちに、燃えるような赤毛。多少気が強そうではあるが、類い稀なる美女と言っても差し支えはないだろう。
少年と同じ軽装鎧に包まれた肢体は、すらりとした八頭身。そんな彼女はつり目がちな赤い双眸に、今にも溢れ出しそうな怒りを滲ませていた。
「リュカ、貴様はなぜ私が怒っているのか、理解しているのだろうな」
「……も、もちろんです」
夏の盛り、窓から差し込む夕陽に染まる石造りの床。その上で小さく縮こまっていた少年の影が、おずおずと頭を上げた。
「よし、ならば正直に答えろ! 昨晩、任務の最中に持ち場を離れ、どこへ行っていたのだ?」
「その、あの……こ、小腹がすいたので、炊事場に……。残り物でも貰えないかな、と」
「そうだな。使用人の一人が、お前に乾酪を二切ればかり渡したと証言している。どうだ、旨かったか?」
「え、あ……はい。さすがに大臣閣下のお屋敷ともなると、乾酪一つとっても、高級なやつで……」
「そうか、高級品だったか。ふむ、では聞くが、お前がおいしくその乾酪を喰らっている間に、護衛対象であるアンベール卿が殺害されたことについては、どう考えている?」
「うっ、あ……なんというか、その」
「その、なんだ?」
「間が悪いな……と」
途端に、女騎士のこめかみに青筋が走った。
「間が悪いで済む話では無いわ! 要人警護の最中に小腹がすいただぁ? 貴様が呑気に乾酪なぞ貪っている間に、大臣閣下が喰い散らされておるではないか!」
「あ、あはは、さ、さすが団長、うまいことおっしゃる」
「やかましいっ!」
女騎士がドンッ! と、テーブルに拳を落とすと、少年は首をすくめて身を跳ねさせる。
そして、女騎士はテーブルの上へと身を乗り出し、彼の鼻先へと怒りの形相を突きつけた。
「貴様がドジで、どうしようもなく運が悪いのは百歩譲って許せても、素行が悪いのは別問題だ! 今日、私がどれほど将軍閣下からお叱りを受けたと思っている! 貴様は私に何か恨みでもあるのかッ!」
「恨みだなんて、め、滅相もありません!」
彼女が口にしたように、リュカと呼ばれたこの少年はとんでもなくドジで、とてつもなく運が悪い。
段差があればもれなく躓き、外を歩けば鳥の糞が降ってくる。誰かが石を蹴れば彼の方へと飛んでくるし、金を持てば財布を落とし、女の傍によれば当然のように痴漢に間違われる始末。
今回だって、置物のように立たせておくだけなら問題なかろうと、護衛対象の居室の前を見張らせていたのだが、結果はご覧の有様である。
女騎士――この騎士団の団長を務めるヴァレリィは興奮気味に吐息を漏らすと、水差しから木椀へと水を注ぎ、それを一気に呷った。
どうやら怒鳴りすぎて喉が嗄れたらしい。
すでに、この詰め所にいるのは彼女とリュカの二人だけ。
勤務時間が過ぎるやいなや、とばっちりを恐れた団員たちはそそくさと帰ってしまったのだ。
帰っていく同僚たちの姿を目にして、リュカがそろそろ説教も終わるのではないかと、淡い期待を顔に出してしまったのがマズかった。
それがヴァレリィの更なる怒りを買い、結果として現在の一刻にも及ぶ、延長戦の原因となったのである。
「本当にもう、貴様というヤツは……」
ヴァレリィの怒りに釣り上がった眦が、次第に情け無げに垂れ下がり始めるのを見て、リュカはこの説教がまだまだ長引くことを確信する。
「どんな縁故かは知らんが、貴様なぞ王太子殿下の御推薦で配属されたのでなければ、とうの昔に叩き出しているところだ」
「……えーと、その、すみません」
「緊張感のない顔をしおって。貴様は今、この国がどんな状況にあるかわかっているのか!」
「わ、わかってますとも」
そう答えはしたものの、リュカの目は明らかに泳いでいる。
ヴァレリィは、彼をジトッとした目で見据えながら、ドスの利いた声で問いかけた。
「言ってみろ」
「えっ、えっと……その、もうすぐ、テルノワールへ出兵することになっています」
「そうだな。国王陛下が御心を定められたからには、すぐにも戦争に突入することになるだろう。その時、我ら金鷹騎士団は最前線で戦うことになる」
リュカはちゃんと答えられた事にホッと胸を撫で下ろす。しかし、ヴァレリィの質問はそれでは終わらなかった。
「それから!」
「えっ!? そ、それから? えっと、あの、その……」
リュカの目が、泳ぐどころかぐるぐると回り始めたのを見て、ヴァレリィは呆れ混じりのため息を吐き、彼のことをギロリと睨み付けた。
「首狩りだ!」
「ああ、そう! そうでした!」
「そうでしたではないだろう! そもそも我々がアンベール卿の護衛に回ることになったのは、ヤツが卿を狙っているという情報が齎されたからであろうが!」
――首狩り。
それは数日前から王都を騒がせている、連続殺人鬼の通名である。
女だということ以外は何もかもが不明。死体から首を持ち去るというあまりにも特徴的な手口で、既に十名近い市民を殺害していた。
通常、市井の治安維持活動は衛士たちの業務であって、主に貴族の子弟によって構成される騎士団には関わりの無いことなのだが、今回ばかりは護衛対象が大臣ということもあり、彼女たち金鷹騎士団も護衛要員として駆り出されたのだ。
「それにしても、首狩りってのは大胆なヤツですよね。騎士団が守りを固める屋敷に侵入してくるなんて」
「馬鹿者! 貴様は運や態度だけではなく目まで悪いのか? アンベール卿を殺害したのは、ヤツではないぞ」
「え、でも」
「アンベール卿の遺体には、首があっただろうが!」
「あ、そういえば……」
「そもそもこの話は最初からおかしかったのだ。これまで首狩りの被害者は庶民の若い女ばかりだったというのに、どういう訳か今回に限ってはアンベール卿を狙っているというのだからな」
「ですよね! そう、そうなんですよ! 俺も、きっとガセだろうと思ってたんです!」
なぜか、誇らしげな顔をするリュカを睨みつけて、ヴァレリィが声を荒げた。
「だからと言って、持ち場を離れて良いという話にはならんわ! 結果的にはアンベール卿は殺されたのだ。獣に食い荒らされたかのような無残な姿でな。今回の犯人は別のヤツだ。取り急ぎ『喰人鬼』と呼称されることになったが」
「うわぁ……」
「なんだ? 国王陛下の命名に、文句があるのか!」
「うぇっ! 国王陛下!? とんでもありません! さすが陛下! 最高! 最高の命名です!」
必死で愛想笑いを浮かべるリュカ。だが、ヴァレリィはそんな彼を冷め切った表情で眺めて、こう告げた。
「ほお……そうか。ならば、どのあたりが最高なのかじっくり聞かせてもらおうではないか」
ここまでくると、もはやただのイビリである。
リュカにとって彼女の説教は日常の一部ではあるが、よほど将軍閣下に叱責されたのが堪えたのか、今日の彼女はいつも以上にねちっこい。
リュカは少なくともあと一刻は、この説教という名の気晴らしが続くことを確信した。
ここでいう小国とは、フロインヴェール、ミラベル、ゴア、テルノワールの四つ。これら四つをあわせて『四姉妹』と称することもある。
しかし、この四姉妹には現在、不穏な姉妹喧嘩の兆しが現れ始めていた。
つい、数か月前のことである。
テルノワールにおいて、商業組合と徴税官との小競り合いを端緒に暴動が勃発。すぐに鎮圧されるだろうという大方の予想を覆して、それは革命へとエスカレートした。そして、遂には群衆の波が王宮を呑み込んでしまったのだ。
王制の国々のど真ん中に突如として現れた、王を戴かぬ国――共和制国家。
近隣諸国の王族にしてみれば、明日は我が身。心穏やかでいられるはずも無く、ミラベル、ゴアの二国はすぐさまテルノワールへの出兵を決めた。
良く言えば慎重、悪く言えば優柔不断な王を頂点に戴くここフロインヴェールだけが、日和見を決め込んでいたという状況である。
だが、度重なるミラベルとゴアからの要請にフロインヴェール王もとうとう覚悟を決め、出兵の触れが出されたのは、つい先日のこと。
そんな徒ならぬ状況下のフロインヴェール王都――サン・トガン。
その中央、王宮の別棟にある金鷹騎士団の詰め所には、腕組みをした女騎士と、テーブルを挟んだその向かい側でしゅんと項垂れる少年の姿があった。
少年の歳は十六。クセの強い黒髪が特徴的な他には、目立つところは何もない。背が高い訳でもなければ低い訳でもなく、顔立ちも至って平凡。
なのに、不思議なほどに見すぼらしく見えるのは、覇気の欠片も感じさせない目つきのせいであろう。怒鳴りつけられてしゅんとする有様は、どこか捨てられた子犬を思わせる。
一方の女騎士は、少年より少し年上の十八歳。彫刻かと見まがうような整った顔立ちに、燃えるような赤毛。多少気が強そうではあるが、類い稀なる美女と言っても差し支えはないだろう。
少年と同じ軽装鎧に包まれた肢体は、すらりとした八頭身。そんな彼女はつり目がちな赤い双眸に、今にも溢れ出しそうな怒りを滲ませていた。
「リュカ、貴様はなぜ私が怒っているのか、理解しているのだろうな」
「……も、もちろんです」
夏の盛り、窓から差し込む夕陽に染まる石造りの床。その上で小さく縮こまっていた少年の影が、おずおずと頭を上げた。
「よし、ならば正直に答えろ! 昨晩、任務の最中に持ち場を離れ、どこへ行っていたのだ?」
「その、あの……こ、小腹がすいたので、炊事場に……。残り物でも貰えないかな、と」
「そうだな。使用人の一人が、お前に乾酪を二切ればかり渡したと証言している。どうだ、旨かったか?」
「え、あ……はい。さすがに大臣閣下のお屋敷ともなると、乾酪一つとっても、高級なやつで……」
「そうか、高級品だったか。ふむ、では聞くが、お前がおいしくその乾酪を喰らっている間に、護衛対象であるアンベール卿が殺害されたことについては、どう考えている?」
「うっ、あ……なんというか、その」
「その、なんだ?」
「間が悪いな……と」
途端に、女騎士のこめかみに青筋が走った。
「間が悪いで済む話では無いわ! 要人警護の最中に小腹がすいただぁ? 貴様が呑気に乾酪なぞ貪っている間に、大臣閣下が喰い散らされておるではないか!」
「あ、あはは、さ、さすが団長、うまいことおっしゃる」
「やかましいっ!」
女騎士がドンッ! と、テーブルに拳を落とすと、少年は首をすくめて身を跳ねさせる。
そして、女騎士はテーブルの上へと身を乗り出し、彼の鼻先へと怒りの形相を突きつけた。
「貴様がドジで、どうしようもなく運が悪いのは百歩譲って許せても、素行が悪いのは別問題だ! 今日、私がどれほど将軍閣下からお叱りを受けたと思っている! 貴様は私に何か恨みでもあるのかッ!」
「恨みだなんて、め、滅相もありません!」
彼女が口にしたように、リュカと呼ばれたこの少年はとんでもなくドジで、とてつもなく運が悪い。
段差があればもれなく躓き、外を歩けば鳥の糞が降ってくる。誰かが石を蹴れば彼の方へと飛んでくるし、金を持てば財布を落とし、女の傍によれば当然のように痴漢に間違われる始末。
今回だって、置物のように立たせておくだけなら問題なかろうと、護衛対象の居室の前を見張らせていたのだが、結果はご覧の有様である。
女騎士――この騎士団の団長を務めるヴァレリィは興奮気味に吐息を漏らすと、水差しから木椀へと水を注ぎ、それを一気に呷った。
どうやら怒鳴りすぎて喉が嗄れたらしい。
すでに、この詰め所にいるのは彼女とリュカの二人だけ。
勤務時間が過ぎるやいなや、とばっちりを恐れた団員たちはそそくさと帰ってしまったのだ。
帰っていく同僚たちの姿を目にして、リュカがそろそろ説教も終わるのではないかと、淡い期待を顔に出してしまったのがマズかった。
それがヴァレリィの更なる怒りを買い、結果として現在の一刻にも及ぶ、延長戦の原因となったのである。
「本当にもう、貴様というヤツは……」
ヴァレリィの怒りに釣り上がった眦が、次第に情け無げに垂れ下がり始めるのを見て、リュカはこの説教がまだまだ長引くことを確信する。
「どんな縁故かは知らんが、貴様なぞ王太子殿下の御推薦で配属されたのでなければ、とうの昔に叩き出しているところだ」
「……えーと、その、すみません」
「緊張感のない顔をしおって。貴様は今、この国がどんな状況にあるかわかっているのか!」
「わ、わかってますとも」
そう答えはしたものの、リュカの目は明らかに泳いでいる。
ヴァレリィは、彼をジトッとした目で見据えながら、ドスの利いた声で問いかけた。
「言ってみろ」
「えっ、えっと……その、もうすぐ、テルノワールへ出兵することになっています」
「そうだな。国王陛下が御心を定められたからには、すぐにも戦争に突入することになるだろう。その時、我ら金鷹騎士団は最前線で戦うことになる」
リュカはちゃんと答えられた事にホッと胸を撫で下ろす。しかし、ヴァレリィの質問はそれでは終わらなかった。
「それから!」
「えっ!? そ、それから? えっと、あの、その……」
リュカの目が、泳ぐどころかぐるぐると回り始めたのを見て、ヴァレリィは呆れ混じりのため息を吐き、彼のことをギロリと睨み付けた。
「首狩りだ!」
「ああ、そう! そうでした!」
「そうでしたではないだろう! そもそも我々がアンベール卿の護衛に回ることになったのは、ヤツが卿を狙っているという情報が齎されたからであろうが!」
――首狩り。
それは数日前から王都を騒がせている、連続殺人鬼の通名である。
女だということ以外は何もかもが不明。死体から首を持ち去るというあまりにも特徴的な手口で、既に十名近い市民を殺害していた。
通常、市井の治安維持活動は衛士たちの業務であって、主に貴族の子弟によって構成される騎士団には関わりの無いことなのだが、今回ばかりは護衛対象が大臣ということもあり、彼女たち金鷹騎士団も護衛要員として駆り出されたのだ。
「それにしても、首狩りってのは大胆なヤツですよね。騎士団が守りを固める屋敷に侵入してくるなんて」
「馬鹿者! 貴様は運や態度だけではなく目まで悪いのか? アンベール卿を殺害したのは、ヤツではないぞ」
「え、でも」
「アンベール卿の遺体には、首があっただろうが!」
「あ、そういえば……」
「そもそもこの話は最初からおかしかったのだ。これまで首狩りの被害者は庶民の若い女ばかりだったというのに、どういう訳か今回に限ってはアンベール卿を狙っているというのだからな」
「ですよね! そう、そうなんですよ! 俺も、きっとガセだろうと思ってたんです!」
なぜか、誇らしげな顔をするリュカを睨みつけて、ヴァレリィが声を荒げた。
「だからと言って、持ち場を離れて良いという話にはならんわ! 結果的にはアンベール卿は殺されたのだ。獣に食い荒らされたかのような無残な姿でな。今回の犯人は別のヤツだ。取り急ぎ『喰人鬼』と呼称されることになったが」
「うわぁ……」
「なんだ? 国王陛下の命名に、文句があるのか!」
「うぇっ! 国王陛下!? とんでもありません! さすが陛下! 最高! 最高の命名です!」
必死で愛想笑いを浮かべるリュカ。だが、ヴァレリィはそんな彼を冷め切った表情で眺めて、こう告げた。
「ほお……そうか。ならば、どのあたりが最高なのかじっくり聞かせてもらおうではないか」
ここまでくると、もはやただのイビリである。
リュカにとって彼女の説教は日常の一部ではあるが、よほど将軍閣下に叱責されたのが堪えたのか、今日の彼女はいつも以上にねちっこい。
リュカは少なくともあと一刻は、この説教という名の気晴らしが続くことを確信した。