目が覚めると既にホームルームも終わり、教室は放課後の騒がしさを見せていた。

「聡が居眠りとか珍しいな。糸杉の所為か?」

 仙都は顔をしかめて棘のある言い方をする。

「ちがう。あいつは関係ないよ」

 どうしてなのか仙都の言葉に素直に頷くことが出来なかった。

「こう見えても、俺にだって色々あるんだ」

 この疲れは確かに糸杉の所為である。だけど根本的なところは別にある。

 ここ最近は嫌でも現実に向き合わされている。

「それで俺に用があったんじゃないのか?」
「いや……何も。ちょっと声を掛けてみただけだ」

 仙都が出かかった言葉を飲み込んだのは分かったけれど、無理に聞き出そうとは思わなかった。

「それじゃ、俺は行くから」
「ちょっと待ってくれ」

 やはり話す気になった仙都は慌てて俺を呼び止める。

 こんな曖昧な態度をとる仙都は珍しい。何かあったのだろうか。

「あいつ……糸杉とはどんな感じだ?」
「どんな……とは?」

 質問の意図を図りかねて聞き返す。

「ごめん。忘れてくれ。聡が誰かと何かをしているのが珍しかったから興味本位で聞いてみただけだ」
「なるほど。そういうことか」

 俺は糸杉が既にいない事を確認してから答える。

「お互いに嫌な奴だと思ってる」

 正直なところ最初に出会った頃ほどの嫌悪感は抱いていないけれど、嫌な奴だと思っていることに変わりはない。

「もういいか? そろそろ行かないと」
「引き留めて悪かった」

 最近は放課後にあの部室によることが習慣になってきている。確実に俺の中の何かが変わっている。その自覚はあるが、何が変わったのかわからないまま曖昧な時間を過ごしている。

 実体のない感情に揺さぶられながら部室のある校舎へとつながる渡り廊下を歩いていると、向こう側から生徒が二人歩いてくるのが見える。

 一人は小紫だ。そしてもう一人は三つ編みにした髪を片方から前に垂らして、柔らかい雰囲気を漂わす生徒だった。どこかで見た覚えのある顔だ。

「また小紫か」
「またとは何ですか。まるで私が面倒ごとを運んできているみたいな言い方です」
「よくわかってるね」
「ひどいです。私は音霧先輩たちの活動に感銘を受けたんです。だからそのお手伝いを」
「はいはい。それはもう何回も聞いたから」

 あの一件以降、小紫はどうやら慈善活動をボランティアと勘違いしたらしく幾度も雑用という依頼を持ち込んできていた。

「あなたが音霧くんですか」
「そうですけど……」

 隣で俺たちのやり取りを見ていた女子生徒はよく通る澄んだ声をこちらに向ける。

「うちの書記がお世話になりました」

 どこかで見たことのある生徒だと思ったら生徒会長であった。彼女は薄っすらと疲れの浮かぶ顔を慣れたように笑顔に変える。

「言われた通り、確かに腐った目を持っていますね」

 明らかな悪口を言われたのに全く嫌な気がしない。それはこの人が漂わせる雰囲気のせいなのだろう。

 人懐っこい微笑みでこちらを見上げてくる生徒会長からは糸杉と違った危険な雰囲気を感じ取る。これは無意識の人たらしの空気だ。生まれながらこういう人間はいる。俺と糸杉とは真逆で彼女の周りにはおそらく常に人がいることだろう。

「ごめんなさい。いきなり失礼でしたよね」

 律儀に深々と頭を下げる彼女から甘い匂いが漂ってくる。

「いろんな人から言われますから。もう慣れましたよ」
「面白いことを言いますね」

 嫌味を言ったのに本気で面白そうに口元を押さえて笑う。

「好きですよ。ポジティブな人は」

 失念していた。こういう人間はさらっとこういうことを言う。

「あなたと一緒に活動出来たら退屈しそうにないですね。どうですか? 一緒に生徒会のお仕事でも。ちょうどこちらの担当教諭も関山先生ですし」
「謹んでお断りします」

 生徒会と生徒指導を請け負う関山先生には密接な関係がある。糸杉から逃れられたとしても、やることは大して変わらないだろう。だったらまだこちらの方がましだ。

「それで今回は何を持ち込んできたんだ?」

 生徒会長を避けて小紫に質問すると表情が途端に暗くなる。

「そのことについては糸杉先輩から聞いてください」

 様子から察するに今回は雑用というわけではないらしい。それもかなり重い問題のようだ。ちょうどいい具合の依頼はないのだろうか。

 いや、依頼なんて来ないのが一番いい。

「糸杉が引き受けたなら俺に拒否権はないからな。出来るだけのことはするよ」
「あなた達ばかりに頼ってしまって申し訳ないけれど、よろしくお願いします」

 悲痛な面持ちで深く頭を下げる生徒会長をみて無下にするわけにはいかないと考えてしまっている。

 どうやら俺はこの短時間で彼女にたらしこまれてしまったらしい。