校門を出ると、通学路の脇に白いワゴン車が駐まっているのが見えた。その側面には地元テレビ局の略称である三文字のローマ字と、あまりかわいくないマスコットキャラクターが描かれている。そこから少し離れたところには淡いブルーのスーツを着た女性レポーターと、頭にバンダナを巻いた屈強そうな男性カメラマンの姿があった。豊田先生が言うところの〝人の不幸をおもしろおかしく伝えたいだけの人間〟だ。
 他のクラスでも同様の注意が喚起されているらしく、馴れ馴れしく話しかけてくる女性レポーターを無視して歩き去る生徒が大半だったけど、中には自分にテレビカメラが向けられるという一生に一度あるかという事態に舞い上がり、後日先生に怒られるのもいとわずインタビューに応じる生徒も少なからずいた。
 レポーターはそんなお調子者の一人にマイクを傾けていた。その後ろでは複数の男子生徒が、どうせ首から下しか撮していないカメラに向かってさかんにVサインを送っている。
「ねえ君、学校で飛び降りと思われる事故があったそうだけど」「はい。今、学校はその対応で大わらわですよ」「君はこの件についてどう思った?」「そりゃあ、びっくりですよ。だって自分の回りでそんな事件が起きるだなんて考えてもみなかったですからね」「どうしてそんなことになったのか理由はわかるかしら? 例えば、この学校にはいじめがあったとか」「さあ……僕は死んだ生徒とは学年が違うんでよくは知りませんけど」「そう……」「ただ――」「ただ、何?」「しいて言うなら、あの人が不良だったからじゃないかな」「不良? どういうこと?」「いやね、その死んだ生徒はこの学校でも有名な不良だったんですよ。髪を真っ赤に染めたりするようなね。もちろんそれは校則違反ですから、よく教師ともめていたんです」「じゃあ、先生との対立が原因なのかしら?」「どうなんですかね? 僕にはよくわかりませんけど」「ありがとう。参考になったわ」「いえいえ、どういたしまして」「大人の無理解が女子生徒のガラスのような自尊心を傷付け、死に至らしめたという筋書きか……。何ともありがちね」「あの――」「ん? まだ何か言い残したことでもあるの?」「いえ、別にそういうわけじゃないんですが……。今のって何時のニュースで流れるんですか? 記念に録画しておきたいんで」
 インタビューを終えて去っていく男子生徒。次は自分の番だと名乗りを上げる他のお調子者たち。そんな彼らを無視してカメラマンと何やら打ち合わせをしているレポーター。――そんな光景をわたしは腹立たしい思いで眺めていた。
 あなたたちは何もわかっていない! 松永先輩はいじめとか大人の無理解とか、そんなくだらない理由で死んだんじゃない。もっと崇高な理由で自ら死を選んだんだ。
 松永先輩はこんなくだらない世界を離れ、さらに空に近い場所へと旅立ったんだ。自らの手で雲をつかみ取るために。その際に生身の身体は邪魔なだけ。だから地上に置いていったんだ。たしかに人は生まれることを拒否できない不自由を背負わされているかもしれないけど、死ぬことだけは己の自由にできるのだから――。
 その真相をこの場にいる全員に訴えたかった。勝手な解釈で松永先輩の死を貶めようとしている人たちに教えてやりたかった。それは、唯一先輩と心を通わせることのできたわたしの義務なのだから。
「ねえあなた、ちょっといいかしら?」
 わたしが心の中で勇んでいたところ、不意に声をかけられた。件のレポーターがいつの間にかわたしの目の前に立っていた。テレビカメラがわたしに向けられている。
「通っている学校で起こった悲劇について、あなたがどう思っているのか聞きたいんだけど」
 レポーターは私にマイクを突き付けて言う。どうやら男子生徒ばかりでなく、女子生徒の話も聞きたいと思ったようだ。
 さっきは松永先輩の考えを代弁するのだと息巻いていたくせに、実際にその機会が与えられるとへどもどせずにはいられなかった。
 でも、がんばらないと。先輩の名誉を守るために闘わないと!
 そう自らを奮い立たせ、緊張でうまく動きそうにない口からなんとか言葉を紡ぎ出そうとする。
「せ……先輩は……松永先輩は……」
 だけど、その先が続かない。実際に口にしようとした段階で気付いてしまったのだ。先ほど思い描いた松永先輩の死の真相を、わたし自身まったく信じられずにいるということに。
 そもそも、わたしは松永先輩について何を知っているというのだろう?
 クラスは何組? 家はどこ? 家族構成は? 得意な科目は? 運動は得意? 好きなアーティストは? どんな本が好き? 好みの男性のタイプは?
 ……どの問いにもまともに答えることができなかった。
「ねえ、どうしたの? なんで黙っているの?」
 でも仕方がないじゃない。先輩はあまり自分のことを話したがらなかったのだから。どうせ聞いたところで、難しい話ではぐらかされるのがオチだろうし。それでもしつこく尋ねようものならきっと鬱陶しがられたに違いない。最悪、もう会ってくれなくなったかもしれない。それだけはどうしても避けなければならなかった。
「もしかしてあなた、何か知っているの?」
 言い訳のような言葉が次々と頭に浮かんでは消える。だけど、結局はたったひとつの結論にしか達しそうになかった。
「だったら話してくれない? これはこの学校だけの話ではなく、この国の教育制度に対する問題提起になるのかもしれないから」
 それは――
「ねえ、お願い。答えて!」
 レポーターはわたしにぐいぐいとマイクを押しつけてくる。わたしはマイクに言葉を発する代わりに手で払いのけると、レポーターを突き飛ばした。たまらずよろけたレポーターの横を走り抜ける。
「ちょっと!? 逃げないで!」
 走るわたしの背後でレポーターが叫んだ。
 逃げる?
 何から?
 興味本位でぶしつけなことを聞いてくるレポーターから?
 顔が映らないよう、ひたすら胸元ばかりを撮し続けるいやらしいテレビカメラから?
 違う。わたしが逃げているのは、松永先輩のことを何ひとつわかっていなかったという、認めたくない事実からだ。