一口食べると、クリームの甘さとフルーツの酸味がいい感じに調和している。エミリアちゃんは口の端っこに生クリームを付けていたから、それを手拭きでさっと拭いながら聞いてみた。エミリアちゃんは少し首を傾げて「うーん」と唸り声をあげる。
「も、もしかして楽しくない!? 誰かいじわるする子がいるとか……?」
「ううん、ちがうよ。幼稚園はたのしいよ、みんなであそんだり、うたをうたったり……でも、おべんとうの時間がね」
エミリアちゃんはフォークを置いて少しうつむいた。
「コユキが作ってくれたおべんとう、おいしかったよ。けどね、みんな、おかあさんがつくってくれるの」
彼女が感じた寂しさ、私には覚えがあった。遠足の時、周りの皆はお母さんが作ったお弁当なのに、私だけコンビニで買ったおにぎり。みんなが羨ましくて仕方がない。あの日の寂しさが胸の中に痛みを伴って蘇る。
「いいなっておもっちゃった。コユキがつくってくれるのが嫌なわけじゃないの。でも、おかあさまだったらどんなおべんとうつくってくれるかなって」
エミリアちゃんの声が、わずかに震えているような気がした。私がその小さな肩にそっと手を乗せると、エミリアちゃんはぱっと勢いよく顔をあげる
「あーあ、コユキがおかあさんだったらいいのに!」
「……へ?」
「だって、コユキはやさしいし、りょうりもじょうずだし。おかあさんってそういう人なんでしょ?」
「でも一概にそうは言えないんじゃないかな……?」
「おとうさまに話してこようかな? 『コユキのこと、エミリアのおかあさまにして』って!」
私は飛び出して行こうとするエミリアちゃんを抑える。
「れ、レオさんだって、急にそんな事言われたらびっくりしちゃうよ?」
「えー、いいとおもったんだけどなぁ」
エミリアちゃんはがっくりと肩を落とす。エミリアちゃんに悪いけれど、その案に乗ることはできない。
(だって、それって……レオさんと私が結婚するってことでしょ? ないない)
私の口からは乾いた笑いが漏れた。
***
エミリアちゃんが幼稚園に慣れた頃、おたよりを持って帰ってきた。エミリアちゃんは少し緊張した面持ちでそれをレオさんに渡す。私はそれを後ろから覗き込むけれど、文字が読めないから何が書いてあるのかはさっぱり分からない。そんな私を尻目にレオさんは「ほー」と声をあげた。
「幼稚園でお泊り会をやるのか」
「へー! 楽しそうだね、エミリアちゃん」
しかし、エミリアちゃんは少し難しい顔をしている。レオさんはそれに気づいて、声をあげて笑った。
「なんだ、緊張しているのか?」
「……だって、お城いがいのところでおとまりなんて、したことないもん……」
「お友達と一緒に晩ご飯食べたり、みんなで並んで寝るのも楽しいよ」
私も子どもの頃、林間学校でお泊り会をしたものだ。懐かしい。
エゴールはおたよりを何度も読み返し、胸をどんと叩く。
「必要なものは全て私が揃えるのでご安心してください、エミリア様。可愛い寝間着も用意いたしますので!」
「ホント? みんなのよりかわいい?」
「もちろんでございます!」
エミリアちゃんの顔に笑顔を見せる。私とレオさんは顔を見合わせてほっと胸を撫でおろすけれど、レオさんはすぐに顔を反らせてしまった。
(……あれ?)
なんだか、いつものレオさんじゃないみたいだ。私はどこか具合が悪いのかと聞いてみようとしたけれど、彼はエゴールに「お泊り会のこと、よろしく頼む」と言っていなくなってしまった。そう言えば、最近あまりレオさんと話をしていない気がする。……何か気に障るような事をしたかな?
「ねえ、コユキもねまきえらぶのてつだって!」
エミリアちゃんがそう言って私の手を握る。私は「もちろん」と返すと、彼女はにっこりと笑った。
お泊り会の日はあっという間にやってきた。エミリアちゃんはリュックサックに荷物を詰め込み、やっぱり緊張した面持ちでお城を出発した。今日はお弁当も晩ご飯も作らなくていいし、しばらく料理番組の撮影もない。この世界に来て、こんなに時間が余るのは初めてだった。だからと言って、やることはあまり変わらない。
「次の番組、何作ろう。そろそろネタ切れなんだけどな……。ねえ、エゴールは何がいいと思う?」
この前の里帰りの時に持ってきたレシピ本をぺらぺらめくりながらエゴールにそう問いかける。しかし、返事はない。
「ねえ、エゴールってば」
顔をあげると、そわそわと落ち着かないエゴールがいた。
「……なに? エミリアちゃんの事が心配なの?」
「当たり前じゃないですか! エミリア様がお城の外で過ごすなんて初めてですし、何かあったら一大事ですぞ」
「でも、幼稚園の周りはいっぱい警備兵で囲ってるんでしょう?」
万が一、襲撃を受けたとしても大丈夫なように精鋭部隊を派遣していると自慢していたのはエゴールだ。それでも、気になって仕方がない様子。私は呆れながらせわしないエゴールを見ていると、大きな音を立てて調理室のドアが開いた。
「エゴール! ここにいたのか」
やってきたのはレオさんだった。彼の顔も少し焦っているように見える。まさか、レオさんも同じことを言うんじゃ……。
「忙しい所すまないが、エミリアの様子を見に行ってくれないか!」
「やっぱり!」
「承知いたしました!」
エゴールはどんと胸を叩く。この命令が下るのを待っていたに違いない。呆れるのを通り越すと、乾いた笑いしか湧いてこない。
「コユキは城に残っていてください!」
「え? 私の事連れていくんじゃないの? 前だって強引に引っ張っていったくせに」
「今度は追いかえされないように、慎重に慎重を重ねる必要があります。その場合、体の小さな私の方が有利かと」
「ふーん、そうなの」
棒読みになってしまう。もう勝手にしてほしい。
「私が留守の間、レオニード様の手伝いをお願いいたします!」
その瞬間、レオさんの肩がびくりと震えた気がした。
「はいはい、わかったから。がんばってきてね」
私が手を振ると、エゴールは矢のごとく走って行ってしまった。……気軽に返事をしてしまったけれど、レオさんの手伝いって何をしたらいいのだろう?
「あの、私、何したらいいですか?」
レオさんにそう聞こうと振り返る。しかし、そこに彼の姿はなかった。
「……なんなのよ、もう」
なんだか最近愛想が悪い気がする、レオさん。忙しいだけかもしれないけれど……そっけなくされる心当たりが全くない。
(……軽食でもつくって持って行こうかな)
私はホットサンドを作り始める。ツナメルトサンドと、頭を休めるために甘いものをと考えてあんバターサンド。それとアイスティーを持って、執務室に向かう。重厚な扉をノックしても返事はない。私は恐る恐る開けると、机の上でうなだれているレオさんの姿があった。
「レオさん! 大丈夫ですか?!」
どこか具合が悪いのかと思って慌てて声をかけると、彼はシャンッと背筋を伸ばした。そして、恥ずかしそうに顔をそむける。
「エミリアちゃんの事、そんなに心配ですか?」
「そ、そういう訳では……!」
「顔に書いてますよ、心配で仕方ないって」
レオさんは自分の頬を触る。威厳に満ちた魔王様のはずなのに、愛娘の事になると優しい父親になる。その姿、見慣れたといえども、私の眼には可愛らしく映った。私はテーブルに作ってきたホットサンドを置いてレオさんに勧める。
「いかがですか? 気分転換になると思いますけど」
「……ありがとう。いただくとするよ」
レオさんは執務用の机から離れてテーブルに椅子を向ける。アイスティーに口を付けたのを見届けてから、私は床に散らばった書類を拾い集めていく。レオさんの署名らしきものが書いてあったので、それをひとまとめにしておいた。分別は戻ってきたエゴールがするだろう。窓を見ると、雨がぽつりぽつりと降り始めている。なんだか肌寒くなってきた。
「……くしゅんっ」
そう思った途端、くしゃみが飛び出してしまった。レオさんも驚いたように目を丸めている。なんだか恥ずかしい。
「寒かったか、すまない。暖炉に火をつけよう」
レオさんが指を振ると、暖炉にたちまち火がともる。そして、レオさんは立ち上がったと思うとマントを脱ぎ出した。
「これをかけていなさい」
「でも、レオさん冷えちゃいますよ」
「私は大丈夫だ」
私は手渡されたそれを、ショールのように肩にかける。直前までレオさんが身に着けていたマントにはまだ彼の体温が残っていて、それがじんわりと私を温める。【魔王】なのに、こうやって優しい一面があるのは反則だ。
「ありがとうございます」
「いや、気にしないでくれ。……コユキに風邪をひかれると困るからな」
レオさんはそう言ってほほ笑んだ。その顔、なんだか久しぶりに見た気がする。ちょっぴり嬉しい。
「……最近、城下町に行くことはあるか?」
「えぇ、行きますよ」
「そうか。……つかぬことを聞くが、変な噂を聞いたことはあるか?」
「変な噂?」
レオさんの表情が険しくなる。
「まだはっきり捉えているわけではないが、不穏な動きがあるらしい」
「不穏って言うと……」
「この国を攻め入ろうとする人間が再び現れた、ということだ」
エミリアちゃんのお母さんでレオさんの奥さんだった、グラフィラ様の命を奪ったような人たちが、またこの城を襲おうとしている。さっきとは違う寒気が体中を走っていく。
「……私は、聞いたことないです」
「そうか。もし町に行った時に何か耳にしたら、すぐに教えてくれ」
「わかりました」
私がそう返事をすると、執務室はまたしんと静まり返った。レオさんはサンドイッチを食べ始める。
「……あの、レオさん。私も聞きたいことがあるんですけど」
それを打ち砕くように、私は思い切って口を開く。口をもぐもぐと動かしているレオさんは私の言葉を促すように頷く。
「最近、なんだか私に冷たくないですか?」
レオさんの肩がぎくりと震える。
「もし私が何か気の障るような事をいったのであれば、教えてください。教えてもらえないと、正すことなんてできないから」
「いや、コユキは悪くない。これは私……私たちの問題だからだ」
レオさんは大きく息を吐いて、もう一度アイスティーを飲む。
「この前、エミリアに言われたんだ。『コユキに母親になってもらおう』と」
「あー……私も似たようなこと言われましたよ」
断ったけど、と付け加えると、レオさんは申し訳なさそうに眉を下げた。
「幼い子どもの冗談だ。気にしないでくれ」
「あはは! 大丈夫ですって、はじめか真面目に取り合ってないですってば。……もしかして、レオさん、私が本気にして結婚迫ると思いました?」
「いや、そういう訳では……」
レオさんの横顔がバツが悪そう……というよりは、なんだか寂しそうだ。
「コユキには散々世話になっているのに、こんなワガママを言うなんて。本当に申し訳ない」
「いや、エミリアちゃんのワガママは今に始まったことじゃないですし。それに、私、その気持ちがちょっとわかるんです」
口に出しては言わなかったけれど、何度か「新しいおかあさんがきたらいいのに」って思った事はあった。
けれど、そんな考えはすぐに自分の中で打ち払ってしまう。私にとって、お母さんは一人きりしかいない。
「しかし、コユキの母君が亡くなったのは子どもの頃だろう? エミリアが母を失ったのは、まだあの子が赤ん坊だった時だ。君とはわけが違う。あの子は、母親の暖かさを知らないまま大人になっていく」
レオさんの声音はとても重かった。私は口を挟むことも出来ず、真剣に耳を傾ける。
「私は、グラフィラ以外の女性と共に生きるつもりはない。だから、あの子に新しい母親を迎えることはできない」
「……」
「だからこそ、君から少し距離を取ったんだ」
「……もしかして、私たちが仲良くして、エミリアちゃんが勘違いしないように?」
レオさんは頷いた。
「……確かにそれも大事かもしれないですけど、私、それは良くないと思います」
まっすぐ彼を見つめると、レオさんは少し不安げな視線を私に向けた。
「エミリアちゃんの好き嫌いを直すのは、本人の努力も大事だけど……それ以上に、私たちの信頼関係が重要だと思うんです。だって、お父さんと食事係が仲悪かったら、エミリアちゃんだって私に対して不信感を抱くと思うんです。これは、私とエミリアちゃんの二人三脚じゃない。レオさんも含めたチームなんです!」
私はレオさんに近づく。初めて見た時は怖い魔王様だと思ったけれど、今は、娘と奥さん思いの優しい人であることを知っている。だからこそ、協力してもらわなきゃいけない。
「エミリアちゃんのためです。私といつも通りの関係に戻ってください」
私は手を差し出した。
「……チーム、か。今まで一人で行動することが多かった私には新鮮な言葉だ」
レオさんが私の手を取った。大きくてカサカサしていて、暖かな手だった。ぎゅっと握ると、レオさんも握り返してくれる。
「これで、元通りってことで」
「……あぁ、これからもよろしく頼む、コユキ」
「もちろんです! レオさんも、よろしくお願いしますね!」
***
翌朝、エミリアちゃんが帰ってきた――と思ったら、お迎えのためにお城のエントランスにいた私に飛びついてくる。
「エミリアちゃん?」
そう尋ねた瞬間、エミリアちゃんの「うわぁあーーーーん!!」という泣き声が城中に響き渡った。
「ざみ゛じがっだぁぁああ!」
そう言って、エミリアちゃんは強くしがみつく。その姿がなんだか可愛らしくて、私からは笑みが溢れていた。
「な゛ん゛でわ゛ら゛う゛の゛ぉぉぉ」
「ご、ごめん。大変だったね、エミリアちゃん」
それでも、くすくすと声が漏れてしまう。私が笑うたびに、エミリアちゃんは大粒の涙を流しながら怒っていた。
「あ、レオさん」
エミリアちゃんが帰ってきたという知らせを聞いたレオさんが黒いモヤと共に姿を現す。エミリアちゃんはレオさんに飛びつき、レオさんも小さな体をぎゅっと抱きしめた。
「よく頑張ったな、エミリア」
「わ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」
大きな泣き声だったけれど、レオさんの胸に収まっていると次第に、しくしくと小さくなっていく。レオさんはエミリアちゃんを抱きしめながら笑っていた。それを見ていると、偵察に行っていたエゴールも帰ってきた。
「お疲れ様」
「いえいえ、これくらい。エミリア様、とても立派でございました。ご友人と仲良く過ごし、夜もすんなりお眠りに……」
「ご飯の時間は?」
「……そ、それは……」
大体察しが付く。私からは苦笑が漏れた。親子の久しぶりの対面に満足したエミリアちゃんはレオさんから離れて、今度は満面の笑みを見せる。
「やっぱり、おとうさまとコユキと、みんながいるお城がいちばんだわ!」
「ふ、ふ、ふ……」
城下町を歩く私から、変な笑いがこみ上げてくる。町行く人たちが不審な目で私を見るけれど、そんなの今は気にしない。だって、今日はとってもいい事があったのだから。
(いやー、リベンジ達成ってやつね。気分がいいわー!)
こんなに気分がいいのは久しぶりかもしれない。それもこれも、すべてはエミリアちゃんに関することなのだけど。
(少しずつだけど、野菜も食べられるようになって……)
この世界に来たばっかりの頃、エミリアちゃんに出したミックスベジタブル入りオムライス。それを再び出してみた。今度はどんな反応をするだろうか……とても不安だったけれど、それは杞憂に終わる。
エミリアちゃんは、始めはミックスベジタブルに驚いてびくりと肩を震わせた。しかし、大きく深呼吸をして、ぱくり!とまずは一口食べたのだ。
「え、エミリア、大丈夫か?」
さすがのレオさんも動揺を隠せなかったらしい。エミリアちゃんの様子を真剣なまなざしで窺っていた。私もびっくりして言葉を失ったままエミリアちゃんの口元を見守る。もぐもぐと口を動かした後、ごくりっと喉を動かした。
「たべれた……」
一番驚いていたのはエミリアちゃん自身だったみたい。スプーンを片手に目を大きく丸めている。レオさんは「エミリア! よくやった!」と褒めたたえ、私は静かに拍手をする。エミリアちゃんは褒められたことが嬉しいのか、にっこりと笑みを見せた。
「ねえ、わたし、たべたわよね! これ、まえにコユキがつくってくれた料理でしょ? わたしがたべなかったやつでしょ!」
「うん、そう! すごいよ、エミリアちゃん!」
「ちょっとこわっかたけれど、あんがいイケる味だったわ」
そう言って、エミリアちゃんはパクパクと大きな口を開けてオムライスを食べていく。それに触発されたのかレオさんもモリモリと食べていき、お替りまでしていった。
あれだけ野菜が嫌いだったエミリアちゃん。野菜を取り除いて食べていたエミリアちゃんが、とうとう食べ始めた。その達成感に浸っていると、なんだかふわふわした気分になっていく。
「お、コユキ先生! 今日はいい魚入ってるよ!」
「ほんと!? じゃあ全部ちょうだい! お城に届けておいて」
「太っ腹だね! よしきた!」
魚屋さんの呼びかけに気前よく答えてしまうくらい。……お魚の使い道は、追々考えるとして。
「あら! コユキ先生じゃない~」
「ほんと、何だかご機嫌ね」
「いい事でもあったのかしら?」
料理番組を見てくれる奥様達が私を取り囲んだ。私が上機嫌な事情を話すと、奥様達はみな喜んでくれる。一国の王女様の健やかな成長は、国民の士気にもつながるらしい。
「あ、そういえば……コユキ先生に聞いてもらいたいことがあったの」
奥様の一人、ひょろっと長い首で目が1つだけのモンスターがそう口を開く。
「聞いてもらいこと?」
「コユキ先生にお話ししたら、魔王様に届くかしら?」
「もちろん! ちゃんと話を伝えるから、教えてもらえますか?」
レオさんから「何か噂話を聞いたら教えて欲しい」と言われている。私がどんっと胸を叩くと、一つ目の奥様は安心したように息を吐く。
「あのね……遠方に仕事に行った主人が聞いてきた話なんだけど……どうも、この国に対して反発しようとしている集落があるみたいなの」
「あら、私もその話聞いたことがあるわ。何でも、グラフィラ様を殺した輩の出身地だって」
「やだ! 怖いわ!」
グラフィラ様を殺めた人……それは、人間の勇者と呼ばれる存在だと聞いたことがある。再び魔国に勇者が攻め入ろうとしているのかもしれない。私の背筋はぞくっと震える。
「わかりました、ちゃんと魔王様にお話ししておきますね」
「よろしくね~」
「でも、コユキ先生がこの国に来てくれてとっても良かったわ。知らない料理を教えてくれるし、それに、魔王様に伝言も頼めるんだから」
「側近のエゴールは忙しなくってねぇ。コユキ先生の方が話しやすいっ!」
「あはは、ありがとうございます」
私は奥様方に手を振って別れを告げる。まだ今日の買い物が終わっていない。急がないと、エミリアちゃんの夕食作りが間に合わなくなる。早歩きで青果店に向かうと、店主さんが「お、コユキ先生」と声をかけてくれた。
「今日はずいぶんご機嫌だって聞いてますよ」
「いや~そうなんですよ。何買おうかな……全部買っちゃおうかな?」
「あ、コユキ先生。さっき城の使いが来てね、あまり買い物をさせないように気を付けて欲しいって」
「……え?」
「魚屋で大盤振る舞いしちゃったんでしょ? お城の食物庫が魚でいっぱいで困ってるらしいから、控えるように言ってくれって」
私の体がピキッと固まる。店主さんも「うちとしてもたくさん買って欲しいんだけどね」とぼやいた。
「でもコユキ先生が怒られちゃうし。必要最低限にしてくれって」
「……ワカリマシタ」
私はがっくりと肩を落として、必要な分だけを買って行く。私の出費は全てお城が払ってくれるとは言え……少し使いすぎたかもしれない。帰ったらエゴールがカンカンに怒っているだろうな。
(はぁ、ちょっと気が重たくなってきた)
行きと違って帰りは足取りが重たい。私はため息をついて、遠くに見えるお城を目指す。
(……あれ? もしかして……)
歩いていると、ゆらりと揺れるマントが目に入ってきた。あの姿には見覚えがある。いつかエミリアちゃんが城下町で迷子になったときに、見つけるのを協力してくれた人に似ている。私は早歩きで近づいていく。彼の歩みが遅かったおかけで、すぐに追いつくことができた。
「あの!」
「!?」
声をかけると、驚いたように振り返る。顔の下半分しか見えないけれど、やっぱりあの人だ。
「良かった、会えて! 幽霊じゃなかった! 私の事、覚えてませんか?」
「あ、あの、迷子になった女の子を探していた……」
「そうですそうです! あなたのおかげで見つかったのに、お礼もできなくて……その節は大変お世話になりました」
「い、いえ、お気遣いなく……」
彼はどこか気まずそうにしていた。私の顔を見ようとしない。首を傾げていると、彼の体がぐらりと大きく揺れて、倒れ込んでしまった。私はとっさに支える。
「大丈夫ですか?」
「は、はい、大丈夫……」
そう言った彼のお腹から、大きな音が聞こえてきた。彼はバツが悪そうに俯く。
「もしかして、お腹空いてる?」
「はい……もう何日も食事にありつけていなくて」
「大変じゃないですか! そうだ!」
良い事を思いつく。
「あの、ご飯作ってもいいですか?」
「……はい?」
「ずっとお礼したかったんです! 材料ならここにありますから、どうですか?」
もう一度彼のお腹が「ぎゅるるるる~」となる。彼は「お願いしてもいいですか?」と少し恥ずかしそうにつぶやいた。
私は彼を支えながら自宅へ向かう。城下町から離れた林の中に、こじんまりとした小さな家が現れた。
「何日もご飯食べてないって……一体どうしたんですか?」
かまどに火を付けながら私が訪ねる。彼はベッドにマントを着ながら横たわっている。
「田舎から出てきたんですけど、持ってきたお金が尽きてしまって。だからと言って、仕事も中々続けることができませんし」
「そうだったんですね……」
何か辛い重労働ばかりしているのかもしれない。仕事を紹介できないかな? レオさんに聞いてみようと考えながら、私は買い物袋から青果店で買った食材を出す。穀物、トマトに似た赤い実、玉ねぎの代わりになるような緑色の丸い野菜。あとはニンジンみたいな根菜に、葉物野菜。
「あの、何を作るんですか?」
「リゾットです! 弱った体にいいかなって」
「……りぞっと?」
聞いたことがない様子だ。
「いいから寝ててください! 勝手にやってますから!」
鍋に玉ねぎ(っぽい野菜)とニンジン(のようなもの)と葉物野菜を入れて、野菜の出汁が出たスープを作る。スープが出来上がったら、小さな鍋に必要な量だけ取って、角切りにしたトマトを入れておく。それをあらかじめ炒めていた穀物が入ったフライパンにいれて、煮込んでいく。調味料で味を調えるのを忘れずに。お野菜だけだからあっさりとした出来上がりだったけれど、体に優しいかも。私が出来上がったそれを持ってテーブルに向かうと、ベッドから勢いよく起き上がってきた。
「……い、いただきます!」
そう言って、がつがつと食べていく。この時もマントを脱ごうとはしない。
「も、もう少しゆっくり……ちゃんと噛まないと……」
と言っても、彼は話を聞こうとはしない。あっという間に食べ終わってしまって、フライパンに少しだけ残っていたあまりと、スープを取るために鍋に入れていた野菜たちもぺろりと食べてしまった。エミリアちゃんにこんなものを出したら渋々食べるのに……それはあまりにも清々しい食事風景だった。
「ごちそうさまでした!!」
元気を取り戻したのか、言葉に覇気があった。私は「どういたしまして」と返す。
「久しぶりにまともな食事を取ることが出来ました。……これから大事な仕事を控えているので助かりました。本当にありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそありがとうございました。迷子探しに協力してくれるだけじゃなくて、こんなにいい食べっぷりまで見せてくれて。作った甲斐があります」
「おいしかったですよ」
彼は満腹になったお腹を撫でる。
「あの、気になっていることがあるんですけど、いいですか?」
私は意を決して聞いてみる。
「どうしてマントを脱がないんですか?」
そう尋ねると、彼は被ったフードを深くかぶり直す。
「気に障ったならごめんなさい! ちょっと気になっただけだから……答えたくないならそれでいいから!」
彼は何度も頷いた。うっかり地雷を踏みぬいてしまったみたいだ、肝が冷える。私は大きく息を吐いた。
「……あの、僕も聞きたいことがあるんです。別に、答えてもらわなくてもいいんですが」
「な、ど、どんなことですか?」
「……あなた、【人間】ですよね」
その言葉に、背筋がぞくりと冷たくなった。この魔国に【人間】はいない。けれど、私の存在は城下町の人々に受け入れてもらっていたから、感覚がマヒしていた。もしかしたら彼が【人間】に対して悪意を抱く種族かもしれないってこと……どうして気づかなかったのだろう。私が身をかたくすると、彼は慌てたように首を振った。
「いえ、ち、違いますからね! あなたをどうこうしようとかそういうつもりじゃなくて……珍しいなって思って。魔国では見ない種族だから」
「そ、そうですね……多分、いるのは私くらいじゃないかな」
私は少しだけ胸を撫でおろす。【人間】に何かしようと考えているわけではないみたいだ。
「だから、前に会った時も珍しいなって思ったんですよ。どうして魔国に? も、もしかして魔王に連れ去られたとか?!」
その言い方が、私の中で少し引っかかった。
「まあ、それが結構近いけど……実は」
私は本当の事を話し始める。この国の王女であるエミリア様の偏食を治すために、【人間】しかいない、こちらとは異なる世界から魔国に召喚されたこと。彼は「召喚」という言葉が気になったみたいだった。
「そ、それは……っ! 君、大丈夫か?」
「え?」
「だって、無理やり魔国に連れて来られたのだろう?! ひどい目にはあっていないか!? 君の人権は保たれているのだろうな!?」
彼は身を乗り出して私の肩を掴み、ぐわんぐわんと頭を揺さぶる。脳みそが揺さぶられて、気持ち悪くなっていく。私が息絶え絶えになりながら「ストップストップ」と言うと、ようやっとやめてくれた。互いに「ゼーゼー」と肩で呼吸を繰り返す。
「そりゃ、最初は同意の上ではなかったけれど……住めば都っていうのかな?」
レオさんやエミリアちゃんと接するようになって、私が今まで抱いていた【魔王】というもののイメージは大きく変わった。異形のモンスターたちとの生活にも慣れて、見たことのない食材に囲まれる日々。何より、エミリアちゃんの食事係という本当に大変だけどやりがいのある役割。元の世界にいた時よりもずっと充実している気がする。その話をすると、彼は「ふーん」とだけ呟いた。……この話、興味なかったのかな?
「しかし、話には聞いていたけれど、本当に異世界から連れてくることができるなんて……魔国の技術発達は著しい。市場も活発で、国民生活は豊かで……うちの村とは大違いだ」
彼は大きくため息をついた。
「僕の村はとても貧しく、今も村の仲間は飢えと戦っている。それを何とかするために単身魔国に来たのに、僕自身がこんな状態になるなんて。ほんと、ダメですね」
「そうだったんですね。何か協力できること、ありますか?」
「協力?」
「ほら、私、お城にいて魔王様とも結構仲いいし。何か手伝えることあるかも……」
そう言うと、彼は少しだけ悩む様に押し黙った。そしてしばらく経ってから、首を横に振る。
「いや、大丈夫だ。これは僕が解決するべき問題、それに、最近は仲間も出来たんだ」
「へー! 良かったね」
「いつか君も会える日が来るさ」
「本当?」
「……あぁ」
彼の仲間ってどんな人(モンスター?)たちなのだろう? 私は思いをはせるが……壁にかかっている時計を見た瞬間、それも吹っ飛んでいった。
「もうこんな時間!? 早く帰らなきゃ!」
エミリアちゃんの夕食作りを始めないと間に合わなくなってしまう。食事の時間はきっちり決めておかないと、規則正しい生活が乱れてしまう。
「ごめん! 私もう行きます! うっかり長居しちゃった」
「いや、こちらこそありがとう。久しぶりに美味しい食事がとれて、本当に嬉しかった」
私はバタバタと身支度を整えて、【彼】の家を飛び出す。ふとあることに気づいて、私は振り返った。ちょうど見送りに来ていた【彼】が家に戻ろうとしていたところだった。
「あの、名前は!?」
そう叫ぶと、彼は振り返る。そういえば、彼の名前を知らないままだった。
「僕はジョセフ。君は?」
「小雪! またね、ジョセフ!」
「あぁ……近いうちに」
そう言って、ジョセフはにやりと笑ったように見えた。その笑顔に、私は何か引っかかるものを感じていた。
***
「すいません、少し遅くなっちゃった……」
お城に戻って大慌てで夕食作りを始めたけれど、いつもより少し遅めの時間になってしまった。
「いや、コユキにも用事があるだろう?」
「たまにはおやすみしたっていいのよ?」
「それはエミリアが野菜を食べたくないからだろう? ……いや、確かにコユキにも休みを設けるべきだな。今まで休みなしで働かせていたようなものだ。よし、週に一回、コユキにも休む日を作ろう」
「や、大丈夫ですって!」
私は大丈夫と繰り返すけれど、レオさんは諦めようとしない。互いの折衷案として『休みたくなったら休む』ということで落ち着いた。
「けど、きょうはどうしておそくなったの?」
今日のメニューはたくさん買った白身魚のピカタ、リーフレタスのサラダ、市場で買ったトマトっぽい野菜で作ったミネストローネ。エミリアちゃんのフォークの進みがとても遅い。
「城下町に行ってたの」
「えー! ずるい! エミリアもいきたかった!」
「ダメだ。また迷子になるだろう」
エミリアちゃんは頬を膨らませる。
「城下町に行ったということだが、何か変わった話は聞かなかったか?」
私は奥様方から聞いた話を思い出す。しかし、この話をエミリアちゃんの前でするのは気が引ける。私の視線が揺れ動くのに気づいたレオさんは、小さく頷き「あとで聞こう」と言った。
「何かおもしろいもの、あった?」
「んー……前に行った時と変わらないよ? あ、そういえばエミリアちゃんが迷子になったときに助けてくれた人に会ったの」
「ほお、そんな者がいたのか。城に連れてきてくれれば良かったものを。私からも礼をしたい」
「それなら、今度会ったらお城に連れてきてもいいですか?」
「もちろん」
「エミリアもあいたい!」
***
エミリアちゃんが眠りについた後、私はレオさんの執務室に来ていた。夕食の場で上がった『城下町の噂話』について話すために。グラフィラ様を殺した者を生んだ集落から、また魔王を狙って魔国に来ようとしている……まだ幼いエミリアちゃんにはショッキングすぎる話だ。
私の話を最後まで聞いたレオさんは「実は」と切り出した。
「同じ話を私も聞いていた」
「あ、そうだったんですね」
「しかし、市井に広がっていると考えると……これ以上この噂話を野放しにしておくわけにはいかないな」
レオさんは困ったようにため息をつく。
「……この話は内密にしておいてくれるか? 特に、エミリアには」
「もちろんです」
「ありがとう。コユキも、しばらくは城下町に行かない方がいい。安全が確認できるまで、城にいてくれ」
「はい。……あの、エミリアちゃんの幼稚園は?」
せっかく楽しそうにしているのに、通えなくなるのはかわいそうだ。
「……幼稚園はそのままにしておこう。急に行くなと言われたら、エミリアも勘付くかもしれない」
「わかりました」
私は執務室を出て自分の部屋に向かう。すると、部屋の前で小さな人影が見えてくる。
「……エミリアちゃん?」
エミリアちゃんは真っ白なワンピースタイプのパジャマを着て、枕を抱えてじっと立ち尽くしている。慌てて駆け寄ると、エミリアちゃんは「コユキ~」と少し泣きそうな声で私を呼んだ。
「どうしたの?」
「こわいゆめみたの」
「夢?」
「うん。……コユキもおとうさまもいなくなっちゃうゆめ……」
エミリアちゃんの声はか細く震えていた。私はその小さな体を抱きしめる。
「だから、コユキといっしょに寝てもいい?」
「うん、もちろん」
「やったー!」
エミリアちゃんを部屋に招き、ベッドに乗せる。エミリアちゃんは枕を置いて、すぐに横になる。お腹を優しく撫でている内に、エミリアちゃんからは寝息が聞こえてきた。ずいぶん寝つきのいい子だ。私からも欠伸が漏れる。
(今日は結構歩き回ったから、疲れちゃったな……)
そう思った瞬間、眠気がどっと押し寄せてきた。静寂な夜の気配に包まれながら、私は眠りにつく。……今日と同じ日が明日も続くのだと信じきって。
次の朝、私を起こしたのは目覚まし時計のアラームではなく……大きな爆発音だった。
「えっ!!? な、なに!?」
それも、一度だけではない。ドッカン!! ドッカン!!と大きな音が何度も響き渡る。エミリアちゃんも飛び起きて、私に縋り付いた。
「コユキ、なに? なにがあったの?」
「わ、わかんない……」
エミリアちゃんの手は震えている。私はその小さな体をぎゅっと抱きしめて、何度も「大丈夫だよ」と繰り返す。けれど、そんな保証はどこにもない。平和ボケしている私にだって、何が起きたかすぐに分かった。この城は襲撃を受けているのだ、きっと【勇者】と呼ばれる一団によって。
「コユキ様! エミリア様がいなくて……!」
焦った表情のエゴールが私の部屋に飛び込んでくる。そして、私の腕の中にいる小さな姿を見て、安心したように大きく長く息を吐いた。そして、へなへなと崩れ落ちていく。
「よ、よかった~~。てっきり賊に攫われたかと……」
「エゴール、何があったの? 教えて!」
「先ほど、城に向かって強力な炎魔法が撃ち込まれました。それにより結界が崩れ、少数ではありますが城に賊が入ってきております!」
瞬く間にシャキッといつもの姿を取り戻したエゴールは、私の部屋にツカツカと踏み込み、本棚を動かした。その裏には、下に向かう階段がある。
「お二人は早くシェルターへ!」
「まって! おとうさまは!?」
「魔王様は先陣に立って指揮を執っておられます」
「やだ、おとうさまもいっしょがいい!」
エミリアちゃんは泣き出して、私の腕から飛び出そうとする。私はその体を押さえつけるように抱きかかえ、階段に向かう。
「シェルターにいたら安全なのよね?」
「えぇ、もちろん! エミリア様の事、よろしくお願いいたします」
「わかった。エゴールも気を付けて」
エゴールは素早く走り去ってしまう。私も泣きじゃくるエミリアちゃんを抱いたまま、一目散に階段を下り始めた。遠くから本棚が動く音が聞こえてきた。私はどんどん前に進んでいく、もう階段を下っているのか昇っているのか分からなくなった時、ようやっと開けた場所までたどり着いた。
「……ここって……」
私には見覚えがあった。私が召喚された地下室。ここと私の部屋って繋がっていたんだ。
「コユキのバカ! はなしてよ!」
エミリアちゃんは私の腕の中でじたばたと暴れる。私は座り込み、エミリアちゃんと目を合わせる
「今お城の中は危ないんだよ。私とここにいよ? ね?」
「いや、おとうさまといっしょにいる!」
「エミリアちゃん、お願いだから言う事聞いて!」
「いやっ! おとうさまも死んじゃったら、どうしたらいいの!?」
エミリアちゃんの眼から、大粒の涙が落ちる。それを見て、私はハッと押し黙ってしまった。
「エミリアだってばかじゃないもん。……ゆーしゃが来てるんでしょ? おかあさまを殺したやつら……」
「それは……大丈夫だよ、レオさん、強いから」
「でも、もしかしたら……」
おかあさまみたいになっちゃうかも、エミリアちゃんはそう続けた。私は何も言う事ができなかった。遠くから、また爆発音みたいな音が聞こえてくる。もしかしたら、今、レオさんが傷ついているかもしれない……その恐怖が私をも包み込む。
「大丈夫、大丈夫」
私はそう言いながら、エミリアちゃんを抱きしめ続けた。そう言っている内に、爆発音は遠ざかっていき、次第に静かになっていく。エミリアちゃんと私は顔を見合わせた。
「……もしかして、終わったのかな?」
私の言葉に、エミリアちゃんはこくりと頷いた。
「もう、でてもだいじょうぶよね」
「どうだろう? エゴールが迎えに来るまで待っていた方が……あ、ちょっと!」
腕の力が緩んだ瞬間、エミリアちゃんがポンッと抜けて走り出す。私はそれに追いつこうとするけれど、逃げ慣れたエミリアちゃんの方が素早い。ようやっと捕まえたと思ったら、私たちはお城の廊下にいた。廊下は閑散としていて誰もいないけれど、所々に焦げた跡や、壁が壊された痕跡が残っている。
「はやくいこ!」
「ちょ、ちょっとエミリアちゃん!」
エミリアちゃんは私の手を引っ張り再び走り出した。扉を見つけるたびに、それを開けてはレオさんを探していく。しかし、レオさんの姿はどこにもない。
「おとうさま、どこにいるの……?」
エミリアちゃんの焦りが募る。その時、遠くから足音が聞こえてきた。……敵かもしれない。私はエミリアちゃんを抱きかかえる。敵にバレて、エミリアちゃんに何かあったらどうしよう。小さな体をぎゅっと抱きしめると、エミリアちゃんは「あっち!」と壁を指さした。
「え?」
「レンガのなかで一個だけあかいのがあるでしょう? それおして」
「こ、これ?」
言われた通り赤いレンガを押す。すると、壁が動き出して、見たこともない通路が現れた。
「え? え?」
戸惑っていると、エミリアちゃんが「ほら、はやくいくわよ!」と私に声をかける。足音がどんどん近づいて来る、私は慌てて飛び込むと壁はすぐに閉じられた。
「な、なんなのこれ……?」
「かくしつうろよ。おしろにたくさんあるわ。さ、はやくいきましょう」
「うん……」
私たちは隠し通路の中を進む。行き止まりにたどり着くと、壁は自動的に開いた。目の前にはレオさんの執務室がある。
「おとうさま!」
エミリアちゃんは私の腕から飛び出してドアを開けるけれど、ここにもレオさんの姿はない。
「おとうさま、どこにいるの……?」
エミリアちゃんの声が涙交じりになってきた。私がその小さな肩に手を添えた時、再び大きな足音が聞こえてきた。
「コユキ、つぎはあっち!」
「これね!」
本棚の横にあった赤いレンガを押しこむと本棚が動き、私の部屋にあったような階段が現れた。この仕掛けはお城中にあるみたいだ。
「エミリアちゃん、よくこんな隠し通路のこと知ってるね」
階段を降りながらそう聞くと、エミリアちゃんは「エゴールがおしえてくれたの」と答える。
「……なにかあったときは、これをつかってにげなさいって」
「そっか。でもこの階段、どこにつながってるのかな」
私の部屋にあった階段よりも長い。朝から移動してばかりだからなんだか疲れてきた。出口から漏れる光が徐々に大きくなっていくのが、今の私の希望だった。エミリアちゃんも疲れてきたみたいで、私たちは何度か座り込んで休憩する。
「……おなかすいたなぁ」
エミリアちゃんがそう呟く。私もお腹がペコペコだ。
「そうだね」
「おとうさまも、おなかすいてるかな」
「何か作って持っていけたらいいんだけど、そうもいかないしね」
「ほんと! めいわくだわ、こんなときにお城をおそうなんて!」
そう憤慨するエミリアちゃんをなだめる。隠し階段を進んでいくうちに、何度か爆発音が響くのが聞こえた。戦闘はまだ続いているみたいで、その度にエミリアちゃんが私に抱き着いてくる。
歩いていると、玄関が近づいてきた。傷ついた兵士たちが横たわっている。……みな、満身創痍だ。
「……エミリア様! コユキ様! どうしてここに!?」
私たちに気づいたエゴールが近づいて来る。
「エゴール! 無事でよかった!」
「そんなのんきな事を言っている場合ですか! シェルターにいてくださいと言ったじゃないですか!」
「ご、ごめん、でもエミリアちゃんが……」
「コユキ様! いい大人なんですから、子どものせいにしないでください! ここは危険です、早く戻って!」
エゴールは近くにある隠し通路を開き、私たちを押し込もうとする。すると、キョロキョロとあたりを見回していたエミリアちゃんが口を開く。
「おとうさまは?」
「そういえば、レオさんいないね?」
「ま、魔王様は……その……」
エゴールは突然歯切れが悪くなる。そして、ちらりと廊下の向こう、大広間がある方向を見た。
「し、指揮を執るためにお忙しくいらっしゃいます! どこにいるのか申し上げることはできません!」
「おおひろまにいるのね、ありがと!」
「ど、どうして分かったのですか!」
「目は口ほどにものをいうんだよ。顔だけ見たら、すぐにシェルターに戻るから!」
走り始めたエミリアちゃんを追う。廊下の先では、エミリアちゃんは大広間の大きな扉を一人で開けてしまっていた。
「おとうさま!」
「……エミリア! どうしてここに……!」
レオさんの大きな声が聞こえてきた。てっきり叱りつけるのだと思ったけれど……そこからは何も聞こえてこない。大広間にたどり着いた私の眼に飛び込んできたのは、エミリアちゃんを抱きしめるレオさんの姿だった。
「驚かしてすまない。怖かったか?」
「……コユキといっしょだからへいき」
レオさんは顔をあげて私を見た。私は彼を安心させるように強く頷く。でも、レオさんが無事で本当に良かった。もし何かあったら……グラフィラ様のようになってしまったら、そんな不安が私の中で渦巻いていたから。元気な姿を見ることが出来たら、私も安心する。
「……よかった、無事で」
「ほら、早く戻りなさい。コユキのいう事をちゃんと聞くんだよ」
「はーい!」
エミリアちゃんもすっかり元気になったみたいで良かった。私の元へ戻ってきたエミリアちゃんに手を差し伸べる。この小さな手を守るのは、今の私の役目だ。敵はレオさん達がすぐに何とかしてくれる。
――そう思った瞬間、私の手は黒い何かに包まれ……一気に縛り上げられる。
「っ!?」
「エミリア! コユキ!」
私はそのまま宙に浮いていく。黒い何かに巻きつかれ、声を出すどころか、身動きを取ることすらできない。近くからはエミリアちゃんの泣く声が聞こえてきた。
「これ以上近づくな!」
「っう!?」
私の目の前に真っ黒なマントを着た大男が立つ。そして、目の前には銀色に光るものを突き付けられた……これは、剣だ。私が顔を動かすと、大男が顔を覗き込んでくる。
「動くな」
その声はとても冷たく、私への敵意が刺さる様に伝わってくる。怖くて動けずにいると、エミリアちゃんの泣き声に混じる様に複数の足音が近づいて来るのが聞こえてきた。そして、まだ若い女と男の声が聞こえる。
「やっと姿を現したか、王女とその食事係は」
「城中探したのに全然見つからなかったから、自分たちから出てきてくれて助かったわぁ」
「……ッ貴様ら、エミリアとコユキに何をする気だ!」
レオさんの声が大広間に響く。それに呼応するように多数の足音が近づいてきた。きっと魔国の兵隊たちだ。
「おっと、それ以上は近づくな! こいつらがどうなっていいのか!」
大男がそう叫ぶ。
「ここは魔導士の私の出番ね。――出てきなさい、氷の壁よ!」
女が長い棒(あれはもしかして、魔法の杖?)を振ると、大広間の入り口に厚い氷の壁が出現した。これで、私たち三人と侵入者たちは外とは隔絶されてしまった。
「やーーーーー!!!」
「エミリア!!」
エミリアちゃんの声が一際大きくなる。エミリアちゃんも縛り上げられ、同じように宙に浮いていた。私に向けられていた大男の剣の切っ先が、今はエミリアちゃんに向いている。エミリアちゃんの眼からは大粒の涙があふれている。
「やめろ、エミリアには手を出すな!」
「ひ、人質なら私だけで十分でしょう! エミリアちゃんを離して!」
「たすけて、おとうさま! コユキ!!」
「おい、女の方はどうするんだったっけ?」
大男の呼びかけに、誰かが笑った。
「言っただろう? その人は俺の命の恩人だと。あまり傷つけないでくれ」
その声には聞き覚えがあった。私ははっと顔をあげる。眼の前に立つその姿。そこにいたのは、見覚えのあるマントの若い男。迷子になったエミリアちゃんを見つけるのを助けてくれて、昨日なんか、美味しそうにリゾットを食べてくれた彼の姿が、そこにあった。
「まさか、うそ、だよね……ジョセフ……?」
「そのまさか、だよ。コユキ」
【彼】はマントを脱いでいく。私には見せることのなかった正体が、露わになっていく。その姿は私と全く同じ姿……。
「にんげん……?」