後宮で宴が催されるという噂はあっという間に広まった。帝の声のかからない女ばかりなのである、皆目の色を変えたように躍起になって自らを着飾った。慶子も例外ではない。

「咲! 早く私の髪をとかしなさい! 香も焚いて! あぁ、麝香は駄目よ、以前帝にお目通りした際にあまり好印象ではないようだったわ、今日は白壇を焚いて!」

 一度慶子に帝から声がかかったことで、しばらく他の女御たちからの嫌がらせがあったが、慶子はその嫌がらせすら気分が良いようであった。実際に男女の営みは何もなかったのだが、帝に呼ばれたという事実だけで、優越感に浸れたのである。

 だが、それも一度きりのこととなると今度は他の女御はおろか、女官たちも慶子のことを鼻で笑い始めるのだ、「帝のお眼鏡にかなわなかったのだ」と。こう噂されると慶子は面白くなかった。持ち前の気の短さを発揮して、咲子に当たり散らすのであった。

「今回の宴で必ず帝の気を引いて見せるわ! 咲! いつものように私の足を引っ張るようなことをしたら絶対に許さないから!」

 咲子はただただ慶子の𠮟責に耐え、慶子の支度を整えるのだった。

「やっぱりおまえは出なくていいわ。おまえのように醜い女を連れているなんて帝に知れたら私の格が下がるのよ。奇妙な頭巾のおまえは宴には出ずにここで大人しくしていなさい」

 すっかり支度を終えた慶子は侍る咲子にそう告げた。咲子に異論はなかった。以前の宴のように、下手なことをすれば慶子の怒りを買ってしまう。表に出なくて良いのならば、それに越したことはなかった。

 父が存命であったならば、類まれなる咲子の歌の才能は大いに発揮され、咲子の美しさをより際立たせるものになっただろう。
 だが、自分よりも優れた者を憎む慶子の下では余計なものでしかなかった。

 遠くから聞こえてくる楽しそうな笑い声や、優雅な楽器の音などは、今の咲子にはあまりに場違いなものに感じられた。

「近江に帰りたい――」

 一人梨壺に残った咲子は東の空を見上げた。本当に近江に帰りたいわけではない。今の近江に戻ったところで、咲子を迎える者は何もないのだ。
 あの夏の日の美しい思い出を胸に、咲子は東の空を見上げるのだった。

 内裏の西側では後宮の女たちの集まる盛大な宴が催されていた。宴にはその家族や帝に近しい殿上人なども呼ばれ、賑わいを見せている。宮廷楽師たちの奏でる心地よい音色が宴をより一層盛り上げていた。

「帝はどちらにおられるのかしら」

 帝の目に留まろうと、女たちは血眼になって辺りを見回していた。だが、帝らしい人物の姿はどこにもない。

「まだ来ていらっしゃらないのかもしれないわ! まったく、帝がいらっしゃらないならこんな宴など時間の無駄よ!」

 慶子もまた苛立ちを隠そうともせず、悪態をついていた。しばらくして、上座に帝らしき人物が姿を現した時には、ほっとしたように胸をなでおろし、今度は目に留まろうと必死で近くに寄ろうとするが、周りに侍る護衛が多くて近寄ることもままならない。
 日差しを遮るための扇のせいで、姿すらろくに見えないものだから慶子は余計に腹を立てた。

「帝からこちらの姿は見えているのでしょうね! あぁ、せめてもう少し近くに寄ることが出来たら――!」

 護衛たちを忌々しく思いながらも、何もできない現状に苛立つばかりであった。