夏の風の記憶に、君と運命の恋を探す


「そういうことなら、ぜひ協力させてもらおう。生まれ変わりについては、大いに興味がある。というか、俺が研究しているテーマそのものだ」

 どうやら、彼が超常現象について研究しているというのは本当らしい。しかも、生まれ変わりについて専門的に研究していると言う。

 私と弓槻くんのこの巡り合わせも、運命に仕組まれたものではないか。そんなことすら感じた。

「ありがとうございます」

 私は深く頭を下げた。

「俺も、前世の記憶を保持している人間の実例を見るのは初めてだ。むしろ君には感謝している」

 研究対象として感謝されてもあまり嬉しくはないけれど、利害は一致しているらしい。

「シロちゃんの生まれ変わりを探すとして、具体的に何か方法はあるんですか?」

 私の質問に、弓槻くんはすぐに答えた。

「ああ。君のようにショックで記憶がよみがえるのなら、片っ端からこの学校の生徒に強い衝撃を与えて気を失わせれば、前世の記憶がよみがえった人間がシロちゃんの生まれ変わりだと判明するだろう。問題はトラックとその運転手の入手経路だが……」

「ちょっと、何言って――」

 慌てて立ち上がる。ガタッと、パイプ椅子が倒れそうになる。

「冗談だ。ちゃんとした策はある。明日の放課後、またここに来てくれ」

 弓槻くんはケロッとした顔で、私を見上げる。

「一つ、お願いがあります」

 私は立ち上がったまま、彼を見下ろしながら言う。

「なんだ」

「冗談を言うときは、今から冗談を言う、と宣言してから話してください。弓槻くんは、真面目な顔で冗談を言うので、心臓に悪いです」

 私にしては珍しく強気な口調。

「……それじゃあ冗談の意味がないだろ」

「それは……そうですけど」

 わかりやすくしおれる私を見て、彼はフッと笑う。

「わかった。善処しよう。それより、俺も君に一つ要求したいことがある」

「は、はい」

 何を要求されるのか、ビクビクしながら彼の言葉を待った。

「敬語はやめてくれ。同学年だし、普通に話してほしい。堅苦しくて息がつまる」

「わ、わかりま……じゃない。わかった」

 慌てて言い直す。

「えっと、ありがとう、弓槻くん。いきなり知らないはずの記憶がよみがえってきて、怖かったの。だから、弓槻くんに力になってもらえて、本当に心強い。よろしくね」

 安堵によってあふれてくる言葉は、そのすべてが紛れもない本音だった。

「気にしなくていい。俺は、生まれ変わりという現象に興味があるだけだ。君の力になりたいから協力するわけじゃない」

 何もない部室の壁に視線を向けながら、ぶっきらぼうに紡がれた彼のその言葉は、根拠はないけれど、本心だとは思えなかった。

 私に対する気遣いと、ほんの少しの照れ隠しだと思う。

 彼の優しさを知った今だからわかることだった。

 タブレットを操作しながら「少しやることがある」と言う彼と別れて帰路につく。学校から駅までは、もちろん安全運転だ。

 家に帰り、少し遅めのお昼ご飯を食べて、ひたすらゴロゴロした。

 昨日もたくさん寝たけれど、テストの疲れもまだ残っている。

 そして何よりも、前世の記憶というとてつもない問題を抱えている。

 せっかく午後がまるまる空いているけれど、勉強をしたり、外に出かけたりするような気分には、どうしてもなれなかった。

 前世の記憶に関しては、まだまだ理解の及ばないことばかりだけれど、今朝よりも不安は小さくなった。これも弓槻くんのおかげだ。

 暗くて不愛想。私が弓槻くんに抱いていたそんなイメージを、彼はものの数十分で壊した。

 仲良しな猫がいたり、真顔で冗談を飛ばしたり、親身になって……くれていたかどうかはちょっとわからないけれど、私の悩みをしっかり聞いてくれた。

 生まれ変わりの研究もしているらしく、前世の記憶について何かわかるかもしれない。

 かなりの変人だけど、いい人だと思う。

 とにかく、協力者が見つかって安心だ。

 そのままなんとなく、いつも通りテレビを見たり本を読んだりしながら過ごして夜を迎える。

 ベッドに寝転がりながら、ボーッと考えごとをしていると、一つだけ新たに疑問が生じた。

 私の嶺明高校への入学が、運命に導かれたものだと仮定する。

 ならば同じように、運命によってシロちゃんの生まれ変わりに恋をするのではないか。

 そもそも、前世の記憶がよみがえり、シロちゃんの生まれ変わりを探し始めるという私の行動自体が、運命に支配されているものなのかもしれない。

 どうも考えがまとまらない。

 弓槻くんには何か考えがあったようだった。明日また考え直すことにしよう。

「せんせー、バナナはおやつに入りますかー?」

 漢字で〝先生〟ではなく、平仮名で〝せんせー〟と表記するのが相応しいような、軽薄な声。

 これは……夢?

 いや、違う。私はまた、月守(つきもり)風香(ふうか)の記憶を見ているんだ!

 私とわたしの境界線が、ぐにゃりと歪んで消えた。

 机と椅子が並ぶ教室。その一番廊下側、前から三番目の席に、わたしは座っていた。

「バナナはおやつに入りません」
若い女性のはきはきした声が答えた。

「この前の職員会議でそう決まりました。修学旅行のうわついた雰囲気もあって、馬鹿な質問をしてくる生徒がいるでしょうから、とか言ってバナナがおやつかどうか議題に上がったのよ。私は時間の無駄だと思ったんだけど。でもまさか、本当にいるなんてね」

 馬鹿な質問をしてきた生徒を呆れたように見ながら、若い女性は答えた。

 何人かの生徒が、プッと吹き出す。

 修学旅行についての学級活動中だった。
 黒板に書かれた日付は、十一月五日となっている。

 修学旅行当日にあんな悲惨な事故が起こるなんて、このときは誰一人予想すらしていないのだろう。和気あいあいとした雰囲気だ。

「せんせー、綺麗で可愛いバスガイドさんは俺たちのバスに入りますかー?」

 続けて発せられたその質問に、クラス中が笑いの渦に包まれる。

 発言したのは、先程も下らない質問をした彼。クラスでは、お調子者のポジションを定位置にしている。

 わたしは、面白くもなんとも思わなかった。
 ただ、こんな無駄な時間は早く終わってしまえとだけ感じていた。

「残念ながら入りません。バスに乗るのは皆さんと先生だけです」

 担任の教師は、笑い声に負けないよう、声を張り上げて否定する。
 いつもこんな感じで苦労しているためか、慣れた様子だった。

「せんせー!」

 またもや彼が挙手したところで担任が遮る。

篠崎(しのざき)くん、あんまりうるさいとバスの座席、先生の隣にするよ。このクラスは三十七人で奇数だから、それでちょうどいいでしょ?」

 どうやらお調子者の彼は、篠崎くんというらしい。そう言われてみればそんな気もする。

 十一月にもなってクラスメイトの顔と名前が一致しないのは、自分でもどうかと思うけど。

「いやでーす」

 担任の若干怒気をはらんだ言葉にはそう答えつつも、篠崎くんはちょっと喜んでいたように見えた。

 きっと、若い教師である彼女の気を引きたいのだろう。中学生の男子は子どもだ。

 笑いに包まれる教室の前方で、担任は、パン、と手を叩いて注目を集める。

「じゃ、バスの席決めるよ。一番後ろの席が五人、それ以外は二人ずつ。自由に組み合わせを作ってください」

 生徒たちは一斉に、仲の良い友人のところへ、席を立って急ぐ。

「一番後ろの五人の席は早い者勝ちだからね。五人揃って私のところに来たら、その時点で決定です」

 先生のその言葉に、一段と教室は騒がしくなる。

 楽しそうな声が飛び交う中、わたしは、斜め後ろの席に座るシロちゃんとアイコンタクトを交わした。

『隣、いい?』

『もちろん』

 そんな会話を、わたしたちは目を合わせた一瞬で行ったのだった。

 言葉は口に出さなきゃ伝わらない、などというきれいごとは、このときのわたしたちの前では意味を持たなかった。

 突然、視界と頭がぼやける。

 クラスメイトの声も途絶えた。

 時空が歪んだ感覚。

 何もない空間を漂っているような浮遊感に、気分が悪くなる。

 時間の概念も曖昧で、どれほど経過したのか、もしくは時間など経っていないのか理解できないまま、私の目と耳に、光と音が戻ってきた。

 教室であることには変わりなかったけど、時期は先程よりも前らしい。

 クラスメイトはみんな、夏服を着ていた。
 わたしの座る席は、先ほどと同じ場所だ。

 楽しそうに話す声があちこちで交わされる教室の中で、わたしは一人、本を読んでいた。

 月守風香が体験した、また別の記憶のようだった。

 急に教室の後ろの方がざわめきに包まれる。

 わたしが振り返ると、すぐにその理由がわかった。一人の女子が、猫を抱いて教室に入ってきたのである。

「この猫、今朝学校の前に捨てられてて。拾ってきちゃった」

 猫を抱いた女子が言った。

 すぐにクラスの女子が集まってくる。

 しかし、わたしは自分の席に座ったまま、傍観者となっていた。

 猫を拾ってきた彼女は、優しさをアピールしたいだけだ。

 本当に猫を助けたいのならば、教室になんか来ないはずだ。職員室に行って、教員に助けてもらうべきだろう。

 そんなことを思いながら、冷ややかな目で彼女たちを見ていた。

「え~、かわいそ~」

「飼い主さいて~」

 猫への同情の言葉と、飼い主への罵倒が飛び交う。

 女子たちが密集している場所は、ちょうどシロちゃんの席の近くだった。彼はわたしと同じように、彼女たちを眺めているだけだった。

「クラスで誰か飼ってくれる人いないかなぁ。あ、アタシ名前も付けたんだ!」

 女子生徒は、猫の前足をつまんで持ち上げると、

「初めまして、マサハルだにゃあ。よろしくにゃあ」

 高い声で、猫に声を当てた。

 そういえば彼女は、マサハルという男性アイドルが好きだった。

 休み時間に耳障りな声で、頻繁にマサハルの話をしているため、わたしは不本意にもそのことを覚えてしまった。

 まるでその男性についての知識量の多さが、そのまま人間としてのレベルの高さであるかのように話す彼女を、わたしはみっともないと思っていた。

 率直なネーミングも、彼女の頭の悪さを際立たせているように思えた。

「かわい~」だの「にゃ~」だのと、黄色い声が響く。

 周りもそうだ。大人数で必要以上に親しさを演じることで、自分たちの持っている価値観を、絶対的なものとして撒き散らす。

 どうしてこの世界は、バカがこんなに多いのだろう。

 猫を抱いた彼女は周りに応えるように、つまんだ猫の前足を振るように動かす。

 ほら。結局、自分たちが楽しくなっているじゃないか。

 そんな中、シロちゃんがわたしの近くにやってくる。
 私の席は、猫と女子たちからある程度離れていた。

「どうしたの?」

 少し青ざめた表情で、猫を抱いた女子生徒の方をちらちら見ている。どうやら怯えているらしい。

「いや、僕、ダメなんだよ、あの――」

 暗転。シロちゃんの台詞と共に、月守風香の記憶は途切れた。

 目を覚ました私は、忘れないうちに記憶の内容をメモすることにした。

 白い未使用のノートを引っ張り出し、なるべく詳しく見聞きしたことを並べていく。

 学級活動での、修学旅行のバスの席決めの場面。女子生徒が猫を拾って来て、それに怯えたシロちゃんが、私の元へ避難してくる場面。

 今日の分だけでなく、一昨日の事故のものも書いておく。

 事故の内容を書いているときに、ふと思った。
 同じクラスであるということは、あのバスに乗っていたということで。

 それはつまり……。お調子者の篠崎くんも、担任の先生も、猫を拾った彼女も、みんな……。

 いや、考えるのは止めよう。過去のことは、もうどうにもできない。

 残念ながら今回も、シロちゃんの本名は分からずじまいだった。そもそも今回の記憶は、情報として有益なことなど、何もないように思える。

 いや。一つだけ、わかったことがある。

 月守風香の本当の心情だ。

 彼女のクラスメイトたちに対する軽蔑の裏側には、羨望が隠れていた。

 上手く周りと馴染めない自分に対する苛立ちを、羨望の対象であるはずの彼ら彼女らに向けることで、自分自身の孤独を正当化していた。
 
 思春期の子供にありがちなことかもしれないが、自分の前世ということもあり、私は心配になってしまった。

 心配などしなくても、月守風香はすでにこの世にいないのだと気づいて、また少し気持ちが沈んだ。

 加えて一つ、疑問点が出てきた。

 シロちゃんの顔が思い出せないのは前回もそうだったのだが、他の人の顔は思い出せるのだ。篠崎くんの楽しそうな顔、猫を抱いた女子の得意げな顔。

 そして――あれ? 担任の先生の顔を思い出そうとしたところ、シロちゃんと同じように、もやがかかって思い出せない。思い出せる人間と、そうじゃない人間に、何かそれぞれ共通しているものがあるのだろうか。

 弓槻くんに相談することが一つ増えた。