「そんなことがあったのですか!? いや、我々は何も知らず、平和を貪っておったのか……」
村長のグンザさんにマリンローでのことを説明すると、彼は悔しそうに唇を噛んだ。
「知らない場所で何かが起こっていても、それを知る由は誰にもありません。グンザさんが気に病むことなど、何もないんです」
「しかし、マリンローは交流のある町だ。何か我らに出来ることでもあれば……」
「それならあります! 町の復興と、リデンとの取引にこの森の木が必要なんです」
そこでマリンローの町長に提案したことを、グンザさんにも同じように説明。
彼は「なるほど」と言ってから、森をぐるりと一望した。
「確かにこの森の木を間引きし、光が差し込むようになればモンスターも減るだろう」
「この森のモンスターが減り、弱体化も出来れば王国にとっても有難いですし」
「王都からは離れているだろう?」
王都からこの草原まで、徒歩だと一月と数日はかかる。俺がここへ来るまでもそれぐらい掛ったもんな。
草原が山脈にぐるりと囲まれる位置にあって、この山がある意味魔物の領域と人間の領域の境界線だ。
草原は人間の暮らす境界線の外側にあるが、それでもここは魔王領ではない。だけどその山脈を越えるとすぐに田園地帯が広がっている。
徒歩で数日は掛かるが、それは決して遠いとは言えない。
「なるほど。王侯貴族ではなく、国民の安全と言う訳か」
「民は国の宝。民がいない国など存在しないし、国を潤すのも民の力によるもの──というのが、フォーセリトン国王の口癖なんですよ」
「よき王だ。ではラルよ。我らはこの森の木を伐採すればよいのだな? そして川へ流せと」
「そうして頂けると助かります。ただどんどん流していくと、マリンローの方で回収が間に合わなくなりますから。一日数本が限界でしょう」
「はっはっは。張り切り過ぎては、水路を詰まらせてしまうな!」
その日、俺たちは蜥蜴人の集落に泊ることになった。
ダンダさんはツリーハウスに上るのが嫌だと言って、大木の根元にテントを張って貰い、そこで眠ることに。
このことで蜥蜴人が気を悪くする蜥蜴人もいなかった。ドワーフはその体格故か、高い所を怖がる──というのは、亜人の間では当たり前のような話だったから。
何より、彼をツリーハウスに上がらせたとき、床が抜けるのではという不安もあったとかなんとか。
ささやかな歓迎を受け、彼らから森の話をたくさん聞いた。
「え? では森の西側には、熊人の村もあるのですか?」
「うむ。だが我らとは縄張りの問題で、ほとんど関りは持っていないのだ」
「この森に暮らしているという事は、もしかしてカオス・リザードに……」
「可能性はゼロではないだろうな。蜥蜴人の里から差し出される生贄だけでは、奴の腹は満たされなかっただろうから」
そう言ってグンザさんの表情に影が差す。
辛いことを思い出させてしまったな。何か話題を変えなきゃ。
「村長よ。木を伐採したあと、川までどう運ぶのじゃ?」
「む? 手頃な長さに切って、それから川へ流そうかと思っているが」
「そりゃ勿体ないな。立派な木が多いし、できれば枝を落しただけでそのまんま送りたいがの」
「しかし川まで数百メートルはある。そこまで木を引っ張っていくのは、なかなかに骨が折れる作業だぞ」
確かにそうだ。
森の木は大きい。大きいからこそ、材木に適しているのだけれど。
ダンダさんには考えがあるようで、四、五日ここに泊ると言う。
それならとシーさんも残って、ダンダさんの用事が終われば一緒にキャンプに戻ると言う。
「そうだのぉ、六日後に迎えに来てくれ。まぁここで新しく筏を作っていくのもいいんじゃが、シーさんが持って行きたい荷物があるって言うからの」
「分かりました。アーゼさんはどうします?」
「俺は戻ろう。オグマにずっと任せっきりでは申し訳ない」
「では明日、俺とアーゼさんで先にキャンプに戻ります」
「という訳で、シーさんとダンダさんは数日してからこっちに戻って来るって」
「ダンダはあっちで何をするんだ?」
「木を楽に川まで運ぶための道具を作るって言っていたよ。それが何なのかは分からないけれど」
荷車は不向きだろうな。
蜥蜴人の集落までは、木が伐採されていて道っぽいものもある。だけど巨木の根や石なんかがたくさんあって、歩くのはいいが、車輪を転がすには少し整地しないと無理だろう。
いったいどうするのだろうか?
キャンプに戻ってきたが、ダンダさんがいない間、ただぼぉーっと帰りを待つわけじゃない。
彼に言われて建築予定地の整地はしておかなきゃな。
「じゃあ明日はこの縄を張った内側の草むしりからはじめよう」
「「はーい」」
こっちに戻って来たのは昼過ぎ。
整地するにはまず、そこの雑草をむしってしまわなければならない。
それを明日やって、それが終わったらクイに地面をほじくり返して貰ってから踏み固めて膠灰を流し込む。
「ダンダさんが戻ってくるまでに、二軒分終わらせるぞ!」
「「おぉー!」」
翌日からさっそく作業を開始し、アーゼさんの飼いロバも手伝ってくれて草むしりは半日で終了。
午後はクイに地面を掘って貰い、その間に俺たちは畑をどこに作るかについて話し合った。
「離れすぎていると、動物が草食モンスターに荒らされるかもしれない」
「そうね……水撒きのことを考えると、井戸から離れたくもないわ」
「いや。さすがに井戸水を畑の水撒きに使っていたら、水量が足りなくなるだろう」
「「うぅーん」」
とはいえ、川の近くだと家から遠くなるし、何より水を飲みに来たモンスターに踏み荒らされるかもしれない。
結局、川から溝を掘って貰わなきゃいけないのかなぁ。
それも視野に入れて、テントを張った場所から川のある方に向かって五十メートルほどの場所に畑を作ることにした。
それほど大きくなくていい。この人数分の作物が取れればそれでいいのだから。
日持ちする米や小麦なんかは、マリンローから仕入れればいい。
「肉は狩りでなんとかなっているけれど、そのうち家畜なんかも飼いたいですね」
「安定した肉の供給のためにか。しかしそうなると今の人数では……」
「家畜を飼うとなると、それこそ夜間のモンスターに警戒しないとならなくなるぞラル殿」
それもそうか……。
しかしずっとモンスター肉っていうのもなぁ。
確かに不味くはないけれど、普通に鶏肉とか豚肉、牛肉だって食べたいときもある。
あぁ、でも鶏はやっぱり必要じゃないかな。卵のために。
「卵料理……食べたいですよね」
「卵は貴重だ。そう簡単には手に入らないだろう」
「え? そうなんですか?」
アーゼさんはさも当然とばかりに言うが、見ればオグマさんやリキュリアも頷いていた。
「ラルは卵料理を食べたいのか? ならボクが森で探してくるぞ!」
「あなたひとりでは危なっかしいわ。あたいが一緒に行ってあげるわよ」
「いや、二人とも待って。卵を探すためにわざわざ森の中に行くのか?」
「え? だって卵は鳥が産むんだぞ。ラル、知らなかったのか?」
いや知ってる。
あぁ、そうか。
とりはとりでも、鶏がこっちにはいないのか。
鶏がいないっていうことは、養鶏もない。卵は野鳥が産み落としたソレだけか。
なるほど。
うん。養鶏をやりたいな。
六日後、蜥蜴人の集落にダンダさんを迎えに行った。
蜥蜴人の集落から一番近い川岸には、集落に向かって伸びるものがあった。先日来た時にはなかった物だ。
「なんだろう、これは?」
「竹だな。中の節をくり抜いた竹の中に棒を通したみたいだが」
そう。竹を1メートルほどの長さで揃え、中に棒を通したものを木材で固定しているようだ。
それがずぅーっと集落まで続いていた。
何に使うのだろうと触ってみると、丈がくるくる回って……じっと見ていたら目が回りそう。
集落にたどり着くと、ダンダさんとシーさんが荷物をまとめて待っていた。
「どうじゃ。これで木を川に流しやすくなっただろう」
「え? いや、あれですよね? 何に使うんです」
「伐採した木を運ぶために決まっておるだろう。どれ、使い方を見せてやるかの。村長さんよ」
呼ばれたグンザさんが頷き、それから仲間に合図を送った。
ダンダさんが作ったという何かは村の中にも通っていて、更に奥の森へと続いている。
その何かの上を、大きな木が移動していた。
「トロッコの改良版みたいなもんじゃ」
「トロッコ……ですか。本では読んだことがありますが、トロッコをそもそも見たことがないもので」
「あぁ、まぁそうじゃろうな。鉱山ぐらいでしか見んからのぉ」
モンスターの巣窟となった廃坑になら入ったことはあるけれど、それほど大きな鉱山でもなかったし、トロッコは使われていなかった。
そう言われてみると、本に描かれてあった線路に似てなくもない。
ただその上を走るのはトロッコではなく、木だけど。
竹の上に木を載せる。そして押してやれば竹が回転し、簡単に前へ進むことができる。
線路代わりの竹がずーっと川まで続いているんだ。確かにこれなら力はそう必要ないし、時間も掛からないだろう。
「試しに一本流してキャンプに戻ろうと思ってな。あの分岐点でちゃんとマリンロー側に向かうのか確認しておかんとならんしの」
「あっ。そ、そうでした。あぁ、考えてもいなかったな、あの分岐点のこと」
「はっはっは。まぁ恐らくマリンローの方に流れるじゃろうがな」
まぁキャンプ側に向かうと流れに逆らうことになるし、何よりカーブが結構きつい。
どう考えても下流に向かうのが当然なので、マリンローの方に流れていくだろう。
「それじゃあ、荷物を俺の袋に入れましょう」
「わしの荷物はないぞ」
「ラルさん、そろそろ冷え込みが厳しくなってくるので、これを持って行きたいんです」
そう言ってシーさんは、暖かそうな毛皮をいくつも運んで来た。
冬用の毛皮のコートや、床に敷くものだ。
「そういえば、草原のほうでは雪が降るようですが……アーゼさんとシーさんは大丈夫ですか?」
「暖を取れば大丈夫だ。まぁ寒さには弱いので、雪が降れば今までのようには体は動かなくなるだろうが」
雪が降り始める前に、なんとか一軒出来ればいいのだけれど。
「よし、マリンローの方に流れていきましたね」
「うむ。まぁ心配はしておらんかったが、念のためじゃの」
下流に向かって流れていく木を見守り、キャンプへと戻った。
時間的にはまだそう遅くはないのだが、太陽が沈むのが早くなってきている。
辺りはもうすっかり暗い──のだけども。
「うむ。基礎は出来ておるな。よし、では骨組みを立ててしまうかの」
「え、今からですか? もうすっかり暗くなってますよ?」
何より、蜥蜴人の集落から戻って来たばかりじゃないか。
ただ筏に乗っていただけとはいえ、疲れていない訳じゃない。
「今からに決まっておろう。それにわしは見えとるが?」
……ドワーフと一緒にしないで頂きたい。
彼らドワーフは洞窟を掘って暮らす種族だ。だから獣人以上に夜目が利く。
そしてドワーフや獣人には若干劣るけれど、魔族も蜥蜴人もそれなりに見えると言う。
つまりここで夜目の利かないのは、人間である俺だけ。
俺だけ役立たずだ。
「ラル兄ぃ、オレがラル兄ぃの目になってやるけん元気だせ!」
「……そういやお前も夜目が利くんだったよな」
「オレ、モンスターだから当たり前や」
そうだった。ただのお笑いアリクイじゃなかったんだ。
「ラル元気だせ! ボクらがラルの分まで頑張るからっ」
「そうよラル。安心して」
「……ごめん。役立たずの人間でほんとごめん」
「何を言っておるんじゃ。松明を立てればいいだけじゃろう」
そうでした。
松明を用意する間に、ダンダさんは鑿《のみ》を使って木材に凹凸を作っていく。
辺りが明るくなると、木材を運んでダンダさんの指示通りに立てたりはめたりして組み立てていった。
途中で夕食を食べ、作業を再開し、瞼が重くなる頃には一軒分の骨組みが完成した。
「早いもんですね」
「効率よく作業をすればこんなもんじゃ。まぁここから先はちっと手間がかかるがの」
「ふわぁぁ、ボク眠いよぉ」
「俺もだ。今日はもう?」
「うむ。あとは明日にしよう。さぁてと、休むかのぉ」
本職が付いていたらこんなに早く作業が進むもんだな。
これなら年を越す頃には一軒建つかもしれない。
雪が降るならその頃だろうな。なんとか屋根のある家で冬を越したいもんだ。
「じゃあ転移するわよ」
「オッケー」
「うむ」
今日は朝から王都へ、ダンダさんと一緒に買い物へとやって来た。
そのついにでちょっとアルバイトも。
「お待たせ~」
リリアンの転移魔法でやって来たのは、どこかの森の中。
「よぉラル。それにダンダのおっちゃんもよく来てくれた。助かるよ」
「なぁに。世話になったお礼じゃからの」
そう。
マリンローの一件でレイやリリアンには世話になっている。何より王様にも恩が出来た。
それを返すために、盗賊団退治のお手伝いに来たのだ。
「へぇ、立派な砦を築いたもんだねぇ」
「そうなんだよぉ。奴ら木を伐採して、あんなもん建てやがってさぁ」
「大工をしとった奴がおるのかの。良い出来じゃ」
「いや、感心しないでくれよおっちゃん」
丸太で壁を造り、砦をぐるりと囲んである。壁の上に人が立っているのが見えるので、厚みがありそうだ。
あれを崩しての突入は難しそうだなぁ。上から狙い撃ちされるだろうし。
「よし。じゃあ行ってくるよ」
「おー、頼むはラル」
レイの声援に応えるように手を上げ、それから隠れていた茂みから出て行った。
門番らしき盗賊たちから見える所まで来たら「おーい」っと声を掛ける。
「な、なんだ貴様!?」
「"スピードアップ"」
「ん? んん? んああぁぁ?」
混乱する盗賊さん。
その声を聞きつけ、別の奴らが壁の上に上がって来る。
「何があった!?」
「"スピードアップ"」
「はあぁ!? な、なんだこれはっ。か、体が動かないっ」
その声を聞きつけ、更に盗賊たちがやってくる。
「"スピードアップ"。あ、こっちも"スピードアップ"」
どんどんバフる。
どんどん、どんどんバフる。
やがて壁の上に誰も現れなくなると、今度は門が開き始めた。
するとレイとダンダさんが茂みから駆けだす。二人が突撃する前に、俺は少しでも盗賊を視界に入れようと地面に這いつくばって──
「"スピードアップ"」
と唱えた。
ふぅ。なんとか見えた連中だけでもバフれたぞ。
ふふ、バッファーの鑑だよな、俺。
「お疲れ様ラル。中のほうはどうかしら?」
「んー、見えた限りだと二十人ちょいはいたと思う。壁の上に十数人いるだろうから……四十人ぐらいかな?」
「そう。ここは五十人以上いるはずだから、砦の中にまだいるかもね」
「そっか。中入るかい?」
「そうしましょう」
俺とリリアン、それに騎士が三人。一緒に砦へと向かう。
その頃にはレイとダンダさんによって、盗賊たちは全員地面に倒れていた。
砦の中にも盗賊たちはいたけど、見つけた傍からバフバフバフ。
無力化した盗賊たちは、三人の騎士が手際よく捕縛してくれる。
「んー、思ったんだけどさリリアン」
「何よラル」
「これさ。遠距離魔法一発ぶち込めば、直ぐに終わるんじゃない? 君なら出来るだろう?」
「あのねぇラル。ここには旅の人や行商人から奪った物がため込まれてるの。それも一緒にふっ飛ばしちゃうでしょ?」
あ、そうだった。
砦を吹っ飛ばすような火力だと、盗まれた物も一緒に消し炭にしてしまうか。
「それだけじゃないの。近隣の村や旅人やら、拉致された人もいるのよ」
「う……それは、マズいね」
「そ。だから私がどっかーんって、一発で終わらせる訳にもいかないのよ」
奪われた金品の中には、持ち主がはっきりしているものだってある。そういったものは流石に持ち主に返してやるんだとか。
「それにね、ここにはいないんだけど……近隣の村から若い女の子や旅人がね……」
「あぁ、うん……なんとなく分かった。そうだね。魔法に巻き込んでしまうといけないよね」
若い女の子──奴隷商に売るためか、自分たちの慰み者にする為か……。
捕らわれている人がいるアジトもあるってことだ。
労働力としてなら、男だって捕まることはある。
さくさくと制圧を済ませたら、事後処理なんかは騎士たちに任せて次の場所へ。
この日、朝から夕方までに六つのアジトを制圧。
本日最後になるここが終われば、七つを潰せたことになるな。
いやぁ、アジト多すぎだろ。
「じゃああとは洞窟の中だけだね」
「そうね。じゃあラル、先頭お願いね」
「申し訳ございません、ラル殿。魔術師であるあなたを前に立たせるなど……くっ」
「いやいや、俺の前に立たれてるとうっかりバフりそうだから仕方ないって」
いつも後ろに控えていた俺が、最近は何かあると先陣を切ることになっている。
後ろから仲間をバフっていたから、どうも前に立たれるとうずうずしてしまうんだ。
まぁ俺が前に立つことでそのうずうずも抑えられているんだけど。
そのせいか、バフってもいい相手──つまり盗賊なんだけど、視界に入った瞬間に速攻でバフっている。
「ラルの無詠唱反応速度が速くなっているわよね」
「それだけラル殿がバフることに飢えているのでしょう」
「どんだけバッファーなのよ、あんたってば」
「ふっふっふ。さぁ次来ないかなぁ」
「レイたちと盗賊を間違えないでね」
善処します。ふふふふふふふふ。
「いやぁ、助かったぜラル。ダンダのおっちゃんも感謝するよ」
「なぁに。買い物ついでじゃ」
この日、朝から日が暮れるまでの間に五つの盗賊団を壊滅できた。
前もってアジトが分かっていたので、あとは転移魔法でそこに行くだけ。行ってバフるだけの簡単なお仕事だ。
レイ直属の騎士団が小隊に分かれて各アジトで先に待機しており、制圧後の処理は彼らに全部任せて移動するから早く終わった。
「またいくつかアジトが判明して、まとめて叩けるときには呼んでよ。手伝うからさ」
「お前の場合、バフりたいだけだろ?」
「そうさ!」
王都に戻って来た俺たちは、レイとリリアンは報告のためにお城へ。
俺とダンダさんは本来の目的である買い物へと向かった。
向かって、そして……
「閉店時間……」
「この時期はどこの店も閉めるのが早いのぉ。開いておるのは飯屋か酒場ぐらいか」
こんなことならバイトする前に買い物を済ませておけばよかった……。
「暖炉? それが暖炉なんですか?」
「そうじゃ。こっちの大陸ではこういったのはないようじゃの。わしが元々住んでおった大陸では、ストーブと言っておった」
盗賊退治のアルバイトをした翌日、改めてダンダさんと買い物に出かけ、彼は鍛冶工房で何かの注文をしていた。
その注文品をさっき受け取りに行ったのだけれども──。
鉄製だろうか。四角いそれには扉があって、耐火性の高いガラスが嵌められている。
小さな暖炉と言われれば、確かにそれっぽい。
だた上には鉄の筒が付いていて、どうやらこれが煙突になるらしい。
「壁に穴を開けて、この煙突を外に出すんじゃ。そうすれば室内に煙が充満せんからの」
「あ、やっぱり煙突なんですね、これ」
「赤ん坊が生まれるんじゃ。暖かくしてやらねばならんじゃろう」
そりゃそうだ。
ダンダさんが壁に穴を開け、煙突を差し込んであっさり完成だ。
ストーブの上には鍋なんかを置くスペースもあって、料理も出来るそうだ。
「鋳物だからの。熱くなるから直接触らんように。うっかり触らんよう、こいつでガードしておくといい。少し部屋が狭くなるがの」
こいつというのは、ダンダさんお手製の木の柵だ。これがあればストーブに触れることは無いだろう。
「もう一つの家用に、これより一回り大きいのを注文しておる」
「暖炉を作らなかったのは、ストーブの為なんですか」
「暖炉は煙突の掃除が大変じゃからの。ストーブなら他の部屋にも熱を送ることもできるんでな」
「へぇ、どうやるんです?」
そう言うとダンダさんは木片を持って来て、炭で絵を描き始めた。
まずは四角い枠を三つ並べ、そこに……ストーブの絵? じゃあ四角い枠が部屋ってことか。
ストーブから伸びた煙突は家の外にではなく、それぞれの部屋を通って外に出る。
「薪を燃やせばその煙が煙突を伝って外に出るじゃろう? 当然煙突は熱くなっておる」
「あぁなるほど。煙突の中を通る熱で、部屋の空気も温めるってことですか」
「その通りじゃ。ストーブのある部屋程ではないが、ほんのり暖かくはなる」
暖炉の煙突を、各部屋に通すなんてことはできないもんな。
なるほど、確かにこれは便利だ。
「さて、もう一つのストーブが完成する前に、こっちの家も完成させねーとな」
「そうですね」
二軒目の家──俺たちが住むことになるこの家は、もうほぼほぼ出来上がっている。
あとはそれぞれの部屋を仕切る壁と、ロフトが出来れば完成だ。
王都にある魔術師養成施設には、俺が個人的に所有していた本がたくさんあった。
その本を全部、空間収納袋に入れてあるので、家が完成じたら是非本棚に飾りたい。
その為に一部屋まるまる書斎を用意して貰って、床から天井まである本棚をダンダさんにたくさん作って貰うんだ。
本に関しては、俺自身が読みたい──というのもあるけれど、実はリキュリアとオグマさんに読んで欲しいというのもあった。
リキュリアは姿隠しの魔法を習得してから、それをよく使っている。今はまだ一分程度しか姿を隠せないが、練習すればもっと長い時間、効果を持続させられるだろう。
その他の魔法にも興味があるらしく、時々俺に魔法のことを尋ねてきた。
そうなるとオグマさんも興味を持ち始め、彼は付与魔法を覚えたいとのことだ。
「魔法の力が宿った武器は強力で、一度は手にしたいと思っている。だがあまりにも高額過ぎて手が出ない」
「そうですね。あれは作るのが大変ですし、作れる人もそう多くはありません」
マジックアイテムを作るのはかなり難しい。
素材もミスリルやオリハルコンと希少鉱石が使われ、ちょっとでも不純物が混ざっていると魔法を封じる作業の過程で壊れてしまう。
魔法の封じ込めも呪文を唱えればそれで済むわけじゃない。
何時間もずーっと詠唱し続けなければならないんだ。
それでちゃんと魔法の封じ込めに成功するのは、約二割程度。
そりゃ高額にもなるさ。
「でも付与魔法は、それはそれで欠点もあるんですよね」
「欠点? そんなものがあったのか?」
作業をしながらオグマさんとそんな話をしていた。
今作っているのはロフトで、俺の寝室だ。
ティーとリキュリアが隣りあわせの部屋で、その向かいには書斎となる部屋がある。
本の冊数を考えると二部屋分の広さが欲しかった。だから俺は廊下の上にロフトを作ってそこで寝ることに。
三角屋根の高くなっている部分なので、天井高もそこそこある。寝るだけなら十分だ。
「えぇ、欠点はあるんです。どの装備にも耐久度があるでしょう? 使い込めばそれだけ刃こぼれはするし、折れることもあるでしょう」
「それはまぁ、当たり前だが」
「付与《エンチャント》魔法は、その耐久度をゴリゴリ削るんですよ」
「け、削る!?」
付与魔法の負荷はそこそこある。
安物のナイフなんかだと、数回付与しただけでポキっといくときもあるほど。
「だからまぁ、魔法との相性のいいミスリル武器なんかが好ましいんですけど」
「高い。ミスリルは高い!」
「ですよねー。そうなると予備の武器を常に用意したほうがいいですが」
と、下で作業をしているダンダさんを見た。オグマさんも一緒に。
「わしは出来んぞ。鍛冶は苦手じゃ。マリンローに行け。あそこなら鍛冶職人のドワーフもおる。なんなら山積みにしておる素材を持って行けば、いい具合に加工してくれるだろう」
「あぁ、素材かぁ。素材ねぇ」
今だ山積みにしてある、倒したモンスターから剥ぎ取った素材。
あれがあるからモンスターが恐れて襲ってこないんじゃないか? なんて話もでているぐらいにある。
加工して武具にしないまでも、あれを売ればそれなりのものが買えるだろう。一つとは言わず、いくつかね。
そんな話をしている時だった。
「ラルー。魚人族の客来たぞぉ」
「魚人族? マリンローからかな」
梯子を下りて外に出ると、二人の魚人族が待っていた。
ひとりはウーロウさん。見知った魚人族だ。残り二人は知らない。
「初めましてラルさま。ワタクシ、ギョッズと申しまして。商人をしております」
「はじめましてギョッズさん。その商人さんがここに来たということは……何か商談……でしょうか?」
こちらがそう尋ねると、ギョッズさんは目を輝かせた。
「はい! はい! その通りです! いやぁ、話が早くて助かります。実はワタクシ、つい先日まで東の大陸に行ってまして」
「海外交易もなさっておいでで?」
「そうです! それでですね、半年ぶりに戻ってみたら、我が古郷がとんでもないことになっているじゃありあせんか!」
マリンローの復興もだいぶん進んでいる。
ただ船着き場近辺には大きな煉瓦造りの倉庫が何棟も建っていたが、あのあたりは結構壊されたりして元通りになるには、それこそ半年以上かかるだろうって言われていた。
「まぁそれは横に置いといて」
え、置くの?
となりでウーロウさんが不満げな顔になってる。
「ギョッズさん、さっさと要件を伝えてください。ラル殿だって暇じゃないんだから。すみません、ラル殿。ここで見たその……」
「素材です! 魔物の素材!! 知っていますかラルさま。この草原やあの深淵の森では、ここにしか生息しないモンスターがいることを」
「はぁ、知っていますが」
「その素材を! ワタクシに売って! いただきたいのです!」
うっ……なんかこの人、物凄く……物凄く距離感近すぎいぃー!
この草原にしか生息していないモンスターは、Eランクの『エセラノン草原トナカイ』という、大きな角を持ったモンスターだ。
その名の通り、見た目はトナカイなんだが……とにかくデカい。
体長は3メートル以上あって、角は太いしかなり鋭利に尖っている。
ただ角が重いせいで、動きはそこまで早くはない。だからEランクなのだ。
そしてこいつの亜種で、『エセラノン深淵トナカイ』というのがいる。
森で暮らすことに適応したのか、体のほうは大きくても2メートル半と少し小型化し、角も細くなっている。
代わりに角が刃のように進化して、危険度で言えばかなり高い。しかも性格も狂暴になっているし、だからこちらはCランクだ。
「これの角や毛皮は高く取引されるのですよ!」
「蜥蜴人の集落でも、こいつ一頭で村で使う一か月分の小麦と交換できるぐらいなのだ」
「一か月分!? 本当ですか、アーゼさん」
「あぁ。だが狩るのは容易ではない。本来なら……ばな」
そう言って、アーゼさんが山住になっている素材を見つめた。
あそこには草原トナカイの素材はあっても、深淵トナカイの素材はないんだけどな。
「ちなみに、トナカイ以外の素材もしっかりお世話させていただきますよ!」
「買取をしてくれるってこと?」
「はい! 知っていましたか? こちらの大陸に生息するモンスターは、他の大陸では見かけないものも多いのです! というかそれぞれの大陸で独自の進化をしているので、あっちの素材がこっちでは珍しい! っということなんですよ!」
あぁなるほど。それでこっちの大陸で仕入れた素材を、別の大陸で売りさばくってことか。
「へぇ、じゃあこっちでは見かけないような、珍しいものもギョッズさんなら……」
と、ここで「しまった」と思った。
ギョッズさんの目がキラッキラしている。
「商談! 商談ですか!?」
「い、いや……」
「珍しい素材ですね! ございます!! ございますよ!!」
ち、近い。物凄く近いいぃーっ!
「ラル困ってる! 離れろ魚人ーっ」
「そうよっ。あなた近すぎるのよっ」
ティーとリキュリアが間に入ってくれたおかげで、ギョッズさんが一歩下がった。
「あぁ、どうもすみません。ワタクシ、商売のこととなるとこう……胸がときめいてしまって」
なんで商売の話すると胸がときめくの?
恋してるの?
商売に。
「み、見てみたいと思っただけで、買うつもりはありません。見てください」
そう言って両手を開いて見せた。
周りを見てくれと言う意味だが、彼は理解したようで辺りを見渡した。
「ようやく家が完成しようかってところです。何かを買うなんて余裕は、今はありません」
「あららら……そ、そうですね。あ、しかし素材の買取は!?」
「えぇ、そちらはお願いします。あぁ、素材を買い取って頂くより、物々交換はどうでしょう?」
「物々……交換!?」
またギョッズさんの目が輝いた。
「ミスリルは無理ですが、ミスリル銀か銀となら交換は可能です!」
「いくつ?」
「んー……ちなみに得物はなにがよろしいので?」
どうせならオグマさんたちの予備の武器をと思って、交換依頼を頼んだ。
「お、俺たちの分だけか? いや、ラルの武器を優先させてくれ」
「いやいや、俺の武器というとこれなんで」
そう言って空間収納袋から杖を取り出した。
木の杖だ。もちろんただの木じゃない。エルフの森でしか自生しない、フェアリーウッズという木の枝で作られた杖だ。
凄く貴重なもので、この枝はエルフから親交の証で頂いたものだ。
「しかし木の杖ではないか。ミスリル銀の杖のほうが、魔力の伝達能力が上だろう?」
「あ、そういうのも知っているんですね。確かに一般的には、ミスリルとかのほうが魔力伝達が良くて、魔法の効果も高くなるとされています。でも──」
実は人にとって相性があったりする。
魔術師の八割ぐらいは今言った通りなんだけど、残りの二割は鉱石より木派だったりするんだ。
で、俺は木派。珍しくはあるけれど、宮廷魔術師にして俺の師のひとりでもあるスレイブン師も木派だ。
木派がミスリルの杖を使っても、石の杖や鉄の杖とまったく魔法の効果は変わらないのだ。
ということをオグマさんたちに説明。
「そ、そうだったのか……では本当に何もいらないと?」
「いりません。というか必要な物は王都から持って来ていて、この収納袋に入っていますから」
出すためのスペースがないので、ずっと入れっぱなしなだけだ。
家が完成したら錬成グッズなんかは……あ。
「しまった……錬成台を置くスペースのことを、すっかり忘れていた」
「おいおい、今さらか? 明日明後日にも完成しそうなんだぞ?」
「あ、あの……商談は?」
「あぁ、俺以外の人の武器の予備と交換して欲しい」
あとはみんなに好みの武器を、ギョッズさんに伝えて貰うことにした。
あれこれ注文を聞いているギョッズさんの目は──いや鱗も輝いていた。
問題は錬成部屋だ。
薬草とかぐつぐつ煮込んだりするから、書斎と兼用するわけにはいかない。寝室も然りだ。
「どうしようかなぁ」
「なにがや、ラル兄ぃ」
「んー……ん?」
ひょこっと影から出てきたクイを見て、俺は閃いた。
ダンダの言う通り、今さら間取りを変更することは出来ない。
なら増築するか?
その通りだ。
増築する。
ただし──地下に増築するんだ!
「ではでは、参りましょうか」
「えぇ、お願いします」
ギョッズさんも空間収納鞄を持っていた。素材を彼の鞄に移して、これからマリンローへと向かう。
俺とオグマさんも一緒にだ。
オグマさんがマリンローを見てみたいというのと、俺ひとりでは帰りが大変だから。
マリンローに到着したら、船を譲って貰う。もちろんこれも取引のうちだ。
これからは素材を自分たちでマリンローに運ぼうと思って。
そうすればついでに買い物もできるからな。
ウーロウさんとギョッズさんは小舟でここまで来たようだ。
船には他に二人の魚人族がいて、ギョッズさんの下で働いている船乗りらしい。
「あ、スレイプニールの鱗をくっつけるんで、速度上がりますよ」
と、取り出した鱗を船にぺたりとくっつけた。
「おおぉぉ!?」
船の速度が加速する。
これから下流に向かうので、流れに逆らう訳じゃないがそれでも早い。
「ス、スレイプニールの鱗!?」
「えぇ、貰ったんdねす。あれ? お聞きになっていなかったんですか? スレイプニールのこと」
「いえいえ、聞いております! テイマーに操られて、それで……しかし鱗を貰っていたのは聞いておりません! ウーロウさん、だ、誰か魚人族で鱗は?」
興奮気味のギョッズさんに言い寄られ、ウーロウさんは鬱陶しそうな顔をしている。
嫌ぁな顔をしながら首を左右に振り、それから彼を押しのけた。
すると今度はこちらにギョッズさんが来る。
「ラルさま!」
「売りません」
「そんなぁぁーっ」
やっぱりか。
売る訳ないだろう。スレイプニールから頂いたものだよ?
そんなの売ったら、それこそスレイプニールの怒りを買ってしまう。
「はぁ……まぁちょっと言ってみただけなので! 気にしません!」
「……そうですか」
切り替えの早い人だな。
あっという間にマリンローまで到着をし、交換として貰う武器と小舟をもらう。
「オグマさん、少し時間いいですかね? 町長に挨拶をしてきたいんで」
「分かった。俺は少し買い物をしてきてもいいだろうか?」
「じゃあ一時間後にまたここで」
復興中のマリンローだが、港町は活気に溢れていた。
俺のことを覚えている人たちが手を振ってくれる。
以前はこの町に人間族も住んでいたが、今では誰もいないみたいだな。
町長さんの家はまだ修繕できていないようだった。
町の人に聞くと、自分の家は後回しでいいと、宿の一室で夫婦共に暮らしているそうだ。
その宿を尋ねると──
「勇者様! 酷いじゃありませんか!! いつうちに泊まってくれるんですっ」
「あ、いや、その……」
すっかり忘れていた。
毎日家造りで忙しく、それどころじゃなかったものなぁ。
「今日こそはお泊りいただけるんですよね!」
「いや、今日は……その」
今日中に帰るって言って出てきたんだ。帰らない訳にはいかない。
転移リングを使えばすぐだけど、そうなると船が……。
あ、空間収納袋に入れればいいか。
どうせならみんなも呼ぶか。
「こ、今夜は泊まらせていただきます。でもその前に同行者に知らせてこないと。ね? ね?」
「本当でしょうね! 嘘じゃないでしょうね!」
「本当っ、本当だから。じゃー」
町長さんに挨拶するはずだったのに、挨拶しないで戻ってしまった。
で、オグマさんを探して事情を話し、船を収納してから俺だけでいったんキャンプへ転移。
「──て訳で」
「そう言えば、宿屋のおじさんたち、ラルに泊ってくれって必死だったわね」
「なんで? なんでラルを泊めたいんだ?」
まぁなんとなく予想がつく。王都の宿屋でもそうだったから。
町を救った勇者が泊まった宿──という看板を掲げるためだ。
まぁ宿をしての箔が付くってことだろう。
身重のラナさんを慎重に船に乗せ、それからマリンローを目指した。
「まぁ、風が気持ちいい」
「姉さん寒くない? 大丈夫?」
「えぇ、大丈夫よ。最近はずっと家の中だったし、気持ちいいわ」
出産前にリラックス出来てよかったかもしれない。
その夜はマリンローの宿でのんびり寛ぐことが出来た。
宿には風呂もあって、しかも広くて気持ちよかった。しかもサウナなんてものもあったし。
やっぱり大きな風呂はいいよなぁ。
今の家が完成したら、ダンダさんに相談してみよう。
「ねぇラル……これ全部……並べるの?」
「ひぃぃぃぃ。本ばっかり、本ばっかりぃぃぃ」
マリンローの宿に順番に泊っていたら、二、三日で完成するはずだった家は、結局一週間も掛った。
明日は新しい年が明ける。今日中に荷物を片付けたい。
「そのつもり……だけど、無理っぽい?」
収納袋から持って来た本を全部取り出し、種類ごとに山積みにしてある。
ティーとリキュリアが本を並べるのを手伝ってくれているのだけれど……三割ほど並べた時点でリキュリアに指摘されて気づいた。
うん。
本棚足りない。
「どうしようかなぁ……全部並べたかったのになぁ」
「ラル兄ぃ、オレ穴掘るか?」
「穴……そうか! クイ、この前掘ってくれた穴の隣に、もう一部屋分頼む」
「ふっ。任せろ、兄ぃ」
この一週間の間に、クイは地下室を掘ってくれた。
陥没してはいけないので、地質はしっかり調べて貰って、少し深い位置に彫って貰っている。
だいたい地面から五メートルぐらい下だ。
入りきらない本は地下室に置こう。
「ダンダさんに追加の本棚を頼んでこようっと」
「じゃあ、じゃあ! ご飯にしようよ!」
「ご飯……お、ちょうどお腹空いたみたいだ」
「え、急になの?」
「わーい、ご飯ご飯~」
ティーが鼻歌交じりでリビングへと向かう。
並べている途中だった本を書斎に置いた大きめの机の上に置き、リキュリアと部屋を出た。
「いやぁ、何かに夢中になってると忘れてしまうんだよね。で、ご飯って言われた瞬間に思い出してお腹空くんだ」
「もしかして……ラルって一日ずっと本を読んでいて何も食べないってこと……」
「あぁ、うん。わりとしょっちゅうあったね」
「ダメよ! ちゃんと食べなきゃダメなんだから!!」
一日食べなかったぐらいじゃ、死んだりしないし、そんな心配することでもないのになぁ。
「ダンダさん、クイに地下室をまた掘って貰っているんで、出来上がったら本棚をまた追加でお願いします」
「はぁ? まだいるのか!?」
「はい」
にっこり笑って答えると、ダンダさんはげんなりした表情になる。
まだたったの二十二棚じゃないか。
施設の書庫なんて何千もの棚が、ずらぁぁぁぁぁっと並んでいたんだぞ。それを思えば、たった二十二だよ。
追加する分も、恐らく十もいらないだろう。
あ、机と椅子も頼まなきゃな。
「ダンダさん、机と──」
「産気づいた!!」
「そう、産気も一緒にお願いしま──ん?」
玄関の扉がバーンっと開かれ、オグマさんが血相を変えてやってきた。
産気……産気ええぇぇ!
ラ、ラナさんの出産が始まる!?
「シー、直ぐに行ってやってくれ。必要なものは?」
「お湯を沸かしてください。あと洗ったシーツを──ティー、あっちのタンスの一番上にシーツを入れてるから」
「わわ、わわ、わ、わ、わかっ」
「分かりました。シーツはあたしが持って行くわ」
ティーは完全にてんぱってしまっているが、リキュリアは冷静だ。
いや、冷静にならなきゃって思っているのだろう。なんせ彼女の甥か姪が生まれるのだから。
生まれる。
ついに生まれるんだ、新しい命が!
こんな時、男って何もできないんだな。
俺とアーゼさん、ダンダさんの三人は、完成したばかりの家でただじぃーっと待っているだけだ。
さすがにオグマさんはラナさんの傍にいるけれど。
「まだ……ですかねぇ」
「まだ三十分も経っていない。初産なら時間がかかるというし」
「お前さんの奥さん時はどうだったんだ?」
「半日掛った」
そ、そんなに掛かるのか。大変だなぁ。
だけどこうしてじっと待つだけっていうのも辛い。
「そ、そうだ。食事の支度もまだだったし、何か作りませんか? 女性陣が頑張ってますし、温めればすぐに食べれるような簡単なものでも」
「うむ、そうじゃな。シチューがいいじゃろうて」
「では瓶からミルクを持ってこよう」
家庭菜園なみの畑はあるけれど、まだどれも収穫できる状態ではない。
肉以外は二週に一度のマリンローでの買い物で仕入れてきたものばかりだ。
この季節なので傷むのも遅いからいいが、次の夏には自給自足できるようになっていたいな。
そんなことを思いながら野菜の皮をむき、ストーブにかけた鍋に入れて軽く炒める。
炒めたら小麦を入れて一度野菜と絡ませ、それから水とミルクを足して焦がさないようかきませながら煮込んでいく。
あとは香辛料で味をみながら……
「どうですかね?」
「うむ……大味じゃが、まぁ悪くない」
「普通だ、心配ない」
それは褒めているのかいないのか、どっちですかね?
「作ったのはいいけれど、俺たちだけ食べてしまうのも申し訳ない気がしますね」
「う、うむ……もう少し待つかの」
シーさんの出産は半日掛ったと言っていた。
このまま半日近く、シチューをお預けになるのだろうか……。
「あ、書斎の片付けしてきますね」
「で、では手伝おう」
「わしも低い段なら手伝えるぞい」
そう言って書斎に向かおうとした時だ。
「ほぎゃあ」
窓の外から聞こえてきたのは、この地で初めてとなる命の産声だった。
「う、生まれた!?」
「生まれたのか!?」
「生まれたようだ!」
俺たちは急いで外に出て、しかし隣の家に入ることが出来ずに立ち止まる。
だってなんとなく、出産って男が立ち入ってはいけないような、そんな神聖な儀式のように思えるから。
いいのは夫だけ。
それで、家の前でうろうろしていると扉が開いて、
「もう、そんなにうろうろするならノックぐらいなさったらよろしいのに」
苦笑いを浮かべたシーさんが出てきた。
「そ、それでシー。男の子か? 女の子か?」
「それは……あら、オグマさん」
アーゼさんが興奮したように尋ねると、シーさんの後ろからオグマさんが現れた。
その腕には真っ白なシーツを抱きかかえている。
「みんな、俺の子だ」
「オグマよ、よかったのぉ」
「おめでとう、オグマ。それで?」
「あぁ、女の子だ。元気な女の子が生まれた」
女の子──そう聞いて、アーゼさんの瞳に大粒の涙が浮かぶ。
彼にも娘がいた。
村を救うために、カオス・リザードの生贄にされた娘さんが。
「そうか。女の子か……大丈夫だ。大丈夫。きっとすくすく成長するだろう。そうだ、名前はどうするのだ?」
アーゼさんがそう尋ねると、オグマさんが俺を見た。
いや、まさかね。まさかだよね?
「名前はラル、君につけて欲しい」
「お、俺!? いや、何故ですか?」
「君に出会えていなければ、今頃俺たちは野垂れ死んでいたかもしれない。命の恩人に、名付け親になって欲しいのだ」
「いやいや、それを言うなたアーゼさんでしょう! 彼がオグマさんたちを助けに入ったんだから」
「だが俺はやはり君に出会えていなければ、むしろ蜥蜴人の集落も奴に襲われ全滅していたかもしれないんだ」
だから俺なんだと、全員が俺を見た。
な、名前なんて……俺そういうセンスは……ん?
「あぁ、寒いと思ったら……雪だ」
「雪? あら、本当だわ。さ、赤ちゃんが冷えるといけないから、中へ入りましょう」
シーさんがオグマさんを促した時、ふと……赤ん坊の手が動いた気がした。
まるで空から落ちてくる雪を、その手で掴もうとしているかのように。
「スノウ……なんの捻りもないかもしれないけど、女の子の名前としては悪くないかなって……思った……んですけど。どうでしょう?」
俺がそう言うと、オグマさんは赤ん坊を見つめ、それから空を見た。
「初雪の日に生まれた……俺の子、スノウ……ありがとうラル。ありがとうございます」
「そ、そんなに畏まられると、ちょっと恥ずかしいのだけれど」
「ふふ。でも可愛らしい名前だと思いま──うっ」
「う? って、シーさん!? どど、どうしたんですかっ」
「シー!?」
それは突然だった。
突然シーさんの体がよろけ、そのまま蹲ってしまったのだ。
「そ、そうだ回復リング! シーさん、直ぐにヒールを──」
「い、いえ、大丈夫です。これは、たぶんそれでは回復しませんから」
「で、でも!?」
いったい何が?
「たぶん……たぶん……私……その……」
「シー! 何があった。どこか具合が悪いのか?」
「え? シーかーさんどうかしたか?」
ティーも奥から出て来て、心配そうにシーさんの顔を覗き込む。
「シーさん?」
奥からラナさんの心配そうな声も聞こえる。
ようやく呼吸を整えたシーさんが立ち上がり、青ざめた顔で笑みを浮かべる。
「私、たぶん妊娠、したんです」
・
・
・
「「ええぇぇぇーっ!」」
「新しい夜明けに!」
「新しい命に!」
「宿った命に!」
一夜明けて、新しい一年が始まった。
シーさんの事で驚いたこともあって、あのあといろいろバタバタしたけれど無事に新年を迎えることが出来た。
ラナさんも一日経ってすっかり元気になっている。もちろん、昨日のうちに治癒魔法を施したってのもあるだろうけど。
新年を迎えたこの日、出産祝いと懐妊祝い、新築祝いとお祝いのオンパレードだ。
「アーゼさん、落ち着いたら村に戻られてはどうですか? シーさんも落ち着かないでしょうし」
「いや、もう一軒完成するまでは」
「そうです。ラルさん、お気になさらないで」
「でもしかし──」
妊娠初期って、ほら、つわりとかさ、あるんでしょ?
それなら住み慣れた場所の方がって思ってしまうのだけれど。
一軒完成したので、テント暮らしはもう終わりだ。
シーさんはティーの部屋で、ダンダさんとアーゼさんはリビングの隅に二段ベッドを置いてそこで暫く寝泊まりして貰う──予定だった。
書斎が開いているけれど、暖房がないのでそれならリビングの方がいいとアーゼさんが言うのでそうなったのだけれど。
「体調のことを気遣ってくれるのは嬉しいのだけれど、このまま村へ帰れば私もラナさんのことが心配だもの。初めての子育てで大変でしょうし、少しでも力になってあげたいのです」
「シーさん……ありがとうございます。私のために、ありがとうございます」
シーさんとラナさんは、ちょっと年の離れた親友同士のような関係が築けているようだ。
「それにねラルさん。この……ストーブというのは、とても暖かくて……」
「あぁ……蜥蜴人は寒さに弱いんでしたね。でも村は地熱のおかげで暖かいのでは?」
「そうなんですけど、でも木の上でしょ? だから雪の季節はそれなりに冷え込むんですよ」
なるほど。
ツリーハウスだからこそ、家屋の中であまり火は使えない。
彼らの村では、暖炉が備わった家は一軒もないとのことだ。
「ツリーハウスか……それじゃとストーブも危ないのう」
「そうですねぇ……最近は地面での暮らしの方が、何かと楽だと思うようにもなってきたし」
シーさんはそう言って笑った。
確かにツリーハウスにはいくつか欠点があるよな。
家に入るためには巨木に上らなきゃいけないのだから、身重の女性には辛いだろう。
水を汲むのも、野菜の収穫をするのにも、いちいち地面に降りなきゃいけないのだし。
「父さんも母さんも、いっそこっちに暮らせばいい! ね、ラルいいよね?」
「ん? 別に構わないっていうか、なんでわざわざ俺に聞くんだい?」
「え? だってラルは、王様からこの草原を貰ったんだろう? じゃあ草原はラルのものじゃないか」
まぁ確かにこのエセラノ草原は、名目上フォーセリトン王国領だ。そして陛下はこの草原を俺にくださった。
その証というか、書面でなんか頂いたはずだ。
収納袋の中に入れっぱなしだったけど……えぇっと、これかな?
王家の印が描かれた上質な紙。
くるりと巻かれたそれを広げで内容を確認すると、
汝ラルトエン・ウィーバスに、魔王デスギリア討伐に貢献した褒美としてエセラノ平原を与える。
また同時にラルトエン・ウィーバスには、辺境伯としての爵位を与える。
そんなことが書かれていた。
「ラルが辺境伯!?」
「き、貴族だったのか、ラルは!」
「いやいやいやいや、待って! 俺田舎の農村出身で、農民の子だから!」
「辺境伯ラルに、乾杯!」
「「かんぱーい!」」
「待って! 何かの間違いだから、ねぇ。待って!」
俺……いつの間にそんな大出世したんだ!?
紙には他にいろいろ書いてあった。
俺がこの平原の領主であること。
税金の支払い義務はないということ。
村を造ろうが町を造ろうが、好きにしていいということ。
この土地を離れて新天地を目指す場合は、ひとこと言ってからにすること。
要約すれば好き勝手していいぞってことだ。
別の土地に移り住む場合にだけ、一言欲しいということらしい。
まぁその辺りは元魔王領のこともあるので、俺がいなくなるなら他に監視を置かなきゃならないからだろう。
たくさんのお祝いを終え、オグマさんとラナさんは隣の家に戻った。
暫くはリキュリアもあちらで寝泊まりするという。
じゃあその間はアーゼさんとダンダさんに使ってくれとリキュリア入ったが、二人は丁重にそれを断った。
女の子の部屋におっさん二人が寝泊まりするのは申し訳ない──とのことで。
真顔でそんなことを二人が言うもんだから、一同大爆笑だったよ。
「それじゃあおやすみ」
「うむ、おやすみ」
「おやすみなさい」
「おっやすみ~」
梯子を上ってロフトへと上がる。
天井高があると言っても、背筋を伸ばして立てるのは屋根の真ん中あたりだけだ。
寝るのが目的なので問題はない。
足の短い簡素なベッドに寝ころべば、星が見える位置に天窓がある。
今夜は晴れているので星がよく見える。
星を眺めながら、この先の事に思いを馳せた。
俺が……俺が辺境伯……。
といってもただの肩書だけしかないけれど。
徴税もされないらしいし、のーんびりここで暮らせればそれでいい。
反転の呪いがあっても、大勢と一緒でないならなんとかやっていけそうだ。
さぁ、明日からオグマさんたちの新居造りに取り掛からなきゃな。
魔王を倒しても、俺の仕事はなくならない。
まだまだ働かなきゃな!
さ、明日も早いし寝よう。