「え、エゴール、落ち着いてよ。見つかったんだから……」
私がそう言うと、エゴールの怒りはこちらに向いた。
「コユキ! あなたもですよ! あれだけ目を離さないように言ったのに!」
「ご、ごめんなさい……」
確かに、怒られても仕方ない。私は頭を垂れて、エゴールの話を黙々と受け入れる他なかった。
私たち二人は、エゴールに叱られながらお城に戻る羽目になった。お城に着くころにはエゴールも言いたいことをすべて言い尽くしたのか、少しはつらつとした顔をしていた。その代わり、私もエミリアちゃんもげんなりしていたけれど。
「おかえり」
玄関に着くと、まさか、レオさんが待ち構えていた。私とエゴールは「ひっ!」と小さく悲鳴を上げる。
「おとうさま!」
エミリアちゃんは嬉しそうにレオさんの元に近づく。
「エミリア、ついて行ってはダメだと言っただろう」
「ごめんなさーい」
「ふたりとも、迷惑をかけてすまなかったな」
「めっそうもないです、魔王様!」
エゴールは私をちらりと見る。私はその視線に頷いた。これは、エミリアちゃんが迷子になったという事は私たちだけの秘密にしようという合図だ。これがバレてしまったら、レオさんはきっとすごい怒る。魔王様に怒られるなんて、考えただけで恐怖でぞっとしてしまう。
「エミリア、いい子にしていたか?」
「うん! みんなでカフェにいったのよ!」
「そうか、良かったな」
二人は見つめ合ってニコニコとほほ笑んでいる。良かった、このままならバレそうにない……そう思った矢先、エミリアちゃんは口を開く。
「でも、エミリア迷子になっちゃった」
「……あっ」
「は?」
レオさんの額に青筋が走る。私とエゴールは回れ右で逃げようとしたけれど、急に足元が冷たくなったのを感じ、脚が動かなくなった。下を見ると、足首まで氷漬けになっている。
「……二人にはきちんと話を聞かなければならないようだな……」
「ひえええええ」
私とエゴールはレオさんにこってりと絞られ、その日はエミリアちゃんのご飯どころではなくなってしまった。
その珍道中は、エミリアちゃんの何気ない一言で始まった。
「ねえ、コユキ。コユキのおかあさんって、どんな人だったの?」
エミリアちゃんはおやつとして用意したスムージーを飲んでいる。その中にニンジンが入っているなんて思うまい。私はしめしめと思いながら同じものを飲んでいたら、突然そんな事を言われた。
「私のお母さん? どんな人って言われても……」
私はこの世界に来る直前に見た、お母さんの夢の話をする。私の事を必要としている人がいると言った母に文字通り背中を押されて、気づけばこの世界にやってきた。そもそも私が栄養士になろうと思ったのもお母さんの影響だということも。
「でも、この世界に来るときに荷物って持ってくることができなかったじゃない? あの中に写真も入ってたんだけど……」
思い出すと、あの一枚が恋しくなってきた。
「しゃしん?」
エミリアちゃんは首を傾げる。この世界には写真はないみたいだ。
「えっと……エミリアちゃんのお母様の肖像画あるでしょう? あれをもっと小さくした感じの物かな?」
「それなら、おかあさんのしゃしんは、コユキにとってだいじなものなの?」
「そうねー。やっぱり、ないと寂しいかな」
「……ふーん」
エミリアちゃんは少し考え込む様に俯いて、一気にスムージーを飲んでいく。そして、ぴょんっと跳ねるように席を立った。
「いきましょ、コユキ」
そう言って私の腕を引く。
「行くって、どこに?」
「おとうさまのところよ」
「レオさん、忙しいんじゃないかな?」
確か、農村部に的確に天気予報を伝える方法について有識者も交えて検討するとエゴールが話していた気がする。ただでさえ忙しい魔王様なのに、さらに仕事が増えてしまったらしい。最近、少しくたびれているようにも見える。
でもエミリアちゃんは「いいからいいから」と私の腕を引くのをやめなかった。私は観念して立ち上がり、エミリアちゃんと手をつなぎながら魔王の執務室へ向かう。ドアを開けると、以前よりもさらに書類の山が高くなっていた。レオさんの姿は全く見えない。
「どうかしたか、二人とも」
しかし、レオさんからは私たちの姿が見えていたみたいだ。机のあたりから声が聞こえてくる。
「ねえ、おとうさま! コユキをもとのせかいにかえしてあげて!」
「……へ?」
「……は?」
私とレオさんから、変な声が漏れる。
「どういうこと? エミリアちゃん」
「だって、コユキ、おかあさんの肖像画がなくてさみしいっていっていたでしょ?」
「そうだけど……」
「コユキ、魔国にきたとき、にもつをもってこれなかったって! そんなの、コユキがかわいそう! だから、肖像画をとりにいかせてあげて!」
エミリアちゃんの優しさに、思わず涙が出そうになる。
「でも、それは契約的に難しいんじゃないかなぁ?」
私とレオさんが結んだ契約、それは元の世界に戻るにはエミリアちゃんの好き嫌いをなくさなければいけない、という気の遠いもの。私のためを思うなら、今すぐにでもちゃんとご飯を食べるようになってほしい。私は長く息を吐く。
諦めきっていた私だけど、レオさんはどうやら違うみたいだった。
「そうだな……」
私は顔をあげる。レオさんの表情は書類の山で見えないけれど、その声音はとても優しいものだった。
「エミリアの言う通りかもしれない」
「へ?」
「確かに、コユキに何も持たせないまま召喚してしまったこちらの落ち度だ。すまない、コユキ」
「いやいや、大丈夫ですって!」
「そうはいっても、コユキにも大事な物はあるだろう。よし、一時的に帰る許可を与える。エゴール、魔方陣の用意だ」
「かしこまりました!」
エゴールはぴょんっと姿を現し、跳ねるように姿を消していく。とんとん拍子で一時帰郷が決まってしまった。
「あとは誰をともに連れていくか、だ」
「別に一人でも大丈夫ですよ。自分の家ですし……」
「コユキのことを疑っているわけではないが、万が一、億が一でも【逃亡】という可能性もある」
「な、なるほど……」
「気を悪くしたならすまない。しかし、危険は排除するべきだ」
「つれていくなら、エゴールじゃない?」
エミリアちゃんがそう口を開く。私はさっと体が冷たくなっていくのを感じていた。
「そうだな。エゴールなら信頼できる。エゴール、コユキと共に……」
「ま、待って! ストップ! エゴールじゃダメです!」
「どうしてだ? コユキだってエゴールと親しくしているだろう?」
「仲がいいとか悪いとかの問題じゃなくて、私の世界にはエゴールみたいなゴブリンはいませんよ! エゴールの姿が他の誰かに見られたら……きっと捕まえられて、おもしろ珍動物ってSNSに晒されて、死ぬまで飼い殺しにされるに決まってます!」
今度は、レオさんの顔色がさっと青ざめて行くのが分かった。
「それなら、厨房のスライム……」
「スライムさんもいませんから!」
「まったく、コユキのせかいってめんどうなのね。だれならいいのよ?」
私と姿かたちが似ているのは、このお城には二人しかいない。ツノが生えているけれど、この際仕方ない。
「レオさんなら、私の世界に溶け込みやすいかと……ちょっと目立つけれど」
「……なるほど、そういう事ならば仕方ない。私が行くとしよう」
レオさんが勢いよく立ち上がった。
「でも、忙しいんじゃ……」
「コユキの世界を見学する、またとない絶好の機会だ。実は以前から興味があったんだ」
「おとうさま、ずるい! エミリアも行きたい」
「だめだ。また迷子になったら困るだろう?」
エミリアちゃんはほっぺを膨らませて、ぷいっと横を向いた。
執務室の外が賑やかになったと思うと、再びエゴールが姿を現す。
「魔王様、魔方陣の用意ができました!」
「わ、早い!」
「善は急げと言うだろう。さあ、早く行ってしまおう」
私はレオさんとエゴールのあとについて地下室に向かう。やがて、見覚えのある部屋にたどり着く。
「ここって、私が初めて来た部屋?」
「そうだ」
真っ暗な部屋、ろうそくに火がともっているけれど、その灯りだけでは心もとない。目を凝らすと、床に何か書かれていることに気づいた。
「これが魔方陣……」
「行先は?」
レオさんがそう尋ねると、どこからともなく真っ黒なマントの集団が現れた。私が驚いて小さく悲鳴を上げると、エゴールが「我が国の優秀な魔導士たちです」と耳打ちをする。
「コユキ様が魔国に転送された直後の時間、ご自宅前に召喚できるよう設定済みです」
「わかった。始めてくれ」
「はっ!」
何かの呪文の詠唱が始める。早口すぎて何を言っているのかわからない。それが進むにつれて、緊張で心臓の鼓動が早くなっていく。レオさんは私のそんな様子に気づいたのか肩を叩き、微笑んで「大丈夫だ」と言ってくれた。私は大きく息を吸って、肩の力を抜く。その時、地下室の扉がバンッと開いた。
「わたしもいくー!」
「エミリア!」
エミリアちゃんが部屋に飛び込んできた瞬間、魔方陣が強い光を放つ。それが眩しくて、私はぎゅっと目を閉じた。途端に感じる浮遊感、そして足に伝わる衝撃。目の前には自宅のアパート……だったはずが、私たちはなぜか近所のコンビニの前にいた。エミリアちゃんは目を輝かせて嬉しそうにしている。レオさんを見ると額に青筋がたっていた。
「エミリア! だめだと言っただろう!」
「だってぇ……コユキと一緒にいたいんだもん! おとうさまだけおでかけなんてずるい!」
「早く戻れ! ……と言いたいところだが、何度も転送を繰り返すのは魔術師たちの負担になる。私たちが帰れなくなるかもしれない。……いいか、くれぐれも私たちから離れるなよ」
「はぁーい!」
エミリアちゃんは私の手をぎゅっと握った。今度こそその手を離さないよう、私も強く握り返す。エミリアちゃんは目の前のコンビニを見上げ、「わぁ」と嬉しそうな声をあげた。
「ここがコユキのおうち? キラキラ光っててすてきね!」
私は「違うよ」と首を横に振った。
「ここはお店なの。うちはもっと地味よ」
「ふむ。何を取り扱っている店なんだ?」
意外だ、レオさんが食いついてきた。
「えっと、ご飯とか飲み物とかおかしとか……とにかく、色んなものが手に入る便利なお店なんです」
「おかし!?」
「ふむ、興味があるな」
そんな事を言って、レオさんが歩き出した。興味津々なのはエミリアちゃんも同じなようで、親子でコンビニに向かう。……ちょっと待てよ、この二人がコンビニに入ってしまったらどうなるだろうか? 黒いマントの男と、日本ではあまり見ないふわふわワンピースの女の子。見た目は人間に近いけれど、二人にはツノが生えていて、それはまるでコスプレ。ハロウィンならまだしも、今日は何のイベントもない日。……不審以外のなにものでもない!
「ちょっと待った二人とも! 勝手に動かないで!」
ふらふら〜と、まるで明るい電球に向かって飛んでいく虫のように二人はコンビニに引き寄せられていく。目を離すと迷子になってしまいそう。エミリアちゃんのこういうところはレオさんに似たわけだ。私の右手はエミリアちゃんの手を、左手はレオさんの服をぎゅっと掴む。
「早くうちに行きましょう! これ以上ここにいたら目立っちゃう!」
「えー、こんびにいきたい!」
「うちに来たらもっと良いものあるから! ほら、レオさんも早く!」
私は家路を急ぐ。何か興味があるもの(例えば、車とか、信号機とか、自転車とか、公園の滑り台とか、郵便ポストとか……あげていったらきりがないくらい)があったら、そちらにフラフラと行ってしまいそうになる。がっちりとまるで手綱を握るみたいに二人を引っ張りながら、ようやっと家に辿り着く事ができた。
「あ、鍵ない!」
ここで致命的なミスに気づく。そうだ、私の家の鍵は今、大学の図書館にある荷物の中だ。
さっと顔が青ざめていく。せっかく帰る事ができたのに、目的を達成できないまま、また魔国に戻るのか……がっくりと肩を落とすと、後ろからレオさんの手が伸び、ドアノブを握った。次の瞬間、ガチャリと鍵が開く音が聞こえて来る。
「え! 開いた?!」
レオさんを見上げると、彼は深く頷いていた。交代するように私がドアノブを下げ、そのまま引いていくとドアがゆっくりと開いた。
「すごい! レオさん、ありがとう!」
「いや、大したことではないさ。簡単な魔法だ」
レオさんは少し照れた様子で、さっと顔を背けてしまう。その仕草がおかしくて、私の顔に笑みが溢れる。そのままドアを大きく開け、靴を脱ぐように伝えてから二人をアパートの一室に迎え入れた。
「ねえ、コユキ。コンビニよりいいものってなに?」
そうだった、無理矢理連れてきたのだった。エミリアちゃんは少しご立腹だ。
「え、えっとねぇ……」
私は部屋を見渡す。狭いワンルーム、必要最低限のものしかない部屋。彼女が喜びそうなもの……そうだ!
「テレビ! 魔国にないでしょ?」
「てれびぃ?」
私はテレビを指さす。しかし、エミリアちゃんは「まっくろな板じゃない」とご機嫌が直らない。私はリモコンを探し出し(狭くてもリモコンってすぐなくなってしまう)、電源ボタンを押す。すぐに画面に番組が映り出す。二人は飛び上がるほど驚いていた。
「な、なにこれ!」
「コユキ、板の中に人が!?」
二人の反応が新鮮で面白い。もっと喜んで欲しくて、私は番組表を見る。ちょうど子供向けのアニメがやっている時間だ。チャンネルを切り替えると、二人はまたびっくりして体を大きく振るわせる。
「すごーい! 動くえほんだ! しかもおしゃべりもしてる!」
すっかりエミリアちゃんはお気に召したみたいだ。テレビに向かって前のめりになったり、触ったりしている。レオさんは不思議そうに首を傾げていた。
「何なんだ、この【テレビ】というものは……こちらの世界に魔法はないと聞いていたのだが」
「私も詳しい仕組みは分かりませんが、電波を使って映像を受信する機械です」
「映像というと、動く肖像画や絵本みたいなものか?」
「まあ、そんな感じのことをイメージしてもらえればいいのかな?」
「ふむ……これはどんな映像を受信しているのだ? 子供向けのものだけなのか?」
レオさんも興味津々にテレビを見つめている。まるで子供みたいな横顔だ。
「それだけじゃなくて、ドラマ……演劇みたいなものを放送したり、ニュース……その日にあった出来事をお知らせしたり、天気予報もあったり。そうだ、料理番組もあるんですよ」
「ふむ、多岐にわたるわけか。すごいな、こちらの世界は」
真剣にテレビを見つめるその横顔にふっと笑みが溢れた。その笑顔を見ると、何故か嬉しくなってしまう。魔国親子がテレビに夢中になっている間に、持っていく写真を選ぶために私はアルバムを取り出す。私が悩んでいると、エミリアちゃんが見ていたアニメ番組は終わってしまい、繋ぎのためのコマーシャルが流れていた。レオさんは「これは広告か?」とすぐに気づく。
「……おいしそー」
エミリアちゃんから漏れたその言葉を、私は聞き逃さなかった。私はアルバムからテレビに視線を移す。ちょうどピザのCMをしていた。とろりと伸びるチーズはたしかに美味しそうだ。
「コユキ、これはなに?」
「ピザっていう食べ物だよ」
「へぇ……たべてみたいなぁ」
そう言ったエミリアちゃんのお腹がぐうっと鳴った。続けて私のお腹も。……これは、チャンスなのかもしれない。
「エミリアちゃん、ピザ、食べようか?」
「いいの!? コユキ、ピザ作れる?」
「作れるけど……せっかくこっちの世界に来たんだし、テレビのピザと同じものを注文しようよ」
私は棚から貯金箱を取り出す。当てもなく貯めていたお金、ピザを注文しても大丈夫なくらいはあった。
「どうやって注文するんだ?」
「電話でもできるんですけど……」
けれど、私のスマホは鍵と同様に大学の図書館にある。こうなったら、もう一つの手段で頼むほかない。私はテーブルの上に置きっぱなしにしていた白いノートパソコンを立ち上げる。レオさんはこちらにも身を乗り出す。
「これは?」
「パソコンって言って……文章を書く事ができたり、計算したり……とにかく、色んな事ができる機械です!」
「こんな薄い板でどうやって……」
パソコンの仕組みなんて私にはわからないので、適当な説明になってしまう。レオさんはパソコンをあらゆる角度から観察している。
「なるほど、この下に付いている板で文字を入力できるのか」
私が検索バーに宅配ピザ屋の名前を打ち込んでいるのを見て、レオさんはふむふむとなにかを理解したように頷いている。
「わたしもみたい!」
エミリアちゃんが私の膝に乗り、パソコンの画面を食い入るように見つめる。そこには彼女が食べたがっているピザの写真がたくさんあって、エミリアちゃんは「わぁ!」と嬉しそうな声を上げた。
「おいしそ〜。コユキはどれがすき?」
「えっとね……まずはマルゲリータかな。一番スタンダードっぽいし。あとは、これとこれとこれっと」
私はささっとマウスを動かして決済画面まで進んでいく。あまりの素早さに、エミリアちゃんもレオさんも、きょとんとした表情をしていた。
「4つも注文するのか? 三人で食べきれるか……」
「一つのピザに4つの味が乗っているのを注文したんです。折角だから、エミリアちゃんとレオさんに色んな種類食べて欲しいし。それに……」
私はレオさんの袖を引っ張り、耳打ちをする。
「エミリアちゃんが食に興味を持った絶好のチャンスなので、嫌いな野菜やエビのピザも注文しちゃいました」
「なるほど。エミリアに見せないようにあんな速さで注文していたわけか」
私たちの話に興味がないのか、エミリアちゃんはまたテレビを真剣に見始めていた。ニュース番組になっているけれど、楽しいのかな?
「しかし、想像していたよりも便利な世界だな。コユキの世界は……この【テレビ】や【パソコン】があればもっと我が国も豊かにすることができるかもしれない」
レオさんはパソコンを持ち上げたり、画面に触れたりしている。私は文字の打ち方など使い方を簡単に説明している内にチャイムが鳴った。私はお金を用意して玄関に向かう。
「こんばんは、ハッピーピザのお届けです」
「はーい」
配達員とお金のやり取りをしていると、エミリアちゃんが玄関までやってきた。
「コユキ、それが【ピザ】?」
「う、うん。すぐ持っていくから戻ってて……」
エミリアちゃんは目を輝かせながらピザを見つめている。その視線に気づいたのか、配達員はにっこりと笑う。
「お嬢ちゃん、素敵なツノつけてるね。コスプレパーティーでもしてるの?」
「ふふん! そうでしょう? このツノは【おうけ】のあかしなのよ」
「あははっ! そういう遊びなのかな?」
「あそびじゃなーい! しつれいしちゃうわ!」
ぷんっと怒って顔を赤くするエミリアちゃん。私は冷汗を流しながら、お金を渡した。配達員は笑いながら帰っていく。
このツノ、王家の証だったんだ……新事実を知ってしまった。
「もう! このせかいのひとはみんなああなのかしら」
「気を取り直してよ、エミリアちゃん。ピザきたよ」
テーブルの上に置いてあったものをすべて避けて、ピザの箱を置く。私は台所の戸棚から飲んでいなかったジュースを取り出して、氷を入れたグラスに注いでいった。
「じゃあ、箱開けるよ」
「わーい!」
箱を開けると、わずかに湯気が立ち上った。『チーズたっぷり』のオプションを付けたから、野菜やエビはチーズの下に隠れている。さっきまで怒っていたエミリアちゃん、今度はニコニコと笑っている。
「さっそくいただきましょう。コユキ、フォークとナイフを」
「ピザは手で食べるんだよ。熱いから注意してね」
「手で? それはコユキがつくる【おにぎらず】と一緒だな」
二人にお手拭きを渡す。レオさんが先にピザ、マルゲリータの部分を手に取り、私も続く。エミリアちゃんは私たちを手本にするように、恐る恐るピザを手に取ろうとした。
「いただきます……」
エミリアちゃんはふーふーと少し冷ましてから、一口かじる。私たちはその様子を見守った。エミリアちゃんは目を大きく見開き、そして「おいしい!」と大きな声を出す。
「あ、エミリアちゃん、チーズが」
とろりと伸びていくチーズに、エミリアちゃんは目を輝かせる。
「コユキ、これ、すっごくすっごくおいしいわ!」
「そんなに旨いのか?」
「うん! コユキ、これつくれる?」
「もちろん。いつでも作ってあげるよ」
「やったー!」
レオさんも一口食べて「旨い」と頷いている。エミリアちゃんはあっという間に一枚目を食べて、二枚目……野菜たっぷりミックスピザに手を伸ばしていた。勢いそのまま、大きな口を開けてかぶりつく。そして「これもおいしい」と笑顔で言う。私が作った料理でここまでの笑顔を引き出せたことはなかった。さすが大手ピザ屋……けれど、そこまでショックではなかった。エミリアちゃんの好き嫌いを直す糸口がつかめるような気がする。そう思えば、このピザだって私にとっては立派な教材の一つ。レオさんはエミリアちゃんが瞬く間にピザを食べていく様を見て驚いている。そして、私を見てニヤリと笑った。しめしめ、嫌いな野菜や魚介類が入っているとも知らないで……彼の目がそう語っている。私は同じように笑いかえす。
ピザはあっという間になくなってしまった。エミリアちゃんはまんぷくになったお腹を撫でながら、少し眠たそうにしている。私は写真と、これから参考になるかもしれない、とレシピ本や大学の教科書を持っていく。
「もういいか? しばらく戻ってくることはできないのだから、後悔がないように」
先に玄関に来ていたレオさんが私を見てそう聞いた。私は頷く。
「大丈夫です。大事な物は持ったので」
「わかった。魔国に戻ろう」
なんだか、レオさんのマントの中が膨らんでいる気がする。しかし、レオさんはさっさと歩きだしてしまった。私はエミリアちゃんとしっかり手をつないで、先ほどのコンビニにもう一度向かう。出現した場所に行かないと魔国に戻ることはできないらしい。コンビニの事が気になって仕方がない親子二人を何とか押しとどめて、私は魔国に戻ることにした。三度目の召喚、慣れたものだ。
「おかえりなさいませ!」
エゴールが待ちわびていたみたいで、魔国に着いた瞬間、飛びつく勢いでそう声をかけてきた。
「エゴール、技術部にこれを運んでくれ」
「これはなんですか?」
レオさんがマントから何かを取り出した……私はぎょっと目を丸める。
「ちょっと! それうちのテレビとパソコンじゃないですか!!」
「コユキの世界の便利なアイテムだ。解析して、我が国でも使えるようにしたい」
「かしこまりました!」
「しばらく借りるぞ、コユキ」
「え、ちょっと待ってください! 解析って……もしかしてバラバラにするつもりじゃ……」
恐る恐るそう尋ねると、レオさんは視線を私からそらした。これは絶対に、バラバラに解体されてしまうに違いない。それだけは阻止したいけれど、テレビとパソコンを持ったエゴールは光の速度でいなくなってしまう。
「大丈夫だ、コユキが帰るまでには必ず元通りにする……多分」
「多分じゃ困るんですけど!」
「それでは、仕事を残しているの失礼する」
「ちょっと、逃げるな!」
私がレオさんのマントを掴もうとすると、彼はモヤとなって姿を消してしまう。私ががっくりと肩を落とすと、エミリアちゃんがきゅっと手を握ってくれた。
「コユキ、げんきだして」
「……でるかな、元気」
「おとうさまにまかせておけばだいじょうぶよ! だって、おとうさまは魔国いちのまほうつかいでもあるんだから!」
エミリアちゃんは胸を張っている。
「魔法でパソコン、直せるかな……」
「いざとなったら、エミリアがなおしてあげるから! ……まだまほうつかえないけど。そうだ、コユキ! コユキのおかあさまのしょうぞうが、みせて」
しょんぼりと肩を落としたまま、私はエミリアちゃんに引っ張られて自室に向かう。テーブルに写真を広げると、エミリアちゃんは感嘆の声をあげた。
「すごい、コユキのせかいのしょうぞうがは、こんなに小さいのね……」
「肖像画じゃなくて写真っていうんだけどね。これが最後に撮った写真ね」
私は小学校の入学式の写真をエミリアちゃんに見せる。
「このちいさい子がコユキ? かわいい!」
「そう? ありがと」
エミリアちゃんなりに気を使ってくれているのが分かる。私も少しはシャンとしなきゃと、背筋を伸ばした。
「たのしかったなぁ、コユキの世界。てれびはおもしろかったし、ピザはおいしかったし」
私はここでネタ晴らしをする。
「エミリアちゃんが食べたピザ、お野菜とか海老とか入ってたんだよ。気づいてなかったみたいだけど」
「うそ!」
「ちゃんと食べる事できたじゃん。普段もこうだといいんだけど……」
「うーん、気づかなかった。……たのしかったからかな?」
「ん?」
エミリアちゃんは私の目をまっすぐ見つめる。
「おとうさまとコユキと三人で、コユキの世界にいって、ピザたべたのがたのしかったの」
そして、満面の笑みを見せる。それが何だか嬉しくて、私も同じように笑っていた。
「今度は私がピザを作るからさ、また三人で食べようよ」
「いいよ! でも、そのときはおやさいなしね」
「それはダメ」
「……えー、ほ、本日は、エフニルを使った、ろ、ローストビーフの作り方を紹介します」
私の目の前には黒い水晶玉が浮かんでいる。それ以外にも、この【スタジオ】にはスタッフのゴブリンが大勢いて、私についてきたエゴールを見つけるのが難しい。それに、緊張のあまりそれどころではない。私は今、魔国の国民全員に【料理を教えている】のだから。
一時的な里帰りの数週間後、技術部によるテレビの解析が終わった(ばらばらになってしまったテレビを見て、私はめまいを起こしてしまった。その近くでパソコンもばらばらになっていた。泣いた)。そしてその翌週には、国全土に向けての【テレビ放送】が始まった。
さすがにまだ家庭に1台のテレビを用意することはできなくて、集会所や大きな公園などに設置した。番組の内容もニュースや天気予報といった生活に欠かせないもの。天気予報が分かりやすくなったおかげで、野菜の生育がスムーズになって、青果店の店長も大喜び。そして、なぜか私が出演する料理番組も始まってしまった。エミリアちゃんの食事だけじゃなくて番組用の料理の考案。最近、私の脳みそと調理室はフル稼働だ。
それに、最近料理番組のせいで城下町に行きづらい。
「あら、コユキ先生だわ」
「ほんと! 今日のテレビ見たわよ、美味しそうだったからうちも今日真似してみようと思って」
「コユキ先生、次はどんな料理をつくるのかしら?」
それに、城下町に行くたびに、こんな風にモンスターの奥様方に囲まれるようになってしまった。「先生」なんて呼ばれるほど立派な人間じゃないのに……呼ばれるたびに、なんだか恥ずかしくなってしまう。けれど、良い事もたくさんあった。奥様方に魔国の食材について教えてもらったり、情報交換をしたり。今日使った【エフニル】なる食肉もそう。私の世界にある牛肉と食感が似ていたから、ローストビーフ風にアレンジしてみた。出来上がった料理を、カメラ代わりの水晶玉がドアップで撮っていた。
撮影が終わり、椅子に座り込むとエゴールが水を持って近づいて来る。
「お疲れさまでした、コユキ様! 料理番組の評判は上々ですよ」
「でも、アレには負けるんだよね……」
「仕方ありませんよ。気軽に楽しめるエンターテイメントには勝てませんから」
ニュース、天気予報、料理。始まった番組はそれだけじゃない。私の世界でエミリアちゃんが食い入るように見つめていた、子ども向けのアニメや教育番組。それらは子どもだけじゃなくて、大人の間でも流行っているらしい。教育番組の中には文字を教えてくれるものまであって、田舎の識字率が徐々に上昇しているというデータも上がってきた。どうやらレオさんは、教育に力を入れる方針にしたらしい。
「さて、コユキ様! 次はお弁当作りですよ!」
「ホント! 急がないと」
その一環として、明日から幼稚園が開園されることとなった。まずはこの国の将来を担う子どもを育成していくために。しかも、幼稚園には無料で通うことができるらしい。レオさん、とても太っ腹な魔王様だ。
「しかし、エミリア様は上手くやっていけるでしょうか……」
そして、その幼稚園にはエミリアちゃんも通うことになっている。エミリアちゃんはもう朝からそわそわとしていて、どことなく表情も硬い。緊張しているのが見ているだけで伝わってくる。
「エミリア様は今まで同年代の子どもと接することはありませんでしたから。わがままを言っていじめられるのではと、不安で不安で……」
緊張しているのはエミリアちゃんやエゴールだけではなく、レオさんも同じみたいだった。この一週間で仕事のミスが増えたり、うわの空になってはしょっちゅう壁にぶつかっている。
「まあ、先生も見てくれるんでしょ? 大丈夫だって。さーて、私はエミリアちゃんが楽しんでくれるお弁当を作るかな」
幼稚園にはお弁当が必須で、私はそれを作る役目も担っていた。初登園の日くらい、好き嫌い克服を忘れて彼女が食べられるものだけを入れようかな、なんて考える私も少し不安になっているのかもしれない。
「試食、お手伝いしましょうか?」
「いや、良いって。エゴール、テレビの仕事忙しいんでしょ? あとで差し入れ行ってあげるよ」
エミリアちゃんのお弁当のあまりだけど。それは言わないでおこう。差し入れと言う言葉にエゴールはとても喜んでいる。
私は別のスタジオに向かうエゴールと別れて、調理室に向かっていた。
***
「不安だ」
翌朝、エミリアちゃんは強張った表情のまま幼稚園へ向かっていった。その一時間後、同じような顔をしたレオさんがそう呟くのが、お茶の差し入れに行った私の耳に飛び込んできた。仕事に集中できない様子で、書類の山は全く減っていない。
「あの子は上手くやれているだろうか。いじめられたりしないだろうか」
「心配しすぎですって。子離れも大事ですよ」
「そう簡単に言わないでくれ。あの子はこの城ではない場所で過ごすのは初めてなんだ。今頃不安で泣いているかもしれない」
レオさんは貧乏ゆすりを繰り返す。確かに、私も少し心配だけど……。
「それなら、幼稚園なんて作らないでずっとお城で見ていれば良かったのに、っておもうんですけど」
「それはそうだが……あの子は将来魔女王となり、この国を背負って立つ身。国民を第一に考えられるようになるには、幼いうちから国民と接しておく必要があるはずだ。私には貴族の子ども達が友人となってくれたが……」
レオさんは大きくため息をついたと思えば、目をカッと開いた。
「コユキ、エゴール、今暇か?」
「私は暇でございます!」
「いや、エゴール、レオさんの仕事代わりにやってたじゃん。私も、来週の番組の用意が……」
私の言葉なんて耳に入っていないようだ。レオさんは私をまっすぐ見つめて、とんでもない事を言い放った。
「エミリアの様子を見に行ってほしい」
「ほら! どうせそんな事を言うと思った」
「コユキ様、参りましょう!」
「だから、心配しなくても大丈夫だって……」
「魔王様の命令を背くつもりですか!?」
エゴールは指を振ったと思えば、私の体はふわりと浮いた。どれだけ抵抗しても宙に浮いたままではそれは敵わず、私はそのまま外に連れ出されてしまった。レオさんからの【特命】を受けたエゴールは張り切っている。
幼稚園は、魔王城から歩いて数分の場所にある。エミリアちゃんが通いやすいようにそこに作られたらしい。私たちは生け垣の隙間から園庭を覗き込む。
「あ、いましたよ、エミリア様!」
「え? どこどこ?」
エゴールが指さす方向を見ると、女の子モンスターに囲まれたエミリアちゃんの姿が見えた。ニコニコと笑っていて、リラックスしているのが見ているだけでわかる。私もエゴールも胸を撫でおろした。
「……何をしてるんでしょうかね?」
エミリアちゃんたちの手元には何かオモチャがあるのがわかるけれど、どんな遊びをしているのか、声が聞こえてこないのでわらかない。
「まあ、エミリアちゃんが楽しそうにしているならいいんじゃない?」
「そうですね。魔王様にもいい報告ができます」
レオさんはお城の中できっとそわそわしているだろう。早く帰って様子を教えてあげよう……そんな事を考えていると、園舎から先生らしき人が出てきた。
「みんなー! お昼ご飯の時間ですよー!」
子ども達は一斉に「はーい」と返事して、おもちゃを片づけ園舎に向かっていく。帰ろうとするエゴールを鷲掴みにして、私はここにとどまることにした。
「なんですか、乱暴はよしてくださいよ」
「どの口がそんなこと言ってるのよ! エミリアちゃん、これからお弁当を食べるみたいだから、それだけ見せて!」
「まったく、仕方ないですねぇ……」
ありがたいことに、エミリアちゃんはちょうど園庭側の席に座っていて、その様子がよく分かる。周りの子ども達と同じように手を合わせて「いただきます」と言ってから、そわそわとお弁当を開けた。その表情がふわっとほころぶのが見えて、私はほっと安心する。
「お弁当、何を入れたんですか?」
「サンドイッチと、ウィンナーとカボチャのサラダ、それとゆで卵」
サンドイッチはハムチーズとジャム。ウィンナーはタコさんにして、ゆで卵は白身の半分ほどを切り取って、黄身に顔を描くように黒ゴマを付けた。カボチャのサラダはエミリアちゃんが嫌がらずに食べてくれる数少ない野菜料理。他の子たちを同じように、ちゃんと食べてくれている。
「これなら安心ですね」
エゴールはほろりと涙をこぼしていた。赤ちゃんの時から見てきたエミリアちゃんの成長にじんわりと感動しているのだろう。私もその言葉に頷こうとしていた。
(……あれ?)
お友達と楽しそうに話しながらお弁当を食べていたエミリアちゃんの表情が、ほんの少しだけ曇ったように見えた。
(どうしたんだろ?)
私は身を乗り出してエミリアちゃんの様子を窺う。その時、生け垣ががさっと音を立てた。
「ちょっと、コユキ様、これ以上は……!」
私の事を止めようとするエゴールは、そこで声を止める。大きな影が私たちを覆いかぶさるのに気づいたからだ。ぎこちなく振り返ると、ピンクのエプロンをかけた大きな鬼のモンスターが私たちを見下ろしていた。幼稚園の先生だ。
「お城の方々、困ります。王女様の事が気になるのは分かりますが、こうやって見張られては、健全な保育は出来ません」
「すみません! すぐ帰りますので!」
エゴールは私をひきずり、そのまま一目散にお城に向かって走っていった。
お城についてから、エゴールはさっそくレオさんにエミリアちゃんの様子を報告しに行っていた。私は夕食と明日のお弁当の支度をするために調理室にこもったけれど、あの表情が何度も頭をよぎり、いまいち集中できずにいた。頭を働かせるために糖分でも取ろう、そう考えた私は生クリームを泡立て始める。しっかりと生クリームの角が立ったころ、幼稚園の制服のまま、エミリアちゃんが調理室にやってきた。
「ただいまー! コユキ、みて! おべんとう、ぜんぶたべたよ」
そう言って、お弁当箱の蓋を開ける。すっかり空になっていたそれを見て、私はほっと胸を撫でおろす。やっぱり気のせいだったみたい、と。
「良かった! そうだ、エミリアちゃん、お腹空いてない?」
「すいた。おやつある?」
「これからパンケーキでも焼こうかなって思ってたところなの。生クリームもたっぷりつけて。エミリアちゃん、食べていく?」
「たべる! あ、ふくきがえてくるから、まってて!」
慌てて飛び出して行くエミリアちゃんを見送り、私はパンケーキを焼き始める。晩御飯が食べられなくなったら困るから、あまり大きく焼くのはやめておこう。生クリームは余ったら冷凍しておいて、今度別の物にアレンジしよう……そんな事を考えている内に、いつものふんわりとしたワンピースを着たエミリアちゃんが戻ってきた。
「いただきまーす!」
ミニサイズのパンケーキに、生クリームとフルーツ。エミリアちゃんだけじゃなくて私の眼もキラキラ光っているに違いない。
「エミリアちゃん、幼稚園はどうだった?」
一口食べると、クリームの甘さとフルーツの酸味がいい感じに調和している。エミリアちゃんは口の端っこに生クリームを付けていたから、それを手拭きでさっと拭いながら聞いてみた。エミリアちゃんは少し首を傾げて「うーん」と唸り声をあげる。
「も、もしかして楽しくない!? 誰かいじわるする子がいるとか……?」
「ううん、ちがうよ。幼稚園はたのしいよ、みんなであそんだり、うたをうたったり……でも、おべんとうの時間がね」
エミリアちゃんはフォークを置いて少しうつむいた。
「コユキが作ってくれたおべんとう、おいしかったよ。けどね、みんな、おかあさんがつくってくれるの」
彼女が感じた寂しさ、私には覚えがあった。遠足の時、周りの皆はお母さんが作ったお弁当なのに、私だけコンビニで買ったおにぎり。みんなが羨ましくて仕方がない。あの日の寂しさが胸の中に痛みを伴って蘇る。
「いいなっておもっちゃった。コユキがつくってくれるのが嫌なわけじゃないの。でも、おかあさまだったらどんなおべんとうつくってくれるかなって」
エミリアちゃんの声が、わずかに震えているような気がした。私がその小さな肩にそっと手を乗せると、エミリアちゃんはぱっと勢いよく顔をあげる
「あーあ、コユキがおかあさんだったらいいのに!」
「……へ?」
「だって、コユキはやさしいし、りょうりもじょうずだし。おかあさんってそういう人なんでしょ?」
「でも一概にそうは言えないんじゃないかな……?」
「おとうさまに話してこようかな? 『コユキのこと、エミリアのおかあさまにして』って!」
私は飛び出して行こうとするエミリアちゃんを抑える。
「れ、レオさんだって、急にそんな事言われたらびっくりしちゃうよ?」
「えー、いいとおもったんだけどなぁ」
エミリアちゃんはがっくりと肩を落とす。エミリアちゃんに悪いけれど、その案に乗ることはできない。
(だって、それって……レオさんと私が結婚するってことでしょ? ないない)
私の口からは乾いた笑いが漏れた。
***
エミリアちゃんが幼稚園に慣れた頃、おたよりを持って帰ってきた。エミリアちゃんは少し緊張した面持ちでそれをレオさんに渡す。私はそれを後ろから覗き込むけれど、文字が読めないから何が書いてあるのかはさっぱり分からない。そんな私を尻目にレオさんは「ほー」と声をあげた。
「幼稚園でお泊り会をやるのか」
「へー! 楽しそうだね、エミリアちゃん」
しかし、エミリアちゃんは少し難しい顔をしている。レオさんはそれに気づいて、声をあげて笑った。
「なんだ、緊張しているのか?」
「……だって、お城いがいのところでおとまりなんて、したことないもん……」
「お友達と一緒に晩ご飯食べたり、みんなで並んで寝るのも楽しいよ」
私も子どもの頃、林間学校でお泊り会をしたものだ。懐かしい。
エゴールはおたよりを何度も読み返し、胸をどんと叩く。
「必要なものは全て私が揃えるのでご安心してください、エミリア様。可愛い寝間着も用意いたしますので!」
「ホント? みんなのよりかわいい?」
「もちろんでございます!」
エミリアちゃんの顔に笑顔を見せる。私とレオさんは顔を見合わせてほっと胸を撫でおろすけれど、レオさんはすぐに顔を反らせてしまった。
(……あれ?)
なんだか、いつものレオさんじゃないみたいだ。私はどこか具合が悪いのかと聞いてみようとしたけれど、彼はエゴールに「お泊り会のこと、よろしく頼む」と言っていなくなってしまった。そう言えば、最近あまりレオさんと話をしていない気がする。……何か気に障るような事をしたかな?
「ねえ、コユキもねまきえらぶのてつだって!」
エミリアちゃんがそう言って私の手を握る。私は「もちろん」と返すと、彼女はにっこりと笑った。
お泊り会の日はあっという間にやってきた。エミリアちゃんはリュックサックに荷物を詰め込み、やっぱり緊張した面持ちでお城を出発した。今日はお弁当も晩ご飯も作らなくていいし、しばらく料理番組の撮影もない。この世界に来て、こんなに時間が余るのは初めてだった。だからと言って、やることはあまり変わらない。
「次の番組、何作ろう。そろそろネタ切れなんだけどな……。ねえ、エゴールは何がいいと思う?」
この前の里帰りの時に持ってきたレシピ本をぺらぺらめくりながらエゴールにそう問いかける。しかし、返事はない。
「ねえ、エゴールってば」
顔をあげると、そわそわと落ち着かないエゴールがいた。
「……なに? エミリアちゃんの事が心配なの?」
「当たり前じゃないですか! エミリア様がお城の外で過ごすなんて初めてですし、何かあったら一大事ですぞ」
「でも、幼稚園の周りはいっぱい警備兵で囲ってるんでしょう?」
万が一、襲撃を受けたとしても大丈夫なように精鋭部隊を派遣していると自慢していたのはエゴールだ。それでも、気になって仕方がない様子。私は呆れながらせわしないエゴールを見ていると、大きな音を立てて調理室のドアが開いた。