それから数日後に楓の葬式が行われた。

 楓の葬式には大勢の人が来た。彼らはまるで楓を利用して同窓会でもしている気分なのだろうと、心のどこかで思ってしまう。だから、すすり泣く数名の生徒を見ても白々しい思いしかしなかった。

 そこに楓はいない気がして、焼香を済ませるとさっさと帰った。

 視界の端に糸杉を見た気がしたが、それを確かめることはしなかった。


 
 放課後、関山先生に呼び出された俺は戦々恐々としながら職員室へと入る。放課後直後ということもあって生徒の姿もちらほら見える。

「話って何ですか? 先生からの呼び出しでいい思い出ないんですけど」

 もしかしてまた暑苦しい事に参加させられるのだろうか。今度は地域のボランティア活動だろうか。それとも、生徒会が募っている地域交流だろうか。

「音霧、答えを聞かせて貰おうか」
「答え? 何のですか?」
「慈善活動部に入るかは一カ月後に答えると言っただろ」

 そんなことかと安堵する。

 その場しのぎの為に言ったに過ぎなかったのですっかり忘れていた。

「続けますよ」

 楓がいなくなったもうあの公園に行く意味はない。

 それに約束もしてしまった。俺にはあの部室に行かなくてはならない理由がある。

「案外あっさりしているな。抵抗するものだと思っていたぞ」
「こんな時間の使い方も悪くないというか、そんな感じです」
「そうか。そうか。拒否するならそれなりの手段を考えていたのだが行使せずに済んで何よりだ」

 満面の笑みで怖いことを言って来る。一体何をやらかすつもりでいたのだろうか。

 聞いたところでこちらに利益はないので聞かないでおこう。

「何はともあれ、糸杉を頼むぞ」
「そこは頼まないでください」
「とか言いつつも音霧はやってくれる奴だと信じているよ」

 先生の言葉には色々な意味が含まれているような気がした。もしかしたら俺たちがどういう答えを出したのか知っているのかもしれない。生徒を更生させるためには手段を択ばない熱血ぶりだし、違法な方法で情報を入手していたとしても不思議ではない。

「それから越水の件は申し訳なかった」

 先生は恥も外聞も無く頭を下げる。他の生徒に見られると面倒なのでやめてほしい。

「先生が謝るようなことではないと思いますけど」
「いや、あるよ。私はまたしても生徒の闇を見抜くことが出来なかった」

 そのことが余程堪えているのかよく見ると先生の目のしたにはくまが出来ていた。化粧を厚くして誤魔化そうとしても完璧には誤魔化せていない。

 そんな暗い表情だと婚約者に逃げられますよ。とか軽口を言えるような空気ではない。励まそうとしても俺に言えることなんて見つからなかった。

「隠しているものを見抜こうとするのは無理ですよ。それに狂ってしまった人間はなにをしたってその狂いを治すことは出来ないですから」

 仙都が狂ってしまっていることを知っていたとしても俺たちに出来たことはほとんどなかっただろう。仙都が狂ったのは事故が原因であり、その事がなくならない限りその狂いを戻すことは出来ない。もちろん過去は変えられないのだから、その狂いを、過去を、受け入れるしかない。

 所詮他人が与えられる影響は限られている。きっかけは作れるけれど最終的には当人の意思次第だ。それを俺はこの一カ月で見せつけられた。

「いや、他人と関わることで人は変われる。それは音霧が証明してきたじゃないか。君は間違いなく変わったよ。君だけじゃない。糸杉もだ。それは君らが関わりを持ったからだ」
「あんなやつと関わりなんて持ちたくなかったですけどね」
「ひどい言い方をするな。糸杉の魅力に気づけないのなら私が一から教えてやろう。そこに座れ」
「急いでいるんで失礼します」

 熱血指導が発動する前に職員室を出る。

 部室に向かう途中、廊下の窓から雨が降り出しそうな寒空を眺める。

 校舎に下がっていた『祝サッカー部県大会出場』の垂れ幕は撤去されていた。
 
 仙都はあれからすぐに自首をした。我が校の英雄的存在が犯罪に手を染めていた衝撃的なニュースは瞬く間に世間に知れ渡り、関山先生はその対応に現在も追われている。

 早く迎えに来てあげて欲しい。でないと萎れてしまいそうだ。

「関山先生は窮地を乗り越えると、寧ろ強くなるタイプよ」

 いつの間に俺の後ろにいた糸杉は、いつものように悲哀を深く刻んだ目で俺を見つめる。

「俺の心を簡単に読むな。それと先生を戦闘民族みたいに言うな」

 お互いに憎むと約束したが、関係は何も変わっていない。

「これで私は殺人犯の娘ね」

 誰に言うわけでもなく空虚に向けて呟く。

「その方が憎みやすい」
「そう。どんどん憎んで良いのよ」
「怖いな。その言い方」

 後で何十倍にもなって返って来そう。

 その後はお互い無言のまま部室に向かう。以前は息苦しかった沈黙がいつの間にか何も感じなくなっている。

「糸杉せんぱーい! 助けてくださいー」

 部室の扉を開けると半泣き状態の小紫が糸杉に抱き着こうとして避けられていた。避けられた小紫はバランスを崩して壁に激突する。

「どうして避けるんですか?」
「私は小紫さんとそこまで仲良くした覚えはないわよ」
「地味に酷い!」

 泣きっ面に蜂とはまさにこの事。人を傷つけることに躊躇がない。

 俺以外にそれをするのは珍しい。

「それで何が大変なんだ?」
「それが……」

 小紫は俺たちが居なかった間の経緯を話し始める。途中で頭痛がしてくるほどに大変な状態だった。

「依頼の受け過ぎね。それにこの購買部で人気の商品を買うってただのパシリよ」
「そうなんですか? 慈善活動って難しいです……」

 それもそうだが、『近日発売のスマホの列に並ぶ』『代わりに彼氏に別れ話をする』が気になってしょうがない。ここは代理業者じゃない。

「断るのか?」
「いいえ。受けてしまった以上、途中で投げ出すことは部の信用に響くわ」

 無駄に責任感だけは強い。巻き込まれる方はたまったものではない。

「けれど私たちが手伝ってしまうと今後の小紫さんに悪影響がでるわね。全て自分でこなすべきよ」
「そんな~」

 いきなり一人でスカイダイビングを命じられたような不安な表情をする。

「魚を与えても成長にはつながらないわ。魚の釣り方を学ぶべきよ」

 それには一理ある。ここで小紫を手伝ったところで彼女の成長はない。

「安心してフォローはするから。まずは『美味しいお菓子の作り方』を済ませましょう。小紫さんなら出来るわよね? 家庭科室も今日なら空いているでしょうし。依頼人を連れて済ませて来て」
「今からですか!?」
「今やらなくて明日からやれる根拠を教えてくれるかしら」
「今からやります!」

 弁明が面倒になったのか小紫は素直に従って荷物を纏める。

 厳しくもあるが、後輩を指導する糸杉は今までになく生き生きしているように見えた。

「それにしてもお二人はいつの間にそこまで距離を縮めたんですか?」
「何の話だ?」
「だって二人一緒に部室に来るなんて初めてですよ。まるで恋人」
「関係ない話は良いから、早く行きなさい」

 心底不愉快な表情を浮かべて糸杉は小紫に指示を出す。

「はーい」

 小紫は空気よりも軽い返事をして依頼人のところへ向かって行った。

「大丈夫なのか?」
「大丈夫よ。あの子家庭科部だし」

 そういう問題の大丈夫ではない。小紫が人に何かを教えるところが想像できない。もちろん糸杉もだが。

 ようやく静けさを取り戻した部室に、窓に雨粒が当たる音が響く。

 それを合図にさらさらとした雨が降り始めた。

「音霧くん傘は?」
「もってないな」
「持っていたら借りて帰ろうと思ったのに」
「借りたら俺が濡れるだろうが」
「音霧くんに傘は必要ないでしょ」
「そう思っているなら、傘を持っているか聞く必要がないだろ」
「確かに、その通りね」

 一通り会話を楽しんだ後、糸杉はいつものデスクに座る。

 こんなことに付き合わされても不思議と不愉快ではない。こうして二人で時間を潰す行為が日常になっている。

 俺たちの関係はいつ壊れてしまうかわからない。それでも壊れてしまうその日まで俺は糸杉を世界に繋ぎ続けようと思っている。それは糸杉も同じなのだろう。時には雨が降ることもあるだろう。その時は傘をさして守ることはしない。

 自分たちに降りかかる不幸に相手を引きずり込むこと。それがあの日俺たちが交わした約束なのだから。

 それを確かめるために傘はささずにいようと思う。

「さて家庭科室に向かうわよ」

 纏めていたノートを閉じて意気揚々と立ち上がる。

「俺も行くのか?」
「当り前じゃない。毒を食べてくれる人がいないと」
「毒を食すことは決まっているんだな」

 つまりはこういうことだ。お互いの面倒ごとに付き合う。こんな風にして俺たちは普通に近づいていく。

「それから……」

 ふと足を止めた糸杉は窓の外に向かって話しかける。

「これからもよろしくね」
「こちらこそよろしく」

 糸杉が見た方向を見ながら答える。今日の雨は簡単に止みそうにない。今日も俺たちはずぶ濡れになって帰ることになるのだろう。

 一人じゃないのならそれも良い。



                                (了)