「そう言われても……」

 王国に戻って来い。
 そう言われても無理だ。

 王都に到着してから、いったい何度バフりたい衝動を抑えたことか。
 ここは人が多すぎる。
 俺のバフは複数人……最高で百人ぐらいに同時付与も出来る。

 俺は……俺は……

「そうか……いや今更なんだけどさ、お前のバフってやっぱ凄かったんだなぁって実感したわけさ」
「そうよ。ラルのおかげで、魔王城までいけたようなものよ。私たちだけの力じゃ……きっと無理だったわ」
「いやいや、何言ってるんだよ。俺のバフなんて、基礎能力の底上げみたいなもんじゃないか。君らが真に優れた逸材だったからこそ、効果も目に見えて現れていただけさ」

 確かに俺のバフは、他のバッファーとはちょっと違うって自覚はある。
 他の人が10を11に上げるのに対し、俺は10を12に上げられる。でもこの程度のものだ。たぶん。
 あと効果時間が人より少し長かったり、対象ひとりをバフる魔法も複数人に掛けられるってのは大きいかもしれないけど。

「いやいやいや。お前こそ謙遜するなよ。正直さ、まだ二〇代前半なんだし体力にも自信がある! って思ってたのに、お前のバフ貰わなくなってから疲れやすくてさぁ」
「私もよ。呪文の詠唱に、こんなに時間掛かってたんだって実感させられたわ」
「レイのはアレじゃないか? 魔王を倒してホっとして、肩の荷が下りたのと同時にこれまでの疲れがどっと出たとか」
「あれから五カ月以上経ってんのに、未だに疲れがーとかあるかボケェ」
「ははは」

 頼られていた──というのはとても嬉しい。
 だけどやっぱり俺は、こう人の多い都会では暮らせない。バフ癖を治すために努力はしているけど、今は少人数で手いっぱいだ。
 バフ癖が段々と減っていったら、人と関わる頻度を増やして慣れさせるのがいいんだろうけど。
 さすがに王都みたいな大都会じゃなぁ……。
 はっちゃけて、バフってしまうかもしれない。

「気の緩みで大量殺人の犯人になりたくないんだ」

 と答え、レイの申し出を断った。

「お、おぅ……ま、まぁお前のバフが、間違ってこっちに飛んで来ても大惨事だもんな」
「あら。でもそのバフを盗賊団に掛ければ、楽に捕縛できるじゃない。貴族同士が衝突しても、効果の低いバフを掛けてやれば」
「でもそのバフが味方に当たったら? 正直、今は一緒に行動している人たちの人数が少ないから被害も少なくて済んでるけど、大勢に一度にバフったらとんでもないこと二なると思うよリリアン」

 俺はそう言って彼女に詰め寄る。

「何百人という兵士が、ちょっと突けば瀕死の重傷を負うんだ。ナマケモノよりのろまな兵士が何の役に立つ?」
「え……それ……は」
「いつも君に施していたバフ……あれが全部反転するんだよ?」
「ひぅ!? そ、それは止めて。お願い止めてっ」

 詠唱速度を上げる──つまり早口で、且つ正しく呪文を唱えられる魔法。
 属性魔法の威力を数倍に跳ね上がらせる魔法。

 反転すれば、詠唱速度が恐らく超スローモーションになるだろう。それにたぶん、かむ。属性のほうは威力が半減──のさらに半減とかかな?

 攻撃手段が魔法しかない彼女にとって、それは無力化されたも同然だろう。

「まぁダメもとで聞いてみただけだ。こっちはこっちでなんとかするさ」
「ごめんな、レイ。まぁ辺境近くで悪さする奴らがいれば、そっちはなんとかしてみるよ」
「頼むよ。そんな訳だから、そっちのお二人さん。そう怖い顔で睨まないでくれよ」

 レイはそう言って苦笑いを浮かべた。
 そっちのお二人さん?

 振り返るとサっと視線を逸らすティーとリキュリアの姿が。

「随分と頼りにされているようだな、ラル」
「い、いや……そうだといいんだけどね。そういえばアレスとマリアンナの二人は?」
「あぁ、あの二人か」
「まぁだ結婚してないのよぉ~」

 と、リリアンは言うけど、俺からしたら君たち二人もそうなんだけどね。

 アレスとマリアンナは、それこそ地方で頑張っているらしい。
 勇者に聖女だ。二人の名前は地方はおろか、他国にまで知れ渡っている。
 だからこそそんな二人がいれば、近隣で悪事を働く連中は大人しくならざるを得ないわけだ。

「そっか。二人も頑張っているんだな」
「本当は故郷の田舎で、静かに暮らし違ってんだけどなぁ」
「もう暫くは表舞台で活躍して貰わなきゃならないみたいなのよ」
「君らもそれは同じだろ? 俺だけ辺境でのんびりってのも、申し訳ない気がするな」
「まぁあっちはあっちで、元魔王領のすぐお隣だ。ラルにはあちら側の動向を見張ってて欲しいんだよ」

 それはもちろんだ。
 だけど気軽に連絡を取る手段がないしなぁ。
 急を要する事態が起きても、それを知らせに王都に戻っていたら時間がかかる。
 勇者の宿からお城まで走っても十分はかかるし、何より草原に残してくる人たちのことが心配だ。

 そう話すと、リリアンが「だったら伝達の水晶球を置いてあげるわよ」と。

 水晶を介して、遠くの人と会話ができるという品だ。

「遂になる水晶は、私のコレに繋げておくから」

 リリアンはそう言って、自身のイヤリングを見せた。
 水晶で出来たマジックアイテムだ。それならキャンプに残ったまま、リリアンに状況を伝えることができる。

「ついでに、ラルが暮らす場所に私も一度行っておくわ。場所を記憶して、転移魔法が使えるようにしておきたいから」

 そんな訳で、帰りはリリアンが同行することになった。





「ぽつーんっと家が一軒だけ……」

 夕方頃まで買い物をし、そして帰宅。
 リリアンは伝達の水晶球の設置と、転移魔法が使えるようにするために場所を記憶するために一緒に来ている。

「俺がここに到着して二カ月程度なんだぞ? 家が一軒あるってのは、凄いことだって思って欲しいなぁ」
「まぁゼロから建てたんだから、凄いわよ。うん。でもほんと、何もない所ね」
「都会暮らしの君には退屈かもしれないな」
「ラルだって都会暮らしだったじゃない」

 まぁ五歳からずっと王都暮らしだったけどね。でも魔術師養成施設からほとんど出たことが無かったし。出たいとも思わなかったってのが正しいのかな。
 とにかく本を読んでいたかったから。

「ラ、ラル殿……その方は?」
「アーゼさん。えっと、こちらは俺の友達で、リリアンっていう魔導師です」
「あら、蜥蜴人の知り合いが出来たのね。初めまして、リリアンです。ラルってばおっちょこちょいでバフマニアだから、いろいろ苦労するでしょうけど仲良くしてあげてくださいね」

 散々な言われようだ。でも間違っていないから反論もできない。

「さて、それじゃあ私はここを記憶してっと──」

 呪文を唱えながら辺りの景色を見る。そうすることでこの場所を、転移魔法に記憶《・・》できるのだ。
 だがリリアンは視線をある場所で止めると、呆気にとられたように口をぽかんと開けて止まってしまった。

「なんなの、アレ」
「ん? あれは襲って来たモンスターのなれの果てだ」
「いや、見たらわかるけど……数が多すぎない?」
「それだけ資源が豊富ってことさ」

 俺がそう答えると、リリアンは頭を押さえてうつむいた。

「頭、痛いのか?」
「まぁね。さっさと終わらせて帰りましょ。でもラル。置きっぱなしじゃせっかくの素材が痛むわよ。どうせなら王都に持って行けばよかったのに」

 は!?
 し、しまった!!
 お金が無くなったら売ればいいなんて思っていたけど、吹きっ晒しじゃ素材が痛んで値が落ちてしまうんだった。

「うぅん。倉庫も建てなきゃならないなぁ」
「……そうじゃないでしょ……まぁいいけど。そういやこの川の下流に、結構大きな町があったはずよ。船でもあれば、そこに持って行くのもいいんだろうけどね」

 そう言ってから、リリアンは帰還のための転移魔法を唱えた。

 リリアンが帰った翌朝から、買ってきた家具の設置に取り掛かった。
 俺が使うために持って来ていたベッドも新品だし、ラナさんにも安心して使って貰える。
 正直、この家は狭い。部屋もなく、扉を開けて入ったそこが全てだ。
 まぁ一応、錬金作業も出来るように、一部屋なりに最低限のスペースはあるものの……さすがにシングルベッドと二段ベッド、それにテーブルにクローゼットを置くと手狭になるな。

「ちょっと狭いですが、二軒目が完成するまでここでお願いします」
「そんなっ、狭いだなんてとんでもない! 屋根のある所で出産できるのですから、これ以上望んだら罰が当たります」
「そうだぞラル。本当になんと感謝すればいいか」
「まぁ元気な赤ちゃんを産んでくださいよ。それが一番ですから」

 赤ん坊が生まれたら、きっと賑やかになるだろうな。

 そして……

 俺は間違って赤ん坊にバフらないよう、これから全力で癖を治す努力しなきゃな。

 昼までに家具の設置が終わり、女性陣が川へと水を汲みに出たけた。
 その間に俺とアーゼさん、オグマさんの三人で、買って来た木材を空間収納袋から取り出す作業に取り掛かる。

「随分多くないか?」
「あぁその……組み立てる間に、落としたり切り過ぎたりとかして使えなくなるのも想定して」
「なるほど。まぁ一軒目でもいくつかそういう木材は出たものな」
「えぇ。それだって薪として使えるので、無駄にはなりませんし」

 最近は朝晩の冷え込みが厳しくなってきた。
 思えばこの草原に到着したのが、もう夏の終わり頃だったしなぁ。寒くなって当たり前か。

 この辺りは元々夏でも涼しい気候だ。
 蜥蜴人の集落のある辺りは、地下を流れる温泉のおかげで暖かいらしい。
 だけどそれはこっちにまで届いていない。

「冬になれば、この辺りにも雪が積もり」
「どのくらい積もりますかね?」
「そうだな。ラル殿の膝上ぐらいは毎年積もっている。ただ数年に一度大雪が降れば、腰あたりまで積もるがな」

 それもあって蜥蜴人は木の上に住居を構えるのだとアーゼさんが言う。

 完成したばかりの家も床を高くしてある。雪が降るのは分かっていたので、念のために。ただ30センチほどしか高くしていないので、二軒目はもう少し高くした方がいいだろうな。

「木材を多めに買って正解かな。土台を叩くし、雪に備えて床をあっちよりもう少し高くしようと思うんですが」
「その方がいいだろう。膠灰の上に土台になる太い丸太を並べて固定するのがいいだろうな」
「なら森から太いのと伐採したほうがいい」

 アーゼさんとオグマさんがそう話し、昼から森に行くことになった。

 が──

 その前に事件は起きた。

「ラルぅー! 大変、大変だぞぉー!!」
「ティー?」
「どうしたティー。何があった!?」

 アーゼさんがいち早く彼女に駆け寄るが、ティーは何故かアーゼさんをすり抜けこちらへやって来た。
 アーゼさんの背中に、物凄く哀愁が漂って見える……。

「川に行ったら、大きな魚が流れ着いていたぞ!」
「大きな魚? まぁそれなら美味しく頂けばいいじゃないか」
「えぇ!? あ、あれを食べるのか!? ボクはちょっと、遠慮する」

 食べることが大好きなティーが遠慮するって……よっぽどマズそうな外見の魚なのだろうか。

「魚ではありません。魚人族の方です」
「ラル、傷が深いわ。治療をしてあげないと、死んでしまうっ」

 シーさんとリキュリアが二人がかりで運んできたのは全身が鱗に覆われ、髪ではなくヒレを持つ種族──魚人族だった。
 だけどアクアマリンカラーの鱗からは、赤い血が線となって流れ落ちている。
 すぐに俺は駆け寄り、指にはめたリングの一つを擦った。

「"癒せ"」

 言葉《ルーン》に反応し、リングにはめ込まれた小さな真珠が光る。
 本来このリングのルーンは、治癒魔法の呪文と同じなのだが……俺自身の魔法が発動して反転すると恐ろしいので、リリアンがわざわざ発動のキーワードとなるルーンを変更してくれたのだ。
 こんなことが出来るのは、賢者と呼ばれる魔術のスペシャリストの中でもそう多くはない。
 リリアンが優秀な魔術師だから出来るのだ。

 リングの効果で魚人族の傷がどんどん塞がっていく。
 俺の魔法が反転しなかったとしても、こんな回復力は絶対にない。
 マジックアイテム様様だ。

「傷が塞いでも失った血が戻る訳じゃないので、今はとにかく休ませないと」
「ではベッドに──」
「いえ、魚人族に布のベッドはダメです。鱗が乾くと体調を悪くするので」

 ラナさんがすぐにでも家に駆けだそうとするので、それを制する。
 テントに運び込み、彼女らが汲んできた水をバケツにいれ、タオルを濡らして魚人族にそっとかけてやった。

「いったい何があったのだろうか……魚人族は川をずっと下った海岸沿いに暮らしているのだが」
「以前話していた町ですね?」

 アーゼさん曰く、魚人族の町は港町で、多くの人間も暮らしているという。東の大陸から、またはそちらへ向かう船が出入りするのだとか。

「川沿いにも魚人族の集落はあるが、全て海岸よりだ。だが彼は町から来ている」
「分かるんですか?」

 アーゼさんは魚人族が身に着けている鎧を指差した。
 そういえば、服ではなく鎧?

「彼は町の警備団だろう。川沿いの集落で暮らす魚人族が、鎧など着込んだりしないからな」
「なるほど。ということは、まさか魚人族の町に何かあったってこと?」

 傷はもう癒してしまったけれど、決して浅くはなかった。むしろ瀕死の重傷だったとも言える。
 町を守るはずの彼が重傷ってのは、きっとただ事じゃない何かが起きたに違いない。

「う……うぅ……」
「ラルさん、魚人族の方がっ」

 意識を取り戻したか?
 
「大丈夫ですか?」

 傷は癒せても、貧血状態だろう。

「こ、ここは? ここは蜥蜴人の集落ですが?」
「いえ。蜥蜴人の集落からは森を挟んで南にある草原です」
「蜥蜴人の集落に用だったのか?」

 アーゼさんがそう尋ねると、彼はアーゼさんを掴んで縋りついた。

「頼みますっ。町を──マリンローを救ってください!!」

 そう訴える彼の言葉に、一気にその場の空気が凍り付いた。