さて、藍梨に電話しよう。
燈麻くんのおかげで、体のいい口実ができた。
呼び出し音が三回ほど鳴って、つながった。
〈もしも~し。どうした琴葉~?〉
明るい藍梨の声は、いつだって私を元気づけてくれる。
「今大丈夫?」
〈大丈夫だよ。ちょっとセーブするから待っててね……っと。はい、オッケーよ〉
どうやらゲームをしていたらしい。
〈例の前世の彼氏のこと?〉
「うん。可能性のある四人に話を聞いたんだけど――」
誰がシロちゃんの生まれ変わりなのか、全くわからないことを伝えた。
そして、その聞き込みを通して、私が感じたありのままを話した。
戸惑いや不安、劣等感などが入り混じった、要領を得ないごちゃごちゃした話を、藍梨はたまにあいづちを打ちながら聞いてくれた。
〈琴葉はさ、努力家じゃん〉
それが、私の話を聞き終えた藍梨の第一声だった。
「そんな、努力家なんて……。周りより劣ってるから、みんなよりも頑張らなきゃいけないだけで――」
〈そう思ってても、本当に努力できる人って、そんなにいないよ。それだけですごいんだって。将来のことなんて、何がどうなるかわからないんだから。夢を持っていようがいまいが、将来のビジョンがあろうがなかろうが、嫌なことや難しいことにぶち当たるときは必ず来るの。そんなときに、琴葉はそれを乗り越える強さを持ってるんだよ〉
「私が、強い?」
〈うん。……って、先輩でもなんでもない私が言うのもちょっと変だけど、この前読んだ漫画に描いてあったことだから多分間違いないよ〉
「漫画かいっ!」
私は笑った。電話越しに藍梨の笑い声も聞こえた。
気持ちが少し楽になった。
〈そうだ。最近ミステリーの漫画も読んだんだけど、謎解きは消去法なんだって〉
「消去法?」
〈うん。『不可能を消去して、最後に残ったものがいかに奇妙なことであっても、それが真実となる』だっけな。そんな感じ〉
「へぇ……。当たり前のことだけど、たしかにそうだね」
それから、燈麻くんに大会に誘われたことを告げて、私たちは通話を終えた。
燈麻くんの件については、藍梨は『そっ、そのくらい自分で誘えよ』とお怒りだった。が、『早く燈麻にそう伝えといて! 早めにね!』とも言っていた。微笑ましい。
あれ、でもこれって……燈麻くんがシロちゃんの生まれ変わりだった場合、親友に運命の相手をとられそうになっているってことじゃない? もしかして、ピンチってやつ? でも、燈麻くんがシロちゃんの生まれ変わりだとは限らないし……。
お風呂にでもゆっくり入りながら考えよう。
制服を脱いだときに、付着していた土に気づいた。
きっと、チョコを埋めたときのものだろう。
チョコと会ったときのことを思い出す。
高いところが苦手で、持ち上げたときに嫌がっていた。パンチは食らったけれど、引っかかれなくてよかった……。
「――あっ!」
その瞬間、ひらめいた。
シロちゃんが苦手だったものがわかったのだ。
確固たる証拠はまだないけど、きっとこれが答えだ。
「そういうことか……」
すると……シロちゃんの生まれ変わりが誰なのか、私にもわかるかもしれない。
――不可能を消去して、最後に残ったものがいかに奇妙なことであっても、それが真実となる。
一人ずつ、不可能を消していく。
今まで行き詰っていたのが嘘のように、真相に向かって真っすぐに進む感覚。
固く結ばれているかのように絡まった紐も、引っ張り方を変えてみれば、するするとほどけていく。
あっという間に三人が消えて、残りは一人になった。
ついに私は、シロちゃんの生まれ変わりの、運命の相手の正体を突き止めたのだ。
そういえば、月守風香はどんな女の子だったのだろう。
興奮が冷めずに眠れなくて、布団の中で考えていた。
シロちゃんのことばかりに注意していたため、月守風香に関してはあまり考えたこともなかった。
中学生にしては少し大人びていて、周りのクラスメイトを冷めた目で見ている、シロちゃんのことが大好きな女の子。
それくらいしかわからなかった。
遠くから、同級生たちの笑い声が聞こえてくる放課後。
六つ目の月守風香の記憶だった。
わたしはイライラしていた。
シロちゃんと帰ろうとしていたときに、担任の教師に呼び出しを受けて、教室に残されたからだ。
「月守さん、大丈夫?」
わたしを呼び出した張本人の羽酉先生が、下から覗き込むようにこちらを見てくる。
お互いに椅子に座っているため、目線は同じくらいだ。
「何がですか?」
不機嫌さをわざとにじませて答える。
彼女が言いたいことはなんとなくわかっていた。
「いつも、休み時間とか、一人でいるじゃない?」
思った通りだった。
わたしはクラスに友達がいないのだ。それを心配して、こうして緊急に二者面談を行うことにしたのだろう。
「まあ」
はっきり言って、余計なお世話だった。
「何かつらいことがあったら相談に乗るからね」
「大丈夫です。別に、いじめられているとか、そういうわけじゃないんで」
これは本当だった。
別に、友達なんて必要ない。どうせ、何年か経ったら疎遠になる。私はシロちゃんさえいれば、他に何も要らないのだ。
きっと先生もわたしたちの関係が、他のカップルと同じように、恋愛ごっこで終わると思っているのだろう。
「ち~よこちゃ~ん」
男子生徒が教室のドアからひょこっと頭を覗かせ、歌うように言った。彼の後ろで、二、三人の取り巻きがワッと笑う。
羽酉先生にちょっかいを出している生徒は、たしか篠……なんだっけ。
「こら! 篠崎くん、先生のことを下の名前で呼び捨てにしない!」
そうだ、篠崎だ。
そして、知世子というのが羽酉先生の下の名前だということを、わたしはこのとき初めて知ったのだ。
クラスメイトの名前も、担任の名前もろくに覚えようとしない。
そんな生徒なら、たしかに呼び出したくなる気持ちもわかる。
「上の名前でならいいんですか~? 知代子せんせ~!」
中学生の男子って、本当にガキ。
「篠崎くん、いい加減にしなさい。ちょっとそこで待ってるように!」
「屋上で待ってま~す」
「私が高いところか苦手だって知ってて言ってるでしょ! そういう人をバカにする態度は――」
羽酉先生の注意は、今は完全に篠崎に向いている。
この隙を有効に使わせてもらうことにした。
「じゃ、先生、そういうことで。さようなら」
「あっ、ちょっと! 月守さん⁉」
素早く立ち上がり、荷物をつかんで教室を出る。
後ろで、羽酉先生のため息が聞こえた。
廊下を早歩きで進み、昇降口へと急ぐ。
「ごめんね。お待たせ」
昇降口で待つシロちゃんに声をかける。
「羽酉先生に何言われたの?」
「もっと友達と話せ、みたいな感じ。余計なお世話」
大げさにため息をつく。
「風香のことを心配してるんでしょ?」
「わたしはシロちゃんさえいれば他には何も要らないの」
「僕だってそうだけど、先生の気持ちもわからなくもないかな」
そんな、恥ずかしい台詞の応酬を堂々と交わしながら、昇降口を出る。
外は雨が降っていた。二人してレインコートを羽織る。
「シロちゃんは羽酉の肩を持つの? あんなのどうせ、教師として務めをしっかり果たす私、偉い、みたいに自分に酔ってるだけじゃない」
「こらこら、先生のことを呼び捨てにしない。たしかに、そういう先生もいるけど、羽酉先生は違うと思うよ。あの人は、ちゃんと生徒のことを考えてると思う」
シロちゃんがそう言うのなら、そうなのかな。
まあ、だからといって、羽酉先生の言うとおりにはできないけど。
本当はわたしだって、友達と話したり遊んだりしたい気持ちはある。
でも、それ以上に、人とかかわることが怖いのだ。
仲良くなって裏切られるなら、最初から友達なんていなければいい。
必要以上に他人と仲良くならなければ、傷つかずにいれる。
裏切るとか裏切らないとか、そういうことだけが人間関係じゃないことくらいわかっている……。
頭では理解していても、なかなか一歩が踏み出せないのだ。
唯一の例外がシロちゃんだった。
なぜか彼のことは信用することができた。
一目見たときから、シロちゃんはわたしのすべてだった。
きっと、運命というのは、そういうものなんだと思う。
わたしはシロちゃんと、この先ずっと一緒にいる。
そんな安心感も、他人とのかかわりを避ける原因となっていた。
心配してくれているらしい羽酉先生には少し申し訳ないかもしれないけれど、わたしは変わることがないまま卒業してしまうと思う。
わたしとシロちゃんは校門をくぐった。
周りの生徒たちのほとんどが傘をさしている中、レインコートを着たわたしたちは、隣り合って歩く。
月守風香のことをもっと知りたい。
昨日、そう思って眠りについたからだろうか。
今回の記憶は、月守風香に関係する情報を多く含んでいた。
彼女は私の思った通り、友達の少ない生徒だったようだ。
先生にまで心配をかけるほどに。
月守風香は、強いフリが上手な、弱い女の子だった。
シロちゃんが登場したのは少しの間だけだった。
傘をささずに、レインコートを着ていた。
今ならその理由もわかる。
そして、もう一つわかったことがある。
羽酉先生は、本当に私を心配してくれていた。
黒猫となって、嶺明高校を縄張りにしながら。
ちよことチョコ。
チョコと呼ばれて反応したのは、前世の記憶が残っていたからではないか。
それに、高いところが苦手という共通点もある。
偶然とは思えない一致だ。
ノートに、よみがえった記憶の内容を書き込む。
この作業も、もしかするとこれで最後になるかもしれない。
スマートフォンに、一件のメッセージが入っていた。
弓槻くんからだ。
今日の日付のあとに『15時に屋上』とだけ書いてあった。彼は電子の世界でも不愛想だ。
きっと、真相を話すつもりなのだろう。
それなら、私が答えを言い当てて、逆に驚かせてやろう。
約束の時間に余裕を持って、少し早く家を出た。
いよいよ全てが終わる。
有り余るほどの緊張感と、ほんの少しの寂寥感に包まれながら、私は嶺明高校へと向かった。
夏休みの校舎は人が少ない。
弓槻くんとの待ち合わせ場所である屋上へすぐには向かわずに、中庭に出てオカルト研究同好会の部室の前へと歩を進めた。
わずかに盛り上がった地面に、木の板が立てられている。
昨日弓槻くんと作ったチョコのお墓だ。
お墓の前にしゃがむと、目を閉じて両手を合わせる。
それから、ポツリポツリと、言葉をこぼす。
「羽酉先生、ありがとうございます。それと、ごめんなさい。私、ちゃんとやってます。友達だっています。今は月守風香じゃないけど。でも、彼女もきっと本心では、先生に感謝してました。月守風香の生まれ変わりの私が、今こうやって学校生活を楽しめているのも、先生のおかげかもしれないです」
前世では、月守風香の担任教師の羽酉知世子として生きていたチョコは、猫に生まれ変わっても自分の生徒のことが心配だったらしく、私と現世で再会を果たした。
――まるで、君に会ったことで役目を果たしたかのようだった。
弓槻くんのその言葉は、的を射ていた。
羽酉先生は、ちゃんと月守風香のことを考えていてくれた。
シロちゃんが言った通り、すごくいい先生だ。
次に向かった場所も屋上ではなかった。
今日も予想通り、彼はそこにいた。かなり頑張っているみたいだ。私が声をかけると、彼は驚きながらも話を聞いてくれる。
「突然ごめんなさい。えっと……大事な話があります。あとで、少し時間をとってくれませんか?」
私は、運命の相手にそう告げた。
彼の目を真っすぐに見て、ストレートに。
そうして、自ら逃げ道を断ち切った。
弓槻くんと答え合わせをしたら、彼にすべてを話そう。
私に前世の記憶がよみがえったこと。
前世の私には大切な人がいたこと。
その人と最期に、来世での再会を約束したこと。
そして誰が、運命の相手であるか。
それが自分のことだと知ったら、彼は驚くだろうか。驚くに決まっている。
ところが、一つだけ重大な問題がある。
私の気持ちはどうなのか、ということだ。
運命の相手である彼に、事実のすべてを話した後に伝えるべき気持ちを、私はまだ測れずにいる。