“私の妻となって、後宮へ来てほしい”。

 幼い斎には、妻となることがどういうことなのか、よくわからなかった。いや、今でも正確にはわかっていない。
“男女の愛は移ろいやすいから信じられない”。いつか宮はそうも言っていたけれど。男女の愛を信じられなかったのは、斎も同じだ。

 斎の両親は彼女が物心つく前に亡くなった。だから斎は男女の愛が――夫婦とはどういうものなのかがわからない。幼い斎は親族の家を転々とさせられたが、引き取られた先では必ず斎の扱いをめぐって夫婦がもめた。
 男女の愛は永遠ではない。長年連れ添った夫婦の仲も、斎という小さな小石が投げ込まれただけで簡単に壊れてしまう。だから斎は、同様にいつか帝の気持ちが移ろい、見捨てられることが何よりも怖かった。

 あの時の宮の言葉に「はい」と素直に頷いていたら、今も自分は女として帝のお側にいられたのだろうか。それとも、後宮という籠に押し込められた小鳥になんて興味をなくして忘れられてしまっただろうか……。
 斎はその答えを知りたかったし、知りたくなかった。

(だから私は、自分の意思で男になること、臣下であることを選んだ)

 斎は己の決断を後悔したことはない。“(いつき)”としての自分はいつでも誰よりも帝の側にいる、その自負があった。だが――。

“御子を為すのはおなごにしかできぬ。つまり、おのこであるおぬしにはできぬことよな”

 昼間の左大臣の言葉がよみがえる。
 斎には、(まつりごと)の難しいことはわからない。
 ただひとつだけ言えることは、この先世が乱れることがあれば帝は悲しむだろう。政争が起こって自分のように粗略に扱われる者が出たら、苦しむだろうということ。

(主上は誰よりもお優しい方だから――)

 斎は木枕の上でごろりと寝返りを打った。

 お世継ぎを設けることは必要なことだ。花琉帝が望む“誰も自分のようなつまらぬ人生を過ごさぬ世”、その実現に必要なことだ。
 そしてそのお役目は、今の“(いつき)”である自分では力になれない。

 左大臣の末姫は、やんごとなき血筋の方にしか扱えぬという(きん)(こと)を弾きこなす、美しい姫であるという。
 尊き方の隣に()るのは尊き方がふさわしい。帝の隣に座る姫ならもちろん、正室である中宮であるのがふさわしい。

(明日、帝に直訴しよう。左のおとどの末姫さまを(めと)り、中宮として迎えるべきだって)

 そう決意して、斎はようやく目を閉じた。
 けれど夜が過ぎ空に有明の月が現れる頃になっても、睡魔は一向にやって来なかった。