山神様のあやかし保育園~妖こどもに囲まれて誓いの口づけいたします~

「さぁ、部屋に戻ろう!」
 紅が意気揚々として立ち上がり、のぞみをひょいと抱き上げる。
 のぞみは慌てて彼の首にしがみついた。
「ふふふ、のぞみ。私たちの夜はまだ終わらないよ」
 見下ろして意味深なことを言う紅に、なんだかものすごく嫌な予感がしてのぞみは恐る恐る口を開いた。
「こ、紅さま、そ、それはつまり……?」
「今すぐに部屋に戻って夫婦になろう!」
 高らかに宣言をして、紅は今にも飛び立とうとする。
 のぞみはそれを慌てて止めた。
「ええ⁉︎ 今すぐですか⁉︎ ちょっ、ちょっと待ってください」
 ついさっきまで、夫婦になれるかどうかすらわからずに思い悩んでいたというのに、正直いってそこまでの心の準備はできていない。
 だが、紅にはそんなことは関係ないようだ。
「今すぐに夫婦になりたいと、かわいいお願いをしたのはのぞみだろう?」
 平然としてそんなことを言う。
 その彼になんとか思い止まってもらいたくて、のぞみは彼に反論した。
「だって紅さま、まだ大神さまのお許しをもらってないじゃないですか」
「そんなのあとあと! 事後承諾で大丈夫。ちゃあんと説得してみせるからね」
 軽い調子でそう言って、紅はまた飛び立とうとする。
「待ってくださいってばっ!」
 ジタバタと暴れて、のぞみは彼に問いかけた。
「事後承諾でいいって、そもそも、大神さまを説得するための切り札っていったいなんなんですか⁉︎」
「……あれ? まだ言ってなかったっけ」
 首を傾げて、ようやく紅の動きが止まる。
 のぞみはホッと息を吐いて、頷いた。
「……聞いていません」
 すると紅が、少し考えてから口を開いた。
「本当に最近気が付いたことなんだよ。そしてすごく単純なことなんだ。つまり私たちは……」
 と、紅がそこまで言った時。
 どどーん‼︎ ばりばりばり!
 凄まじい雷鳴が突然夜の空に鳴り響き、のぞみはびくりと肩を揺らす。
 紅がのぞみを腕でかばい、辺りを警戒し始めた。
 冷たい風が強く吹いて、森の木々がざざざと鳴る。
 眠っていた鳥たちがギャアギャアと鳴き声をあげながら夜空に飛び立っていった。
「嵐?」
 空を見上げて、のぞみは呟く。
「いや、違う」
 紅が低い声で囁いた。
「雲がない。……のぞみ、よく覚えておくんだよ。雲の伴わない雷鳴は、龍が来ているという証」
「龍が……?」
「そう、大神のお出ましだ」
 おおーん!
 心の臓まで響くような鳴き声が、夜の山に響き渡る。
 同時に、沈みゆく月の方向から緑色の龍が姿を現した。
 のぞみは紅にしがみつき、息を呑む。龍から目が離せなかった。
 これほどまでに美しく、恐ろしいものをのぞみは見たことがない。
 長く鋭い牙と爪、翡翠色に輝くうろこ、黄金の髭。
 でも、ギョロリとした目、ぐねぐねの立髪、それから天高く伸びるツノは、たしかに御殿で会った大神と同じだった。
 大神は、暗いはずの森の中で、抜け目なくのぞみたちを見咎めて、すぐ近くまでやってきた。
 そしてのぞみたちの目の前でおおーん!と雄叫びをあげた。
 よく見るとその大神の尻尾にはなにかがくっついている。
 のぞみは目を見開いて彼らを呼んだ。
「ふぶきちゃん! 伊織さん!」
 そして思わず手を伸ばす。
 それを慌てて紅が止めた。
「危ない! のぞみ!」
「だって、落ちたりしたら怪我しちゃう! ふぶきちゃんこっちへおいで!」
「大丈夫だ。ふぶきは大神の娘だよ。落ちたりはしないさ。それより……」
「愚かだな」
 紅の言葉をさえぎって、大神が口を開いた。
 吸い込まれそうな緑色の瞳がじろりとのぞみを捉えている。
 のぞみの背筋がぞぞぞとなった。
「自分の心配をしたらどうだ。人間の女よ。私はお前を捕まえに来たのだぞ」
「愚かのはお前の方さ、大神。自らこんなところまできて、結局目的は果たせずにおめおめと都に帰ることになるのだから」
 紅が強気で言い返す。
 大神がぐぬぬぬぬと唸って、身体をぐねぐねとさせた。
 尻尾のふたりが振り落とされやしないかとのぞみはハラハラしてしまう。
 だがさっき紅が言った通り、ふたりともしっかりと掴まっていて簡単には振り落とされなさそうだ。
「甘い顔をしておれば、つけあがりやがって! もう許さん、さっさとその女子をよこせ!」
 また雷鳴が鳴り響く。
 ばりばりばりと凄まじい音を立てて大神のツノから放たれる緑色の光が一目散にのぞみ目がけて飛んでくる。
 紅の赤い竜巻きがその光を跳ね飛ばすと、光は曲がって夜の空に消える。
「ぐぬぬぬぬ!」
 大神が悔しそうに唸り声をあげた。
 確かに誰かが言った通り紅には、大神に匹敵する力があるようだ。のぞみひとりなら守りぬけるという彼の言葉は本当だった。
「ぐぬぬぬね!」
 唸り声とともに、大神のツノからまた光が放たれる。それをまた余裕でかわして紅が肩をすくめた。
「無駄なことはやめておけ、大神。どんなことをしても、のぞみはお前のものにはならないよ」
「なにを寝ぼけたことを言う。この世の女子は、すべて私のものなのだ。私が欲しいとひと言言えば、手に入らぬ女子などいない‼︎」
 横暴なことを言って、大神はまた光を繰り出す。
 それをまたあっさりかわして、紅が頷いた。
「ま、それはそうかもしれないね。……ただし」
「ただし?」
「ただし、他のあやかしと"約束"を交わした女子以外はね」
 そう言って紅はにっこりと微笑んだ。
「…………なぬ?」
 大神がぴたりと動きを止めて、緑の瞳を見開いた。
 首を傾げて、のぞみは紅を見上げた。
「約束?」
「約束とな?」
「そう」
 紅が機嫌よく頷いた。
「私とのぞみは夫婦となり生涯離れないと、約束を交わした仲なんだ。こんな約束を交わした女子はたとえ大神でも手出しはできないだろう。……な、伊織?」
 青い顔をして大神の尻尾にしがみついていた伊織は紅の言葉にハッとして、大神の尻尾からふわりと離れる。
 そして大きくズレている丸いメガネを整えてから大神に向かって平伏した。
「あやかしにとって、約束は絶対にございます。もしもそれに背くことあらば、たましいを取られますゆえ、約束を交わした女子はたとえ大神さまでも、手に入れることは不可能にございます」
 伊織の言葉を聞きながら大神が紅をじーと見つめる。そしてスッと目を細めて、突然ぶはっと吹き出した。
「わっはっはっは‼︎ 約束をかわしたとな! ふはははは! なかなかおもしろい冗談だ。だがわしを納得させたいなら、もう少しマシな嘘を申せ‼︎ そのような嘘にわしが騙されるはずがなかろう!」
「う、嘘ではありません!」
 伊織が慌てて口を開いた。
「約束を交わした女子は大神さまのものには……」
「そうではない!」
 大神はそう言って、アゴで紅を指し示した。
「こやつが! あやかしの女子という女子を総なめにしてきたこの男が、ひとりの女子だけを妻にするという約束などするわけがなかろう!」
 そう言って大神はまたわっはっはっは!と笑い出す。
「な……! なんて、ことを言うんだ‼︎」
 紅があたふたとして、のぞみの耳を両手で覆った。
 その手を払い除けて、のぞみはじろりと彼を睨む。
「紅さま?」
「と、とにかく!」
 紅が大神に向かって声を張りあげた。
「私たちが約束を交わしたことは事実なんだ! 大神といえども邪魔はできないよ」
「ふん!」
 大神が鼻を鳴らした。
「絶対に嘘に決まっておる。そんな約束をしてしまったらもう二度と他の女子に手を出せなくなるのだぞ。そんな約束、よりによってお前が! するわけがない」
「な……! だから失礼な奴だな! 約束は本当だ!」
「信じられん」
「絶対に本当だ!」
「絶対に嘘だ! いい加減な天狗め! おぬしのいうことなど誰が信用できるか」
「やれやれ。こんな石頭が大神では、先が思いやられるな。……しかも女好きだし」
「お、おぬしの方が女好きであろう⁉︎ 忘れたのか? 昔おぬしが……」
「あのー、大神さま?」
 そのうち、あっかんべーとでも言い出しそうなふたりのやり取りを、遠慮がちに止めたのは、伊織だった。
「……なんだ」
 伊織は汗を拭いて頭を下げた。
「あのー……非常に残念な話なのですが、私が調査したところによると、その……紅さまの話は本当でございます。はい」
「なぬ⁉︎ それは確かな調査結果なのか?」
「はぁ。……実は紅さまが約束されるところを見た者がおりまして」
 そう言って伊織が手をもじもじさせる。
 大神がまた声をあげた。
「なぬ⁉︎ 約束など普通はひっそりとやるものだ。その目撃者とやらは確かに見たのだろうな。嘘や間違いでは許さんぞ」
「はぁ。それがその……こちらにございます」
 そう言って伊織が振り返ると、あやかし園の方向からぞろぞろと出てきたのは、縄張りのあやかしたちだった。
 その中にはこづえや志津や鬼の家族などのあやかし園のメンバーもいる。
 皆一様に緊張した面持ちで、ビクビクとしている。
 のぞみの胸が熱くなった。
 きっと皆、大神を恐れながらも、のぞみたちのために意を決して来てくれたのだ。
「なんだ? こんなにたくさんおるのか」
 大神が呆れたように呟いて、彼らに向かって問いかけた。
「お前たち本当のことを申すのだ。嘘は許さん。紅が約束をしたというのは真の話なのか」
 大神の言葉に、あやかしたちは互いに顔を見合わせてから、恐る恐る頷いた。
 伊織がこほんと咳払いをした。
「紅さまは、約束をするにあたって縄張りのあやかしたちに証人になってほしいとおっしゃったそうです。人間の夫婦は一夫一妻制ですから、自分はそれに合わせると。おふたりはその証として……」
 でもそこで伊織は一旦言葉を切る。そしてなぜか真っ赤になって、少し小さな声でまた話し始めた。
「……縄張り中のあやかしたちが見守る中、その……く……をされたようです」
「あ? なんだ?」
 ごにょごにょと言う伊織に、大神が眉を寄せる。
 伊織はごくりと喉を鳴らしてから、思い切ったように口を開いた。
「あやかしたちが見守る中……。くくくく口づけをされたようですっ!」
 やっとのことで言い終えて、白い狐は赤い狐になっている。
「あいつ……、うぶだね」
 紅が驚いたように呟いてのぞみの耳に囁いた。
「だけどあの年齢であの免疫のなさはどうだろう。勉強ばかりして出世することばかり考えるとああなるのだろうか」
 のぞみは伊織と同じように真っ赤になって紅の胸に顔を埋めた。
 忘れたい過去の出来事を改めて暴露されてしまって、恥ずかしくてたまらない。
「ぬおー!」
 大神が雄叫びをあげて身体をぐねぐねとさせた。
「だったらどうしてはじめからそう言わなんだ‼︎ はじめから知っておったら、ここまですることはなかったに‼︎ このわしに、無駄なことをさせおって!」
「勝手にのぞみを気に入って、横恋慕してきたのはそっちだろう。あいかわらず横暴だなぁ」
 紅が呆れたようにため息をつく。
 大神がますます怒り狂った。
「本当に忌々しい奴だ! もうこうなったら女などどうでもよい。おぬしがやたら大事にしとるという保育園とやらだけでもぶっつぶしてくれるわ!」
 そう言うと同時に大神のツノから緑の光が繰り出された。それはあやかし園の園庭のすべり台に直撃した。
 あっというまに破壊されてしまったすべり台にのぞみは息を呑む。
 一瞬で……すごい力だ。
 その間も大神のツノにはまた光がバリバリと集まっていく。次は絶対に建物だ。
 のぞみを片腕に抱いたまま紅が手をあげる。大神の攻撃からあやかし園を守るつもりなのだろう。
 でもそれより先に声をあげた者がいた。
「やめてくだされ! お父上さま‼︎」
 ふぶきだった。
 大神の動きがぴたりと止まり、思い出したように尻尾にくっついている娘を見た。
「お父上さま、保育園をこわさないで!」
 泣き出しそうな声でそう叫んで、ふぶきは長い長い大神の身体をよじ登る。
 皆、唖然としてそれを見つめていた。
 やがて頭の上まで到達すると、二本のツノの間から、ふぶきは大神の顔を覗き込んだ。
「お父上さま、ふぶきは保育園が好きじゃ。明日も元気に行くとのぞ先生と約束をしたのじゃ。かの子と仲なおりしたいのじゃ! だからこわさないで」
 ふぶきの目からキラキラ輝く大粒の涙が溢れ出す。それは彼女の頬をつたいぽたりぽたりと大神の顔に落ちた。
 大神が少し慌てたように口を開いた。
「おお、ふぶき。いったいどうしてしまったんだ。保育園などなくとも、御殿で召使いが遊んでくれるであろう? それで十分ではないか」
「嫌じゃ嫌じゃ‼︎ 召使いと遊ぶのは全然面白くない!」
 首をふりふりえんえん泣くふぶきに困り果てたように眉を下げてから、大神が伊織をじろりと睨む。
「伊織‼︎ これはいったいどういうことだ! お前の作戦は保育園を内側から引っ掻き回してぶっ潰すはずだっただろう! ミイラ取りがミイラになっているではないかっ!」
 大神からの叱責に伊織が真っ青になってがたがたと震えている。
 保育園に行きたいと言って泣き続けるふぶきと、叱責されて青い狐になってしまっている伊織、そのふたりを見つめるうちに、のぞみはほとんど無意識のうちに声をあげた。
「あのっ!」
 大神のぎょろ目が、のぞみを捉えた。
「わ、私、ふぶきちゃんの担任をしております。のぞみと申します」
 心臓はばくばくと音を立てて、紅の浴衣を掴む手は震えている。
 それでも今はふぶきの担任と保護者という立場なのだと自分自身に言い聞かせた。
 ふぶきの担任としては、泣いているふぶきを放っておくわけにはいかない。
「ふぶきちゃん、毎日元気に保育園に来てくれています。お友だちもたくさんできたんですよ」
 勇気をふりしぼってのぞみはまた大神に語りかける。
 それがどうしたというように大神が眉を上げた。
「この夏は、ふぶきちゃんが作ってくれる氷でできたかき氷をお弁当のあとに食べるのが子どもたち皆の楽しみでした。ふぶきちゃん人気者なんですよ」
「ふぶきが?」
 意外そうに呟いて、大神が頭の上のふぶきを見上げた。
「ふぶきちゃん、いつもちゃんと皆に行き渡るまで氷を作ってから、自分の分を食べ始めるんですよ。本当は早く食べたいに決まってるのに、こんなに小さな子が、なかなかできることではありません」
 のぞみは言葉に力を込める。
 ふぶきの保育園での頑張りを父親である大神になんとかわかってほしかった。
「そんなところは、さすが内親王さまだ」
 紅がのぞみの話を補足する。
 泣き止んで、のぞみの話を聞いていたふぶきは、うふふふと頬を染めて微笑んだ。
 大神がそんなふぶきを、不思議そうに見つめている。
 どう反応すればよいか考えあぐねているようだ。
 そこへ。
「やるじゃん! ふぶき」
 という言葉とともにパッと姿を現したのはおゆきだった。
「ひと夏通っただけなのに、そんなに成長させてくれるなんて、保育園サイコーだね!」
「母上!」
「おゆきさん!」
 のぞみとふぶきは同時に声をあげる。
 大神がぎょろ目を丸くしておゆきを見た。
「おゆきではないか。バカンスから戻ったのか」
 おゆきが頷いた。
「うん、今日ね。本当はすぐにでも大神さまのところへ行きたかったんだけど、湯殿にいるって聞いたからさ。私は熱いのは苦手だから、一緒にむたかたか風呂は入れない」
 そう言っておゆきは拗ねてみせる。
 すると驚いたことに大神がデレッとした。
「そうかそうか。いや久しぶりじゃないか。どうだったバカンスは楽しかったか? ん?」
「うん、サイコーだった! 大神さまがなにもかも手配してくれたおかげで、ずっと快適に過ごせたよ」
「そうかそうか」
 さっきまでの恐ろしい空気はどこへやら、大神は金色のヒゲをくにゃくにゃさせてにやにやとおゆきを見ている。
 おゆきがそのヒゲを腕に絡めてにっこりとした。
「しかも私がいない間ふぶきを保育園へ通わせてくれたんだよね。ありがとう!」
「え」
「ふぶきが退屈しないように、保育園へ入れてくれたんでしょ?」
「え、う、まぁ……そうだ」
 おゆきがふふふと笑って大神の頬へぴったりと寄り添うようにくっついた。
「大神さまがサイコーだっていうのは知ってたけど、ここまでとは思わなかった!」
「え」
「だって、普段は執務で忙しいのに妻に優しくて子どものこともちゃんと考えてくれるなんて、こんなにいい旦那さま、どこを探しても大神さましかいないよ!」
 そう言っておゆきは大神に嬉しそうに頬ずりをする。
「そ、そうか。……うん、そうだろうな。そうに違いない」
 大神が嬉しそうに頷いた。
「保育園ってさ、私のママ友の間でもちょっと話題になってて、通わせたいって子はたくさんいるんだ。ぞぞぞを稼ぐ間はもちろんだけど、ちょっと子育ての息抜きをしたいって時もあるわけじゃん。しかもそれで子どもたちが喜ぶならサイコーだよ! ……でも今のところあやかしの子を預かってくれる服装保育園はここしかないんだよね。だから、皆諦めているんだ……」
 そう言っておゆきは伊織の方をチラリと見る。
 その視線にハッとして伊織は一歩前に歩み出た。
「大神さまに申し上げます」
 大神が意外そうに伊織を見た。
「私の調査結果では、都に住む子育て世代のあやかしたちのうち相当な数の者たちが"もし保育園ができたら自分の子を通わせたい"と思っているようです。もともと都は大神さまのお膝元とあって住みたい街ランキングは常に第一位ではありますが、もし保育園ができたとしたらさらに……」
「なるほど、ふむ、なるほど」
 大神が頷いた。
「つまりここより立派な保育園を都に作れば、天狗に勝てるというわけだな」
「……もともとこのような田舎など大神さまのお膝元、都にとってはライバルにもなりませんが」
 伊織が慇懃に頭を下げた。
「わかった‼︎」
 大神が空の上でぐるりと回る。
 そして高らかに宣言した。
「都にも保育園を作ることにしよう。こんなボロボロな保育園よりもっと立派な保育園だ!」
「きゃー! そう言ってくれると思ったー! やっぱり大神さまサイコーだよ!」
「こうしてはおれん。伊織! 都へ帰るぞ、やることは山ほどある!」
 抱きついて頬にキスを繰り返すおゆきと、頭の上のふぶきを連れて、大神は今すぐにでも都へ帰ろうとする。
 その背中に紅が慌てて声をかけた。
「おいおい大神。大事なことを忘れているよ。私たちの結婚は……」
 大神がくるりと振り返る。そして紅に向かって言い放った。
「好きにせい‼︎ わしははじめからそう言っておる」
 今度こそ本当に下りた結婚の許しに、事態を見守っていたあやかしたちからわぁと喜びの歓声があがる。
 ぴーぴーと口笛を鳴らしたり、飛び跳ねたり。
 こづえと志津も目に涙を浮かべて手を叩いていた。
「紅さま‼︎」
 嬉しくて、のぞみは皆が見ているのもかまわずに紅の胸に抱きついた。
「私たち本当に結婚できるんですね!」
「あぁ……」
 紅の腕がのぞみをギュッと抱きしめる。力強いその温もりにのぞみはすっぽり包まれる。
 今度こそ本当に、本当に夫婦になれるのだ‼︎
 紆余曲折あったけれど、それでふたりの絆が深まったのだから、それでよかったのだという気分だった。
「のぞ先生、バイバーイ!」
 都へ向かって飛んでゆく緑の龍の頭に乗って、ふぶきとおゆきがぶんぶんと手を振っている。
 尻尾にくっついている伊織がぺこりと頭を下げた。
「……まったく本当に人騒がせな奴らだ」
 紅がやれやれとため息をついて、のぞみの頭に口づけた。
「ま、なにはともあれ、一件落着だね」
 大神一家が去った後の空はもう白み始めていた。
 秋も深まり山々が赤や黄色に色づく頃に、のぞみと紅の婚礼は取り行われた。
「あやかしは夫婦になる時に改まって儀式をすることはありません。でも、狐の一族は別なんです。たいていはこうやって花嫁さまに綺麗な衣装を着ていただき、輿に乗せて送り出すんですよ」
 午後の日差しが差し込むのぞみのアパートの部屋で、白無垢の裾を丁寧に整えながら、留袖を着た志津が嬉しそうに説明をする。そして改めて真っ白な衣装に包まれたのぞみを見て、感激したようにため息をついた。
「なんて可愛らしいんでしょう! こんなに美しい花嫁さんは今まで見たことがありません。本当に素敵……、ねえあなた?」
 だが呼びかけられた兄の颯太は妻の言葉に答えられない。部屋の隅で小さくなって、メソメソと泣いているからだ。
「のぞみ、本当にお嫁にいっちゃうのか? まだ早いよ……」
 志津が困ったようにため息をついた。
「……いつまで泣いているのかしら」
 そしてまたのぞみを見てにっこりとした。
「とにかく完璧すぎるほど素敵ですよ」
 義姉からの過分な褒め言葉に、のぞみは頬を染める。そして志津に向かって頭を下げた。
「志津さん、私のためにいろいろ準備してくださって……ありがとうございました」
 結婚式のしきたりになど明るくないのぞみは、婚礼の準備は志津に頼り切りだった。
 彼女は一生懸命人間の結婚式のことまで調べてくれたのだ。
 彼女がいなかったらのぞみはこんな風に白無垢を着ることすらままならなかったに違いない。
 こうやって兄夫婦に送り出してもらえることがのぞみにとってはなによりもありがたいことだった。
「かわいい義妹のためですもの」
 首を振って志津が微笑んだ、その時。
「泣き虫だなぁ、父ちゃんは」という声がして、太一が扉からひょっこりと顔を出した。
「太一! この部屋には来ちゃダメと言ったでしょう⁉︎」
 すかさず志津は太一を叱る。
「あなたにうろちょろされては白無垢が汚れてしまいます」
 だが彼は母の言うことなど気にも止めず父親のところへパタパタと走ってく。
 そして背中に覆い被さった。
「のぞ先生は紅さまのお嫁さまになってもここに住むんだろ? 今までとなにも変わらないじゃないか」
「そうだけど……」
 颯太ががっくりと肩を落とした。
 結婚式が終わった後も、のぞみはこのアパートに住むことになっていて紅が引っ越してくることになってした。
 だから今太一が言ったように、生活自体はあまり変わらないのだ。でも兄としては、やっぱり寂しいという気持ちが拭えないのだろう。
 だとしても、泣きすぎ。
 のぞみがくすりと笑みを漏らした、その時。
「やぁ、かわいいなぁ! 想像以上だよ‼︎」
 またドアの方から声がして顔を出したのは、紅だった。
 白無垢姿ののぞみを見て、目を輝かせている。
「私の花嫁さん!」
 彼は部屋の中へズカズカと入ってくると、両腕を広げてのぞみに抱きつこうとする。
 それを志津が止めた。
「なりません、紅さま。衣装が汚れてしまいます‼︎」
 その声に紅は一瞬ぴたりと止まる。
 でも少し考えてから、やっぱり無視することにしたようだ。
「のぞみ!」
 にっこりとしてまた抱きつこうとする。
 今度はそれを伊織が止めた。
「紅さま!」
 厳しい表情でドアから顔を覗かせてる。
 花嫁であるのぞみの付き添いが志津が務め、花婿である紅の付き添いは彼が務めている。
 アパートの別の部屋を控え室として、彼らはそちらで準備していたのだが……。
「紅さま、花嫁さまの控え室には行ってはなりませんと、何度も申し上げているでしょう。今の時間は花嫁さまが、お世話になった家族に感謝の気持ちをお伝えし、お別れをする時間なのですから花婿は……」
 くどくどと説教を始める伊織に向かって、紅が口を尖らせた。
「うるさいなぁ、伊織は。私はのぞみの花嫁姿を一刻も早く見たかったんだよ。……それにあんなに泣いてちゃ、お別れもなにもないだろう」
 颯太はあいかわらず息子を頭に乗せてメソメソと泣いてる。
 でもそう言いながらも紅は一応はふたりの狐の意見を尊重して、抱きつくのはやめたようだ。のぞみを見て目を細めた。
「ここまでかわいいとは思わなかったよ! さすがは私ののぞみだ。ああ床入りが待ちきれないよ! 婚礼なんかすっ飛ばしたいくらいだ」
「なっ……! と、とととと床入り……⁉︎」
 紅の言葉に伊織は目を剥いて真っ赤になってしまっている。
 その隣で志津が目を吊り上げた。
「紅さま! そのようなことを言わないでください。のぞみさまは嫁入り前の娘ですよ!」
「嫁入り前って……」
 紅が呆れたような声を出す。
「今から嫁入りなんだから、もう直前じゃないか」
 あいかわらずのやり取りに、のぞみはぷっと吹き出してくすくすと笑い出した。
 慣れない衣装を身につけて、はじめての儀式に臨むことに少し緊張していたが、それがあっというまに吹き飛んでしまった。
「ふふふ、おかしい」
 でも考えてみれば山神神社で行われる今日の婚礼の趣旨は山神さまに私たちは夫婦になりますと報告をし、末永く幸せが続くようにとお祈りをすること。
 でもその山神さまは新郎本人なのだから、そう気負うことはないのかもしれない。
 のぞみはくすくすと笑いながら紅を見上げた。
「紅さまも、とっても素敵です。こんなにカッコいい旦那さま、私にはもったいないくらい」
 いつもの粋な浴衣姿とは違い、今日の紅は黒い紋付袴姿。長い銀髪はきちんとまとめられている。
 本当に、ため息が出るほど素敵だった。
 特別な日の特別な空気が、のぞみをいつもより素直にする。
「ふふふ、カッコいい」
 紅がまた目を輝かせた。
「旦那さまかぁ。いいね、それ」
 そして志津が止めるのも聞かないで、今度こそのぞみを腕の中に閉じ込めた。
「これからはそう呼んでもらおうかな」
 のぞみは笑いながら首を横に振った。
「ダメですよ。私結婚してからも、あやかし園で働くんだから。間違えて子どもたちの前で呼んじゃったら困るもの」
「べつにいいじゃないか。私は子どもたちの前でものぞみにそう呼んでもらいたいよ」
「もう、紅さまったら!」
 のぞみはまた吹き出して、笑い出す。
 くすくすと笑いが止まらないその頬に、ちゅっと音を立てて、柔らかいキスが降ってきた。
 うしろで志津が仕方がないかというように苦笑して、伊織がまたもや真っ赤になった。
 赤、黄、だいだい色の葉に鮮やかに染まる山神神社の参道に、縄張りのすべてのあやかしたちが詰めかけて、手を繋ぎ本殿に立つのぞみと紅を祝福している。
 のぞみはそれを潤んだ瞳で見つめていた。
 夫婦になる時に特別な儀式はしないというあやかしたちは皆、初めて見る婚礼の儀式に興味津々のようだった。
 真新しい衣装に身を包む長夫婦を眩しそうに見つめている。
 そしてその彼らもそれぞれが婚礼にふさわしいと思う衣装をこの日のために新調し身につけていた。
 河童の一族は真新しいスクール水着に身を包み、赤舐めという掃除が得意なあやかしたちはノリの効いた作業着だ。
 こづえとかの子はお揃いのピンクのパーティードレスを着ている。
 中身は九十九歳でも見た目は小学生のこづえとかの子親子は、双子みたいに可愛らしい。
 えんを抱いたサケ子と藤吉夫婦は、キチンとしたスーツ姿だった。
 さながら和製ハロウィンパーティーとでもいうような光景だった。
 実をいうと先ほど本殿で行われた婚礼自体は、神主役の伊織が祈りの言葉を捧げるたびに、新郎がはいはいと応えるというちょっとヘンテコりんなものだった。
 普通の婚礼とはかけ離れていたような気もしたが、夫婦になりましたということを皆に報告することに婚礼の意味があるとすれば、これでいいのだとのぞみは思う。
 のぞみが今感謝の気持ちを伝えたい人たちは皆目の前にいるのだから。
 こづえとサケ子が涙を流して抱き合っている。
 そのふたりに目を留めて、のぞみの目からついに涙が溢れ出した。
 ふたりはのぞみの門出を自分のことのように祝ってくれている。
 それがただありがたかった。
 頬の涙を紅が人差し指でそっとすくう。そしてのぞみの耳に囁いた。
「のぞみ、この光景をよく覚えておくんだよ。これがのぞみの力なのだから」
「……力?」
 少し意外なその言葉にのぞみが首を傾げて呟くと、紅がゆっくりと頷いた。
「あやかしは普段は互いにあまり関わらないで生きている。こんな風に集まること自体がそうあることじゃないんだよ。……こんな風に集まるようになったのは、のぞみがここに来てからだ」
 紅の言葉を聞きながらのぞみは彼らの嬉しそうな笑顔を見つめていた。
「保育園はあったけれど、皆それぞれに連れてきてバラバラに帰るだけだったから、縄張りに自分以外の誰がいるのかさえも知らなかったんじゃないかな」
 彼の話は、のぞみにとっては少し信じられない話だった。
 のぞみが知る限り、最近のあやかし園に送り迎え来る親たちは、互いに挨拶をして取るに足らない世話話をしている。
 子を預けていないあやかしたちも時折あやかし園に立ち寄って、子どもたちのためのおやつを置いていってくれることもある。
 紅が思い出すように少しだけ目を細めた。
「この前だってそうだった。私たちの約束を大神に証言するために、たくさんのあやかしたちが山神神社に集まってくれた」
 その時のことを思い出しのぞみはこくんと頷いた。
 皆怯えて震えていた。それでも意を決して来てくれた。
「確かにのぞみは人間だから、あやかしとしての能力はない。でもこうやってあやかしとあやかしを結びつける不思議な力があるんだよ。私も縄張りのあやかしたちをこれほどまでに大切に思うようになったのは、のぞみが来てからのことなんだ。……もはやのぞみはこの縄張りに、なくてはならない存在だ」
 そう言って紅は優しい眼差しをのぞみに向けた。
「私はのぞみがのぞみである限り妻にしたい。でももし、長にふさわしい妻というものがあるとすれば、それは紛れもなくのぞみだと私は思う」
 銀色の髪が夕日に透けて輝いて、赤い瞳がのぞみだけを見つめている。
 心が燃えるように熱かった。
 強く美しい、この地の長である天狗、紅。
 彼の隣に立つのは、自分以外他にいない。
 今この瞬間にのぞみはそう確信した。
 この場所が、彼の隣が自分が存在する場所なのだ。
 繋いだ手に力を込めて、のぞみは力強く頷いた。
「はい、紅さま。私、ずっとずっと、紅さまのそばいます。紅さまもずっと、私の隣にいてください」
 のぞみの言葉に、紅はしっかりと頷いた。
「のぞみの隣は、いつもどんな時も私は誰にも譲らない」
 夫婦になると決めてから随分と回り道をした。
 たくさんの誤解と苦悩を乗り越えた。
 でもその分、ふたりの絆は強まった。
 彼への愛、彼からの愛、皆への感謝の気持ちで、のぞみの胸がいっぱいになる。
 なんの力もなくたって、この思いさえあれば、なんだってやれないことはない。
 そう、なんだって……。
 でもその時。
「紅さま! そろそろアレをお願いします!」
 目の前のあやかしたちからなにやら不可解な声があがり、のぞみはハッと目を見張った。
 そろそろ、アレを、お願いします……?
 紅はといえば声の方を振り返り、ニヤリと意味深な笑みを浮かべている。
 ものすごく嫌な予感がして、のぞみは咄嗟に彼から身を引こうとした。
「ぎゃっ!」
 でもひと足遅かった。
 ぐいっと腕が引かれ、紅との距離はこれ以上ないくらいに近くなる。そのことに目を白黒させているうちに、あっという間に紅の腕の中に閉じ込められてしまった。
 期待通りの長の行動に、あやかしたちがどっと沸く。
 やんややんやと手を叩いて、その時を待っている。
「誓いの口づけの時間だね」
 紅が嬉しそうに宣言をした。
「だからそれは、西洋のしきたりですって!」
 のぞみはじたばと暴れて精一杯抵抗をする。
 彼と一緒ならばやれないことはなにもないと、今さっき思ったところだけれど、やっぱり撤回したくなった。
 嫌というわけではないけれど、皆に見られての口づけは……。
「のぞみ、長夫婦の夫婦仲がいいところを見せて縄張りのあやかしたちを安心させるのも、私たちの役割なのだよ。のぞみも今日からは長の妻なのだから、こらえておくれ」
 あたかも真面目な役割のように、紅はのぞみに言い聞かせる。
 でもその口元は緩みきっていた。
「ででででも、こ、子どもたちが見て……ん!」
 のぞみの反論は紅の唇に遮られ、どどどと山が揺れるような歓声に山神神社は包まれた。
 お約束の展開に、皆手を叩いて大喜びだ。
 のぞみはそっと目を閉じた。
 ものすごく恥ずかしいけれど、ものすごく幸せだ。
 こんな風に皆に祝福してもらえて、彼の温もりに包まれて。
 その時。
 どどーん! ばりばりばり!
 雲のない夕焼けの空に雷鳴が鳴り響いた。
 振り返って空を見ると、たくさんの稲妻は、赤、青、黄、緑色に輝いて、まるで打ち上げ花火のようだった。
「きれー!」
「あ、ピンクー!」
 子どもたちが声をあげて空に見惚れている。
 一際大きな虹色の稲妻がどどーんと空で爆発し、中から現れたのは翡翠色に輝く龍だった。
 頭にドレスアップしたおゆきとふぶきを乗せている。
 ふたりはのぞみと紅を見つけると嬉しそうに手を振った。
「のぞ先生! 結婚おめでとう!」
「支度に手間取っちゃって、遅くなってごめんね!」
 のぞみはホッと息を吐き、彼らに向かって手を振った。
「ふぶきちゃん! おゆきさん! 来てくれてありがとう!」
 大神が本殿のすぐそばまで飛んできた。
「のぞ先生、素敵‼︎ 白無垢サイコーじゃん!」
 おゆきがのぞみを見て声をあげる。
 のぞみは頬を染めて微笑んだ。
「ありがとうございます。ふぶきちゃんもおゆきさんも素敵です。お揃いのドレスですか?」
 おゆきとふぶきの衣装はスパンコールが散りばめられた水色のパーティドレスだった。
 おゆきが嬉しそうに頷いた。
「うん、そうなんだ。かの子ちゃんママが親子でお揃いのドレスにするって言うからさ、私もやってみたくなって。双子コーデっていうんだって。ふふふ、なかなかいいでしょ? かの子ちゃんママとは服の趣味が合うんだ。あの人とても九十九歳とは思えないよね」
 ふぶきの送り迎えにあやかし園に来るようになったおゆきは、もうすっかり縄張りのあやかしたちとも顔馴染みだ。
「ふふふ、とっても素敵です。ふぶきちゃん、お母さんと一緒のドレスで嬉しいね。すっごくかわいいよ!」
 ふぶきが嬉しそうににっこりした。
 その時。
「おい、人間の女」
 大神が口を開いた。
 すぐ近くから聞こえる胸に響くその声に一瞬のぞみは目を丸くする。
 結婚を許してもらえたとはいえ、さらにいうと彼の妻子とはすっかり仲良しだとはいえ、はっきり言って大神自身のことはまだ少し怖い。
 こくりと喉を鳴らしてから口を開いた。
「はい」
 すると大神は意外なことをのぞみに告げた。
「わしは、紅が嫌いだ。こやつはいつもひょうひょうとしてなにを考えておるのかさっぱりわからん。掴みどころのないやつなのだ。わしはこやつがいるとペース乱されてかなわんのだ。絶対に都へ戻って来ぬようにお前がしっかりと見張っておれ」
「……嫌な奴だな」
 紅が呆れたように呟いた。
「約束をするほど惚れ込んでいるなら、お前と夫婦である限りこやつはずっとこの田舎から出ぬだろう。末永く、夫婦のままでいるのだぞ。わかったな」
 そう言って大神は少し照れたようにのぞみたちから目を逸らす。
 大神なりの祝福の言葉に、のぞみは彼に向かって深々と頭を下げた。
「はい、ありがとうございます」
「言われなくてもそうするよ」
 紅が肩をすくめた。
「お父上さま、あれ、あれ、早く、早く!」
 ふぶきが待ちかねたように大神のヒゲを引っ張って、なにかを催促した。
「おお! そうだったな」
 思い出したようにそう言って、大神が空中に視線を移す。
 するとぼんと音を立てて、あるものがそこに現れた。
「わしからの祝儀だ」
 大神の言葉と空中に現れた祝儀の品にあやかしたちからおおー!というどよめきが起きる。
 とりわけ子どもたちは大喜びだった。
「すべり台だ!」
「ブランコもついてる!」
「ぐるぐるコースもある!」
 指を差したりばんざいをしたりしながら、親の手を離れて下に集まってくる。
 今すぐにでも遊びたそうだ。
「祝儀って……うちの園のすべり台を壊したのは自分じゃないか」
 呆れたようにそう言いながら、紅もやっぱり嬉しそうだった。
 もちろんそれは、のぞみもだった。
 もともと園庭にあったのは錆びついたボロボロのシンプルなすべり台。それでも子どもたちにはなくてはならない遊具だった。大神に破壊された後、とくに鬼ごっこが大好きな子どもたちは、がっくりとしたものだ。
 今目の前にあるすべり台はブランコやボルダリングコーナーなんかもついた大きくてカラフルな最新型の遊具。
 あやかし園の予算では絶対に買ってあげられない代物だ。
 子どもたちの反応に満足そうに頷いて大神が爪をひと振りする。ちゅどーん!と音を立てて、遊具はあやかし園の方向に飛んでいった。
「園庭に設置した」 
 得意そうに大神が言うと、子どもたちから歓声があがる。そして紅の元へ集まってきた。
「紅さま、行ってもいい?」
「今すぐ遊びたいの!」
「もう待てないよ~」
 今日は婚礼だから保育園は休みだった。この式の後の宴会会場になる予定で、颯太の店から取り寄せたお寿司やその他のご馳走がたんまり用意されている。この後ふたりが本殿から参道に下りて、招待客の間をねり歩いてから、皆で園に移動する予定だった。
 でもあんなに楽しそうな遊具が来たことを知った子どもたちがそれを待てるはずがない。
 もう今すぐにでも行きたくて皆うずうずとしている。
 紅が苦笑して、頷いた。
「仕方がないね、行っておいで」
 やったー!と声をあげて、子どもたちがわれ先にとあやかし園の方へ走ってゆく。ふぶきも大神の頭からぴょんと下りて、かの子と手を繋いで走って行った。
 のぞみも紅に向かって訴えた。
「私も行っていいですか?」
「え?」
「だって子どもたちだけじゃ危ないし!」
 それにのぞみだって新しい遊具に夢中になってよじ登る子どもたちを早く見たかった。
 思いを込めて見つめると、紅は少しだけ考えて、すぐに笑顔になった。
「よし!」
 そしてのぞみを抱き上げて境内のあやかしたちに宣言をする?
「もう式はお終いだ。ここから先はあやかし園で披露宴だ。皆、あっちに集まっておくれ、ご馳走を準備しているからね」
 わぁっという歓声が山神神社を包み込む。
 虹色の雷がまたバリバリと空で輝いて、大きな雪の結晶がキラキラと降ってくる。
「おめでとうございます紅さま」
「おめでとうございます! のぞみさま」
 ドンドンドンと太鼓が鳴り、ピーヒャララと笛が歌う。
 長夫婦の誕生を祝う、あやかしたち宴の夜の始まりだった。
 宴は夜どうし大盛り上がりで続けられ、この夜山のふもとの街では、家路に着こうとする人々が今日は山神神社でお祭りでもあったかなと首を傾げたのであった。

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