「うーん……EDEN」
漸くまともな路線に戻った。
「何かねぇ。今、歌詞を一般公募してるっぽくて。それで、最優秀作品賞の人の歌詞に曲をつけて、EDENとのコラボ作品として発表してもらえるんだって! あたしね、絶対一緒に歌いたいの! あのEDENが曲をつけてくれるなんてそんな嬉しいことないじゃん。さぁ、善は急げだ! よーし、書くぞぉ!」
梨歩は枕元のキャビネットの上に置かれたノートを開く。
「若葉も手伝って」
「何で私が……自分でやりなよ。私歌詞なんて書いたことないのに」
「うーん、それもそうか。じゃああたしだけで書くわ」
本当にマイペースだ。このマイペースさが羨ましい。
「頑張って。私はそろそろ帰るから。じゃあね」
「うん、ばいばーい。あ、明日はもちドのつぶつぶイチゴの果肉まるごとジャムソースってやつ持ってきて」
「え、そんなのあるの?」
「知らない。あるかヒゲ店長に聞いてみて」
「……おそらくだけど、ないと思うよ。梨歩のオリジナルでしょ? それ」
「あ、バレた?」
「……」
梨歩の言動に翻弄される日々が続くと、時折「一度本気で彼女と喧嘩をした方がいいのかもしれないな」という思いが一瞬過ることがある。が、一瞬で消える。まあ、喧嘩をすればいいというものでもないし、しなくて済むならそれにこしたことはないのだけれど。
とりあえず今は、梨歩と私――それぞれの夢に向かって双方できることを精いっぱいやること。これに尽きるだろう。
「うう、寒いっ」
病院から帰った私は、リビングのファンヒーターの前でコートを羽織ったまま丸まっていた。
唸るような送風音。それとともに、もふぁん、とした熱風が心地よく送られてくる。
「はぁ、生き返る……」
「若葉、せめてコート脱いで。せっかくのコートが台無しよ」
ママが台所から私に言う。
「あともうちょっとだけ暖まらせて~。今帰ってきたばかりで、歯までガチガチいってるのよ」
小刻みに振動する私の躰は、ファンヒーターの熱風だけでは物足りないようだ。私はソファーの上に置いてあった毛布を広げ、頭から被る。
「しょうがない子ね。あら、そんな体勢じゃ、パンツ丸見えよ」
「え!?」
私はとび起きる。
頭隠して何とやら。
「あら、動けるじゃない」
ママがニタッと笑う。確信犯か。
「う……」
はめられた。
「そのままついでに着替えちゃいなさい」
相変わらず、ママは人を動かすのがうまいな。
「……わかったわよ」
私は部屋着をワードローブの中にある籠から取り出した。
コートを脱いでハンガーに掛ける。
「ん?」
続いてニットワンピを脱ぐと、背後に視線を感じた。
「何? ママ」
ママがじっとこちらを見ている。
「……」
「ママ?」
「若葉、あなた……」
ママが真顔でにじり寄って来る。
「な、何? 怖いんだけど」
手を伸ばしてきたかと思えば、その手で私の二の腕を摘んだ。
「ねえ……太った?」
「!!」
私は慌てて上着を羽織る。
「やだ、今更隠しても遅いわよ。はみ出てるし」
は、はみ出てるとは……失礼な。
「それにしても……」
ママが私の上着を捲り上げる。
「ちょ! やめ……」
「あらぁ、何てご立派なムッチムチボディー。見てると何だかムラムラしちゃうわねぇ」
何ですか、そのオヤジ発言は。
「ママにも負けず劣らず、まるで”パーピーちゃん”みたいなボディーねぇ」
出た、”パーピー”。ママの子どもの頃に流行ってたメリハリボディーの女の子の人形だ。さっき私に「太った」なんて言ったくせに、全く持って意味が解らない。
「もう、返して!」
「若葉も普段からもっと躰のライン出る服着ればいいのに。ママみたいに」
「い、嫌よ! そんなパッツパツなのッ」
ママは普段から膝上丈のスカートとか穿いているような人だ。実年齢を言うと周りにかなり驚かれるが、私は若々しさよりも、年齢相応に慎ましくしていてもらいたいと思っている。
「あ、でも……よく見ると脚が若干太めかな。昔の名残?」
「もう、ほっといてよ!」
大きなお世話だ。下半身が肉厚なことくらい、自分が一番よく知っている。
ママはというと、年齢の割にはスレンダーで、メリハリのある――所謂理想的な体型だ。20代の頃からほぼ変わりないそのプロポーションは、同年代の友人からも羨ましがられるほど。実は私も羨ましいと思っている。
さらに、ママは若い頃、街中でよくナンパされたり、デートの誘いは毎日のようにあったりと、とにかくモテモテだったとか。正直いって、顔立ちは地味目でものすごく美人というわけではない。が、当時から流行に流されず、常に自分流のスタイルを追い求めてきた結果がモテに繋がったのかもしれない。そんなママに、私は到底適うはずがないと思っている。そこまで自分に興味がもてないというか、野心がないというか。情熱を傾ける対象が違うのだ。
「ねぇ、若葉」
「何?」
私はママから奪還した上着を羽織った。が、何となく寒いので中にもう一枚着ることに――再び上着を脱ぐ。
「あら、もう一回見せてくれるの?」
「違う!」
「なーんだ、つまんない」
ウォーミーテックという薄手なのにポカポカのトップス。パステルグリーンというなかなか季節感を無視した色合いだけど、肌触りや質感が良くて結構気に入っている。
私は気を取り直して上着を羽織った。
そういえば、ママ。さっき何か言いかけていたような。
「若葉」
絶妙なタイミング。
「何?」
「今、恋はしてるの?」
「は?」
「彼氏は? 好きな人は?」
唐突すぎる。
「い……いないけど」
「え、本当に?」
ママに嘘を言ったところで、この調子だとさらに深堀りしてくるのは目に見えている。一体、私に何を期待しているのだろう。ママの意図がわからなくて私は困惑するばかりだ。
「残念だけど、今の今までいたことないわ。私はママと違って、全然モテないから」
こう切り返すのが精一杯。ここで納得してくれればいいのだけど、何と答えてもそうはいかないような気がする。
「なんだぁ、つまんないなぁ。ママってば、娘の恋バナとか聞きたいお年頃なのに。若葉、全然そういう話してくれないんだもん。因みに、ママが若葉の歳の頃には、もうパパと付き合ってたわよー」
ほら、やっぱり。あ、今……さりげなく自慢入れたな。
こういう人だから、仮に私が恋をしたとしても、ママにだけは絶対に話さない。話したくない。きっと、それはこの先も変わらない。
「だ、だから何よ?」
反論してみるものの、ママは続ける。
「待ってるだけじゃ、恋は成就しないわよ。もっと積極的に自分から行かないと」
「だから、待つも何も……そんな人いないって言ってるじゃない」
「もう! そんなんだから全然彼氏できないのよ。もったいないわねぇ。せっかく大学生になるんだから、貴重なキャンパスライフの中で彼氏の一人や二人うちに連れてこなきゃ、女じゃないからね」
大きなお世話だ。
何でそこまでいわれなきゃいけないの。これは語弊云々の話では済まない――何たる言い草。たった今、この人は私を含む全世界中の非リア充女子を敵に回した。この無差別的な母の爆弾発言に、私は断固として己を貫く決意を表明した。
「ママと一緒にしないでよ。私には私のペースがあるんだから」
「そんなこと言ってたら、若葉の場合すぐおばあちゃんになっちゃうでしょう」
なかなか手ごわい。
「じゃあ、せっかくだから特別に」と、ママは聞いてもいないのに『パパとの馴れ初め話』をし始めた。
「はぁ……」
もう、どうでもいい。
長いので簡単にまとめると、ママが美容専門学校に通う少し前に、バイト帰りに立ち寄ったコンビニの駐車場でパパと運命の出会いをした――という話だ。その日は台風で天気は大荒れ。自転車も傘も飛ばされて、家に電話しても繋がらなくて立ち往生してた時に、当時大学生だったパパが車で家の前まで送ってくれた。それがきっかけでデートを重ねて付き合うようになったっていう何とも少女漫画チックなお話。
私としては、台風の中自転車でバイトに行ったママの根性がすごいと思うのだけど。きっと、恋愛ってそういうことではないのだろう。
私はまだ誰かを特別に好きだと思ったことすらないのだが、恋とは本当に些細なきっかけからスタートするものなんだな、と何となくは思う。共感にまでは至らないが……梨歩の恋も、こんな風に始まったのだろうか。
この歳になるまで、恋愛したことがないのはおかしいのだろうか。
人それぞれとは思うが、こんな私でも実は少しだけ期待している。この先、私はどんな人と出会うのか。どんな人を好きになって、どんな人と恋をして、どんな人と結婚するのか。
全く興味がないわけではなくて、今までなかなかそういうチャンスに恵まれなかっただけなのだ。大学生になったら、ママの言うように彼氏の一人や二人とやらができる日が来るかもしれない。人並みに恋をして、人並みに結婚して……。
ところで、今日のママはいつになく饒舌だ。でも、私はすべて「へえ、そう」と、素っ気なく返す。
「プロポーズの言葉は……」
ここまで来れば、もうメンタルが強いのか弱いのかすらわからない。ただ、何を言っても無駄だということは確かだ。
「パパが大好きだった花時計の前で、『これから先もずっと、君と同じ時間を共に生きていきたい。僕と、結婚してください』って。あぁ、思い出したら何だか泣けてきた……」
「えっ!」
「う……うっ……」
うわ、本当に泣き出した。
「あの、泣くくらいならもういいから……」
実に面倒くさい人だ。こうなったが最後、手を付けられない。心行くまで思いのたけを吐かせ、時が過ぎるのをひたすら待つしかない。
「ママが26の時に、グスッ……若葉が生まれたの。パパなんて、赤ちゃんのためにって自分でアレンジメントした花束持ったまま子どもみたいにわんわん泣いて。見ている方が恥ずかしかったわ」
私は今のママを見ている方が恥ずかしいんですけど――。と喉まで出かかっていたが、言葉に出したところで延長戦に持ち込まれては困る。
早く終われと思うばかりで、私は敢えて何も言わず本音を飲み込んだ。スルーだ。今はこれに尽きる。
「あ、そうそう。若葉を最初に抱っこしたのは、ママじゃなくてパパなのよ」
「え、そうなの?」
それは知らなかった。
「で、そのまま顔面至る所に『可愛い、可愛い』ってチューチュー吸引しまくってたわ。分娩も吸引、パパからも吸引。出生早々若葉は忙しかったわよ」
「え!?」
それも知らない。初耳だ……。
「……そのあとママにもしてくれたけどね」
細やかな対抗心だろうか? ママがパパを吸引した情報は別にいらない。それより、何で急にパパの話になったのか。いい加減理由が知りたい。
「若葉が生まれた日。ママ、本当に幸せだった。パパと結婚して、本当に良かったって思ったわ」
さっきからずっと、パパの話ばかりで不可解極まりない。
私はとうとう勢い余って言ってしまった。
「じゃあ、どうして別れちゃったのよ」
一番言ってはいけないことだと、わかっていたのに。
「…………」
案の定、ママは無言になった。
「――ごめん、今のは言い過ぎたわ……。もういいの、パパのことは」
「若葉……」
私は、いつも優しいパパが大好きだった。物心ついた頃から、パパにいろんな花の名前や花言葉、花の育て方を教わって、いつの間にか私もパパのように花が大好きになっていた。
パパが優しかった分、当時ママはとても厳しかった。まだ幼稚園に通っていた頃、ママが私を学習塾に通わせようとしてパパと激しく揉めたり。二人が喧嘩するのは、決まって私の子育て方針のことで、それを間近で毎日見ているのは幼いながら辛かったのを覚えている。でも、当時の私は黙って見ているだけしかできなくて――論争が鎮まるのをカーテンに包まりながら耳を塞いだり、布団の中や押入の中でひたすら待っていた。自分の気持ちに正直だと言えば聞こえはいいけれど、ママは感情の起伏が激しくて、怒ったり泣いたりすると収集がつかなくなる。特に、私はママがヒステリックになるのが恐ろしくて、ひたすら自分の声を押し殺すように、ママのいうことにはすべて従って過ごしてきた。でも、小学校も高学年になると勉強も難しくなって成績が落ち始めて。それから間もなくして、「勉強の邪魔になるから」と、気に入っていた長い髪を、ママに首のあたりまでバサッと切られた。その時、抑えていた感情が一気に溢れ出して――
「ママなんて大嫌い!」
確か、あれは私が小学5年生の時だ。この時すでにママとパパが別れて4年か5年が経っていた。あとでわかったことだが、ママはパパがあまりにも優しすぎて、私を甘やかしすぎてしまうのを心配していたのだとか。それで、心を鬼にして私にいつも厳しく接していたのだと話してくれた。でも、当時の私には理由の後付けにしか聞こえなくて、余計に腹が立った。どうせ私は、ママにとっては自分の幸せを壊した忌むべき存在で、何かと癇に障るから八つ当たりをしていたというのが大方真実だろう、と。私もこの一件で、随分と捻くれたことを言うようになってしまった。その経緯には、実は少し梨歩も絡んでいるのはママには内緒の話。梨歩とはちょうどその時に出逢い、友達になったので、もうかれこれ8年近く一緒にいることになる。
でも、あの時梨歩がいてくれたから、今の私が私でいられるようになったのは紛れもない事実。自分で言うのも何だが――私は、今の自分が結構好きだったりする。
『自己主張は、したもの勝ち』だと、梨歩が教えてくれた日から。
「ごめんね、若葉。ママ、さっきから勝手なことばかり言ってるわね」
「……知ってるわ」
「そう……」
ママはあからさまに落ち込んだ。
私は居たたまれない気持ちに押し潰されそうになるものの、敢えて訊く。
「ねぇ、さっきからパパの話ばかりしてるけど。何で?」
「それは……」
ママが口を噤む。
「あの、言いたくないならいいの。だから――」
「……、してたんだって」
「え?」
「もともと若葉の高校卒業までは、パパが養育費を毎月支払うっていう約束だったの。約束通り一度も滞りなく払ってくれていたんだけど、この3月で若葉は高校卒業したでしょ? そしたらパパの方から大事な話があるって切り出してきて……」
ああ。
ママはさっきから、私にこのことが言いたかったのか。
やっと理解できた。
「まさか、10年も前に再婚してたなんて……」
ママが笑う。とても悲しそうに……。
「そんなに大事なことなら、リアルタイムで教えてくれたっていいのにねぇ」
「……まあ。大事なことだからこそ、頃合いを見計らって切り出したんじゃないの?」
とはいうものの。
正直、私にとってもパパの再婚の事実は衝撃的だった。パパは、私だけのパパだとどこかで思っていた節があったから。たとえ別れても、パパは私だけのパパであってほしいと願っていた。
時は、残酷だ。
「しかも、子どもまでいるのよ。小学生の男の子が2人。1人は、今の奥さんの連れ子みたいだけど」
知らなかった。そして、知りたくなかった。
「若葉、いきなり弟が2人いるって聞いてびっくりでしょ?」
「そ、それはびっくりだけど。うん、私も未だに信じられない」
パパは別れても、私の養育費の他、私とママの誕生日にはいつも誕生花の花束をおくってくれていた。そしてもう一つ。秋に決まっておくられてくる花の種があった。
勿忘草――。
今年もまたその花の種は、鮮やかな水色の小花を実らせたばかりだというのに。
――――私を忘れないで――――
それはきっと……家族を想う父の心情。そして、かつて愛した女性に贈る唯一のメッセージなのだろう。でも、パパの再婚を知った今、大好きだったパパが少し憎らしく思えて……何だか無性に悲しかった。忘れようと思って忘れられるような関係でもないし、この花がなければ忘れてしまうというものでもない。でも、願わくば、これが最後の花になりますように。
私は自分にも言い聞かせるように、ママに言った。
「もう、いいじゃない。パパには今の幸せがあるんだから」
「……でも。何か、悔しいわ」
「ダメよ、ママ。そんなふうに思ったら」
「若葉……」
ママは昔から、私にいろいろ教えたがるけれど、私はもう……ママが思っているほど子どもじゃない。
ママのいうこと100%絶対的なものだなんて思っていた、あの頃の自分はどうかしてたんじゃないか――歳を重ねていく毎にそう思うのは……決して単なる反抗心だけではないはずだ。
「良い子」でいることが、生きる術。そう信じて疑わなかった子ども時代が終わっていく。そうやってみんな、自分自身の在り方、生き方を見つけて大人になっていくのだろう。
ママにとってはそれが寂しいことなのかもしれないけれど。でも、私とママの人生は……もともと別物なのだ。
どんなに血が繋がっていようと、私の人生は私のもの。だから、
「ママこそ、恋愛したほうがいいわ」
もう後戻りできないのなら。
過去に執着したって、虚しいだけじゃない。
きっと、ママは若さと勢いで結婚したのだろう。そして、その若さと勢いでパパと別れてしまった。そのことをずっと悔やんで今日まできたんだ。
大好きなパパと、もう一度やり直したくて。もしかしたらまた、やり直せるかもしれないって、心のどこかで期待してたのだろう。でも、パパにはもう新しい家族がいて、それは叶わない。
「……私がいるわ」
「え?」
「ママには、私がいるじゃない」
どうか、パパを憎まないで。
「……そうね。ママには、あなたがいる」
ママは安堵したように笑った。
思えば、私はいつから花と関わる道を志したのだろう。
明確な時期は覚えていないが、「フラワーデザイナー」という職業があるのを知ったのは、中学生の時だった。それまでは、生花店に勤務するパパの影響で「お花屋さんになりたい」とか「植物園で働く人」とか漠然とした夢ばかり追いかけていた。高校に入学した直後のクラスメイトの中には、芸能界デビューやらスポーツ選手の奥さんになるやら言っていた子たちが、「短大行って卒業したら幼稚園の先生になる」とか、「やっぱ普通に就職でしょう」と現実的な選択をするようになっていた。園芸がやりたくてこの科を選択する子が思いの外少なくてショックを隠せない時期もあったけれど。それでも私は、花が好き過ぎて――それ以外の道は考えられなかった。
進路指導の先生には専門学校を進められたが、私はママと二人暮らし。両親が離婚して以来、私は2LDKのアパートにママと一緒に住んでいる。
夢は叶えたい。でも、だからといって家の事情も考えずに行きたい学校を選択するという考えは私には浮かばなかった。もちろん、実家を出て一人暮らしをしてみたいとか、専門性の高い知識や技術を思う存分学びたい気持ちは少なからずあったけれど。自立を望む反面、親なしでは一人で生活していくこともできない。私はもう18歳。いくら成人したとはいえ、まだお酒もタバコもできない18歳の子どもなのだ。
そういう面も全部含めて、私は実家に限りなく近い公立の四年制の学校、『東堂文化大学』を選んだ。この大学では、二年生の後半からフラワーデザイナーになるための専門科目が履修でき、卒業までに就職に必要な資格もいくつか取得できる。それだけでなく、推薦入試合格者の中から若干名、ニ年間分の授業料が免除されるという特待生制度が適用される。
もうここしかない――私はそれにすべてをかけ、面接試験では精一杯の思いを伝え、無事合格した。そして、念願の特待生制度の適用も認められた。
高校卒業まで残り三ヶ月と迫った頃のことだ。進路も無事に決まり、一息つく間もなく与えられたのが卒業制作だった。三年間の集大成として、何か一つ作品を作らなければならない。テーマは自由なので、私はずっと作りたかったものを作ることにした。
それは、ウェディングブーケ。
結婚なんてまだ先のことかもしれないけれど、私はいつか自分が結婚する時が来たら、ブーケは絶対に自分でアレンジしたものを使いたいと決めていた。そのこだわりと「彼氏もいないくせに」という自己突込みはさておき。普段興味がないと言っておきながら、漠然と”いつか結婚するだろう”と信じていることはさておき。
とにかく、人生の節目を大好きな花で飾る――そんな毎日が、これからも続けばいいと高校生ながら思っていた。
「恋、か……」
まるで想像もつかない。恋愛でさえ未経験なのに、本当にこんな調子でウェディングブーケを活用する日が本当に来るのだろうか。よく、恋は突然にとか、前触れもなくやって来るとか聞く。たとえば、梨歩はバイト先で知り合って常連客だった彼からのアプローチで交際に発展している。本当に些細なことから始まるのだとしたら、私が最後に出逢った人は一体どこに……?
「ダメだ、私が男性自体を見なさすぎてピンと来な――」
あ。
そういえば。
「……あったかも、しれない。いや……」
微かな記憶を頼りに、私は思い当たるシーンを片っ端から繋げ、整理する。
「――思い出したわ」
そう。確かあれは……
☆
大学の合格通知をもらった翌日のことだ。
「今日は学校もバイトも休みか……」
〈ピロロロ……〉
私のケータイが鳴った。
「あ」
メッセージの通知が画面に表示された。
〈若葉、合格おめでと!〉
梨歩からだ。梨歩にしてはご丁寧に、クラッカーのスタンプ付きで送信してくれている。
〈ありがとう。これでやっと一段落できるわ〉
トークが続く。
〈お疲れ~。何かお祝い用意しとくね〉
〈うん、ありがとう。梨歩はもうすぐ検査でしょ? 無茶しないでね〉
〈は~い。あ、そうだ、今ね、お母さんが持ってきてくれたマカロン食べてるんだけど一緒にどう?〉
え?
梨歩は一応重病患者のはずだ。でも、食欲は入院する前から衰えていない。病院で栄養管理がされた食事以外にも、お菓子のつまみ食いはしょっちゅう。そういえば、この前はドーナツを持って行ったら4つとも全部一人で食べてしまったなんてことも。程々にしないと、入院長引いたりするだろうから、食べ物の差し入れのし過ぎには要注意だ。
私は少し考えてメッセージを送信した。
〈そうなんだ。行きたいけど、卒業制作の課題がまだ片づいてなくて。ごめん、また今度行くね〉
進路が決まって一息つく間もなく、卒業制作が最後の追い込み課題となる。
〈そっかあ。じゃあ今回は若葉の分も食べとくね。卒業制作頑張れ~〉
結局食べるのか……。梨歩は小柄で華奢な割によく食べるから、こうなるともう止められない。
〈はいはい、食べ過ぎ気をつけてね〉
〈はーい〉
私は梨歩の返事を確認し、トーク画面を閉じた。
「さて、そろそろ始めるか」
いよいよだ。長期間温め続けた卒業制作のウェディングブーケにいよいよ着手する時が来た。
ブーケホルダーというマラカスによく似た形の便利な道具もあるが、今回はそれを使わずに花材とワイヤーだけを使ったシンプルな方法で制作することにした。
「うう、緊張する……」
初の試みにもかかわらず意地っ張りかもしれないが。
やるからには一つ一つ緻密に手作業で行いたいというこだわりがあった。シンプルなだけに、丁寧に行わないと作品に粗が出てしまう。なかなか根気のいる作業だ。
私はテキストを開く。
「まずは……基本のラウンド型。半球の形が崩れないようにバランス良く配置、と。じゃあ今回はカサブランカをメインにして、グリーン系のアジサイ、ガーベラで囲も」
花の配置もバランス良く。メインの花を崩さないように、中央から螺旋を描くように。
私は同じ花材が偏らないよう、等間隔に並べた。
花の配置が決まったら、崩さないように一つに束ねていく。
でも……。
「……あっ!」
当然、初めからうまくいくわけもない。
「あれ? ワイヤーが外れ……って違う! 花首がもげてる! うわぁ、早速やっちゃったぁ~」
締めすぎたのか。メインのカサブランカの花首が、ワイヤーで掻き切られた……。
「よし、今度こそ」
諦めの悪い私は、何とか材料の再利用をしようと――もげた花首の丈夫なところにワイヤーを通し、一輪挿しの花のような形にする。
「とりあえず形は整ったわ。あとはワイヤーを隠すように」
ひらひらひら。
「!!」
散った。
「うそ、何で?」
数少ない生花が、一瞬で昇天。
「うわぁ、ごめんね~っ」
いくら練習用とはいえ、生花は生花。生かすどころか、私の手で儚くも散らせてしまったその命。
その罪悪感が、創作意欲を減退させる。
これで、いいのか? と自分に問う。
練習のために犠牲になっていく命――もしかして、私は間違ったことをしているの?
(ああああ~~!)
一度迷うと、なかなかそこから抜け出せない。
それでも、作らなければ。
(進路決まったのに卒業できないなんて、笑い話にもならないよね……)
そんなこんなで悪戦苦闘すること二時間。
いくつか学校で支給された花材をいろいろ組み合わせてみたものの、イメージの配色と違ってくすんで見えたり、安定感がなくスカスカで貧相に見えたり。事が思うように運ばないストレスで、モチベーション維持が困難に思える瞬間もあった。
「はぁ……。これで何度目だろう」
花も決して安くはない。学校で支給されるものもあるが、ないものは各自で用意しないといけないので、予算のことを考えると失敗をする余裕すらない。
「う……」
うまくいったかと思えば、締まりが悪くてすぐに解けたり、指先にワイヤーの切り口が刺さったり。
「これって、”後がある”って思うから油断しちゃうのかな?」
私はその瞬間、一つの答えを導き出した。
「思い切って高価な花使ったら、失敗しないかも」
思い立ったが吉日。私は花のこととなると、途端にフットワークが軽くなる質だ。そんな人、世界中のどこを探しても恐らく私ぐらいしかいないだろう。
私は作業の手を休め、バッグを手に掛けた。そして、バイト先のアートフラワーショップ『ロゼッタ』へ向かった。
自宅から歩いて十五分程で着いた店先には、いつも明るく気前のいい店主の佐伯さんがコサージュ作りをしていた。
「あら、若葉ちゃん」
「こんにちは」
「こんにちは。卒業制作は順調?」
「それが……なかなか難しくて。失敗して材料がなくなっちゃったので見に来たんです」
この店の特徴は、フラワーアレンジメントの花材を専門に取り扱っていること。生花以上に精密でカラーやパーツのヴァリエーションが豊富なアーティフィシャルフラワー(いわゆる造花)やプリザーブドフラワー(生花に保存液を含ませたもの)を中心に、ブライダルやアニバーサリーギフトのオーダーも受け付けている。
専門家もご用達で、有名なデザイナーや講師の人たちからは「ありそうでなかなかない物が豊富にあるところが嬉しい」と支持率もかなり高い自慢の店だ――と佐伯さんは自負している。
私もこの店が好きだ。あまり大きな店ではないが、アットホームで華やか且つ居心地がとてもいいので何度でも足を運びたくなる。私にとっては、ここは第二の我が家のようなもの。
店内を見渡すと、今は来店客がいない様子。普段接客中はなかなかゆっくり店内を見て回れないので、この機会に売場の在庫も確認しておこう、と私は巡回がてらブーケの花材を探す。
いつか佐伯さんに教えてもらった青い薔薇の話を思い出しながら、アンティークローズのコーナーの前で足を止めた。
見たこともないくらいの、鮮やかなロイヤルブルーの薔薇や同系色の薔薇。その隣の生花コーナーにある着色薔薇も同じような色味をしたものが数点ある。
「ごめんね。春先ならもっといろんなのあるんだけど、今寒いからどこも冬眠中でね。特に青いのは。苗というか、枝だけになったやつならうちにあるけど、売り物じゃないのよね」
「そうですか……」
薔薇は四季咲きで、年間通して花を咲かせる。でも、さすがに寒さには弱く、見頃は春と秋。師走のこの時期に、ただでさえ珍しい青の薔薇を求める方が難しい。特に、あまり一般的には知られていない珍しい品種などは、入手自体が難しいので、手に入る可能性は限りなく低くなる。
いつか佐伯さんが語った、青い薔薇の話。
「薔薇には本来青い色素がないから、青い薔薇は実現不可能だといわれていたの。英語でBlue roseっていうのは”不可能”っていう意味を表す言葉としても使われているほどよ。でもね、世界中の薔薇の育種家が何度も品種改良を重ねて、着実にその夢を実現させようとした。だから今、Blue roseは”不可能を可能にする”という意味に変わってきているの。青い薔薇は、人々に夢をもたらす奇跡の花なのかもね」
私は一瞬で虜になった。世界中の青い薔薇を調べていくと、確かにどれも青みがかった青紫……
「うーん……。確かに青っぽいけど、私の思う青、ではないなぁ……」
着色薔薇も綺麗だけど、やっぱり本物には適わないのだろうか。
どれもピンと来なかったのだが、たった一つだけ「これだ!」と思う青の薔薇に漸く出会うことができたのは昨年の春頃だ。
それは“ブルーヘヴン”という品種だ。ロゼッタでバイトを始めて二年目になる頃、佐伯さんに本物を見せてもらったあの瞬間、私は運命を感じた。正直なところ、それは決して「青という青」ではない。鮮やかさには欠けるものの、あのグレーが入った淡いパステルブルーのシックな色合い。限りなく白に近いのに、どんな青よりも奥が深く、控えめな色調なのに存在感があるミステリアスな花。
(今、目の前にあるけど……枝だけになっちゃってるのが残念)
「……じゃあ、これにします」
ブーケは白とグリーンのシンプルなものにする当初の予定とはだいぶ異なるが、急遽ブーケは青系統で制作することにした。ロイヤルブルーの着色薔薇をメインに、同系色のグラデーションが入った薔薇を3本、白の薔薇を3本選び、アクセントに使う小花のかすみ草とブルースターもつけて……。
(うわ、結構いっちゃったかも)
お財布の中を確認する。予算は3000円以内と決めていたのだが、急に青い薔薇を使いたい衝動に駆られて、気がつけば青いのばかり選んでいたからだ。
「あら、素敵なブルーで統一したのね」
「は、はい。卒業制作に使うためなんですけど、ちょっと贅沢すぎますかね」
「いいじゃない。作りたいように作った方が、生き生きとした作品に仕上がるし。それに、それだけ思いを込めて作ってもらえれば、花だって喜ぶわ」
佐伯さんが丁寧に包装してくれた。
「はい、じゃあ全部で2000円ね」
「え?」
佐伯さんはにっこりと微笑む。
「卒業制作、できたら私にも見せてちょうだい」
「そ、そんな! だってこの薔薇1本だけでも……」
500円はする。いつも見ているから間違いない。それでも……。
「店主命令よ。はい、2000円」
か、神様――!
「あ、ありがとうございます!」
卒業制作、頑張ります! ――そう言って、私は店を後にした。
佐伯さんのご厚意で大負けしてもらった花材たち。私は思わず浮かれてしまう。
ウキウキが止まらない。
(あぁ~ッ! 何て幸せ!)
だから、すっかり前を見て歩くことも忘れていた。
「――っ!」
視界が急に暗くなる。同時に顔面に衝撃を受け、そのまま舗道に腰から不時着した。
「痛っ……!」
「あ、ごめんっ」
微かに聞こえた相手の声。私はただ、焦点の合わない視線でぼーっと地面を見つめていた。
「あの……大丈夫?」
私は地面を辿るように相手の方へと視線を向ける。
まず、黒のレザーシューズと光沢感のある黒のスキニーパンツが視界に入った。二、三回ほど瞬きをして焦点を取り戻す。視線の先に映ったのは、モスグリーンのマフラーに黒のロングコートを羽織った、ブロンドの髪の男性。
年齢は私と同じくらいだろうか。二十歳前後の、まるでロックミュージシャンのような風貌。その彼の肌は眩しいくらいに白くて透明感がある。何よりも驚いたのは――
「!!」
少し長めの前髪の隙間から覗いた、翡翠色の双眸。その鮮やかなグリーンに、私は吸い込まれるような感覚に陥った。
彼は私と視線の高さが同じくらいになる位置まで腰を屈めた。
「立てる?」
男性にしてはやや高めのハスキーな声。一瞬女性かと思ってしまうほど。何て甘美で透明感のある声なのだろう。その柔らかな声質に、どこか懐かしさが漂う。
「す、すみませんっ、その、つい浮かれてて……」
私がそう口走ると、彼が急に噴き出した。
「う、浮かれてたって……! 君、そんなこと自分で言っちゃうんだ」
あはは、と彼は続けて笑う。
「面白い子だね」
私は途端に気恥ずかしくなる。
(そんなに笑わなくてもいいのに)
「あ、あの……私、その……」
うまく言葉にならない。
どぎまぎしていると、彼が私の手元に視線を向けて言った。
「その薔薇、綺麗だね」
「あ、これは……」
彼はロイヤルブルーの花弁を指さす。
「青い薔薇なんて、初めて見た」
「こ、これは……着色薔薇なんです。白い花に専用の着色剤で色をつけた水を吸わせてあるもので」
「へぇ、そうなんだ。花、好きなの?」
「は、はい。物心ついた時からずっと」
「もしかして、その道を目指しているとか?」
「はい。まだまだ勉強中ですけど……」
「素敵な夢だね。是非叶えて欲しいな」
彼は私の手をとって私を立たせてくれる。
「あ、ありがとうございます」
私はそれ以上何も言えなかった。
しなやかで細長い指。そして、その手は思いの外大きくて温かかった。
「……」
冬の寒さも感じなくなるほど、顔が火照るように熱帯びた。呼吸もだんだん苦しくなって、心拍数が上昇していくのが体全体で感じるほど。
(これは、眩暈? 何、このふわふわする感じ……)
手が離れた。
「それじゃ、気を付けて帰ってね」
「あ、はい。えっと、ありがとうございました――」
最後に見たのは、軽く片手を上げて去っていく彼の後ろ姿。
☆
「そういえば、あの人……」
不意に思い出した、数か月前の出来事。
慌ただしく走り去るように過ぎた日々の中で、すっかり忘れかけてしまっていた。あんなに衝撃的な出逢いだったはずなのに――。
もしかしたら、今思い出したのも……何かの縁。なのかな?
「もう一度、会いたいな」
お互いに名前も知らない、たった一度きりの出会いだとしても。
もし、奇跡が起こるなら。
神様がいるのなら。
(もう一度、彼と巡り合わせてください)
私は、高鳴る鼓動を抑えきれず自室の窓を開け放った。
ひんやりとした夜風が、火照るように熱くなった私の頬を掠める。
「ちょっと、そこ! あなたたちは美容師じゃなくてペテン師になりたいの?」
山口先生の講義は、とても面白い。何故なら、言動のすべてにおいて超とドが付くほどの直球だからだ。この歯に衣着せぬ物言いが苦手な人もいるけれど、僕は講義のたびに清々しい気分になれる。因みに、今日の彼女の格言は、【シャンプーに手を抜く美容師は、100%ペテン師】だ。
僕が通うこの美容専門学校は、美容師を目指す学生の他、スタイリストやメイクアップアーティストを志す学生が全国から集まってくる。僕は美容師を目指す学科を専攻しているが、メイクもファッションもオールマイティーにこなせるスタイリストを目標にしているため、時間の許す限り補講も居残りも厭わず、施錠時間ぎりぎりまで学校に居座っていることが多かった。
通学に要する時間は、電車で10分以内。快速列車で2駅区間。最寄り駅の美山から、隣町の芹山まで平日はマネキン入りのボストンバックをかついで電車通学。これが僕のルーティーンだ。アフターは居残りがなければ、芹山駅近くのカフェでバイト。今日はバイトは入っていないが、たまには居残りせずに帰ってみようか。
「エディ君」
「は、はい」
「美容師の国家試験の合格率は春が80%から90%だけど、秋は何%だと思う?」
山口先生は、抜き打ちでよく指名して当ててくる。だから、自然と身が引き締まって、講義に集中できる。ただ、今のはちょっと不意打ち過ぎた。
国家試験の合格率なんて、未知の領域なので僕にはわからない。
わからないけど、「わかりません」と答えることは彼女の講義ではご法度だ。何故なら、この質問自体が正解を求めるものではなく、「僕の考え」を求めるものだから。
「正確な数字はわかりませんが、僕はだいたい半数の50%くらいだと思います」
「はい、ありがとう。素晴らしい、ほぼ正解よ」
「ありがとうございます」
「統計的に秋の合格率は、約50から60%と言われているの。だから、受けるなら春がチャンスなのよ」
運良く数字的にも正解だった模様。一か八かのスリリングなこの感覚は、苦手な人には苦痛のようだ。
「春は求人も多いからっていう理由もあるけど、合格の基準は変わらない。春だろうが秋だろうが、実力のない人は落ちる。ただそれだけ」
僕はダメでもともと、的な思考だから、「合ってたらラッキー」ぐらいにしか思わない。寧ろ、この感覚に慣れていればいるほど、その問いの答えを導き出す勘が冴えわたるような気がするのは僕だけだろうか。
この4月から2年生に進級した。国家試験対策の講義も増え、その中で小テスト形式で過去問を解く毎日が続く。実技では、シャンプーやカラーリング実習がメインになるため、手荒れは免れない。女の子だけでなく、男の僕ですらハンドクリームを持参しないと、皸だらけの痛々しい手で実習に臨まなければならない。しかも、これが地味に痛い。
「今回は参考までに数字を出したけれど、結局は自分の力で合格するしかないの。合格したいなら、死ぬ気で毎日取り組みなさい。以上。今日の講義、終わります」
山口先生の講義が終わった。さすがに今日はちょっと疲れたな。でも、何となく気分転換に寄り道したい気分でもある。
(どこか寄ってから帰ろう……そうだ!)
行くあてを見つけた僕は、足早にエントランスへと向かう。
「なァ、神城ォ」
間延びした癖のある声が、僕の背後から聞こえた。
「え?」
振り向くと、同じクラスの山本健太君。典型的なチャラ男な彼は、話のテンポが合わなくて、実はちょっと苦手だ。
(うわ、できればあまり関わりたくないんだけど……何の用だろう?)
「今日さァ。今から合コンやるんだけどォ、一緒行かねェ?」
やっぱり合コン、か。僕は合コンが好きではない。だから迷わずNOだ。
「ごめん、今日はこのあと予定があるから」
スッカスカだけどね。
「マジかぁ~。彼女ォ?」
「うん、まあそんなとこかな?」
嘘も方便だ。というか、彼の誘いを断れるなら嘘でも何でもいい。
身も蓋もない言い方をすると、彼に付き合うということは、わざわざ時間とお金の無駄遣いをしにいくようなもの。と言わざるを得ないエピソードが絶えないからだ。